弥生時代の環濠集落跡から鉄生産用の地上炉跡見つかる

弥生時代の環濠集落跡から鉄生産用の地上炉跡見つかる
 長崎県壱岐市教育委員会は12月14日、弥生時代の環濠集落跡「カラカミ遺跡」(壱岐市)で、鉄生産用の地上炉跡が見つかったと発表した。弥生時代の地上炉跡の発見は、国内で初めて。専門家は、弥生時代には明確に確認されていない製錬炉の可能性があると指摘、同市教委は今後も調査を進めるという。同市教委によると、炉跡は弥生時代後期(紀元1~3世紀ごろ)のもので、少なくとも6基が見つかった。床面に直径約80㌢の範囲で焼けた土が広がっており、床面に直接炉をつくる「地上式」と確認した。
 国内で確認されている炉は地下式で、カラカミ遺跡の炉は韓国の遺跡にみられる精錬炉跡に似ている。周辺からは鉄製品の加工時に発生する鉄片は見つかっていないため、鉄自体を精錬していた可能性があるという。日本では6世紀後半ごろ鉄の精錬が始まったとされている。壱岐市には『魏志倭人伝』に記された「一支(いき)国」の王都とされる「原の辻遺跡」もあり、カラカミ遺跡も一支国の集落だったとされる。

吉良邸討ち入り時の江戸庶民の話を近江商人が書簡に

吉良邸討ち入り時の江戸庶民の話を近江商人が書簡に
 江戸時代、元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きた赤穂浪士の吉良上野介邸討ち入りについて、江戸の庶民の間に飛び交った話を書き留めた近江商人の書簡が見つかり、話題になっている。書簡の日付は元禄15年12月15日。縦約20㌢、横約30㌢の折り畳んだ和紙に縦書きされている。差出人や宛先が書かれた包み紙はない。滋賀県日野町の近江商人の旧家に残されていたもので、古物商から購入した人が同町の町立近江日野商人館に鑑定を依頼した。
 書簡には、午前2時ごろ、吉良邸前で赤穂浪士が太鼓を打ち鳴らし「火事だ」と騒ぐと、奉公人などとして邸内に潜入していた4人が「かねて心得ていた通りに、門を開けた」などと記され、騒然とした江戸の町の様子が生き生きと伝わってくる。書簡は同館で2014年1月5~30日に公開される。

明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト

明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト
 関西大学大阪都市遺産研究センター(大阪府吹田市)が、上方文化を発信した明示末~大正初期の大阪・道頓堀のにぎわいをコンピューター・グラフィックス(CG)で再現するプロジェクトを進めている。当時の写真に写った人物を合成し、動画で散策を楽しめる。時代考証も進め、2014年春の公開を予定している。同プロジェクトは2000年に解体された道頓堀のすし店の衝立屏風(縦82㌢、幅162㌢)が同大に寄贈されたのを機に11年1月に始まった。
 道頓堀はかつて浪花座や中座など「道頓堀五座」と呼ばれる芝居小屋を中心に栄えた。制作中の動画(8分弱)は堺筋~戎橋間約500㍍の通り沿いの建物や川などが再現される。

旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札

旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札
 1941年の旧日本軍による真珠湾攻撃から12月7日で72年となるのを前に、部隊を指揮した淵田美津雄中佐が攻撃後に作製した戦果説明図が6日、ニューヨークで競売に掛けられ、42万5000㌦(約4370万円)で落札された。AP通信が報じた。戦果図は縦約80㌢、横約60㌢の紙に「軍極秘」と赤字で記され、攻撃を受けた米艦船の名前や位置、被弾させた爆弾と魚雷の数などが書き込まれている。落札者は明らかになっていない。
 淵田中佐は「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)の電文を打ったことで知られる。主催した競売大手のクリスティーズは広報資料で、昭和天皇に図を指差しながら説明したと振り返る淵田中佐の自伝を引用している。

富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘

富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘
 富山市科学博物館は7日までに、富山市内の地層でよろい竜(アンキロサウルス類)とみられる足跡の化石を発掘したと発表した。大きさは前足が長さ19㌢、幅21㌢。後ろ足は長さ32㌢、幅44㌢。軟らかい地面を歩いた際のものとみられ、前足部分の深さは7㌢あった。よろい竜は草食で、身を守るため、骨で背中が覆われているのが特徴。昨年10月に富山市大山地区の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層で前足と後ろ足の1組が見つかり、今年11月に掘り出した。
 アンキロサウルス類の化石は熊本県御船町で歯が、北海道夕張市で頭骨が見つかっている。

京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に

京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に
 京都市上京区の北野天満宮で南側の楼門に掲げられている額の修復工事が終わった。修復は約90年前の奉納以来で初めてといい、当時の姿が蘇った。額は幅120㌢、高さ185㌢。樹齢1000年以上というケヤキの一枚板に彫られている。1921年に日本画家の富田渓仙らが奉納。楼門上部は網が張られ、額の取り外しができないため、10月から約2カ月かけて門に掛けたまま汚れを落とし、漆を塗って金箔を貼った。

36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認

36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認
 米航空宇宙局(NASA)の研究チームは、約36億年前の火星に微生物などの生命を育むことができる湖があったことを無人探査機「キュリオシティ」で確かめたと12月9日、米科学誌サイエンスに発表した。昨年8月に火星のクレーターに着陸したキュリオシティの観測結果を分析。着陸地点から約450㍍離れた「イエローナイスベイ」と呼ばれる深さ5㍍ほどのくぼ地に、水を湛えた湖が少なくとも数万年にわたって存在したと結論付けた。
 微生物の痕跡そのものは見つかっていないが、NASAはさらに生命活動の直接の証拠を探す方針。キュリオシティは着陸地点から緩やかに傾斜しているくぼ地に向けて走りながら、岩石や地形を分析。水が流れたような痕跡を複数見つけたほか、湖に川が流れ込む場所に特有の細かい泥が溜まってできる堆積岩をくぼ地内で確認した。堆積岩は少なくとも4平方㌔の範囲に広がっていた。NASAは、新たな探査機を火星に送り込み、有望なサンプルを地球に持ち帰ることも構想している。

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見
 東北大の掛川武教授とデンマークのコペンハーゲン大のグループは、グリーンランドの岩石の中から、38億年前の海に暮らしていたとみられる生物の痕跡を発見した。12月8日付の英科学誌ネイチャージオサイエンス(電子版)に発表した。これまでに見つかった最も古い痕跡は34億年前だった。研究グループは2004年、グリーンランド西部イスア周辺にある溶岩の中から、海で堆積してできたとみられる岩石を採取。炭素の結晶を取り出して詳しく分析した。
 掛川教授は生物は細菌類のような微生物で、海底に沈殿した岩石が溶岩の熱にさらされたのではないか-と分析している。痕跡が見つかった岩石は37億年前のものだが、長い時間かけてできるため、微生物は38億年前には存在した可能性が高いとみている。

赤穂浪士の吉良邸討ち入りの図 12月2日から公開

 皇室に伝わる古文書など約39万点を所蔵する宮内庁書陵部の図書寮文庫は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の題材で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する資料6点を、12月2日から同庁のホームページ(HP)に初めて掲載する。公開されるのは討ち入り時の「吉良上野介屋敷図」や、大石内蔵助らが徳川幕府に事件の経緯を語った「浅野内匠頭家来□上書等」など江戸後期から幕末に作られた写本。細かい間取りを示した屋敷図には、討ち入り時の各浪士の配置が赤い文字の名前で記されている。
 討ち入り事件は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主・浅野内匠頭の仇討ちのため、大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)、現在の東京都墨田区にあった吉良邸を襲撃した。

恭仁宮の朝堂院は木の板で囲った基壇に建てられていた

 京都府教育委員会は11月30日までに、聖武天皇が造営した恭仁宮(京都府木津川市、8世紀前半)の中枢部にあたる朝堂院跡の建物は、木の板で囲った基壇に建てられていたことが分かったと発表した。木製基壇は近江国庁跡(大津市)、遠江国分寺(静岡県磐田市)でも見つかっている。同府教委によると、朝堂院跡で、南北一列に並んだ5つの柱穴を確認。北端の柱だけ他の4本と比べて細いうえ、接するように板を立てた跡とみられる幅20㌢の溝があった。このことから北端の柱は建物があった基壇の土が崩れないように建てられた板を支える束柱で、木製基壇と判断した。
 北端の柱穴は50㌢四方、ほかの4本の柱穴は1㍍四方の大きさだった。柱穴は昨年見つかった建物跡の東側の一部とみられ、建物の規模は東西18㍍、南北15㍍のほぼ正方形だったとみられる。当時は細長い建物が一般的で、ちょっと異例だが、聖武天皇が災厄から逃れるために遷都を繰り返しただけに、都の適地選定には限界があって、同府教委では平城宮に比べて狭く、苦肉の策だったのではないか-とみている。

キトラ古墳埋め戻す 16年度に墳丘の一部を再現へ

 文化庁は11月29日、極彩色壁画の発見から30年を迎え、史跡整備に向けた作業が進む奈良明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)で、石室付近を埋め戻す様子を公開した。振動を与えないよう重機は使わず、職人が木づちや突き棒で石灰入りの土を厚さ8㌢ずつ突き固める作業を繰り返していた。高さ2.1㍍までを約15立方㍍の土で埋め戻す予定。文化庁によると、今後、古墳を覆っている仮設の保護施設を撤去し、2016年度に墳丘の一部を再現する予定。壁画は保存処理を終えた後、明日香村の国営飛鳥歴史公園内に完成予定の施設で公開する。

14年2月に奈良で茶人・村田珠光に因む「第1回珠光会」

 室町時代の茶人で茶道の礎を築いたとされる奈良出身の村田珠光(じゅこう)にちなみ、大茶会「第1回珠光会」が2014年2月12~16日、奈良市内で開かれる。奈良市などでつくる実行委員会が11月29日、その概要を発表した。春日大社や東大寺、元興寺、唐招提寺、薬師寺など7社寺で、表千家や裏千家など4流派が茶席を設け、約5000人の来場を見込む。茶道と日本のもてなし文化に関するシンポジウムも開催する。事前に販売する茶券は出席できる茶席数や食事の有無などにより5000円、3000円、1000円の3種類がある。

40万年前の人骨から人類最古のDNAを抽出 独チーム

 独マックスプランク研究所などのチームは、スペイン洞窟で発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝子情報を解読することに成功したと、12月5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。分析の結果、約40万年前の人類と分かった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち求人の段階にとどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)まで遡り、最古の例になるという。
 洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で、原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人とみられる。研究チームは保存状態のよい大腿骨から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が」デニソワ人の祖先と70万年前に枝分かれしたことも分かった。

宗祖隠元が隠居した「松隠堂」を初公開 宇治・万福寺

 黄檗宗大本山・万福寺(京都府宇治市)で、宗祖隠元が隠居した松隠堂の修復工事が終わり11月22日、報道陣に公開された。1661年の創建以来、松隠堂の公開は初めて。京都府教育委員会によると、松隠堂は開山堂、庫裏、裏門などの建物から成り、64年に境内の別の場所に建てられ、94年に現在の場所に移された。昨年までに庫裏と裏門が修復され、約320年前の移築時の姿が蘇った。江戸時代中期に瓦に葺き替えられた庫裏の屋根は、薄い木片を重ね合わせる「こけらぶき」に戻した。
 万福寺は、中国から招かれた隠元が開き、建物や儀礼も中国風で知られる。64年に隠居し、73年に亡くなるまで松隠堂で過ごした。

バーミヤン仏教遺跡で日本隊が7世紀?の新石窟発見

 日本の考古学の専門家らは11月25日までに、アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン仏教遺跡で、7世紀ごろに造営されたとみられる石窟を新たに発見した。石窟は遺跡の中心部から約3㌔離れた谷にあるが、ドーム状の天井と八角形の部屋を持つ様式は中心部の石窟と同じ。新たに石窟が見つかったのは、2001年に破壊された2体の大仏がある中心部の石窟から西へ約3㌔のフォラディ谷。調査の結果、石窟は奥行き約4.5㍍の八角形の部屋に高さ約4.5㍍のドーム天井を持つ「円蓋八角堂」とみられ、祈りの場として使われていたと考えられる。

釈迦生誕地ルンビニで木造建築物の痕跡見つかる

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は11月26日までに、ネパール南部にある仏教の開祖ブッダ(釈迦)の生誕地ルンビニで木造建築物の痕跡が見つかったと発表した。建造物は紀元前6世紀のものとされ、これまで存在は知られていなかった。中央部には釈迦生誕の伝説に関連する部分もあるとしており、さらなる調査が待たれる。ルンビニの遺跡は1896年に発見され、1997年に世界遺産に登録された。

大修理の正倉院 装い新たに 屋根瓦のふき替え終了

宮内庁は11月26日、約100年ぶりの大修理が進む奈良市の国宝・正倉院で、屋根瓦のふき替え作業が終了し、装いを新たにした姿を報道陣に公開した。今回の大修理は傷んだ屋根瓦の交換や、軒先の垂れ下がりを抑えるための屋根裏の構造補強が目的。一昨年秋から作業が本格化した。約2万6200枚の瓦を新調した一方、奈良時代の瓦を含む約8400枚を再利用。屋根全体の重さは約191㌧と修理前より約8㌧軽くなった。
 今後は室内の復旧作業や、建物全体をカバーしている覆い屋の撤去などを行い、来年秋に完成する計画。最後の現場の一般公開を2014年2月7~11日に行う。

魯迅の手紙1億円 日本語の学習記す 中国で落札

 中国のニュースサイトによると、中国の文豪、魯迅(1881~1936年)の短い手紙が北京で行われたオークションで、手数料含め655万5000元(約1億500万円)の高値で売却された。手紙は1934年6月、中華民国時代の著名な編集者、陶亢徳氏に充てたものとされ、計220字の文面。日本に留学経験のある魯迅が、日本語学習について記した内容。

国学院大の矢部准教授が関白・豊臣秀次の死を巡り新説

 国学院大学の矢部謙太郎准教授(日本近世史)は、豊臣政権時代の関白・豊臣秀次の死を巡り、新説を学術誌「国学院雑誌」に発表した。その主旨は、淀君との間に実子の秀頼が生まれると、秀吉は甥の秀次が邪魔になり、彼を追放しただけだった。だが、秀吉の意図に反して秀次が過剰反応し、自ら腹を切った-というもの。通説では、秀吉は秀次を追放し切腹させるとともに、将来、秀頼に報復の類が及ぶことのないよう、彼の家族・郎党を含め根絶やしにしたとされている。ただ、秀次の死の背景を明確に記した史料が同時代になく、研究者の間でも興味深い説とみる向きもある。

唐古・鍵遺跡で弥生中期の北部九州産の土器片見つかる

 奈良県田原本町教育委員会は11月15日、国内最大級の環濠(かんごう)集落跡、唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で、北部九州でつくったとみられる弥生中期ごろ(紀元前200年前後)の土器片が見つかったと発表した。この土器片は甕(かめ)の口縁部の破片で横約13㌢、縦約5㌢。25年前に出土し、再整理中に発見した。赤い彩色痕があり、口縁の形などが北部九州の土器の特徴と一致した。この時期の北部九州の土器は岡山県や島根県で見つかっているが、それ以東での出土例は初めてという。当時の地域間交流を探る貴重な資料といえそうだ。

日本庭園の元祖 奈良・飛鳥京跡苑池の南池の全容判明

 奈良県立橿原考古学研究所は11月20日、国内初の本格的な宮殿付属庭園、飛鳥京跡苑池(奈良県明日香村、7世紀後半)の南池の全体像が明らかになったと発表した。南池の中島はX字形と判明。東西約32㍍、南北約15㍍で、同時期の他の庭には見られない珍しい曲線構造だった。東西の岸からは柱を抜き取った跡が複数見つかった。池の観賞用施設があったらしい。近くの高台では、苑池全体を取り囲んでいたとみられる塀の跡も見つかった。同研究所では、想像以上の規模と景観。日本庭園史の出発点を飾る庭で、当時の総力を傾けた庭だったのだろう-としている。
 苑池は1999年の調査で見つかった。池は南北2つあり、南池は東西約65㍍、南北約55㍍で、石積みの島や松のある中島、噴水のような石造物があることは分かっていたが、全体像は不明だった。

塗料の下にダビンチの絵 ミラノの古城・天井画の部屋

 イタリアミラノ市などの調査によると、同市の観光名所スフォルツァ城にある、レオナルド・ダビンチの天井画が描かれた部屋の壁の塗料の下に、天井から続くダビンチの絵が隠れていたことが分かった。塗料を剥がして絵を復元する作業が行われており、2015年のミラノ万博開幕に合わせた一般公開が計画されている。ダビンチはミラノ滞在中の1498年、スフォルツァ家のミラノ公ルドビコ・イル・モロの依頼で、スフォルツァ城の「板張りの間」の天井に桑の木などをデザインした装飾画を制作。部屋の壁にも天井画から続く木の幹や根などを描いていたとみられる。
 1499年にミラノがフランスに征服され、ルドビコはミラノを脱出したため、部屋の絵画は完成しなかった可能性が高い。18世紀初めには板張りの間はオーストリア軍の厩舎となり、このころにダビンチの絵は白い塗料で塗りつぶされたようだ。

おくのほそ道の10県13カ所を名勝に 文化審議会が答申

 文化審議会は11月15日、俳聖・松尾芭蕉が東北、北陸を旅した「おくのほそ道の風景地」(10県13カ所)などを名勝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。芭蕉は弟子の曾良と古歌にまつわる名所を訪ね「おくのほそ道」をまとめた。芭蕉が俳句を詠んだ名所など往時をしのばせる優れた風景のうち、地元で保全の準備が整った「草加松原」(埼玉県草加市)や「象潟および汐越」(秋田県にかほ市)な。ど13カ所を指定、保護する。今後、順次追加指定を求める方針だ。
 また、室町幕府と伊達氏との結び付きを示す「宮脇廃寺跡」(福島県伊達市)など9件を史跡に、吉野川中流の「大歩危」(徳島県三好市)など3件を天然記念物とするよう求めた。近く答申通り告示される見込み。この結果、史跡は1724件、名勝378件、天然記念物1011件となる。このほか、「旧南部氏別邸庭園」(盛岡市)など4件を登録記念物に、「宮津天橋立の文化的景観」(京都府宮津市)など5件を重要文化的景観にすることも求めた。

六波羅蜜寺開山1050年を記念し坂東玉三郎さんが舞奉納

 平家ゆかりの六波羅蜜寺(京都市東山区)で11月16日、開山1050年を記念し、本尊の国宝・十一面観世音菩薩の前で、歌舞伎俳優で人間国宝の坂東玉三郎さんがしなやかに舞を奉納し、詰めかけた観客を沸かせた。寺は963年、悪病退散を祈願するため、空也上人が開山。境内には平清盛らの供養塔が建立されるなど、平家とのつながりが深い。この日は本堂から屋外にせり出した舞台で、太鼓芸能集団「鼓童」と共演。日本神話を題材に自身が演出した舞踊劇「アマテラス」をモチーフに、優美な舞を演じた

西本願寺の国宝能舞台で能上演 世阿弥生誕650年記念

 室町時代に能を大成した世阿弥の生誕650年を記念し、京都市下京区の西本願寺に現存する日本最古の能舞台、国宝・北能舞台で11月21日、喜多流シテ方の友枝昭世さん(人間国宝)らが能を上演した。北能舞台での能上演は1997年以来。観世流シテ方の片山幽雪さん(人間国宝)の仕舞「砧(きぬた)」に続き、友枝さんが能「清経」を上演。幽玄な静寂の世界にひととき浸った。西本願寺によると、北能舞台は1581年の創建とみられる。

隋・煬帝と妃の墓と確認 江蘇省で発見された2つの古い墓

 中国考古学会は11月16日、江蘇省揚州市で今年3月に見つかった2つの古い墓が約1400年前の隋王朝の第2代皇帝、煬帝(569~618年)と妃の墓であることが確認されたと発表した。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。2つのレンガ製の墓は不動産開発の工事中に発見。一つは長さ約25㍍で墓誌のほかに玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴から煬帝の墓と認定したという。別の墓は長さ約13㍍で、副葬品は200点余り。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、煬帝の妃の墓と推定された。
 煬帝は、607年、第2回目の遣隋使として派遣された小野妹子に託した聖徳太子が認めた国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と書かれた表現に激怒したと伝えられる隋の皇帝だ。

バチカンが聖ペテロの遺骨?を初公開へ

 ローマ法王庁(バチカン市国)は11月18日、バチカンのサンピエトロ広場で11月24日に開くミサの際に、キリストの12使徒の一人、聖ペテロのものとされる遺骨を納めた棺(ひつぎ)を初めて一般公開すると発表した。棺は普段はサンピエトロ大聖堂の地下墓地に安置され、許可がなければ見学できない。イタリアのメディアによると、1939年から約10年間行われた地下墓地の発掘調査で聖ペテロの墓とみられる場所が見つかった。68年に法王パウロ6世が「聖ペテロの遺骨であることが納得いく方法で確認された」と発表したが、学者らの間では真偽について議論が続いている。

ベトナムの山岳地帯で「幻の動物」サオラ撮影

 1992年に発見されたが、生きた姿が稀にしか確認されていない「幻の動物」サオラが9月、ベトナム中部の森林で撮影され、世界自然保護協会(WWF)が、11月13日までに写真を発表した。生きた姿としては99年にラオスで撮影されて以来という。サオラはウシ科の哺乳類で、長くとがった2本の角と顔の白い線などが特徴。サオラの生態はよく分かっておらず、数十頭しか生息していないとの見方もある。

鎌倉時代の”雅”の音色蘇る 陽明文庫の「笙」を補修

 陽明文庫(京都市右京区)が所蔵する雅楽の管楽器「笙(しょう)」のうち、鎌倉時代の「菊丸」が分解・補修され、約700年前の音色を取り戻した。制作年は1277年と判明し、演奏できる笙としては国内最古。東京大史料編纂所の研究チームが笙の第一人者、岩波滋・元宮内庁式部職楽部主席楽長の協力で笙5管を調査した。このうち「菊丸」を分解すると、17本ある竹の1本に「菩提山」などの文字が刻まれていた。さらに赤外線撮影した写真などから「貞俊」「行年三十九」などの文字が判読できた。菩提山は奈良市菩提山町にある正暦寺の山号。貞俊は1238年生まれの笙制作の名人で、39歳の1277年、正暦寺の工房で「菊丸」を制作したことが確認された。
 このほか、室町時代の作と推定される笙や「貞享二年」(1685年)の銘がある笙「雲龍」も補修され、演奏できるようになった。11月17日に京都市中京区の立命館朱雀キャンパスで行われる陽明文庫講座では、岩波さんがこれらの笙を演奏する。陽明文庫は藤原道長から続く五摂家の一つ、近衛家の宝物を所蔵する。

稲荷山古墳から出土の鉄剣を刀匠らが7年かけ再現

 5世紀後半の稲荷山古墳(埼玉県行田市)から出土した国宝「金錯銘鉄剣」を、刀匠や刀剣研師らが、当時の刀に関する資料などをもとに7年間かけて再現し、11月13日、埼玉県庁で完成品を披露した。この鉄剣は1968年に出土。78年のエックス線撮影で115文字の銘文が刻まれていたことで、一躍有名になった。この再現作業は2007年から、米ニューヨークのメトロポリタン美術館武器武具特別顧問の小川盛弘氏を代表とする6人の制作グループにより進められていた。

瓦のふき替えほぼ終わった正倉院を報道陣に公開 宮内庁

 宮内庁は11月11日、約100年ぶりの大修理で瓦のふき替えがほぼ終わった国宝・正倉院(奈良市)を報道陣に公開した。残る修理は屋根最上部の「大棟(おおむね)」と、鬼瓦が載る四方の「隅棟(すみむね)」だけとなった。大棟と隅棟に置く熨斗(のし)瓦は、地震でも崩れないようステンレスの棒と針金で固定する工法を採用する。2014年2月7~11日、修理現場の最後の一般公開を行う。今月12日から事前申し込みを受け付ける。

京都・勝林寺で本尊・毘沙門天像の胎内仏3体を公開

 京都市東山区の勝林寺で11月12日、本尊・毘沙門天像の胎内仏3体が報道陣に公開された。胎内仏は250年前の江戸時代の作とみられ、公開は初めてという。3体は毘沙門天(像高約17㌢)などで、すべて一木造り。2009年の京都市の調査で、本尊の背中部分から見つかった。本尊は平安時代の仏師、定朝の作とされる。11月15日~12月8日、秋の特別拝観が行われる。

モンゴル・ゴビ砂漠で最大級の肉食恐竜の営巣地発見

 北海道大学など国際研究チームは11月2日、モンゴルのゴビ砂漠の東部にある白亜紀後期(約8000万年前)の地層から、獣脚類恐竜(肉食恐竜)の世界最大級の営巣地の化石が見つかったと発表した。営巣地は獣脚類のテリジノサウルス類のものとみられる。幅22㍍、長さ52㍍で、河川の扇状地で見つかった。巣は18カ所あり、球形の卵(直径約13㌢)3~8個もあった。獣脚類は単独生活していたと考えられてきたが、産卵期は集団で過ごしていたとみられる。北海道大の小林快次准教授によると、獣脚類恐竜の営巣地は米モンタナ州やポルトガルでも見つかっているが、これだけ大きな営巣地は初めてという。

熊谷直実ゆかりの「鎧掛けの松」枯死 京都金戒光明寺

 京都市左京区の浄土宗の大本山、金戒光明寺で平安~鎌倉時代の武将、熊谷直実(1141~1207年)ゆかりの「鎧掛けの松」として知られるクロマツが枯死した。同寺によると、樹齢200年以上とみられ、枯死の詳しい原因は不明。寺では2014年3月ごろまでに境内の別のクロマツを同じ場所に移植する予定だ。「鎧掛けの松」は御影堂近くにあり、高さ6.6㍍、枝張り16.6㍍。今回枯死したクロマツは、寺伝などから「2代目」とされる。2003年、京都市が美観に優れた樹木を指定する「保存樹」に選ばれていた。
 熊谷直実は平安時代末期の源平争乱時、源氏方の武将として「一の谷の戦い」(1184年)などで活躍。若き平敦盛との一騎打ちが平家物語の題材となり、歌舞伎や能にも登場する。世の無常を感じて浄土宗の開祖、法然上人を訪ね、教えを聞いて出家した際、身につけていた鎧をクロマツに掛けたとの伝承がある。

江戸期の小石川後楽園の絵図発見 水戸市徳川ミュージアム

 水戸藩主・徳川光圀が江戸時代前期に完成させた「小石川後楽園」(東京都文京区)の絵図が水戸市の徳川ミュージアムで新たに見つかり、11月1日、報道陣に公開された。光圀は中国・明代の儒学者、朱舜水の意見を取り入れ、円月橋など主要施設をつくった。江戸時代の絵図は数点しか見つかっていない。今回見つかった絵図は江戸後期の作とみられる。中国風の円月橋や満開の桜などが色鮮やかに描かれている。

豪州で歯を持つ巨大カモノハシの化石見つかる

 オーストラリアのニューサウスウェールズ大のチームは11月4日、クイーンズランド州で体長が現存種の2倍の約1㍍に達し、大きな歯を持つカモノハシの仲間の化石を発見したと発表した。チームは、1500万~500万年前に水辺に生息していたと推定している。また、歯が退化した口で昆虫などをすりつぶして食べる現存種と異なりカメやカエルなども捕食していた可能性があるとみている。鳥のようなくちばしを持ち、哺乳類なのに卵を産むというユニークな生態のカモノハシの進化過程を知る手掛かりになりそうだ。

ティラノサウルス類の新属新種恐竜 米ユタ州で発見

 米ユタ大学自然史博物館などの研究チームは、米ユタ州南部の約8000万年前(白亜紀後期)の地層から、大型肉食恐竜ティラノサウルス類の後頭部が盛り上がった化石を発見し、科学誌プロスワン電子版に新属新種に分類したと発表した。「ライスロナクス・アルゲステス」と名付けられたこの恐竜は頭や腰、脚、尾の骨の化石が見つかり、体の長さ8㍍、重さは2.5㌧と推定された。約7000万年前に出現し、史上最強といわれるティラノサウルス・レックスより、小型だが、レックスと同様に後ろ脚で歩き、前脚は短かったとみられる。後頭部が盛り上がっているほか、両目が前向きに付き、鋭い歯が並ぶ特徴があった。

山形・舘山城跡で石垣の一部発見 伊達政宗の命で建設か

 山形県米沢市教育委員会は、伊達政宗(1567~1636年)の祖父、晴宗が築いたとされる舘山城跡(米沢市)の発掘調査で、新たに石垣の一部を発見したことを明らかにした。今回、本丸跡付近で、7~8個の切り石からなる幅約5㍍、高さ約80㌢の石垣の一部を確認した。権力を象徴していた石垣が発見されたことで、伊達家の本格的な居城だった可能性が高まった。同市教委では「当時としてはかなり立派な石垣で、文献などから政宗が命じて造らせたものとみられる」と分析している。

福岡・船原古墳から大陸文化伝える馬かぶと・旗立て金具

 福岡県古賀市教育委員会は10月31日、6世紀後半から7世紀初めの古墳時代後期の船原古墳で、馬の頭に付けるかぶと「馬冑(ばちゅう)」と馬上に旗などを立てる金具「蛇行鉄器」が出土したと発表した。いずれも極東アジアで流行した騎馬戦術で使われた馬具で、大陸の文化を伝える貴重な史料という。馬冑は鉄製で長さ50㌢、幅18㌢。完全な形で見つかるのは和歌山市の大谷古墳に続き2例目。蛇行鉄器は国内最多の3点が見つかり、最大のもので長さは約80㌢。人が座る鞍の後部に取り付けたとされる。出土した金銅製馬具を福岡県立九州歴史資料館(小郡市)がCTスキャンで分析した結果、ハート形の飾り金具に一対の鳳凰(ほうおう)が、馬の轡(くつわ)の金具に唐草文が透かし彫りされていることが分かった。船原古墳は直径約20㍍の円墳。

織田作之助の生誕100年祝い生国魂神社に新たな銅像

 作家、織田作之助の生誕100年を祝い10月26日、生国魂神社(大阪市天王寺区)で新たな銅像がお披露目された。生国魂神社は作之助の生家の向かいにあり、彼の幼少時の遊び場であると同時に、作品に何度も登場する。銅像は1.3㍍の立像で、愛用のマントと帽子を身につけ、師と仰いだ井原西鶴の銅像に顔を向けている。愛好家らでつくるオダサク倶楽部の会員、石田英治さんが寄贈。

京都・浄福寺 鎌倉時代に制作の秘仏 100年ぶり公開

京都市上京区の浄福寺で、秘仏「栴檀瑞像釈迦牟尼仏(せんだんずいぞうしゃかむにぶつ)」(高さ1.3㍍)と釈迦堂内部が約100年ぶりに公開されるのを前に10月29日、報道陣に公開された。一般公開は11月1~10日。秘仏は、清涼寺(京都市右京区)に祀られている「三国伝来生身釈迦如来立像」(国宝)を鎌倉時代にまねて造った最初の像とされている。釈迦堂は総ケヤキ造りで、1756年に建立。2011年から木材を解体し、修復工事をしていた。正確な記録は残っていないが、同寺関係者によると公開は約100年ぶりという。

「和食」世界の文化遺産に 社会の連帯に大きな役割果たす

 政府がユネスコの無形文化遺産に提案した「和食 日本人の伝統的な食文化」について、事前審査を担う補助機関が新規登録を求める「記載」の勧告をしたことが10月22日、分かった。登録の理由として、和食は世代から世代に受け継がれる中で、社会の連帯に大きな役割を果たしていることを挙げている。文化庁によると、過去の事前審査で記載勧告された提案が覆されたケースはなく、12月2~7日、アゼルバイジャンのバクーで開かれるユネスコの政府間委員会で正式に登録される見込み。
 食と関係する無形文化遺産としては、これまでにフランスの美食術、スペインやイタリアなどの地中海料理、メキシコの伝統料理、トルコのケシケキ(麦がゆ)がすでに登録されている。無形文化遺産は世界遺産や記憶遺産と並ぶユネスコの遺産事業の一つ。

杉田玄白の漢詩2首発見 将軍家斉との面会の喜び記す

 江戸時代の蘭方医・杉田玄白(1733~1817年)が晩年、西洋医学発展の功績が認められ、江戸城での11代将軍・徳川家斉との面会を許された喜びなどを詠んだ漢詩2首が10月19日までに見つかった。直筆で1枚の紙に記していた。前野良沢らとオランダ医学書「ターヘルアナトミア」を翻訳し、日本で初めて著わされた医学書「解体新書」で知られる玄白が、医学への情熱を生涯燃やし続け、長年の苦労が報われた玄白の感激をうかがわせる貴重な史料といえる。玄白の漢詩が新たに確認されたのは、1936年に漢詩が書かれた日記を子孫が公開して以来、約80年ぶり。
 群馬県高崎市の古書店「名雲書店」の名雲純一さんが今秋、古書市で発見。京都外大の松田清教授らが、玄白の別宅名に由来する「小詩仙翁」の署名があることや、内容が玄白の日記と合致することなどから本物と確認した。

国内最古の将棋の駒「酔象」奈良・興福寺境内で発見

 奈良県立橿原考古学研究所は10月24日、奈良市の興福寺旧境内で11世紀末(平安時代)の将棋の駒「酔象(すいぞう)」など4点が見つかったと発表した。現在、主流の将棋では使われない酔象の駒としては最古。過去の出土例を約250年さかのぼり、将棋の変遷を知るうえで貴重な資料となりそうだ。今回、井戸の遺構から「承徳二年」(1098年)と書かれた木簡とともに見つかった。長さ約2.5㌢、幅約1.5㌢、厚さ約2㍉の木製。表に「酔象」と墨書きされ、裏の文字は確認できなかった。僧侶や寺の関係者が指していたとみられる。酔象は真後ろ以外の7方向に1つ動けるのが特徴。

和歌山「稲むらの火祭り」400人がたいまつ手に防災訓練

 和歌山県広川町で10月19日、江戸時代の1854年に安政南海地震で津波が押し寄せた際、収穫された稲のわらを積み上げた「稲むら」に火を放ち、村人を高台に誘導した浜口梧陵の史実を再現する「稲むらの火祭り」が行われた。祭りは将来予想される東南海・南海地震に備え、防災意識を高めようと2003年に始まった。当時の避難道となった町役場前から神社までの約2㌔を町民ら約400人がたいまつを持って移動。梧陵の子孫、浜口道男さん(70)らが稲むらに火を放つと、暗闇で住民を導く赤々とした炎が浮かび上がり、参加者は災害に備える気持ちを新たにしていた。

大阪と奈良を結ぶ最古の官道「竹内街道」で時代行列

 飛鳥時代に整備され、大阪と奈良を結ぶ最古の官道とされる「竹内街道」の誕生から1400年を迎え、街の中心部を街道が通る大阪府太子町で10月19日、時代行列が行われた。「日本書紀」には、推古天皇在位の613年に「難波より京に至る大道(おおじ)を置く」と記されている。現在の堺市から奈良県葛城市の約24㌔が整えられたとされ、国道166号は今も「竹内街道」と名が残っている。行列では地元の子供ら約50人が推古天皇や聖徳太子らに扮装して練り歩き、約1000人の見物客らを楽しませた。

竹久夢二の新聞小説の挿絵の原画6枚 新潟で見つかる

美人画で知られ、大正ロマンを代表する画家、竹久夢二(1884~1934年)が描いた原画6枚が、新潟県阿賀野市で発見された。原画は1925~26年に読売新聞に連載された小説「審判」の挿絵。2005年まで営業していた旅館「石水亭」の経営者、二瓶文和さん(87)が昨年、市に寄贈した美術品約130点の中から見つかった。審判の原画が見つかったのは初めて。原画は11月1日~12月25日、吉田東伍記念博物館で一般公開される。

和歌山の木造校舎などが重文に 戦前生まれで今も現役

 文化審議会は10月18日、現役で使われている戦前の木造建築「旧高野口尋常高等小学校校舎」(和歌山県橋本市)や、武家の崇敬を集めた古社「那須神社」(栃木県大田原市)など6件の建造物を、重要文化財に新規指定するよう下村博文文部科学相に答申した。また、秋田県横手市の増田地区2地区を、重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう求めた。いずれも近く答申通り告示され、指定される予定。これにより建造物分野の重要文化財は計2412件(うち国宝218件)、保存地区は106地区になる。

福岡県八女市で明治時代のロシア向け紅茶箱見つかる

 お茶の名産地で知られる福岡県八女市で、ロシア語で「第一級の日本の紅茶」と書かれたラベルが貼られた明治時代のものとみられる紅茶箱が見つかった。木製で横約24㌢、縦と高さがそれぞれ約18㌢。浮世絵風のカラフルなラベルには黒髪を結い上げた和装の女性たちによる茶の製造工程が描かれていた。箱はお茶の老舗問屋「このみ園」の蔵から見つかった。輸出先としてロシア市場を開拓しようとしていたことが分かる貴重な史料という。