初の復元修理終え秀吉とねねの木像公開 京都・高台寺
豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ=ねね)が夫・秀吉の菩提を弔うために創建したといわれる高台寺(京都市東山区)で1月10日、初めての復元修理を終えた秀吉とねねの一般公開が始まった。約400年前につくられた当時の色彩や紋様を再現した像を間近に見ることができる。木像は高台寺創建の1606年ごろの制作されたとされる。ねねの墓所でもある霊屋で公開されていたが、劣化が目立ってきたため、13年秋から京都市内の工房で修復されていた。
滋賀県の豪商「四居家」の土蔵から江戸時代の小判
フリーマーケットで7㌦の絵 実はルノワールの作品
フリーマーケットで7㌦の絵 実はルノワールの作品
米南部バージニア州の地元裁判所は1月10日、同州の女性がフリーマーケットで7㌦(約730円)で購入したとする絵が、60年以上前に美術館から盗まれたフランスの印象派画家、ルノワールの作品であることが分かり、美術館への返還を命じる判決を言い渡した。ロイター通信などが報じた。絵は1879年に描かれたセーヌ河畔の風景画。1951年にメリーランド州ボルティモアの美術館から盗まれた。この絵は少なくとも2万2000㌦相当の価値があるとされる。
女性は2009年に地元のフリーマーケットで買ったと主張。ルノワールのサイン入りだったが、本物だと気付かず、ゴミ袋に入れて保管していたという。ただ、この絵の入手の経緯を疑問視する見方もある。
難波宮に大規模回廊跡 奈良時代に女帝が滞在した新宮か
大坂城再築用の石材の船着き場遺構 小豆島で確認
大坂城再築用の石材の船着き場遺構 小豆島で確認
同志社大の文化遺産情報科学研究センターによると、江戸時代の大坂城再築用の石材を、潮の干満を利用して積み出したとみられる船着き場の遺構が、香川県の小豆島で確認された。積み出し港はこれまで見つかっておらず、巨石の搬送方法の解明につながる発見という。大坂城は豊臣氏が滅んだ1615年の大坂夏の陣で焼けた後、徳川幕府が諸大名に命じて再築を開始、29年に完成した。多数の石材が使われ、小豆島など瀬戸内海の島々から切り出されたことが分かっている。ただ、最大約100㌧ともいわれる巨石を積み出した方法は不明だ。
今回同センターが小豆島周辺の海底調査を行ったところ、形状などから2つの岩は人工的に置かれたものと判明。周辺には桟橋を渡すために土台として置いたり、積み残したりしたとみられる石計約50個が散乱しているのも見つかり、2つの岩が石を積み出す船着き場だったと判断した。満潮時に船を2つの岩の間に挟み柱に係留した後、干潮時に桟橋を岩まで渡して石材を船まで運び、再び満潮になったときに出航したとみられる。
姫路で黒田官兵衛「大河ドラマ館」1/12オープン
1/18に古事記・日本書紀にゆかりの5県知事サミット
坂上田村麻呂造営の国史跡の堀誤って掘削 岩手県
伊の古代都市ポンペイ市民は多様な食生活をしていた
大河ドラマ「軍師 官兵衛」初回平均視聴率は18.9%
大河ドラマ「軍師 官兵衛」初回平均視聴率は18.9%
2014年1月5日に放映されたNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」の第1回の平均視聴率は18.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だった。関西地区は23.0%だった。前年の綾瀬はるか(28)主演の「八重の桜」は初回21.4%だったが、これを下回った。東京地区ではここ10年で。12年の「平清盛」(17.3%)に次いで、2番目に低い数字のスタートとなった。戦国時代、織田信長が本能寺の変で自刃した後、急遽、頭角を現し、一気に天下統一の道を突き進んだ豊臣秀吉。この太閤にまで上り詰める秀吉を支えた天才軍師・黒田官兵衛孝高(よしたか)の生涯を、「V6」の岡田准一(33)を主役に配し描く。
京都・下鴨神社で新春恒例「蹴鞠初め」巧みな技披露
隠岐で1200万年前の地層から二枚貝の新種の化石発見
隠岐で1200万年前の地層から二枚貝の新種の化石発見
島根大と北海道教育大の合同チームは12月28日、島根県・隠岐諸島の1200万年前の地層から二枚貝の新種2種の化石が見つかったと発表した。「オキノホタテ」と「ゴダイゴソデガイ」と命名し、2014年1月発行の日本古生物学会の国際誌に掲載される。
オキノホタテは大きさ2~8㌢で、ヤベホタテガイ属では最古の種となる。従来種に比べ、貝殻の扇状の広がりの角度が大きいのが特徴。ゴダイゴソデガイは、隠岐へ流罪になった後醍醐天皇にちなんで名付けられた。大きさ約1㌢と従来種より小さく、殻の模様が少ないことから新種と断定した。今回の2種は比較的水温の低い海の生息したとされる。当時は大陸と日本列島の間が隆起して陸続きになりつつあった時代で、対馬海峡から日本海に流れ込む暖流が少なくなり、水温が下がるなど環境が変化したと考えられるという。
『歴史くらぶ』が選ぶ2013年 10大ニュース
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カステラ箱から古墳時代の”一級品”金銅製馬具出土
襖絵10枚が円山応挙の作と確認 京都の美術館で公開
後桜町天皇しのび式年祭 歴代最後の女帝200回目の命日
後桜町天皇しのび式年祭 歴代最後の女帝200回目の命日
後桜町天皇(1740~1813年)が亡くなって200回目の命日祭「式年祭」が12月24日、京都市東山区の泉涌寺の月輪陵(つきのわのみささぎ)と皇居で行われた。後桜町天皇は江戸時代中期の1762年、弟の桃園天皇が急逝したため、23歳で皇位を継承。桃園天皇の5歳の長男(後の後桃園天皇)を教育し、1780年に譲位した。歴史上、8人いた女帝のうち最後の女帝で、「大嘗祭(だいじょうさい)」を女帝として奈良時代の称徳天皇以来、約1000年ぶりに実施。和歌に秀で、約2000首を残した。生涯結婚せず、74歳で亡くなった。
この日は月輪陵に入る檜皮(ひわだ)ぶきの唐門が特別に開かれ、そのすぐ下の儀式場で午前10時から宮内庁式部職楽部の楽師が笛や笙(しょう)、篳篥(ひちりき)で奏楽を開始。供物台に米や酒、餅、海の幸の鯛と昆布、里の幸の大根とにんじん、りんご、ようかん、塩、水を載せた三方9台が運ばれ、祭祀を執り行う掌典が祝詞を奏上した。
続いて、天皇陛下からの供物として絹の反物が捧げられ、陛下の「ご祭文」を黒色の装束姿の勅使が読み上げた。関係者ら約40人が参列し、儀式は約30分で終了した。皇居でも天皇陛下らが拝礼された。
1300年前の東北最古級?の木簡出土 製鉄作業者の名簿
1300年前の東北最古級?の木簡出土 製鉄作業者の名簿
宮城県教育委員会によると、宮城県山元町の熊の作遺跡から、製鉄作業に従事していた人を管理する名簿とみられる約1300年前の木簡が見つかった。東北地方で出土した木管の中では最古級という。木簡は一部が破損。上に「信夫郡安岐里人」、その下に「大伴部法麻呂」など4人の男性の名前が書かれていた。信夫郡安岐里は、福島市と福島県川俣町の境界付近に当たる地名。大宝律令の郡里制に基づく表記から、制度が施行されていた701~717年の木簡とみられる。
遺跡では製鉄工房跡も確認されており、約40㌔離れた安岐里から製鉄作業に動員された人を管理する名簿と推測されるという。同県教委は8世紀初めに、律令制度による支配がこの地域に及んでいたことを示す貴重な史料としている。木簡は2014年1月26日まで山元町歴史民俗資料館で展示される。
兵庫県赤穂市で110回目「赤穂義士祭」ゲストに松平健さん
華やかな時代装束で奈良・春日大社の「春日若宮おん祭」
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弥生時代の環濠集落跡から鉄生産用の地上炉跡見つかる
弥生時代の環濠集落跡から鉄生産用の地上炉跡見つかる
長崎県壱岐市教育委員会は12月14日、弥生時代の環濠集落跡「カラカミ遺跡」(壱岐市)で、鉄生産用の地上炉跡が見つかったと発表した。弥生時代の地上炉跡の発見は、国内で初めて。専門家は、弥生時代には明確に確認されていない製錬炉の可能性があると指摘、同市教委は今後も調査を進めるという。同市教委によると、炉跡は弥生時代後期(紀元1~3世紀ごろ)のもので、少なくとも6基が見つかった。床面に直径約80㌢の範囲で焼けた土が広がっており、床面に直接炉をつくる「地上式」と確認した。
国内で確認されている炉は地下式で、カラカミ遺跡の炉は韓国の遺跡にみられる精錬炉跡に似ている。周辺からは鉄製品の加工時に発生する鉄片は見つかっていないため、鉄自体を精錬していた可能性があるという。日本では6世紀後半ごろ鉄の精錬が始まったとされている。壱岐市には『魏志倭人伝』に記された「一支(いき)国」の王都とされる「原の辻遺跡」もあり、カラカミ遺跡も一支国の集落だったとされる。
吉良邸討ち入り時の江戸庶民の話を近江商人が書簡に
吉良邸討ち入り時の江戸庶民の話を近江商人が書簡に
江戸時代、元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きた赤穂浪士の吉良上野介邸討ち入りについて、江戸の庶民の間に飛び交った話を書き留めた近江商人の書簡が見つかり、話題になっている。書簡の日付は元禄15年12月15日。縦約20㌢、横約30㌢の折り畳んだ和紙に縦書きされている。差出人や宛先が書かれた包み紙はない。滋賀県日野町の近江商人の旧家に残されていたもので、古物商から購入した人が同町の町立近江日野商人館に鑑定を依頼した。
書簡には、午前2時ごろ、吉良邸前で赤穂浪士が太鼓を打ち鳴らし「火事だ」と騒ぐと、奉公人などとして邸内に潜入していた4人が「かねて心得ていた通りに、門を開けた」などと記され、騒然とした江戸の町の様子が生き生きと伝わってくる。書簡は同館で2014年1月5~30日に公開される。
明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト
明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト
関西大学大阪都市遺産研究センター(大阪府吹田市)が、上方文化を発信した明示末~大正初期の大阪・道頓堀のにぎわいをコンピューター・グラフィックス(CG)で再現するプロジェクトを進めている。当時の写真に写った人物を合成し、動画で散策を楽しめる。時代考証も進め、2014年春の公開を予定している。同プロジェクトは2000年に解体された道頓堀のすし店の衝立屏風(縦82㌢、幅162㌢)が同大に寄贈されたのを機に11年1月に始まった。
道頓堀はかつて浪花座や中座など「道頓堀五座」と呼ばれる芝居小屋を中心に栄えた。制作中の動画(8分弱)は堺筋~戎橋間約500㍍の通り沿いの建物や川などが再現される。
旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札
旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札
1941年の旧日本軍による真珠湾攻撃から12月7日で72年となるのを前に、部隊を指揮した淵田美津雄中佐が攻撃後に作製した戦果説明図が6日、ニューヨークで競売に掛けられ、42万5000㌦(約4370万円)で落札された。AP通信が報じた。戦果図は縦約80㌢、横約60㌢の紙に「軍極秘」と赤字で記され、攻撃を受けた米艦船の名前や位置、被弾させた爆弾と魚雷の数などが書き込まれている。落札者は明らかになっていない。
淵田中佐は「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)の電文を打ったことで知られる。主催した競売大手のクリスティーズは広報資料で、昭和天皇に図を指差しながら説明したと振り返る淵田中佐の自伝を引用している。
富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘
京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に
36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認
36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認
米航空宇宙局(NASA)の研究チームは、約36億年前の火星に微生物などの生命を育むことができる湖があったことを無人探査機「キュリオシティ」で確かめたと12月9日、米科学誌サイエンスに発表した。昨年8月に火星のクレーターに着陸したキュリオシティの観測結果を分析。着陸地点から約450㍍離れた「イエローナイスベイ」と呼ばれる深さ5㍍ほどのくぼ地に、水を湛えた湖が少なくとも数万年にわたって存在したと結論付けた。
微生物の痕跡そのものは見つかっていないが、NASAはさらに生命活動の直接の証拠を探す方針。キュリオシティは着陸地点から緩やかに傾斜しているくぼ地に向けて走りながら、岩石や地形を分析。水が流れたような痕跡を複数見つけたほか、湖に川が流れ込む場所に特有の細かい泥が溜まってできる堆積岩をくぼ地内で確認した。堆積岩は少なくとも4平方㌔の範囲に広がっていた。NASAは、新たな探査機を火星に送り込み、有望なサンプルを地球に持ち帰ることも構想している。
グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見
グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見
東北大の掛川武教授とデンマークのコペンハーゲン大のグループは、グリーンランドの岩石の中から、38億年前の海に暮らしていたとみられる生物の痕跡を発見した。12月8日付の英科学誌ネイチャージオサイエンス(電子版)に発表した。これまでに見つかった最も古い痕跡は34億年前だった。研究グループは2004年、グリーンランド西部イスア周辺にある溶岩の中から、海で堆積してできたとみられる岩石を採取。炭素の結晶を取り出して詳しく分析した。
掛川教授は生物は細菌類のような微生物で、海底に沈殿した岩石が溶岩の熱にさらされたのではないか-と分析している。痕跡が見つかった岩石は37億年前のものだが、長い時間かけてできるため、微生物は38億年前には存在した可能性が高いとみている。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りの図 12月2日から公開
皇室に伝わる古文書など約39万点を所蔵する宮内庁書陵部の図書寮文庫は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の題材で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する資料6点を、12月2日から同庁のホームページ(HP)に初めて掲載する。公開されるのは討ち入り時の「吉良上野介屋敷図」や、大石内蔵助らが徳川幕府に事件の経緯を語った「浅野内匠頭家来□上書等」など江戸後期から幕末に作られた写本。細かい間取りを示した屋敷図には、討ち入り時の各浪士の配置が赤い文字の名前で記されている。
討ち入り事件は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主・浅野内匠頭の仇討ちのため、大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)、現在の東京都墨田区にあった吉良邸を襲撃した。
恭仁宮の朝堂院は木の板で囲った基壇に建てられていた
京都府教育委員会は11月30日までに、聖武天皇が造営した恭仁宮(京都府木津川市、8世紀前半)の中枢部にあたる朝堂院跡の建物は、木の板で囲った基壇に建てられていたことが分かったと発表した。木製基壇は近江国庁跡(大津市)、遠江国分寺(静岡県磐田市)でも見つかっている。同府教委によると、朝堂院跡で、南北一列に並んだ5つの柱穴を確認。北端の柱だけ他の4本と比べて細いうえ、接するように板を立てた跡とみられる幅20㌢の溝があった。このことから北端の柱は建物があった基壇の土が崩れないように建てられた板を支える束柱で、木製基壇と判断した。
北端の柱穴は50㌢四方、ほかの4本の柱穴は1㍍四方の大きさだった。柱穴は昨年見つかった建物跡の東側の一部とみられ、建物の規模は東西18㍍、南北15㍍のほぼ正方形だったとみられる。当時は細長い建物が一般的で、ちょっと異例だが、聖武天皇が災厄から逃れるために遷都を繰り返しただけに、都の適地選定には限界があって、同府教委では平城宮に比べて狭く、苦肉の策だったのではないか-とみている。
キトラ古墳埋め戻す 16年度に墳丘の一部を再現へ
14年2月に奈良で茶人・村田珠光に因む「第1回珠光会」
40万年前の人骨から人類最古のDNAを抽出 独チーム
独マックスプランク研究所などのチームは、スペイン洞窟で発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝子情報を解読することに成功したと、12月5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。分析の結果、約40万年前の人類と分かった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち求人の段階にとどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)まで遡り、最古の例になるという。
洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で、原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人とみられる。研究チームは保存状態のよい大腿骨から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が」デニソワ人の祖先と70万年前に枝分かれしたことも分かった。
宗祖隠元が隠居した「松隠堂」を初公開 宇治・万福寺
バーミヤン仏教遺跡で日本隊が7世紀?の新石窟発見
釈迦生誕地ルンビニで木造建築物の痕跡見つかる
大修理の正倉院 装い新たに 屋根瓦のふき替え終了
魯迅の手紙1億円 日本語の学習記す 中国で落札
国学院大の矢部准教授が関白・豊臣秀次の死を巡り新説
唐古・鍵遺跡で弥生中期の北部九州産の土器片見つかる
日本庭園の元祖 奈良・飛鳥京跡苑池の南池の全容判明
奈良県立橿原考古学研究所は11月20日、国内初の本格的な宮殿付属庭園、飛鳥京跡苑池(奈良県明日香村、7世紀後半)の南池の全体像が明らかになったと発表した。南池の中島はX字形と判明。東西約32㍍、南北約15㍍で、同時期の他の庭には見られない珍しい曲線構造だった。東西の岸からは柱を抜き取った跡が複数見つかった。池の観賞用施設があったらしい。近くの高台では、苑池全体を取り囲んでいたとみられる塀の跡も見つかった。同研究所では、想像以上の規模と景観。日本庭園史の出発点を飾る庭で、当時の総力を傾けた庭だったのだろう-としている。
苑池は1999年の調査で見つかった。池は南北2つあり、南池は東西約65㍍、南北約55㍍で、石積みの島や松のある中島、噴水のような石造物があることは分かっていたが、全体像は不明だった。
塗料の下にダビンチの絵 ミラノの古城・天井画の部屋
イタリアミラノ市などの調査によると、同市の観光名所スフォルツァ城にある、レオナルド・ダビンチの天井画が描かれた部屋の壁の塗料の下に、天井から続くダビンチの絵が隠れていたことが分かった。塗料を剥がして絵を復元する作業が行われており、2015年のミラノ万博開幕に合わせた一般公開が計画されている。ダビンチはミラノ滞在中の1498年、スフォルツァ家のミラノ公ルドビコ・イル・モロの依頼で、スフォルツァ城の「板張りの間」の天井に桑の木などをデザインした装飾画を制作。部屋の壁にも天井画から続く木の幹や根などを描いていたとみられる。
1499年にミラノがフランスに征服され、ルドビコはミラノを脱出したため、部屋の絵画は完成しなかった可能性が高い。18世紀初めには板張りの間はオーストリア軍の厩舎となり、このころにダビンチの絵は白い塗料で塗りつぶされたようだ。
おくのほそ道の10県13カ所を名勝に 文化審議会が答申
文化審議会は11月15日、俳聖・松尾芭蕉が東北、北陸を旅した「おくのほそ道の風景地」(10県13カ所)などを名勝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。芭蕉は弟子の曾良と古歌にまつわる名所を訪ね「おくのほそ道」をまとめた。芭蕉が俳句を詠んだ名所など往時をしのばせる優れた風景のうち、地元で保全の準備が整った「草加松原」(埼玉県草加市)や「象潟および汐越」(秋田県にかほ市)な。ど13カ所を指定、保護する。今後、順次追加指定を求める方針だ。
また、室町幕府と伊達氏との結び付きを示す「宮脇廃寺跡」(福島県伊達市)など9件を史跡に、吉野川中流の「大歩危」(徳島県三好市)など3件を天然記念物とするよう求めた。近く答申通り告示される見込み。この結果、史跡は1724件、名勝378件、天然記念物1011件となる。このほか、「旧南部氏別邸庭園」(盛岡市)など4件を登録記念物に、「宮津天橋立の文化的景観」(京都府宮津市)など5件を重要文化的景観にすることも求めた。
六波羅蜜寺開山1050年を記念し坂東玉三郎さんが舞奉納
西本願寺の国宝能舞台で能上演 世阿弥生誕650年記念
隋・煬帝と妃の墓と確認 江蘇省で発見された2つの古い墓
中国考古学会は11月16日、江蘇省揚州市で今年3月に見つかった2つの古い墓が約1400年前の隋王朝の第2代皇帝、煬帝(569~618年)と妃の墓であることが確認されたと発表した。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。2つのレンガ製の墓は不動産開発の工事中に発見。一つは長さ約25㍍で墓誌のほかに玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴から煬帝の墓と認定したという。別の墓は長さ約13㍍で、副葬品は200点余り。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、煬帝の妃の墓と推定された。
煬帝は、607年、第2回目の遣隋使として派遣された小野妹子に託した聖徳太子が認めた国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と書かれた表現に激怒したと伝えられる隋の皇帝だ。