タイタニック号沈没直前まで演奏のバイオリン1.4億円

 1912年に沈没した英豪華客船「タイタニック号」で沈没直前まで演奏されたバイオリンが10月19日、英国南部ディバイジズで競売に掛けられ、90万ポンド(約1億4000万円)で落札された。沈没後に演奏者の遺体とともに回収された逸話も注目され、予想価格を大幅に上回ったという。タイタニック関連の競売品としては過去最高の落札額を記録。落札主は明らかにされていない。

5億年前の節足動物の化石 CTで脳や神経の撮影に成功

 海洋研究開発機構や英国自然史博物館などの研究チームは、約5億年前のカンブリア紀の節足動物の化石をコンピューター断層撮影装置(CT)で観察し、ほぼ完全な形で残っていた脳や神経を撮影することに成功した。化石に神経が残っていることは極めて珍しいという。この節足動物は、その構造から現存するクモやサソリの近縁種と分かった。生物の進化の解明に役立つ成果とみられる。

初期人類2種は同系統の「ホモ・エレクトス」グルジア

 グルジア国立博物館のチームは10月18日付の米科学誌サイエンスに、約200万年前にアフリカにいたとされる初期人類ホモ・ハビリスとホモ・ルドルフェンシスが、同じホモ・エレクトスという系統に属するという研究結果を発表した。両者に近く、グルジアのドマニシ遺跡で発見された約180万年前の原人の化石と比較し、推定した。グルジアで見つかった頭部化石は5種類。そのうち完全な形で発掘された頭部化石を分析すると、小さな頭蓋容積や突き出たあご、大きな歯など、ハビルスやルドルフェンシスの特徴が混在しており、系統が近いことをうかがわせた。両者の系統が同一か別々かは専門家の間でも分かれており、論争に一石を投じそうだ。

「和食 日本人の伝統的な食文化」世界の文化遺産に?

 政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に提案した「和食 日本人の伝統的な食文化」について、事前審査を担うユネスコの補助機関は11月上旬にも新規登録の可否を勧告する。最終決着は12月上旬だが、仮に登録勧告なら、そのまま正式決定されるのが通例だ。新規登録を決めるユネスコの政府間委員会は12月2~7日、アゼルバイジャンのバクーで開かれる。
 政府は2012年3月、「四季や地理的多様性による新鮮な山海の幸」「自然の美しさを表した盛り付け」「正月や田植えなどとの密接な関係」などとアピールし、「和食 日本人の伝統的な食文化」の登録を提案した。ユネスコ側がこうした日本側の主張をどう評価するかが審査のポイントになる。無形文化遺産は「世界遺産」や「記憶遺産」と並ぶユネスコの遺産事業の一つ。

京都・北野天満宮の額の下書きを発見 後西天皇の筆

 京都の北野天満宮(京都市上京区)で、中門(重要文化財)に掛かっている額に記されている文字「天満宮」の下書きとみられる江戸時代の掛け軸が見つかり10月15日、報道陣に公開された。中門は別名三光門とも呼ばれる。掛け軸は縦110.6㌢、横52.4㌢。天満宮の字を第111代・後西(ごさい)天皇(在位1654~63年)が書いたことは分かっていたが、下書きは知られていなかった。

「新古今和歌集」に”幻”の一首 一旦収録、後に削除

 鶴見大学(横浜市鶴見区)が収蔵する「断簡」と呼ばれる写本の切れ端を集めた「古筆手鑑(こひつてかがみ)」から、三大和歌集の一つで鎌倉時代初期に編纂された「新古今和歌集」にいったん収録されながら、後に削除されたとみられる一首がこのほど見つかった。見つかったのは「さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし」という一首。早春に解ける氷のように打ち解けてほしいと相手に呼び掛ける恋の歌で、紫式部の夫の孫にあたる藤原隆方(1014~78年)の作品。
 古筆手鑑は同大が京都の古書業者から購入し、久保木秀夫准教授が発見した。800年以上も埋没していた一首とみられ、10月4~27日まで同大図書館で展示される。「新古今和歌集」は後鳥羽上皇の勅命で編集され、約2000首を収録。1205年に一度完成したが、その後も切り継ぎが行われ、30首前後が削除されたとされる。

7世紀の飛鳥の宮殿「飛鳥浄御原宮」復元を 明日香村

7世紀の飛鳥の宮殿「飛鳥浄御原宮」復元を 明日香村
 奈良県明日香村で、天武天皇、持統天皇の二代が営んだ7世紀のドラマチックな歴史の舞台となった飛鳥の宮殿「飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)」を復元しようという計画が進んでいる。同村には数多くの歴史遺産が、土の下に眠っている。そこで、宮殿の復元を端緒に「遺跡の可視化」を進め、観光振興や世界遺産登録に弾みをつけたい考えだ。ただ、計画の実現には学術的な検討や財源、景観問題など課題も多い。
 宮殿復元の背景にあるのは、ユネスコの世界遺産登録を目指す動きだ。同村などにある遺跡群は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として2007年、暫定リスト入りした。ただ今年1月、ユネスコの諮問機関ICOMOS(イコモス)の担当者らが来村した際、もっと分かりやすく遺産の意義を説明できないか-と指摘されたためだ。
 だが、現状では復元へのハードルは高い。飛鳥時代の建物は残っておらず、宮殿がどのような建物だったのか、高さや装飾など不明な点が多いからだ。また、同村には景観保全のため、全域に厳しい規制が敷かれ、建物は高さ10㍍以下に制限されている。復元する宮殿の高さが10㍍を超す場合、規制の見直しが必要になる。莫大な費用の負担方法もメドがついていない。3年前に国が復元した平城宮大極殿(奈良市)は、当時の工法を再現する一方、土台の下に免震構造を組み込むなどし、総事業費は約180億円以上に上っている。

スイス北部でダビンチ作の肖像画?発見 伊紙が報道

スイス北部でダビンチ作の肖像画?発見 伊紙が報道
 イタリアメディア数紙は4日付で、同国の巨匠レオナルド・ダビンチが描いた新たな肖像画がスイス北部で見つかったと報じた。確認はされていないが、弟子が加筆しているものの、ダビンチの作品だということに疑問の余地はない-との鑑定した専門家のコメントを掲載している。新たな作品とされるのは、イタリア北部のマントバ侯妃イザベラ・デステを描いた油絵だ。

 

「黄金」収穫の秋 大阪・千早赤阪村で棚田の稲刈り

「黄金」収穫の秋 大阪・千早赤阪村で棚田の稲刈り
 日本棚田百選の一つ、大阪府千早赤阪村にある「下赤阪の棚田」で10月6日、黄金色の穂をつけた稲の刈り取りが行われた。稲は早乙女が6月に植えたヒノヒカリで、刈り取りは棚田保全を目指す任意団体などが主催した。棚田は約20戸の農家で管理。高齢化や後継者不足などの課題を克服するため、村などは今年から「大人の棚田塾」を開講。公募で選ばれた塾生らに米作りを学んでもらう取り組みをしている。11月9日には棚田の魅力を伝えるライトアップや収穫祭が行われる予定。

出雲阿国の装束華やかに60年ぶり新調 京都・時代祭

出雲阿国の装束華やかに60年ぶり新調 京都・時代祭
 京都三大祭の一つ、10月22日に開催される「時代祭」で着用される出雲阿国(いずものおくに)の装束が1953年以来初めて新調され10日、報道陣に公開された。出雲阿国は約1㍍の大刀を持ち、派手な帯を何重にも腰に巻き付け、十字架の首飾りを身に着けた姿で、当時のはやり物をまとって目立つ若衆を指す「傾(かぶ)き者」を再現した。これまで阿国は巫女の装束だった。今回、江戸時代の「歌舞伎図巻」に描かれた派手な装いで舞う出雲阿国の姿や、同時期につくられた装束を参考に、京都市内の装束店などが約3年かけて制作した。

伊勢神宮で古式ゆかしく「式年遷宮・遷御の儀」挙行

伊勢神宮で古式ゆかしく「式年遷宮・遷御の儀」挙行
 
20年に1度社殿を建て替える伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮で、最も重要な神事「遷御(せんぎょ)の儀」が10月2日夜、皇大神宮(内宮)で行われ、絹の幕で隠されたご神体が旧正殿から新正殿に移された。1300年の歴史を持つとされる式年遷宮は今回が62回目。8年かけて続いてきた神事はクライマックスを迎えた。豊受大神宮(外宮)でも5日夜、ご神体を新正殿に移す神事が行われる。
 式年遷宮は伊勢神宮で20年に1度、社殿や鳥居などを建て替える神事。持統天皇時代の690年に始まったとされ、内宮と外宮のほか、14ある別宮でも行われる。8年間かけて30以上の行事を重ね、奉納する神宝や装束もすべて新調する。20年ごとに行われる理由ははっきりしないが、社殿の尊厳を保つ限界とする説や、技術伝承のためとする説などがある。

大阪・茨木市の遺跡で弥生人が銅鐸を描いた土器?発見

大阪・茨木市の遺跡で弥生人が銅鐸を描いた土器?発見
 大阪府茨木市教育委員会は10月1日、同市の東奈良遺跡で見つかった弥生時代中期(約2000年前)の土器のつぼに、線刻で銅鐸(どうたく)が描かれていたことが分かったと発表した。このような土器の発見は初めてという。つぼは、ほとんどが欠けていたが、銅鐸上部のつり手部分が縦3㌢、横4㌢にわたり描かれていた。「綾杉紋」という紋様のほか、「飾り耳」と呼ばれる突起部分もあった。反対側にはシカのような絵と「流水紋」と呼ばれる紋様もあった。つぼは2日から同市文化財資料館で展示される。絵は写実的で、東奈良遺跡の弥生人が銅鐸を見ながら描いたのではないか-と同資料館の担当者は話している。
 東奈良遺跡は1974年、全国で唯一の完全な形の銅鐸鋳型(重要文化財)が見つかり、青銅器の生産工房があった遺跡として知られる。銅鐸は全国で500個ほど出土しているが、鋳型は奈良県の唐古・鍵遺跡など近畿を中心に約10カ所でしか見つかっていない。

マドリードで文楽「曽根崎心中」交流400周年事業

マドリードで文楽「曽根崎心中」交流400周年事業
 仙台藩主・伊達政宗が1613年、支倉常長を代表とする慶長遣欧使節をスペインに派遣して以来、日本・スペイン交流400周年の記念事業の一環として、9月27日(日本時間9月28日)、スペイン・マドリードのエスパニュール劇場で文楽「曽根崎心中」が上演された。現代美術作家の杉本博司さんが演出。劇場には観客約700人が詰め掛け、人形浄瑠璃の舞台を楽しんだ。

正倉院で「開封の儀」11/29まで年に1度の宝物点検

正倉院で「開封の儀」11/29まで年に1度の宝物点検
 聖武天皇ゆかりの品を納めた奈良市の正倉院で10月3日、毎年秋の恒例行事、年に1度、宝庫の扉を開ける「開封の儀」が行われた。11月29日までの間、光明皇后が献納した数多くの宝物を点検し、防虫剤を入れ替えるほか、今年は奈良時代に宮中で使われた貴族の履物を特別調査する。
 午前10時過ぎ、勅使の西野博之侍従ら17人が宝庫に到着。竹の皮に包んだ天皇陛下直筆の封紙が添えられた麻縄をはさみで切り、勅封を解いた。開封中の10月26~11月11日、奈良県国立博物館で蓮の花をかたどった華麗な仏具「漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)」など計66件の宝物が公開される。

110年ぶり解体修理中の薬師寺東塔の木組みあらわ

110年ぶり解体修理中の薬師寺東塔の木組みあらわ
 奈良県文化財保存事務所は10月3日、約110年ぶりの解体修理で最上階の3層目が解体され、2層目の木組みがあらわになった薬師寺東塔(奈良市)を報道陣に公開した。3層目の部材は9月中旬までにほぼすべて分解され、今週から2層目の解体に着手。2本の大木を接いでいる心柱の下半分(約17㍍)が露出し、屋根の部材の間には鳥の巣とみられる枯れ葉や土が散らばっていた。11月9、10日に一般公開する。

興福寺の阿修羅像が36万7000円のプラチナ製メダルに

興福寺の阿修羅像が36万7000円のプラチナ製メダルに
 仏像ファンに圧倒的人気の興福寺(奈良市)の阿修羅像が36万7000円のプラチナ製メダルで登場した。表には3つの顔を持った阿修羅像の上半身を浮き彫りにし、裏には東金堂と五重塔をデザイン。造幣局(大阪市)が貨幣の製造や偽造防止の技術を生かし、難易度の高い表情を描き出した。プラチナ製は300枚、純銀製も2万4000円で3000枚販売する。

伊達政宗の遣欧使節派遣から400年 イベントで盛り上がる

伊達政宗の遣欧使節派遣から400年 イベントで盛り上がる
 支倉常長が仙台藩主・伊達政宗の命を受け、慶長遣欧使節を率いてスペインに向け出帆したのは1613年(慶長18年)10月28日 。今年は400周年の節目の年にあたる。両国で交流記念事業が相次ぎ、中でも日本では仙台市や石巻市など宮城県内でイベントが盛り上がりをみせる。
 石巻市の渡波(わたのは)の高台にあるサン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)。東日本大震災の被害を受けて休館中だが、11月3日の再開に向け復旧工事が急ピッチで進められている。慶長使節の渡航船「サン・ファン・バウティスタ号」の航海シミュレーションシアターなどがある。同館近くの入り江には再建工事中のサン・ファン号の復元船(総トン数500㌧)が11月3日の公開を静かに待っている。松島の庭園の美しい円通院近くの「みちのく伊達政宗歴史館」では慶長使節パネル展を実施中だ。
 仙台城三の丸跡に立地する仙台市博物館でのお目当ては今年6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録された慶長使節の国宝3点。支倉常長像、ローマ教皇パウロ5世像、ローマ市公民権証書だ。慶長使節関連の国宝47点も常設展示されているが、10月4日~11月17日にはスペイン、イタリアから貸与された資料も含めて特別展が開かれる。このほか、仙台城跡に立地する青葉城資料展示館でも、来年3月末まで慶長使節記念の写真展が開かれている。

イコモスの調査員が富岡製糸場など現地調査を開始

イコモスの調査員が富岡製糸場など現地調査を開始
 2014年の世界文化遺産登録を目指す群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の保全状況などを調べるため、国際記念物遺跡会議(イコモス)の調査員による現地調査が9月25日、始まった。イコモスはユネスコの諮問機関で、調査員は中国国立シルク博物館の館長を務める絹産業専門家の趙豊氏。文化庁や群馬県職員ら約20人とともに富岡製糸場を訪れ、赤レンガの繭倉庫などを視察した。近代養蚕農家の原型となった同県伊勢崎市の田島弥平旧宅も調査する予定。富岡製糸場は1872年に設立された官製製糸場。 

台風で惨禍の京都・嵐山渡月橋を元の姿に 流木を撤去

台風で惨禍の京都・嵐山渡月橋を元の姿に 流木を撤去
 京都に「大雨特別警報」が出た台風18号による大雨で、大きな被害に遭った京都の観光名所・嵐山で9月26日、渡月橋の橋脚や杭(くい)に絡まった流木やごみを重機を使って取り除く作業が始まった。午前8時過ぎ、京都市が委託した業者が、渡月橋の上に止めたクレーン車で小型重機を持ち上げて川に下ろし、重機が何重にも絡まった木の枝をはぎ取った。作業は27日までに終了予定。市の担当者は「渡月橋を元の姿に戻し、早期の復旧をアピールしたい。多くの方に、以前のように美しい景観を写真に撮っていただければ」と話している。

5世紀の文字が刻まれた須恵器 石川県・和田山23号墳から出土

5世紀の文字が刻まれた須恵器 石川県・和田山23号墳から出土
 石川県能美市教育委員会は9月19日、同市の能美古墳群の和田山23号墳(国指定史跡)から出土した古墳時代中期(5世紀末)の須恵器2個に、「未」と「二年」の文字が記されていたことが分かったと発表した。同市教委によると、文字が刻まれた須恵器としては日本最古という。口径約10㌢、高さ約15㌢の小型のつぼから、約2㌢四方の「未」の文字が見つかったほか、食物を盛る高つきのふたに縦書きで「二年」(縦3.5㌢、横1.3㌢)と刻まれていた。
 文字は須恵器を焼き上げる前に刻んだとみられることから、同市教委は工人などより広い階層に文字が普及していたことを示す史料としている。須恵器は5世紀初頭ごろに朝鮮半島から伝わった。当時の北陸地方は朝鮮半島と交流があったと考えられている。須恵器の生産技術のほか、漢字や暦といった先進的な文化を、北陸の豪族が積極的に受け入れていたことがうかがえる。

2.1億年前,直径7.8㌔隕石が地球に衝突 生物の大量絶滅に

2.1億年前,直径7.8㌔隕石が地球に衝突 生物の大量絶滅に
 九州大と熊本大などのチームは9月16日付の英科学誌に、約2億1500万年前に最大で直径7.8㌔巨大隕石が地球に衝突したとの研究結果を発表した。岐阜県と大分県の地層で隕石の成分を見つけ、地球の広い範囲に降り積もったとみて大きさを推定した。その結果、生物の大量絶滅につながった可能性があるという。約6500万年前に直径10㌔程度の隕石が地球に衝突、恐竜絶滅の原因とみられており、今回はそれに次ぐ規模。
 チームは昨年、岐阜県坂祝町の川沿いで、また今年1月に大分県津久見市の海岸沿いでそれぞれ隕石衝突の痕跡を見つけた。これは「オスミウム」という金属元素で、地表では非常に少ないが、隕石には多く含まれる。両県の地層には高い濃度で含まれていた。「同位体」という成分の比率を分析すると、地表に存在するものと異なっており、隕石に含まれていたものと判断した。過去の研究から、隕石の酒類ごとに大きさとオスミウムの量には一定の関係があることが判明しており、隕石の直径を3.3~7.8㌔と算出した。重さは約5000億㌧と推定される。約2億~2億3700万年前には生物の大量絶滅が起きている。

軍艦島や八幡製鉄所など明治日本の産業革命遺産を推薦へ

軍艦島や八幡製鉄所など明治日本の産業革命遺産を推薦へ
 政府は9月17日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦する世界文化遺産の候補を「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に決めた。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と比較したうえで選んだ理由として、菅義偉官房長官は産業革命遺産が「日本がものづくり大国となる基礎をつくった歴史を物語る」と指摘した。
 月末までに暫定版推薦書をユネスコに提出し、2015年度の世界遺産委員会で登録の審査を受ける運びだ。産業革命遺産は「軍艦島」として有名な長崎市の端島炭坑など幕末から明治にかけての重工業の発展を刻んだ施設群で構成している。福岡や鹿児島、熊本など8県にまたがり、現在も稼働している八幡製鉄所(北九州市など)や長崎造船所(長崎市)を含んでいる。

イコモスが25~26日,遺産登録候補の群馬・富岡を現地調査

イコモスが25~26日,遺産登録候補の群馬・富岡を現地調査
 文化庁は、国際記念物遺跡会議(イコモス)の調査員が9月25日から2日間の日程で、2014年の世界文化遺産登録を目指す「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を現地調査すると発表した。イコモスは国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関。調査員は中国人の絹産業の専門家で、富岡製糸場などを訪れ、施設の保全状況などを確認する。現地調査を踏まえ、イコモスは来年5月上旬ごろ、世界遺産に登録すべきかを勧告する。ユネスコは勧告を受け、同年6月ごろに開く世界遺産委員会で登録の可否を決める見通しだ。

元寇の沈没船の部材 塩抜き10年 保存法を模索 長崎・鷹島

元寇の沈没船の部材 塩抜き10年 保存法を模索 長崎・鷹島
 長崎県松浦市の鷹島埋蔵文化財センターに設置された大型水槽に巨大な木材が沈められている。2002年、同島沿岸の港湾工事に伴う発掘で海底から出土した元寇(げんこう、13世紀)の沈没船の部材だ。最大のもので長さ約4㍍超。隔壁板とみられる。水漬けにして10年以上。塩分を抜くためだが、樹脂含浸や凍結乾燥など保存処理に移ろうにも、これほど大きな遺物が入る装置がない事情もある。
 発掘では約600点の木製品を引き揚げたが、保存処理を終えたのは3分の2にとどまる。どう処理すればよいか、まだ見定められない遺物が多いのが一因だ。鉄釘(くぎ)が打たれた木材は処理の前に塩分を抜かないと、変色やさびのおそれがある。だが、中心部まで塩分が除去できたか、非破壊で確かめる方法はまだない。また、船の部材にチークなど南洋材が多いが、国内で出土例がなかったため、保存技術は未確立だ。

織田作之助の代表作「夫婦善哉」の草稿や日記 遺品から発見

織田作之助の代表作「夫婦善哉」の草稿や日記 遺品から発見
 大阪歴史博物館は9月13日、織田作之助(1913~47年)の代表作「夫婦善哉」の草稿や、「続夫婦善哉」の執筆時に書いた日記など約10点が新たに見つかったと発表した。今年生誕100年を迎える”無頼派”作家の創作過程が分かる貴重な資料だ。 生誕100周年の記念事業推進委員会が、遺品を保管していた織田の養女、織田禎子さん(千葉県船橋市在住)から入手した。「夫婦善哉」の鉛筆書きの草稿は9枚で、タイトルが「めおとぜんざい」と平仮名書きになっている。主人公も蝶子が「春枝」、柳吉が「兵吉」と異なり、春枝が中心に描かれている。41年の日記からは、同年6月10日から7月4日までほぼ毎日、「続夫婦善哉」の原稿を書いて作品を完成させたことが分かり、執筆年の特定につながるという。 草稿などは9月25日から10月18日まで、同博物館の「織田作之助と大大阪」展で展示される。

徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う

徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う
 日本と英国の間で交流が始まって400周年を迎えたのを祝って、徳川家康像などをあしらった金と銀の記念硬貨が9月8日発行された。片面にエリザベス女王の横顔、もう片面に東インド会社の船を背景にしてジェームス1世と家康の像を並べたデザイン。24金製の50ペンス硬貨と銀製の5ペンス硬貨の2種類があり、各400枚の限定販売。価格は金貨が755ポンド(約11万7000円)、銀貨が59ポンド95ペンス。家康が描かれた硬貨の発行は日本を含めて初めてという。日英交流は当時の英国王ジェームス1世から江戸幕府への親書などを託された東インド会社の船が1613年6月に長崎県平戸市に到着して始まった。9月8日は英国の使節団代表が徳川家康と面会した日にあたる。

「鹿ケ谷の陰謀」に加わった俊寛の自筆書状を初公開

「鹿ケ谷の陰謀」に加わった俊寛の自筆書状を初公開
 1177年、平氏打倒を図った「鹿ケ谷の陰謀」に加わり流罪となり、能や歌舞伎の演目でも有名な平安時代末期の僧侶、俊寛の自筆書状(陽明文庫所蔵)が、京都市の京都文化博物館で9月14日から始まる展覧会「近衛家 王朝のみやび 
 陽明文庫の名宝3」で初めて公開される。東京大史料編纂所の尾上陽介准教授が平信範(1112~87年)が書いた日記「兵範記」の裏面から今年1月、確認した。俊寛の自筆書状はこれまで確認されていなかった。兵範記は重要文化財に指定されている。

島根で2000万年前 東アジア最古の巨大ワニの化石発見

島根で2000万年前 東アジア最古の巨大ワニの化石発見
 島根県立三瓶自然館は9月12日、同県隠岐の島町で巨大ワニとしては東アジア最古となる約2000万年前の化石の一部を発見したと発表した。マチカネワニの祖先とみられ、全長は推定7㍍。見つかったのは第3、4胸椎部分の2つの骨で、長さ約21㌢、高さ約18㌢。同館では、もともと小型だったマチカネワニが巨大化した時期を特定するうえで、貴重な資料としている。

明日香村「酒船石」に立体的な映像を投映する試験演出

明日香村「酒船石」に立体的な映像を投映する試験演出
 奈良県明日香村の古代の謎の石造物「酒船石(さかふねいし)」(国史跡)に立体的な映像を投映する試験演出が9月11日夜、行われ、朱雀や揺らめく水などの映像が飛鳥の地の闇に浮かび上がった。これは14~15日に開催されるイベント「飛鳥光の回廊2013」の試験演出で、石が重ねてきた記憶に現代のイメージを投影し、古代と現代の融合を試みたもの
-という。酒船石は明日香村に数多く残る石造物の一つで、長さ約5.5㍍、最大幅約2.3㍍、高さ約1㍍の花崗(こう)岩。何のために使われたのかは分からず、謎に包まれているが、水を使った祭祀(さいし)施設だったなど諸説ある。

ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800年の大型石彫発見

ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800年の大型石彫発見
 国立民族学博物館(大阪府吹田市)の関雄二教授は9月6日、南米ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800~同500年ごろの大型石彫が見つかったと発表した。石彫は神殿跡で見つかり、高さ約1.6㍍の棒状。大きな目に口を開いて牙を見せたジャガーのような頭部と、両手を合わせ祈るような人間の体が組み合わされていた。古代アンデス文明ではジャガーは神聖で霊的な存在として崇められてきた。関教授は、動物の霊的存在と交流した宗教的リーダーが権力を発揮していた-とみている。

大震災直後、避難所開設を後藤新平に直訴した男性が詳細を記録

大震災直後、避難所開設を後藤新平に直訴した男性が詳細を記録
 9月1日で発生から90年を経過した関東大震災で被災しながら、当時、震災復興を担った後藤新平内務相に避難所の開設を訴え、東京・芝浦で約1万8000人を支援した民間人男性が、被災の様子、収容人数などを記録し、残していた詳細な資料が見つかった。民間避難所を運営し、被災者の収容記録を残したのは、現在の東京都港区でランプの販売会社を営んでいた故今井諦氏。1977年に92歳で亡くなったが、娘の西脇孝子さん(72)らが原本を父の故郷で保管、複本を手元に置いていた。
 焼け野原となった東京都心の街中の情景、今井氏の心境、震災4日後、友人とともに後藤内相の私邸を訪ね、避難所開設の賛意を得たこと、東京高等工芸学校(現・千葉大工学部)を「芝浦避難事務所」とすることが許され、私財を投じた今井氏が責任者に就いたこと、避難所開所から閉鎖までの約1カ月間の日ごとの収容人数などが詳細に綴られている。当時を知る貴重な資料だ。

明日香村の甘樫丘で7世紀中ごろの蘇我氏(?)の建物跡発見

明日香村の甘樫丘で7世紀中ごろの蘇我氏(?)の建物跡発見
 奈良文化財研究所は9月5日、飛鳥時代の有力豪族、蘇我氏の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)東側の麓で谷を埋め立てて建てた7世紀中ごろの建物跡を見つけたと発表した。建物跡は大小2棟あり、高床式の構造で小型の倉庫かやぐらなどだったとみられる。谷を埋め立て5.5㍍以上の盛り土をして平坦地を造成してあった。南西の谷でも造成工事の痕跡が見つかっており、同研究所では当時、甘樫丘全体を大規模に造成していた可能性が高いとみている。

京都の桃山時代の大名屋敷跡で金箔が貼られた軒丸瓦など出土

京都の桃山時代の大名屋敷跡で金箔が貼られた軒丸瓦など出土
 民間団体「古代文化調査会」(神戸市)によると、京都市上京区の桃山時代の大名屋敷跡で、金箔が貼られた軒丸瓦など100点以上の瓦片が出土した。軒丸瓦の破片に橘の花をかたどった家紋があり、豊臣五奉行の一人、前田玄以の屋敷とみられるという。屋敷跡は秀吉が公邸として築いた城郭・聚楽第と御所を東西に結ぶ当時のメーンストリートの一等地。派手好きの豊臣秀吉との親しさを強調するために金箔を使ったのではないかとみられる。

12世紀前半に京都・浄瑠璃寺本堂を移築 文献通り確認

12世紀前半に京都・浄瑠璃寺本堂を移築 文献通り確認
 京都府木津川市教育委員会は9月4日、同市の浄瑠璃寺で、12世紀前半に高さ約1㍍にわたり土を盛って造成し、国宝・本堂が移築されていたことが分かったと発表した。現地説明会は7日午前11時と午後2時。寺の変遷を記した室町時代の文献「浄瑠璃寺流記」(重要文化財)には「保元2年(1157年)に本堂を西岸の辺壊し移す(移築した)」などと記されており、その記述を裏付ける発見という。本堂の下を発掘したところ、土が層状になっており、地面の約50㌢下から、直径50~60㌢、高さ85㌢の井戸のような石組み遺構が見つかった。石の間にあった土器1点から、盛り土された時期を12世紀前半と特定した。

新作能「世阿弥」能楽ゆかりの奈良・大淀町で7日上演

新作能「世阿弥」能楽ゆかりの奈良・大淀町で7日上演
 能楽の大成者、世阿弥を現代の視点で哲学者の梅原猛さんが書いた新作能「世阿弥」が9月7日、奈良県大淀町の同町文化会館で上演される。同町は世阿弥が活躍した室町時代初期、能楽の座の一つ「桧垣本猿楽(ひがいもとさるがく)」が拠点にしており、能楽のゆかりの地として同町での公演が決まった。「世阿弥」は世阿弥と長男の元雅の情愛と葛藤、政治と芸術の相克を、古語ではなく現代の言葉で描く異色の能。
 4月、東京の国立能楽堂で初演され、舞台照明や暗転を用いるなど伝統芸能の能には見られない演出でも話題になった。世阿弥役観世流シテ方の梅若玄祥さん。上演前に出演者が指導して観客が謡曲「高砂」を謡うワークショップを開催する。

創建1300年記念 興福寺仏頭展 東京芸術大 大学美術館で開幕

創建1300年記念 興福寺仏頭展 東京芸術大 大学美術館で開幕
奈良・興福寺の創建1300年を記念する「国宝 興福寺仏頭展」が9月3日から東京・上野の東京芸術大学大学美術館で始まった。開幕を前に2日、開会式と内覧会が開かれ、同寺の名宝約70点がお披露目された。国宝の銅造仏頭と木造十二神将立像が約600年ぶりに同じ空間に勢ぞろいする。仏頭前で開眼法要が執り行われると、会場は厳粛な空気に包まれた。11月24日まで。

アイヌ民族の視点に立った歴史展示に 道が開拓記念館を改称

アイヌ民族の視点に立った歴史展示に 道が開拓記念館を改称
 北海道は2015年春、道立北海道開拓記念館を「北海道博物館」と改称し、開拓によって生活文化を奪われたアイヌ民族の視点に立った歴史展示を大幅に拡充する方針を固めた。道はこの計画を10月にも道議会で説明、改称は来春成立を目指す「北海道立博物館条例」(仮称)で正式に決定する。政府もアイヌの歴史、文化への正しい認識と理解を促進するための国立博物館を道内に建設予定で、来年度中に基本計画を策定する。
 札幌市厚別区にある開拓記念館は総合歴史博物館で、1971年に開館した。現在、アイヌの伝統的な衣装や住居などを展示しているが、先住民族の立場から見た歴史展示の充実が必要と判断。これまで詳しく触れていなかった開拓史の同化政策とともに、政府が1899年に制定した「北海道旧土人保護法」(1997年廃止)の内容についても展示する計画だ。
 保護法により、アイヌ語が禁止され、日本語や和人(アイヌ以外の日本人)ふうの生活習慣を身につけさせる特設学校が設置されたことや、狩猟などを禁じられ農業をすることを前提に与えられた土地が、狭く荒れていたことなど、事実として存在したアイヌ民族抑圧の歴史も忠実に表現される予定。

初代竹本義太夫「三百回忌法要」寄付2500万円が支えに

初代竹本義太夫「三百回忌法要」寄付2500万円が支えに 文楽の語り芸「義太夫節」を創始した初代、竹本義太夫(1651~1714年)の「三百回忌法要」が8月28日、大阪市天王寺区内で営まれた。墓石や供養塔は一部が剥落するなど損傷が激しかったが、自主公演売り上げのほか、文楽の技芸員(演者)や来場者の寄付で約2500万円を集め、新調したり、修復したりすることができた。
 法要は技芸員有志でつくる「人形浄瑠璃文楽座 因講(ちなみこう)」が主催し、午前11時から超願寺(天王寺区)で始まった。集まった寄付で新調された墓石も公開された。
 竹本義太夫は江戸時代の義太夫節の開祖。摂津国・天王寺村(現在の大阪市)出身。農家に生まれたが、音曲を修業し、清水(きよみず)理太夫の名で、古浄瑠璃界で頭角を現し1684年、竹本義太夫と改名、道頓堀に竹本座を興した。近松門左衛門を座付き作家に迎え、「出世景清(しゅっせかげきよ)」「国性爺(こくせんや)合戦」などヒット作を連発。人形操りと合体し、今日の文楽につながる人形浄瑠璃発展の主導的役割を果たした。

「明治日本の産業革命遺産」を選定 世界遺産推薦へ

「明治日本の産業革命遺産」を選定 世界遺産推薦へ
 内閣官房の有識者会議は8月27日、2015年の世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦する候補に決めた。ただ、すでに文化審議会が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県、熊本県)を選定。各国の推薦枠は年1件で、2候補が競合したため政府内で絞り込み、9月中に結論を出す。

二条城の唐門を一般公開「菊」の金具下から「葵」の紋

二条城の唐門を一般公開「菊」の金具下から「葵」の紋
 元離宮二条城事務所は8月28日、世界遺産の二条城(京都市中京区)で、約1年半かかった唐門(重要文化財)の修理を終え一般公開した。唐門に、天皇家を表す菊の金具下から徳川家の葵(あおい)の紋が見つかった。徳川家の城だった二条城は1867年の大政奉還により、朝廷の管理下に入り、84年に天皇家の別荘「二条離宮」となった際に金具が付けられたとみられる。二条城では、葵紋が削り取られる一方、残されているところもあるという。

ベルリンで森鴎外の元恋人の写真発見「舞姫」モデル

ベルリンで森鴎外の元恋人の写真発見「舞姫」モデル
 明治の文豪、森鴎外の小説「舞姫」に登場する悲恋のヒロイン、エリスのモデルとみられるドイツ人女性「エリーゼ・ヴィーゲルト」の写真が見つかった。ベルリン在住の作家、六草いちか(50)が、写真を持っていた子孫を捜し出した。保管されていた写真には夫とともに写っていた。本人の直筆で妹へのメッセージが書き込まれており、エリーゼが41~52歳の間に撮ったものと推定できるという。
 エリスのモデルは、ドイツから鴎外を追って来日した際の乗船者名簿などで、実在が確認された。六草さんは、教会に残された記録などから1866年生まれの「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」と特定し、その説を2011年の著書で発表していた。

岡本太郎氏の初期の新聞連載小説の挿絵54点を初公開

岡本太郎氏の初期の新聞連載小説の挿絵54点を初公開
 画家の故岡本太郎氏が新聞連載小説のために描いた挿絵の原画が岡本太郎記念館(東京・青山)の展覧会で初公開され、注目を集めている。連載小説は、坂口安吾の作品「花妖」。1947年2月から東京新聞に連載。同年5月、挿絵が付いた連載は打ち切られた。公開されているのは、掲載された挿絵58点のうち54点。残りの4点の原画は現在も行方が分からないという。挿絵はペンや筆を使った墨で描かれている。後年の作品での署名は「TARO」だが、挿絵では一文字の「太」としている。

国宝の銅鐸に渦巻き文様を確認 CTスキャンなどで解析

国宝の銅鐸に渦巻き文様を確認 CTスキャンなどで解析
 九州国立博物館(福岡県太宰府市)と神戸市立博物館は8月17日、1964年に神戸市灘区桜ヶ丘町で出土した弥生時代中期の国宝の銅鐸(どうたく)をコンピューターを使って解析したところ、肉眼では不鮮明で確認できなかった渦巻き文様(装飾用の図柄)があることが分かったと発表した。文様が見つかったのは高さ31㌢、重さ2.6㌔の「桜ヶ丘12号銅鐸」。エックス線CTスキャンや3次元計測器で銅鐸を解析したところ、表面に渦巻きのような模様を4つ描いた「四頭渦文(しとうかもん)」があり、その下には弧線を重ねて半円状にした文様が見つかった。

京都・五塚原古墳「ミニ箸墓」でスロープを確認

京都・五塚原古墳「ミニ箸墓」でスロープを確認
 京都府向日市埋蔵文化財センターは8月22日、邪馬台国の女王、卑弥呼の墓説がある箸墓古墳(奈良県桜井市)の3分の1サイズで築造されたとされる京都府向日市の五塚原古墳(3世紀後半、全長約91㍍)の発掘で前方部から後円部へせり上がるスロープが確認されたと発表した。後円部で遺体を埋葬する儀式を行った後、前方部で後継者が王位継承を宣言したとする説があり、スロープは埋葬資材を運んだり、葬列が通ったりするために設けられたとみられる。
 確認されたスロープは幅約1.5㍍、長さは2㍍以上。墳丘は後円部が3段、前方部が1段の構造だが、前方部と後円部の接続部分はスロープになっていた。2012年に実施された箸墓古墳の、レーザー光を使った航空測量でも同様のスロープがあると推定されている。

キトラ古墳 石室見納め 埋め戻し墳丘一部復元へ

キトラ古墳 石室見納め 埋め戻し墳丘一部復元へ
 文化庁は8月16日、「朱雀」などの極彩色壁画を保存のためはぎ取った国特別史跡、キトラ古墳(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)について、石室の入り口部分を報道陣に公開した。18日からは初めて一般公開する。石室は今後、埋め戻して墳丘の一部を復元する計画で、事実上これが見納めとなる。石室内には殺菌用の紫外線ライトが置かれ、青紫の光が幻想的な雰囲気を醸し出す。南側の盗掘穴から石室内をのぞくと、高さ約1.2㍍、幅約1㍍の狭さが実感させられる。壁石のあちこちには壁画のはぎ取りの痕跡が残り、作業の苦労がしのばれる。はぎ取った壁画は、古墳近くに2016年度に完成する保存展示施設で展示される予定。

「清水の舞台」支える柱の修理公開 9月中に終了

「清水の舞台」支える柱の修理公開 9月中に終了
 京都市東山区の清水寺で、国宝・本堂の「清水の舞台」を支える柱の修理が始まり、報道陣に8月22日、公開された。9月中に終了する予定で、修理中も拝観できる。根元が湿気で腐ったり、虫食いの被害に遭ったりしているため、舞台の下にある78本の柱のうち9本を修理する。9本の修理は約380年前の再建以来初めて。作業しやすいように油圧ジャッキで柱を約1.5㌢持ち上げながら、新しい木材を差し入れる。直径60~80㌢で長さは最長14㍍。傷んだ根元部分を切り取り、新しい木材を継ぎ足す「根継ぎ」という伝統的な工法を使う。この日は、継ぎ目部分に深さ20㌢、12㌢四方の大きさの穴をノミで彫る作業が公開された。

伊勢神宮、外宮でも「お白石持行事」始まる 新正殿公開

伊勢神宮、外宮でも「お白石持行事」始まる 新正殿公開
 伊勢神宮(三重県伊勢市)の事務を扱う神宮司庁は8月17日、完成間近の外宮新正殿を公開した。また同日、内宮に続いて外宮でも、この敷地に白石を敷き詰める「お白石持行事」が始まった。これは9月1日まで行われ、20年ごとに社殿を造り替える伊勢神宮の10月の式年遷宮のクライマックスにつながる。正殿はふだんは垣根越しにしか見られないが、この行事に限って一般の市民が近付くことができる。初日は、地元住民ら約7400人が参加。伊勢市内を流れる宮川で集めた白石を「えんや、えんや」の掛け声とともに木ぞりで運び、敷き詰めていった。

約100年ぶりの大修理の正倉院の瓦のふき替え終わる

約100年ぶりの大修理の正倉院の瓦のふき替え終わる
 宮内庁は8月21日、約100年ぶりの大修理が進められている奈良市の正倉院(国宝)で、屋根全体の8割にあたる瓦のふき替えが終わり、報道陣に公開した。ふき替え作業は今秋に終わる見通し。瓦は約2万5000枚を新調する一方、奈良時代の約300枚を含む約8500枚を再利用。屋根の四隅にある鬼瓦8枚のうち、1枚を新調。北東にある明治期に作られた鬼瓦で、江戸期の作とみられる他の7枚とデザインが異なっているため統一する。

遺跡人骨4体目は幼児 群馬県渋川市・金井東裏遺跡

遺跡人骨4体目は幼児 群馬県渋川市・金井東裏遺跡
 群馬県埋蔵文化財調査事業団の調査によると、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、6世紀初め(古墳時代)の火山灰層から見つかった4体目の人骨が幼児のものだったことが分かった。同遺跡では先に、鉄製のよろいを着用した男性の骨が出土していた。

軍師・官兵衛の妻に脚光 早くも福岡の菩提寺に参拝者

軍師・官兵衛の妻に脚光 早くも福岡の菩提寺に参拝者
 豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛が主人公のNHK大河ドラマの放映を来年に控え、早くもその妻、光姫(てるひめ)にも注目が集まっている。光姫が建立した黒田家の菩提寺「円応寺」(福岡市中央区)は、命日の8月26日の「光姫忌」を今年初めて一般公開する。官兵衛が側室を置かなかったことから、良縁を願う若い女性の参拝も目立ち始め、光姫に関する問い合わせが増えてきているという。
 円応寺は、熱心な浄土宗信者だった光姫が1602年に建立。「光姫忌」は今年で三百八十七回忌となる。円応寺によると、光姫は才色兼備の飾らない人柄で、家臣や領民から慕われたという。官兵衛より大柄で”ノミの夫婦”と呼ばれ、夫婦で並ぶときは官兵衛が座布団3、4枚を重ねていたという逸話も寺に残っている。