秀吉が築いた大坂城の石垣 30年ぶり再発掘し公開

秀吉が築いた大坂城の石垣 30年ぶり再発掘し公開
 大阪市教育委員会は3月4日、豊臣秀吉が築いた最初の大坂城を市民に見てもらおうと、1984年に大阪城(大阪市)の地下約7㍍で発見された石垣を30年ぶりに報道陣に公開した。一般公開は7~9日。秀吉の大坂城1615年の大阪夏の陣で炎上、徳川家が再建した。徳川期の石垣は加工された石が主体だが、秀吉のころは自然石を組み合わせた「野面積み」と呼ばれる技法で建てられていた。

歌麿の幻の大作「深川の雪」66年ぶりに見つかる

歌麿の幻の大作「深川の雪」66年ぶりに見つかる
 江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の晩年の肉筆画で、1948年から所在不明になっていた「深川の雪」が66年ぶりに見つかったと、神奈川県箱根町の岡田美術館が3月2日、発表した。4月4日から6月30日まで同館で公開される。
同館によると、「深川の雪」は「品川の月」「吉原の花」(いずれも米国の美術館所蔵)とともに、歌麿が描いた「雪月花」3部作の一つとして知られている。
 「深川の雪」は歌麿の晩年にあたる1801~04年ごろに描かれたとされ、縦約2㍍、横約3.4㍍の大作。絵の保存状態は良く、東京・深川の料亭で、遊女ら27人が雪見をしたり、火鉢を囲んだりする様子が色鮮やかに描かれている。

「東寺百合文書」国宝の画像を3/3からネットで公開へ

「東寺百合文書」国宝の画像を3/3からネットで公開へ
 国宝「東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)」を所蔵する京都府立総合資料館(京都市)は3月3日以降、約2万5000通に及ぶ全文書の精密なデジタル画像(約8万カット)をインターネットの特設ホームページ(http://hyakugo.kyoto.jp/)で順次公開する。後醍醐天皇、足利義満の直筆文書、織田信長の「天下布武」印が入った文書から庶民の声を書き留めたものまで、奈良時代から江戸初期の約1000年にわたる歴史の息遣いがネットで体感できる。
 「百合文書」は京都市の東寺(教王護国寺)に伝わる史料群。3月中にも国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に推薦される予定。

奈良に春呼ぶ東大寺二月堂で炎の舞”おたいまつ”

奈良に春呼ぶ東大寺二月堂で炎の舞”おたいまつ”
 古都・奈良に春を呼ぶ東大寺二月堂(奈良市)の伝統法会「修二会(しゅにえ)」(お水取り)が3月1日、本行入りした。長さ約6㍍の”おたいまつ”が舞台に現れると、夜空を焦がす炎と舞い落ちる火の粉がつくる勇壮な光景に、参拝者らは思わず大きな歓声を上げた。
  奈良時代から続く法会は今年で1263回目。練行衆と呼ばれる11人の僧が二月堂に籠もり、3月15日未明の満行まで本尊の十一面観音の前で罪を悔い改め、五穀豊穣などを祈る。おたいまつは、夜の勤行のため練行衆の足元を照らす明かり。14日まで毎晩続く。

7世紀前半と判明 難波宮跡で出土の柱を新手法で測定

7世紀前半と判明 難波宮跡で出土の柱を新手法で測定
 大阪府文化財センターは2月24日、大阪市の国史跡、難波宮跡近くで出土した柱材を、年輪のセルロース(繊維素)を分析する年代測定の新たな手法で調べたところ、7世紀前半のものと分かったと発表した。この手法は従来の年輪年代法と違い、すべての樹種に応用できるという。出土遺物の調査に応用したのは初めてで、考古学の進展につながると期待される。
 この手法はセルロースに含まれる酸素同位体、酸素16と酸素18の比が夏季の降雨量によって毎年異なる点に着目。年輪ごとに同位体の比率を測り、変動パターンを解析して「物差し」を作成し、出土した木材に当てはめて年代を測定する。開発した総合地球環境学研究所の中塚武教授によると、弥生時代から現代までの「物差し」を作成済みという。

 

初代大坂城の「豊臣石垣」公開施設の完成予想図公表

初代大坂城の「豊臣石垣」公開施設の完成予想図公表
 大阪市経済戦略局は2月21日、豊臣秀吉が築いた初代大坂城の「豊臣石垣」公開施設の完成予想図を公表した。公開施設は地上1階地下1階で、地下7㍍の地中に眠る石垣を展示。初代大坂城の映像も投射し、当時の様子を再現する。大坂夏の陣から400年の2015年に工事に着手し、16年中の完成を目指す。
 初代大坂城は大坂夏の陣で炎上。石垣部分は徳川二代将軍秀忠が「徳川の大坂城」を築城する際、盛り土で埋められたが、1984年に水道工事で偶然発見された。昨年から本格的な遺構調査実施していた。

天武・持統天皇陵を考古学者ら15研究者団体が調査

天武・持統天皇陵を考古学者ら15研究者団体が調査
 宮内庁が天武・持統両天皇の合葬陵として管理する奈良県明日香村の野口王墓古墳(のぐちおうのはかこふん、7世紀後半)を2月21日午後、日本考古学、歴史学の15の研究者団体が立ち入り調査し、墳丘の形状や地表に露出している石材などを観察した。調査には研究者16人が参加。同庁職員に案内されて約1時間半かけて古墳の最下段を回った。
 同古墳は7世紀の天皇陵特有とされる八角形墳。被葬者は両天皇で間違いないとみる研究者が多い。宮内庁は昨年、墳丘を5段構造とする詳細な復元案や、かつての発掘で見つかった石敷きの写真などを公表している。

「俳句・俳諧と芭蕉の世界」世界無形文化遺産登録目指す

「俳句・俳諧と芭蕉の世界」世界無形文化遺産登録目指す
 三重県伊賀市の岡本栄市長は2月14日、同市生まれの俳聖・松尾芭蕉(1644~94年)が芸術性を高めた俳句や俳諧などについて、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産の登録を目指す方針を表明した。松尾芭蕉生誕370年の今年、文学や精神世界を含めた「俳句・俳諧と芭蕉の世界」として申請の準備に入る。「奥の細道サミット」の全国36の自治体や学術団体に協力を呼び掛ける。

沖縄サキタリ洞遺跡で国内初の旧石器時代の貝器出土

沖縄サキタリ洞遺跡で国内初の旧石器時代の貝器出土
 沖縄県立博物館・美術館(那覇市)は2月15日、同県南城市のサキタリ洞遺跡で約2万年前の地層から国内初となる旧石器時代の貝器(貝の製品)の破片と人骨が出土したと発表した。見つかった貝器は道具や装身具。石器が出土しない沖縄では、日本本土と異なり貝を道具に利用していたことが判明した。
 出土した貝の破片は39点。道具と判明したのは二枚貝のマルスダレガイ科20点、クジャク貝の計23点で、サイズはいずれも2~4㌢程度。装飾品は細長い筒状をしたツノガイ類の破片2点、サイズは1~1.5㌢。ひもを通すビーズ状の装飾品とみられる。残りの破片は用途不明という。

鹿児島・白亜紀後期の地層から大型草食竜の歯の化石

鹿児島・白亜紀後期の地層から大型草食竜の歯の化石
 鹿児島県薩摩川内市教育委員会は2月14日、下甑島(しもこしきじま)の鹿島地区で約8000万年前の白亜紀後期の地層から、大型草食恐竜「竜脚類」の歯の化石1本が見つかったと発表した。白亜紀後期の化石は福島、岩手、熊本各県に続き国内4例目という。縦17㍉、幅5㍉、厚さ5㍉で細長い円柱形。下顎の歯とみられ、葉を噛み切る際に擦られてできたV字状の磨耗面が先端にあり、竜脚類と判断した。全長は10㍍以上と推定される。モンゴルのゴビ砂漠で見つかったネメグトサウルスに近いという。
 竜脚類は長い首と尾を持ち、4本足での歩行が特徴。首と尾を伸ばし帆船のように風を受けて歩いていたと想像される。ジュラ紀後期(約1億5000年前)の温暖な気候に適応して大型化し、最も大きな種は体長35㍍、重さ40㌧。ただ歯はまばらで、葉を噛み切ることに向かず、歯が発達した他の草食恐竜との生存競争に敗れ衰退したとされている。

奈良の東大寺など7寺社で早春の大茶会「珠光茶会」

奈良の東大寺など7寺社で早春の大茶会「珠光茶会」
 奈良市で2月12日、東大寺や春日大社など7寺社を舞台に、表千家・裏千家・武者小路千家の三千家と遠州流が5日間にわたり茶席を開く大茶会「珠光茶会」が始まった。わび茶の創始者とされる室町時代の茶人、村田珠光の出身地であり、寺社を中心に茶の湯の文化が息づく古都・奈良でオフシーズンの新たな観光行事にしようと市などが主催する初の試み。7寺社のチケットはすでに完売している。

岩倉具視の暗号表、将軍・慶喜の直筆哀訴状など発見

岩倉具視の暗号表、将軍・慶喜の直筆哀訴状など発見
 江戸-明治の本草漢学塾「山本読書室」跡(京都市下京区)の土蔵に、右大臣・岩倉具視が使った暗号表や、最後の徳川十五代将軍・慶喜が官軍に江戸攻撃中止を求めた直筆哀訴状など重要文化財級を含む数万点の史料が、秘蔵されていたことが2月2日、分かった。京都外大の松田清教授(日本洋学史)が約2年半調査、目録を刊行した。重文級は少なくとも数百点で、ほかに菅原道真直筆の可能性が指摘される9世紀の写経もあり、新史実の解明が期待できる一大史料群として注目されそうだ。
 暗号表は紙製で、大小2枚の円盤の周りにそれぞれカタカナが書いてある。直径約10㌢の小さい方の円盤を回して文字を変換するしくみ。東京の岩倉が大阪の大久保利通らと電報や暗号表など最新技術を駆使して交わした秘密通信文61通もあった。慶喜の哀訴状は、時代が江戸から明治へ移った1868年、江戸攻撃が8日後に迫った3月7日に官軍に届けられた。当時、回覧のため筆写されていたが、直筆は初めて。山本読書室は本草学(博物学)の西日本の拠点で、医学や儒学なども教えていた。

「山本読書室」跡から約150年前の最古の日本語新聞も

「山本読書室」跡から約150年前の最古の日本語新聞も
 京都市下京区の本草漢学塾「山本読書室」跡から見つかった新史料の中に、日本語の新聞としては最古の日付とみられる「文久二(1862)年正月元日」と印刷したものがあることが2月3日、分かった。オランダ語で「新聞の写し」というタイトルで、松田清教授が京都外大の紀要にも発表した。
 従来、日本語初の新聞は、江戸幕府の洋学研究機関・蕃所調所(ばんしょしらべしょ)がオランダ語新聞を翻訳し、「文久二年正月」に発行した「官板バタヒヤ新聞」とされていたが、日付が不明だった。今回は日付があることから、日本人が記事を執筆、編集した新聞としては最古とみられる、当時の新聞の形態や記事の内容など、新聞の変遷をうかがう上での貴重な史料となりそうだ。タイトルの右側には、発行日付と場所もオランダ語で「1862年1月1日、ミヤコ(京都)で」と記されていた。
 松田教授は、ロビンソン漂流記の翻訳者として知られる膳所藩(大津市)の蘭学者、黒田麹蘆(1827~92年)が戯名を使い京都で発行したと結論付けた。

 

伊達政宗と戦っていた家臣宛て直江兼続の直筆書状発見

伊達政宗と戦っていた家臣宛て直江兼続の直筆書状発見
 山形大は2月4日、上杉景勝に仕えた直江兼続(1560~1619年)が、関ヶ原の戦い(1600年)を前に、会津地方で伊達政宗軍と戦っていた上杉家の家臣に宛てた書状が見つかったと発表した。写本はあったが、兼続直筆の現物が見つかったのは初めて。書状は山形市内の個人宅に所蔵、山形大の松尾剛次教授(日本中世史)が花押や筆跡から現物であると鑑定した。上杉家の家臣4人に宛てたもので、日付は慶長5年(1600年)7月27日。徳川家康による景勝征伐に合わせて、伊達政宗が旧領地の会津地方を奪還しようと攻撃を強めていた時期にあたる。 
 戦国武将らしい力強い筆致で、伊達軍との戦いで善戦する家臣の頑張りを褒めながら、政宗の動向を知らせるよう指示するなど、知将とうたわれた兼続の一面をうかがわせている。

大津の新知恩院で手のひらサイズの快慶作?の涅槃像

大津の新知恩院で手のひらサイズの快慶作?の涅槃像
 大津市歴史博物館は2月1日、同市の新知恩院で、鎌倉時代の仏師・快慶の作とみられる小型の「木造釈迦涅槃(ねはん)像」(長さ12.8㌢)が見つかったと発表した。同志社大の井上一稔教授(仏教美術史)は、僧が個人的に毎日拝むために作らせたものとみている。同館によると、耳のひだの形や螺髪(らほつ)の配列などに快慶の特徴があった。釈迦の体から発する光を表現するために、目や額に使われることが多い水晶が胸にあるのも珍しいという。

千葉県雷下遺跡で日本最古の丸木舟の船底部分出土

千葉県雷下遺跡で日本最古の丸木舟の船底部分出土
 千葉県教育委員会は1月31日、同県市川市の雷下(かみなりした)遺跡で、縄文時代早期(約7500年前)につくられた丸木舟の船底部分(全長約7.2㍍、幅約0.5㍍)が出土したと発表した。発掘した同県教育振興財団文化財センターによると、縄文早期の丸木舟の発見は国内では初めてで、日本最古とみられる。
 丸木舟は2013年11月に土中に埋まった状態で見つかったという。米国の会社で放射性炭素年代測定を行った結果、年代が判明。素材はムクノキで、石器でくり抜いてつくったとみられる。
 日本最古の丸木舟はこれまで、鳥浜貝塚(福井県)や入江内湖遺跡(滋賀県)でほぼ完全な形のものが出土しているが、いずれも縄文時代前期(約5500年前)のものという。

纏向遺跡に方向揃えた4つ目の建物跡 卑弥呼宮殿?

纏向遺跡に方向揃えた4つ目の建物跡  卑弥呼宮殿?
 奈良県桜井市教育委員会は2月6日、邪馬台国の有力候補地、同市の纏向(まくむく)遺跡で方向や中軸線を揃えて立ち並んでいた3世紀前半の建物跡3棟の東側で、新たに建物跡1棟を見つけたと発表した。方向、中軸線とも3棟と一致し、同市教委は建物群の一つと判断。他にも建物が並んでいた可能性もあるとみている。
 新たに建物跡が見つかったのは3棟から東に約36.5㍍離れた地点。規模は東西3.4㍍、南北6.7㍍と小さく、柱材が一部残っていた。建物群は方向を揃えて東西に1列に整然と並んでおり、うち2009年に見つかった1棟は復元すると東西約12㍍、南北約19㍍と3世紀前半では国内最大規模。有力者の居館とみられ「卑弥呼の宮殿」との説もある。
 纏向遺跡は東西2㌔、南北1.5㌔におよぶ3世紀初め~4世紀初めの大集落跡。卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳がある。関東から九州まで広範囲から搬入された土器などが出土し、古代国家形成期を探るカギとなる遺跡として13年、国史跡に指定されている。

京都・宝蔵寺所蔵の「竹に雄鶏図」は若冲作

京都・宝蔵寺所蔵の「竹に雄鶏図」は若冲作
 江戸時代の画家、伊藤若冲(1716~1800年)の家族の墓がある京都市中京区の宝蔵寺所蔵の水墨画「竹に雄鶏図」が、若冲の作品であることが確認され2月5日、報道陣に披露された。6日から12日まで一般に公開予定。左脚を上げ、鋭く正面をにらむ鶏が描かれている。宝蔵寺によると、昨年「MIHO MUSEAM」(滋賀県甲賀市)の岡田秀之学芸員が若冲の作と確認した。落款の状態や筆遣いから40代前半ごろの初期作とみられるという。

三角縁神獣鏡は「魔鏡」反射光に背面の文様浮かび上がる

三角縁神獣鏡は「魔鏡」反射光に背面の文様浮かび上がる
 京都国立博物館は1月29日、3次元(3D)プリンターを使って「卑弥呼の鏡」との説がある古代の青銅鏡「三角縁神獣鏡」の精巧な金属製レプリカを製作したところ、壁に投影した反射光の中に鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる「魔鏡」と呼ばれる現象が起きることが分かったと発表した。
 この現象は太陽光線など平行光で特に顕著で、人心を掌握するのに用いた可能性や、太陽信仰との関連を指摘する意見もあり、古代鏡の研究に新局面をもたらしそうだ。鏡は古代の祭祀(さいし)で用いたと考えられているが、具体的役割は不明だった。今回のような現象を起こす鏡は古代中国の漢代に登場。日本では江戸時代に隠れキリシタンが用いたものなどが知られるが、国内の古代鏡で確認されたのは初めてという。

7000年前の日本固有のカメの完全な頭骨化石 兵庫で発見

7000年前の日本固有のカメの完全な頭骨化石 兵庫で発見
 兵庫県三田市の県立人と自然の博物館は1月26日、同県洲本市の白亜紀後期(約7000万年前)の地層からウミガメの一首の祖先とされるカメの完全な頭骨の化石が見つかったと発表した。頭骨は高さ約7㌢、長さ約16㌢。日本固有種で、完全な頭骨の化石が見つかったのは初めてという。見つかったのは「メソダーモケリス」という種で、ウミガメの一種であるオサガメの祖先とされる。これまで北海道や兵庫県で甲羅や足の化石が見つかっていたが、完全な頭骨の化石は未発見だった。

 

遣欧使節派遣から交流400周年 イベントで仲深める

遣欧使節派遣から交流400周年 イベントで仲深める
 今から400年前、スペインの小さな漁村に降り立った日本人たちの足跡が、日本・スペイン両国交流の端緒となった。その子孫とされる人々は姓に「日本(ハポン)」を名乗り、今も同じ場所で暮らし日本との縁を大事にしている。
 江戸時代初期、仙台藩主・伊達政宗は家臣の支倉常長を大使とする大型使節団をスペイン国王やローマ法王のもとに派遣。使節団はメキシコなどを経由して出発からちょうど1年経った1614年10月、スペイン南西部セビリアからバスで40分ほどの小さな町・コリアデルリオに到着した。日本国内では、徳川家康が豊臣氏を滅ぼすべく最後の戦いを開始する「大坂冬の陣」のころのことだ。
 支倉らは想像を絶する苦労の末、スペイン国王やローマ法王らに謁見するなどして、1617年に日本に向かったが、長期滞在したことで、使節団の中には家族や生活基盤ができてしまい、帰国せずに現地に土着した日本人もいた。この人たちがコリアデルリオで、今もハポン姓を名乗る人たちの祖先になったと考えられる。
 日本・スペイン交流400周年をきっかけに多くのイベントが企画され、日本との関係は一段と深まっている。2013年6月には日本の皇太子さまがコリアデルリオを訪問、ハポン姓を持つ人たちと交流された。また、何人かのハポンさんは東日本大震災後、遠く離れた日本の被災地を訪れている。コリアデルリオでは、今も慰霊行事や慈善コンサートなどが開かれる。

阿弥陀如来立像の内側に家康の養女が記した文字 高知

阿弥陀如来立像の内側に家康の養女が記した文字 高知
 高知市の土佐山内家宝物資料館は1月28日、市内の名刹竹林寺の木造阿弥陀如来立像の内側に、徳川家康の養女、阿姫(くまひめ)が書いたとみられる文字があったと発表した。仏像は高さ83㌢で、家康が亡くなった6年後の1622年に奉納された。高知大の松島朝秀准教授の協力でエックス線で分析、仏像内側の胸から膝に文字があるのを見つけた。寺に残る古文書には、阿姫が家康の冥福を祈るほか、山内家の繁栄も祈願して書き込んだと記載されている。幕政が安定しない時期に、将軍家から外様大名に嫁ぎ、両家を結び付ける役割を象徴している-と同館では話している。

法隆寺で防火訓練 文化財防火デーで誓い新たに

法隆寺で防火訓練  文化財防火デーで誓い新たに
 「文化財防火デー」の1月26日、奈良県斑鳩町の法隆寺で防火訓練があり、僧侶や地元消防団員ら約100人が参加して防火の誓いを新たにした。1949年のこの日、法隆寺金堂で火災が起こり、壁画が焼損したことをきっかけに、55年、文化財防火デーが制定された。訓練では、消防団員が境内の鏡池から汲み上げた水を空に向かって一気に放水した。

「壬生狂言」の衣装を40年ぶり新調 4月公演で披露

「壬生狂言」の衣装を40年ぶり新調 4月公演で披露
 京都市中京区の壬生寺はこのほど、毎年節分と春、秋に同寺で上演される国の重要無形民俗文化財「壬生狂言」の、約40年ぶりに新調された衣装を報道陣に公開した。4月29日の公演で初披露される。新調されたのは人気演目「ほうらくわり」に登場する役人の衣装で、素襖長袴(すおうながばかま)と呼ばれる。上半身に羽織る素襖はナスのような深い紺色に染められている。

吉田松陰の辞世の句見つかる 長野修繕の手紙の巻物から

吉田松陰の辞世の句見つかる 長野修繕の手紙の巻物から
 井伊美術館(京都市東山区)は1月23日、幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の辞世の句が見つかったと発表した。辞世の句は縦27.5㌢、横19.5㌢の和紙に「此程に思定めし出立はけふきく古曽嬉しかりける(これほどに おもいさだめし いでたちは きょうこそ うれしかりける)」(死を覚悟しており、今日やっとその日が来て嬉しい、の意)と記されていた。
 この辞世は井伊直弼(1815~60年)の家臣、長野主膳の手紙の巻物に貼り付けられていたという。文言は家族宛ての辞世の句と同じで、専門家は松陰が同じ句を複数の人に宛てて書いたと考えられるとしている。
 松陰は当時の大老、井伊直弼により断行された「安政の大獄」で、長州・萩から江戸に送られ、伝馬町の牢内で首を落とされた。松陰の辞世として、一般に広く知られている句に、「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちるとも 留めおかまし大和魂」がある。松陰は筆まめで、獄中でも家族や弟子宛てに手紙などを書いていたことで知られている。

弥生時代前期の水田跡から玄米出土 奈良県の秋津遺跡

弥生時代前期の水田跡から玄米出土 奈良県の秋津遺跡
 奈良県立橿原考古学研究所は1月19日、弥生時代前期(約2400年前)では全国最大の水田跡、秋津遺跡(奈良県御所市)で当時のものとみられる玄米が出土したと発表した。玄米は11粒あり、当時の耕作土の中から30㌢ほどの範囲内でまとまって出土した。大きさは約4㍉で色は茶色。外見上は長粒種ではないという。また胚が残存しており、ほぼ完全な状態という。
 弥生時代のコメは各地で見つかっているが、ほとんどが真っ黒に劣化した状態で「炭化」と呼ばれ、今回ほど保存状態の良い例は極めて珍しいという。泥で包まれて酸素が遮断されるなど様々な条件が重なったとみられる。今後DNAなどを分析して品種や性質を詳しく調べる方針で、収量をはじめ初期稲作の実態解明につながると期待される。

三重県鈴鹿市で240万年前の新種のゾウの化石発見

三重県鈴鹿市で240万年前の新種のゾウの化石発見
 三重県は1月20日、鈴鹿市で約240万年前(更新世初頭)の新種とみられるゾウの牙や臼歯などの化石を発見したと発表した。この時期のゾウの化石がまとまった形で出てくるのは初めてで、進化の過程が明らかになる可能性がある。日本には大陸と地続きだったころゾウがいたが、約2万年前に絶滅した。昨年5月、同市の川岸で、散歩中の男性が牙の根元の化石を発見。その後の調査で臼歯やあばら骨なども発掘された。
 国内ではこれまで、300万~430万年前に生息していた国内最大級のミエゾウ(体高約4㍍)や、ミエゾウを祖先種とし、120万~200万年前に生息していた小型のアケボノゾウ(体高約2㍍)の化石が多く発見されているが、その中間の時代の地層からは十数点しか見つかっていなかった。化石は、4月に開館する三重県総合博物館で7~9月に公開する予定。

「越前和紙」民俗文化財に 山形の大松明行事も 文化審

「越前和紙」民俗文化財に 山形の大松明行事も 文化審
 文化審議会は1月17日、和紙の伝統的な産地、福井県越前市の「越前和紙の製作用具おいび製品」を重要有形民俗文化財に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。新年を迎えるための祭礼「松例祭の大松明行事」(山形県鶴岡市)など5件も重要無形民俗文化財に指定するよう求めた。近く答申通り指定され、重要有形民俗文化財は214件、重要無形民俗文化財は286件になる。
 このほか「常陸大子のコンニャク栽培用具および加工用具」(茨城県大子町)など4件を登録有形民俗文化財、また「植柳の盆踊」(熊本県八代市)など5件を、消滅の恐れがあるため記録を残すべき無形民俗文化財にするよう、それぞれ答申した。

初の復元修理終え秀吉とねねの木像公開 京都・高台寺

初の復元修理終え秀吉とねねの木像公開 京都・高台寺
 豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ=ねね)が夫・秀吉の菩提を弔うために創建したといわれる高台寺(京都市東山区)で1月10日、初めての復元修理を終えた秀吉とねねの一般公開が始まった。約400年前につくられた当時の色彩や紋様を再現した像を間近に見ることができる。木像は高台寺創建の1606年ごろの制作されたとされる。ねねの墓所でもある霊屋で公開されていたが、劣化が目立ってきたため、13年秋から京都市内の工房で修復されていた。

滋賀県の豪商「四居家」の土蔵から江戸時代の小判

滋賀県の豪商「四居家」の土蔵から江戸時代の小判
 滋賀県長浜市は1月14日、代々油問屋を営む豪商だった「四居家」の土蔵から江戸時代の小判など85点が見つかったと発表した。現在の価格に換算すると、約2000万円相当という。85点は慶長、正徳などの小判15枚や丁銀2枚、銀の粒などで、1600~1860年ごろのもの。13年10月、寄贈されて市の所有物になっている土蔵を改修した際、2階にあったたんすから発見された。たんすには隠し扉があり、小判や丁銀は紙に包まれて奥に隠すように仕舞われていたという。27日から長浜市曳山博物館で展示される。

フリーマーケットで7㌦の絵 実はルノワールの作品

フリーマーケットで7㌦の絵 実はルノワールの作品
 米南部バージニア州の地元裁判所は1月10日、同州の女性がフリーマーケットで7㌦(約730円)で購入したとする絵が、60年以上前に美術館から盗まれたフランスの印象派画家、ルノワールの作品であることが分かり、美術館への返還を命じる判決を言い渡した。ロイター通信などが報じた。絵は1879年に描かれたセーヌ河畔の風景画。1951年にメリーランド州ボルティモアの美術館から盗まれた。この絵は少なくとも2万2000㌦相当の価値があるとされる。
 女性は2009年に地元のフリーマーケットで買ったと主張。ルノワールのサイン入りだったが、本物だと気付かず、ゴミ袋に入れて保管していたという。ただ、この絵の入手の経緯を疑問視する見方もある。

難波宮に大規模回廊跡 奈良時代に女帝が滞在した新宮か

難波宮に大規模回廊跡 奈良時代に女帝が滞在した新宮か
 大阪市博物館協会大阪文化財研究所と同市教育委員会などは1月9日、奈良時代に聖武天皇が造営した難波宮跡(大阪市中央区)で、大規模な回廊の一部とみられる土壇跡や8世紀の瓦片が大量に見つかったと発表した。内裏から東南へ約60㍍の超一等地で、瓦葺きの回廊で囲んだ格式の高い施設があったとみられる。年代や位置からみて、聖武天皇の長女・孝謙女帝が756年に滞在した東南新宮の可能性がある-としている。土壇は長さ16㍍以上、幅約7㍍、高さは現状で約15㌢。回廊の基礎部分とみられ、仕切りを挟んで2本の通路が並ぶ「複廊」だったようだ。

大坂城再築用の石材の船着き場遺構 小豆島で確認

大坂城再築用の石材の船着き場遺構 小豆島で確認
 同志社大の文化遺産情報科学研究センターによると、江戸時代の大坂城再築用の石材を、潮の干満を利用して積み出したとみられる船着き場の遺構が、香川県の小豆島で確認された。積み出し港はこれまで見つかっておらず、巨石の搬送方法の解明につながる発見という。大坂城は豊臣氏が滅んだ1615年の大坂夏の陣で焼けた後、徳川幕府が諸大名に命じて再築を開始、29年に完成した。多数の石材が使われ、小豆島など瀬戸内海の島々から切り出されたことが分かっている。ただ、最大約100㌧ともいわれる巨石を積み出した方法は不明だ。
 今回同センターが小豆島周辺の海底調査を行ったところ、形状などから2つの岩は人工的に置かれたものと判明。周辺には桟橋を渡すために土台として置いたり、積み残したりしたとみられる石計約50個が散乱しているのも見つかり、2つの岩が石を積み出す船着き場だったと判断した。満潮時に船を2つの岩の間に挟み柱に係留した後、干潮時に桟橋を岩まで渡して石材を船まで運び、再び満潮になったときに出航したとみられる。

姫路で黒田官兵衛「大河ドラマ館」1/12オープン

姫路で黒田官兵衛「大河ドラマ館」1/12オープン
 NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」の放送に合わせ、ドラマの世界を体感できる「ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館」の内覧会が1月10日、開かれた。ドラマ館は姫路城そばに建設され、面積は約500平方㍍。官兵衛が1年間幽閉された有岡城の土牢(つちろう)や物見櫓(やぐら)、官兵衛の居室などを再現。織田信長から宝刀を拝領する場面なども実物大の人形で表現している。このほか、撮影用衣装や小道具も見られる。12日から一般公開する。開館は午前9時から午後5時までで、高校生以上500円。

1/18に古事記・日本書紀にゆかりの5県知事サミット

1/18に古事記・日本書紀にゆかりの5県知事サミット
 奈良をはじめ古事記や日本書紀にゆかりある5県の知事は1月18日、東京・千代田区の日本教育会館で、歴史的な素材を地域づくりに生かす方法を議論する知事サミットを開く。東京五輪が開かれる2020年が日本書紀完成1300年にあたることから、今後の観光振興などについて話し合う。サミットは奈良県が主催する「首都圏記紀シンポジウム」の一環で、奈良、和歌山、三重、島根、宮崎の知事が参加する。

坂上田村麻呂造営の国史跡の堀誤って掘削 岩手県

坂上田村麻呂造営の国史跡の堀誤って掘削 岩手県
 盛岡市教育委員会は1月10日までに、平安時代、征夷大将軍として勇名を馳せた坂上田村麻呂が造営した国史跡「志波城跡」の堀の一部を岩手県が農業用水路の工事中に誤って掘削したと発表した。現場は志波城の建物群を囲んだとみられる外堀「外大溝」(幅約5㍍、深さ約2㍍)の南西部分。隣接地で用水路工事を進めていた県が13年12月20日ごろ、約15㍍にわたって遺構を損壊した。修復は難しいといい、文化庁に史跡の現状変更を届ける方針。

伊の古代都市ポンペイ市民は多様な食生活をしていた

伊の古代都市ポンペイ市民は多様な食生活をしていた
 米シンシナティ大の研究チームの調査によると、1900年以上前の火山の噴火で埋没したイタリア南部の古代都市ポンペイの市民が、キリンやフラミンゴの肉を食べ、穀物、果物、鶏卵、魚なども食す豊かで多様なものだったことが分かった。同チームは10年以上にわたり、ポンペイ遺跡の飲食店が集まる地区で発掘調査を実施。その結果、穀物や果物、木の実や鶏卵、魚などが一般的に食べられていたことを確認した。さらにウニやキリンの肉、スペイン産の魚の塩漬けやインドネシア産の香辛料など珍しい食品も食していたとみられることも分かった。

大河ドラマ「軍師 官兵衛」初回平均視聴率は18.9%

大河ドラマ「軍師 官兵衛」初回平均視聴率は18.9%
 2014年1月5日に放映されたNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」の第1回の平均視聴率は18.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だった。関西地区は23.0%だった。前年の綾瀬はるか(28)主演の「八重の桜」は初回21.4%だったが、これを下回った。東京地区ではここ10年で。12年の「平清盛」(17.3%)に次いで、2番目に低い数字のスタートとなった。戦国時代、織田信長が本能寺の変で自刃した後、急遽、頭角を現し、一気に天下統一の道を突き進んだ豊臣秀吉。この太閤にまで上り詰める秀吉を支えた天才軍師・黒田官兵衛孝高(よしたか)の生涯を、「V6」の岡田准一(33)を主役に配し描く。

京都・下鴨神社で新春恒例「蹴鞠初め」巧みな技披露

京都・下鴨神社で新春恒例「蹴鞠初め」巧みな技披露
 蹴鞠(けまり)を奉納する新春恒例の「蹴鞠初め」が2014年1月4日、京都市の下鴨神社で催された。保存会のメンバーら、伝統装束に身をまとった男女が鞠を高々と蹴り上げ、巧みな技を披露した。鞠が続けて宙を舞うごとに、見物客は歓声と拍手を送っていた。奉納後には6月に開催されるワールドカップ・ブラジル大会にちなみ、サッカーボールを使った蹴鞠も披露された。

隠岐で1200万年前の地層から二枚貝の新種の化石発見

隠岐で1200万年前の地層から二枚貝の新種の化石発見
 島根大と北海道教育大の合同チームは12月28日、島根県・隠岐諸島の1200万年前の地層から二枚貝の新種2種の化石が見つかったと発表した。「オキノホタテ」と「ゴダイゴソデガイ」と命名し、2014年1月発行の日本古生物学会の国際誌に掲載される。
 オキノホタテは大きさ2~8㌢で、ヤベホタテガイ属では最古の種となる。従来種に比べ、貝殻の扇状の広がりの角度が大きいのが特徴。ゴダイゴソデガイは、隠岐へ流罪になった後醍醐天皇にちなんで名付けられた。大きさ約1㌢と従来種より小さく、殻の模様が少ないことから新種と断定した。今回の2種は比較的水温の低い海の生息したとされる。当時は大陸と日本列島の間が隆起して陸続きになりつつあった時代で、対馬海峡から日本海に流れ込む暖流が少なくなり、水温が下がるなど環境が変化したと考えられるという。

『歴史くらぶ』が選ぶ2013年 10大ニュース

『歴史くらぶ』が選ぶ2013年 10大ニュース
①「卑弥呼の墓」解明へ 箸墓古墳など宮内庁が調査許可
②新宿で4000年前の縄文時代の人骨11体分発見
③藤原京跡北で古代の幹線道路「中ツ道」路面の遺構発見
④「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」世界記憶遺産に
⑤縄文人は普通に調理?土器の焦げ跡に魚を煮炊きした跡
⑥秀吉の「賎ヶ岳の合戦」戦略指示書発見 官兵衛も参戦
⑦現代語の新作能「世阿弥」上演 生誕650年記念
⑧南アでチンパンジーとヒトの特徴持つ猿人の骨格発見
⑨カンボジアでアンコールワットより古い巨大遺跡発見
⑩日本庭園の元祖 奈良・飛鳥京跡苑池の南池の全容判明

群馬の金井東裏遺跡で骨製小札を発見 よろいの一部か

群馬の金井東裏遺跡で骨製小札を発見 よろいの一部か
 群馬県埋蔵文化財調査事業団によると、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、動物の骨でつくられた小札(こざね)と呼ばれる短冊状の板が新たに見つかった。数十枚が連結された状態で、よろいの一部か付属品とみられる。骨製小札が見つかったのは国内で初めて。骨製小札は、1枚が縦6.6㌢、横約3㌢、厚さ数㍉。1段あたり十数枚が、3段にとじられていた。同遺跡からは、6世紀初め(古墳時代)の火山灰層からよろいを着けた男性の骨が出土しているが、この出土場所近くで、巻かれた状態で見つかった別の鉄製よろいの内部にあった。

カステラ箱から古墳時代の”一級品”金銅製馬具出土

カステラ箱から古墳時代の”一級品”金銅製馬具出土
 大正時代に三重県津市で、6世紀末~7世紀初頭の金銅製馬具が出土していたことが分かった。同市内の民家で長年、紙のカステラ箱に入れて保管されていた。奈良県橿原考古学研究所によると、現在は消滅した古墳の副葬品とみられる。竜や鳳凰の精緻な透かし彫りがあり、当時の一級品という。馬具は馬の口にくわえさせる轡(くつわ)、革帯をつなぐ辻金具など。1915年(大正4年)に警察に提出した「発掘届」もあった。出土地に有力豪族がいた記録はなく未知の有力者の存在を示す資料という。

襖絵10枚が円山応挙の作と確認 京都の美術館で公開

襖絵10枚が円山応挙の作と確認 京都の美術館で公開
 京都市の相国寺(上京区)が所蔵する襖(ふすま)絵が、江戸時代中期の画家、円山応挙の作品であることが確認され、12月20日、相国寺承天閣美術館で報道陣に公開された。円山応挙展後期展で21日から2014年3月23日まで一般公開される。襖絵は20枚からなり、寺の開山堂に飾られていた。うち雪景色の山里を描いた「雪中山水図」10枚が応挙作と分かった。応挙は当初、これらを京都御所の女院御所向けに制作。1807年に建物ごと相国寺に与えられ、寺は移築し開山堂として使っていた。寺の記録と応挙の弟子が残した制作記録とが一致した。

後桜町天皇しのび式年祭 歴代最後の女帝200回目の命日

後桜町天皇しのび式年祭 歴代最後の女帝200回目の命日
 後桜町天皇(1740~1813年)が亡くなって200回目の命日祭「式年祭」が12月24日、京都市東山区の泉涌寺の月輪陵(つきのわのみささぎ)と皇居で行われた。後桜町天皇は江戸時代中期の1762年、弟の桃園天皇が急逝したため、23歳で皇位を継承。桃園天皇の5歳の長男(後の後桃園天皇)を教育し、1780年に譲位した。歴史上、8人いた女帝のうち最後の女帝で、「大嘗祭(だいじょうさい)」を女帝として奈良時代の称徳天皇以来、約1000年ぶりに実施。和歌に秀で、約2000首を残した。生涯結婚せず、74歳で亡くなった。
 この日は月輪陵に入る檜皮(ひわだ)ぶきの唐門が特別に開かれ、そのすぐ下の儀式場で午前10時から宮内庁式部職楽部の楽師が笛や笙(しょう)、篳篥(ひちりき)で奏楽を開始。供物台に米や酒、餅、海の幸の鯛と昆布、里の幸の大根とにんじん、りんご、ようかん、塩、水を載せた三方9台が運ばれ、祭祀を執り行う掌典が祝詞を奏上した。
 続いて、天皇陛下からの供物として絹の反物が捧げられ、陛下の「ご祭文」を黒色の装束姿の勅使が読み上げた。関係者ら約40人が参列し、儀式は約30分で終了した。皇居でも天皇陛下らが拝礼された。

1300年前の東北最古級?の木簡出土 製鉄作業者の名簿

1300年前の東北最古級?の木簡出土 製鉄作業者の名簿
 宮城県教育委員会によると、宮城県山元町の熊の作遺跡から、製鉄作業に従事していた人を管理する名簿とみられる約1300年前の木簡が見つかった。東北地方で出土した木管の中では最古級という。木簡は一部が破損。上に「信夫郡安岐里人」、その下に「大伴部法麻呂」など4人の男性の名前が書かれていた。信夫郡安岐里は、福島市と福島県川俣町の境界付近に当たる地名。大宝律令の郡里制に基づく表記から、制度が施行されていた701~717年の木簡とみられる。
 遺跡では製鉄工房跡も確認されており、約40㌔離れた安岐里から製鉄作業に動員された人を管理する名簿と推測されるという。同県教委は8世紀初めに、律令制度による支配がこの地域に及んでいたことを示す貴重な史料としている。木簡は2014年1月26日まで山元町歴史民俗資料館で展示される。

兵庫県赤穂市で110回目「赤穂義士祭」ゲストに松平健さん

兵庫県赤穂市で110回目「赤穂義士祭」ゲストに松平健さん
 赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入った日に当たる12月14日、兵庫県赤穂市で「赤穂義士祭」が開催された。110回目となる今回は、大石内蔵助役のゲストとして俳優の松平健さん(60)が参加した。クライマックスは、47人の義士に扮した市民らが練り歩く「義士行列」。沿道には約8万人が詰めかけ、黒の羽織に刀を差し、討ち入り装束に身を包んだ松平さんはじめ参加者らは、笑顔で歓声に応えていた。

華やかな時代装束で奈良・春日大社の「春日若宮おん祭」

華やかな時代装束で奈良・春日大社の「春日若宮おん祭」
 奈良市の春日大社で平安時代から続く「春日若宮おん祭」(国重要無形民俗文化財)が12月17日行われた。おん祭は春日大社の境内にある若宮神社の例祭で、人々が飢饉と疫病に苦しんだ1136年、関白の藤原忠通が神霊に国の安泰を祈願したしたのが始まり。華やかな時代装束で約1000人が練り歩く「お渡り式」があり、多くの観光客が詰めかけた。

奈良・藤原宮跡で等間隔に並ぶ19の柱穴見つかる

奈良・藤原宮跡で等間隔に並ぶ19の柱穴見つかる
 奈良文化財研究所は12月19日、国内初の本格的な都城だった藤原京(694~710年)の中枢部・藤原宮跡(奈良県橿原市)で、等間隔に並ぶ19の柱穴が見つかったと発表した。柱穴は、天皇が執務した大極殿の南側、役人が儀式や政務を行った「朝堂院」の広場跡で発見された。石敷きの広場を東西方向54㍍にわたり3㍍間隔で直径約30㌢の穴が並んでいた。別の場所からは天皇の即位式や元日朝賀などで飾る幡(旗)を支えたとみられる柱跡が見つかっている。

ロシアで出土のネアンデルタール人の両親は近親か

ロシアで出土のネアンデルタール人の両親は近親か
 ドイツのマックスプランク進化人類学研究所などのチームは、12月19日付の英科学誌ネイチャー電子版に、ロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析したところ、両親は親戚関係のような近親とみられることが分かったと発表した。同チームは2010年、洞窟で見つかった長さ2.6㌢の足の指の骨から、DNAを採取してゲノム(全遺伝情報)を解読。特徴からネアンデルタール人と特定した。