千葉県雷下遺跡で日本最古の丸木舟の船底部分出土

千葉県雷下遺跡で日本最古の丸木舟の船底部分出土
 千葉県教育委員会は1月31日、同県市川市の雷下(かみなりした)遺跡で、縄文時代早期(約7500年前)につくられた丸木舟の船底部分(全長約7.2㍍、幅約0.5㍍)が出土したと発表した。発掘した同県教育振興財団文化財センターによると、縄文早期の丸木舟の発見は国内では初めてで、日本最古とみられる。
 丸木舟は2013年11月に土中に埋まった状態で見つかったという。米国の会社で放射性炭素年代測定を行った結果、年代が判明。素材はムクノキで、石器でくり抜いてつくったとみられる。
 日本最古の丸木舟はこれまで、鳥浜貝塚(福井県)や入江内湖遺跡(滋賀県)でほぼ完全な形のものが出土しているが、いずれも縄文時代前期(約5500年前)のものという。

纏向遺跡に方向揃えた4つ目の建物跡 卑弥呼宮殿?

纏向遺跡に方向揃えた4つ目の建物跡  卑弥呼宮殿?
 奈良県桜井市教育委員会は2月6日、邪馬台国の有力候補地、同市の纏向(まくむく)遺跡で方向や中軸線を揃えて立ち並んでいた3世紀前半の建物跡3棟の東側で、新たに建物跡1棟を見つけたと発表した。方向、中軸線とも3棟と一致し、同市教委は建物群の一つと判断。他にも建物が並んでいた可能性もあるとみている。
 新たに建物跡が見つかったのは3棟から東に約36.5㍍離れた地点。規模は東西3.4㍍、南北6.7㍍と小さく、柱材が一部残っていた。建物群は方向を揃えて東西に1列に整然と並んでおり、うち2009年に見つかった1棟は復元すると東西約12㍍、南北約19㍍と3世紀前半では国内最大規模。有力者の居館とみられ「卑弥呼の宮殿」との説もある。
 纏向遺跡は東西2㌔、南北1.5㌔におよぶ3世紀初め~4世紀初めの大集落跡。卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳がある。関東から九州まで広範囲から搬入された土器などが出土し、古代国家形成期を探るカギとなる遺跡として13年、国史跡に指定されている。

京都・宝蔵寺所蔵の「竹に雄鶏図」は若冲作

京都・宝蔵寺所蔵の「竹に雄鶏図」は若冲作
 江戸時代の画家、伊藤若冲(1716~1800年)の家族の墓がある京都市中京区の宝蔵寺所蔵の水墨画「竹に雄鶏図」が、若冲の作品であることが確認され2月5日、報道陣に披露された。6日から12日まで一般に公開予定。左脚を上げ、鋭く正面をにらむ鶏が描かれている。宝蔵寺によると、昨年「MIHO MUSEAM」(滋賀県甲賀市)の岡田秀之学芸員が若冲の作と確認した。落款の状態や筆遣いから40代前半ごろの初期作とみられるという。

三角縁神獣鏡は「魔鏡」反射光に背面の文様浮かび上がる

三角縁神獣鏡は「魔鏡」反射光に背面の文様浮かび上がる
 京都国立博物館は1月29日、3次元(3D)プリンターを使って「卑弥呼の鏡」との説がある古代の青銅鏡「三角縁神獣鏡」の精巧な金属製レプリカを製作したところ、壁に投影した反射光の中に鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる「魔鏡」と呼ばれる現象が起きることが分かったと発表した。
 この現象は太陽光線など平行光で特に顕著で、人心を掌握するのに用いた可能性や、太陽信仰との関連を指摘する意見もあり、古代鏡の研究に新局面をもたらしそうだ。鏡は古代の祭祀(さいし)で用いたと考えられているが、具体的役割は不明だった。今回のような現象を起こす鏡は古代中国の漢代に登場。日本では江戸時代に隠れキリシタンが用いたものなどが知られるが、国内の古代鏡で確認されたのは初めてという。

7000年前の日本固有のカメの完全な頭骨化石 兵庫で発見

7000年前の日本固有のカメの完全な頭骨化石 兵庫で発見
 兵庫県三田市の県立人と自然の博物館は1月26日、同県洲本市の白亜紀後期(約7000万年前)の地層からウミガメの一首の祖先とされるカメの完全な頭骨の化石が見つかったと発表した。頭骨は高さ約7㌢、長さ約16㌢。日本固有種で、完全な頭骨の化石が見つかったのは初めてという。見つかったのは「メソダーモケリス」という種で、ウミガメの一種であるオサガメの祖先とされる。これまで北海道や兵庫県で甲羅や足の化石が見つかっていたが、完全な頭骨の化石は未発見だった。

 

遣欧使節派遣から交流400周年 イベントで仲深める

遣欧使節派遣から交流400周年 イベントで仲深める
 今から400年前、スペインの小さな漁村に降り立った日本人たちの足跡が、日本・スペイン両国交流の端緒となった。その子孫とされる人々は姓に「日本(ハポン)」を名乗り、今も同じ場所で暮らし日本との縁を大事にしている。
 江戸時代初期、仙台藩主・伊達政宗は家臣の支倉常長を大使とする大型使節団をスペイン国王やローマ法王のもとに派遣。使節団はメキシコなどを経由して出発からちょうど1年経った1614年10月、スペイン南西部セビリアからバスで40分ほどの小さな町・コリアデルリオに到着した。日本国内では、徳川家康が豊臣氏を滅ぼすべく最後の戦いを開始する「大坂冬の陣」のころのことだ。
 支倉らは想像を絶する苦労の末、スペイン国王やローマ法王らに謁見するなどして、1617年に日本に向かったが、長期滞在したことで、使節団の中には家族や生活基盤ができてしまい、帰国せずに現地に土着した日本人もいた。この人たちがコリアデルリオで、今もハポン姓を名乗る人たちの祖先になったと考えられる。
 日本・スペイン交流400周年をきっかけに多くのイベントが企画され、日本との関係は一段と深まっている。2013年6月には日本の皇太子さまがコリアデルリオを訪問、ハポン姓を持つ人たちと交流された。また、何人かのハポンさんは東日本大震災後、遠く離れた日本の被災地を訪れている。コリアデルリオでは、今も慰霊行事や慈善コンサートなどが開かれる。

阿弥陀如来立像の内側に家康の養女が記した文字 高知

阿弥陀如来立像の内側に家康の養女が記した文字 高知
 高知市の土佐山内家宝物資料館は1月28日、市内の名刹竹林寺の木造阿弥陀如来立像の内側に、徳川家康の養女、阿姫(くまひめ)が書いたとみられる文字があったと発表した。仏像は高さ83㌢で、家康が亡くなった6年後の1622年に奉納された。高知大の松島朝秀准教授の協力でエックス線で分析、仏像内側の胸から膝に文字があるのを見つけた。寺に残る古文書には、阿姫が家康の冥福を祈るほか、山内家の繁栄も祈願して書き込んだと記載されている。幕政が安定しない時期に、将軍家から外様大名に嫁ぎ、両家を結び付ける役割を象徴している-と同館では話している。

法隆寺で防火訓練 文化財防火デーで誓い新たに

法隆寺で防火訓練  文化財防火デーで誓い新たに
 「文化財防火デー」の1月26日、奈良県斑鳩町の法隆寺で防火訓練があり、僧侶や地元消防団員ら約100人が参加して防火の誓いを新たにした。1949年のこの日、法隆寺金堂で火災が起こり、壁画が焼損したことをきっかけに、55年、文化財防火デーが制定された。訓練では、消防団員が境内の鏡池から汲み上げた水を空に向かって一気に放水した。

「壬生狂言」の衣装を40年ぶり新調 4月公演で披露

「壬生狂言」の衣装を40年ぶり新調 4月公演で披露
 京都市中京区の壬生寺はこのほど、毎年節分と春、秋に同寺で上演される国の重要無形民俗文化財「壬生狂言」の、約40年ぶりに新調された衣装を報道陣に公開した。4月29日の公演で初披露される。新調されたのは人気演目「ほうらくわり」に登場する役人の衣装で、素襖長袴(すおうながばかま)と呼ばれる。上半身に羽織る素襖はナスのような深い紺色に染められている。

吉田松陰の辞世の句見つかる 長野修繕の手紙の巻物から

吉田松陰の辞世の句見つかる 長野修繕の手紙の巻物から
 井伊美術館(京都市東山区)は1月23日、幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の辞世の句が見つかったと発表した。辞世の句は縦27.5㌢、横19.5㌢の和紙に「此程に思定めし出立はけふきく古曽嬉しかりける(これほどに おもいさだめし いでたちは きょうこそ うれしかりける)」(死を覚悟しており、今日やっとその日が来て嬉しい、の意)と記されていた。
 この辞世は井伊直弼(1815~60年)の家臣、長野主膳の手紙の巻物に貼り付けられていたという。文言は家族宛ての辞世の句と同じで、専門家は松陰が同じ句を複数の人に宛てて書いたと考えられるとしている。
 松陰は当時の大老、井伊直弼により断行された「安政の大獄」で、長州・萩から江戸に送られ、伝馬町の牢内で首を落とされた。松陰の辞世として、一般に広く知られている句に、「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちるとも 留めおかまし大和魂」がある。松陰は筆まめで、獄中でも家族や弟子宛てに手紙などを書いていたことで知られている。

弥生時代前期の水田跡から玄米出土 奈良県の秋津遺跡

弥生時代前期の水田跡から玄米出土 奈良県の秋津遺跡
 奈良県立橿原考古学研究所は1月19日、弥生時代前期(約2400年前)では全国最大の水田跡、秋津遺跡(奈良県御所市)で当時のものとみられる玄米が出土したと発表した。玄米は11粒あり、当時の耕作土の中から30㌢ほどの範囲内でまとまって出土した。大きさは約4㍉で色は茶色。外見上は長粒種ではないという。また胚が残存しており、ほぼ完全な状態という。
 弥生時代のコメは各地で見つかっているが、ほとんどが真っ黒に劣化した状態で「炭化」と呼ばれ、今回ほど保存状態の良い例は極めて珍しいという。泥で包まれて酸素が遮断されるなど様々な条件が重なったとみられる。今後DNAなどを分析して品種や性質を詳しく調べる方針で、収量をはじめ初期稲作の実態解明につながると期待される。

三重県鈴鹿市で240万年前の新種のゾウの化石発見

三重県鈴鹿市で240万年前の新種のゾウの化石発見
 三重県は1月20日、鈴鹿市で約240万年前(更新世初頭)の新種とみられるゾウの牙や臼歯などの化石を発見したと発表した。この時期のゾウの化石がまとまった形で出てくるのは初めてで、進化の過程が明らかになる可能性がある。日本には大陸と地続きだったころゾウがいたが、約2万年前に絶滅した。昨年5月、同市の川岸で、散歩中の男性が牙の根元の化石を発見。その後の調査で臼歯やあばら骨なども発掘された。
 国内ではこれまで、300万~430万年前に生息していた国内最大級のミエゾウ(体高約4㍍)や、ミエゾウを祖先種とし、120万~200万年前に生息していた小型のアケボノゾウ(体高約2㍍)の化石が多く発見されているが、その中間の時代の地層からは十数点しか見つかっていなかった。化石は、4月に開館する三重県総合博物館で7~9月に公開する予定。

「越前和紙」民俗文化財に 山形の大松明行事も 文化審

「越前和紙」民俗文化財に 山形の大松明行事も 文化審
 文化審議会は1月17日、和紙の伝統的な産地、福井県越前市の「越前和紙の製作用具おいび製品」を重要有形民俗文化財に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。新年を迎えるための祭礼「松例祭の大松明行事」(山形県鶴岡市)など5件も重要無形民俗文化財に指定するよう求めた。近く答申通り指定され、重要有形民俗文化財は214件、重要無形民俗文化財は286件になる。
 このほか「常陸大子のコンニャク栽培用具および加工用具」(茨城県大子町)など4件を登録有形民俗文化財、また「植柳の盆踊」(熊本県八代市)など5件を、消滅の恐れがあるため記録を残すべき無形民俗文化財にするよう、それぞれ答申した。

初の復元修理終え秀吉とねねの木像公開 京都・高台寺

初の復元修理終え秀吉とねねの木像公開 京都・高台寺
 豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ=ねね)が夫・秀吉の菩提を弔うために創建したといわれる高台寺(京都市東山区)で1月10日、初めての復元修理を終えた秀吉とねねの一般公開が始まった。約400年前につくられた当時の色彩や紋様を再現した像を間近に見ることができる。木像は高台寺創建の1606年ごろの制作されたとされる。ねねの墓所でもある霊屋で公開されていたが、劣化が目立ってきたため、13年秋から京都市内の工房で修復されていた。

滋賀県の豪商「四居家」の土蔵から江戸時代の小判

滋賀県の豪商「四居家」の土蔵から江戸時代の小判
 滋賀県長浜市は1月14日、代々油問屋を営む豪商だった「四居家」の土蔵から江戸時代の小判など85点が見つかったと発表した。現在の価格に換算すると、約2000万円相当という。85点は慶長、正徳などの小判15枚や丁銀2枚、銀の粒などで、1600~1860年ごろのもの。13年10月、寄贈されて市の所有物になっている土蔵を改修した際、2階にあったたんすから発見された。たんすには隠し扉があり、小判や丁銀は紙に包まれて奥に隠すように仕舞われていたという。27日から長浜市曳山博物館で展示される。

フリーマーケットで7㌦の絵 実はルノワールの作品

フリーマーケットで7㌦の絵 実はルノワールの作品
 米南部バージニア州の地元裁判所は1月10日、同州の女性がフリーマーケットで7㌦(約730円)で購入したとする絵が、60年以上前に美術館から盗まれたフランスの印象派画家、ルノワールの作品であることが分かり、美術館への返還を命じる判決を言い渡した。ロイター通信などが報じた。絵は1879年に描かれたセーヌ河畔の風景画。1951年にメリーランド州ボルティモアの美術館から盗まれた。この絵は少なくとも2万2000㌦相当の価値があるとされる。
 女性は2009年に地元のフリーマーケットで買ったと主張。ルノワールのサイン入りだったが、本物だと気付かず、ゴミ袋に入れて保管していたという。ただ、この絵の入手の経緯を疑問視する見方もある。

難波宮に大規模回廊跡 奈良時代に女帝が滞在した新宮か

難波宮に大規模回廊跡 奈良時代に女帝が滞在した新宮か
 大阪市博物館協会大阪文化財研究所と同市教育委員会などは1月9日、奈良時代に聖武天皇が造営した難波宮跡(大阪市中央区)で、大規模な回廊の一部とみられる土壇跡や8世紀の瓦片が大量に見つかったと発表した。内裏から東南へ約60㍍の超一等地で、瓦葺きの回廊で囲んだ格式の高い施設があったとみられる。年代や位置からみて、聖武天皇の長女・孝謙女帝が756年に滞在した東南新宮の可能性がある-としている。土壇は長さ16㍍以上、幅約7㍍、高さは現状で約15㌢。回廊の基礎部分とみられ、仕切りを挟んで2本の通路が並ぶ「複廊」だったようだ。

大坂城再築用の石材の船着き場遺構 小豆島で確認

大坂城再築用の石材の船着き場遺構 小豆島で確認
 同志社大の文化遺産情報科学研究センターによると、江戸時代の大坂城再築用の石材を、潮の干満を利用して積み出したとみられる船着き場の遺構が、香川県の小豆島で確認された。積み出し港はこれまで見つかっておらず、巨石の搬送方法の解明につながる発見という。大坂城は豊臣氏が滅んだ1615年の大坂夏の陣で焼けた後、徳川幕府が諸大名に命じて再築を開始、29年に完成した。多数の石材が使われ、小豆島など瀬戸内海の島々から切り出されたことが分かっている。ただ、最大約100㌧ともいわれる巨石を積み出した方法は不明だ。
 今回同センターが小豆島周辺の海底調査を行ったところ、形状などから2つの岩は人工的に置かれたものと判明。周辺には桟橋を渡すために土台として置いたり、積み残したりしたとみられる石計約50個が散乱しているのも見つかり、2つの岩が石を積み出す船着き場だったと判断した。満潮時に船を2つの岩の間に挟み柱に係留した後、干潮時に桟橋を岩まで渡して石材を船まで運び、再び満潮になったときに出航したとみられる。

姫路で黒田官兵衛「大河ドラマ館」1/12オープン

姫路で黒田官兵衛「大河ドラマ館」1/12オープン
 NHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」の放送に合わせ、ドラマの世界を体感できる「ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館」の内覧会が1月10日、開かれた。ドラマ館は姫路城そばに建設され、面積は約500平方㍍。官兵衛が1年間幽閉された有岡城の土牢(つちろう)や物見櫓(やぐら)、官兵衛の居室などを再現。織田信長から宝刀を拝領する場面なども実物大の人形で表現している。このほか、撮影用衣装や小道具も見られる。12日から一般公開する。開館は午前9時から午後5時までで、高校生以上500円。

1/18に古事記・日本書紀にゆかりの5県知事サミット

1/18に古事記・日本書紀にゆかりの5県知事サミット
 奈良をはじめ古事記や日本書紀にゆかりある5県の知事は1月18日、東京・千代田区の日本教育会館で、歴史的な素材を地域づくりに生かす方法を議論する知事サミットを開く。東京五輪が開かれる2020年が日本書紀完成1300年にあたることから、今後の観光振興などについて話し合う。サミットは奈良県が主催する「首都圏記紀シンポジウム」の一環で、奈良、和歌山、三重、島根、宮崎の知事が参加する。

坂上田村麻呂造営の国史跡の堀誤って掘削 岩手県

坂上田村麻呂造営の国史跡の堀誤って掘削 岩手県
 盛岡市教育委員会は1月10日までに、平安時代、征夷大将軍として勇名を馳せた坂上田村麻呂が造営した国史跡「志波城跡」の堀の一部を岩手県が農業用水路の工事中に誤って掘削したと発表した。現場は志波城の建物群を囲んだとみられる外堀「外大溝」(幅約5㍍、深さ約2㍍)の南西部分。隣接地で用水路工事を進めていた県が13年12月20日ごろ、約15㍍にわたって遺構を損壊した。修復は難しいといい、文化庁に史跡の現状変更を届ける方針。

伊の古代都市ポンペイ市民は多様な食生活をしていた

伊の古代都市ポンペイ市民は多様な食生活をしていた
 米シンシナティ大の研究チームの調査によると、1900年以上前の火山の噴火で埋没したイタリア南部の古代都市ポンペイの市民が、キリンやフラミンゴの肉を食べ、穀物、果物、鶏卵、魚なども食す豊かで多様なものだったことが分かった。同チームは10年以上にわたり、ポンペイ遺跡の飲食店が集まる地区で発掘調査を実施。その結果、穀物や果物、木の実や鶏卵、魚などが一般的に食べられていたことを確認した。さらにウニやキリンの肉、スペイン産の魚の塩漬けやインドネシア産の香辛料など珍しい食品も食していたとみられることも分かった。

大河ドラマ「軍師 官兵衛」初回平均視聴率は18.9%

大河ドラマ「軍師 官兵衛」初回平均視聴率は18.9%
 2014年1月5日に放映されたNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」の第1回の平均視聴率は18.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だった。関西地区は23.0%だった。前年の綾瀬はるか(28)主演の「八重の桜」は初回21.4%だったが、これを下回った。東京地区ではここ10年で。12年の「平清盛」(17.3%)に次いで、2番目に低い数字のスタートとなった。戦国時代、織田信長が本能寺の変で自刃した後、急遽、頭角を現し、一気に天下統一の道を突き進んだ豊臣秀吉。この太閤にまで上り詰める秀吉を支えた天才軍師・黒田官兵衛孝高(よしたか)の生涯を、「V6」の岡田准一(33)を主役に配し描く。

京都・下鴨神社で新春恒例「蹴鞠初め」巧みな技披露

京都・下鴨神社で新春恒例「蹴鞠初め」巧みな技披露
 蹴鞠(けまり)を奉納する新春恒例の「蹴鞠初め」が2014年1月4日、京都市の下鴨神社で催された。保存会のメンバーら、伝統装束に身をまとった男女が鞠を高々と蹴り上げ、巧みな技を披露した。鞠が続けて宙を舞うごとに、見物客は歓声と拍手を送っていた。奉納後には6月に開催されるワールドカップ・ブラジル大会にちなみ、サッカーボールを使った蹴鞠も披露された。

隠岐で1200万年前の地層から二枚貝の新種の化石発見

隠岐で1200万年前の地層から二枚貝の新種の化石発見
 島根大と北海道教育大の合同チームは12月28日、島根県・隠岐諸島の1200万年前の地層から二枚貝の新種2種の化石が見つかったと発表した。「オキノホタテ」と「ゴダイゴソデガイ」と命名し、2014年1月発行の日本古生物学会の国際誌に掲載される。
 オキノホタテは大きさ2~8㌢で、ヤベホタテガイ属では最古の種となる。従来種に比べ、貝殻の扇状の広がりの角度が大きいのが特徴。ゴダイゴソデガイは、隠岐へ流罪になった後醍醐天皇にちなんで名付けられた。大きさ約1㌢と従来種より小さく、殻の模様が少ないことから新種と断定した。今回の2種は比較的水温の低い海の生息したとされる。当時は大陸と日本列島の間が隆起して陸続きになりつつあった時代で、対馬海峡から日本海に流れ込む暖流が少なくなり、水温が下がるなど環境が変化したと考えられるという。

『歴史くらぶ』が選ぶ2013年 10大ニュース

『歴史くらぶ』が選ぶ2013年 10大ニュース
①「卑弥呼の墓」解明へ 箸墓古墳など宮内庁が調査許可
②新宿で4000年前の縄文時代の人骨11体分発見
③藤原京跡北で古代の幹線道路「中ツ道」路面の遺構発見
④「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」世界記憶遺産に
⑤縄文人は普通に調理?土器の焦げ跡に魚を煮炊きした跡
⑥秀吉の「賎ヶ岳の合戦」戦略指示書発見 官兵衛も参戦
⑦現代語の新作能「世阿弥」上演 生誕650年記念
⑧南アでチンパンジーとヒトの特徴持つ猿人の骨格発見
⑨カンボジアでアンコールワットより古い巨大遺跡発見
⑩日本庭園の元祖 奈良・飛鳥京跡苑池の南池の全容判明

群馬の金井東裏遺跡で骨製小札を発見 よろいの一部か

群馬の金井東裏遺跡で骨製小札を発見 よろいの一部か
 群馬県埋蔵文化財調査事業団によると、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、動物の骨でつくられた小札(こざね)と呼ばれる短冊状の板が新たに見つかった。数十枚が連結された状態で、よろいの一部か付属品とみられる。骨製小札が見つかったのは国内で初めて。骨製小札は、1枚が縦6.6㌢、横約3㌢、厚さ数㍉。1段あたり十数枚が、3段にとじられていた。同遺跡からは、6世紀初め(古墳時代)の火山灰層からよろいを着けた男性の骨が出土しているが、この出土場所近くで、巻かれた状態で見つかった別の鉄製よろいの内部にあった。

カステラ箱から古墳時代の”一級品”金銅製馬具出土

カステラ箱から古墳時代の”一級品”金銅製馬具出土
 大正時代に三重県津市で、6世紀末~7世紀初頭の金銅製馬具が出土していたことが分かった。同市内の民家で長年、紙のカステラ箱に入れて保管されていた。奈良県橿原考古学研究所によると、現在は消滅した古墳の副葬品とみられる。竜や鳳凰の精緻な透かし彫りがあり、当時の一級品という。馬具は馬の口にくわえさせる轡(くつわ)、革帯をつなぐ辻金具など。1915年(大正4年)に警察に提出した「発掘届」もあった。出土地に有力豪族がいた記録はなく未知の有力者の存在を示す資料という。

襖絵10枚が円山応挙の作と確認 京都の美術館で公開

襖絵10枚が円山応挙の作と確認 京都の美術館で公開
 京都市の相国寺(上京区)が所蔵する襖(ふすま)絵が、江戸時代中期の画家、円山応挙の作品であることが確認され、12月20日、相国寺承天閣美術館で報道陣に公開された。円山応挙展後期展で21日から2014年3月23日まで一般公開される。襖絵は20枚からなり、寺の開山堂に飾られていた。うち雪景色の山里を描いた「雪中山水図」10枚が応挙作と分かった。応挙は当初、これらを京都御所の女院御所向けに制作。1807年に建物ごと相国寺に与えられ、寺は移築し開山堂として使っていた。寺の記録と応挙の弟子が残した制作記録とが一致した。

後桜町天皇しのび式年祭 歴代最後の女帝200回目の命日

後桜町天皇しのび式年祭 歴代最後の女帝200回目の命日
 後桜町天皇(1740~1813年)が亡くなって200回目の命日祭「式年祭」が12月24日、京都市東山区の泉涌寺の月輪陵(つきのわのみささぎ)と皇居で行われた。後桜町天皇は江戸時代中期の1762年、弟の桃園天皇が急逝したため、23歳で皇位を継承。桃園天皇の5歳の長男(後の後桃園天皇)を教育し、1780年に譲位した。歴史上、8人いた女帝のうち最後の女帝で、「大嘗祭(だいじょうさい)」を女帝として奈良時代の称徳天皇以来、約1000年ぶりに実施。和歌に秀で、約2000首を残した。生涯結婚せず、74歳で亡くなった。
 この日は月輪陵に入る檜皮(ひわだ)ぶきの唐門が特別に開かれ、そのすぐ下の儀式場で午前10時から宮内庁式部職楽部の楽師が笛や笙(しょう)、篳篥(ひちりき)で奏楽を開始。供物台に米や酒、餅、海の幸の鯛と昆布、里の幸の大根とにんじん、りんご、ようかん、塩、水を載せた三方9台が運ばれ、祭祀を執り行う掌典が祝詞を奏上した。
 続いて、天皇陛下からの供物として絹の反物が捧げられ、陛下の「ご祭文」を黒色の装束姿の勅使が読み上げた。関係者ら約40人が参列し、儀式は約30分で終了した。皇居でも天皇陛下らが拝礼された。

1300年前の東北最古級?の木簡出土 製鉄作業者の名簿

1300年前の東北最古級?の木簡出土 製鉄作業者の名簿
 宮城県教育委員会によると、宮城県山元町の熊の作遺跡から、製鉄作業に従事していた人を管理する名簿とみられる約1300年前の木簡が見つかった。東北地方で出土した木管の中では最古級という。木簡は一部が破損。上に「信夫郡安岐里人」、その下に「大伴部法麻呂」など4人の男性の名前が書かれていた。信夫郡安岐里は、福島市と福島県川俣町の境界付近に当たる地名。大宝律令の郡里制に基づく表記から、制度が施行されていた701~717年の木簡とみられる。
 遺跡では製鉄工房跡も確認されており、約40㌔離れた安岐里から製鉄作業に動員された人を管理する名簿と推測されるという。同県教委は8世紀初めに、律令制度による支配がこの地域に及んでいたことを示す貴重な史料としている。木簡は2014年1月26日まで山元町歴史民俗資料館で展示される。

兵庫県赤穂市で110回目「赤穂義士祭」ゲストに松平健さん

兵庫県赤穂市で110回目「赤穂義士祭」ゲストに松平健さん
 赤穂浪士が吉良上野介邸に討ち入った日に当たる12月14日、兵庫県赤穂市で「赤穂義士祭」が開催された。110回目となる今回は、大石内蔵助役のゲストとして俳優の松平健さん(60)が参加した。クライマックスは、47人の義士に扮した市民らが練り歩く「義士行列」。沿道には約8万人が詰めかけ、黒の羽織に刀を差し、討ち入り装束に身を包んだ松平さんはじめ参加者らは、笑顔で歓声に応えていた。

華やかな時代装束で奈良・春日大社の「春日若宮おん祭」

華やかな時代装束で奈良・春日大社の「春日若宮おん祭」
 奈良市の春日大社で平安時代から続く「春日若宮おん祭」(国重要無形民俗文化財)が12月17日行われた。おん祭は春日大社の境内にある若宮神社の例祭で、人々が飢饉と疫病に苦しんだ1136年、関白の藤原忠通が神霊に国の安泰を祈願したしたのが始まり。華やかな時代装束で約1000人が練り歩く「お渡り式」があり、多くの観光客が詰めかけた。

奈良・藤原宮跡で等間隔に並ぶ19の柱穴見つかる

奈良・藤原宮跡で等間隔に並ぶ19の柱穴見つかる
 奈良文化財研究所は12月19日、国内初の本格的な都城だった藤原京(694~710年)の中枢部・藤原宮跡(奈良県橿原市)で、等間隔に並ぶ19の柱穴が見つかったと発表した。柱穴は、天皇が執務した大極殿の南側、役人が儀式や政務を行った「朝堂院」の広場跡で発見された。石敷きの広場を東西方向54㍍にわたり3㍍間隔で直径約30㌢の穴が並んでいた。別の場所からは天皇の即位式や元日朝賀などで飾る幡(旗)を支えたとみられる柱跡が見つかっている。

ロシアで出土のネアンデルタール人の両親は近親か

ロシアで出土のネアンデルタール人の両親は近親か
 ドイツのマックスプランク進化人類学研究所などのチームは、12月19日付の英科学誌ネイチャー電子版に、ロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析したところ、両親は親戚関係のような近親とみられることが分かったと発表した。同チームは2010年、洞窟で見つかった長さ2.6㌢の足の指の骨から、DNAを採取してゲノム(全遺伝情報)を解読。特徴からネアンデルタール人と特定した。

弥生時代の環濠集落跡から鉄生産用の地上炉跡見つかる

弥生時代の環濠集落跡から鉄生産用の地上炉跡見つかる
 長崎県壱岐市教育委員会は12月14日、弥生時代の環濠集落跡「カラカミ遺跡」(壱岐市)で、鉄生産用の地上炉跡が見つかったと発表した。弥生時代の地上炉跡の発見は、国内で初めて。専門家は、弥生時代には明確に確認されていない製錬炉の可能性があると指摘、同市教委は今後も調査を進めるという。同市教委によると、炉跡は弥生時代後期(紀元1~3世紀ごろ)のもので、少なくとも6基が見つかった。床面に直径約80㌢の範囲で焼けた土が広がっており、床面に直接炉をつくる「地上式」と確認した。
 国内で確認されている炉は地下式で、カラカミ遺跡の炉は韓国の遺跡にみられる精錬炉跡に似ている。周辺からは鉄製品の加工時に発生する鉄片は見つかっていないため、鉄自体を精錬していた可能性があるという。日本では6世紀後半ごろ鉄の精錬が始まったとされている。壱岐市には『魏志倭人伝』に記された「一支(いき)国」の王都とされる「原の辻遺跡」もあり、カラカミ遺跡も一支国の集落だったとされる。

吉良邸討ち入り時の江戸庶民の話を近江商人が書簡に

吉良邸討ち入り時の江戸庶民の話を近江商人が書簡に
 江戸時代、元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きた赤穂浪士の吉良上野介邸討ち入りについて、江戸の庶民の間に飛び交った話を書き留めた近江商人の書簡が見つかり、話題になっている。書簡の日付は元禄15年12月15日。縦約20㌢、横約30㌢の折り畳んだ和紙に縦書きされている。差出人や宛先が書かれた包み紙はない。滋賀県日野町の近江商人の旧家に残されていたもので、古物商から購入した人が同町の町立近江日野商人館に鑑定を依頼した。
 書簡には、午前2時ごろ、吉良邸前で赤穂浪士が太鼓を打ち鳴らし「火事だ」と騒ぐと、奉公人などとして邸内に潜入していた4人が「かねて心得ていた通りに、門を開けた」などと記され、騒然とした江戸の町の様子が生き生きと伝わってくる。書簡は同館で2014年1月5~30日に公開される。

明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト

明治の道頓堀をCGで再現 関西大プロジェクト
 関西大学大阪都市遺産研究センター(大阪府吹田市)が、上方文化を発信した明示末~大正初期の大阪・道頓堀のにぎわいをコンピューター・グラフィックス(CG)で再現するプロジェクトを進めている。当時の写真に写った人物を合成し、動画で散策を楽しめる。時代考証も進め、2014年春の公開を予定している。同プロジェクトは2000年に解体された道頓堀のすし店の衝立屏風(縦82㌢、幅162㌢)が同大に寄贈されたのを機に11年1月に始まった。
 道頓堀はかつて浪花座や中座など「道頓堀五座」と呼ばれる芝居小屋を中心に栄えた。制作中の動画(8分弱)は堺筋~戎橋間約500㍍の通り沿いの建物や川などが再現される。

旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札

旧日本軍の真珠湾攻撃の戦果図4370万円で落札
 1941年の旧日本軍による真珠湾攻撃から12月7日で72年となるのを前に、部隊を指揮した淵田美津雄中佐が攻撃後に作製した戦果説明図が6日、ニューヨークで競売に掛けられ、42万5000㌦(約4370万円)で落札された。AP通信が報じた。戦果図は縦約80㌢、横約60㌢の紙に「軍極秘」と赤字で記され、攻撃を受けた米艦船の名前や位置、被弾させた爆弾と魚雷の数などが書き込まれている。落札者は明らかになっていない。
 淵田中佐は「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)の電文を打ったことで知られる。主催した競売大手のクリスティーズは広報資料で、昭和天皇に図を指差しながら説明したと振り返る淵田中佐の自伝を引用している。

富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘

富山市でよろい竜?の足跡の化石を発掘
 富山市科学博物館は7日までに、富山市内の地層でよろい竜(アンキロサウルス類)とみられる足跡の化石を発掘したと発表した。大きさは前足が長さ19㌢、幅21㌢。後ろ足は長さ32㌢、幅44㌢。軟らかい地面を歩いた際のものとみられ、前足部分の深さは7㌢あった。よろい竜は草食で、身を守るため、骨で背中が覆われているのが特徴。昨年10月に富山市大山地区の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層で前足と後ろ足の1組が見つかり、今年11月に掘り出した。
 アンキロサウルス類の化石は熊本県御船町で歯が、北海道夕張市で頭骨が見つかっている。

京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に

京都・北野天満宮の楼門の額、初の修復 90年前の姿に
 京都市上京区の北野天満宮で南側の楼門に掲げられている額の修復工事が終わった。修復は約90年前の奉納以来で初めてといい、当時の姿が蘇った。額は幅120㌢、高さ185㌢。樹齢1000年以上というケヤキの一枚板に彫られている。1921年に日本画家の富田渓仙らが奉納。楼門上部は網が張られ、額の取り外しができないため、10月から約2カ月かけて門に掛けたまま汚れを落とし、漆を塗って金箔を貼った。

36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認

36億年前 火星に湖があった NASA無人探査機で確認
 米航空宇宙局(NASA)の研究チームは、約36億年前の火星に微生物などの生命を育むことができる湖があったことを無人探査機「キュリオシティ」で確かめたと12月9日、米科学誌サイエンスに発表した。昨年8月に火星のクレーターに着陸したキュリオシティの観測結果を分析。着陸地点から約450㍍離れた「イエローナイスベイ」と呼ばれる深さ5㍍ほどのくぼ地に、水を湛えた湖が少なくとも数万年にわたって存在したと結論付けた。
 微生物の痕跡そのものは見つかっていないが、NASAはさらに生命活動の直接の証拠を探す方針。キュリオシティは着陸地点から緩やかに傾斜しているくぼ地に向けて走りながら、岩石や地形を分析。水が流れたような痕跡を複数見つけたほか、湖に川が流れ込む場所に特有の細かい泥が溜まってできる堆積岩をくぼ地内で確認した。堆積岩は少なくとも4平方㌔の範囲に広がっていた。NASAは、新たな探査機を火星に送り込み、有望なサンプルを地球に持ち帰ることも構想している。

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見

グリーンランドで38億年前の最古の生物の痕跡を発見
 東北大の掛川武教授とデンマークのコペンハーゲン大のグループは、グリーンランドの岩石の中から、38億年前の海に暮らしていたとみられる生物の痕跡を発見した。12月8日付の英科学誌ネイチャージオサイエンス(電子版)に発表した。これまでに見つかった最も古い痕跡は34億年前だった。研究グループは2004年、グリーンランド西部イスア周辺にある溶岩の中から、海で堆積してできたとみられる岩石を採取。炭素の結晶を取り出して詳しく分析した。
 掛川教授は生物は細菌類のような微生物で、海底に沈殿した岩石が溶岩の熱にさらされたのではないか-と分析している。痕跡が見つかった岩石は37億年前のものだが、長い時間かけてできるため、微生物は38億年前には存在した可能性が高いとみている。

赤穂浪士の吉良邸討ち入りの図 12月2日から公開

 皇室に伝わる古文書など約39万点を所蔵する宮内庁書陵部の図書寮文庫は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の題材で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関する資料6点を、12月2日から同庁のホームページ(HP)に初めて掲載する。公開されるのは討ち入り時の「吉良上野介屋敷図」や、大石内蔵助らが徳川幕府に事件の経緯を語った「浅野内匠頭家来□上書等」など江戸後期から幕末に作られた写本。細かい間取りを示した屋敷図には、討ち入り時の各浪士の配置が赤い文字の名前で記されている。
 討ち入り事件は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主・浅野内匠頭の仇討ちのため、大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)、現在の東京都墨田区にあった吉良邸を襲撃した。

恭仁宮の朝堂院は木の板で囲った基壇に建てられていた

 京都府教育委員会は11月30日までに、聖武天皇が造営した恭仁宮(京都府木津川市、8世紀前半)の中枢部にあたる朝堂院跡の建物は、木の板で囲った基壇に建てられていたことが分かったと発表した。木製基壇は近江国庁跡(大津市)、遠江国分寺(静岡県磐田市)でも見つかっている。同府教委によると、朝堂院跡で、南北一列に並んだ5つの柱穴を確認。北端の柱だけ他の4本と比べて細いうえ、接するように板を立てた跡とみられる幅20㌢の溝があった。このことから北端の柱は建物があった基壇の土が崩れないように建てられた板を支える束柱で、木製基壇と判断した。
 北端の柱穴は50㌢四方、ほかの4本の柱穴は1㍍四方の大きさだった。柱穴は昨年見つかった建物跡の東側の一部とみられ、建物の規模は東西18㍍、南北15㍍のほぼ正方形だったとみられる。当時は細長い建物が一般的で、ちょっと異例だが、聖武天皇が災厄から逃れるために遷都を繰り返しただけに、都の適地選定には限界があって、同府教委では平城宮に比べて狭く、苦肉の策だったのではないか-とみている。

キトラ古墳埋め戻す 16年度に墳丘の一部を再現へ

 文化庁は11月29日、極彩色壁画の発見から30年を迎え、史跡整備に向けた作業が進む奈良明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)で、石室付近を埋め戻す様子を公開した。振動を与えないよう重機は使わず、職人が木づちや突き棒で石灰入りの土を厚さ8㌢ずつ突き固める作業を繰り返していた。高さ2.1㍍までを約15立方㍍の土で埋め戻す予定。文化庁によると、今後、古墳を覆っている仮設の保護施設を撤去し、2016年度に墳丘の一部を再現する予定。壁画は保存処理を終えた後、明日香村の国営飛鳥歴史公園内に完成予定の施設で公開する。

14年2月に奈良で茶人・村田珠光に因む「第1回珠光会」

 室町時代の茶人で茶道の礎を築いたとされる奈良出身の村田珠光(じゅこう)にちなみ、大茶会「第1回珠光会」が2014年2月12~16日、奈良市内で開かれる。奈良市などでつくる実行委員会が11月29日、その概要を発表した。春日大社や東大寺、元興寺、唐招提寺、薬師寺など7社寺で、表千家や裏千家など4流派が茶席を設け、約5000人の来場を見込む。茶道と日本のもてなし文化に関するシンポジウムも開催する。事前に販売する茶券は出席できる茶席数や食事の有無などにより5000円、3000円、1000円の3種類がある。

40万年前の人骨から人類最古のDNAを抽出 独チーム

 独マックスプランク研究所などのチームは、スペイン洞窟で発見された古い人骨からDNAを取り出し、遺伝子情報を解読することに成功したと、12月5日の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。分析の結果、約40万年前の人類と分かった。DNA分析はこれまで、猿人から原人、旧人、現代人へという進化段階のうち求人の段階にとどまっていたが、今回は原人の時代(200万~30万年前)まで遡り、最古の例になるという。
 洞窟からは28体分の骨が見つかった。欧州最古の人類で、原人と旧人の中間にあたるハイデルベルク人とみられる。研究チームは保存状態のよい大腿骨から、細胞内の小器官「ミトコンドリア」のDNAを取り出して解読した。これを旧人である欧州のネアンデルタール人(20万~3万年前)とシベリアのデニソワ人(5万~3万年前)のDNAと比較。長い年月の間に生じた変化の量などから洞窟の人類は約40万年前のものと断定した。この人類が」デニソワ人の祖先と70万年前に枝分かれしたことも分かった。

宗祖隠元が隠居した「松隠堂」を初公開 宇治・万福寺

 黄檗宗大本山・万福寺(京都府宇治市)で、宗祖隠元が隠居した松隠堂の修復工事が終わり11月22日、報道陣に公開された。1661年の創建以来、松隠堂の公開は初めて。京都府教育委員会によると、松隠堂は開山堂、庫裏、裏門などの建物から成り、64年に境内の別の場所に建てられ、94年に現在の場所に移された。昨年までに庫裏と裏門が修復され、約320年前の移築時の姿が蘇った。江戸時代中期に瓦に葺き替えられた庫裏の屋根は、薄い木片を重ね合わせる「こけらぶき」に戻した。
 万福寺は、中国から招かれた隠元が開き、建物や儀礼も中国風で知られる。64年に隠居し、73年に亡くなるまで松隠堂で過ごした。

バーミヤン仏教遺跡で日本隊が7世紀?の新石窟発見

 日本の考古学の専門家らは11月25日までに、アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン仏教遺跡で、7世紀ごろに造営されたとみられる石窟を新たに発見した。石窟は遺跡の中心部から約3㌔離れた谷にあるが、ドーム状の天井と八角形の部屋を持つ様式は中心部の石窟と同じ。新たに石窟が見つかったのは、2001年に破壊された2体の大仏がある中心部の石窟から西へ約3㌔のフォラディ谷。調査の結果、石窟は奥行き約4.5㍍の八角形の部屋に高さ約4.5㍍のドーム天井を持つ「円蓋八角堂」とみられ、祈りの場として使われていたと考えられる。