平城宮・東院地区で回廊跡見つかる 光仁天皇宮殿か
奈良文化財研究所は奈良市の平城宮跡(8世紀)で、続日本紀に登場する光仁天皇の宮殿「楊梅宮(ようばいきゅう)」のものとみられる回廊状建物の跡を見つけたと発表した。建物跡は幅6㍍、東西約96㍍、南北約86㍍以上が区画されていたとみられる。場所は平城宮東側の東院地区で、皇太子の居所「東宮」や天皇の宮殿があったとされる。
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明治政府 1873年万博 出品 大名屋敷 模型 復元
明治政府が1873年の万博に出品した大名屋敷の模型を復元
ウィーンのハプスブルク家の王宮内にある民族学博物館の倉庫で、明治政府が1873年のウィーン万博に出品した大名屋敷の木造模型が見つかり、博物館は修復することを決めた。同博物館は2016年ごろに開く日本常設展の目玉として、約140年ぶりに一般公開する。修復に関するノウハウを持つ京都工芸繊維大学が作業に協力するという。今回見つかった模型は、実物の18分の1程度の大きさで、土台の幅が約3㍍、奥行きが約4.6㍍。日本が出品した約6000点のうちでも最大の部類。御殿のほか、白壁の長屋門や能舞台、高さ約70㌢の火の見やぐらも付いており、全体を3つに分けて保存されていたという。
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女優・高峰秀子さんの未発表随筆発見
女優・高峰秀子さんの未発表随筆発見
映画「二十四の瞳」「浮雲」など映画史に残る作品に主演した女優で、エッセイストとしても知られた高峰秀子さん(1924~2010年)の未発表のエッセイが、東京都港区の自宅で見つかった。1958年に夫で映画監督の松山善三さんと欧州旅行した際の旅行記で、新潮社から「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」のタイトルで3月30日に刊行される。旅行記は、ベネチア国際映画祭に出席するために日本を発った1958年8月24日から、フランスやドイツ、スペインなどを回って帰国した翌年3月28日までの約7カ月間にわたる。各地の食べ物や買い物、映画の感想が淡々と綴られている。パリで画家の藤田嗣治に絵を描いてもらうなど、幅広い交友関係もうかがわれる。
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宮都支えた製鉄炉を再現 大津市・源内峠遺跡
宮都支えた製鉄炉を再現 大津市・源内峠遺跡
滋賀県大津市郊外、びわ湖文化公園の片隅に、源内峠遺跡(大津市)で見つかった7世紀後半の製鉄炉が再現されている。一見オブジェのようにも見える、楕円形の塔の群れがそれだ。一帯は7~8世紀の製鉄や製瓦陶に関わる遺跡が集中。現代風に表現すれば、当時の都、奈良県の飛鳥京や藤原京などへ物資を供給する古代のコンビナートだったとみられ、「瀬田丘陵生産遺跡群」として国史跡となっている。
源内峠遺跡もその一つで、製鉄炉跡が4基見つかっている。炉は粘土積みで長さ2.5㍍前後、幅30㌢前後、高さは推定1㍍余り。砕いた鉄鉱石と木炭を投入して点火し、側面に並ぶ穴からふいごで空気を送り込んで温度を1200~1400度まで高める。不純物(鉄滓=てつさい)を炉外に排出し、最後に炉壁を取り壊して、底に溜まったケラ(鉄素材)を取り出したと考えられる。15年前の発掘では鉄滓が15㌧も出土したという。炉の復元は地元住民らで組織する「源内峠復元委員会」によるもの。
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形・規模似 京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳
形・規模似た京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳
向日市埋蔵文化財センターは2月28日、国内最古級の前方後円墳の元稲荷古墳(京都府向日市、3世紀後半)が、同時期の西求女塚古墳(神戸市灘区)と形も規模もほぼ同じことが分かったと発表した。1月からの調査で、元稲荷古墳の全長は94㍍、後方部の幅は50㍍、後方部とつながるくびれ部の幅は23㍍と判明。西求女塚古墳は全長98㍍、後方部の幅は50㍍、くびれ部の幅は25㍍。したがって、2つはほぼ同じ大きさで、ここまで似ている例は極めて珍しいという。同センターはそれぞれの被葬者は大和政権の同じランクに属し、どちらも政権が派遣した同じ職人集団が設計したのではないか-としている。
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卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
考古学、歴史学の15の研究者団体の16人は2月20日、宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説があり、邪馬台国論争に深く関わる研究の進展つながるとみられる。研究者らは約1時間半かけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。箸墓古墳は全長約280㍍。最古段階の前方後円墳で、全国の巨大古墳のモデルになったとの説が有力だ。
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墳丘堤の外に石敷き 奈良・橿原 菖蒲池古墳
墳丘堤の外に石敷き見つかる 奈良・橿原の菖蒲池古墳
奈良県橿原市教育委員会は2月20日、同市の菖蒲池古墳(7世紀半ば、方墳)で、墳丘を囲むとみられる盛り土や、その外側に施された石敷きが見つかったと発表した。石敷きは墳丘の東西約20㍍の場所で、堤とみられる盛り土に沿って東西2㍍、南北4.5㍍分が見つかった。この時期で立派な石敷きがあるのは宮殿と寺院だけという。
通常は堤までが古墳の範囲とされ、さらに外側から施設が見つかるのは極めて異例。堀の幅は古墳正面から奥に行くほど狭くなることも判明。正面から見た際の遠近感を出す工夫とみられる。こうした手の込んだ造りから、古墳の被葬者は649年、無実の罪により山田寺で自害した蘇我倉山田石川麻呂や、皇族などとする説がある。
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「卑弥呼の墓」解明へ 箸墓古墳など宮内庁が調査許可
「卑弥呼の墓」解明へ 箸墓古墳など宮内庁が調査許可
宮内庁は2月13日、日本考古学協会など考古・歴史学系の15の研究者団体に、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とされる箸墓古墳(奈良県桜井市)と、その後継者・壱与の墓とされる西殿塚古墳(同県天理市)の立ち入り調査を許可したと発表した。調査は20日に実施される。
両古墳は最古段階の巨大前方後円墳で、墳丘の詳しい形態など不明な点が多い。箸墓古墳は全長約280㍍で、宮内庁は第7代・孝霊天皇の皇女の墓として、西殿塚古墳は全長約230㍍で、宮内庁は第26代・継体天皇の皇后、手白香皇女の墓として、それぞれ管理している。3世紀中ごろから4世紀初めに築造されたとみる説が有力だ。
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各地に「山田方谷を広める会」設立で盛り上がる
各地に「山田方谷を広める会」設立で盛り上がる
幕末、備中松山藩(現在の岡山県高梁市ほか)の財政を建て直した陽明学者、山田方谷(やまだほうこく、1805~1877年)の事績をもっと幅広く知ってもらおうとの動きが目立ってきた。地元岡山県の関係者は、NHKの大河ドラマ化を求めて署名運動を展開するほか、各地に昨年から「山田方谷を広める会」が設立されているという。
方谷は農民の子に生まれながら、松山藩板倉家の家老にまで出世。幕府の老中に就いた藩主・板倉勝静(いたくらかつきよ)を通じて幕政にも関わったほか、藩主に代わり危機的状況にあった藩財政を立て直すなど抜本的な藩政改革を推進した人物だ。全国的な知名度はいまひとつだが、戊辰戦争の折、執政として越後長岡藩を率いた河井継之助など明治維新期の著名人に思想面で大きな影響を与えた。また教育面でも大きな足跡を残した。