興福寺の阿修羅像が36万7000円のプラチナ製メダルに

興福寺の阿修羅像が36万7000円のプラチナ製メダルに
 仏像ファンに圧倒的人気の興福寺(奈良市)の阿修羅像が36万7000円のプラチナ製メダルで登場した。表には3つの顔を持った阿修羅像の上半身を浮き彫りにし、裏には東金堂と五重塔をデザイン。造幣局(大阪市)が貨幣の製造や偽造防止の技術を生かし、難易度の高い表情を描き出した。プラチナ製は300枚、純銀製も2万4000円で3000枚販売する。

伊達政宗の遣欧使節派遣から400年 イベントで盛り上がる

伊達政宗の遣欧使節派遣から400年 イベントで盛り上がる
 支倉常長が仙台藩主・伊達政宗の命を受け、慶長遣欧使節を率いてスペインに向け出帆したのは1613年(慶長18年)10月28日 。今年は400周年の節目の年にあたる。両国で交流記念事業が相次ぎ、中でも日本では仙台市や石巻市など宮城県内でイベントが盛り上がりをみせる。
 石巻市の渡波(わたのは)の高台にあるサン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)。東日本大震災の被害を受けて休館中だが、11月3日の再開に向け復旧工事が急ピッチで進められている。慶長使節の渡航船「サン・ファン・バウティスタ号」の航海シミュレーションシアターなどがある。同館近くの入り江には再建工事中のサン・ファン号の復元船(総トン数500㌧)が11月3日の公開を静かに待っている。松島の庭園の美しい円通院近くの「みちのく伊達政宗歴史館」では慶長使節パネル展を実施中だ。
 仙台城三の丸跡に立地する仙台市博物館でのお目当ては今年6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録された慶長使節の国宝3点。支倉常長像、ローマ教皇パウロ5世像、ローマ市公民権証書だ。慶長使節関連の国宝47点も常設展示されているが、10月4日~11月17日にはスペイン、イタリアから貸与された資料も含めて特別展が開かれる。このほか、仙台城跡に立地する青葉城資料展示館でも、来年3月末まで慶長使節記念の写真展が開かれている。

イコモスの調査員が富岡製糸場など現地調査を開始

イコモスの調査員が富岡製糸場など現地調査を開始
 2014年の世界文化遺産登録を目指す群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の保全状況などを調べるため、国際記念物遺跡会議(イコモス)の調査員による現地調査が9月25日、始まった。イコモスはユネスコの諮問機関で、調査員は中国国立シルク博物館の館長を務める絹産業専門家の趙豊氏。文化庁や群馬県職員ら約20人とともに富岡製糸場を訪れ、赤レンガの繭倉庫などを視察した。近代養蚕農家の原型となった同県伊勢崎市の田島弥平旧宅も調査する予定。富岡製糸場は1872年に設立された官製製糸場。 

台風で惨禍の京都・嵐山渡月橋を元の姿に 流木を撤去

台風で惨禍の京都・嵐山渡月橋を元の姿に 流木を撤去
 京都に「大雨特別警報」が出た台風18号による大雨で、大きな被害に遭った京都の観光名所・嵐山で9月26日、渡月橋の橋脚や杭(くい)に絡まった流木やごみを重機を使って取り除く作業が始まった。午前8時過ぎ、京都市が委託した業者が、渡月橋の上に止めたクレーン車で小型重機を持ち上げて川に下ろし、重機が何重にも絡まった木の枝をはぎ取った。作業は27日までに終了予定。市の担当者は「渡月橋を元の姿に戻し、早期の復旧をアピールしたい。多くの方に、以前のように美しい景観を写真に撮っていただければ」と話している。

5世紀の文字が刻まれた須恵器 石川県・和田山23号墳から出土

5世紀の文字が刻まれた須恵器 石川県・和田山23号墳から出土
 石川県能美市教育委員会は9月19日、同市の能美古墳群の和田山23号墳(国指定史跡)から出土した古墳時代中期(5世紀末)の須恵器2個に、「未」と「二年」の文字が記されていたことが分かったと発表した。同市教委によると、文字が刻まれた須恵器としては日本最古という。口径約10㌢、高さ約15㌢の小型のつぼから、約2㌢四方の「未」の文字が見つかったほか、食物を盛る高つきのふたに縦書きで「二年」(縦3.5㌢、横1.3㌢)と刻まれていた。
 文字は須恵器を焼き上げる前に刻んだとみられることから、同市教委は工人などより広い階層に文字が普及していたことを示す史料としている。須恵器は5世紀初頭ごろに朝鮮半島から伝わった。当時の北陸地方は朝鮮半島と交流があったと考えられている。須恵器の生産技術のほか、漢字や暦といった先進的な文化を、北陸の豪族が積極的に受け入れていたことがうかがえる。

2.1億年前,直径7.8㌔隕石が地球に衝突 生物の大量絶滅に

2.1億年前,直径7.8㌔隕石が地球に衝突 生物の大量絶滅に
 九州大と熊本大などのチームは9月16日付の英科学誌に、約2億1500万年前に最大で直径7.8㌔巨大隕石が地球に衝突したとの研究結果を発表した。岐阜県と大分県の地層で隕石の成分を見つけ、地球の広い範囲に降り積もったとみて大きさを推定した。その結果、生物の大量絶滅につながった可能性があるという。約6500万年前に直径10㌔程度の隕石が地球に衝突、恐竜絶滅の原因とみられており、今回はそれに次ぐ規模。
 チームは昨年、岐阜県坂祝町の川沿いで、また今年1月に大分県津久見市の海岸沿いでそれぞれ隕石衝突の痕跡を見つけた。これは「オスミウム」という金属元素で、地表では非常に少ないが、隕石には多く含まれる。両県の地層には高い濃度で含まれていた。「同位体」という成分の比率を分析すると、地表に存在するものと異なっており、隕石に含まれていたものと判断した。過去の研究から、隕石の酒類ごとに大きさとオスミウムの量には一定の関係があることが判明しており、隕石の直径を3.3~7.8㌔と算出した。重さは約5000億㌧と推定される。約2億~2億3700万年前には生物の大量絶滅が起きている。

軍艦島や八幡製鉄所など明治日本の産業革命遺産を推薦へ

軍艦島や八幡製鉄所など明治日本の産業革命遺産を推薦へ
 政府は9月17日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦する世界文化遺産の候補を「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に決めた。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と比較したうえで選んだ理由として、菅義偉官房長官は産業革命遺産が「日本がものづくり大国となる基礎をつくった歴史を物語る」と指摘した。
 月末までに暫定版推薦書をユネスコに提出し、2015年度の世界遺産委員会で登録の審査を受ける運びだ。産業革命遺産は「軍艦島」として有名な長崎市の端島炭坑など幕末から明治にかけての重工業の発展を刻んだ施設群で構成している。福岡や鹿児島、熊本など8県にまたがり、現在も稼働している八幡製鉄所(北九州市など)や長崎造船所(長崎市)を含んでいる。

イコモスが25~26日,遺産登録候補の群馬・富岡を現地調査

イコモスが25~26日,遺産登録候補の群馬・富岡を現地調査
 文化庁は、国際記念物遺跡会議(イコモス)の調査員が9月25日から2日間の日程で、2014年の世界文化遺産登録を目指す「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を現地調査すると発表した。イコモスは国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関。調査員は中国人の絹産業の専門家で、富岡製糸場などを訪れ、施設の保全状況などを確認する。現地調査を踏まえ、イコモスは来年5月上旬ごろ、世界遺産に登録すべきかを勧告する。ユネスコは勧告を受け、同年6月ごろに開く世界遺産委員会で登録の可否を決める見通しだ。

元寇の沈没船の部材 塩抜き10年 保存法を模索 長崎・鷹島

元寇の沈没船の部材 塩抜き10年 保存法を模索 長崎・鷹島
 長崎県松浦市の鷹島埋蔵文化財センターに設置された大型水槽に巨大な木材が沈められている。2002年、同島沿岸の港湾工事に伴う発掘で海底から出土した元寇(げんこう、13世紀)の沈没船の部材だ。最大のもので長さ約4㍍超。隔壁板とみられる。水漬けにして10年以上。塩分を抜くためだが、樹脂含浸や凍結乾燥など保存処理に移ろうにも、これほど大きな遺物が入る装置がない事情もある。
 発掘では約600点の木製品を引き揚げたが、保存処理を終えたのは3分の2にとどまる。どう処理すればよいか、まだ見定められない遺物が多いのが一因だ。鉄釘(くぎ)が打たれた木材は処理の前に塩分を抜かないと、変色やさびのおそれがある。だが、中心部まで塩分が除去できたか、非破壊で確かめる方法はまだない。また、船の部材にチークなど南洋材が多いが、国内で出土例がなかったため、保存技術は未確立だ。

織田作之助の代表作「夫婦善哉」の草稿や日記 遺品から発見

織田作之助の代表作「夫婦善哉」の草稿や日記 遺品から発見
 大阪歴史博物館は9月13日、織田作之助(1913~47年)の代表作「夫婦善哉」の草稿や、「続夫婦善哉」の執筆時に書いた日記など約10点が新たに見つかったと発表した。今年生誕100年を迎える”無頼派”作家の創作過程が分かる貴重な資料だ。 生誕100周年の記念事業推進委員会が、遺品を保管していた織田の養女、織田禎子さん(千葉県船橋市在住)から入手した。「夫婦善哉」の鉛筆書きの草稿は9枚で、タイトルが「めおとぜんざい」と平仮名書きになっている。主人公も蝶子が「春枝」、柳吉が「兵吉」と異なり、春枝が中心に描かれている。41年の日記からは、同年6月10日から7月4日までほぼ毎日、「続夫婦善哉」の原稿を書いて作品を完成させたことが分かり、執筆年の特定につながるという。 草稿などは9月25日から10月18日まで、同博物館の「織田作之助と大大阪」展で展示される。

徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う

徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う
 日本と英国の間で交流が始まって400周年を迎えたのを祝って、徳川家康像などをあしらった金と銀の記念硬貨が9月8日発行された。片面にエリザベス女王の横顔、もう片面に東インド会社の船を背景にしてジェームス1世と家康の像を並べたデザイン。24金製の50ペンス硬貨と銀製の5ペンス硬貨の2種類があり、各400枚の限定販売。価格は金貨が755ポンド(約11万7000円)、銀貨が59ポンド95ペンス。家康が描かれた硬貨の発行は日本を含めて初めてという。日英交流は当時の英国王ジェームス1世から江戸幕府への親書などを託された東インド会社の船が1613年6月に長崎県平戸市に到着して始まった。9月8日は英国の使節団代表が徳川家康と面会した日にあたる。

「鹿ケ谷の陰謀」に加わった俊寛の自筆書状を初公開

「鹿ケ谷の陰謀」に加わった俊寛の自筆書状を初公開
 1177年、平氏打倒を図った「鹿ケ谷の陰謀」に加わり流罪となり、能や歌舞伎の演目でも有名な平安時代末期の僧侶、俊寛の自筆書状(陽明文庫所蔵)が、京都市の京都文化博物館で9月14日から始まる展覧会「近衛家 王朝のみやび 
 陽明文庫の名宝3」で初めて公開される。東京大史料編纂所の尾上陽介准教授が平信範(1112~87年)が書いた日記「兵範記」の裏面から今年1月、確認した。俊寛の自筆書状はこれまで確認されていなかった。兵範記は重要文化財に指定されている。

島根で2000万年前 東アジア最古の巨大ワニの化石発見

島根で2000万年前 東アジア最古の巨大ワニの化石発見
 島根県立三瓶自然館は9月12日、同県隠岐の島町で巨大ワニとしては東アジア最古となる約2000万年前の化石の一部を発見したと発表した。マチカネワニの祖先とみられ、全長は推定7㍍。見つかったのは第3、4胸椎部分の2つの骨で、長さ約21㌢、高さ約18㌢。同館では、もともと小型だったマチカネワニが巨大化した時期を特定するうえで、貴重な資料としている。

明日香村「酒船石」に立体的な映像を投映する試験演出

明日香村「酒船石」に立体的な映像を投映する試験演出
 奈良県明日香村の古代の謎の石造物「酒船石(さかふねいし)」(国史跡)に立体的な映像を投映する試験演出が9月11日夜、行われ、朱雀や揺らめく水などの映像が飛鳥の地の闇に浮かび上がった。これは14~15日に開催されるイベント「飛鳥光の回廊2013」の試験演出で、石が重ねてきた記憶に現代のイメージを投影し、古代と現代の融合を試みたもの
-という。酒船石は明日香村に数多く残る石造物の一つで、長さ約5.5㍍、最大幅約2.3㍍、高さ約1㍍の花崗(こう)岩。何のために使われたのかは分からず、謎に包まれているが、水を使った祭祀(さいし)施設だったなど諸説ある。

ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800年の大型石彫発見

ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800年の大型石彫発見
 国立民族学博物館(大阪府吹田市)の関雄二教授は9月6日、南米ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800~同500年ごろの大型石彫が見つかったと発表した。石彫は神殿跡で見つかり、高さ約1.6㍍の棒状。大きな目に口を開いて牙を見せたジャガーのような頭部と、両手を合わせ祈るような人間の体が組み合わされていた。古代アンデス文明ではジャガーは神聖で霊的な存在として崇められてきた。関教授は、動物の霊的存在と交流した宗教的リーダーが権力を発揮していた-とみている。

大震災直後、避難所開設を後藤新平に直訴した男性が詳細を記録

大震災直後、避難所開設を後藤新平に直訴した男性が詳細を記録
 9月1日で発生から90年を経過した関東大震災で被災しながら、当時、震災復興を担った後藤新平内務相に避難所の開設を訴え、東京・芝浦で約1万8000人を支援した民間人男性が、被災の様子、収容人数などを記録し、残していた詳細な資料が見つかった。民間避難所を運営し、被災者の収容記録を残したのは、現在の東京都港区でランプの販売会社を営んでいた故今井諦氏。1977年に92歳で亡くなったが、娘の西脇孝子さん(72)らが原本を父の故郷で保管、複本を手元に置いていた。
 焼け野原となった東京都心の街中の情景、今井氏の心境、震災4日後、友人とともに後藤内相の私邸を訪ね、避難所開設の賛意を得たこと、東京高等工芸学校(現・千葉大工学部)を「芝浦避難事務所」とすることが許され、私財を投じた今井氏が責任者に就いたこと、避難所開所から閉鎖までの約1カ月間の日ごとの収容人数などが詳細に綴られている。当時を知る貴重な資料だ。

明日香村の甘樫丘で7世紀中ごろの蘇我氏(?)の建物跡発見

明日香村の甘樫丘で7世紀中ごろの蘇我氏(?)の建物跡発見
 奈良文化財研究所は9月5日、飛鳥時代の有力豪族、蘇我氏の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)東側の麓で谷を埋め立てて建てた7世紀中ごろの建物跡を見つけたと発表した。建物跡は大小2棟あり、高床式の構造で小型の倉庫かやぐらなどだったとみられる。谷を埋め立て5.5㍍以上の盛り土をして平坦地を造成してあった。南西の谷でも造成工事の痕跡が見つかっており、同研究所では当時、甘樫丘全体を大規模に造成していた可能性が高いとみている。

京都の桃山時代の大名屋敷跡で金箔が貼られた軒丸瓦など出土

京都の桃山時代の大名屋敷跡で金箔が貼られた軒丸瓦など出土
 民間団体「古代文化調査会」(神戸市)によると、京都市上京区の桃山時代の大名屋敷跡で、金箔が貼られた軒丸瓦など100点以上の瓦片が出土した。軒丸瓦の破片に橘の花をかたどった家紋があり、豊臣五奉行の一人、前田玄以の屋敷とみられるという。屋敷跡は秀吉が公邸として築いた城郭・聚楽第と御所を東西に結ぶ当時のメーンストリートの一等地。派手好きの豊臣秀吉との親しさを強調するために金箔を使ったのではないかとみられる。

12世紀前半に京都・浄瑠璃寺本堂を移築 文献通り確認

12世紀前半に京都・浄瑠璃寺本堂を移築 文献通り確認
 京都府木津川市教育委員会は9月4日、同市の浄瑠璃寺で、12世紀前半に高さ約1㍍にわたり土を盛って造成し、国宝・本堂が移築されていたことが分かったと発表した。現地説明会は7日午前11時と午後2時。寺の変遷を記した室町時代の文献「浄瑠璃寺流記」(重要文化財)には「保元2年(1157年)に本堂を西岸の辺壊し移す(移築した)」などと記されており、その記述を裏付ける発見という。本堂の下を発掘したところ、土が層状になっており、地面の約50㌢下から、直径50~60㌢、高さ85㌢の井戸のような石組み遺構が見つかった。石の間にあった土器1点から、盛り土された時期を12世紀前半と特定した。

新作能「世阿弥」能楽ゆかりの奈良・大淀町で7日上演

新作能「世阿弥」能楽ゆかりの奈良・大淀町で7日上演
 能楽の大成者、世阿弥を現代の視点で哲学者の梅原猛さんが書いた新作能「世阿弥」が9月7日、奈良県大淀町の同町文化会館で上演される。同町は世阿弥が活躍した室町時代初期、能楽の座の一つ「桧垣本猿楽(ひがいもとさるがく)」が拠点にしており、能楽のゆかりの地として同町での公演が決まった。「世阿弥」は世阿弥と長男の元雅の情愛と葛藤、政治と芸術の相克を、古語ではなく現代の言葉で描く異色の能。
 4月、東京の国立能楽堂で初演され、舞台照明や暗転を用いるなど伝統芸能の能には見られない演出でも話題になった。世阿弥役観世流シテ方の梅若玄祥さん。上演前に出演者が指導して観客が謡曲「高砂」を謡うワークショップを開催する。

創建1300年記念 興福寺仏頭展 東京芸術大 大学美術館で開幕

創建1300年記念 興福寺仏頭展 東京芸術大 大学美術館で開幕
奈良・興福寺の創建1300年を記念する「国宝 興福寺仏頭展」が9月3日から東京・上野の東京芸術大学大学美術館で始まった。開幕を前に2日、開会式と内覧会が開かれ、同寺の名宝約70点がお披露目された。国宝の銅造仏頭と木造十二神将立像が約600年ぶりに同じ空間に勢ぞろいする。仏頭前で開眼法要が執り行われると、会場は厳粛な空気に包まれた。11月24日まで。

アイヌ民族の視点に立った歴史展示に 道が開拓記念館を改称

アイヌ民族の視点に立った歴史展示に 道が開拓記念館を改称
 北海道は2015年春、道立北海道開拓記念館を「北海道博物館」と改称し、開拓によって生活文化を奪われたアイヌ民族の視点に立った歴史展示を大幅に拡充する方針を固めた。道はこの計画を10月にも道議会で説明、改称は来春成立を目指す「北海道立博物館条例」(仮称)で正式に決定する。政府もアイヌの歴史、文化への正しい認識と理解を促進するための国立博物館を道内に建設予定で、来年度中に基本計画を策定する。
 札幌市厚別区にある開拓記念館は総合歴史博物館で、1971年に開館した。現在、アイヌの伝統的な衣装や住居などを展示しているが、先住民族の立場から見た歴史展示の充実が必要と判断。これまで詳しく触れていなかった開拓史の同化政策とともに、政府が1899年に制定した「北海道旧土人保護法」(1997年廃止)の内容についても展示する計画だ。
 保護法により、アイヌ語が禁止され、日本語や和人(アイヌ以外の日本人)ふうの生活習慣を身につけさせる特設学校が設置されたことや、狩猟などを禁じられ農業をすることを前提に与えられた土地が、狭く荒れていたことなど、事実として存在したアイヌ民族抑圧の歴史も忠実に表現される予定。

初代竹本義太夫「三百回忌法要」寄付2500万円が支えに

初代竹本義太夫「三百回忌法要」寄付2500万円が支えに 文楽の語り芸「義太夫節」を創始した初代、竹本義太夫(1651~1714年)の「三百回忌法要」が8月28日、大阪市天王寺区内で営まれた。墓石や供養塔は一部が剥落するなど損傷が激しかったが、自主公演売り上げのほか、文楽の技芸員(演者)や来場者の寄付で約2500万円を集め、新調したり、修復したりすることができた。
 法要は技芸員有志でつくる「人形浄瑠璃文楽座 因講(ちなみこう)」が主催し、午前11時から超願寺(天王寺区)で始まった。集まった寄付で新調された墓石も公開された。
 竹本義太夫は江戸時代の義太夫節の開祖。摂津国・天王寺村(現在の大阪市)出身。農家に生まれたが、音曲を修業し、清水(きよみず)理太夫の名で、古浄瑠璃界で頭角を現し1684年、竹本義太夫と改名、道頓堀に竹本座を興した。近松門左衛門を座付き作家に迎え、「出世景清(しゅっせかげきよ)」「国性爺(こくせんや)合戦」などヒット作を連発。人形操りと合体し、今日の文楽につながる人形浄瑠璃発展の主導的役割を果たした。

「明治日本の産業革命遺産」を選定 世界遺産推薦へ

「明治日本の産業革命遺産」を選定 世界遺産推薦へ
 内閣官房の有識者会議は8月27日、2015年の世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦する候補に決めた。ただ、すでに文化審議会が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎県、熊本県)を選定。各国の推薦枠は年1件で、2候補が競合したため政府内で絞り込み、9月中に結論を出す。

二条城の唐門を一般公開「菊」の金具下から「葵」の紋

二条城の唐門を一般公開「菊」の金具下から「葵」の紋
 元離宮二条城事務所は8月28日、世界遺産の二条城(京都市中京区)で、約1年半かかった唐門(重要文化財)の修理を終え一般公開した。唐門に、天皇家を表す菊の金具下から徳川家の葵(あおい)の紋が見つかった。徳川家の城だった二条城は1867年の大政奉還により、朝廷の管理下に入り、84年に天皇家の別荘「二条離宮」となった際に金具が付けられたとみられる。二条城では、葵紋が削り取られる一方、残されているところもあるという。

ベルリンで森鴎外の元恋人の写真発見「舞姫」モデル

ベルリンで森鴎外の元恋人の写真発見「舞姫」モデル
 明治の文豪、森鴎外の小説「舞姫」に登場する悲恋のヒロイン、エリスのモデルとみられるドイツ人女性「エリーゼ・ヴィーゲルト」の写真が見つかった。ベルリン在住の作家、六草いちか(50)が、写真を持っていた子孫を捜し出した。保管されていた写真には夫とともに写っていた。本人の直筆で妹へのメッセージが書き込まれており、エリーゼが41~52歳の間に撮ったものと推定できるという。
 エリスのモデルは、ドイツから鴎外を追って来日した際の乗船者名簿などで、実在が確認された。六草さんは、教会に残された記録などから1866年生まれの「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」と特定し、その説を2011年の著書で発表していた。

岡本太郎氏の初期の新聞連載小説の挿絵54点を初公開

岡本太郎氏の初期の新聞連載小説の挿絵54点を初公開
 画家の故岡本太郎氏が新聞連載小説のために描いた挿絵の原画が岡本太郎記念館(東京・青山)の展覧会で初公開され、注目を集めている。連載小説は、坂口安吾の作品「花妖」。1947年2月から東京新聞に連載。同年5月、挿絵が付いた連載は打ち切られた。公開されているのは、掲載された挿絵58点のうち54点。残りの4点の原画は現在も行方が分からないという。挿絵はペンや筆を使った墨で描かれている。後年の作品での署名は「TARO」だが、挿絵では一文字の「太」としている。

国宝の銅鐸に渦巻き文様を確認 CTスキャンなどで解析

国宝の銅鐸に渦巻き文様を確認 CTスキャンなどで解析
 九州国立博物館(福岡県太宰府市)と神戸市立博物館は8月17日、1964年に神戸市灘区桜ヶ丘町で出土した弥生時代中期の国宝の銅鐸(どうたく)をコンピューターを使って解析したところ、肉眼では不鮮明で確認できなかった渦巻き文様(装飾用の図柄)があることが分かったと発表した。文様が見つかったのは高さ31㌢、重さ2.6㌔の「桜ヶ丘12号銅鐸」。エックス線CTスキャンや3次元計測器で銅鐸を解析したところ、表面に渦巻きのような模様を4つ描いた「四頭渦文(しとうかもん)」があり、その下には弧線を重ねて半円状にした文様が見つかった。

京都・五塚原古墳「ミニ箸墓」でスロープを確認

京都・五塚原古墳「ミニ箸墓」でスロープを確認
 京都府向日市埋蔵文化財センターは8月22日、邪馬台国の女王、卑弥呼の墓説がある箸墓古墳(奈良県桜井市)の3分の1サイズで築造されたとされる京都府向日市の五塚原古墳(3世紀後半、全長約91㍍)の発掘で前方部から後円部へせり上がるスロープが確認されたと発表した。後円部で遺体を埋葬する儀式を行った後、前方部で後継者が王位継承を宣言したとする説があり、スロープは埋葬資材を運んだり、葬列が通ったりするために設けられたとみられる。
 確認されたスロープは幅約1.5㍍、長さは2㍍以上。墳丘は後円部が3段、前方部が1段の構造だが、前方部と後円部の接続部分はスロープになっていた。2012年に実施された箸墓古墳の、レーザー光を使った航空測量でも同様のスロープがあると推定されている。

キトラ古墳 石室見納め 埋め戻し墳丘一部復元へ

キトラ古墳 石室見納め 埋め戻し墳丘一部復元へ
 文化庁は8月16日、「朱雀」などの極彩色壁画を保存のためはぎ取った国特別史跡、キトラ古墳(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)について、石室の入り口部分を報道陣に公開した。18日からは初めて一般公開する。石室は今後、埋め戻して墳丘の一部を復元する計画で、事実上これが見納めとなる。石室内には殺菌用の紫外線ライトが置かれ、青紫の光が幻想的な雰囲気を醸し出す。南側の盗掘穴から石室内をのぞくと、高さ約1.2㍍、幅約1㍍の狭さが実感させられる。壁石のあちこちには壁画のはぎ取りの痕跡が残り、作業の苦労がしのばれる。はぎ取った壁画は、古墳近くに2016年度に完成する保存展示施設で展示される予定。

「清水の舞台」支える柱の修理公開 9月中に終了

「清水の舞台」支える柱の修理公開 9月中に終了
 京都市東山区の清水寺で、国宝・本堂の「清水の舞台」を支える柱の修理が始まり、報道陣に8月22日、公開された。9月中に終了する予定で、修理中も拝観できる。根元が湿気で腐ったり、虫食いの被害に遭ったりしているため、舞台の下にある78本の柱のうち9本を修理する。9本の修理は約380年前の再建以来初めて。作業しやすいように油圧ジャッキで柱を約1.5㌢持ち上げながら、新しい木材を差し入れる。直径60~80㌢で長さは最長14㍍。傷んだ根元部分を切り取り、新しい木材を継ぎ足す「根継ぎ」という伝統的な工法を使う。この日は、継ぎ目部分に深さ20㌢、12㌢四方の大きさの穴をノミで彫る作業が公開された。

伊勢神宮、外宮でも「お白石持行事」始まる 新正殿公開

伊勢神宮、外宮でも「お白石持行事」始まる 新正殿公開
 伊勢神宮(三重県伊勢市)の事務を扱う神宮司庁は8月17日、完成間近の外宮新正殿を公開した。また同日、内宮に続いて外宮でも、この敷地に白石を敷き詰める「お白石持行事」が始まった。これは9月1日まで行われ、20年ごとに社殿を造り替える伊勢神宮の10月の式年遷宮のクライマックスにつながる。正殿はふだんは垣根越しにしか見られないが、この行事に限って一般の市民が近付くことができる。初日は、地元住民ら約7400人が参加。伊勢市内を流れる宮川で集めた白石を「えんや、えんや」の掛け声とともに木ぞりで運び、敷き詰めていった。

約100年ぶりの大修理の正倉院の瓦のふき替え終わる

約100年ぶりの大修理の正倉院の瓦のふき替え終わる
 宮内庁は8月21日、約100年ぶりの大修理が進められている奈良市の正倉院(国宝)で、屋根全体の8割にあたる瓦のふき替えが終わり、報道陣に公開した。ふき替え作業は今秋に終わる見通し。瓦は約2万5000枚を新調する一方、奈良時代の約300枚を含む約8500枚を再利用。屋根の四隅にある鬼瓦8枚のうち、1枚を新調。北東にある明治期に作られた鬼瓦で、江戸期の作とみられる他の7枚とデザインが異なっているため統一する。

遺跡人骨4体目は幼児 群馬県渋川市・金井東裏遺跡

遺跡人骨4体目は幼児 群馬県渋川市・金井東裏遺跡
 群馬県埋蔵文化財調査事業団の調査によると、群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、6世紀初め(古墳時代)の火山灰層から見つかった4体目の人骨が幼児のものだったことが分かった。同遺跡では先に、鉄製のよろいを着用した男性の骨が出土していた。

軍師・官兵衛の妻に脚光 早くも福岡の菩提寺に参拝者

軍師・官兵衛の妻に脚光 早くも福岡の菩提寺に参拝者
 豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛が主人公のNHK大河ドラマの放映を来年に控え、早くもその妻、光姫(てるひめ)にも注目が集まっている。光姫が建立した黒田家の菩提寺「円応寺」(福岡市中央区)は、命日の8月26日の「光姫忌」を今年初めて一般公開する。官兵衛が側室を置かなかったことから、良縁を願う若い女性の参拝も目立ち始め、光姫に関する問い合わせが増えてきているという。
 円応寺は、熱心な浄土宗信者だった光姫が1602年に建立。「光姫忌」は今年で三百八十七回忌となる。円応寺によると、光姫は才色兼備の飾らない人柄で、家臣や領民から慕われたという。官兵衛より大柄で”ノミの夫婦”と呼ばれ、夫婦で並ぶときは官兵衛が座布団3、4枚を重ねていたという逸話も寺に残っている。

江戸川乱歩 戦前の代表作「黄金仮面」の生原稿発見

江戸川乱歩 戦前の代表作「黄金仮面」の生原稿発見
 少年探偵団シリーズなどで知られる作家、江戸川乱歩(1894~1965年)の戦前の代表作の一つ「黄金仮面」の生原稿453枚が、8月12日までに発見された。1930ねんから約1年間、講談社の大衆娯楽誌「キング」で連載された作品で、名探偵、明智小五郎と怪盗の闘いを描いている。戦前の乱歩作品の直筆原稿がすべて揃って見つかるのは極めて珍しい。講談社によると、原稿は展示会などに貸し出されていたが、1986年以降に所在が分からなくなった。95年に死去した同社の元編集者の家族が、会社から届いた遺品の中から発見。元編集者が所持していた経緯は不明という。

美空ひばりさん「悲しき口笛」宣伝用レコード発見

美空ひばりさん「悲しき口笛」宣伝用レコード発見
 昭和を代表する歌手、美空ひばりさん(1937~1989年)の最初のヒット曲「悲しき口笛」の宣伝用レコードが、金沢市の金沢蓄音器館で見つかった。ラベルが白いことから”白盤”と呼ばれたサンプル盤で、美空さんが歌で自己紹介している珍しいレコード。レコードはSP盤で、非売品と書かれたラベルに曲名と品番がゴム印で押され、裏面には別の歌手の曲が収録されていた。当時の美空さんはほとんど無名で、曲の前に「こんにちは、皆さん。ごきげんよろしく、美空ひばりでございます。どうぞよろしく」と別のメロディに乗せて楽しく歌いながら自己紹介している。 

堺市の住宅地で”幻の古墳”長山古墳の存在を確認

堺市の住宅地で”幻の古墳”長山古墳の存在を確認
 堺市は7月30日、同市堺区の住宅地で、長山古墳の葺(ふ)き石や埴輪片が初めて見つかったと発表した。長山古墳は文献に記載されていたが、開発で墳丘が削り取られ”幻の古墳”とされていた。築造が4世紀後半とみられ、百舌鳥(もず)古墳群最古級だったことも判明した。同時期の乳岡(ちのおか)古墳とともに古墳群の中で最も大阪湾寄りに位置しており、市は海岸近くから巨大古墳群が形成され始めたことを示すとみている。
 堺市文化財課によると、見つかった葺き石は墳丘のすそに積み上げたとみられる石列。長さ16㍍、幅4㍍、高さ0.5㍍で直線上に並んでいた。前方後円墳の前方部の一部とみられ、長山古墳は100㍍級の前方後円墳だったと判明した。百舌鳥古墳群は4~6世紀に造営され、大山(だいせん)古墳(仁徳陵)など巨大古墳が集まり、44基が現存する。

一茶の俳句を高く評価した子規の自筆原稿を長野で発見

一茶の俳句を高く評価した子規の自筆原稿を長野で発見
 明治時代の俳人、正岡子規(1867~1902年)が、江戸時代の俳人、小林一茶(1763~1827年)の俳句を、「特色は主として滑稽、諷刺、慈愛の三点に在り」などと高く評価した自筆原稿が、長野市の住宅で見つかった。8月1日から一茶記念館(長野県信濃町)で一般公開される。

伊勢神宮の「式年遷宮」の関連行事「お白石持行事」

伊勢神宮の「式年遷宮」の関連行事「お白石持行事」
 今年10月にヤマ場を迎える伊勢神宮(三重県伊勢市)の「式年遷宮」の関連行事、「お白石持行事」が7月26日午前始まった。市民らが新しい正殿の敷地に、市内を流れる宮川で拾い集めた白い石を敷き詰める行事で、内宮・外宮で約1カ月にわたって行われる。一連の行事には延べ約23万人が参加する予定。

8月に高松塚とキトラ古墳壁画を一般公開 文化庁

8月に高松塚とキトラ古墳壁画を一般公開 文化庁
 文化庁は、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め)の壁画修理施設を8月に一般公開するのに合わせ、高松塚、キトラ古墳の壁画の一部も公開すると発表した。キトラ古墳の壁画発見から30年を迎え、一般公開ではキトラ古墳壁画のうち朱雀と青竜、玄武をガラス越しに見学できる。また、整備のために閉鎖が決まっているキトラ古墳の石室の外観も公開される。一般公開は8月18~25日の午前9時~午後5時。定員は1日400人程度で、見学の所要時間は約1時間。申し込みは往復はがきかインターネットで。

二条城の重文「唐門」修理終了 公開前に見学会

二条城の重文「唐門」修理終了 公開前に見学会
 世界遺産の二条城(京都市中京区)で7月31日、約1年半かけて行われていた重要文化財の唐門の修理がほぼ終了し、抽選で選ばれた12人が参加して特別見学会が開かれた。一般公開は9月から。参加者は、門の周囲に設置された足場に乗り、元離宮二条城事務所の職員らの説明を聞きながら門の上部に施されている極彩色の竜虎や唐獅子など、精巧な彫刻に魅入っていた。唐門は柱が6本の四脚門と呼ばれるタイプで、幅6.4㍍、奥行き5.5㍍。高さ10㍍。屋根は切妻造りの桧皮葺(ひわだぶ)き。後水尾天皇の二条城訪問に合わせ、1625年に建てられたとされる。二条城は2011年度から約20年にわたる大修理を実施中。

竹島を記した最古の日本地図 島根県の研究会確認

竹島を記した最古の日本地図 島根県の研究会確認
 島根県の「竹島問題研究会」は8月1日、竹島が記された江戸時代(1760年代)の日本地図2枚を確認したと明らかにした。2枚は、1760年代作製の「日本図」(縦約66㌢、横約67㌢)と、1768年の「改製日本扶桑分里図」(縦約85㌢、横約135㌢)。2枚とも、現在の竹島を「松島」、韓国・鬱陵島を「竹島」と表記している。
 竹島を描いた最古の日本地図は水戸藩の地理学者、長久保赤水(1717~1801年)作製の「改正日本輿地路程全図(1779年)だったが、この2枚も赤水が同全図の下図などとして作ったとみられる。同研究会は、これまでより少なくとも10年さかのぼって、竹島が日本領であることを補強する資料-としている。

英で盗難の名器ストラディバリウス ほぼ無傷で発見

英で盗難の名器ストラディバリウス ほぼ無傷で発見
 7月31日付の英各紙によると、2010年末にロンドンで盗難に遭い、行方が分からなくなっていた120万ポンド(約1億8000万円)相当のバイオリン名器ストラディバリウスが、このほど英中部で発見されたことが分かった。英警察当局が7月下旬に発見した。見つかった際の詳細な状況は明らかにされていないが、ほぼ無傷で、本体と一緒に盗まれていた2本の弓も無事だったという。

自筆年賀状など前島密の書簡20点発見 滋賀県草津市

自筆年賀状など前島密の書簡20点発見 滋賀県草津市
 滋賀県草津市は7月19日、日本近代郵便の父とされる前島密(1835~1919年)の自筆の年賀状など20点の書簡が見つかったと発表した。いずれも1870~80年のものと推定されている。草津市出身で、駅逓寮(後の郵政省)の前島に次ぐナンバー2の地位にあった山内頼富に宛てたもの。秋田県の尾去沢銅山の所有に絡む汚職事件をめぐって、「昨暮は本寮ニ大風波起し、井上大輔・渋沢共辞表を出し」などと大蔵省にいた井上馨が73年に辞任する約半年前に辞表を提出していたことなが記された年賀状はじめ、当時のめまぐるしい政情の変化が随所に書き込まれている書簡もある。

江戸時代のからくり人形「弓曳き童子」機械遺産に

江戸時代のからくり人形「弓曳き童子」機械遺産に
 日本機械学会は7月23日、江戸時代のからくり人形「弓曳き童子」や国産初の16㍉映写機など6件を新たに、国内に現存し歴史的に意義のある「機械遺産」に認定したと発表した。この結果、機械遺産の認定は7回目で計61件となった。弓曳き童子は、童子が矢を抜いてつがえ、的に向けて射る人形で、江戸時代のからくり人形の最高傑作とされる。福岡県久留米市に動く状態で保存され、ロボットのルーツの一つと評価された。
 16㍉映写機「エルモA型」(名古屋市瑞穂区で保存)は1927年に発売。持ち運びの難しかった主流の35㍉映写機に対し、手回し式の小型映写機として開発された。東京都新宿区の京王地下駐車場にある「機械式立体駐車装置ロートパーク」も選出された。入出庫に要する時間を大幅に減らした。川崎市幸区の東芝科学館が保管している昭和初期の電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの「家庭用電化機器」と、江戸時代に輸入され金属の鍛造に使われた旧横須賀製作所(神奈川県)の大型機械「スチームハンマー」なども選ばれた。

坂本龍馬の血判 砲術流派の起請文で確認 高知・記念館

坂本龍馬の血判 砲術流派の起請文で確認 高知・記念館
 高知県立坂本龍馬記念館(高知市)は7月24日、坂本龍馬が砲術を学んだ西洋砲術流派「高島流」の巻物に、龍馬の血判が押されていたと発表した。同記念館によると、龍馬の血判が確認されるのは初めて。この巻物は「高島流」を土佐で教えていた徳弘孝蔵の入門者が、流派の技術を外部に漏らさないことを誓う箱入りの起請文(誓約書)で、長さ約13㍍、幅約19㌢。龍馬の花押の上に、変色した血判が押されている。

安土桃山期の石組みの地下排水溝・取水口見つかる

安土桃山期の石組みの地下排水溝・取水口見つかる
 京都市埋蔵文化財研究所などは7月25日、同市上京区の北野天満宮で安土桃山~江戸時代初期ごろの石組みの地下排水溝や取水口が見つかったと発表した。これは、豊臣秀吉が敵の襲来や洪水から守るために築いた土塁「御土居」の外側に水を流す施設で、地下排水溝が発掘で確認されたのは初めて。長さ約19㍍で御土居の基底部に埋まっていた。

よろい竜は自らの体の骨を溶かし装甲 世界で初めて解明

よろい竜は自らの体の骨を溶かし装甲 世界で初めて解明
 大阪市立自然史博物館の林昭次学芸員ら日独のチームは、突起のある装甲などを持つよろい竜は、体の骨を溶かして得たカルシウムを利用し、よろいをつくっていたことを明らかにし、7月25日、米オンライン科学誌プロスワンに発表した。発掘された全身の化石が少ないため、生態がよく分かっていないよろい竜の成長の仕方を解明したのは世界で初めて。北米と欧州で見つかったよろい竜4種14体の足の骨や肋骨の化石を薄く切り、構造を観察。よろいができていない幼体は骨の細胞や血管の数が多い一方で、よろいができた幼体や成体では骨が溶かされ、カルシウムを使った跡が多数見つかった。

8世紀の古代トルコ文字の碑文をモンゴル東部で発見

8世紀の古代トルコ文字の碑文をモンゴル東部で発見
 大阪大はモンゴル東部のドンゴイ・シレー遺跡で、8世紀の古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)による碑文を発見したと発表した。碑文はタムガと呼ばれる部族の紋章とともに発見され、横5㌢、縦7㌢ほどの文字が20行、計2832字(646の単語)が彫られていた。トルコ系遊牧国家、突厥の東方支配の実態を知る手掛かりになるという。
 遺跡はモンゴルの首都ウランバートルの約450㌔南東にあり、モンゴル科学アカデミー考古学研究所と共同調査。古代トルコ文字の碑文はこれまでウランバートルより西方のオルホン川流域で発見され、東方には存在しないとされていた。突厥は中央ユーラシアの草原地帯で初めて文字を発明した遊牧民として知られる。