夏目漱石の旧制第一高等中学時の成績記した手帳見つかる

夏目漱石の旧制第一高等中学時の成績記した手帳見つかる

福井県越前市で、文豪・夏目漱石の旧制第一高等中学校時代の成績を記した手帳が見つかった。これは漱石が通っていた東京の旧制第一高等中学校で教鞭を執っていた、現在の福井県越前市出身の哲学者、松本源太郎が書き記したもの。
この手帳は2018年11月、松本のひ孫が越前市の図書館に寄託した資料の中から見つかったという。専門家は、漱石の学業に関する資料が発見されるのは珍しく、貴重な資料だとしている。
手帳には松本が教えていた「論理学」の成績が生徒ごとに記録されていて、漱石の本名「夏目金之助」の欄には1学期が80点、2学期が90点と書き記されている。別のページには漱石と同級生だった俳人・正岡子規の成績も記され、1学期が74点、2学期が82点となっている。
このほか、手帳には明治21年から22年にかけて在籍していた30人余りの生徒の成績が記され、漱石の成績は1学期と2学期を合わせるとトップだったという。

三重県の国史跡で「初代斎王」の宮殿の建物跡を発見

三重県の国史跡で「初代斎王」の宮殿の建物跡を発見

三重県明和町の国史跡・斎宮(さいくう)跡で、飛鳥時代後半(7世紀後半~8世紀初頭)の斎宮の中心施設、方形区画と多数の建物跡が見つかった。
天智天皇亡き後、近江京の大友皇子との覇権争い「壬申の乱」を制し、天皇による中央集権国家の樹立を目指していた天武天皇が、娘で初代斎王(さいおう)に任命した大来皇女(おおくのひめみこ)のために造営されたとみられる。
今回建物跡が見つかった現場は東西2km、南北0.7kmに及ぶ国史跡の西部。2018年度の斎宮歴史博物館の発掘調査で、区画の北東隅とみられる直角に折れた約10m×約8mの塀跡が見つかった。過去に発掘された塀跡と合わせて東西方向に約40m、南北方向に約60m以上の方形区画が存在することが分かった。
区画内では脇殿とみられる掘立柱建物跡が4棟、区画外の西では柱の直径40cm、柱間隔が2mを超える3間×4間の大型総柱建物を含む倉庫跡が7棟あることが確認された。

5月にもイコモスが勧告 古墳群の世界遺産の可否判定

5月にもイコモスが勧告 古墳群の世界遺産の可否判定

世界文化遺産への登録を目指している大阪府南部の百舌鳥・古市古墳群は、ユネスコの諮問機関のイコモスが昨年9月に行った現地調査の結果を踏まえ、今年5月にも登録にふさわしいかどうかの勧告(判定)を出す見通しだ。
「ふさわしい」と判断されれば、今年夏にアゼルバイジャンで開かれるユネスコの世界文化遺産委員会で正式に登録が決まる。

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」

京都の世界遺産、下鴨神社で1月4日、新春恒例の「蹴鞠初め」が行われた。境内に15m四方の四隅に竹を立てた「まり場」が設けられ、平安時代の貴族の装束を身に着けた保存会のメンバー8人が輪になって、さながらサッカーのリフティング並みに蹴り続ける、優雅な蹴鞠を披露した。
鹿の皮を縫い合わせてつくった直径およそ20cmの白いまりを、「アリ」「ヤァ」「オゥ」など独特の掛け声をかけながら、落とさないよう蹴り上げていた。

新元号は現天皇が改元政令を公布

新元号は現天皇が改元政令を公布

安倍首相は1月4日年頭記者会見し、5月1日の皇太子さまの新天皇即位に伴って改める新元号について「国民生活への影響を最小限に抑える観点から、先立って4月1日に発表する」と表明した。
4月1日に改元政令を閣議決定して、現在の天皇陛下が公布され、新天皇即位と同時に改元する。皇位継承前の新元号公表は憲政史上初めて。天皇退位は約200年ぶり。

地球内部に23億k㎥の巨大生物圏 国際プロジェクトが報告書

地球内部に23億k㎥の巨大生物圏 国際プロジェクトが報告書

世界のおよそ50カ国の研究者が参加する国際プロジェクト「ディープ・カーボン・オブザーバトリー」はこのほど、地球内部の過酷な環境の中に微生物の巨大な生物圏が広がっているとする報告を、過去10年間と取り組みの成果として発表した。
これらの微生物は、地下5,000mを超える鉱山の掘削坑や海底2,500mほど掘り下げた地層など、世界各地のおよそ100地点で採取したサンプルの分析によって確認された。
この中には海底の熱水が噴き出す120度を超える環境でも生息できる微生物や、岩石をエネルギー源とする微生物などもいて、地上とは大きく異なる過酷な環境で独自の進化を遂げていた。しかも地球内部で生物が存在し得る領域は23億k㎥と海の体積の2倍に及び、この中に地球全体の微生物の70%が存在すると考えられるという。

両陛下最後の一般参賀に平成最大の15万4,000人余の人の波

両陛下最後の一般参賀に平成最大の15万4,000人余の人の波

4月の退位を控え、両陛下が天皇・皇后として応えられる最後の一般参賀が1月2日、皇居で行われ、平成に入って最も多い15万4,000人余が訪れた。
宮内庁は予定より15分速い9時15分に開門し、参賀の回数を1回増やして6回とし、両陛下は皇太子ご夫妻など皇族方とともに宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちに笑顔で手を振って応えられた。6回目が終わった後も訪れる人の列が続き、急遽、両陛下の強い希望で7回目のお出ましが追加されるほどだった。

京都・西寺の五重塔の本格発掘調査へ 京都市

京都・西寺の五重塔の本格発掘調査へ 京都市

京都市は来年度、平安京造営時に東寺とともに造られ、その後焼失した西寺について、存在したとされる五重塔の場所を調べるための本格的な発掘調査を行うことになった。
これまで塔があったとみられる場所の周縁部などを調査したことはあったが、今回は地権者の了解を得て住宅など数軒を解体し、推定される場所を発掘する。今年秋ごろにも着手する方針。
これまでの西寺調査で「講堂」や本尊を安置したとされる「金堂」などの跡が見つかっているが、五重塔は正確な位置が特定できていない。
西寺は、長岡京から794年の平安京への遷都で桓武天皇が東寺と対になるように造った官営の寺。鎌倉時代の火災による焼失以降、再建されず現在、京都市南区の跡地が国の史跡に指定されている。

日本の新元号4/1に閣議決定・公表へ

日本の新元号4/1に閣議決定・公表へ

安倍首相は皇位継承に伴う新たな元号について、4月1日に閣議決定し、直ちに公表する方針を固めた。同首相が1月4日に、年頭の記者会見で方針を正式に表明する。
4月30日に天皇陛下が退位され、新元号を定める政令は施行日を皇太子さまが即位される5月1日とし、5月1日午前0時をもって元号は改められる。

唐招提寺の證玄和尚の遺骨容器に弟子の遺骨

唐招提寺の證玄和尚の遺骨容器に弟子の遺骨

奈良の元興寺文化財研究所の調査によると、奈良・唐招提寺の復興に功績のあった鎌倉時代の高僧、證玄(しょうげん)和尚の遺骨を納めた容器の中に少なくとも3人の遺骨が入っていたことが分かり、寺では弟子の遺骨も追葬したとみている。
容器は直径17㌢、高さがおよそ34㌢の銅製で、表面の銘板には證玄の出身地や没年が刻まれていた。容器からは弟子の名前などが墨で書かれた骨も6つ見つかった。容器は当初から追葬を想定してつくられたとみられていて、同じ容器に追葬した例はこの時代では極めて珍しいという。
證玄は鎌倉時代に金堂や講堂の修復を手掛け、43年にわたり長老として寺の伽藍の復興に尽力した高僧。この容器は2019年2月から奈良国立博物館で公開される。

浄土真宗の顕如が秀吉に宛てた書状2通見つかる

浄土真宗の顕如が秀吉に宛てた書状2通見つかる

東京大学史料編纂所によると、浄土真宗の顕如が羽柴秀吉に宛てた書状が2通見つかった。書状は1通が、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の翌年、天正11(1583)年に書かれたと考えられ、文面は大坂に入ることになった秀吉に対して、あいさつのため使者を送るというもの。もう1通は、秀吉の昇進の祝いに刀を献上するという内容が記され、秀吉が初めて朝廷から位を授かった天正12(1584)年に送られたとみられる。
延暦寺の焼き討ちに象徴されるように、信長は宗教勢力と激しく対立した。顕如とも同様で、これら2通の書状は信長の死後、秀吉に接近しようと顕如が書いたものだ。
調査にあたった同編纂所では、顕如がこの時点で秀吉を”ポスト信長”の有力な人物と認識していたことがはっきりと分かる、貴重な史料だと指摘している。顕如は「石山合戦」でおよそ10年にわたり信長と激しく対立し、和睦の後、拠点としていた大坂の石山本願寺を出て、紀伊に移った経緯がある。

快慶の一番弟子・行快作の仏像「木造阿弥陀三尊像」発見

快慶の一番弟子・行快作の仏像「木造阿弥陀三尊像」発見

京都国立博物館の調査によると、京都市の聞名寺が所蔵する木彫りの仏像について、鎌倉時代の仏師、快慶の一番弟子で現存する作品の少ない行快が手掛けたものであることが分かった。
今回、行快作と判明したのは「木造阿弥陀三尊像」で、高さがそれぞれ80㌢の1体と60㌢の2体の木彫りの仏像。像を台座に固定するためのほぞに、墨で行快の署名が見つかった。行快は現存する作品が少なく、貴重な発見だという。

天皇誕生日の一般参賀に平成最多の8万2,850人

天皇誕生日の一般参賀に平成最多の8万2,850人

天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が12月23日、皇居で行われた。2019年4月末の退位を控え、誕生日の一般参賀は今回が最後。そうした区切りや改元・時代の移り変わりを意識して、参賀の列に加わった人も多く、記帳を含め平成30年間で最多の8万2,850人が皇居を訪れた。
ちなみに2016年は3万8,588人、2017年は5万2,300人だった。宮内庁は今年初めて2台の大型モニターを設置し、会場の端からでも陛下の様子が分かるようにした。

奈良「西安寺」跡で金堂跡 四天王寺式伽藍配置判明

奈良「西安寺」跡で金堂跡 四天王寺式伽藍配置判明

奈良県王寺町教育委員会などの調査によると、聖徳太子が建立したとされる同町の「西安寺」の跡で、塔の跡の北側から金堂の跡が見つかり、建物の配置は同じ聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪市)と同じであることが分かった。
今回見つかったのは金堂の土台である「基壇」の一部と大量の瓦。瓦の特徴などから、金堂は7世紀後半から8世紀初頭に建てられたとみられ、基壇の大きさは東西が約15㍍、南北が約12㍍と推測されている。また、正面は南向きであることが分かった。
同町教育委員会は、金堂と塔の位置関係などから寺の建物の配置「伽藍配置」は、同じ聖徳太子ゆかりの寺、四天王寺と同じで、塔の真北に金堂を建てた「四天王寺式」とみている。
西安寺は現存していないが、聖徳太子が建立したと文献に記されている寺。

神戸の生誕地に嘉納治五郎翁の石碑建立

神戸の生誕地に嘉納治五郎の石碑建立

「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎の功績を称えようと、現在の神戸市東灘区、幕末の1860年当時の御影村に、西端の場所を示す石碑が建立され、12月20日披露された。御影石でつくられた石碑は高さ1.4㍍、幅2㍍、横書きで「嘉納治五郎翁 生誕地」と刻まれている。
嘉納は日本古来の柔術を「柔道」として発展、普及させた。また、日本人初の国際オリンピック委員としても活躍し、戦争の影響で”幻”となった1940年の東京オリンピックの招致に尽力した。

「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる

「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる

江戸時代初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す、将軍の側近周辺の人物が記した新たな書状が見つかった。
書状は花押や筆跡などから「大坂の陣」(1614~15年)の後、大坂城の建て直しを担当していた小堀遠州が、義理の父親でニ代将軍(大御所)徳川秀忠の側近、藤堂高虎(津藩主)に宛てたもので、記された内容から寛永3(1626)年に書かれたと考えられる。
書状の中で遠州は、大坂城の茶室の庭に置く石を献上するように進言し、その理由について「大坂はゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」と説明している。誰の城になるかは明記されていないが、調査にあたった三重大学の藤田達生教授によると、城に「御」という敬称が付けられていることなどから、当時江戸城にいた大御所の秀忠や三代将軍、家光の居城になるという前提で、遠州が大坂城の整備を進めていたことが分かるという。
徳川幕府の拠点を大坂に移す構想は、実は別の史料にも記されている。1615年に豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」の直後に上洛した薩摩藩の島津家久の話だ。この史料には家久が幕府の上層部から大坂城を当時の将軍、秀忠の居城にするという計画を聞いたと記録されている。

藤原京遺跡で漆付着の土器大量出土、周辺に工房存在か

藤原京遺跡で漆付着の土器大量出土、周辺に工房存在か

奈良県橿原考古学研究所の発掘調査によると、持統天皇が造営した藤原京があった橿原市の四条遺跡で、漆が付着した大量の土器が数十点見つかった。同研究所では周辺に漆を使っていた工房があった可能性があるとみている。
飛鳥時代の都、藤原京の主要な道路「四条大路」の南側の溝から、漆が付着した土器が大量に見つかった。そして、この溝の近くから南北4㍍、東西10㍍ほどの建物跡が東西に4棟並んで見つかり、同研究所では工房に関係する建物の可能性があるとしている。

平城宮跡 東区朝堂院の大きさ判明 奈文研

平城宮跡 東区朝堂院の大きさ判明 奈文研

奈良文化財研究所が10月から行った平城宮跡東区朝堂院の東門の跡の発掘調査によると、門の大きさは幅およそ20㍍、奥行きおよそ10㍍であることや、その正確な位置が分かった。この結果、東区朝堂院の東西の大きさも確定し、東西およそ177㍍、南北およそ284㍍となった。
奈良文化財研究所では「時代ごとに変わる朝堂院の変遷を知るうえで貴重な成果だ」としている。東区朝堂院は奈良時代後半に、天皇が政治や儀式を行った「第二次大極殿」の南側にあり、大臣などの役人が国家的な政務を行う場所だった。

今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映

今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映

日本漢字能力検定協会(本部:京都市)によると、毎年恒例の今年1年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」に「災」が選ばれ12月12日、清水寺(京都市東山区)で発表された。
地震や豪雨、台風、猛暑などの自然災害に、近年では稀なほど繰り返し見舞われ、数多くの人が被災したことで、応募数19万3,000票余りの中でも最も多くの人の気持ちを捉えた漢字となった。
2番目は「平」、3番目は「終」だった。「平」は平昌(ピョンチャン)冬季五輪や、メジャーリーグで二刀流の大活躍で驚かせた大谷翔平の印象が大きかった。また、「終」は天皇退位のセレモニーなどのスケジュール一式が公表され、平成最後の年となったことが特に印象付けられたためとみられる。

法隆寺で迎春準備 恒例の「お身拭い」

法隆寺で迎春準備 恒例の「お身拭い」

奈良県斑鳩町の法隆寺で12月8日、新年を前に毎年この時期に行われる恒例の「お身拭い」が行われた。これは仏像に積もったほこりを落とすもの。
作業姿でマスクをつけた9人の僧侶が国宝の「金堂」に入り、本尊の釈迦三尊像や薬師如来坐像などの仏像に積もったほこりを、はたきやはけを使って払い落していた。これらの作業を、居合わせた多くの参拝客らが見守っていた。

京都・城陽市で奈良時代の平地造成・建物の遺跡見つかる

京都・城陽市で奈良時代の平地造成・建物の遺跡見つかる

京都府埋蔵文化財研究センターの発掘調査で、京都府城陽市の芝山遺跡で古墳時代から奈良時代の丘陵地を切り崩して平地に造成した跡が新たに見つかった。
その集落跡は縦約40㍍、横約30㍍の範囲で丘陵地を平地に造成。出土した土器などから奈良時代に行われたとみられ、同じころに地面に掘った穴に柱を立ててつくった掘立柱建物の跡も新たに9棟見つかった。このうち8棟は人工的に造成した平地の上に建てられ、新しくなるほど建物は北側から西側に向くようになっていたことが分かったという。

中国・長江デルタで約4400年前の大規模な気候寒冷化の発生を発見

中国・長江デルタで約4400年前の大規模な気候寒冷化の発生を発見

東京大学と日中の研究機関の共同研究グループは、中国・長江デルタの近傍から採取された海洋堆積物コアを用いて、過去の表層海水温変動を復元した結果、約4400年前~3800年前に大規模かつ複数回の急激な気候寒冷化イベントが発生したことを発見した。
長江デルタでは約7500年前から、世界最古の水稲栽培を基盤とした新石器文明が栄えたが、約4200年前に突然消滅し、その後約300年間にわたり文明が途絶えた。原因について、これまで統一的な見解は得られていなかったが、今回明らかになった気候寒冷化イベントがこの一因になった可能性が高いとしている。

ナマハゲなど8県の「来訪神」が無形文化遺産に登録決定

ナマハゲなど8県の来訪神が無形文化遺産に登録決定

インド洋・モーリシャスで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の政府間委員会は11月29日、無形文化遺産に日本の「男鹿(おが)のナマハゲ」(秋田県)など8県の10行事で構成される「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」を登録することを決めた。
今回無形文化遺産に登録されたのは①男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)②吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)③米川の水かぶり(宮城県登米市)④遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)⑤能登のアマメハギ(石川県輪島市能登町)⑥見鳥のカセドリ(佐賀市)⑦甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)⑧薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)、➈悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)⑩宮古島のバーントゥ(沖縄県宮古島市)。
2009年に単独で登録された「甑島のトシドン」(鹿児島県)に、新たに9行事を加えて1つの無形文化遺産として申請していた。したがって、日本の無形文化遺産登録件数は21件で変わらない。

奈良県高取町で渡来人の「大壁建物」跡発見、最大・最古級か

奈良県高取町で渡来人の「大壁建物」跡発見、最大・最古級か

奈良県高取町の教育委員会は11月27日、同町の市尾カンデ遺跡で古墳時代、朝鮮半島から日本にわたってきた渡来人が建てたとされる「大壁建物」の複数の建物跡が新たに16棟見つかったと発表した。
同委員会では、周辺で見つかった土器などから古墳時代の4世紀末から5世紀初めの、これまで見つかった中で最も古いものだとしている。また、今回見つかったうちの1棟は東西14.5㍍、南北13㍍あり、これまでで最大級だという。
大壁建物はこれまで奈良県、滋賀県を中心に150棟が見つかっており、これまではすべて5世紀中ごろ以降のものとされていた。

惑星誕生の謎に迫れるか 火星に米探査機「インサイト」着陸

惑星誕生の謎に迫れるか 火星に米探査機「インサイト」着陸

米国NASA(アメリカ航空宇宙局)の探査機「インサイト」が日本時間の11月27日午前5時前、火星への着陸に成功した。火星の内部を詳しく調べることで、地球がどのようにできたのか、惑星の誕生の謎に迫ることができると期待されている。
インサイトはこれから2年間にわたり、火星で起こる地震の揺れの大きさや伝わリ方を観測するほか、深さ5㍍の穴を掘って地下深くから伝わる熱を計測する。
インサイトは5月に打ち上げられておよそ7カ月間、4億8,000万㌔㍍余を飛行して、日本時間の27日、火星の大気圏に突入した。そしてパラシュートなどを使って、火星の赤道のやや北にある「エリシウム平原」と呼ばれる比較的平らな地表に無事着陸した。

「仁徳陵」で埴輪列、石敷き確認 宮内庁・堺市が初の共同調査

「仁徳陵」で埴輪列、石敷き確認 宮内庁・堺市が初の共同調査

宮内庁と大阪府堺市は、10月下旬から今回初めて共同調査している国内最大級の前方後円墳の調査状況を11月22日、報道陣に発表した。これは堺市にある「仁徳天皇陵」とも「大山古墳」とも呼ばれている古墳の調査で、墳丘を取り囲む堤の部分から築造当時のものとみられる一列に並べられた円筒埴輪や石が敷き詰められた跡が見つかった。
調査は墳丘を3重に取り囲む濠(ほり)と濠の間にある2つの堤のうち、内側にある堤の3カ所を掘り下げて行われた。現場には22日、考古学や歴史学に関する16の団体の40人余りの研究者も入り、およそ1時間半ほど見学した。
宮内庁が管理している陵墓は外部の立ち入りが厳しく制限されており、今回初めて共同調査として行われた。

安土桃山時代に初期キリシタンが描いた宗教画発見

安土桃山時代に初期キリシタンが描いた宗教画発見

安土桃山時代に日本人の信徒、初期のキリシタンが描いたとみられる宗教画が見つかった。見つかったのは和紙をつなぎ合わせた幅22㌢、長さ3㍍余の巻物で、「受胎告知」や「聖霊の降臨」などキリストと聖母マリアの生涯の15の場面が墨絵で描かれている。
巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のものと分かり、明記されたこの年に描かれた可能性が高いという。専門家は、キリスト教が日本に伝わって間もない、最も初期の信仰の様子を知る重要な発見としている。
この宗教画はキリシタンをめぐる歴史的な資料を収集している神奈川県大磯町の澤田美喜記念館の収蔵品の中から見つかり、横浜市歴史博物館が専門家などと鑑定した。澤田美喜さんは岩崎弥太郎の孫。

「本能寺の変」直後の柴田勝家直筆の書状 新潟県で見つかる

「本能寺の変」直後の柴田勝家直筆の書状 新潟県で見つかる

天下統一を目前にした織田信長が、家臣の明智光秀に討たれた「本能寺の変」。その8日後の天正10年6月10日、現在の福井市の居城にいた柴田勝家が、織田方の武将、溝口半左衛門に宛てて書いた直筆の書状が、新潟県新発田市で見つかった。新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つかった。
文面には、光秀の討伐に出遅れた勝家が当時、京都から大坂に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容が記されている。そのうえで、光秀が拠点としていた江州、現在の滋賀県にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしている。

奈良・当麻寺で最古級の金銀銅の舎利容器見つかる

奈良・当麻寺で最古級の金銀銅の舎利容器見つかる

奈良県葛城市の当麻寺で飛鳥時代につくられたとみられる金、銀、銅の容器が三重の入れ子になった舎利容器が見つかった。
一番外側の銅製のものは高さおよそ9㌢、内側の銀製がおよそ3㌢、最も内側の金製がおよそ1㌢で、いずれもふたの付いたお椀のような形をしている。奈良国立博物館によると、形などの特徴から飛鳥時代後期につくられたとみられるが、この時期につくられた金、銀、銅の舎利容器で完全に残っているのは全国でも法隆寺など数例で、極めて貴重な発見だとしている。
この舎利容器は2019年2月から奈良国立博物館で公開される。

平成最後の園遊会 変わりなく赤坂御苑で和やかに懇談

平成最後の園遊会 変わりなく赤坂御苑で和やかに懇談

天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が11月9日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら皇族方とともに、およそ1800人が出席した。
来春(2019年4月30日)の退位を控え、平成最後となった園遊会。あいにくの雨が降りしきる中だったが、いつもと変わらず両陛下は、1つの傘に入り、およそ1時間にわたり各界の功労者ら招待客と和やかに懇談された。

インドネシアの洞窟に4万年前の野生牛の壁画

インドネシアの洞窟に4万年前の野生牛の壁画

インドネシアやオーストラリア・グリフィス大学の研究チームが、インドネシアのカリマンタン島東部の洞窟に残る野生の牛とみられる動物などを描いた壁画は、4万年以上前のものとする調査結果を、11月7日付の英科学誌ネイチャーの電子版で発表した。
この壁画について同チームは、現生人類が欧州で残した最も古い洞窟の壁画とほぼ同時期とみている。そして、その根拠として「この壁画は単純な絵ではなく、具体的な描き方をしている」と強調している。

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和6(1931)年11月7日、市民の寄付によって復興された大阪のシンボル、大阪城。この3代目の天守閣が7日、数え年で88歳の”米寿”を迎えた。
5000枚限定の記念の証明書(縦およそ10cm、横およそ19cm)が、午前9時から訪れた観光客に記念の証明書が配られた。この証明書は天守閣の屋根をかたどった形で、日本語と英語の両方で米寿を迎えた内容が書かれている。
豊臣秀吉が淀君のために建てたといわれる大坂城の初代天守は1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼、淀君ら豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府が再建した2代目天守も1665年に落雷で焼失している。
当時としては最先端だった、鉄筋コンクリート造で建設された現在の3代目天守の高さは地上55m。

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和6(1931)年11月7日、市民の寄付によって復興された大阪のシンボル、大阪城。この3代目の天守閣が7日、数え年で88歳の”米寿”を迎えた。
5000枚限定の記念の証明書(縦およそ10cm、横およそ19cm)が、午前9時から訪れた観光客に記念の証明書が配られた。この証明書は天守閣の屋根をかたどった形で、日本語と英語の両方で米寿を迎えた内容が書かれている。
豊臣秀吉が淀君のために建てたといわれる大坂城の初代天守は1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼、淀君ら豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府が再建した2代目天守も1665年に落雷で焼失している。
当時としては最先端だった、鉄筋コンクリート造で建設された現在の3代目天守の高さは地上55m。

天皇陛下在位30年記念貨幣 大阪・造幣局で打ち初め式

天皇陛下在位30年記念貨幣 大阪・造幣局で打ち初め式

大阪市北区の造幣局で11月5日、天皇陛下の在位30年を記念した1万円金貨と500円銅貨の打ち初め式が行われた。
1万円金貨は純金で20㌘あり、表には翼を広げた鳳凰(ほうおう)がデザインされ、500円銅貨には天皇皇后両陛下のご成婚のパレードで使用された馬車がデザインされている。また、いずれも桐と白樺があしらわれ、裏には菊の紋章が描かれている。
1万円金貨は単体の場合、13万8000円、金貨と銅貨のセットは14万円で通信販売され、銅貨だけの場合は金融機関の窓口で額面と同じ500円で引き換える。通信販売の申し込みは11月21日までで、販売と引き換えは2019年2月ごろから予定されている。

和歌山で大津波の教訓伝える「稲むらの火祭り」

和歌山で大津波の教訓伝える「稲むらの火祭り」

和歌山県広川町で10月28日、江戸時代末期の安政南海地震(1854年)の際、豪商、濱口梧陵が収穫された稲の束に火をつけて、村人たちに大津波の襲来を知らせ高台に避難させたという”稲むらの火”の逸話を今に伝える「稲むらの火祭り」が開かれた。
この火祭りは教訓として毎年開かれているが、今回は地元の人たちはじめ、10月31日から和歌山県で開かれる「世界津波の日 高校生サミット」に参加する世界48カ国の高校生およそ250人も加わり、改めて地震が起きたら高台に避難するという津波防災の意識を高めていた。

平城京の南端から庶民の倉庫・井戸など住宅跡見つかる

平城京の南端から庶民の倉庫・井戸など住宅跡見つかる

奈良市教育委員会の発掘調査によると、奈良時代の都、平城京の南端にあたる場所から、庶民の住宅跡が倉庫や井戸などとともに見つかった。
住宅跡が見つかったのは、現在の奈良市西九条町にある工場の敷地。通路や溝で区切られた一辺約30㍍四方の広さの約900平方㍍の住宅の敷地の中に、東西約10㍍、南北約4㍍の母屋とみられる建物の跡あ、その近くで倉庫や井戸の跡も確認された。
同市教委は、今回見つかった住宅跡はその立地などから平城京内で働いていた下級役人か庶民の住宅だと考えられるという。

「風神雷神図屏風」など約50点をパリで公開

「風神雷神図屏風」など約50点をパリで公開

フランスで開催されている日本文化を紹介するイベント「ジャポニズム2018」の一環で、10月26日から京都・建仁寺(京都市東山区)が所蔵する国宝「風神雷神図屏風」が欧州で初めて、フランス・パリで公開される。
今回公開されるのは江戸時代を代表する絵師、俵屋宗達が描いた風神雷神図屏風をはじめ、桃山時代から明治時代にかけての屏風や陶芸作品など約50点も合わせて展示される。
フランスのメディアから約90人を招いて25日開かれた内覧会では、日本を代表する美術作品に高い評価の声が寄せられた。

近江商人・伊藤忠兵衛直筆の財団設立時の書類見つかる

近江商人・伊藤忠兵衛直筆の財団設立時の書類見つかる

滋賀県豊郷町で著名な近江商人の一人、2代目伊藤忠兵衛が100年前、故郷の豊郷町のために財団を設立した際の直筆の書類が見つかった。
今回、廃校となった小学校に残されているのが見つかった資料は、合わせておよそ100ページで、財団の定款を忠兵衛が直筆で書いたもの。「自治ノ発展ニ貢献セムトス」と故郷への思いを表現している。また、「金 参萬圓(さんまんえん)」を財団設立のために寄付するとある。現在の物価に換算すると6000万円余りになるという。
忠兵衛は教育や福祉の分野でも多額の寄付を行っており、専門家は「近江商人は社会貢献の意識が高かったことで知られ、忠兵衛もその一人だったことがうかがえる貴重な資料だ」としている。
2代目伊藤忠兵衛は滋賀県豊郷町の出身で、現在の大手商社、伊藤忠商事、丸紅の礎を築いたとされている。

京都・新南座で2年ぶり顔見世興行の「まねき上げ」

京都・新南座で2年ぶり顔見世興行の「まねき上げ」

11月にリニューアルオープンする京都の南座で10月25日、年末恒例の歌舞伎の顔見世興行を前に、出演者を紹介する看板を掲げる「まねき上げ」が行われた。
南座は耐震補強工事のため、2016年から休館しており、まねき上げは2年ぶり。それだけに、25日は大勢の見物客が詰めかけ、坂田藤十郎、松本幸四郎ら、独特の「勘亭流」と呼ばれる書体の太い毛筆で書かれた看板が掲げられていくのを見守っていた。
今年の顔見世興行は11月1日から始まる。

京都・秋の都大路で「時代祭」2000人の行列が練り歩く

京都・秋の都大路で「時代祭」2000人の行列が練り歩く

5月の「葵祭」、7月の「祇園祭」とともに京都の三大祭の一つ、「時代祭」が10月22日行われ、秋の都大路を様々な衣装を身にまとったおよそ2000人の行列が練り歩いた。
華やかで雅な衣装の平安時代から甲冑姿の戦国時代、そして明治時代にかけて、それぞれの時代を象徴する衣装を身に着けた、皇女和宮、坂本龍馬、桂小五郎、織田信長らに扮した行列が続き、秋晴れのもと、見物客らは華やかな”時代絵巻”を楽しんでいた。
なお、平安神宮の通用口を通る際、この行列に参加していた馬が突然暴れ、落馬した男性や観客の女性など合わせて4人がけがをした。

JAXA 水星探査機「みお」打ち上げ 7年後周回軌道へ

JAXA 水星探査機「みお」打ち上げ 7年後周回軌道へ

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発した「みお」など2機の水星探査機が10月20日午前10時45分(日本時間)、南米・フランス領ギアナのクールー宇宙基地からアリアン5ロケットで打ち上げられた。探査機は正常に飛行。欧州宇宙機関(ESA)の探査機(MPO)とともに、2025年12月に水星周回軌道に到着し、約1年間にわたり、水星の構造や成り立ちなどを探る予定。
太陽の一番近くを回る水星は高温で、探査にはその熱さ対策が最大の課題。大気はほとんどなく、クレーターに覆われた姿は月に似ているが、地球と同様に磁場を持つ。直径は4880㌔㍍で地球の約4割しかなく、太陽系で最も小さい。

旧石器時代の人類の外洋航海の手段は丸木舟か?

旧石器時代の人類の外洋航海の手段は丸木舟か?

国立科学博物館などの研究グループはこのほど、長さおよそ8㍍の杉の大木を石器で加工した丸木舟を使い、千葉県館山市沖合で実験を重ねた結果、外洋での航海に耐え得る性能を確認できたと発表した。2019年夏、台湾からの航海に臨む予定。
同グループは、沖縄の島々でおよそ3万年前の旧石器時代の遺跡が見つかったことから、人類が黒潮を越えて台湾から移り住んだと想定。これまで草・植物を束ねて作った舟などで数回、実験航海を行い、その航海方法・手段の解明に取り組んでいるが、いずれも途中で断念していた。

鳥取の遺跡の人骨 弥生時代に到来か DNAで判明

鳥取の遺跡の人骨 弥生時代に渡来か DNAで判明

国立科学博物館や山梨大学などの研究グループのDNA分析の結果、2000年に鳥取市の青谷上寺地遺跡で出土した大量の人骨は1世紀から2世紀の弥生時代後期に新たに大陸から渡来した人々だったことが分かった。
ほとんどの人骨のDNAの特徴が、中国や朝鮮半島の人のものと共通していることが分かったという。今回のようにまとまった数の弥生人のDNA分析から渡来人の集団の実態に迫る研究は初めて。

豊臣期の大量の金箔瓦 静岡・駿府城公園で発見

豊臣期の大量の金箔瓦 静岡・駿府城公園で発見

静岡県は10月16日、同市葵区の駿府城公園内の駿府城天守台跡から、豊臣期につくられたとみられる大量の金箔瓦と、徳川家康が築城した駿府城とは異なる形状の石垣が見つかったと発表した。
今回、「秀吉の城」に使われていたとされる金箔が施された瓦約330点と南北約37㍍、東西約33㍍の天守台が見つかった。天守台の石垣は徳川家康が建てた駿府城とか異なる形状で、自然石を積む野面積みだった。
今回の調査で家康による1585~1588(天正13~16)年の駿府城築城と、1607~1610(慶長12~15)年の駿府城大改修の間、駿府城の地に豊臣秀吉が家臣・中村一氏に1590~1601(天正18~慶長6)年の間に、城を建てさせていたことが裏付けられたとしている。

パリで縄文展 国宝・重文の土偶や土器64点を展示

パリで縄文展 国宝・重文の土偶や土器64点を展示

日本文化の原点、縄文時代の「美」をテーマに、日本各地で出土した国宝の土偶や土器を揃えた展覧会が、10月17日から海外で初めてフランスで開かれる。
フランスで日本文化を紹介する一連の行事「ジャポニズム2018」に合わせて、日本文化会館で開催されるもの。国宝や重要文化財に指定された縄文時代の土偶や土器など64点が展示される。

「仁徳陵」を初の共同発掘調査 宮内庁・大阪府堺市

「仁徳陵」を初の共同発掘調査 宮内庁・大阪府堺市

宮内庁は10月15日、「仁徳天皇陵」として管理する大阪府堺市の世界最大級の前方後円墳を、10月下旬から12月上旬まで堺市と共同で発掘調査すると発表した。立ち入りや調査が厳しく制限される陵墓で、自治体との共同発掘調査が行われるのは、これが初めて。
今回の共同調査は、堺市の専門の学芸員も加わり、古墳の3重の濠(ほり)のうち、一番内側と2番目の間の堤で3カ所発掘して、埴輪が埋まっている位置などを調べるという。

京都・仁和寺の明王壁画初公開 大迫力の5体

京都・仁和寺の明王壁画初公開 大迫力の5体

京都の世界遺産、仁和寺(京都市右京区)で、本尊の奥にある5体の色鮮やかな明王の壁画が、10月13日から初めて一般公開されている。12月16日まで。
高さおよそ2㍍、幅およそ15㍍の木製の壁に、江戸時代初期、370年余り前に描かれてから1度も修繕されていないという5体の明王が、天井のライトで照らし出されている。中央の「不動明王」は剣を握り、正面をにらみ付けて堂々と座る姿が描かれ、金色の装具、真っ赤に燃え盛る背後の炎などが色鮮やかに表現され、迫ってくる。このほか、3つの顔と6本の手を持つ明王、手足に巻き付けた明王もあり、その迫力には目を見張るものがある。
これらは普段は一般に人が入れない「裏堂」の壁画、邪悪な者が入ってこないように描かれたという。

平城宮跡で出土の荷札の木簡80点を展示 国宝26点も

平城宮跡で出土の荷札の木簡80点を展示 国宝26点も

奈良文化財研究所は10月13日から、平城宮跡から出土した国宝の荷札など木簡だけを集めた展示会を、平城宮跡資料館で開く。11月25日まで。
今回は奈良時代、全国から税として都に納められていた荷札の木簡およそ80点が3回に分けて展示される。この中には国宝26点が含まれている。平城宮跡からこれまでに、当時は全国の地方それぞれの特産物が税として納められたことをうかがわせる木簡が出土している。下総国海上郡、今の千葉県銚子市などからワカメ、今の山口県周防大島町から塩など、様々な特産物が都に送られたことが分かる荷札が見つかっている。
また、奈良時代の実力者で、絶大な権勢を誇った藤原氏と対立し、非業の最期を遂げた長屋王の邸宅跡からもこの種の木簡が見つかっており、中央の権力者と地方の関わりを示すものだ。

和歌山で西行生誕900年記念特別展 ゆかりの300点展示

和歌山で西行生誕900年記念特別展 ゆかりの300点展示

平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人、西行(1118~1190年)の生誕900年を記念して、出身地・和歌山でゆかりの文化財などを集めた特別展が10月13日から開かれる。会場は和歌山県立博物館で、11月25日まで。
同展では、西行ゆかりの文化財約300点が展示される。国宝の「僧円位(西行の法名)書状」は、全国で6点しか確認されていない西行直筆の書の一つで、高野山への課税をめぐり平清盛との交渉の様子が認(したた)められている。また、熊野古道に咲く桜を愛(め)でる西行の姿をはじめ、俗名・佐藤義清が出家し、西行と称してから亡くなるまでの生涯を描いた「西行法師行状絵巻」なども展示される。
佐藤義清は平清盛と同い年で、鳥羽上皇に北面の武士として仕えるが、後に出家。仏道修行、和歌に励み、諸国を遍歴した。平清盛・時忠、崇徳院らと交わった。

奈良・天理市で「ササン朝ペルシャ」の美術展

奈良・天理市で「ササン朝ペルシャ」の美術展

奈良県天理市の天理大学附属参考館で、3~7世紀にかけて現在のイランやイラクの西アジアの一帯を支配していた「ササン朝ペルシャ」の美術品を集めた特別展が開かれている。同展は11月26日まで。
同展は正倉院の宝物の源流の一つとされる、古代国家・ササン朝ペルシャの美術品およそ100点を集め展示している。現在のイランで見つかった「円形切子ガラス碗」や「鍍金裸体婦人文銀八曲長杯」などは、正倉院の宝物にも同じデザインのものがあるという。シルクロードを通って運ばれてきたものと考えられ、美術品を通して東西の交流があったことが分かる。