興福寺 中金堂300年ぶり再建 落慶法要 10/20から公開

興福寺 中金堂300年ぶり再建 落慶法要 10/20から公開

奈良・興福寺の中金堂が300年ぶりに再建され10月7日、完成を祝う落慶法要が営まれた。法要に先立ち除幕され、優美な中金堂が姿を現すと参列した約3000人の中から拍手が湧き起こった。
再建された中金堂は高さ約20㍍、幅約37㍍で、堂内には本尊の釈迦如来像などが安置されている。この落慶法要は11日まで毎日営まれ、20日から一般公開される。
興福寺の中金堂は奈良時代の創建以来、焼失と再建を繰り返し、300年前の江戸時代の火災を最後に失われたままだったが、今回約20年がかりで再建された。

正倉院で「開封の儀」第70回「正倉院展」10/27から

正倉院で「開封の儀」第70回「正倉院展」10/27から

奈良市の正倉院で10月3日、宝物(ほうもつ)も点検や調査のため年に一度、部屋の封印を解く「開封の儀」が行われた。宮内庁はこの後、およそ2カ月にわたって宝物の点検や調査を行う。
これに合わせて、奈良国立博物館では第70回目となる「正倉院展」が10月27日から開かれ、初出展の10件を含む56件の宝物が公開される。
正倉院では、奈良時代に造られた校倉(あぜくら)造りの正倉に入っていた、聖武天皇ゆかりの品や東大寺ゆかりの宝物などおよそ9000点が宝庫と呼ばれる建物に移され、保管されている。

「はやぶさ2」の探査ロボ、小惑星「りゅうぐう」に着陸

「はやぶさ2」の探査ロボ、小惑星「りゅうぐう」に着陸

国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は9月22日、探査機「はやぶさ2」から投下された探査ロボット2台が小惑星「りゅうぐう」に着陸したと発表した。ロボットはいずれも正常という。先代の「はやぶさ」は2005年に小惑星「イトカワ」への探査ロボット投入に失敗している。今回13年ぶりの再挑戦に成功した。
送られてきた画像では、りゅうぐうは予想外に岩石が多く、予定されているはやぶさ2の着陸は簡単ではないようだ。だが、はやぶさ2は10月下旬から3度の着陸で、生命の起源を解明する手掛かりとなる有機物などを含む岩石を採取する。そして2019年末にりゅうぐうを離れ、2020年末に地球へ持ち帰る予定だ。

龍馬花押の唯一の直筆原本を初披露 福井で特別展

龍馬花押の唯一の直筆原本を初披露 福井で特別展

福井県立歴史博物館(福井市)で9月22日から始まった特別展「幕末維新の激動と福井」で、坂本龍馬の花押(サイン)が記された書簡が国内初公開されている。特別展は11月4日まで。
この書簡は越前福井藩士村田氏寿宛てに、元治元(1864)年10月6日付で書かれたもの。訪ねた村田が不在だったため、同行していた薩摩藩の重役、岩下方平とともに近日中に関東へ向かう旨、伝える内容となっている。龍馬直筆の花押を原本で確認できるのはこの書簡だけという。
今回の特別展では初公開されるものが数多く集められている。西郷隆盛が村田に宛てた書簡が初公開されているほか、橋本左内の「啓発録」の原本も展示されている。

日本人の起源探る新プロジェクト始動 DNA解析・海外データと比較

日本人の起源探る新プロジェクト始動 DNA解析・海外データと比較

国立遺伝学研究所や国立歴史民俗博物館など複数の研究機関と大学がプロジェクトチームを結成し、日本人の起源を探ることになった。旧石器時代から現代までの人々の遺伝情報を解析することで、日本列島に暮らしてきた人々の起源を5年かけて調査・研究を進める。
チームは、旧石器時代や弥生時代など古代人の人骨からDNAを取り出して遺伝情報を解析し、日本各地に住む現代人500人と比較するほか、海外のデータとも比べる。これにより、およそ4万年前、日本列島に初めて渡ってきたとされる人々が、いつ・どのような過程を経て、今の日本人にできていったのか明らかにしたいとしている。

藤原宮跡「大極殿院」の北門跡を確認 奈文研

藤原宮跡「大極殿院」の北門跡を確認 奈文研

奈良文化財研究所の発掘調査によると、飛鳥時代の都、藤原宮跡(奈良県橿原市)で、天皇が儀式を行った「大極殿院」の北門の跡が確認された。9月15日午後1時半から現地説明会が開かれる。
大極殿院の北側に柱を立てた跡とみられる穴が23カ所、東西に並んで確認された。穴の中には柱の基礎となる、こぶし大の石が複数置かれていて、穴の位置などから大極殿を取り囲む屋根がついた廊下「回廊」の跡とみられている。中央付近には柱と柱の間隔が広くなっている場所があり、ここに天皇が大極殿で儀式を行う際に出入りしたとされる「北門」があったとみられるという。
藤原宮跡はおよそ1300年前の飛鳥時代、日本で初めて置かれた本格的な都の中心。その大極殿院は天皇が重要な儀式を執り行った大極殿を含む一角。

沈没「咸臨丸」は見つかるか?9/7から現地沖合で潜水調査

沈没「咸臨丸」は見つかるか?9/7から現地沖合で潜水調査

東京海洋大学の岩淵聡文教授らの研究チームが9月7~9日、北海道・木古内町(上磯郡木古内町)サラキ岬沖で沈んだ幕末のオランダ製軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の船体を探すため、現地で潜水調査を実施する。
同調査にはオランダ文化庁から委託を受けたレオン・デルクセン調査官が参加する。地元ダイバーの案内で水中考古学の専門ダイバー2人が潜水。船体を見つけ、その場で咸臨丸と判断できない場合はサンプルを採集し、年代の測定や樹種などの分析を行う。

ブラジルのアマゾンで未確認の部族の姿をドローンで撮影

ブラジルのアマゾンで未確認の部族の姿をドローンで撮影

ブラジルの政府機関「国立インディオ基金」によると、アマゾン奥地のブラジルとペルーとの国境付近で、これまで確認されていなかった先住民の部族の姿をドローンを使って撮影することに成功した。
映像では森の中を弓矢のようなものを持って歩く複数の人の姿が捉えられている。AP通信によると、確認された人は合わせて16人に上るという。
国立インディオ基金によると、ブラジルでは文明から孤立した部族が100余り確認されていて、過去には外部との接触が伝染病の流行を招いたこともあることから、直接的な接触をせずに調査を行っているという。

幕末の徳川将軍、家茂・慶喜使用の印「経文緯武」の実物確認

幕末の徳川将軍、家茂・慶喜使用の印「経文緯武」の実物確認

徳川記念財団などによると、幕末の14・15代将軍、徳川家茂と慶喜が西洋諸国との間で交わした外交文書に使用した印の実物が確認された。
今回見つかったのは「文武両道の政治を行う」という意味の「経文緯武」と彫られた縦・横9.2㌢、重さ2.7㌔㌘の銀印で、徳川家に伝わる資料などを管理する徳川記念財団が蔵を整理した際、漆塗りの箱の中に残されていた。
東京大学史料編纂所の調べにより、家茂と慶喜が国の代表として外交文書などに使用していた印の実物と確認された。この印は安政5(1858)年に結ばれた日米、日英、日仏間の修好通商条約の批准書などに、将軍の署名とともに押されたことが、残されている書面から確認できるが、実物がどこにあるのか、わかっていなかった。
この印は9月15日から新潟県立歴史博物館で開かれる「徳川の栄華」展で、9月30日までの期間限定で公開される予定。

日本初の有人月面着陸機開発へ JAXAが構想

日本初の有人月面着陸機開発へ JAXAが構想

宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、日本初の有人月面着陸機を開発する構想がこのほど明らかになった。構想によると、着陸機は4本脚のテーブルのような形状で、上部に欧州が開発する離陸船と連結させる。月の上空を周回する基地に係留し、飛行士4人が船内に乗り移り降下。エンジンを逆噴射して月面に軟着陸する。
カナダの探査車に乗って2日程度滞在し、月面を探査。帰還時は着陸機を月に残し、離陸船だけが上昇し基地に戻る。基地出発から帰還まで4、5日の予定で、ほぼ年1回計5機程度の着陸を見込んでいる。
欧州と連携し、2030年ごろに月面着陸を目指す。機体は米国のロケットで打ち上げる。2020年代に建設を目指す米国の月基地への参加を念頭に置いたもの。

法隆寺 4市との交流協定締結1周年「食封で結ばれた文化交流展」

法隆寺 4市との交流協定締結1周年「食封で結ばれた文化交流展」

奈良・斑鳩町の法隆寺ゆかりの都市文化交流協定締結1周年記念「法隆寺食封(じきふ)で結ばれた文化交流展-法隆寺がつなぐ各地域の古代の様相」が、同町法隆寺西1丁目の斑鳩文化財センターで開かれている。入場無料、9月2日まで。
食封は、朝廷が皇族や寺社などに、一定地域の住民が納める税の一部(米や特産品)を支給した制度。斑鳩町は、奈良時代に法隆寺の運営を支えた食封の存在した兵庫県姫路市、、同朝来市、神奈川県小田原市、群馬県高崎市の4市と2017年7月、同協定を締結している。
同展では、同寺や同町、4市の歴史、文化がうかがえる飛鳥、奈良時代を中心とする考古資料約110点を公開。同寺の五重塔出土舎利容器(模造)や軒瓦、百萬塔をはじめ、各地の寺院から出土した木簡や土器、ユネスコの世界記憶遺産に登録された高崎市の巨大な石碑「上野三碑」(レプリカ)などが展示されている。

お盆の夜空に5つの炎「京都五山送り火」

お盆の夜空に5つの炎「京都五山送り火」

お盆に先祖の霊を送る、300年以上の歴史があるとされる伝統行事「京都五山送り火」が8月16日夜、例年通り行われた。
京都市は同日夕方、一時的に雨足が強まり、その挙行が危ぶまれたが、夜には上がり午後8時、左京区の大文字山の斜面に設けられた火床に火が一斉に灯され、暗い夜空に炎の「大」の文字が浮かび上がった。そして、「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の順に火が灯され、京都市を囲む5つの山々が炎で描かれた文字と形で彩られた。
地元の人や観光客らは、上京区や中京区のビルの屋上はじめ思い思いの様々な場所から、それぞれ少し異なる表情の、闇夜に浮かび上がる炎がつくりだす幻想的な風景に見入っていた。

国宝や重文含む文化財115件が盗難 58件は行方不明

国宝や重文含む文化財115件が盗難 58件は行方不明

朝日新聞社の調べによると、国宝や国の重要文化財(重文)、都道府県の文化財に指定された美術工芸品について、行政機関に盗難被害が届けられた件数が115件(うち国78件、18都道府県計37件)に上ることが分かった。
そして、このうち半数の58件(重文28件、都道府県指定30件はその行方が分からないという。6件は所在が分かったものの、届け出た側に戻っていない。転売されて所有権を争っている重文の刀剣などがそれだ。行方不明になって時間が経過するほど、関与した人が増えるほど事情は複雑で、簡単に元の所有者には戻ってこないというわけだ。

京都・清水寺の伝統行事「千日詣り」に多くの参詣客

京都・清水寺の伝統行事「千日詣り」に多くの参詣客

京都・東山区の清水寺で「千日詣り(せんにちまいり)」が行われ、多くの他府県からの参詣者を含め、終日にぎわっている。
千日詣りは、1度お参りすると1000日お参りしたのと同じ御利益があるとされる夏の伝統行事。8月16日まで行われている。
この期間中は、普段は入ることのできない、本尊の千手観音が祀られている本堂の奥が特別に公開される。訪れた多くの参詣客は、願い事を書いたろうそくを観音像の周りに供え、千手観音と縁が結ばれるという5色のひもでを握っては、思い思いに手を合わせていた。

小惑星イトカワの誕生は46億年前 微粒子分析で解明

小惑星イトカワの誕生は46億年前 微粒子分析で解明

大阪大学大学院理学研究科の寺田健太郎教授らのグループの分析によると、小惑星「イトカワ」はおよそ46億年前にできた小惑星が壊れてできたことが分かった。
日本の探査機「はやぶさ」が8年前、地球に持ち帰ったイトカワの微粒子に含まれる、ごく少量のウランと鉛の質量の変化を、特殊な装置を使って詳細に分析した結果、分かったもの。小惑星のできた時期が実際のサンプルで解明されたのは初めて。

東大寺・大仏 お盆前に恒例の”お身拭い”

東大寺・大仏 お盆前に恒例の”お身拭い”

奈良・東大寺で8月7日、大仏にたまったほこりを落とす恒例の”お身拭い”が行われた。お盆前の毎年8月7日に行われるお身拭いは、午前7時から大仏殿で大仏の魂を抜くための法要が行われた。
その後、白い装束を身に着けた僧侶らおよそ180人が高さおよそ15㍍ある大仏の顔や、手のひらの上にのぼり、ほうきやはたきを使って、たまったほこりを丁寧に払い落としていた。顔や肩の部分は天井から吊るしたかごに乗り込んだ人たちが作業にあたり、ほこりが舞い上がっていた。

東大寺・大仏 お盆前に恒例の”お身拭い”

東大寺・大仏 お盆前に恒例の”お身拭い”

奈良・東大寺で8月7日、大仏にたまったほこりを落とす恒例の”お身拭い”が行われた。お盆前の毎年8月7日に行われるお身拭いは、午前7時から大仏殿で大仏の魂を抜くための法要が行われた。
その後、白い装束を身に着けた僧侶らおよそ180人が高さおよそ15㍍ある大仏の顔や、手のひらの上にのぼり、ほうきやはたきを使って、たまったほこりを丁寧に払い落としていた。顔や肩の部分は天井から吊るしたかごに乗り込んだ人たちが作業にあたり、ほこりが舞い上がっていた。

日本人の起源に迫れるか 弥生人の40点の骨を初のDNA分析

日本人の起源に迫るか 弥生人の40点の骨を初のDNA分析

国立科学博物館や国立歴史民俗博物館が、鳥取市・青谷上寺地遺跡で見つかった、およそ2300年前から1700年前の弥生人の人骨およそ40点のDNAを最新の手法で分析する調査を始めた。
これだけまとまった数の弥生人のDNA分析を詳細に行うのは初めてで、研究グループでは調査を通じて、日本人の起源に迫りたいとしている。
遺伝情報を分析したうえで、弥生人同士の血縁や髪の毛、目の色など身体的な特徴を明らかにする予定。また、稲作などの新たな文化を携えて大陸から渡来した人たちが日本列島でどのように広がり、今の日本人に繋がるのか解明したいとしている。

大阪 天神祭・本宮 船渡御と5000発の花火が夜空彩る

大阪 天神祭・本宮 船渡御と5000発の花火が夜空彩る

大阪の代表的な夏祭り、天神祭は7月25日、本宮を迎え午後6時から大川に100隻の祭り船が行き交う「船渡御」が始まった。
船に乗り込んだおよそ1万3000人が太鼓をたたいたり、手を打つなどして祭りを盛り上げた。ほどなく、これに合わせておよそ5000発の花火が打ち上げられ、浪速の夏の夜空を彩った。
両岸の川沿いでは外国人はじめ家族連れ、浴衣姿のカップルら大勢の見物人が、飲み物片手にうちわを仰ぎながら、ひととき時間を忘れて壮麗な祭りに見入っていた。

比叡山延暦寺「根本中堂」改修作業見学のステージ完成

比叡山延暦寺「根本中堂」改修作業見学のステージ完成

滋賀県大津市の比叡山延暦寺で60年ぶりに改修中の国宝「根本中堂」の様子を間近で見られる専用のステージが完成し、8月1日から公開されることになった。
根本中堂は現在、仮の屋根で覆われているが、延暦寺は根本中堂と廻廊の間の中庭にステージを作り、幅35㍍、高さ10㍍の4層構造で、一番上の4層目からは銅板やサワラの板を使って屋根をふき替える作業を間近で見ることができる。
また3層目は、職人たちが使う足場と同じ高さになっていて、当時の色を復元して、外壁や彫刻などに塗りを施す仕事ぶりを見ることができるという。

大阪 天神祭「鉾流神事」で幕開け 7/25本宮

大阪 天神祭「鉾流神事」で幕開け 7/25本宮

大阪天満宮の夏祭り「天神祭」は7月24日朝、堂島川に浮かべた船の上から、木でつくった鉾(ほこ)を流して、人々の無病息災を祈願する「鉾流神事(ほこながれ・しんじ)」が行われて、幕を開けた。
天神祭は宵宮の24日午後から太鼓や舞が披露され、天神橋商店街などを神輿が練り歩き、本宮の25日はおよそ100隻の船が大川を行き交う「船渡御」が行われる。そして、夜にはおよそ5000発の奉納花火が打ち上げられ祭りのクライマックスを迎える。

京都・祇園祭 後祭で10の山・鉾が巡行

京都・祇園祭 後祭で10の山・鉾が巡行

京都の夏を彩る祇園祭の後祭(あとまつり)の山鉾巡行が7月24日、京都市中心部で行われた。
後祭の山鉾巡行は、その数は山鉾合わせ10基で、17日に行われた前祭の際の23基と比べると半分以下だが、豪華に飾り付けられた山・鉾が”コンチキチン”の祇園囃子の音色が響く中、ゆっくりと都大路を進むさまは、遠目には17日の再現ビデオを見ているような気分になる。
そして、大きいものでは10㌧もの重量を超える山や鉾が交差点で、車輪の下に竹を敷いて豪快に90度方向を変える「辻回し」を披露すると、沿道で見守る人たちから大きな拍手や歓声があがるさまも前祭と変わらない。
京都市は11日連続で猛暑日となっており、気象台の観測からは8月初めまで異常な暑い日は続きそうだが、京都の夏恒例の熱い大イベントは終わりを告げた。

滋賀・高島市 2世紀にわたり築かれた異例の古墳群と確認

滋賀・高島市 2世紀にわたり築かれた異例の古墳群と確認

滋賀県高島市教育委員会の発掘調査によると、同市で見つかった古墳群が5世紀の終わりごろから、およそ180年間にわたって次々と築かれた、全国的にも珍しいものであることが分かった。
2017年3月から2018年7月にかけて行われた発掘調査で、同市新旭町にある「南畑古墳群」からは、本格的な石室がある円墳と呼ばれる丸い形の古墳や、土を盛っただけの古墳など様々な様式の古墳10基が新たに確認され、出土した須恵器などから6世紀から7世紀初めごろに築かれたものと分かったという。
すぐ近くにある「下平古墳群」では5世紀の終わりごろの古墳が見つかっており、この地域では5世紀の終わりから7世紀の初めごろまで、およそ180年間にわたって次々と古墳が築かれていたとみられるという。これだけ長期間、古墳が同じ地域に築かれるケースは全国的にも珍しいという。
同市教委では「この地域には当時安定的な権力を持った豪族がいたのではないか。この地域で生まれたとされる継体天皇との関わりなどの調査を進めたい」としている。

祇園祭の前祭・23基の山鉾巡行に22万人の人出

祇園祭の前祭・23基の山鉾巡行に22万人の人出

連日、最高気温38度超えの記録的な猛暑が続く中、京都・祇園祭の前祭(さきまつり)のハイライト、山鉾巡行が7月17日、京都市中心部で行われた。
コンチキチンの祇園囃子の音色とともに、ゆっくりと都大路を進む、豪華な懸装品をまとった23基の山鉾に、多くの遠来の観光客を含めた見物客らは見入っていた。とりわけ、その重量10㌧を超える鉾が90度角度を変える四条河原町での”辻回し”には、大きな掛け声や歓声が起こっていた。
京都府警によると、今年の山鉾巡行には昨年より3万人多い22万人が訪れた。

京都・壬生寺で新選組隊士・幕末志士の慰霊祭

京都・壬生寺で新選組隊士・幕末志士の慰霊祭

新選組とゆかりの深い京都市中京区の壬生寺で7月16日、幕末の動乱で命を落とした隊士や志士の慰霊祭が行われた。
7月16日は新選組が尊王攘夷派を襲撃した「池田屋事件」が起きた日。そのため壬生寺で、毎年この日に慰霊祭が行われている。この日は全国から近藤勇、土方歳三、沖田総司らの熱烈な新撰組ファン200人余りが集まった。彼らをはじめとする参列者は、僧侶が読経する中、焼香して静かに手を合わせ、幕末に思いを馳せ祈りを捧げていた。
壬生寺は、新選組の屯所が近くにあった縁で、隊士らが境内で武芸の稽古などに励んだことから、新選組のゆかりの寺として知られている。

京都・祇園祭「宵山」に”コンチキチン”の祇園囃子と人の波

京都・祇園祭「宵山」に”コンチキチン”の祇園囃子と人の波

京都の祇園祭は7月16日、最大の見せ場となる「山鉾巡行」を翌日に控える宵山を迎え、まさに人の波が押し寄せたような、大勢の見物客でにぎわった。
17日の「前祭(さきまつり)」の山鉾巡行で都大路を練り歩く23の山や鉾が建ち並ぶ四条通と周辺の路地は、午後6時から歩行者天国となり、車両を締め出したこの空間は、引いた構図でみると、豪華に飾られた山や鉾が提灯の明かりで幻想的に照らし出され、別世界のよう。そうした中、”コンチキチン”の祇園囃子が鳴り響く。
3日続けて日中の気温が38度を超える猛暑に見舞われた京都。歩行者天国となった時点でもまだ35度近い、うだるような暑さの中、大勢のうちわを手にした浴衣姿の女性や家族連れなどが宵山の雰囲気を楽しんでいた。

熊野那智大社で大たいまつ担ぐ勇壮な火祭

熊野那智大社で大たいまつ担ぐ勇壮な火祭

和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社の神事「那智の扇祭」(通称:那智の火祭)が7月14日、行われた。
これは、熊野の神々が年に1度もともと祀られていた那智の滝へ里帰りするという神事。燃え盛る大たいまつを担ぎ、火の粉が飛び散る勇壮な火祭りとして知られている。
今回も12本の大たいまつを抱えた白装束の氏子たちが火の粉を飛ばしながら滝へと続く石段を練り歩いて清め、神々が乗る12体の扇神輿(みこし)を出迎える。こうした一連のさまを、訪れた観光客らは興味深そうに見守っていた。

ホメロスの古代叙事詩「オデッセイ」の粘土板発掘

ホメロスの古代叙事詩「オデッセイ」の粘土板発掘

ギリシャ文化省によると、ギリシャ西部オリンピアで古代の詩人ホメロスの叙事詩「オデッセイ」の一部が刻まれた粘土板が発掘された。この粘土板は3世紀ごろのものとみられ、ギリシャで発見された最古のオデッセイの記録の可能性があるという。
ギリシャとドイツの研究チームが、ゼウス神殿の近くで遺跡発掘の作業中に発見した。24歌で更生される長編叙事詩のうち、第14歌の一部が記されていた。複数のメディアが報じた。

西田幾多郎の多数の直筆ノート見つかる

西田幾多郎の多数の直筆ノート見つかる

「善の研究」などの著書で知られ近代日本を代表する哲学者、西田幾多郎(きたろう、1870~1945年)の遺族宅で、西田直筆の多数のノートが見つかった。
石川県かほく市の西田幾多郎記念哲学館などが、修復とともに読み解きを進めており、専門家はノートの修復や読み解きが今後の哲学研究のモデルになると指摘している。
西田は、西洋思想と東洋思想を融合させた独自の哲学体系をつくり、当時の知識人や若者に大きな影響を与え、「京都学派」の中心となった。

山鉾巡行「前祭」7/17「後祭」7/24 祇園祭の鉾建て始まる

山鉾巡行「前祭」7/17「後祭」7/24 祇園祭の鉾建て始まる

京都市中心部の四条通で7月10日、祇園祭のハイライト山鉾巡行を控え、道路の一部を規制して鉾の組み立て作業が始まった。鉾は木材を傷めないよう、釘(くぎ)を一切使わず、縄で固定する「縄がらみ」という伝統的手法で組み立てられる。山・鉾は14日ごろまでにすべて組み立てられ、出揃う。
祇園祭の山鉾巡行は「前祭(さきまつり)」が7月17日、「後祭(あとまつり)」が7月24日行われる。

長崎・天草の「潜伏キリシタン」世界文化遺産に登録決定

長崎・天草の「潜伏キリシタン」世界文化遺産に登録決定

バーレーンのマナマで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)を世界文化遺産に登録することを決めた。日本の文化遺産は18件目で、自然遺産(4件)と合わせると世界遺産は22件となった。
登録されるのは、江戸幕府がキリスト教の信仰を禁じた17~19世紀、日本古来の伝統的な宗教や社会と”共生”しながら、密かに信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」が育んだ独特の文化的伝統を示す遺産群。
禁教のきっかけとなった島原・天草一揆の舞台となった原城跡や信仰を集めた離島も含む集落や集落跡、長崎市内の大浦天主堂など12の構成資産すべてが対象となった。

淡路島で紀元前に埋納された最古級の銅鐸を確認

淡路島で紀元前に埋納された最古級の銅鐸を確認

兵庫県南あわじ市教育委員会は6月27日、同市で2015年に見つかった弥生時代の青銅器「松帆銅鐸(まつほどうたく)」の科学分析の結果、朝鮮半島産の鉛を含むなど弥生時代中期前半(紀元前4~前3世紀)の最古級の銅鐸と同じ特徴を持つことが分かったと発表した。多数の銅鐸が土中に埋められたのが、紀元前に遡って最古の事例となる可能性が強まった。
同市教委が奈良文化財研究所(奈良市)に依頼、銅鐸7個と、一緒に見つかった音を鳴らすための「舌(ぜつ)(=振り子)」7個について、元素の種類や含有量を測定する発光分光分析と鉛の同位体比から産地を推定する分析を行った。
銅鐸は豊作や集落の安全を祈るコメづくりを中心とした農業のまつりに使われたとされる。

銅鏡・鋳型で共同研究 橿原考古研と中国社会科学院

銅鏡・鋳型で共同研究 橿原考古研と中国社会科学院

奈良県立橿原考古学研究所と中国社会科学院考古研究所がこのほど、中国の山東省で出土する銅鏡や鋳型の共同研究をさらに進めるため、協議書を締結した。
中国の戦国時代の末期から前漢時代の銅鏡や、前漢時代の鋳型を最新技術で研究。鋳型の再利用状況など、製造技術の解明を進める。
戦国七雄の一つ、斉(せい)の城があった山東省臨二(りんし)地区で出土している紀元前3~2世紀の銅鏡などの調査を進める。同地区ではこれまでに計およそ7000枚の銅鏡が出土しているという。

鹿児島で7000万年前の大型草食恐竜の化石発見

鹿児島で7000万年前の大型草食恐竜の化石発見

国立科学博物館と鹿児島県薩摩川内市などは6月23日、同市の甑(こしき)島で、約7000万年前(中生代白亜紀最末期)の地層から、大型草食恐竜の左大腿(だいたい)骨の化石が見つかったと発表した。この恐竜は体長10㍍を超えるハドロサウルス類とみられる。
今回見つかった化石は長さ70㌢、直径最大28.5㌢。2016年7月、地質調査中に発見された。化石周辺の鉱物にレーザーを当てる「ウラン・鉛年代測定法」で、白亜紀最末期と特定した。白亜紀最末期は、恐竜が絶滅する直前の時期とされる。

纏向遺跡から出土の1800年前のイヌの骨初公開 桜井市

纏向遺跡から出土の1800年前のイヌの骨初公開 桜井市

奈良県桜井市の市立埋蔵文化財センターで、邪馬台国の有力候補地とされる同市の纏向(まきむく)遺跡から出土した、およそ1800年前の3世紀前半のイヌの骨が展示されている。一般公開は今回が初めて。9月30日まで。
このイヌの骨は平成26年度調査で、女王卑弥呼の居館との見方がある大型建物群より以前の区画溝とみられる溝から見つかった。古墳時代では貴重な事例で、ほぼ全身の骨が確認されている。

最古級の日本全図「日本扶桑国之図」発見 広島の博物館

最古級の日本全図「日本扶桑国之図」発見 広島の博物館

広島県立歴史博物館(広島県福山市)は6月15日、室町時代初期(14世紀中ごろ)に描かれたとみられる日本の古地図を確認したと発表した。
確認されたのは「日本扶桑国之図(ふそうこくのず)」と書かれた縦122㌢、横57㌢の地図で、広島出身の収集家から博物館に寄託された。扶桑国は日本の古い異称。
地図には北海道を除く東北から九州までの旧国名が、九州側が上、東北側が下に描かれ、薩摩、大隅両国から陸奥国まで68カ国の位置や名称などが記されている。九州の近くには当時の沖縄の地名「龍及(りゅうきゅう)」の文字もある。このほか、人口や寺の数なども記されている。

平城宮跡で大規模な調理場跡 “宴”開かれた跡

平城宮跡で大規模な調理場跡 “宴”開かれた跡

奈良文化財研究所によると、奈良時代の平城宮跡(奈良市)で火を使って煮炊きした大規模な調理場だったとみられる跡が見つかった。
同研究所の発掘調査で今回見つかったのは、平城宮跡の東にあたる皇太子の宮殿などがあった東院地区。建物があった場所に直径40㌢ほどの焼けた土が4カ所一列に並んで見つかったほか、大量の炭が確認された。周辺からは奈良時代の皿やお椀などの土器が数多く見つかっている。昨年はこの近くで洗い場とみられる跡も見つかった。平城宮跡で調理場とみられる跡が見つかったのは初めて。
古代の歴史書「続日本紀」には、この地区で天皇や貴族がたびたび盛大な”宴(うたげ)”を開いたという記述がある。

伏見稲荷大社で豊作祈る「田植祭」

伏見稲荷大社で豊作祈る「田植祭」

京都市伏見区の伏見稲荷大社で6月10日、今年1年の豊作を祈る「田植祭」が行われた。
境内にある約300平方㍍の水田で、あかね襷(たすき)に菅笠(すげがさ)姿の女性らおよそ20人が、丁寧に苗を植え付けていく。この田植えが行われている傍らで、平安時代の衣装を身にまとった4人の女性が伝統的な神楽の演奏に合わせて「御田舞(おたまい)」と呼ばれる舞を奉納し、今年の豊作を祈った。訪れた見物客はこの伝統的な神事を熱心にカメラに収めていた。秋には収穫され、神前に供えられる。
田植祭は、五穀豊穣の神さまとして知られる同大社で毎年行われる神事。

滋賀・西教寺で命日の6/14に明智光秀の功績称えフォーラム

滋賀・西教寺で命日の6/14に明智光秀の功績称えフォーラム

明智光秀公顕彰会は、光秀の命日とされる6月14日、ゆかりの滋賀県大津市の西教寺で、発足30年の記念フォーラムを開く。14日は午前10時から茶会(500円、茶菓付き)、正午から法要、午後1時から記念式典が行われる。15日には分科会、16日は散策ツアーなどが企画されている。
同顕彰会は1989年、武将として、領主としての光秀の功績を後世に残す目的で発足。事務局の西教寺は光秀の菩提寺で、毎年6月14日に追善法要が営まれる。今回は30周年の節目にあたることと、光秀が2020年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公として取り上げられることが決まり、今後、マスメディアへの露出度が高まることが見込まれている。
西教寺の総門や梵鐘は光秀が築城した坂本城の城門や陣鐘だったと伝わる。

大和郡山で区画整備の道の跡 平城京の「条坊」か

大和郡山で区画整備の道の跡 平城京の「条坊」か

奈良県大和郡山市教育委員会によると、奈良時代の「平城京」の南に位置する同市の「平城京南方遺跡」から、平城京と同様に区画整備された道の跡が見つかった。
同市教委発掘調査の結果、東西に走る幅4㍍ほどの道の跡と、南北に走る幅6㍍ほどの道の跡の一部が見つかった。
平城京では道路が碁盤の目につくられた「条坊」と呼ばれる区画整備が行われているが、今回見つかった道の跡も同様の区画整備がされていたという。
平城京は東西に走る「九条大路」が南の端とされているが、平城京がこのエリアまで広がっていたのかどうかを、今後議論する必要があるとしている。

「北前船」寄港地 関西7市町が協力観光PR

「北前船」寄港地 関西7市町が協力観光PR

「北前船」の寄港地として文化庁が創設した「日本遺産」に認定された、関西の7市町が協力して歴史的な観光拠点としてPRしていくことになった。
江戸時代から明治初期にかけて日本の物流を支えた北前船。この寄港地だった全国38の市と町が日本遺産に認定されている。このうち関西で認定された大阪市や神戸市など7つの市と町は、今年10月から半年間、地元のガイドが案内しながら、北前船の歴史をたどる街あるきを企画するなど、協力して観光PRしていく。

鑑真しのび唐招提寺で「開山忌」鑑真和上坐像特別公開

鑑真しのび唐招提寺で「開山忌」鑑真和上坐像特別公開

奈良市の唐招提寺で、寺を開いた中国の高僧、鑑真の遺徳をしのぶ「開山忌」が6月5日と命日の6日の両日営まれる。これに合わせ国宝の「鑑真和上坐像(がんじんわじょうざぞう)」が特別公開されている。公開は7日まで。
5日は境内にある中興堂で、僧侶がお経を唱える中、茶道の薮内流の家元がたてた茶が、鑑真和上坐像の”お身代わり像”に供えられた。また参拝者らは普段は見ることができないだけに、開山忌に合わせて公開された国宝の鑑真和上坐像に向かって静かに手を合わせていた。

西田幾多郎の未公開ノート50冊見つかる 独自哲学へ思索の軌跡

西田幾多郎の未公開ノート50冊見つかる 独自哲学へ思索の軌跡

京都大学などはこのほど、「善の研究」などで知られる哲学者、西田幾多郎(1870~1945年)の未公開ノート50冊が見つかったと発表した。宗教学や倫理学と題した講義ノートなどで、「西田の生の思考過程をたどることのできる第一級の史料」(京都大)という。
これらは遺族から預けられたノート50冊とレポート類250点から見つかったもの。写真撮影して電子データ化。これまでにノート14冊分の内容を書き起こした。
これまでに分かっている範囲では東大の学生時代から、京大教授定年退職前後の数十年にわたる思索の軌跡が刻まれている。善の研究など独自の哲学を展開した西田だが、アリストテレスやカントなどの古典から、同時代のドイツの数学者や米国の心理学者にも言及し、幅広い範囲で他の研究者の思索に関心を払っていたことがうかがわれるという。

「適塾」で2戦役でたどる英才門下生たちの特別展

「適塾」で2戦役でたどる英才門下生たちの特別展

「適塾」の門下生たちが戊辰~西南戦争にどのように関わっていたかをたどる特別展が、大阪市中央区の「適塾」(史跡・重要文化財)で開かれている。6月10日まで。開館時間は10時~16時。入館料は一般260円、高校・大学生140円。
江戸後期に蘭方医・緒方洪庵が開いた適塾は、主に軍制と医療の双方に数多くの英才を輩出した。その門下生、大村益次郎や大鳥圭介は戊辰戦争で指揮を執り、大村は明治政府の軍制確立に大きな役割を果たした。高松凌雲と佐野常民は赤十字の「博愛主義」に基づき、戦地に赴いて傷病者の治療にあたっている。このほか、大老・井伊直弼が断行した「安政の大獄」で吉田松陰らとともに散った橋本左内や、明治以後、頑として官職に就かなかった福沢諭吉らも適塾出身だ。
展示は、国産初の蒸気船を完成させた佐野常民所蔵の化学書「舎密開宗(せいみかいそう)」、洪庵の次男、緒方惟準(おがたこれよし)が著した医学書「軍医須知」など24点を紹介している。

ナスカで新たに25点以上の地上絵 ドローンで発見

ナスカで新たに25点以上の地上絵 ドローンで発見

ペルー文化省が行ったドローンによる調査で、「ナスカの地上絵」の近くでサルやシャチ、女性の踊り子、戦士などを描いた地上絵が新たに25点以上見つかった。
今回見つかった地上絵は、長年風雨にさらされて線が細くなっていて、地上や上空の高い地点からは見えにくく、ドローンが飛行する低空からようやく形として認識でき新発見に至ったという。
世界遺産に登録されている「ナスカの地上絵」は、およそ2000年前にペルー南部のナスカ台地に描かれた巨大な絵で、動物や幾何学的な模様など1000点以上が確認されている。

神戸で楠木正成しのぶ5年ぶり武者行列

神戸で楠木正成しのぶ5年ぶり武者行列

南北朝時代の名将、楠木正成をしのぶ武者行列が5月26日、ゆかりの深い神戸市で5年ぶりに行われた。この武者行列は、神戸の「湊川の合戦」で南朝方の武将として足利尊氏率いる北朝軍と戦い、自刃した楠木正成をまつる湊川神社の行事「楠公祭」に合わせて、5年ごとに行われているもの。
楠公祭は、本殿で神事が行われた後、午前10時に豪華(?)な金の飾りを付けたかぶとやよろいで身を包んだ、楠木正成はじめ騎馬武者などに扮した地域の人たちが、神社を出発し街を練り歩いた。全長約1㌔㍍に及んだ行列には約700人と馬約30頭が参加した。沿道には多くの見物客が訪れ、その勇姿をカメラに収めていた。
正成は、本拠とした大阪・千早赤阪村に鎌倉幕府軍を迎え撃った戦いで、地理を熟知した知略・奇襲戦法で幕府軍を翻弄し、北条執権家の弱体化を世間に印象付けた。

滋賀県の遺跡から国内最古の「獣脚」の鋳型出土

滋賀県の遺跡から国内最古の「獣脚」の鋳型出土

滋賀県草津市教育委員会によると、同市野路町にある集落の遺跡、榊差遺跡から鍋や釜などの器を支える脚で、「獣脚」と呼ばれる部分を作るための鋳型が出土した。
同市教委は、この鋳型は奈良時代前半のものと推定され、これまでに出土した中では国内最古のものになるとしている。今回、同市教委は今年1月~3月にかけて古墳時代から平安時代にかけての集落の遺跡で発掘調査を行った。
その結果、金属製品を作るための鋳型の破片およそ50点が出土した。獣脚の鋳型の出土例は全国でも少なく貴重な発見という。天智天皇が造営した「近江大津京」が開かれて、多くの人が移り住んだことで、当時の最先端の技術が入ってきた可能性があるとしている。

与謝野晶子直筆の”歌人・晶子”誕生前の未発表和歌見つかる

与謝野晶子直筆の”歌人・晶子”誕生前の未発表和歌見つかる

“歌人・晶子”誕生以前の、大阪・堺市在住時代、与謝野晶子が東京で離れて暮らす兄に会いたい気持ちを詠んだ未発表の和歌が見つかった。
和歌は晶子が兄・秀太郎の妻に宛てた手紙の中で見つかった。堺市が兄の遺族から手紙を借りて調べた際に見つかり、天理大学の太田登名誉教授に依頼して手紙の内容を分析したところ、晶子が与謝野鉄幹と駆け落ちして実家と絶縁する前の、明治31年7月に詠まれた未発表の和歌で、直筆で現存するものとしては最も古いことが確認されたという。
和歌は「よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしとしるらめや君」と詠んでいる。商家の堺でともに過ごし、結婚して上京した兄から連絡が来ないもどかしさを、天の川を題材にし詠んだもので、専門家らは仲が良かった時期の兄妹関係を示す貴重な資料と話している。

旧松江藩の鉄師・田部家などが「たたら製鉄」95年ぶり再開

旧松江藩の鉄師・田部家などが「たたら製鉄」95年ぶり再開

日本古来の製鉄法、「たたら製鉄」の操業が95年ぶりに再開される。これは、江戸時代に松江藩の主要な鉄師だった田部家などが途絶えていた、たたら製鉄の操業を再開するもの。
島根県雲南市吉田町吉田の和鋼生産研究開発施設で5月22日、田部家当主が社長を務める住宅・食品関連会社、田部(所在地:島根県雲南市)などが、たたらの炉に火入れする予定。日本古来の伝統を継承し、地域振興への貢献を目指すという。
たたら製鉄は、公益財団法人「日本美術刀剣保存協会」(所在地:東京都)が1977年から、奥出雲町大呂の製鉄施設「日刀保たたら」で操業を復活させ、日本刀の原料を供給している。

奈良で「吉野離宮」の正殿?大型建物跡見つかる

奈良で「吉野離宮」の正殿?大型建物跡見つかる

奈良県吉野町教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査によると、吉野町の国史跡「宮滝遺跡」で、『日本書紀』や『続日本紀』などに記されている「吉野離宮」の中心的な建物「正殿」の跡ではないかとみられる大型の建物跡が見つかった。
この建物跡は東西23.7㍍、南北9.6㍍で、屋根の四方に庇(ひさし)が付いた格式の高い建物で、奈良時代前半のものとみられている。橿原考古学研究所の菅谷文則所長は「吉野離宮の所在地をめぐっては宮滝遺跡以外の説もあったが、今回の成果で宮滝遺跡だったと確定できたと考える」と話している。
吉野離宮は、飛鳥時代に奈良県中部を流れる吉野川のほとりに、様々な公共工事を行ったとされる女帝の斉明天皇(天智天皇、天武天皇の母)が造営したとされる離宮。その後、大海人皇子(後の天武天皇)が天智天皇の死後、皇位継承をめぐって大友皇子と対立して起きた「壬申の乱」で、最初に反撃の兵を挙げた場所とされている。
天武天皇の死後、即位した妻の持統天皇は30回以上も吉野離宮を訪れているほか、女帝・元正天皇や聖武天皇などもたびたび吉野離宮を訪れたことが日本書紀や続日本紀に記されている。