鎌倉時代の僧侶で、数多くの仏教の著書を残した「凝然(ぎょうねん)」の木像が完成し9月26日、唐招提寺で魂を入れる開眼法要が営まれた。木像は2021年で凝然の没後700年になるのを記念して造られたもので、凝然が筆と巻物を手にしている高さ80cm程度の像。
凝然は唐招提寺や東大寺戒壇院で「長老」となった鎌倉時代の僧で、仏教の入門書とされる「八宗綱要」など数多くの著書を残している。
超高温・超短周期の海王星型惑星を発見 東大など研究チーム
東京大学大学院の教授らの参加する国際研究チームは9月22日、NASAが打ち上げたトランジット惑星探索衛星TESSと地上望遠鏡の連携した観測により、公転周期が19時間しかなく、惑星の温度が摂氏1,700度を超えると見込まれる超高温・超短周期の海王星型惑星LTT9779bを発見したと発表した。
LTT9779bの半径は地球の約4.7倍、質量は地球の約29倍で、海王星をやや大きくしたような系外惑星。LTT9779bの詳細、超高温の惑星がどのような大気を持つのか、またどのように生まれたのか、今後の研究が待たれる。
今回の国際研究チームには東京大学大学院総合文化研究科附属先進科学研究機構の成田憲保教授、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻の田村元秀教授らが参加している。
今回の研究成果は2020年9月21日、国際科学雑誌『Nature Astronomy』の電子版に掲載される。
国宝「十二天屏風」など50点余を展示 東寺で名宝展
京都の東寺(京都市南区)の宝物館が開館して55年になるのを記念して、所蔵する貴重な文化財などを公開する名宝展が9月20日から始まった。宝物館の会場には、屏風や経典など50点余りが展示されている。11月25日まで。
国宝「十二天屏風」は鎌倉時代のもので、帝釈天など12の守護神が描かれている。平安時代の平面的な描き方とは異なり、線は強弱がつけられ、守護神の体に角度や動きなどの躍動感があるのが特徴。2019年1月に本坊の蔵から見つかった「鑑査状」には「美術上の模範になるべきものと認定する」との評価が書かれている。
鑑査状は、明治時代に当時の宮内省が発行した古典美術の評価を等級付けした証書。この作業の際、美術評論家の岡倉天心やフェノロサなどが調査員として派遣されたとの記録が残っている。
全国から城好き大集合 滋賀・大津市で初のイベント
盗まれたガリレオ、ニュートンの著書をルーマニアで発見
ルーマニアの地元メディアによると、3年前に英国で盗まれた17世紀に科学者ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンが著した書籍の初版本などおよそ200冊が、ルーマニアの住宅の床下から見つかった。
英国では同じ手口による貴重な文化財を狙った窃盗事件が相次いでいて、警察はこれまでにルーマニアの犯罪集団の13人を逮捕・起訴している。これらの本は3年前、英国のオークションにかけられるため、ロンドン西部の倉庫で保管されていたところ、屋根に穴が開けられ、侵入者を探知するセンサーをかいくぐる形で盗まれたという。
警察は被害額について、盗難に遭った書籍類は250万ポンド、およそ3億4,000万円相当の価値があるとしている。
「百鬼夜行絵巻」京都・大徳寺真珠庵で9/19から特別公開
大英博物館 葛飾北斎の未公開作103点をオンライン公開
地球への隕石衝突は定説より5億年古い44億年前か 広島大など
南滋賀遺跡で古墳時代後期の国内最古の木製のこま出土
滋賀県大津市教育委員会はこのほど、南滋賀遺跡で古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半)の遺跡から国内最古の木製のこまが出土したと発表した。長さ6cm、最大幅4cm、下端部に突起がある。祭祀(さいし)に使われる木札「斎串(いぐし)」なども一緒に見つかっていることから、こまも祭祀用だったとみられる。
これまでは藤原宮跡(所在地:奈良県橿原市)で見つかった7世紀後半のこまが最古とされているが、これを100年近く遡ることになる。今回、集合住宅建設に伴う事前の発掘調査で出土した。
遺跡周辺は渡来人の集落跡や古代寺院が多くあり、667年には天智天皇が近江大津宮へ遷都するなど、当時の文化的先進地だったとされる。
南滋賀遺跡で古墳時代後期の国内最古の木製のこま出土
滋賀県大津市教育委員会はこのほど、南滋賀遺跡で古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半)の遺跡から国内最古の木製のこまが出土したと発表した。長さ6cm、最大幅4cm、下端部に突起がある。祭祀(さいし)に使われる木札「斎串(いぐし)」なども一緒に見つかっていることから、こまも祭祀用だったとみられる。
これまでは藤原宮跡(所在地:奈良県橿原市)で見つかった7世紀後半のこまが最古とされているが、これを100年近く遡ることになる。今回、集合住宅建設に伴う事前の発掘調査で出土した。
遺跡周辺は渡来人の集落跡や古代寺院が多くあり、667年には天智天皇が近江大津宮へ遷都するなど、当時の文化的先進地だったとされる。
弥生時代前期の6つの墓・土器出土 神戸「玉津田中遺跡」
弥生時代前期の6つの墓・土器出土 神戸「玉津田中遺跡」
浅井長政”姉川の戦い”後も京都に影響力 京都の寺で安堵状
近江の戦国大名、浅井長政が”姉川の戦い”で織田信長に敗れた後、京都の寺に宛てた文書が見つかった。この文書は、京都市左京区の寺、勝林院で見つかり、滋賀県長浜市の学芸専門監が調べた結果、花押や内容から、長政がこの寺に送った「安堵状(あんどじょう)」と判断された。
このことから長政は、信長に敗れた後、衰退の一途をたどったのではなく、近畿エリアで一定の勢力を保っていたことを裏付ける内容だとしている。安堵状は、幕府や領主が支配下にある寺院などに対し、領地を保証するため発行したもので、今回見つかった文書には「領地異議あるべからず候」と記されている。
長政のこの文書が書かれたのは元亀元(1570)年11月。長政はこの5カ月前、姉川の戦いで織田信長・徳川家康の軍勢に敗れている。
浅井長政”姉川の戦い”後も京都に影響力 京都の寺で安堵状
近江の戦国大名、浅井長政が”姉川の戦い”で織田信長に敗れた後、京都の寺に宛てた文書が見つかった。この文書は、京都市左京区の寺、勝林院で見つかり、滋賀県長浜市の学芸専門監が調べた結果、花押や内容から、長政がこの寺に送った「安堵状(あんどじょう)」と判断された。
このことから長政は、信長に敗れた後、衰退の一途をたどったのではなく、近畿エリアで一定の勢力を保っていたことを裏付ける内容だとしている。安堵状は、幕府や領主が支配下にある寺院などに対し、領地を保証するため発行したもので、今回見つかった文書には「領地異議あるべからず候」と記されている。
長政のこの文書が書かれたのは元亀元(1570)年11月。長政はこの5カ月前、姉川の戦いで織田信長・徳川家康の軍勢に敗れている。
「京都五山送り火」コロナで密避け、大幅に規模縮小し実施
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大阪「うめきた」で1,500体超の人骨出土 江戸~明治期の埋葬跡
大阪市教育委員会、大阪市文化財協会は8月13日、江戸~明治時代に現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓」について、発掘調査の結果、1,500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。
市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しい。これらは庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べ、葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2~6月の調査で墓地の南北端の石垣や約200体の埋葬人骨が見つかっている。
梅田墓は、江戸初期に天満周辺にあった墓を、現在の大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後、現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大坂に7カ所あった「大坂七墓」の一つ。近松門左衛門の作品、浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島」などにも登場する。
大阪「うめきた」で1,500体超の人骨出土 江戸~明治期の埋葬跡
大阪市教育委員会、大阪市文化財協会は8月13日、江戸~明治時代に現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓」について、発掘調査の結果、1,500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。
市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しい。これらは庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べ、葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2~6月の調査で墓地の南北端の石垣や約200体の埋葬人骨が見つかっている。
梅田墓は、江戸初期に天満周辺にあった墓を、現在の大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後、現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大坂に7カ所あった「大坂七墓」の一つ。近松門左衛門の作品、浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島」などにも登場する。
清水寺「千日詣り」もコロナ禍で参拝客は例年の半分以下
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滋賀県の国宝の本堂の柱に飛鳥時代?の菩薩の絵見つかる
広島大学などの調査グループによると、滋賀県・甲良町の西明寺の国宝の本堂で、6世紀後半から7世紀前半の中国・隋の時代の影響を受けたとみられる菩薩の絵が見つかった。国宝の本堂内の黒く煤(すす)けた2本の柱を赤外線で撮影したところ、側面にそれぞれ4体ずつ合わせて8体の菩薩が描かれていることが分かった。
このうち5体は顔の表情や体型、しわの描き方に6世紀後半から7世紀前半の中国の隋の時代の菩薩と多くの共通点がみられることから、研究グループは7世紀後半の飛鳥時代に描かれた可能性もあるとみている。この本堂は、鎌倉時代を代表する建物として国宝に指定されているが、今回の発見により本堂がつくられた時期が大きく遡る可能性が出てきた。
滋賀県の国宝の本堂の柱に飛鳥時代?の菩薩の絵見つかる
広島大学などの調査グループによると、滋賀県・甲良町の西明寺の国宝の本堂で、6世紀後半から7世紀前半の中国・隋の時代の影響を受けたとみられる菩薩の絵が見つかった。国宝の本堂内の黒く煤(すす)けた2本の柱を赤外線で撮影したところ、側面にそれぞれ4体ずつ合わせて8体の菩薩が描かれていることが分かった。
このうち5体は顔の表情や体型、しわの描き方に6世紀後半から7世紀前半の中国の隋の時代の菩薩と多くの共通点がみられることから、研究グループは7世紀後半の飛鳥時代に描かれた可能性もあるとみている。この本堂は、鎌倉時代を代表する建物として国宝に指定されているが、今回の発見により本堂がつくられた時期が大きく遡る可能性が出てきた。
信長築城の安土城跡で「郭」見つかる 船着き場の倉庫や寺か?
滋賀県が2019年度から進めている「幻の安土城」復元プロジェクトの一環で行われている調査で、安土城跡(特別史跡、滋賀県、近江八幡市安土町下豊浦など)に、これまで知られていなかった「郭(くるわ=曲輪)」と呼ばれる平坦地が複数あることが分かった。滋賀県が地形を赤色の濃淡で表現する「赤色立体地図」を作製し、確認した。
赤色立体地図は、航空機によるレーザー計測で得た3次元データをもとにつくられる。今回の地図で、北側の尾根や谷筋に複数の人工的な階段状の平坦面が見つかった。城の周囲に築いた郭とみられ、戦に備えた防御施設や寺院があった可能性があるという。また、当時はびわ湖が山裾まで迫っていたことから、入り江の郭は船入り(船着き場)で荷物を置いた倉庫だったことも考えられるとしている。
大坂冬の陣図屏風 色鮮やかにデジタル復元 大阪城天守閣で展示
豊臣秀吉亡き後、豊臣秀頼を総大将とする豊臣家と、徳川政権を盤石なものとすることを願う徳川家康を総大将とする徳川家との最終決戦、大坂の陣(1614~1615年)。このうち冬の陣(1614年)を描いた屏風(びょうぶ)が、東京国立博物館に残されている模写本を使って、大手印刷会社の凸版印刷のデジタル技術で色鮮やかに想定復元され、大阪城天守閣(所在地:大阪市中央区)で展示されている。
展示されているのは縦1.7m、横3mの「大坂冬の陣図屏風」で、金箔や金銀泥(きんぎんでい)がふんだんに使われ、江戸時代初期、400年余前の戦乱の様子が色鮮やかに描かれている。この原本は行方不明となっている。
展示室には、大坂城が焼失、豊臣家が滅亡した夏の陣(1615年)を描いた重要文化財の屏風などが展示されている。この展示は10月7日まで。
月のクレーターは約8億年前 小惑星の破片が降り注いでできた
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「はやぶさ2」カプセル12/6に南豪州に帰還 JAXA・豪州宇宙庁
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2025年「大阪・関西万博」プロデューサー10人決定
2025年に開催される「大阪・関西万博」の実施主体、博覧会協会は7月13日、大阪市内で記者会見を開き、万博のプロデューサー10人を正式発表した。選ばれたのは建築家の藤本壮介氏、愛知万博でチーフプロデューサー補佐を務めた石川勝氏、映画監督の河瀬直美氏、メディアアーティストの落合陽一氏、生物学者の福岡伸一氏、アニメーション監督の河森正治氏、放送作家の小山薫堂氏、慶應大学医学部の宮田裕章教授、大阪大学の石黒浩名誉教授、音楽家の中島さち子氏の10人。
会場のデザイン・運営、8つのテーマ事業ごとに各1人が担当し、総合プロデューサーは決めない。アフターコロナの次代を見据え、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとする万博が、いわば”司令塔”の10人のプロデューサーのもと開催に向けていよいよ始動する。
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アイヌ文化発信拠点「ウポポイ」7/12北海道白老町にオープン
京都・北野天満宮「御本殿」修復 秀頼建立の400年ぶりの姿蘇る
京都の北野天満宮(所在地:京都市上京区)で1年かけて修復されていた国宝「御本殿」が、、床板や柱の塗装など大規模な修復を終え、およそ400年前に建立された当時の姿が蘇った。神事などに使われる御本殿で7月9日、一般公開に先立って内覧会が行われた。
1607年に豊臣秀頼が建立した現在の建物は「社殿」とも呼ばれ、建築当時の内装を再現するため、今回敷かれていた畳を取り除いて床板と柱に、虫よけになる柿渋を使った黒い塗装を施した。また、中央に鎮座する獅子と狛犬(こまいぬ)は、漆を塗り重ねた後、金箔を施し、桃山時代の名残りを象徴する、煌(きら)びやかで力強い姿に生まれ変わった。一般公開は8月14~16日の3日間のみ。
「岸和田だんじり祭」今年は新型コロナで75年ぶり引き回し中止に
東大寺・千手堂 7年ぶり公開 千手観音菩薩立像・四天王立像など
弥生人が眺めた古代の「大賀ハス」滋賀県野洲市で見ごろ
「京都五山送り火」中止せず 今年は規模を大幅縮小し実施
兵庫・丹波市の1.1億年前の地層から世界最小の恐竜の卵の化石
兵庫県立人と自然の博物館と筑波大学の研究グループは6月24日、兵庫県丹波市のおよそ1億1,000万年前の「前白亜紀」と呼ばれる時代の地層から、世界最小で新種の恐竜の卵の化石が見つかったと発表した。今回見つかったのは幅2cm、長さ4.5cm、推定の重さおよそ10gの化石。2019年1月から3月にかけて発掘されたおよそ1300点の化石の中から見つかった。
卵の化石は、「丹波竜」の発見者の村上茂さんの名前にちなみ「ヒメウーリサス・ムラカミイ」と命名された。また、今回見つかった他の卵の化石の1つも新種と分かり、「サブティリオリサス・ヒョウゴエンシス」と名付けられた。
この地層では、これまでに国内最大級の草食恐竜「丹波竜」の化石などが相次いで見つかっている。
中大兄皇子と中臣鎌足出会いの広場の遺構発見 飛鳥寺西方遺跡で
大化の改新の立役者、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻の樹の広場」の跡とされる奈良県明日香村の遺跡「飛鳥寺西方遺跡」で、広場の名前の由来となった欅(けやき)の木があった可能性を示す遺構が初めて見つかった。同村の教育委員会がまとめた発掘調査の報告書で分かった。
同報告書によると、飛鳥寺西方遺跡の広さは少なくとも南北が200m、東西が140mで、一面に石が敷かれていた。この場所では井戸の跡が見つかったほか、近くの飛鳥寺からみて西の方角には6mから7m四方にわたって石敷きがない場所が残されており、このスペースに槻の樹が生えていたとほぼ断定した。
槻の樹の広場は、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所ととして「日本書紀」に記されている。
正倉院宝物を再現した「よみがえる正倉院宝物」展 7/4から
大坂城の4建造物を豊臣秀頼が滋賀・竹生島の宝厳寺に移築か
マヤ文明で最大の建造物確認 メキシコのアグアダ・フェニックス遺跡
根井三郎発給のビザ初確認 杉原とともにユダヤ人に「命のビザ」
出身地・宮崎市の根井三郎顕彰会はこのほど、第二次世界大戦中、杉原千畝とともに「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人を救済したとされる外交官、根井三郎が発給したビザが初めて確認されたと発表した。
今回見つかったのは根井がポーランド出身の家族に単独で発給したビザで、ビザには昭和16年2月28日、敦賀横浜軽油アメリカ行きと書かれ、根井三郎の署名が記されている。根井が単独で発給したビザが見つかったのは初めて。
宮崎市佐土原町出身の根井は第二次世界大戦中、ウラジオストクに外交官として赴任。杉原が発給した「命のビザ」でウラジオストクまでたどり着いたユダヤ人に対し、外務省の命令に背いてビザや渡航証明書を発給し、数百人の命を救ったとされる。
京都・仙洞御所で秀吉築城の「京都新城」の遺構見つかる
京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査によると、京都仙洞御所(京都市上京区)で豊臣秀吉が1597年に築いた最後の城、「京都新城」の石垣などの遺構が初めて見つかった。
今回見つかったのは堀や石垣などの跡で、このうち石垣は高さ1.6m、長さ8mにわたって、乱れなく積み上げられていた。また、同じ場所から、秀吉が関わった城だけに使われていた、表面に金箔の御紋が施された瓦も見つかったという。京都新城の実態はこれまでほとんど分かっておらず、遺構が見つかったのは今回が初めて。
京都新城は、秀吉が邸宅の聚楽第を壊した後、最晩年の1597年に京都御所の近くに築いた。およそ32万㎡もの広大な敷地を持っていたとされ、”太閤御所”などとも呼ばれていた。秀吉の死後は、正室の北政所の屋敷として利用されたが、関ヶ原の戦いの直前に壊されたとされている。