大阪・道修町 少彦名神社で「神農祭」健康,コロナの終息願う

江戸時代から薬の問屋が建ち並ぶ、薬の町として知られる大阪市中央区道修町の少彦名神社で11月22、23日、健康を祈願する「神農祭」があった。家族の無病息災や新型コロナウイルスの終息を願って多くの人が訪れた。
神農祭はおよそ200年前の江戸時代末期、コレラが大流行した際、薬問屋などが薬やお守りを人々に配ったことが始まりとされる。大阪では1年を締めくくる祭りという意味で「とめの祭り」とも呼ばれ、この祭りが終わると、大阪は一気に年末の雰囲気が深まるとされる。

大阪・堺市 仁徳天皇陵で多数の埴輪の破片など見つかる

宮内庁と堺市が10月から調査を進めている、国内最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」として管理されている世界遺産、大山古墳から多数の埴輪の破片などが見つかり、11月19日、報道陣に公開された。古墳の最も内側の第1堤の10カ所で、縦2m、横は最大で13.5mの調査区域を設け、30cmほど掘り起こして行った調査結果が示された。
今回の調査では、堤の内側で円筒埴輪などの破片が見つかった。3年前に初めて行った調査で、堤の外から同様の発見があったことから、宮内庁は堤の内外両側に花輪が並べられていた可能性があるとしている。また、木製の埴輪が立っていたと推測される穴や、こぶし大の石を敷き詰めた石敷きも見つかった。
調査は12月上旬までで、堺市は史料の一部を博物館などで公開することを検討している。

奈良・橿原市で弥生時代前期の水田跡やひつぎなど発見

奈良県立橿原考古学研究所によると、弥生時代の集落を囲む溝が見つかっている奈良県橿原市の発掘調査現場(橿原市四条町)で、新たに水田の跡やひつぎが見つかったと発表した。
現場は東西25m、南北20mの範囲で、およそ2,400年以上前の弥生時代前期のものとみられる水田の跡とそこで作業していたとみられる人々の足跡が数百個見つかった。また水田跡から北西に300mほど離れた場所で、同じ時期のものとみられる土器のひつぎが2つ見つかった。ひつぎは大きいもので高さ70cm、幅80cmほどの大きさで、子どもが埋葬された可能性があるという。
これまでの発掘調査で、周辺からは集落を囲う環濠とみられる溝なども見つかっていて、同研究所は稲作をしながら人々が暮らしていた集落があった可能性が高いとみている。また、これら一連の発見は集落、食料生産、埋葬という生活の3つの要素がセットでそろって珍しいもの。この地域の弥生時代の生活をみていくうえで、貴重な史料だとしている。

奈良・高取町で古墳時代中期の人工池を発見 渡来人が築造か

奈良県高取町教育委員会は11月17日、同町の清水谷(しみずだに)遺跡で、川原石を積んで護岸を施した古墳時代中期(5世紀中ごろ)の人口の池の跡が見つかったと発表した。池は東西26m、南北13m、深さ60cm。石組みの護岸を施し、西側に排水溝を設けていた。
同町ではこれまでに大壁(おおかべ)建物と呼ばれる朝鮮半島から来た渡来人の古墳時代の住居跡が約40棟出土し、渡来人が多く住んでいたとみられる。同町教委によると、日本書紀の「応神7年の条」には「高麗(こま)人や百済人などが来朝し、池をつくり、その池を韓人(からひと)池という」と記されており、今回見つかった池は、こうした記述にみられるような渡来人が造った人口の池だったとしている。

奈良・斑鳩町「続・聖徳太子の足跡」特別展 ゆかりの出土品

奈良県斑鳩町の斑鳩文化財センターで、聖徳太子が亡くなって今年で1,400年になるのに合わせて、ゆかりの遺跡から出土した土器や瓦などを展示した特別展「続・聖徳太子の足跡」が開かれている。同展は11月28日まで。
会場には橿原市の東池尻・池之内遺跡、明日香村の雷丘(いかずちのおか)東方遺跡などゆかりの12の遺跡から出土した土器などおよそ80点が展示されている。「磐余池(いわれいけ)」、「小治田宮(おはりだのみや)」などゆかりの地名の土器もある。斑鳩町教育委員会は「聖徳太子ゆかりの斑鳩町は、今後も日本の歴史を形成づけた人物として顕彰していきたい」としている。

平安京の内裏「登華殿」の建物跡を初めて確認 柱穴発見

京都市埋蔵文化財研究所が行った発掘調査およびその報告書によると、平安京の天皇が暮らす「内裏」のうち、皇后らが住む「登華殿」の一部の柱の穴が見つかったことが分かった。平安時代の内裏の建物跡が確認されたのは初めてという。
報告書によると、建物の柱の穴が5カ所見つかり、江戸時代に記された文献と照らし合わせたところ平安京の天皇が暮らす「内裏」のうち皇后らが住む「登華殿」の跡だと分かったという。さらにこの穴は、およそ1mから2m四方の掘っ立て柱の穴で、この建物の形状が縄文時代のころからの建築様式で、中国の様式が好まれた平安時代初期になっても、古くからの様式を採用していたことが判明したとしている。また、柱の穴の間隔はおよそ3mあり、文献に基づくと南北27m、東西12mの建物だと推測できるという。

法隆寺金堂壁画27年ぶり公開 10日から事前申し込み限定50人

昭和24年に焼損し、国の重要文化財に指定されている法隆寺(所在地:奈良県斑鳩町)の金堂壁画が11月10日から27年ぶりに公開される。一日の見学者の数を事前に申し込んだ50人に限定し、合わせて10日間公開される。
今回公開される12枚の壁画は、高さが3.1m、幅が1.5mから2.6mで、如来や菩薩などが描かれている。火災によって鮮やかな「極彩食」は失われているもの、焼け残った輪郭から、かつての様子がうかがえる。法隆寺の金堂壁画は、飛鳥時代に描かれたとされる古代の仏教壁画の傑作。平成6年の一般公開を最後に、原則非公開とされてきた。

奈良・菅原遺跡で発見の円形建物跡 CG復元案4種類発表

公立鳥取環境大の浅川滋男教授(建築考古学)は11月8日、奈良市の菅原遺跡で見つかった円形建物跡のCG復元案4種類を発表した。この建物は東大寺大仏造立に携わった奈良時代の高僧・行基(668~749年)の供養堂とみられる。
いずれも中心部は八角形。その外側に十六角形の檜皮(ひわだ)葺きの屋根型飾り「裳階(もこし)」が取り付く構造。法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)などを参考にしている。
菅原遺跡は、平城京のすぐ外側にあり、行基が畿内に建立した「四十九院」の一つ「長岡院」とみられる。東大寺が東側に見える立地や年代から、弟子らが行基の供養堂として建てた可能性があるという。

大阪城の天守閣再建から90年 他自治体関係者迎え記念式典

大阪のシンボルの1つとして親しまれている大阪城の、現在の天守閣が再建されてから11月7日で90年を迎え同日、記念の式典が行われた。現在の天守閣は、昭和6(1931)年に市民の寄付で建て直された3代目。
式典は天守閣前の広場で、滋賀県長浜市や長野県上田市など城のある自治体から関係者を迎え開かれ、90年目の節目を祝った。

世界遺産 白川郷で恒例の放水訓練 錦秋の合掌造りに水柱

世界文化遺産、岐阜県白川村の白川郷で11月7日、伝統の合掌造り集落の火災に備えた恒例の放水訓練が行われた。白川郷には大小114棟の合掌造りの木造家屋が軒を連ねる。これらはかやぶき屋根で燃えやすく、出火すれば集落全体に延焼の恐れがある。このため、付近に59基の消火用放水銃を設置。年に1度、点検を兼ねて一斉放水される。
午前8時のサイレンで放水を開始。見ごろを迎えた紅・黄葉の山々を背景に、高さ約20mの水柱が集落のあちこちで広く輝いていた。また、集落を一望できる展望台に集まった観光客が、この水柱に向けて夢中でシャッターを切っていた。

江戸時代の人々も歯周病 現代とは異なる細菌が原因

東京医科歯科大学の研究グループによると、江戸時代の人々も細菌への感染で歯ぐきや歯を支える骨が溶ける歯周病にかかっていたとする研究結果を、スイスの分子生物学の雑誌に発表した。
これは、東京都江東区の深川付近で発掘された江戸時代後期の人骨をCTスキャンなどで解析したもので、付着していた歯石を調べると、歯周病の原因の細菌は現代とは異なることも分かったという。人骨12体のうち5体で、あごの骨の一部が溶けていて、歯周病にかかっていた。また、骨に付着していた歯石に含まれるDNAを解析したところ、24種類の細菌がいたことが分かり、このうち17種類は現代人の口の中でも見られるものだった。
しかし、現代人で歯周病の原因となっている細菌は、江戸時代の人の歯石からは1種類も検出されず、研究グループは口の中の細菌の環境は現代とは異なり、当時の人々は他の細菌によって歯周病になっていたとみられるとしている。

京都・妙傳寺で勘亭流「まねき」書き 南座の顔見世興行

京都市左京区の妙傳寺で、南座で行われる年末恒例の歌舞伎の顔見世興行を前に、出演者を紹介する看板「まねき」を書く作業が書家の井上優さん(76)によって進められている。客の大入りを願って、「勘亭流」という独特の書体を使い、丸みを帯びた太い文字で長さ1.8mの看板に隙間なく書いていく。看板の数はおよそ40枚。顔見世興行は12月2日から23日まで。看板は11月下旬に南座の正面に掲げられる。

京都・北野天満宮で豊臣秀頼奉納の青銅製の鏡見つかる

京都の北野天満宮は10月23日、9月に境内の倉を整理したところ、本殿を造営した豊臣秀頼が奉納した青銅製の鏡が新たに見つかったと発表した。鏡が直径およそ24cmの円形で、背面には「秀頼公御再興」などと記されている。天井に吊して装飾する「吊り鏡」とみられるという。同天満宮では、本殿の装飾の歴史を知る貴重な発見だとしている。
吊り鏡は仏教的要素が影響した装飾品で、当時は神仏習合でご神体が安置されている本殿の内陣に仏像群が納められていて、その装飾のために使われていた可能性があるという。

聖徳太子千四百回忌大法会始まる 大阪・四天王寺

聖徳太子が6世紀に創建したとされる大阪市天王寺区の四天王寺で10月18日、聖徳太子の千四百回忌の「御聖忌慶讃大法会」が始まった。大法会は2022年4月22日まで。期間中、西本願寺(京都市)や東大寺(奈良市)、浅草寺(東京都台東区)などから僧を招き、法要を営む。
四天王寺の境内には五色の「結縁綱」が張り巡らされている。結縁綱は「聖徳太子四十九歳摂政像」と「聖徳太子十六歳孝養像」の手に結び付けた五色の綱を、境内3カ所に立てられた柱を介し、五重塔や金堂の救世観世音菩薩像などとつなぐ。柱に触れることで、綱を通じて聖徳太子と縁を結ぶことになる。

東大らのチーム 雑穀を食べていた特異な縄文人集団を発見

東京大学総合研究博物館の米田穣(よねだみのる)教授らの研究チームは10月13日、長野県小諸市七五三掛(しめかけ)遺跡で出土した人骨からコラーゲンを抽出し、放射性炭素年代を測定することで、15点中13点が縄文時代晩期末ごろの人骨であることを発見したと発表した。さらに炭素・窒素安定同位体比の特徴から、縄文時代晩期末の集団が渡来文化の一部である雑穀(アワ・キビ)を食べていたことも明らかにした。
縄文終末期に中部高地に伝来した渡来文化には、水田稲作だけではなく雑穀栽培が含まれていたが、これまではそれらの穀物を利用したのが縄文人だったのか、渡来人だったのか、また食生活における雑穀の重要性などの詳細は不明だった。
今回の研究成果で、雑穀は食生活の一部のみを占めることから、狩猟採集による伝統的な生活を継続しつつ、縄文人が渡来文化を主体的に受容した様相が示された。土器表面の圧痕研究ではイネ(籾)に加え、アワ、キビの雑穀種子も見つかっていることから、縄文人集団は中部高地の環境に適した雑穀を選択して生業に取り入れていたと考えられるという。

奈良・平城宮跡資料館で木簡紹介 当時の食生活窺わせる

奈良市の平城宮跡資料館で、奈良時代の文字が書かれた木の板「木簡」を紹介する展示会が開かれている。「地下の正倉院展」と題されたこの展示会は、奈良文化財研究所が毎年この時期に開いているもの。
今年は当時の生活様式を窺わせる木簡など、国宝3点を含むおよそ50点が2回に分けて展示される。このうち、奈良時代に送検された奈良市の西大寺の井戸の跡で見つかった木簡には、寺の食事についてウリやナスなど野菜が中心だったことが記されている。ただ、同じ井戸の跡から当時、僧侶が食べてはしけないとされていたイワシやコイなどの骨が見つかったことも紹介され、木簡だけでは読み解けない当時の食生活を想像させる展示になっている。
この展示会は11月7日まで開かれている。

奈良・興福寺の五重塔 120年ぶり大規模修理を前に一般公開

奈良・興福寺の国宝、五重塔の一般公開が、2022年以降、120年ぶりの大規模修理を前に10月9日から始まった。今回の修理には10年ほどかかる見通しで、修理前の姿を見てもらおうと塔の内部、四方に安置されている仏像や心柱(しんばしら)を一般公開することになったもの。一般公開は11月23日までと、2022年3月1日から31日までの2回に分けて行われる。
興福寺の五重塔は、奈良時代に建立された後、焼失と再建を繰り返し、現在の塔は室町時代に建てられたものだが、傷みが激しくなっているため、来年以降、明治34年以来の大規模な修理が行われる。

秋の高山祭 神事のみ実施「屋台曳き揃え」は中止

岐阜県高山市の桜山八幡宮で10月9日、「秋の高山祭」の神事が行われた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため神事のみの実施となった。高山祭の見どころの、豪華絢爛な祭り屋台が勢揃いする「屋台曳き揃え」や、提灯(ちょうちん)を飾った屋台が練り歩く「宵祭」などは、昨年に続きすべて中止となった。
神事も規模を縮小し、マスクを着用し、関係者の人数を絞り込み実施された。舞を奉納した巫女もフェースシールドを着用していた。

奈良・正倉院で年に1度の「開封の儀」12/3まで実施

奈良市の正倉院で10月7日、年に1度、宝庫の扉を開ける「開封の儀」が執り行われた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年に続き関わる人数を減らして行われた。午前10時過ぎ、勅使らが手や口を清めた後、1列で宝庫の中に入った。宝物が納められる6つの部屋の扉にかかる麻縄を切って開封した。宮内庁によると、「閉封」の12月3日まで宝物の点検や調査が行われる。
開封の儀は、奈良時代の聖武天皇ゆかりの品や、シルクロードを経て大陸から伝わった歴史的宝物が数多く保管されている正倉院の年に1度行われる行事の一つ。

「岸和田だんじり祭」2年ぶり コロナ禍で観覧自粛要請

大阪府岸和田市の伝統行事「岸和田だんじり祭」が9月18日朝、始まった。コロナ禍で昨年は神事のみで事実上中止となり、2年ぶりに引き回しがあった。
ただ、コロナ感染防止対策として、規模を縮小し、外部からの観客を呼び込まない「無観客」での開催とした。だんじりの間隔を空け、引き回しの時間も短縮。市中心部の22町のうち、5町は参加を自重した。
台風14号の影響でまだ小雨が降る中だったが、南海電鉄岸和田駅前では、勢いよく走るだんじりが引き手とともに角を曲がる、迫力ある「やりまわし」が行われた。

現代日本人の祖先DNAに古墳人 遺伝的特徴がほぼ一致

金沢大学や鳥取大学などの国際研究チームは、日本人のルーツ研究、DNA解析し、大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代の日本人につながる祖先集団が初めて誕生したとの趣旨の論文を9月18日、米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表した。
石川県金沢市で見つかった約1,500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人にみられる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかったのだ。研究チームは、約9,000年前の縄文人や約1,500年前古墳人など計12体のDNAを解読。すでに解読済みの弥生人2体のデータなどと比較した。親から子に遺伝情報が受け継がれる際に生じるわずかな違いの痕跡から、どの集団が遺伝的に近いのかを調べた。

延暦寺焼き討ちから450年 信長と光秀の子孫も参列し法要

滋賀県大津市の比叡山延暦寺で9月12日、織田信長による元亀2年の延暦寺焼き討ちから450年にあたる記念の法要がが行われた。今回の法要は天台宗の開祖・最澄が亡くなって1,200年の節目と重なることから、延暦寺が織田信長と明智光秀の子孫を招き、初めて当事者が参列し、ともに犠牲者を悼んだ。これは、「相手を許すことで、恨みを無くす」という最澄の教えに基づくもの。
参列した信長の子孫、織田茂和さんと光秀の子孫で作家の明智憲三郎さんの2人は、僧侶がお経を読み上げる中、焼香した後、供養塔に手を合わせ深々と頭を下げ、犠牲者を悼んでいた。
延暦寺の水尾寂芳執行(しぎょう)は、「織田家、明智家が参加していただいたことで、非常に意義深い法要となった。多くの犠牲者が出た歴史の上に私たちが立っていることを考え、今日をきっかけに新しい関係をつくっていければ」と今後の交流を誓っていた。

渋沢栄一 新1万円札の印刷始まる 24年度から流通

肖像画に「近代日本経済の父」と呼ばれ、明治から昭和にかけて産業界をリードした渋沢栄一が描かれた、新しい1万円札の印刷が9月1日、始まった。2024年度から流通が始まる。
偽造防止のために20年ぶりに刷新された新札では、最先端の技術を用いたホログラムなどが使われているほか、額面の数字がこれまでより大きくなっているという。
五千円札には女子教育の先駆者とされ津田塾大学の創始者である津田梅子、千円札には破傷風の治療法を開発するなど「近代日本医学の父」といわれる北里柴三郎が採用され、いずれも2024年度の上半期から流通する予定。

京都「五山送り火」昨年に続き”火床”減らして実施

京都のお盆の伝統行事「五山送り火」は8月16日、急拡大中の新型コロナウイルスの感染を防ぐため、昨年に続き”火床”の数を減らして実施された。午後8時、左京区の大文字山から順次、点火が始まった。しかし、点火の場所が、昨年と同様、圧倒的に少ない。コロナ対策によるものだ。
例年は京都市を囲む5つの山々に、「大」や「船形」などの文字や形が炎で描かれるが、昨年と同様今年も”密”を避けるため、火床の数を大幅に減らし、規模を縮小して行われた。「大」の文字はそれぞれの端と、中心の合わせて6カ所だけに火がともされた。
五山送り火はお盆に迎えた先祖の霊を送る、300年以上の歴史があるとされる行事。こうした形でも「実施できてよかった」と関係者はじめ、見ていた人も話していた。

終戦76年 310万人の戦没者を慰霊 武道館で追悼式典

終戦から76年を経過した8月15日、天皇皇后両陛下を迎え、東京・日本武道館でおよそ310万人の戦没者を慰霊する全国戦没者追悼式が行われた。今年は新型コロナウイルスの「災害級」の感染急拡大中とあって、22の府県の遺族代表が参列を断念し、参列者数は185人とこれまでで最も少なくなった。
天皇陛下は「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。

豪州で空飛ぶ爬虫類の新種の化石発見 翼竜で最大

CNNなどによると、1億500万年前のオーストラリアに生息していた空飛ぶ爬虫(はちゅう)類、「翼竜(よくりゅう)」の新種の化石が見つかった。両翼を広げると、7m近くあり、オーストラリアの翼竜の中では最も大きい。クイーンズランド大学の研究チームが8月9日の古脊椎動物学会誌に発表した。
槍のように鋭い歯が並ぶ大きな口で、海から魚を獲って食べていたとみられる。同研究チームはクイーンズランド州北西部リッチモンドの北西にある採石場で2011年に発見された翼竜のあごの化石を調査していた。

北海道・北東北の縄文遺跡群 世界遺産に登録決定

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は7月27日、青森市の三内丸山遺跡など17カ所で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道と青森、岩手、秋田の3県)を世界文化遺産に登録することを決めた。日本の世界文化遺産は20件目。
自然遺産も含めた世界遺産は7月26日に登録が決まった「奄美大島、徳之島、沖縄本島北部および西表島」(鹿児島、沖縄両県)に続いて25件目。

「奄美,徳之島,沖縄,西表島」世界自然遺産に登録決定

国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は7月26日、「奄美大島、徳之島、沖縄本島北部および西表島」(鹿児島県、沖縄県)の世界自然遺産登録を決めた。亜熱帯の森にアマミノクロウサギ、ヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコなど貴重な固有種が数多く根付く生物多様性が評価された。

長崎で国内最大級鳥脚類恐竜の化石 白亜紀後期

福井県立恐竜博物館と長崎市は7月12日、長崎市の白亜紀後期(約8,100万年前)の地層から発掘された化石(長さ90cm、幅20cm)が草食恐竜の肩の骨と判明したと発表した。全長は推定9mで、草食恐竜の仲間「鳥脚類」では日本国内で見つかった個体で最大級という。
左側の肩甲骨で、骨のくびれや幅の広さなどの特徴から、鳥脚類のうち二足歩行と四足歩行を併用していた「ハドロサウルス上科」という種類とみられる。
イグアノドンなどで知られる鳥脚類は世界中で繁栄した草食恐竜。
化石は2016年、長崎市南部、長崎半島の西海岸にある地層「三ツ瀬層」から発見された。

東海道は「53次」と、大坂までの「57次」があった

通常、東海道といえば「53次」が相場。ただし、これは江戸-京の宿駅だ。江戸時代初期に設けられたものだ。しかし、征夷大将軍職が初代徳川家康から、2代目秀忠にバトンタッチされたころからは、東海道は江戸-大坂までの「57次」となったようだ。
江戸幕府を開いた家康は、関ヶ原合戦(1600年9月)の直後に、京から江戸までの交通と情報伝達に最適なルート選定を家臣に命じた。その結果、1601年1月に40ほどの宿駅を決めて朱印状を出した。これが東海道の宿駅伝馬制の始まり。その際、53次をイメージ付けしたのが歌川広重の作品「東海道五十三次」(浮世絵木版画)だ。
2代将軍秀忠は1615年、大坂夏の陣で豊臣家を滅亡させると、家康の意向を受けて東海道を大坂までの延伸に着手する。そして設けられたのが大坂までの伏見、淀、枚方、守口の4駅で、これら4駅を合わせた「57次」が生まれた。

円山応挙の幽霊画と真筆認定 8月に青森で公開

青森市文化財審議委員らの調査によると、青森県弘前市の久渡寺所蔵の幽霊画「返魂香之図」が、江戸時代の絵師・円山応挙(1733~1795年)の真筆であることが分かった。8月13~15日、久渡寺で公開される。
弘前市教委などによると、米カリフォルニア大バークリー校付属美術館に寄託されている応挙の幽霊画と制作時期が近いことや、作品の技術の高さなどから真筆と判断した。応挙の幽霊画で真筆と認められているものは、米国の美術館に寄託されているものだけで、国内で真筆と確認されるの初めて。
返魂香之図は、弘前藩家老、森岡主膳元徳が相次いで亡くした妻らをしのぶため、応挙に制作を依頼したものと考えられる。久渡寺が所蔵していたことの経緯については、当の森岡主膳が1794年にこの絵を久渡寺に寄進したとの記録が残っている。

2,000年以上前の”古代のハス”滋賀・野洲市で見ごろ

滋賀県野洲市の弥生の森歴史公園で、古代の種から発芽した”大賀ハス”の花が見ごろを迎えている。直径およそ15cmほどの鮮やかなピンクの花を咲かせる大賀ハスは千葉県で、2,000年以上前の弥生時代の地層から見つかった種を育てたもの。
33年前、竪穴住居などを再建した弥生の森歴史公園が開園した際に、種を譲り受けて大切に育て上げ、弥生時代のハス=大賀ハスとして根付いてきた。

ダビンチのクマの頭部の素描画13億円で落札

英国・ロンドンで7月8日、イタリア・ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダビンチ(1452~1519年)によるクマの頭部の素描画が競りにかけられ、885万7,500ポンド(約13億4,000万円)で落札された。競売会社クリスティーズによると、ダビンチの素描としての最高額を更新した。
これは約7cm四方の作品で、ピンク色がかった紙に銀色の画材を使って描いている。

実測日本地図作製「伊能忠敬」神戸で特別展

江戸時代に日本初の実測日本地図を完成させた偉業をたどる特別展「伊能忠敬」が神戸市立博物館で7月10日から始まった。
会場では、忠敬と弟子らが全国を旅して、足掛け17年をかけた日本列島の測量事業により、つくり上げた日本地図作製にまつわる記録・資料、複製絵図、製図道具など約70点を展示。空前の事業を成し遂げた忠敬らの足跡をたどっている。
今年は、偉業達成前に没した忠敬の後を受け弟子たちが完成させた、精密な日本地図「大日本沿海輿地(よち)全図」を幕府に上呈して200年の記念の年にあたる。それは1821年、江戸城で披露された。大図30軸、中図2軸、小図1軸からなり、各地の測量を記録した「輿地実測録」が付されていた。
これら同図の正本は明治時代に皇居の火事で失われ、控えも関東大震災で焼失した。ただ諸大名に献上された複製の絵図が現存する。
特別展は8月29日まで。料金は一般1,400円、大学生700円、高校生以下無料。

「京都五山送り火」今年も大幅縮小,文字や形描かず

京都五山送り火連合会は7月9日、毎年8月16日に行われる京都のお盆の伝統行事「京都五山送り火」について、新型コロナウイルスの感染防止対策として、昨年に続き規模を大幅に縮小して実施することを決めた。
火を焚く火床(ひどこ)の数を大幅に減らし、文字や形を描かずに実施する。送り火の点火は8月16日午後8時に左京区の「大文字」から始まり、「妙・法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の順に、それぞれ5分おきに点火していく。

清水寺で綸旨・秀吉の書状など古文書194点確認

京都市東山区の清水寺は7月7日、室町時代から幕末に至る歴代天皇の綸旨(命令書)16点を含む古文書194点が見つかったと発表した。
最も古い綸旨は応仁の乱(1467~1477年)で焼失した清水寺の復興に尽くした中興の祖、願阿(がんあ)上人に対し、後土御門天皇が再建を了承する内容。室町幕府の初代将軍・足利尊氏や豊臣秀吉の書状などもあった。
これらは願阿上人が開いた清水寺の子院、成就院に残されていた文書。願阿は清水寺再建のため招かれ、寄付金集めの「勧進」を展開した。応仁の乱以前から鴨川に橋を架け、飢餓に苦しむ人々を救済するなど庶民から厚い支持を受けた社会事業家で、1484年の本堂の再建を見届け、1486年に亡くなった。成就院は、幕末には尊皇攘夷の舞台ともなり、西郷隆盛と行動をともにした月照(げっしょう)も住職を務めている。

京都「時代祭」コロナで見どころの動く歴史絵巻中止

平安神宮と地元の市民でつくる平安講社は7月6日、毎年10月22日に行われる、京都三大祭りの一つ、時代祭が昨年に続きコロナ禍で中止すると発表した。10月22日とその前後に平安神宮の本殿で行われる神事については関係者だけで執り行うという。
時代祭は、平安時代から鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治時代までの衣装をまとったおよそ2,000人が都大路を練り歩く祭りで、いわば動く歴史絵巻。
祭りの10月のコロナの収束が見通せず、役員やサポートする人を含めて行列に関わるおよそ5,000人の、参道に集まる人たちの安全・安心を考えると中止せざるを得ないとしている。
この結果、京都三大祭が、5月の「葵祭」の行列中止、7月の「山鉾巡行」中止と合わせいずれも最大の”見どころ”が中止されることになった。

中国に「尖閣は日本領」認識の地図集 71年以前

日本政府の「領土・主権展示館」(所在地:東京・霞が関、以下、領土館)や、中国の政府機関が1971年以前に発行した公式地図や機関紙などによると、中国は尖閣諸島(所在地:沖縄県石垣市)は1971年以前は、日本領だと認識していたことが分かった。
なぜ、中国がその後、突然尖閣は中国の領土だと主張し出したのかといえば、1960年代後半に東シナ海に石油資源が大量に埋蔵されている可能性が指摘されたためだ。これを機に中国の認識が一変。石油資源の確保を巡り、尖閣に対し領有権を初めて公式に主張し出した。1971年12月のことだ。
中国の、日本でいう国土地理院にあたる中国の「国家測絵総局」(当時)直属の地図出版社が発刊した「世界地図集」をみると、明確になる。地図集の1960年版では、尖閣は日本の地図を示すページに記載されていた。ところが、1972年版になると日本のページから削除され、中国のページに追加されている。また、1960年版は尖閣の「魚釣島」をその名称のまま表しているが、手のひらを返したように1972年版になると中国政府が現在使っている「釣魚島」に変更しているのだ。
領土館はいま既述した、中国側の資料を含めた、こうした実態を詳細に理解できる資料の展示を行っている。

滋賀・長浜市で和楽器の弦用絹糸「繭の糸取り」最盛期

滋賀県長浜市木之本町・大音地区で三味線や琴など和楽器の弦に使われる絹糸を繭から紡ぎ出す伝統的な”糸取り”作業が最盛期を迎えている。
糸取りは毎年、蚕が繭をつくる6月下旬から7月上旬までの3週間ほどの作業。工房では、まず90℃ほどの熱湯に繭を浮かべ、ホウキのような道具で繭球をほぐした後、湯気が上がる中、細い糸を絡め取り、35本程度を束にして拠り合せる。そして、これを電動式の糸繰り機で巻き取ると絹糸ができ上がる。
戦前70軒前後を数えたこうした工房は、化合繊系の弦の大量流通により、現在では1軒しか残っていない。
作業は7月10日ごろまで行われ、地元の和楽器に使う弦の製造会社に出荷される。

京都・高台寺で七夕飾りのライトアップ始まる

七夕を前に7月3日夜、京都・東山区の高台寺で七夕飾りのライトアップが始まった。豊臣秀吉の糟糠の妻ねねゆかりの高台寺では毎年この時期、七夕飾りを参道に設置し、地元の子どもたちが願い事を書きとめた短冊の飾り付けを行っている。今年もライトアップされ、親子連れなどが見守る中、色とりどりの短冊や笹の葉を幻想的に映し出していた。

縄文時代の人骨にサメに咬まれた痕 世界最古

京都大学の研究グループは、岡山県笠岡市の縄文時代の遺跡、津雲貝塚でおよそ100年前に発掘され、京都大学が保管してきた人の骨にサメに咬まれた痕が残されていたことが分かったと発表した。
骨はおよそ3,000年前の縄文時代の中年の男性のものとみられ、右足や左手など以外はほぼ残されていて、全身のおよそ800カ所に傷があることが確認された。傷は引っかいたように平行に残されていたうえ、いずれもV字型の溝のようになるなど、サメが咬んだ痕と特徴が一致したという。
サメに襲われた痕がある人の骨としてはプエルトリコで見つかった、およそ1,000年前の人骨がこれまで最古とされてきたが、今回の発見でこの記録をさらに2,000年ほど遡ることになる。襲ったのは体長4m以上の大型のサメと推定され、当時の日本周辺の海の環境からホオジロザメやイタチザメと考えられるという。

岸和田だんじり祭 今年は無観客で一部地区が実施へ

大阪府岸和田市のだんじり祭が、今年は一部の地区で実施されることになった。昨年は新型コロナの影響で中止された。
だんじり祭は、岸和田市内で毎年8月から9月にかけて8つの地区でそれぞれ行われている。大勢は今年も中止もやむなしだったが、このうちの一つの地区が「2年連続で中止すれば祭りの伝統の継承に支障をきたす」として、今年は実施することを決めた。
ただ、地区外から人を呼ばず、無観客で実施。祭り前後の会食を禁止するなど新型コロナウイルスの感染防止を徹底するとしている。
だんじり祭は、五穀豊穣を願って江戸時代から300年以上にわたり続く伝統の祭りで、力強い掛け声とともに、勇壮にだんじりをひく”やりまわし”で知られる。

平城宮跡に大型建物遺構 天皇別邸の可能性

奈良文化財研究所は6月30日、奈良市の平城宮跡・東院地区で、8世紀半ば~後半の大型建物跡を確認したと発表した。大きさは同地区で最大級の東西約27m、南北約12m。内裏正殿(東西約27m、南北約15m)に匹敵する規模で、天皇の別邸だった可能性が高いとしている。また、時期的には孝謙天皇の即位後、母の光明皇太后が藤原仲麻呂を長官に据えて設置した政治・軍事組織「紫微中台(しびちゅうだい)」とも考えられる。
約1~1.8m四方の柱穴50基が約3m間隔で格子状に並ぶ遺構を確認。同地区の中軸線上にあり、宮殿の中心的建物と考えられる。出土している土器などから推定年代は749~770年で孝謙、淳仁、称徳(孝謙の再即位)の各天皇の時代にあたる。

熊本城天守閣5年ぶり一般公開 復興のシンボル

2016年の熊本地震で被災し、修復が完了した熊本城(所在地:熊本市)の天守閣内部が”復興のシンボル”として6月28日、地震後5年ぶりに初めて一般公開された。
展示コーナーでは、天守閣の歴史だけでなく、地震の被災状況や復興の様子を取り上げた。大天主の最上階に当たる6階部分からは、復旧作業が進む城内と熊本市の街並みを一望できる。階段の上り下りが難しい人用にエレベーターを新設し、建物の耐震性も高めた。

中国で出土の頭骨は約15万年前の絶滅人類

中国科学院や大英自然史博物館などの研究チームは、中国東北部(旧満州ハルビン)の工事現場で見つかった頭骨の化石が、約15万年前の絶滅人類だとする研究成果を発表した。
現生人類(ホモ・サピエンス)に近縁の「旧人」とみられ、2010年に古代DNAの分析から発見された謎の絶滅人類、デニソワ人である可能性もあるという。研究チームは頭骨の主を「ドラゴンマン」と名付けた。推定される脳のサイズは現代人並みで、臼歯はシベリアで見つかったデニソワ人の歯と同じ大きさだった。

京大 有人宇宙学研究センター 人類の宇宙生活見据え

京都大学は6月22日、将来人類が宇宙で生活することを見据えて、惑星への移住に必要な技術を研究する「有人宇宙学研究センター」を設立したと発表した。同センターは、京都大学大学院の総合生存学館が中心になって立ち上げ、宇宙飛行士で京都大学特定教授の土井隆雄さんや、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の研究者など9人がメンバーとなっている。
同日、設立の会見で、土井さんは①火星への移住を想定して大気の多くが二酸化炭素(CO2)で、気圧が地球の100分の1しかない火星に近い環境で樹木を育てること②宇宙環境に配慮し、木材を用いた人工衛星の開発を行うことなどを紹介した。
同センターでは①惑星で暮らすことを想定した居住空間のデザイン②宇宙放射線による被ばくリスクやその低減-など5つの分野において研究を進めるとしている。

沖縄「慰霊の日」20万の御霊に平和への誓い新た

沖縄は6月23日、太平洋戦争末期の沖縄戦などの犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。76年前、約3カ月にわたる日米両軍の激しい地上戦によって、戦闘に巻き込まれた住民を含め約20万人が命を落とした。
最後の激戦地だった沖縄県糸満市魔文仁(まぶに)の平和公園にある「平和の礎(いしじ)」には早朝から遺族らが訪れ、犠牲となった家族や友人らの名前が刻まれた石碑の前で、先人の苦しみに思いをい馳せ、手を合わせ平和への誓いを新たにした。

飯盛城跡を国史跡に 三好政権の中枢として機能

国の文化審議会は6月18日、大東市北条と四条畷市南野にまたがる飯盛城跡を新たに国の史跡に指定するよう、文部科学相に答申した。指定されれば大阪府内の国史跡は68件となる。
府教委によると、飯盛城は戦国時代の武将、木沢長政が1530年ごろに築き、居城にしたとされる。飯盛山の山頂に位置し、土塁なども含めた城域は南北約700m、東西約400mと西日本有数の広さを持つ。
1560年には畿内を支配し、近年、織田信長に先駆けた”天下人”と評される武将、三好長慶(みよしながよし)が入城。政権の中枢として飯盛城は機能していたとみられている。