支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録

支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録
 仙台藩主、伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)スペインやローマに渡った支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料が6月、世界記憶遺産に登録された。登録されたのは、鎖国直前の日欧交渉を伝える貴重な資料として国宝の3点。所蔵する仙台市博物館では、このうち支倉常長像など2点を常設展示している。
 同使節派遣から今年は400年の節目の年だ。宮城県石巻市など東日本大震災で被災したゆかりの地域では、今回の登録を機に震災からの復興の弾みにしたいという機運が高まっている。今秋から関連イベントが目白押しで、津波で被災した木造使節船「サン・ファン・バウティスタ」号の復元船を修復し再公開する予定もあり、観光客の呼び込みに期待が集まっている。

北海道で恐竜の尻尾の化石発見 新種の可能性も

北海道で恐竜の尻尾の化石発見 新種の可能性も
 北海道大と穂別博物館(北海道むかわ町)は7月17日、同町の約7200万年前の地層から、白亜紀末期に繁栄した草食恐竜ハドロサウルスの仲間とみられる恐竜の尻尾の骨の化石を発見したと発表した。新種の可能性もある。9月から本格的な発掘作業を始める。長さ1㍍で、尾椎骨が13個つながっていた。体長は推定7~8㍍。これまでに発見されたハドロサウルスの尾椎骨にはない突起もあった。日本で骨格がつながった恐竜の化石が見つかるのは珍しい。発見した地層は白亜紀末期には海で、深さ約80~1200㍍の海底で堆積したため、ばらばらにならずに残っていたとみられる。

滋賀・上御殿遺跡で人名が書かれた土器見つかる

滋賀・上御殿遺跡で人名が書かれた土器見つかる 滋賀県文化財保護協会は7月17日、同県高島市の上御殿遺跡で「守君船人(もりのきみのふなひと)」という人名が7回書かれた奈良-平安時代の土器が見つかったと発表した。「守君」は祭祀(さいし)に関わった氏族とされ、等間隔で土器を1周するように人名が書かれていた。7回も人名を記した土器は全国初。

角竜トリケラトプスに新種 米ユタ州で化石発見

角竜トリケラトプスに新種 米ユタ州で化石発見
 米ユタ自然史博物館の研究チームは7月17日、大きな鼻と闘牛のように曲がった長い角を持つ新種の草食恐竜の化石を発見したと発表した。恐竜ファンに人気の高い角竜トリケラトプスの仲間。見つかった化石から体長5㍍、体重約2.5㌧と推定。ほかの角竜には見られない特徴から、大きな鼻と角の生えた顔を意味する「ナスートケラトプス」と命名された。

8世紀の古代トルコ文字の碑文をモンゴル東部で発見

8世紀の古代トルコ文字の碑文をモンゴル東部で発見
 大阪大はモンゴル東部のドンゴイ・シレー遺跡で、8世紀の古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)による碑文を発見したと発表した。碑文はタムガと呼ばれる部族の紋章とともに発見され、横5㌢、縦7㌢ほどの文字が20行、計2832字(646の単語)が彫られていた。トルコ系遊牧国家、突厥の東方支配の実態を知る手掛かりになるという。
 遺跡はモンゴルの首都ウランバートルの約450㌔南東にあり、モンゴル科学アカデミー考古学研究所と共同調査。古代トルコ文字の碑文はこれまでウランバートルより西方のオルホン川流域で発見され、東方には存在しないとされていた。突厥は中央ユーラシアの草原地帯で初めて文字を発明した遊牧民として知られる。

支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録

支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録
 仙台藩主、伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)スペインやローマに渡った支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料が6月、世界記憶遺産に登録された。登録されたのは、鎖国直前の日欧交渉を伝える貴重な資料として国宝の3点。所蔵する仙台市博物館では、このうち支倉常長像など2点を常設展示している。
 同使節派遣から今年は400年の節目の年だ。宮城県石巻市など東日本大震災で被災したゆかりの地域では、今回の登録を機に震災からの復興の弾みにしたいという機運が高まっている。今秋から関連イベントが目白押しで、津波で被災した木造使節船「サン・ファン・バウティスタ」号の復元船を修復し再公開する予定もあり、観光客の呼び込みに期待が集まっている。

北海道で恐竜の尻尾の化石発見 新種の可能性も

北海道で恐竜の尻尾の化石発見 新種の可能性も
 北海道大と穂別博物館(北海道むかわ町)は7月17日、同町の約7200万年前の地層から、白亜紀末期に繁栄した草食恐竜ハドロサウルスの仲間とみられる恐竜の尻尾の骨の化石を発見したと発表した。新種の可能性もある。9月から本格的な発掘作業を始める。長さ1㍍で、尾椎骨が13個つながっていた。体長は推定7~8㍍。これまでに発見されたハドロサウルスの尾椎骨にはない突起もあった。日本で骨格がつながった恐竜の化石が見つかるのは珍しい。発見した地層は白亜紀末期には海で、深さ約80~1200㍍の海底で堆積したため、ばらばらにならずに残っていたとみられる。

滋賀・上御殿遺跡で人名が書かれた土器見つかる

滋賀・上御殿遺跡で人名が書かれた土器見つかる
 滋賀県文化財保護協会は7月17日、同県高島市の上御殿遺跡で「守君船人(もりのきみのふなひと)」という人名が7回書かれた奈良-平安時代の土器が見つかったと発表した。「守君」は祭祀(さいし)に関わった氏族とされ、等間隔で土器を1周するように人名が書かれていた。7回も人名を記した土器は全国初。

角竜トリケラトプスに新種 米ユタ州で化石発見

角竜トリケラトプスに新種 米ユタ州で化石発見
 米ユタ自然史博物館の研究チームは7月17日、大きな鼻と闘牛のように曲がった長い角を持つ新種の草食恐竜の化石を発見したと発表した。恐竜ファンに人気の高い角竜トリケラトプスの仲間。見つかった化石から体長5㍍、体重約2.5㌧と推定。ほかの角竜には見られない特徴から、大きな鼻と角の生えた顔を意味する「ナスートケラトプス」と命名された。

宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録

宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録
 新潟大の調査によると、江戸時代中期の1707年に発生した宝永地震(マグニチュード8.6)で、大坂(現・大阪)市中の津波などによる死者は2万1000人を超えたとする記録が残っていたことが分かった。この記録は地震直後に、尾張藩士が幕府の報告書を写したもので信頼性が高く、宝永地震の被害見直しを迫る史料となりそうだ。宝永地震は有史で最大級の南海トラフ地震だが、被害実数が分かる史料は少なく、大坂の死者は数千~1万人、全国で計2万人との推計が通説だった。
 「天下の台所」と呼ばれ、物流拠点として栄えていた大坂の人口は当時約35万人。死亡率は6%に達し、全国最多だったとみられる。新潟大の矢田俊文教授は、宝永地震では今の大阪市中心部の大半が浸水し、多くの橋が落ちた。将来の防災に生かしてほしい-と話している。津波の直撃を受けなかった内湾沿いの大坂でも、南海トラフ地震で死者が2万人を超えたという記録は衝撃的だ。

秀吉が築いた御土居、江戸時代に移設した跡を発見

秀吉が築いた御土居、江戸時代に移設した跡を発見
 京都市埋蔵文化財研究所は、京都市下京区で、桃山時代に築かれた土塁「御土居(おどい)」が、江戸時代の1641年(寛永18年)に東本願寺の別邸・渉成園造営に伴って付け替えられた跡が見つかったと発表した。御土居の一部が崩され、東側に飛び出すように迂回していた。同研究所によると、御土居の付け替えが確認されたのは初めて。
 見つかったのは、移設された御土居の東西200㍍のうち60㍍分。幅は4㍍分を確認した。高さは0.6㍍残っていた。御土居は敵の襲来や鴨川の氾濫から京都の市街地を守るために、豊臣秀吉が築いたもので、土塁の外側は堀だった。

漱石の”幻の書簡”発見 英国留学費用の工面の”跡”

漱石の”幻の書簡”発見 英国留学費用の工面の”跡”
 熊本近代文学館は7月5日、夏目漱石が旧制五高校(熊本)の教授だった1900年(明治33年)6月、友人のドイツ語学者、菅虎雄に宛てた手紙が見つかったと発表した。研究者に存在は知られていたが、所在が分からず、”幻の書簡”と呼ばれていた。手紙は漱石が英国に留学する2、3カ月前、留学費用を工面するため、漱石が熊本から出したもの。昨年11月、古書市場に出回っていたのを業者が発見。熊本県が買い取り、文学館が収蔵した。

啄木は128人中10位 盛岡尋常中合格時の席次表発見

啄木は128人中10位 盛岡尋常中合格時の席次表発見
 岩手県出身の歌人、石川啄木(1886~1912年)が盛岡尋常中(現・盛岡一高)を受験、合格した際の席次表が見つかった。啄木の席次は合格者128人中10位。入学時の年齢は12歳と、通常より1年早いにもかかわらず、”神童”とうたわれた少年時代の英才ぶりをうかがわせる。入試成績は文献などで知られていたが、裏付ける資料が確認されたのは初めて。啄木は渋民村(現・盛岡市)の渋民尋常小に学齢より1年早く入学、首席で卒業後、盛岡高等小を経て、県内で最難関の盛岡尋常中を受験した。競争倍率は3~4倍だったという。

墳丘と石室を同時に築造 松江の古墳時代の前方後方墳

墳丘と石室を同時に築造 松江の古墳時代の前方後方墳
 島根県埋蔵文化財調査センターの発掘調査によると、松江市大草町の前方後方墳「古天神古墳」(6世紀後半、全長27㍍)の後方部は、墳丘と石室を同時に造っていたことが分かった。古墳時代後期の前方後方墳の築造手順があきらかになるのは珍しいという。前方部から後方部にかけて墳丘が崩れたために調査。墳丘断面を観察し、地層の状況から土を盛った順序を推定した。前方部は築造当時の地表面の上にそのまま土を盛っていたが、後方部は地表面を削って平らにし、土を盛って墳丘を造りながら石室を組み立てたとみられる。

力士の始祖 野見宿禰の雄姿石碑に 奈良・桜井で除幕式

力士の始祖 野見宿禰の雄姿石碑に 奈良・桜井で除幕式
 相撲発祥の地とされる奈良県桜井市の相撲神社で7月7日、『日本書紀』に登場する力士の始祖、野見宿禰(のみのすくね)の雄姿を刻んだ石碑の除幕式があり、元横綱の北勝海の八角親方も駆け付けて祝った。石碑は幅約2㍍、高さ約2.5㍍、野見宿禰の姿は、1964年開催の東京オリンピックで主会場となった国立競技場の壁に描かれているモザイク画を写した。

「鳳凰堂」を平安の姿に再現 来春から拝観を再開

「鳳凰堂」を平安の姿に再現 来春から拝観を再開
 京都府宇治市の平等院は7月9日、昨年9月から修理中の国宝「鳳凰堂」を、創建から約50年後に最初に修理した時の姿に再現すると発表した。瓦の文様や壁などの塗料を変えて金色の鳳凰を据え、平安時代の姿に蘇らせる計画。2014年4月から拝観を再開する。平等院は平安時代の1053年、関白の藤原頼通が極楽浄土をイメージして創建。半世紀に1回大修理しており、今回は56年ぶり。

薬師寺東塔「心柱」の上部取り外す 解体修理で

薬師寺東塔「心柱」の上部取り外す 解体修理で
 約110年ぶりの解体修理が行われている奈良市の薬師寺東塔(国宝)で7月8日、塔の中心を貫く心柱の上部(約13㍍)が取り外された。心柱は大木を接いでおり、下部は約17㍍。上部から3層目の裳階(もこし)まで屋根などの解体が進み、取り外しが可能になった。解体には工事用の覆い屋の天井に設置したクレーンを使用。吊り上げられた心柱がゆっくりと上昇し、約5分かけて取り外された。下部の解体は来年半ばになる予定で、創建年代の解明につながる年輪年代測定法を用いた年代調査も計画されている。

長崎半島の白亜紀の地層から肉食恐竜の化石発見

長崎半島の白亜紀の地層から肉食恐竜の化石発見
 福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)と長崎市教育委員会は7月8日、長崎半島(長崎市)の約8400万年前(白亜紀後期)の地層から肉食恐竜の歯の化石の一部2点を発掘したと発表した。肉食恐竜の化石は岩手県や福島県など12県で見つかっているが、長崎県では初めてで、同県に肉食恐竜が存在したことが明らかになった。化石は2点とも歯で、1点は高さ35.4㍉、幅26.8㍉、厚さ11.2㍉で、歯根側の約半分に当たり、これまで見つかった肉食恐竜の歯としては国内最大級。もう1点は高さ34.2㍉、幅13.6㍉。全長約7㍍を超える大型の肉食恐竜と推定されるという。

カンボジアでアンコールワットより古い巨大遺跡発見

カンボジアでアンコールワットより古い巨大遺跡発見
 筑波大はじめカンボジア、フランス、英国などの国際研究チームは6月29日までに、カンボジア北西部のアンコール地区で熱帯林に隠れた巨大遺跡を見つけたと発表した。12世紀前半に建設された世界遺産のアンコールワットより古く、9世紀ごろの建設されたクメール帝国の首都とみられる。灌漑が整備されていたことも分かった。同チームは昨年4月、ヘリコプターからレーザー光で密林370平方㌔㍍を調査し、発見した。802年ごろに建設されたとされるクメール帝国の首都マヘンドラパルバタの遺跡とみている。これまで碑文などで存在するとされていたが、証拠となる構造物は見つかっていなかった。
 マヘンドラパルバタはアンコールワットから北東に約40㌔離れた山中にあり、面積は30平方㍍以上あったと考えられるという。調査では東西に走る道路や水路、寺院など土木構造物の痕跡も見つかった。クメール帝国中期のアンコールワットやアンコールトム(12世紀後半)で、これまで未発見だった道路や運河の跡も見つかっている。

平城宮跡からウリやキイチゴなどの種8万粒見つかる

平城宮跡からウリやキイチゴなどの種8万粒見つかる
 奈良文化財研究所は7月2日、平城宮跡(奈良市)で役所が集中していた地区にあった8世紀の穴の跡から、ウリやキイチゴなど推定8万粒以上に及ぶ大量の種が見つかったと発表した。平城宮でこれほど多くの種が見つかるのは初めてで、役人の生ごみや糞便とみられる。奈良時代の役人の食生活を物語る貴重な資料といえそうだ。
 穴は1辺70㌢、深さ30㌢。採取したコンテナ4箱分(乾燥状態で約12㍑)の土を調査したところ、1箱から野菜や果物など約40種類の種実が約2万粒確認された。総数は4箱で8万粒を超えるとみられる。
 トイレットペーパー代わりの木片や、丸のみしにくいカキやアケビなどの種もあった。当時の記録にはないシソやイチジク属のイタビカズラも出土。平安時代の法令集「延喜式」に貢ぎ物として記されている珍しいムベ(アケビの一種)も見つかっている。

井伊直弼殺害の舞台 桜田門「お色直し」終わる

井伊直弼殺害の舞台 桜田門「お色直し」終わる
 環境省は6月28日、昨年10月から修理中だった重要文化財の桜田門(東京都千代田区皇居外苑)の修理を終えた。桜田門は幕末の大老、井伊直弼が暗殺された地として知られる。旧江戸城の当時の趣はそのままに、腐った柱や瓦を取り換え、壁を白く塗り直した。桜田門は通称で、正式名称は外桜田門。

「薩長土肥連合」で観光PR 2018年に明治維新150年

「薩長土肥連合」で観光PR 2018年に明治維新150年
 5年後の2018年に明治維新150年を迎えるのを機に、維新を推進し明治政府を担う多くの人材を輩出した鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)、佐賀(肥前)の各県が観光客誘致で連携に動き始めた。共同でキャンペーンを展開したり周遊ルートを設けたりして、各地を訪れる旅行者を増やす起爆剤にする考えだ。
 維新の歴史を前面に出した観光PRで連携し、旅行会社や交通機関などと組んでゆかりの地を訪れる旅行商品を企画するという。西郷隆盛、大久保利通らを生まれ育った地、鹿児島県・加治屋町、木戸孝允、高杉晋作らにゆかりのある山口県の萩市や下関市、坂本龍馬や板垣退助らが生まれた高知市などを巡るルートが想定される。4県で協力し連合組織の設立も検討、東京や大阪など大都市圏で共同イベントを開催したいとしている。

藤原定家が「明月記」に記した超新星”爆発”を解明

藤原定家が「明月記」に記した超新星”爆発”を解明
 京都大学など日米の研究チームは、鎌倉時代の歌人、藤原定家が日記「明月記」に書き残した超新星が爆発した時の様子を解明したと発表した。エックス線天文衛星「すざく」で観察して分析した。この超新星は平安時代の1006年に出現した。定家が生まれる150年以上も前だったが、日記には過去に起きた天文現象として記していた。研究チームは爆発の痕跡を観察したところ、鉄やケイ素、硫黄などの重い元素がある方向に偏っていることを突き止めた。この内容は米天文学専門誌アストロフィジカルジャーナルに発表された。

イランで最古級の農耕跡 メソポタミア文明起源の手掛かり

イランで最古級の農耕跡 メソポタミア文明起源の手掛かり
 ドイツのチュービンゲン大の研究チームは7月4日、中東のチグリス・ユーフラテス川流域の「肥沃な三日月地帯」東端に位置する現在のイランで、1万2000~9800年前の新石器時代の農耕遺跡を見つけたと米科学誌サイエンスに発表した。流域で最も古いとされるシリアやイラク、トルコの農耕跡と大きく変わらない時期。流域の農耕が同時に複数の地域で発達したことを示す証拠-と同研究チームは指摘している。同チームは2009~10年にザグロス山脈の麓にあるイラン西部の遺跡で、当時の人々が野生の大麦や小麦などを農作物として利用し、ひき臼やすり鉢を使って食用に加工していたことを遺物やもみ殻などから確認した。定住は2000年以上の長期間に及び、野生種が農耕に適した種に変化していったことも分かった。これにより、メソポタミア文明につながる農耕技術がどのように発達したかを知る手掛かりになりそうだ。

平仮名で土器に最古の「いろは歌」全文 京都の貴族邸跡

平仮名で土器に最古の「いろは歌」全文 京都の貴族邸跡
 京都市埋蔵文化財研究所は6月27日、京都市の「堀河院」と呼ばれた貴族の邸宅跡から30年前に出土した平安時代末期~鎌倉時代初期(12世紀末~13世紀初め)の土器に「いろは歌」のほぼ全文が平仮名で墨書されていたことが分かったと発表した。平仮名で全文がうかがえる資料としては最古という。土器は直径9㌢の小皿。裏面に、いろは47文字のうち43文字が8行に分けて記してあることが判明。4文字は欠損部に書かれていたとみられ、確認できなかった。筆使いはつたなく、同研究所は字を習い始めたばかりの人が、手習いで書いたものではないか-とみている。

邪馬台国の有力地「纏向遺跡」を国の史跡に 文化審答申

邪馬台国の有力地「纏向遺跡」を国の史跡に 文化審答申
 文化審議会は6月21日、邪馬台国畿内説の最有力地とされる「纏向(まきむく)遺跡」(奈良県桜井市)など11件を史跡に、旧城山国民学校校舎など4件の「長崎原爆遺跡」(長崎市)を含む13件を登録記念物にするよう下村博文文部科学相に答申した。このほか「披雲閣(ひうんかく)庭園」(高松市)など2件を名勝に、「新湯の玉滴石産地」(富山市)など3件を天然記念物に、「酒谷の坂元棚田および農山村景観」(宮崎県日南市)など3件を重要文化的景観にそれぞれ指定するよう答申。近く答申通り告示され、史跡は1719件、名勝376件、天然記念物1008件、登録記念物78件、重要文化的景観38件となる。
 纏向遺跡は3世紀初頭に出現し、4世紀初めまで営まれた大規模な集落跡。整然と配置された建物跡や、東海地方など他地域の土器が出土。周辺には卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳もあり、古代国家形成期の重要な遺跡と評価した。長崎原爆遺跡は、被爆の跡が残る旧城山国民学校校舎のほか、爆風で落下した浦上天主堂旧鐘楼、位置がずれた旧長崎医科大学門柱、片方の柱が吹き飛んだ山王神社二の鳥居の計4件が登録の対象となった。

「グロテスク」など藤田嗣治の未発表作2点を7月公開

「グロテスク」など藤田嗣治の未発表作2点を7月公開
 神奈川県箱根町のポーラ美術館は、乳白色の肌の表現で知られる洋画家の藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886~1968年)の未発表作品2点を含む3点の油彩画を新たに収蔵、7月13日から始まる展覧会で一般公開すると発表した。未発表作品は「グロテスク」(1955年)と「シレーヌ」(1952年)。2作とも藤田が戦後、パリに戻った50年代の作で、寓話や神話の中の幻想的なモチーフを描いている。

正岡子規自ら添削の句稿本見つかる 弟子の句に朱筆

正岡子規自ら添削の句稿本見つかる 弟子の句に朱筆
 俳人の正岡子規が監修した選句集「新俳句」をまとめている過程で、自ら添削した弟子の句稿本12冊が富山県高岡市の私立図書館「眉丈文庫」で見つかった。句稿本は子規に師事していた金沢市出身の俳人、直野碧玲龍(1875~1905年)が詠んだ約1500句が和紙に綴られ、子規が朱筆で丸や二重丸を入れて評価を示したり、語句の手直しなどの添削をしている。病床にありながら、厳しく弟子を指導する姿勢がうかがえる。近代俳句を確立しようとしていた当時の子規の俳句観を知ることができる重要資料という。

福井・勝山市でダチョウ型恐竜の化石発見、国内3例目

福井・勝山市でダチョウ型恐竜の化石発見、国内3例目
 福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)は6月24日、勝山市内の発掘現場で見つかった化石が、ダチョウ型恐竜「オルニトミモサウルス類」の指先の骨と確認されたと発表した。同じ化石の発見は、群馬県神流町、熊本県御船町に次いで3例目。博物館の発掘チームが2008年8月に約1億2000万年前の地層から発見し、種類を特定する作業をしていた。前脚の指先とみられる35㍉と46㍉ほどの2片の骨で、ダチョウ型恐竜に特徴的な細長い形だ。ダチョウ型恐竜は、後ろ足が長く発達しており、俊敏な動きをしていたと推測されている。中国やモンゴルでの発見例が多い。

棺を飾る石製の胸像は被葬者の「遺影」パルミラ遺跡

棺を飾る石製の胸像は被葬者の「遺影」パルミラ遺跡
 奈良県橿原考古学研究所は6月26日、シルクロードの中継地として栄えたシリアの古代都市、パルミラ遺跡で、2世紀に造られた地下墓から出土した頭骨を復顔したところ、棺を飾る石製の胸像が被葬者の「遺影」と分かったと発表した。当時の葬送の様子を探る重要資料という。奈良県は1990年からパルミラの地下墓を調査。今回、91~92年に出土した男性の頭骨2体の復顔をロシアと日本の専門家に依頼。復顔した像どちらも顔の輪郭や目の形などの特徴が胸像と一致した。パルミラは同国を代表する古代遺跡で、世界文化遺産に登録されている。内戦で被害を受け、6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「危機遺産」に指定された。

京都市内で奈良時代の漆紗冠4点見つかる 長岡京

京都市内で奈良時代の漆紗冠4点見つかる 長岡京
 京都府長岡京市埋蔵文化財センターは6月27日、長岡京跡(784~794年)で、貴族がかぶった漆紗冠(しっしゃかん)が見つかったと発表した。六条大路と東一坊大路の交差点の北西部にある溝から4点出土。漆紗冠は奈良時代、網状の編み物をとじ合わせ、黒漆を塗って仕上げたかぶりもので、五位以上の貴族がかぶっていた。同センターは、長岡京から794年、平安京に遷都する際、捨てられたものではないかとみている。

「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」世界記憶遺産に

「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」世界記憶遺産に
 文部科学省は6月19日、歴史的に貴重な文書や絵画を対象としたユネスコの「世界記憶遺産」に400年前に仙台藩主・伊達政宗がスペインなどに派遣した使節に関する「慶長遣欧使節関係資料」(仙台市博物館所蔵)と、平安時代の貴族、藤原道長の自筆日記「御堂関白記」(京都市の陽明文庫所蔵)が登録されることになったと発表した。国内からは2011年の「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」に次ぐ登録となる。
 「慶長遣欧使節関係資料」は、日本・スペイン両政府の共同推薦によるもので、仙台藩士・支倉常長が持ち帰ったローマ市公民権証書、常長とローマ法王パウロ5世の肖像画など。「御堂関白記」は栄華を誇った藤原道長が政権を握った長徳元(995)年から記し始め、何回かの中断を経た後、寛弘元(1004)年から継続的に書き続けた、日々の政務や生活の様子を綴った日記だ。現存するものは長徳4(998)年から治安元(1021)年の間の記事だ。近衛家の陽明文庫が所蔵する自筆本十四巻、古写本十二巻が伝わり、国宝に指定されている。

奈良・山田寺跡で出土の破片は国内最古級の中国陶器

奈良・山田寺跡で出土の破片は国内最古級の中国陶器
 兵庫陶芸美術館(兵庫県篠山市)の調査によると、奈良県桜井市の山田寺跡(7世紀)で出土した陶器「三彩」の破片が、国内で出土した中国製陶器としては最古級の可能性が高いことが分かった。この破片は、奈良文化財研究所が1976年に始めた同寺跡の発掘調査で出土した陶器片43点の一部。中国・唐代の有名な唐三彩の源流とされる北斉時代(550~577年)の陶器とみられる。これまで国内最古の中国製陶器は壱岐島(長崎県)の双六古墳(6世紀後半)で出土したわんとされてきた。

京都「清水の舞台」支える最奥部の柱9本の修理開始

京都「清水の舞台」支える最奥部の柱9本の修理開始
 京都市東山区の清水寺で6月18日、国宝の本堂にある「清水の舞台」を支える柱の修理が始まった。総事業費約40億円の大規模修理の一環。8月中に終わる予定で、工事中も拝観できる。修理の対象は柱168本のうち最奥部の9本で、根元が湿気で腐ったり虫食いの被害に遭ったりしているという。京都府教育委員会によると、9本は約380年前の再建時のもの。直径は60~80㌢、長さは最長14㍍。根元部分をそれぞれ30~90㌢切り取り、そこに新しい木材を差し入れて継ぎ足す「根継ぎ」という工法をとる。

伏見城築城の際、石を切り出した採石場跡見つかる

伏見城築城の際、石を切り出した採石場跡見つかる
 京都市山科区の山中で、豊臣秀吉や徳川家康の居城だった伏見城(京都市伏見区)に用いる石を切り出したとみられる採石場跡が見つかった。石を効率的に割るための矢穴が開けられた花崗岩24個を確認。複数個には「一に〇」や「四つ目」という刻印があり、各地の大名が採石者を示すために彫った記号とみられる。豊臣時代の石垣は自然石が多く、切ったり刻印を彫ったりした石は徳川時代の特徴という。

米第16代大統領リンカーンの10代の手描きノート発見

米第16代大統領リンカーンの10代の手描きノート発見
 米イリノイ州立大学はこのほど、同大数学科の教授が米ハーバード大学の図書館で発見した1枚の文書について、第16代大統領リンカーンが10代のときに作成した数学の手書きノートの一部と断定したと発表した。このノートは現存するリンカーンの最古の手書き文書という。今回断定された文書は、リンカーンが中西部インディアナ州の学校に通っていた16歳当時の1825年に書かれたとみられる。

上田秋成の和歌・枕詞の解説書の版木見つかる 奈良大

上田秋成の和歌・枕詞の解説書の版木見つかる 奈良大
 奈良大によると、「雨月物語」で知られる上田秋成(1734~1809年)が和歌の枕詞(まくらことば)を解説した「冠辞続(かんじぞく)ちょう」の版木4枚が見つかった。同書は1801年に刊行され、枕詞392例を五十音に分類している。版木は縦84.1㌢、横22.2㌢、厚さ1.8㌢の桜の木を使い、ヒット商品で何度も刷られたことを示すように厚く墨が残っている部分もあった。京都の古書店から奈良大が譲り受けて調査した。版木の多くは火災や空襲で失われた。

ナポレオンのデスマスク2500万円で落札 英で競売

ナポレオンのデスマスク2500万円で落札 英で競売
 フランス皇帝ナポレオンが幽閉地、南大西洋の孤島、セントヘレナ島で1821年に亡くなった2日後につくられたデスマスクが6月19日、ロンドンで競売に掛けられ、予想を大幅に上回る約17万ポンド(約2500万円)で落札された。落札予想価格は4万~6万ポンドだった。ナポレオンをめぐっては、死因が毒殺か病死かで論争があるほか、デスマスクも複数存在しているといわれる。

島根・出雲の砂原遺跡の石器を再び「国内最古」と結論

島根・出雲の砂原遺跡の石器を再び「国内最古」と結論
 島根県出雲市の砂原遺跡の学術発掘調査団は、出土した石器36点について見解を再修正し、11万~12万年前の「国内最古」と結論付け報告書にまとめた。2009年の発表では、12万7000年前ごろにできた地層と、約11万年前の三瓶木次火山灰でできた地層に挟まれた地層から石器が出土したとして、石器の年代は約12万年前の国内最古と発表した。その後、火山灰の地層は三瓶木次層ではなく、約7万年前の三瓶雲南層と判明。翌年、石器の年代を7万~12万年前と幅を持たせて修正した。

「支倉常長とその時代展」の開幕式に出席 皇太子さま

「支倉常長とその時代展」の開幕式に出席 皇太子さま
 スペインを公式訪問中の皇太子さまは6月12日、マドリードの国立装飾美術館を訪れ、「支倉常長とその時代展」の開幕式に出席された。支倉常長は400年前、1613年に仙台藩主・伊達政宗がスペインに派遣した「慶長遣欧使節団」を率いて、日本人として初めて太平洋と大西洋を横断した。同展は南蛮漆器などの美術工芸品を展示し、日本とスペイン、当時スペイン領だったメキシコにも広がった文化交流の軌跡を紹介している。

童謡「サッちゃん」創作ノート 作詞・阪田さんの遺品

童謡「サッちゃん」創作ノート 作詞・阪田さんの遺品
 作家で詩人の阪田寛夫さんが童謡「サッちゃん」を作詞した際の創作ノートが遺品から見つかった。3番までの歌詞が万年筆で書かれているが、手直しの跡は1カ所のみで、一気に書き上げた様子がうかがえる。歌詞はすべて仮名表記だが、創作時は漢字交じりだったことも分かった。阪田さんが小学部を卒業した帝塚山学院(大阪市)が遺族から寄贈された原稿や書簡、ノートなどを整理中に発見した。
 「サッちゃん」の誕生は1959年。朝日放送に勤めていた阪田さんが、いとこで作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)さんの依頼で歌詞を書いた。NHKのラジオ番組で「うたのおばさん」として親しまれた松田トシさんに若手作曲家が新作童謡を贈ったもので、阪田さんにとって初の童謡だった。

寺山修司さんの自筆ノート含む多数の未発表資料見つかる

寺山修司さんの自筆ノート含む多数の未発表資料見つかる
 早稲田大学演劇博物館(東京都新宿区)は、歌人、劇作家、演出家、映画監督など多彩な創作活動で知られる寺山修司さんの自筆ノートを含む多数の未発表資料が見つかったことを明らかにした。11月に寺山さんの特別展を開催し、資料の一部を一般公開する。発見された未発表資料は、寺山さんが学生時代に記した自筆ノートや演劇作品の演出メモなど。このうち「ロミイの手帖」と名付けられたノートには、2年間の入院生活を強いられた早大時代に読んだ文学書や哲学書の感想のほか、散文、詩なども綴られている。未発表分を含めた寺山さんの自筆原稿、海外公演テープなどは数千点に上る。

中原中也の書簡発見 知人にチェーホフ作品勧める内容

中原中也の書簡発見 知人にチェーホフ作品勧める内容
 詩人の中原中也(1907~37年)が知人に宛てた手紙が見つかった。ロシアの文豪チェーホフの作品への感想を述べ、知人に読むよう勧める内容。神奈川近代文学館(横浜市)で6月15日から開かれる「中原中也の手紙」展で公開される。書簡は中也と親交があり、「中原中也の手紙」などの著書がある安原喜弘さんの遺品から見つかった。手紙で中也はチェーホフの中編小説「黒衣の僧」のあらすじを記し、主人公が過去を回想する場面に触れて「今にも手にとれさうに見えても来るのですが、而もそれは現はすことが出来ない」と感想を述べている。

群馬の遺跡で古墳、建物跡、多数の土器を発見

群馬の遺跡で古墳、建物跡、多数の土器を発見
 群馬県埋蔵文化財調査事業団は6月1日、6世紀の初め(古墳時代)の鉄製のよろいを着けた男性の骨が見つかった同県渋川市の金井東裏遺跡で、新たに古墳や建物跡、多数の土器が見つかったと県の調査検討委員会で報告した。古墳は男性の人骨があった場所の北側で見つかり、直径約15㍍、高さ約2.5㍍の円形。埋葬されていた人物などについては今後調べる。建物跡は2棟で、かまどがあり住居とみられる。近くに畑の形跡も残っていた。

吹田市・五反島遺跡で「和同開珎」18枚が出土

吹田市・五反島遺跡で「和同開珎」18枚が出土
 吹田市教育委員会は同市南吹田の五反島遺跡で8世紀に使われた日本最古の流通貨幣「和同開珎」18枚が出土したと発表した。同市内では7世紀後半から8世紀の遺物がまとまって出土した事例がほとんどなく、同市教委では空白の歴史の解明につながる可能性のある貴重な発見としている。
 和同開珎に続いて鋳造された万年通宝(8世紀)や神功開宝(同)も1枚ずつ見つかり、ほぼ同時代の瓦が大量に出土した。貨幣を使う人や瓦を葺いた建物は当時限られており、同市教委は周辺に寺院などの施設が存在した可能性があるとみている。

最古の霊長類か 中国で5500万年前の地層から化石発見

最古の霊長類か 中国で5500万年前の地層から化石発見
 中国科学院や米国などのチームは、中国湖北省の約5500万年前の地層から、メガネザルの仲間とみられる最古の霊長類の化石を見つけたと6月6日付の英科学誌ネイチャーに発表する。胴の長さは約7㌢、体重は推定20~30㌘と小型で、約13㌢の長い尾を持っていた。これまで最古だったドイツや米国の霊長類化石を約700万年遡る。チームは、現代の人類や類人猿につながる進化が、どのように起きたのか知る手掛かりになるだろうとしている。化石が見つかったのは、長江流域にあった古代の湖底とみられる地層。

マンモスの血液か ロシアの博物館が北極圏で発見

マンモスの血液か ロシアの博物館が北極圏で発見
 ロシア東シベリア・サハ共和国の首都ヤクーツクにあるマンモス博物館は、同共和国北部の北極圏の島で今年5月、凍結状態で見つかったマンモスの死骸から、凍っていない血液とみられる液体を採取したと発表した。サハ共和国ではこれまでに永久凍土で多数のマンモスが見つかり、骨髄や赤みを帯びた筋肉片なども採取されているが、凍結していない血液が採取されたとすれば極めて異例のことだ。見つかったのは、歯の状態から50~60歳の雌マンモス。1万~1万5000年前にの死んだとみられるが、肉が赤みを帯びるなど保存状態がよく、約3㍉㍑の血液とみられる黒ずんだ液体も採取した。

歌舞伎座の復元に巨大図面が一役 明治からの伝統継承

歌舞伎座の復元に巨大図面が一役 明治からの伝統継承
 1889年に開場し、今春立て替えられた東京・銀座の”五代目”歌舞伎座。ファンから「前と変わらないね」といわれる、明治から継承する伝統的な外観の復元には、実は福井県の宮大工棟梁(とうりょう)、山本信幸さん(55)がつくった実物と同じ寸法の巨大な設計図「現寸図」が活用されていた。現寸図は通常の設計図より具体化し、各部位を実物大で描いた巨大な図面。建築物の各部位を詳細に確認でき、社寺の細かな装飾の設計に用いられてきた。
 山本さんは実物の瓦や5000枚以上の写真などを使い、歴代の歌舞伎座を計測。そのデータを基にコンピューターによる設計(CAD)を駆使し、約5カ月で新たな歌舞伎座の図面を作製した。福井県内の鉄工所跡に、現寸図を使った作業をする約180平方㍍の「現寸場」を設置。CADが作製した図面を分割してプリントし、床にびっしりと並べ、瓦や軒の形状、天井の勾配、装飾と壁の隙間など、より精確に、歌舞伎座の伝統的な外観を復元したのだ。その作業量は、一般的な寺院の本堂5棟分だったという。
 山本さんにはこれまで、首里城正殿(沖縄県)や五稜郭の箱館奉行所(北海道)などの復元に携わった経験があった。こうした実績を踏まえ、2010年、大手ゼネコンから今回の歌舞伎座の復元依頼が舞い込んだ。

没後1250年を記念し、平成の鑑真像に入魂 唐招提寺

没後1250年を記念し、平成の鑑真像に入魂 唐招提寺
 奈良市の唐招提寺で6月5日、日本に戒律を伝え同寺を創建した鑑真の没後1250年を記念し、国宝・鑑真和上坐像の「お身代わり」として制作された像に魂を入れる開眼法要が営まれ、約1000人の参列者が儀式を見守った。像は輿(こし)に乗せられ、雅楽奏者や僧侶らに先導されて、南大門から法要が行われる講堂まで運ばれた。開眼の儀では、同寺の石田長老が大きな筆を手に、像に眼を描く所作を行った。
 この像は美術院国宝修理所(京都市)で、2010年から3年近くかけて、国宝像と同じ技法で制作された。6月7日から境内の開山堂で一般公開される。

「音楽の父」バッハ筆写の楽譜発見 カトリックのミサ曲

「音楽の父」バッハ筆写の楽譜発見 カトリックのミサ曲
 「音楽の父」と呼ばれるドイツの音楽家、バッハ(1685~1750年)が筆写した楽譜が新たに見つかった。バッハ資料財団が6月6日発表した。カトリックのミサ曲を書き写したもので、プロテスタントのバッハが、カトリックの教会音楽の影響を強く受けていたことを示す貴重な資料という。バッハが筆写したのは、イタリアの作曲家フランチェスコ・ガスパリーニの「ミサ・カノニカ」。