支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録
仙台藩主、伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)スペインやローマに渡った支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料が6月、世界記憶遺産に登録された。登録されたのは、鎖国直前の日欧交渉を伝える貴重な資料として国宝の3点。所蔵する仙台市博物館では、このうち支倉常長像など2点を常設展示している。
同使節派遣から今年は400年の節目の年だ。宮城県石巻市など東日本大震災で被災したゆかりの地域では、今回の登録を機に震災からの復興の弾みにしたいという機運が高まっている。今秋から関連イベントが目白押しで、津波で被災した木造使節船「サン・ファン・バウティスタ」号の復元船を修復し再公開する予定もあり、観光客の呼び込みに期待が集まっている。
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8世紀の古代トルコ文字の碑文をモンゴル東部で発見
8世紀の古代トルコ文字の碑文をモンゴル東部で発見
大阪大はモンゴル東部のドンゴイ・シレー遺跡で、8世紀の古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)による碑文を発見したと発表した。碑文はタムガと呼ばれる部族の紋章とともに発見され、横5㌢、縦7㌢ほどの文字が20行、計2832字(646の単語)が彫られていた。トルコ系遊牧国家、突厥の東方支配の実態を知る手掛かりになるという。
遺跡はモンゴルの首都ウランバートルの約450㌔南東にあり、モンゴル科学アカデミー考古学研究所と共同調査。古代トルコ文字の碑文はこれまでウランバートルより西方のオルホン川流域で発見され、東方には存在しないとされていた。突厥は中央ユーラシアの草原地帯で初めて文字を発明した遊牧民として知られる。
支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録
支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料 世界記憶遺産登録
仙台藩主、伊達政宗の命を受け、1613年(慶長18年)スペインやローマに渡った支倉常長ら「慶長遣欧使節」の資料が6月、世界記憶遺産に登録された。登録されたのは、鎖国直前の日欧交渉を伝える貴重な資料として国宝の3点。所蔵する仙台市博物館では、このうち支倉常長像など2点を常設展示している。
同使節派遣から今年は400年の節目の年だ。宮城県石巻市など東日本大震災で被災したゆかりの地域では、今回の登録を機に震災からの復興の弾みにしたいという機運が高まっている。今秋から関連イベントが目白押しで、津波で被災した木造使節船「サン・ファン・バウティスタ」号の復元船を修復し再公開する予定もあり、観光客の呼び込みに期待が集まっている。
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宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録
宝永地震の「大坂の死者2万1000人超」幕府の記録
新潟大の調査によると、江戸時代中期の1707年に発生した宝永地震(マグニチュード8.6)で、大坂(現・大阪)市中の津波などによる死者は2万1000人を超えたとする記録が残っていたことが分かった。この記録は地震直後に、尾張藩士が幕府の報告書を写したもので信頼性が高く、宝永地震の被害見直しを迫る史料となりそうだ。宝永地震は有史で最大級の南海トラフ地震だが、被害実数が分かる史料は少なく、大坂の死者は数千~1万人、全国で計2万人との推計が通説だった。
「天下の台所」と呼ばれ、物流拠点として栄えていた大坂の人口は当時約35万人。死亡率は6%に達し、全国最多だったとみられる。新潟大の矢田俊文教授は、宝永地震では今の大阪市中心部の大半が浸水し、多くの橋が落ちた。将来の防災に生かしてほしい-と話している。津波の直撃を受けなかった内湾沿いの大坂でも、南海トラフ地震で死者が2万人を超えたという記録は衝撃的だ。
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カンボジアでアンコールワットより古い巨大遺跡発見
カンボジアでアンコールワットより古い巨大遺跡発見
筑波大はじめカンボジア、フランス、英国などの国際研究チームは6月29日までに、カンボジア北西部のアンコール地区で熱帯林に隠れた巨大遺跡を見つけたと発表した。12世紀前半に建設された世界遺産のアンコールワットより古く、9世紀ごろの建設されたクメール帝国の首都とみられる。灌漑が整備されていたことも分かった。同チームは昨年4月、ヘリコプターからレーザー光で密林370平方㌔㍍を調査し、発見した。802年ごろに建設されたとされるクメール帝国の首都マヘンドラパルバタの遺跡とみている。これまで碑文などで存在するとされていたが、証拠となる構造物は見つかっていなかった。
マヘンドラパルバタはアンコールワットから北東に約40㌔離れた山中にあり、面積は30平方㍍以上あったと考えられるという。調査では東西に走る道路や水路、寺院など土木構造物の痕跡も見つかった。クメール帝国中期のアンコールワットやアンコールトム(12世紀後半)で、これまで未発見だった道路や運河の跡も見つかっている。
平城宮跡からウリやキイチゴなどの種8万粒見つかる
平城宮跡からウリやキイチゴなどの種8万粒見つかる
奈良文化財研究所は7月2日、平城宮跡(奈良市)で役所が集中していた地区にあった8世紀の穴の跡から、ウリやキイチゴなど推定8万粒以上に及ぶ大量の種が見つかったと発表した。平城宮でこれほど多くの種が見つかるのは初めてで、役人の生ごみや糞便とみられる。奈良時代の役人の食生活を物語る貴重な資料といえそうだ。
穴は1辺70㌢、深さ30㌢。採取したコンテナ4箱分(乾燥状態で約12㍑)の土を調査したところ、1箱から野菜や果物など約40種類の種実が約2万粒確認された。総数は4箱で8万粒を超えるとみられる。
トイレットペーパー代わりの木片や、丸のみしにくいカキやアケビなどの種もあった。当時の記録にはないシソやイチジク属のイタビカズラも出土。平安時代の法令集「延喜式」に貢ぎ物として記されている珍しいムベ(アケビの一種)も見つかっている。
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「薩長土肥連合」で観光PR 2018年に明治維新150年
「薩長土肥連合」で観光PR 2018年に明治維新150年
5年後の2018年に明治維新150年を迎えるのを機に、維新を推進し明治政府を担う多くの人材を輩出した鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)、佐賀(肥前)の各県が観光客誘致で連携に動き始めた。共同でキャンペーンを展開したり周遊ルートを設けたりして、各地を訪れる旅行者を増やす起爆剤にする考えだ。
維新の歴史を前面に出した観光PRで連携し、旅行会社や交通機関などと組んでゆかりの地を訪れる旅行商品を企画するという。西郷隆盛、大久保利通らを生まれ育った地、鹿児島県・加治屋町、木戸孝允、高杉晋作らにゆかりのある山口県の萩市や下関市、坂本龍馬や板垣退助らが生まれた高知市などを巡るルートが想定される。4県で協力し連合組織の設立も検討、東京や大阪など大都市圏で共同イベントを開催したいとしている。
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イランで最古級の農耕跡 メソポタミア文明起源の手掛かり
イランで最古級の農耕跡 メソポタミア文明起源の手掛かり
ドイツのチュービンゲン大の研究チームは7月4日、中東のチグリス・ユーフラテス川流域の「肥沃な三日月地帯」東端に位置する現在のイランで、1万2000~9800年前の新石器時代の農耕遺跡を見つけたと米科学誌サイエンスに発表した。流域で最も古いとされるシリアやイラク、トルコの農耕跡と大きく変わらない時期。流域の農耕が同時に複数の地域で発達したことを示す証拠-と同研究チームは指摘している。同チームは2009~10年にザグロス山脈の麓にあるイラン西部の遺跡で、当時の人々が野生の大麦や小麦などを農作物として利用し、ひき臼やすり鉢を使って食用に加工していたことを遺物やもみ殻などから確認した。定住は2000年以上の長期間に及び、野生種が農耕に適した種に変化していったことも分かった。これにより、メソポタミア文明につながる農耕技術がどのように発達したかを知る手掛かりになりそうだ。
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邪馬台国の有力地「纏向遺跡」を国の史跡に 文化審答申
邪馬台国の有力地「纏向遺跡」を国の史跡に 文化審答申
文化審議会は6月21日、邪馬台国畿内説の最有力地とされる「纏向(まきむく)遺跡」(奈良県桜井市)など11件を史跡に、旧城山国民学校校舎など4件の「長崎原爆遺跡」(長崎市)を含む13件を登録記念物にするよう下村博文文部科学相に答申した。このほか「披雲閣(ひうんかく)庭園」(高松市)など2件を名勝に、「新湯の玉滴石産地」(富山市)など3件を天然記念物に、「酒谷の坂元棚田および農山村景観」(宮崎県日南市)など3件を重要文化的景観にそれぞれ指定するよう答申。近く答申通り告示され、史跡は1719件、名勝376件、天然記念物1008件、登録記念物78件、重要文化的景観38件となる。
纏向遺跡は3世紀初頭に出現し、4世紀初めまで営まれた大規模な集落跡。整然と配置された建物跡や、東海地方など他地域の土器が出土。周辺には卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳もあり、古代国家形成期の重要な遺跡と評価した。長崎原爆遺跡は、被爆の跡が残る旧城山国民学校校舎のほか、爆風で落下した浦上天主堂旧鐘楼、位置がずれた旧長崎医科大学門柱、片方の柱が吹き飛んだ山王神社二の鳥居の計4件が登録の対象となった。
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棺を飾る石製の胸像は被葬者の「遺影」パルミラ遺跡
棺を飾る石製の胸像は被葬者の「遺影」パルミラ遺跡
奈良県橿原考古学研究所は6月26日、シルクロードの中継地として栄えたシリアの古代都市、パルミラ遺跡で、2世紀に造られた地下墓から出土した頭骨を復顔したところ、棺を飾る石製の胸像が被葬者の「遺影」と分かったと発表した。当時の葬送の様子を探る重要資料という。奈良県は1990年からパルミラの地下墓を調査。今回、91~92年に出土した男性の頭骨2体の復顔をロシアと日本の専門家に依頼。復顔した像どちらも顔の輪郭や目の形などの特徴が胸像と一致した。パルミラは同国を代表する古代遺跡で、世界文化遺産に登録されている。内戦で被害を受け、6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「危機遺産」に指定された。
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「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」世界記憶遺産に
「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」世界記憶遺産に
文部科学省は6月19日、歴史的に貴重な文書や絵画を対象としたユネスコの「世界記憶遺産」に400年前に仙台藩主・伊達政宗がスペインなどに派遣した使節に関する「慶長遣欧使節関係資料」(仙台市博物館所蔵)と、平安時代の貴族、藤原道長の自筆日記「御堂関白記」(京都市の陽明文庫所蔵)が登録されることになったと発表した。国内からは2011年の「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」に次ぐ登録となる。
「慶長遣欧使節関係資料」は、日本・スペイン両政府の共同推薦によるもので、仙台藩士・支倉常長が持ち帰ったローマ市公民権証書、常長とローマ法王パウロ5世の肖像画など。「御堂関白記」は栄華を誇った藤原道長が政権を握った長徳元(995)年から記し始め、何回かの中断を経た後、寛弘元(1004)年から継続的に書き続けた、日々の政務や生活の様子を綴った日記だ。現存するものは長徳4(998)年から治安元(1021)年の間の記事だ。近衛家の陽明文庫が所蔵する自筆本十四巻、古写本十二巻が伝わり、国宝に指定されている。
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童謡「サッちゃん」創作ノート 作詞・阪田さんの遺品
童謡「サッちゃん」創作ノート 作詞・阪田さんの遺品
作家で詩人の阪田寛夫さんが童謡「サッちゃん」を作詞した際の創作ノートが遺品から見つかった。3番までの歌詞が万年筆で書かれているが、手直しの跡は1カ所のみで、一気に書き上げた様子がうかがえる。歌詞はすべて仮名表記だが、創作時は漢字交じりだったことも分かった。阪田さんが小学部を卒業した帝塚山学院(大阪市)が遺族から寄贈された原稿や書簡、ノートなどを整理中に発見した。
「サッちゃん」の誕生は1959年。朝日放送に勤めていた阪田さんが、いとこで作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)さんの依頼で歌詞を書いた。NHKのラジオ番組で「うたのおばさん」として親しまれた松田トシさんに若手作曲家が新作童謡を贈ったもので、阪田さんにとって初の童謡だった。
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歌舞伎座の復元に巨大図面が一役 明治からの伝統継承
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1889年に開場し、今春立て替えられた東京・銀座の”五代目”歌舞伎座。ファンから「前と変わらないね」といわれる、明治から継承する伝統的な外観の復元には、実は福井県の宮大工棟梁(とうりょう)、山本信幸さん(55)がつくった実物と同じ寸法の巨大な設計図「現寸図」が活用されていた。現寸図は通常の設計図より具体化し、各部位を実物大で描いた巨大な図面。建築物の各部位を詳細に確認でき、社寺の細かな装飾の設計に用いられてきた。
山本さんは実物の瓦や5000枚以上の写真などを使い、歴代の歌舞伎座を計測。そのデータを基にコンピューターによる設計(CAD)を駆使し、約5カ月で新たな歌舞伎座の図面を作製した。福井県内の鉄工所跡に、現寸図を使った作業をする約180平方㍍の「現寸場」を設置。CADが作製した図面を分割してプリントし、床にびっしりと並べ、瓦や軒の形状、天井の勾配、装飾と壁の隙間など、より精確に、歌舞伎座の伝統的な外観を復元したのだ。その作業量は、一般的な寺院の本堂5棟分だったという。
山本さんにはこれまで、首里城正殿(沖縄県)や五稜郭の箱館奉行所(北海道)などの復元に携わった経験があった。こうした実績を踏まえ、2010年、大手ゼネコンから今回の歌舞伎座の復元依頼が舞い込んだ。