世界遺産登録10周年 和歌山で9月から観光事業

世界遺産登録10周年 和歌山で9月から観光事業

「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録10周年を機に、和歌山県や同県内市町村、JR西日本などは8月4日、9月14日から12月13日まで大型観光事業「和歌山デスティネーションキャンペーン(わかやまDC)」を実施すると発表した。テーマは「和(なごみ)」。期間中、県内で150以上のイベントを開催する。スタンプラリーや、高野山、熊野本宮大社、熊野那智大社などでのコンサート、秘宝の特別公開などがある。国内の世界遺産登録地域の関係者が集まる観光地サミットも開かれる。

富岡製糸場に4カ月で34万人 年間最多を更新

富岡製糸場に4カ月で34万人 年間最多を更新

 世界文化遺産に登録された富岡製糸場(群馬県富岡市)の来場者数が7月21日、4月以降で約34万人となり、昨年度を4カ月足らずで超え、過去最多を更新したことが分かった。富岡製糸場によると、2013年4月~14年3月の来場者数は過去最多の約31万4500人。

 来場者数の急増はボランティアの解説員によるガイドが不足する事態を招いている。5月に新たに7人がデビューしたが、来場者数の伸びに追いつかない状況が続いている。

沖縄・石垣島で旧石器時代の人骨が大量出土

沖縄・石垣島で旧石器時代の人骨が大量出土
 沖縄県・石垣島(石垣市)で後期旧石器時代(3万5000~1万数千年前)の人骨が多く見つかっており、考古学者や、人類学者の注目を集めている。約2万年前の骨に残されたDNAやたんぱく質の分析から沖縄に来た人類の由来を探る試みが始まり、専門家からは「宝のような遺跡」との声も挙がっている。
 石垣島東岸から約1㌔の新石垣空港敷地内にある白保竿根田原(しらほさねたばる)洞穴遺跡。沖縄県立埋蔵文化財センターが2010年度から進める調査などで、旧石器人骨を中心とする十数~20体分の人骨約800点が出土した。骨は保存状態が良く、大学や研究機関がたんぱく質やDNAの抽出を試みた。
 これらの人々はどこからやってきたのか。国立科学博物館のチームが母から子に受け継がれ祖先をたどることができるミトコンドリアDNAを分析。東南アジアに見られる「B4e」や沖縄の人に多く、本土でも一部見られる「M7a」など3種類のDNAタイプを確認した。調査や分析は本年度も継続される。

大船鉾 勇姿150年ぶり 祇園祭で曳き初め

大船鉾 勇姿150年ぶり 祇園祭で曳き初め

 京都の祇園祭で、7月24日の後祭(あとまつり)の山鉾巡行でトリを務める大船鉾の曳き初めが7月20日行われた。大船鉾は幕末に焼失。今年150年ぶりに復活する。そのお披露目会と試し引きが行われたもので、江戸時代の装飾品を付けた勇姿を一目見ようと、多くの見物客が進路を埋めたため、曳き初めのコースを短縮するほどだった。鉾は全長約7.5㍍、幅約3.25㍍、高さ6㍍を超える。

太閤検地より古い「指出検地」の記録見つかる

太閤検地より古い「指出検地」の記録見つかる

 兵庫県たつの市立竜野歴史文化資料館は7月16日、豊臣秀吉が行った「太閤検地」よりも古い「指出見地」(1585年)の記録が市内で見つかったと公開した。秀吉が指出検地を行ったことは知られていたが、記録が見つかったのは初めて。

 後の太閤検地が実際に土地を測量したのに対し、指出検地では測量せずに大名からの申請をそのまま追認、領地として与えていたことが分かり、秀吉の土地支配や、領地を与えた手続きを知る史料となるという。

 史料は「淡路二郡指出帳」で、縦約27㌢、横約20㌢。淡路島の津名と三原の2郡の記録。秀吉の直筆部分、朱印もあった。                  

奈良飛鳥京・福岡粕屋町で飛鳥時代の新たな発見

奈良飛鳥京・福岡粕屋町で飛鳥時代の新たな発見
 奈良県立橿原考古学研究所は7月14日、国内最古の本格的庭園・飛鳥京跡苑池(えんち、奈良県明日香村、7世紀後半)で、敷地を囲った塀跡が見つかったと発表した。塀跡は南池を見下ろす高台にあり、7つの柱穴が南北約15㍍にわたり並んでいた。過去の調査で発券された北池付近の塀の柱穴と一直線につながった。苑池は斉明天皇や天武天皇の宮殿に附属した施設と考えられている。
 福岡県粕屋町教育委員会は7月14日、町内の粕屋官ガ遺跡群阿恵(あえ)遺跡で、7世紀後半の飛鳥時代の役所、粕屋評(かすやのこおり)とみられる建物跡が見つかったと発表した。税として集めた穀物を保存する倉庫群の遺構とセットで出土し、全国でも珍しい発見という。
 町教委によると、建物跡は縦42.0㍍、横4.2㍍の掘っ立て柱建物など5棟で、中庭をかこむようなコの字形の配置から地方行政単位の評の役所とみられる。大宝律令(701年)で施行された郡に相当する。穀物を保存する倉庫跡は6棟が出土。最大で縦7.0㍍、横8.5㍍で、役所跡の東130㍍から発見。穀物の重みを考慮し、床を多数の柱で支える構造となっている。

日中戦争憂う与謝野晶子の未発表の歌 都内で見つかる

日中戦争憂う与謝野晶子の未発表の歌 都内で見つかる

 歌人、与謝野晶子(1878~1942年)の未発表歌が、東京都内で見つかった。日中戦争が激化していく状況を憂う想いが詠み込まれている。歌は「秋風やいくさ初まり港なるただの船さへ見て悲しけれ」。毛筆で扇子に書かれている。

 この歌が詠まれた当日は、日中戦争が上海にまで拡大、衝突の号外があった。そうした世相を背景に、晶子は民間の客船や商船までが徴用される事態を予見し、「悲しけれ」と詠んだとみられる。

翼6㍍ 史上最大の鳥 米で2000万年前の化石

翼6㍍ 史上最大の鳥 米で2000万年前の化石

 米ブルース博物館(コネチカット州)は7月8日、米サウスカロライナ州で発掘された二千数百万年前の鳥類の化石が、飛べる鳥としては史上最大となる翼を持っていたことが判明したと発表した。翼を広げると端から端までの長さが6~7㍍になり、現在最大であるアホウドリの一種と比べ約2倍の大きさ。恐竜が絶滅した後の2800万~2500万年前に生息した巨大な海鳥とみられていたが、体が大きすぎて飛べるかどうか疑問視されていた。

秀吉が使った陣羽織を修復 18年ぶりに一般公開

秀吉が使った陣羽織を修復 18年ぶりに一般公開

 京都市の高台寺(東山区)は、豊臣秀吉が使ったと伝わる「鳥獣文様綴織陣羽織」(重要文化財)の、約2年2カ月にわたる修復を終え7月9日、報道陣にお披露目した。

 陣羽織は身丈約99㌢、肩幅60㌢。16世紀、当時のイランの宮廷工房で制作され、日本に渡った綴れ織を裁断し、武将が具足の上からまとう陣羽織に仕立てたとみられるという。獅子やクジャクなど様々な動物が描かれており、傷みが目立っていたことから、修復に入っていた。高台寺掌美術館で7月20日~8月3日、18年ぶりに一般公開する。

川端康成が学生時代、婚約者に宛てた恋文見つかる

川端康成が学生時代、婚約者に宛てた恋文見つかる

 ノーベル文学賞授賞作家、川端康成(1899~1972年)が学生時代、婚約者の伊藤初代に宛てた未公開の手紙が7月8日までに、神奈川県鎌倉市の川端邸で見つかった。遠く離れて、岐阜市に住む恋人への熱い思いを訴える哀切に満ちた内容。恋愛、孤独・死をテーマにした川端文学の出発点を示す資料として、専門家も注目する。16日に岡山県立美術館で公開される。

 今回発見された手紙は計11通。10通は伊藤初代から川端宛て。1通は川端が1921年秋、22歳のときに書いたものの、投函されなかったもの。川端は「毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」「恋しくつて恋しくつて、早く会わないと僕は何も手につかない」などと、会えないもどかしさを、ストレートに吐露している。恋人の初代は当時、川端と出会った東京・本郷のカフェを辞め、岐阜市の寺院に養女として預けられていた。

 2人の恋はその後、初代が「ある非常」という理由で結婚を断る手紙を送り、破局した。川端はこの失恋を題材に「非常」などの初期小説を発表。代表作「伊豆の踊り子」も影響を受けたとされる。

 

京都で室町時代に流通の銅銭約4万枚入ったつぼ

京都で室町時代に流通の銅銭約4万枚入ったつぼ

 発掘調査会社イビソク(岐阜県大垣市)などは7月8日、京都市下京区貞安前之町で、15世紀(室町時代)に流通した銅銭約4万枚が入ったつぼが見つかったと発表した。銭は唐の「開元通宝」や明の「永楽通宝」など約50種類。400万円相当という。文献によると、出土場所には河原で染色などをしていた職能集団の屋敷があった。備前焼のつぼは高さ66㌢、幅53㌢。銭がつぼに納められたままの状態で見つかるのは珍しいという。

 

長崎市の8100万年前の地層からよろい竜の化石

長崎市の8100万年前の地層からよろい竜の化石

 福井県立恐竜博物館(同県勝山市)と長崎市教育委員会の共同研究チームは7月7日、長崎市にある約8100万年前の白亜紀後期の地層から、よろい竜の歯の化石1つと、肉食恐竜の歯の化石2つを発見したと発表した。よろい竜の化石が見つかるのは、長崎県で初めて。

 よろい竜は4本足で歩き、背部から尾にかけて骨の装甲を持つ草食恐竜で、白亜紀の北半球を中心に栄えた。恐竜博物館によると、国内ではこれまで、足跡を含めて北海道、富山県、兵庫県、熊本県の計4カ所で化石が見つかっている。

 よろい竜の歯は幅約10㍉、高さ約9㍉の薄くて幅広い形。植物を食べるため前後に突起がある。歯だけで全体の大きさや種類まで絞り込むのは難しいという。肉食恐竜の歯は幅約7㍉、高さ約14㍉と、幅約5.5㍉、高さ約7㍉。     

不明の重要文化財27都府県・109件に 文化庁調査

不明の重要文化財27都府県・109件に 文化庁調査

 文化庁は7月4日、国の重要文化財指定を受けた美術工芸品のうち、国宝の刀剣1件を含む27都府県の109件が所在不明になっているとの調査結果を発表した。指定美術工芸品の全国調査は初めて。

 109件のうち59件は工芸品で、刀剣が52件と大部分を占めた。仏像など彫刻は不明17件のうち、14件が盗難によるものだった。所在不明の重要文化財の9割以上が個人または社寺の所有だった。

 109件のうち35件は、2013年11月の緊急調査で所在が不明だったが、今回の調査で新たに74件の重要文化財の所在が分からないことが判明した。

谷崎潤一郎 戦時中「細雪」掲載中止の不安詠んだ俳句

谷崎潤一郎 戦時中「細雪」掲載中止の不安詠んだ俳句

 作家の谷崎潤一郎(1886~1965年)が太平洋戦争中に代表作となった、小説「細雪」の雑誌掲載を中止され、不安な心境を詠んだ俳句の書かれたはがきが見つかった。谷崎の俳句は珍しく、奈良市の帝塚山大で7月8日から始まる展示「谷崎潤一郎・耽美の世界~肉筆と稀〇本を中心に~」で初めて公開される。

 はがきは親しい人に宛てたもので、「提灯にさはりて消ゆる春の雪」などと2つの俳句が書かれていた。俳句は1944年ごろ詠まれ、戦時中の暗い世相をちょうちんになぞらえて、「細雪」を「春の雪」で表したとみられる。

 細雪は旧家の4姉妹をめぐる物語。43年に雑誌「中央公論」で掲載が始まると、優美な世界が「時局をわきまえない」との理由で掲載中止となった。しかし、谷崎は密かに執筆を続け、翌年、自費で上巻約200冊をつくり、親しい人に配った。はがきは本の引換券として使われたとみられる。

平城京遷都で埋め立てた旧秋篠川の跡見つかる

平城京遷都で埋め立てた旧秋篠川の跡見つかる

 奈良文化財研究所は7月4日、平城京遷都(710年)に伴う造営工事で、奈良市の秋篠川の流路を現在の位置に付け替えるために埋め立てた旧流路が見つかったと発表した。埋め立てた際、地盤や盛り土を補強するため、樹木の枝を敷き詰める古代の土木技術「敷棄工法」が使われていた。同研究所は「平城京の造営に伴う土木工事の実態が分かる重要な調査結果」としている。

 調査では北西から南東へ流れる旧流路跡(幅28㍍以上、長さ55㍍分)と厚さ最大1.2㍍の黒色土層を確認。土層からは7世紀末~8世紀初めの土器破片や瓦片が出土した。旧流路を埋め立てた際の造成土とみられる。

      

没後110年記念イベント、ギリシャに小泉八雲資料館 

没後110年記念イベント、ギリシャに小泉八雲資料館 

 『耳なし芳一』などの「怪談」などの作品で知られる明治の作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の没後110年記念イベントが7月4日、生誕地のギリシャ・レフカダ島で始まった。

 島内の文化センターには八雲の作品や写真を展示した資料館もオープン。八雲の原稿や妻セツへの手紙、写真など展示品の一部は松江市や熊本市など八雲のゆかりの地からも寄贈された。ひ孫の小泉凡さん(島根県松江市在住)らが出席し、式典が執り行われた。イベントは7月7日まで。

 松江市出身の俳優、佐野史郎さんやギタリストの山本恭司さんによる朗読会や熊本県の清和文楽の公演などが行われる。   

平安前期の「悲田院」「施薬院」の名記した木簡出土

平安前期の「悲田院」「施薬院」の名記した木簡出土

 京都市埋蔵文化財研究所は7月2日、「悲田院(ひでんいん)」「施薬院(せやくいん)」の名を記した平安時代前期(9世紀)の木簡が京都市内で出土したと発表した。悲田院、施薬院は貧しい人々の救済施設で、出土したのは死亡した収容者の氏名などを記した報告書や、全国から送付された薬の原料の荷札などで、施薬院関連の木簡がまとまって出土したのは初めて。活動の実態を示す貴重な史料という。

 木簡が見つかったのはJR京都駅の約200㍍南で、平安京の東南隅にあたる地点。記録によると、周辺に施薬院の御倉(倉庫)や高級貴族の別宅があったとされている。出土した木簡は17点。うち1点は弘仁6年(815年)3月10日の日付が入った報告書で、死亡した収容者2人の氏名や年齢、裏面に施薬院の田畑を耕すために雇っていた4人が死亡したことが記してあった。

 「武蔵(東京都や埼玉県など)」「讃岐(香川県)」などの地名と、薬の材料として用いられていた「蜀椒(しょくしょう=サンショウ)」「猪脂」などと記した荷札も出土。悲田院から施薬院への上申文書とみられる木簡もあった。

 

850万年以上前に生息した世界最古のマイルカの化石

850万年以上前に生息した世界最古のマイルカの化石

 早稲田大や秋田大などの研究チームは7月2日、北海道新十津川町で発見されたイルカの頭骨の化石を再調査した結果、少なくとも850万年前の世界最古のマイルカ科の化石であることが分かったと発表した。これまではイタリアで発見された530万年前の化石が最古とされていた。

 この化石は1961年以前に発見され、77年のマイルカ科スジイルカ属として記録されたが、骨の形などから疑問が持たれていた。同チームは文献調査で化石があった地層の年代が850万~1300万年前であることを確認。クリーニング作業をやり直して骨の形を調べ、他のイルカの骨の特徴と比較したところ、マイルカの中でも既存の分類に当てはまらず、最も古いことが分かった。

    チームはこのイルカの学名を「(新十津川町周辺を示す)樺戸地域から産出した暁のイルカ」という意味の「エオデルフィス・カバテンシス」と名付けた。現代ではバンドウイルカやシャチなどがマイルカ科に含まれる。          

北海道むかわ町で新種のアンモナイトの化石

北海道むかわ町で新種のアンモナイトの化石

 北海道むかわ町の穂別地域で、白亜紀末約7200万年前の地層から化石で発見されたアンモナイトが新種と分かり、7月1日付の学会誌に発表された。穂別は北海道の中でも多くの化石が見つかることで知られ、新種のアンモナイトが確認されたのは今回で25種目。化石は直径約6㌢、厚さ約2㌢。

 アンモナイトは約6600万年前、恐竜とともに絶滅しており、今回の種はその直前に存在していたことになる。当時の海洋環境を解明する手掛かりにもなりそうだ。発表したのは国立科学博物館(東京)の重田康成研究主幹と町立穂別博物館の西村智弘学芸員。

前祭(7/17)・後祭(7/24) 今年から変わる祇園祭

前祭(7/17)・後祭(7/24) 今年から変わる祇園祭

 日本三大祭の一つで、京都の夏を彩る祇園祭が今年大きく様変わりする。ハイライトの「山鉾巡行」が49年ぶりに前(さき)祭(7/17)、後(あと)祭(7/24)に分離。これに伴い、宵山も2回ある。前祭は23基、後祭は10基のそれぞれ山鉾が巡行する。また、後祭では150年ぶりに「大船(おおふな)鉾」が復興する。

 幕末まで後祭の巡行の最後を飾っていたのが、古代神話に登場する神功皇后などをご神体として祀る大船鉾。室町時代に造られたとされるが、蛤御門の変(1864年)で大部分が焼けた。ところが2009年9月、大船鉾を含む「京都祇園祭の山鉾行事」がユネスコの無形文化遺産に登録され、復興の機運が高まった。

 大船鉾再興には1億円を超える資金が必要だったが、町衆の祭りだけに大企業にはあえて協力を求めず、地元の実業家や全国の有志から約1000件の寄付を集め、他の山鉾町などの支援も加わり、今回復興が実現した。          

大阪・藤井寺市の林遺跡で釣鐘の鋳造跡

大阪・藤井寺市の林遺跡で釣鐘の鋳造跡

 大阪府藤井寺市教育委員会は6月27日、同市の林遺跡で大小2基の釣鐘の鋳造跡が見つかったと発表した。出土した土器や瓦の年代から7世紀末から8世紀前半(飛鳥~奈良時代)に使われていたとみられる。

  大きい釣鐘の遺構は長辺3.5㍍、短辺3㍍の穴が掘られ、底には平瓦が並べられていた。同市教委によると、近くに7世紀後半に創建された拝志廃寺があったことから、同寺で使う鐘がつくられていた可能性があるという。

大仏次郎の生原稿発見 当時の編集者宅で

大仏次郎の生原稿発見 当時の編集者宅で

 小説『鞍馬天狗』などの作品で知られる作家の大仏次郎(1897~1973年)が59年に執筆したノンフィクション「パナマ事件」の生原稿や手紙が当時の編集者、秋山範義さん(故人)宅で見つかり、6月25日までに大仏の養女、野尻政子さん(85)=神奈川県鎌倉市=に返却された。

 野尻さんは24日、それらを大仏次郎記念館(横浜市)に寄贈。同館で近く公開される見通し。返却されたのは、週刊誌「朝日ジャーナル」創刊時に掲載され、後に単行本化された『パナマ事件』全27回分の生原稿。このほか、風間完さん(1919~2003年)の挿絵、ノンフィクション『パリ燃ゆ』の粗筋が書かれた生原稿、その取材のために赴いたパリからの手紙なども見つかり、寄贈された

富岡製糸場 世界遺産登録が正式決定 産業遺産で初

富岡製糸場 世界遺産登録が正式決定 産業遺産で初

 カタール・ドーハで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第38回世界遺産委員会は6月21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産への登録を正式決定した。委員会は遺産群について「国際的な技術交流を示す貴重な存在だ」と高く評価した。日本の世界遺産登録は18件目で、近代の「産業遺産」としては初めて。

 富岡製糸場と絹産業遺産群は富岡製糸場(群馬県富岡市)、近代養蚕農家の原型「田島弥兵旧宅」(伊勢崎市)、養蚕教育機関「高山社跡」(藤岡市)、蚕の卵の貯蔵施設「荒船風穴」(下仁田町)の計4資産で構成する。

    1872年に官営で操業開始。1893年に三井家、1902年に原合名会社、1939年に片倉工業へと経営は移り変わったが、施設はほぼ原型のまま引き継がれた。そして、1987年に操業停止した片倉工業は2005年に富岡市に寄贈するまでの18年間、「売らない、貸さない、壊さない」の3原則を掲げて、年間1億円をかけ維持管理に努めた。

          

軍艦島を国史跡に 世界遺産登録目指し保全枠組み

軍艦島を国史跡に 世界遺産登録目指し保全枠組み

 文化審議会は6月20日、端島(通称・軍艦島)や高島を含む幕末から昭和期の炭鉱跡で構成する「高島炭鉱跡」(長崎市)など9件を史跡に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。端島などは「明治日本の産業革命遺産」の一部として、政府が2015年の世界文化遺産登録を目指しており、保全の枠組みが整う。また、45万年前のワニ類の化石「マチカネワニ化石」(大阪府豊中市)など6件を登録記念物とするよう求めた。近く答申通り告示され、史跡は1733件、登録記念物は88件となる。

与謝野晶子の未発表短歌 愛知の飲食店で発見

与謝野晶子の未発表短歌 愛知の飲食店で発見

 歌人の与謝野晶子(1878~1942年)の直筆で、全集などにも載っていない未発表の短歌2首が、愛知県津島市の飲食店で見つかっていたことが6月16日、分かった。津島市立図書館によると、未発表作は「くれなゐの牡丹咲く日は大空も地に従えるここちこそすれ」と、「春の夜の波も月ある大空もともに銀糸の織れるところは(あるいは「ところぞ」)」。いずれも晶子の署名がある。

    飲食店「まのや」で直筆の短歌5首が書かれた短冊が入った箱が見つかり、図書館に鑑定依頼があった。図書館や、晶子の生地、堺市にある堺市立文化館与謝野晶子文芸館が、筆跡鑑定や文献調査などを行い直筆と判明。うち2首が歌集や雑誌に掲載されていないことが確認された。

    晶子は1935年10月、津島高等女学校(現県立津島高)の創立20周年記念式典で講演するため津島市を訪問。「まのや」で食事をした際に書かれたという。箱の中には、歌人柳原白蓮の短冊もはいっていたが、別の機会に白蓮が名古屋市を訪れた際に詠んだとみられる。

白色鮮やかな新生「白鷺城」改修の囲い撤去

白色鮮やかな新生「白鷺城」改修の囲い撤去

 兵庫県姫路市の世界遺産・姫路城で、大天守を覆っていた改修作業用の囲いが6月14日までに、ほぼ撤去され、鮮やかな白色に塗り直された「白鷺城」が再び姿を現した。改修は2009年10月にスタート。囲いは10年12月に完成して大天守が見えなくなっていた。屋根の修理としっくいの塗り替えが終わり、囲いの撤去が進められていた。今後は石垣に残る囲いや基礎の撤去し、2015年3月27日から内部公開される。           

函館港で新島襄渡米150周年式典 不変の建学精神

函館港で新島襄渡米150周年式典 不変の建学精神

 同志社大学の創立者として知られる新島襄が北海道函館市から米国に渡って150周年になるのを記念した式典が6月14日、函館港で開かれた。新島は1864年6月14日、現在はその記念碑が立つ岸壁から米国船に密航して渡米。米国で天文学や物理学を学んで帰国後、京都に同志社英学校(現在の同志社大学)を設立した。

 式典では学校法人同志社の水谷誠理事長が「新島の建学の精神は変わらず生き続けている」旨、あいさつ。参加した130人は、海外渡航禁止を破ってでも米国で学ぼうとした進取の志を、改めてしのんだ。

東寺百合文書、シベリア抑留資料を記憶遺産候補に

東寺百合文書、シベリア抑留資料を記憶遺産候補に

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会は6月12日、重要な歴史文書などの保存を目的とする記憶遺産の登録候補として、国宝「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」と、戦後のシベリア抑留と引き揚げに関する資料の2件を決定した。6月中にユネスコに通知、登録の可否2015年夏ごろに決まる見通し。東寺百合文書は京都市南区の東寺に伝わる約2万5000点の古文書。1997年に国宝に指定された。シベリア抑留に関する資料は抑留体験記や抑留者が描いた絵画など570点で、舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)に収蔵されている。舞鶴市が申請していた。

 

京都府などが「琳派400年記念祭委員会」を設立

京都府などが「琳派400年記念祭委員会」を設立

 京都府、京都市、公益財団法人京都文化交流コンベンションビューローなどは6月2日、本阿弥光悦と俵屋宗達が創始したとされる琳派の魅力を発信するため、「琳派400年記念祭委員会」を設立した。

 2015年は光悦が徳川家康から京都市北区鷹ヶ峰の地を拝領してから400年にあたる。京都の美術館や博物館で展覧会などを開く。琳派のデザインを生かした工芸品の展示やファッション展を企画し、食品などの開発にも協力する。

 同委員会の代表を務める村田准純一・同コンベンションビューロー理事長は「文化的な価値を世界に伝えていく」と語っている。琳派は江戸時代に発展した絵画などの流派で、大胆な構図や金や銀を使った装飾的な画風が特徴。代表的な作品として宗達の「風神雷神図」などが知られている。

奈良・大淀町で横帯分割型文様の銅鐸見つかる

奈良・大淀町で横帯分割型文様の銅鐸見つかる

 奈良県・大淀町の民家に所蔵されていた弥生時代中期ごろの銅鐸(どうたく)が、瀬戸内東部で出土例が多い「横帯分割型」であることが桜井市纏向学研究センターの調査で分かった。横帯分割型は、斜めの格子文様と渦巻き文様が上下セットで横帯として配置されている。神戸市の「生駒出土袈裟襷(たすき)文銅鐸」など、これまでに和歌山や岡山、香川など瀬戸内東部で約10例出土しているが、奈良で見つかるのは初めて。           

興福寺 300年ぶりに再建中の中金堂上棟式

興福寺 300年ぶりに再建中の中金堂上棟式

 世界遺産に登録されている興福寺(奈良市)で5月24日、約300年ぶりに再建中の中金堂の上棟式が行われた。信徒総代や宗教関係者ら約650人が完成に向けて工事の節目を祝った。2018年に落慶法要の予定。中金堂は710年の造営以来、戦火や落雷などで7回焼失。1717年に焼けた後は小規模な仮堂でしのいできたが、文献や絵画、発掘調査などを基に、創建当時の構造をほぼ忠実に復元する。

明治9年撮影の最古の箸墓古墳の写真保存

明治9年撮影の最古の箸墓古墳の写真保存

 宮内庁書陵部によると、卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の箸墓古墳(3世紀中ごろ~後半)など同県の天皇陵や皇族墓計44カ所を1876年(明治9年)に撮影した写真と原板が宮内庁に保存されていることが5月18日、分かった。日本で最古の古墳写真という。明治政府が奈良県に依頼し、官民合同の奈良博覧会社が撮影した。目的は不明。写真は計59枚あり、「大和御陵写真帖」と題するアルバムにまとめられていた。

   最古の大型前方後円墳とされる箸墓古墳は、特異な4段構造の墳丘や後円部頂上に築かれた巨大な円壇(直径45㍍、高さ5㍍)が写っていた。箸墓古墳は明治20年代に植樹されて樹木が密集しているが、撮影当時は木が少なく、墳丘本来の姿を鮮明に捉えた唯一の写真。謎の多い大王墓の構造を知る資料になるとみられる。退色が進んだため、書陵部が2011年度に原板のガラス湿板をデジタル化、画像を復元した。早ければ2015年にも宮内公文書館で一般に公開する。

 

「宝永」級地震は7000年で16回発生していた

「宝永」級地震は7000年で16回発生していた

 高知大の岡村真特任教授のチームは5月26日、東海、東南海、南海地震の3連動で起きたとされる宝永地震(1707年、推定マグニチュード8.6)に匹敵する巨大地震が、過去7000年の間に少なくとも16回起きていたことを示す津波堆積物を高知県土佐市の池で確認したと発表した。

 岡村氏らは南海トラフ付近での巨大地震や津波の発生間隔を研究するため、2006年から土佐市の蟹ヶ池で地層を調査し、2013年1月には過去六千数百年で少なくとも15回の巨大地震による津波痕跡を確認したと発表。その後も調査を続け、7000年前の地層に当たる池底約8.5㍍の深さまで到達。6500年前ごろにも津波を伴う地震があったことが分かった。

約55㌔の「弘法大師の道」復活 高野山開山1200年

約55㌔の「弘法大師の道」復活 高野山開山1200年

 奈良県と吉野山・金峯山寺、高野山・金剛峰寺などが、青年時代の空海が両山の間を歩いたとされる道のりの調査を終え、「弘法大師の道」として復活させた。ルートは約55㌔で、ほとんどが険しい登山道。弟子がまとめた詩文集などから当時の地理を踏まえてルートを推定した。関係機関でつくる実行委員会が5月28日から開山修業として実際に歩くという。2015年は空海が高野山を開いて1200年、大きな節目の年を迎える。    

鳥獣戯画全巻 33年ぶり今秋展示公開 修理完了

鳥獣戯画全巻 33年ぶり今秋展示公開 修理完了

 京都国立博物館は、京都市の高山寺に伝わる国宝絵巻「鳥獣人物戯画」(甲乙丙丁の4巻)の修理完成を記念し、5月27日までに修理過程の成果を紹介する展覧会「国宝 鳥獣戯画と高山寺」を今秋開くと発表した。同博物館が4巻を同時に展示するのは、1981年以来、33年ぶり。同展の会期は10月7日から11月24日まで。

 今回の修理の過程で、鎌倉時代の作とされる丙巻が全4巻の中で唯一、人物画と動物画が並んでいた謎が解明。もとは1枚だった和紙の表と裏に描かれていたものを剥がし、つなぎ合わせて一つの絵巻物に仕立てたことなどが判明していた。

アルゼンチンで史上最大40㍍、80㌧の恐竜

アルゼンチンで史上最大40㍍、80㌧の恐竜

 南米アルゼンチンのエヒディオ・フェルグリオ純古生物博物館は、パタゴニア地方のチュブト州で史上最大とみられる草食恐竜の化石が白亜紀後期(約9500万年前)の地層から見つかったと発表した。同館ホームページによると、竜脚類ティタノサウルスの一種で、全長40㍍、体重80㌧に達すると推測され、これまで最大と考えられてきた「アルゼンチノサウルス」を10㌧近く上回る可能性があるという。                 

平安装束が都大路彩る 京都で葵祭り

平安装束が都大路彩る 京都で葵祭り

 京都三大祭の最初を飾る葵祭が5月15日、京都市内で催され、平安装束をまとった王朝行列が都大路を練り歩いた。馬や牛車を引き連れた武官や女官など総勢500人余りは、京都御所を出発。全長700㍍にも及ぶ行列となって下鴨、上賀茂両神社に向かい、約8㌔の道のりを進んだ。

大坂城の採石跡発見 西宮市が3D測量

大坂城の採石跡発見 西宮市が3D測量

 兵庫県西宮市は5月16日、江戸時代に再建された大坂城の石材が切り出された「徳川大坂城東六甲採石場」(西宮市甲山町など)から石の露天掘り跡とみられるくぼみを複数見つけたと発表した。上空から3次元(3D)測量して判明。同市は国の史跡指定を目指す方針。採石場は東西約6㌔、南北約2㌔。直径20㍍以上のくぼみもあった。

正倉院 100年ぶり修理終え新たな姿に

正倉院 100年ぶり修理終え新たな姿に

 宮内庁正倉院事務所(奈良市)は5月16日、約100年ぶりの大修理を終えた国宝・正倉院を報道陣に公開した。工事用に覆っていた素屋根が取り外され、2011年の修理開始以来、真新しくなった平成の正倉院が姿を現した。外観公開は11月に再開する予定。

本願寺御影堂と阿弥陀堂を国宝に 9件重文に

本願寺御影堂と阿弥陀堂を国宝に 9件重文に

 文化審議会は5月16日、本願寺(京都市)の御影堂と阿弥陀堂を国宝に、神戸女学院(兵庫県西宮市)や旧馬場家牛込邸(東京都新宿区)など9件の建造物を重要文化財に、それぞれ指定するよう下村博文文部科学相に答申した。また、宮城県村田町の土蔵造りの街並みなど2地区を重要伝統的建造物群保存地区に選定することも求めた。近く答申通り告示される。これにより、建造物分野の重要文化財は2419件(うち国宝220件)、保存地区は108地区になる。

適塾 再び「開校」耐震改修終え7カ月ぶり公開

適塾 再び「開校」耐震改修終え7カ月ぶり公開

 江戸時代後期、蘭学者で医師の緒方洪庵が主宰し、大村益次郎、佐野常民、橋本左内、福沢諭吉らを輩出した私塾「適塾」(大阪市中央区)の耐震改修工事が終わり、管理している大阪大が5月14日、記念式典を開いた。15日から7カ月ぶりに一般公開されている。

 適塾は木造2階建ての町家で、国の史跡・重要文化財に指定されている。改修工事は外見を変えないよう配慮し、壁の内部に鋼板パネルを組み込んだり、柱と梁を補強材で結合したりして、震度7の揺れにも耐えられるようにした。

 適塾を管理する大阪大学の平野俊夫総長は記念式典で、「洪庵の精神を受け継ぎ、歴史的重要性を社会に示していきたい」とあいさつした。 

ナスカにリャマの地上絵17点 山形大が確認

ナスカにリャマの地上絵17点 山形大が確認

 山形大は5月9日までに、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ市街地から北に約1㌔の近郊で、ラクダ科のリャマとみられる地上絵を少なくとも17点確認したと発表した。絵の内側にある地表の小石を面的に取り除く手法などから、紀元前400~同200年の間に描かれたとみられ、ハチドリやクモといった有名な地上絵よりも古いという。

 地上絵は、当時から家畜として使われていたリャマの全身や一部が描かれ、最大のものは全長約15㍍。約1㌔四方の範囲で4つのグループに分かれている。このうち3つのグループの地上絵は初めて確認され、残る1つのグループは先行研究で存在が知られていたが、数や正確な位置が不明だったと説明している。

 

埼玉の遺跡で国内最古の漆の採取跡 縄文中期

埼玉の遺跡で国内最古の漆の採取跡 縄文中期

 さいたま市は5月8日、同市の南鴻沼(みなみこうぬま)遺跡で、漆の樹液を採取した跡が残る木が出土し、年代測定の結果、4903~4707年前で、国内最古となる縄文時代中期後半の漆の木と発表した。これまでの例を500年以上遡る発見。市によると、漆の木は長さ113㌢、太さ2.5~3.5㌢。表面に10~15㌢間隔で1周するように計9本の筋状のかき傷があり、石器で採取したとみられる。同時期に作られた漆器も出土した。

香川・善通寺で開創1200年を記念し大法要

香川・善通寺で開創1200年を記念し大法要

 弘法大師空海が平安時代の815年に開いたと伝えられる四国八十八カ所霊場の開創1200年目を記念し、空海の生誕地跡があったとされる善通寺(香川県善通寺市、75番札所)で5月9日、「記念大法要」が営まれた。

札所88カ所の住職が四国各地から集結。法要にあわせて、四国八十八ヶ所霊場会が企画した「歩き遍路」で、空海の像や護摩木を担いだ一行約250人が、全札所約1400㌔を回り終える「結願(けちがん)」を迎え、法要に加わった。各札所今年、開創1200年を記念し、秘仏や宝物を公開するなどしており、大法要はそのメーン行事。

吉宗が命じた測量図「享保日本図」の基見つかる

吉宗が命じた測量図「享保日本図」の基見つかる

 広島県立歴史博物館(広島県福山市)は5月9日、8台将軍徳川吉宗が1725年ごろ(江戸時代中期)に作らせた地図「享保日本図」の基になったとみられる測量図が見つかったと発表した。鑑定した東亜大の川村博忠客員教授は、享保日本図について書かれた江戸幕府の記録と地図の地名が一致しており、同時期に作られたとみて間違いない。当時の測量方法を示す貴重な資料-と評価している。

 測量図は縦152㌢、横336㌢、縮尺21万6000分の1で、北海道の南部から九州・種子島までの地名を記載していた。江戸幕府は計6回、日本地図を作製。各地で書かれた絵図をつなぎ合わせていたため、不正確な部分もあったが、5回目にあたる享保日本図では、和算家が指揮して測量結果をまとめ、今回見つかった図面ができあがったとみられる。

 測量図の余白に肥前平戸藩(長崎県)の藩主・松浦静山の文章と印が記され、収集家として知られる静山が1785年に入手したと推測される。

 

富岡製糸場に5万人 連休中の見学者は13年の3倍

富岡製糸場に5万人 連休中の見学者は13年の3倍

 世界文化遺産に登録される見通しとなった富岡製糸場(群馬県富岡市)への観光客は急増、同市によると、4月26日から連休中の見学者数は過去最多の計5万600人だった。2013年の人出は約1万7000人で3倍近くに上った。登録勧告が判明した4月26日から連日午前9時の開場前から列ができ、3時間近く前から並ぶ人の姿もみられた。統計を取り始めた2005年以降の最多記録更新が続き、5月4日には8142人が訪れた。

 

大阪・中之島で「天下の台所」支えた土蔵跡4棟出土

大阪・中之島で「天下の台所」支えた土蔵跡4棟出土

 大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所は5月2日、同市北区中之島の蔵屋敷跡発掘調査で、江戸時代の土蔵跡4棟分が見つかったと発表した。蔵屋敷内に少なくとも4棟の土蔵が所狭しと建ち並んでいたことが分かり、担当者は「大坂の繁栄を支えた蔵屋敷の構造の一例を知ることができた。『天下の台所』の具体的な姿を復元するうえで、重要な手掛かりになる」としている。

 江戸時代後期の19世紀の大坂・中之島には120ほどの蔵屋敷が建ち並んでいた。今回の調査は、中之島西部にある約2100平方㍍が対象。2014年1月に発掘調査を開始し、基礎に石積みを用いた建物跡が見つかった。石積みは3~4段ある堅牢な構造で、幅は8.2㍍、長さは34.7㍍。蔵1棟の床面積は約286平方㍍と想定できるという。                  

唐招提寺の金堂回廊は東西78㍍ 西面で遺構発見

唐招提寺の金堂回廊は東西78㍍ 西面で遺構発見

 奈良県立橿原考古学研究所は5月1日、奈良市の唐招提寺の金堂(国宝、奈良時代末ごろ)の西面回廊の遺構が初めて見つかり、回廊全体の東西規模が約78㍍だったと判明したと発表した。回廊は全周にわたり、中央を壁で仕切って内外の両側に廊下を設けた「複廊」だったとみられる。創建時の姿を探る貴重な手掛かりという。複廊は東大寺や興福寺などでみられる形式。唐招提寺は鑑真が創建した私寺だが、大規模な官寺と同様の構造と風格を持っていたことが分かった。

吉井勇の再婚を祝福、うらやむ斎藤茂吉のはがき

吉井勇の再婚を祝福、うらやむ斎藤茂吉のはがき
 歌人・斎藤茂吉(1882~1953年)が友人の歌人、吉井勇(1886~1960年)に送ったはがきが京都府立総合資料館(京都市左京区)で見つかった。再婚をうらやむ歌が記されており、吉井の研究者からは作風の違う2人の親交の深さが分かる資料として注目されている。資料館からは、1937年から戦後にかけて、茂吉から届いた24通が見つかった。2人の交友は知られていたが、やりとりが直接確認できる資料は未発見だった。
 不倫騒動を起こした妻と別れ、長く思いを寄せていた女性と再婚した吉井を祝福するはがきも。日中戦争の南京陥落よりも君の新生活が喜ばしいという意味の「勝鬨(かちどき)のうづもよけれど南なる君が家居もにくからなくに」との歌が記されている。消印の日付は37年12月20日。このころは茂吉の妻も不倫騒動を起こし、別居中の茂吉が愛人と温泉旅行に行った直後。斎藤茂吉記念館では「茂吉のこのころの複雑な心境がうかがえる。妻の不倫という共通の体験が仲を深めたのだろう」と話している。

富岡製糸場 国内18件目の世界遺産へ 6月に正式決定

富岡製糸場 国内18件目の世界遺産へ 6月に正式決定

 日本が世界文化遺産に推薦していた「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県富岡市など)について文化庁は4月26日、世界遺産への登録の可否を調査する「国際記念物遺跡会議(イコモス・本部パリ)が「登録が妥当」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告したと発表した。6月にカタールの首都ドーハで開かれる第38回ユネスコ世界遺産委員会で正式決定する。

 「富岡製糸場」が正式に登録されれば、日本の世界文化遺産は2013年の「富士山」に次いで14件目。世界自然遺産も含めた世界遺産では国内18件目となる。近代産業遺産では国内初。富岡製糸場は政府がつくった日本初の官営製糸工場で、1872年(明治5年)に開業、その後、民間に払い下げられ、1987年まで稼働した。

 富岡製糸場と絹産業遺産群は富岡製糸場を中心に、半径40㌔以内にある養蚕関連施設の、近代養蚕農家の原形「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)、国内標準の養蚕法を確立した「高山社(たかやましゃ)跡」(藤岡市)、冷風を利用した蚕の卵の貯蔵施設「荒船風穴(あらふねふうけつ)」(下仁田町)の計4施設で構成。