人類の仲間 最古の新種 南アで化石15体分発見

人類の仲間 最古の新種 南アで化石15体分発見

南アフリカ・ウィットウォーターズランド大などの研究グループは、南アフリカの最大都市ヨハネスブルク近郊の洞窟で、現生人類を含むホモ属の新種とみられる15体分の化石が見つかったと、科学誌「イーライフ」で発表した。
いつの年代に生存していたかは不明だが、同大のリー・バーガー教授は英BBC放送に、ホモ属として最古のものの一つとみられ、人類とニ足歩行の霊長類との懸け橋になり得る存在だと述べており、進化の過程の解明に役立つ可能性がある。
ホモ属の新種に「星」を意味する現地の言葉を付けた「ホモ・ナレディ」と命名した。
グループは2013年10月に化石を発見した後、1550片の骨や歯を採集し研究。脳の大きさは原始的な猿人であるアウストラロピテクスと同じくらいだが、手足の骨格などは人類に似ているという。

太宰治が佐藤春夫に芥川賞の授賞を懇願する手紙発見

太宰治が佐藤春夫に芥川賞の授賞を懇願する手紙発見

作家、太宰治(1909~48年)が、当時芥川賞選考委員の一人であった作家の佐藤春夫(1892~1964年)に、芥川賞の授賞を懇願していた手紙が見つかった。
長さ4.1㍍に及ぶ巻紙には、毛筆で<第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます><佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい>などと書かれ、芥川賞を切望しながら受賞できなかった太宰が、佐藤に泣訴する様子が生々しく読み取れる。
第一級の資料が約80年間、人目に触れず保存されていたことに、専門家からは驚きの声が挙がっている。
佐藤の遺品を整理していた河野龍也・実践女子大准教授(日本近代文学)が発見、確認した。

世界遺産・韮山反射炉に落書き 一部にハングル文字

世界遺産・韮山反射炉に落書き 一部にハングル文字

「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、世界文化遺産に今夏登録された「韮山反射炉」(静岡県伊豆の国市中)に落書きされていたことが9月5日、明らかになった。黒の油性ボールペンかフェルトペンで書かれたとみられ、溶液で一部は消えたが、消せなかった部分もある。同市は対応を文化庁と競技する。
落書きされたのは石炭の灰が落ちる「灰穴」の壁面のレンガ2カ所。ともに縦横約40㌢の範囲に、全部で約20の名前らしい文字が書かれていた。判読できないものが多いが、うち1個はハングル、残りは漢字という。

飛鳥京跡苑池で新たな建物跡を確認 庭園の門か 明日香村

飛鳥京跡苑池で新たな建物跡を確認 庭園の門か 明日香村

奈良県立橿原考古学研究所は9月3日、天皇の宮殿にあった本格庭園の遺構とみられている「飛鳥京跡苑池(えんち)」(奈良県明日香村、7世紀)で新たな建物跡を確認したと発表した。南北二つの池を持っていた庭園の門だった可能性があるという。苑池は飛鳥京跡の中枢部・内郭の北西にあり、範囲は南北約280㍍、南西約100㍍に及ぶ。長方形の北池(54㍍×36㍍)、五角形の南池(55㍍×65㍍)があり、塀や雲のような形の島、水路、噴水などもこれまでに確認されている。
同研究所によると、今回の調査では苑池の東のヘリで5つの柱の柱穴が3列に並んだ遺構が見つかり、南北約10.8㍍、東西約5.4㍍の掘っ立て柱建物とみられる。また、柱の配置から法隆寺(奈良県斑鳩町)中門のように正面の中心に柱が立つ珍しい構造だったとみられる。

150年ぶりに春日大社本殿前に綱吉が奉納した銅製の灯籠

150年ぶりに春日大社本殿前に綱吉が奉納した銅製の灯籠

奈良市の世界遺産・春日大社で9月1日、江戸幕府の五代将軍・徳川綱吉が奉納した銅製の灯籠(高さ約60㌢)が約150年ぶりに本殿前につり下げられた。
正確には、館林藩主時代に寄進されたもので、徳川家の葵も紋も施されている。傷みが激しくなり、明治以降は宝物殿で保管していたが、社殿などを20年に1度改修する「式年造替(しきねんぞうたい)」に合わせて修理した。
境内には平安以降の灯籠が設置され、綱吉との強い絆で知られた母・桂昌院が奉納した灯籠もみられた。

天下取りへ「天王山を守る会」が9/1から登頂証明書

天下取りへ「天王山を守る会」が9/1から登頂証明書

豊臣秀吉が、「本能寺の変」で主君・織田信長を自決させ、短期間ながら天下人となっていた明智光秀を破った戦場、天王山(標高270.4㍍)の地元、京都府大山崎町の住民団体「天王山を守る会」が、「登頂証明書」を9月1日から発行する。
証明書ははがき大。「チャレンジ精神をほめたたえます。次に目指すは天下取り、天王山からいざ出陣」と記され、登山口の宝積寺など3カ所で100円で販売する。受験、就職などいま人生の節目にある人、この証明書を入手して、秀吉の天下取りにあやかってみては-。

半世紀超えるブルートレインの歴史に幕

半世紀超えるブルートレインの歴史に幕

寝台特急ブルートレイン「北斗星」の最終列車は8月22日、午後4時12分、多くの鉄道ファンに見守られながら、定刻通りJR札幌駅を発車、23日午前には終点の上野駅に到着し、引退する。こうして半世紀を超えるブルートレインの歴史に幕を閉じる。
ブルートレインは昭和33年に登場し、「北斗星」は63年にデビューした。今年3月に定期運行が終了。4月以降、臨時列車として上り下り、それぞれ週3日程度運行されていた。

100万冊そろえ10年ぶり「檸檬」の舞台復活 丸善京都

100万冊そろえ10年ぶり「檸檬」の舞台復活 丸善京都

梶井基次郎の小説「檸檬(れもん)」の舞台となり、2005年に閉店した書店「丸善京都河原町店」が8月21日、複合商業ビル「京都BAL」(京都市中京区)の開業に合わせ地下1、2階に「丸善京都本店」として10年ぶりに復活した。約3300平方㍍の売り場に、西日本最大級の約7万冊要所を含め、約100万冊をそろえている。
この日は、午前中から多くの来店客があった。同店スタッフは「昔の店を知る人にも、今回初めて訪れた人にも愛される書店にしたい」と意気込んでいた。営業時間は午前11時~午後9時。

古墳時代前期の祭祀集落跡見つかる 奈良・中西遺跡

古墳時代前期の祭祀集落跡見つかる 奈良・中西遺跡

奈良県立橿原考古学研究所は8月19日、同県御所市の中西遺跡で、古墳時代前期(4世紀前半)の竪穴建物群や区画溝が見つかったと発表した。隣接する秋津遺跡では祭殿とみられる大型建物群がすでに確認されている。両遺跡は少なくとも南北400㍍、東西200㍍に広がり、同時代では全国的に例がない計画的に建物を配置した祭祀(さいし)目的の大集落と分かった。
今回の調査では、今年4月から中西遺跡で約7550平方㍍を発掘。竪穴建物26棟のほか、建物の間に掘られた幅30㌢~1㍍の溝が出土した。一方、今回の調査地の北東の秋津遺跡では2010年までに塀で囲まれた四角形の区画が7カ所確認されている。最大の区画は南北50㍍、東西48㍍以上あり、内側に大型建物4棟が並んでいた。
秋津、中西両遺跡の建物群や区画溝は造られた方角がほぼ一致しており、両遺跡は計画的に建設された一体の集落で、大型建物群は祭祀地区、竪穴建物群は住居地区だったと判断した。両遺跡は初期ヤマト政権が本拠を置いたとされる纏向(まきむく)遺跡(同県桜井市)から南西約15㌔にあり、共通する様式の土器も出土していることなどから、同研究所では「初期ヤマト政権が直轄した集落の可能性がある。祭殿を中心とし、その周囲に祭祀に関わる人たちが棲んでいたのだろう」とみている。

古都の夜照らす夏の風物詩「五山の送り火」

古都の夜照らす夏の風物詩「五山の送り火」

古都の夏の風物詩「五山の送り火」が8月16日、京都市街地を囲む山々で行われた。市内を流れる鴨川の橋の上やビルの屋上には家族連れら大勢の見物客が集まり、古都の夜を照らす一大イベントを見守った。
午後8時、東山の如意ヶ嶽で一画が最長約160㍍の「大」の字が燃え上がり、続けて「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」も5分おきに点火。最初は判然としなかった文字の輪郭が徐々にはっきりしていくと、見物客から歓声が上がった。
京都府警によると、今年の人出は大雨に見舞われた昨年より約2万人多い約6万人に上った。

薬師寺東塔基壇から地鎮供養の「和同開珎」出土

薬師寺東塔基壇から地鎮供養の「和同開珎」出土

解体修理が行われている奈良市の国宝・薬師寺東塔の調査で、同寺などは8月17日、奈良時代に流通した貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」4枚が土台下から出土したと発表した。730年とされる創建時に地鎮目的でまかれたと考えられ、調査した奈良文化財研究所と橿原考古学研究所は「広く流通する通貨を地鎮供養でまいた最古の例」としている。
和同開珎は、塔を貫く心柱(しんばしら)を支える石「心礎」の東側1.3㍍、土台部分の基壇表面から1.7㍍下で見つかった。基壇下は穴に土を埋めて固める工法「掘込地業(ほりこみちぎょう)」で造られ、貨幣は穴の底の辺りで見つかった。長さ20㌢、幅30㌢の範囲に散らばった4枚のうち2枚は完全な形で、残りも一部が腐食しているが状態は良かった。赤銅色に輝き摩耗も少ないものもあり、新しい貨幣をまいたらしい。
地鎮供養で貨幣を地面にまいた例として、奈良県明日香村・川原寺塔跡(7世紀後半)で無文銀銭が見つかっているが、広く流通した貨幣がまかれたのは、これまで8世紀後半以降だった。和同開珎を容器に入れた例は、8世紀前半の法隆寺で確認されている。

秀吉へ 2度目の遅参で焦る政宗の心情映す自筆書状発見

秀吉へ 2度目の遅参で焦る政宗の心情映す自筆書状発見

1590年、天下統一を前にした豊臣秀吉が関東と東北地方の大名を宇都宮城に集めた「関東・奥羽仕置」に伊達政宗が遅参した際の、事情を記した自筆書状が発見された。栃木県立博物館が8月13日発表した。
当時、政宗が居城としていた米沢城(現在の山形県)を出発してから宇都宮までの行動も明らかになった。専門家は「小田原攻めに続いて、2度目の遅参に焦る政宗の様子を伝える内容」と評価している。
書状の日付は天正18年(1590年)7月27日の「戌(いぬ)刻」(午後8時)。7月23日に米沢城を発ったが、人馬の疲弊などで宇都宮への到着が遅れていることを説明。26日の秀吉の到着に間に合わなかったことを「覚悟のほかに候」(予想外でした)とし、「今夜に打ち立ち候いて、明日は四ころに参るべく候」(今夜には出発し、明日午後10時ごろまでに参上できると思います)と、徹夜で向かうとしている。宛先は不明だが、秀吉に近い人物に状況を伝えたとみられる。
当時、政宗は、秀吉が北条氏を破った小田原攻めに遅れて同年6月5日に参戦し、所領の一部没収を言い渡されていたとされる。2度目の遅参で、7月28日に宇都宮城に着いた政宗は秀吉と対面し、取り潰しを免れ、その後会津に向かった。

淡路の銅鐸にひも「つり下げ鳴らした」国内初の発見

淡路の銅鐸にひも「つり下げ鳴らした」国内初の発見

兵庫県教育委員会、南あわじ市教育委員会(淡路島)、奈良文化財研究所(奈良市)は8月12日、南あわじ市の石材加工業者の砂山で発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)について、銅鐸の取っ手と、内部で音を鳴らす棒状の舌(ぜつ)に、植物性のひもが付着し、痕跡も見つかったと発表した。いずれも国内初の発見で、奈文研は「銅鐸を、ひもでつり下げて鳴らしていたことを示す極めて重要な発見」としている。
発見された銅鐸7個のうち、内側に一回り小さい銅鐸をはめた「入れ子」状態の1組2個について、内部に詰まっていた砂を取り出して調べた。その結果、外側の銅鐸の紐(ちゅう)と呼ばれる取っ手部分から、太さ約2㍉のひもの一部と、繊維の凹凸がさびになるなどの痕跡が4カ所見つかった。舌の穴には太さ約5㍉のひもの結び目も残っていた。内側の銅鐸の取っ手にも、ひもの繊維と痕跡が確認され、舌の穴には太さ約4㍉のひもが付いていた。

9/6高野山で徳川・真田現当主が対談 大坂夏の陣400年

9/6高野山で徳川・真田現当主が対談 大坂夏の陣400年

1615年の「大坂夏の陣」から400年を迎える今年、激戦を繰り広げた徳川家と真田家の現当主の対談を含むバスツアーが、開創1200年を迎えた高野山で実施される。
ツアーは9月6日に大阪市内からバスで出発。高野山霊宝館の山陰加春夫副館長の歴史トーク、徳川・真田両家現当主対談、高野山奥の院散策などがある。出発は午前8時、解散は午後8時、定員800人。料金は1万1500円。JTB西日本が主催し、高野山金剛峰寺の協力で実現した。

長崎の海底で旧日本海軍の先進の潜水艦発見

長崎の海底で旧日本海軍の先進の潜水艦発見

海上保安庁は8月7日、長崎県・五島列島の東南東約35㌔の海底で旧日本海軍の潜水艦とみられる24隻の船影を発見したと発表した。この海域では、終戦後の1946年4月、当時世界最大の潜水艦だった「伊402」(全長約120㍍、水中排気量約6600cc)など24隻が処分のため米軍に撃沈されたとの記録があり、船影の大きさや形状と合致するという。
爆撃機を3機格納できる、当時世界最大級の潜水艦(「伊402」)の開発は、連合艦隊の司令長官、山本五十六の発案とされ、米国本土への攻撃に使用する計画があったという。だが、不運にも出撃することなく終戦を迎え、戦後処分された。

長崎・対馬市で3年ぶり「朝鮮通信使行列」

長崎・対馬市で3年ぶり「朝鮮通信使行列」

江戸時代に朝鮮王朝が来日した外交使節団を再現する日韓交流イベント「朝鮮通信使行列」が8月2日、長崎県対馬市で3年ぶりに開催された。
韓国からの参加者約40人を含む計約300人が、通信使や武士の衣装を身に着け練り歩き、伝統舞踊なども披露した。
2012年、市内の寺社から盗まれた仏像を韓国側が返還しなかった問題などを受けて、この間イベントは中止されていた。

室生寺で仏像2体発見 四天王の一部は平安期作か

室生寺で仏像2体発見 四天王の一部は平安期作か

室生寺(奈良県宇陀市)で、7月31日までに木彫りの仏像2体が見つかった。四天王像のうちの持国天と増長天で、寺は奈良国立博物館に依頼して詳しく調査する。同館では「様式などから平安時代の作とみられる」としている。
2体は境内の仁王門の2階内部で見つかった。いずれも台座を含め高さ約160㌢、左右の両手先部分が欠けていた。室生寺は明治初期の廃仏毀釈で、多くの仏像が散逸した。
四天王は仏法の守護神とされ、他に広目天、多聞天を合わせて通常は4体(四天王)からなる。

終戦時の玉音放送の原盤を初公開 声高く明瞭

終戦時の玉音放送の原盤を初公開  声高く明瞭
8月15日、太平洋戦争の終結から70周年をを迎えるのを前に、宮内庁は8月1日付で1945年に昭和天皇がラジオで終戦の詔書を読み上げた玉音放送について、原盤レコードの音声を初めて公開した。報道機関には原盤の撮影も認めた。
これまでテレビ番組などで放送された音声は、いずれも複製。これに比べ原盤はテンポが速く、録音時間が10秒ほど短い4分30秒だった。声が高く明瞭な他、抑揚なども昭和天皇の肉声に近いことが、宮内庁が今回に合わせて行った調査で判明した。

青森・八戸沖海底で太古の生態系 微生物群を確認

青森・八戸沖海底で太古の生態系 微生物群を確認

海洋研究開発機構の研究チームはこのほど、米科学誌サイエンス電子版に、青森県・八戸沖の海底で、石炭層を含む2000万年以上前の深い地層に、森林土壌にいるのと似た微生物群が生息しているのを確認したと発表した。
これは同チームが地球深部探査船「ちきゅう」で掘削調査した結果、分かったもの。かつて森や湿原だった陸地が、日本列島の形成過程で海底に沈みこんだ後も、太古の生態系の一部を保っている「海底下の森」の存在を示すものだという。

10/24から「第67回正倉院展」宝物12件が初出品

10/24から「第67回正倉院展」宝物12件が初出品

奈良国立博物館(奈良市)は7月29日、「第67回正倉院展」を10月24~11月9日の17日間の日程で開催すると発表した。正倉院宝物63件を展示。うち12件は初出品となる。展示されるのは、聖武天皇の遺愛品を記した目録「国家珍宝帳」の筆頭に掲げられる「七条褐色紬袈裟(しちじょうかっしょくのつむぎのけさ)」など。石製の横笛や尺八、背面の花の文様が美しい「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」などの楽器も含まれる。

「宗像・沖ノ島」17年世界遺産推薦へ 文化審議会

「宗像・沖ノ島」17年世界遺産推薦へ 文化審議会

文化審議会は7月28日、2017年の世界文化遺産登録を目指す候補として、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を選んだ。2016年2月1日までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、17年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける。
沖ノ島(宗像大社沖津宮)は、九州と朝鮮半島の中間にあり、4~9世紀に大陸との交流の成就を祈る国家的祭祀(さいし)が行われた。朝鮮半島製の金製指輪や中東のペルシャからもたらされたカットグラスの破片など約8万店の出土品が国宝に指定され、「海の正倉院」とも呼ばれる。
地元自治体では、いまも女人禁制などが禁忌(タブ-)が守られており、島を信仰の対象とする伝統が継承されている世界でもまれな例–としている。

島根県・円福寺の観音菩薩は中国地方最古の仏像

島根県・円福寺の観音菩薩は中国地方最古の仏像

島根県芸術文化センターは7月24日、同県大田市の円福寺の木造観音菩薩立像(高さ42㌢)は奈良時代(8世紀)の制作で、中国地方最古の仏像と分かったと発表した。
仏像は円福寺の秘仏だが、由来は不明という。頭と体は針葉樹のカヤが使われ、高く結われた髪形や仏像の大きさ、表情などが、唐招提寺(奈良市)の奈良時代の仏像と似ていることから制作年代を判断した。

祇園祭・後祭は晴天の下、華やかに 辻回しに歓声

祇園祭・後祭は晴天の下、華やかに 辻回しに歓声

京都・祇園祭の後祭(あとまつり)のハイライト、山鉾巡行が7月24日、京都市内であった。17日の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が、台風襲来で挙行が危ぶまれるほどの風雨交じりの中で行われただけに、関係者、見物客らの間では当日の空模様にも関心が集まっていた。
久々に晴れ上がった真夏の、うだるような暑さが戻った都大路を、華やかな懸装品(けんそうひん)で飾られた10基の山鉾が、ゆったりと進んだ。交差点では十数㌧の鉾の向きを90度変える豪快な「辻(つじ)回し」が披露されると、その勇壮な姿に、沿道に集まった見物客からは歓声が上がっていた。後祭の山鉾巡行は昨年、49年ぶりに復活した。

歌麿 水墨の美人画「花魁と禿図」肉筆画見つかる

歌麿 水墨の美人画「花魁と禿図」肉筆画見つかる

福岡市美術館は7月22日、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿(1753年ごろ~1806年)が墨一色で花魁(おいらん)らを描いた肉筆画が見つかったと発表した。墨だけで描いた歌麿の美人画が確認されたのは初めてで、花魁を真正面から描いた作品も極めて珍しいという。
今回見つかった美人画は「花魁と禿(かむろ)図」で、縦117.6㌢、横46.3㌢。正面から捉えた花魁と、その世話をする「禿」の後姿を墨の濃淡や線の強弱で、立体感を持たせて描いている。江戸時代の戯作者、山東京伝の賛文が記されている。寛政2~5年(1790~93年)ごろに描かれ歌麿が円熟期を迎える前の作品とみられる。
歌麿の肉筆画はこれまで約50点が知られているが、美人画の多くは鮮やかな彩色で描かれている。また、花魁の姿を斜めでなく、真正面から描いている点珍しい。

血赤の芝居絵屏風に魅入る客 高知・香南市で絵金祭り

血赤の芝居絵屏風に魅入る客 高知・香南市で絵金祭り

「血赤」と呼ばれる鮮やかな色使いで知られる江戸時代の絵師・金蔵(1812~76年、通称・絵金=えきん)の屏風絵が商店街の軒先に並ぶ「絵金祭り」が7月18~19日、高知県香南市で行われた。店の前に並べられたのは歌舞伎や浄瑠璃を題材とした芝居絵図。血のような赤と苦しむ表情の人々の姿が、ろうそくの炎で浮かび上がり、一瞬異様な世界にタイムスリップしたように魅入っていた。
絵師・金蔵は、もとは土佐藩家老桐間家の御用を務める狩野派の絵師だったが、贋作事件に巻き込まれて城下追放となった。絵金祭りは昭和52年に現在の香南市商工会青年部の発議で始まり、今回で39回を数えた。保存されている芝居絵屏風23点は高知県保存有形文化財に指定されている。

大阪で700人が参加し「北前船寄港地フォーラム」

大阪で700人が参加し「北前船寄港地フォーラム」

江戸時代、北海道(当時は蝦夷地)と日本海側の各地を経由し、天下の台所・大阪(当時は大坂)を結んだ北前船。その北前船の寄港地だった都市が連携し、その航路を広域観光ルートに生かそうと、第16回「北前船寄港地フォーラム in 大阪」が7月17日、大阪市都島区の太閤園で開かれた。
今回は関西・大阪21世紀協会が主催。開催地代表としてあいさつした堀井良殷(よしたね)理事長は、「天下の台所といわれた大坂の基礎を築いたのは船、開運。とりわけ北前船の役割は大きかった。改めて北前船の文化、都市のつながりを未来に生かしたい」などと語った。催しには各地の首長、経済人ら約700人が集まる盛況ぶりだった。
北前船寄港地は江差、松前、箱館、根室、厚岸、釧路、様似、門別、青森、十三湊、鯵ヶ沢、能代、本荘、酒田、出雲崎、佐渡、柏崎、新潟、直江津、但馬、山口など。

 

京大 吉田松陰の志伝える「尊攘堂」石標 元の位置に

京大 吉田松陰の志伝える「尊攘堂」石標 元の位置に

幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の遺志を継ごうと明治時代に京都大学(京都市左京区)の構内に建てられた「尊攘堂(そんじょうどう)」。その名称を刻む石標は、第二次世界大戦の終戦直後、マッカーサーの連合軍総司令部(GHQ)の目に触れることを恐れて、隠されたとみられ、所在不明になった。
だが、大学構内で見つかり2014年末に尊攘堂の脇に戻された。折から今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に取り上げられたこともあって、松陰の志を伝える歴史遺産として脚光を浴びている。
尊攘堂は明治36年建設。京大吉田キャンパスの時計台西側にある洋風建築で、現在は文化財総合研究センターの資料展示室として使われている。平成10年、国の登録有形文化財になった。石標は高さ約130㌢、幅約25㌢で、昭和15年に皇紀2600年を記念して設置された。

黒田清輝の油彩画「秋の清水寺」90年ぶりに確認

黒田清輝の油彩画「秋の清水寺」90年ぶりに確認

近代洋画壇の重鎮、黒田清輝(1866~1924年)が若いころに、京都を訪れて描いたとみられる油彩画「秋の清水寺」が7月18日、シンワアートオークションが東京・銀座で開いた競売に出品され、落札予想価格の上限の2倍以上となる580万円で落札された。
同社によると、「秋の清水寺」は1925年に発表された黒田の作品全集に図版が掲載された後、展覧会などに出品された記録はなく、90年ぶりに存在が確認された。作品は縦45㌢、横32.2㌢。緑の山を背景に、小さな建物や、ところどころ赤や黄色に色づいた木々が描かれている。

祇園祭・前祭の山鉾巡行 台風襲来の中、そろり挙行

祇園祭・前祭の山鉾巡行 台風襲来の中、そろり挙行

日本三大祭りの一つ、京都・祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が7月17日、台風11号の影響が懸念される中、挙行された。今回は、異例のことになるが最悪、中止・順延を含め、17日午前4時から祇園祭山鉾連合会の理事らが協議、実施を決定した。山鉾の屋根に乗る際には命綱を着用するなどの安全基準を設け、実施に踏み切った。
断続的な風雨に見舞われたが、23基の山鉾が例年以上に慎重に都大路を進んだ。各山鉾を飾る懸装品は雨除けのシートで覆われた状態で、例年の華やかさには欠けたが、交差点で重さ十数㌧の鉾が豪快に方向転換する「辻回し」が披露されると、沿道から大きな歓声が上がっていた。24日には後祭(あとまつり)の山鉾巡行がある。

日本に大型ティラノサウルス?長崎で歯の化石発見

日本に大型ティラノサウルス?長崎で歯の化石発見

福井県立恐竜博物館(同県勝山市)と長崎市は7月14日、長崎市の長崎半島西海岸に分布する白亜紀後期(約8100万年前)の地層「三ツ瀬層」から、ティラノサウルス科の獣脚類(肉食恐竜)の大型種のものとみられる歯の化石2点が見つかったと発表した。
歯の大きさから体長は10㍍前後と推測される。ティラノサウルス科の大型種の化石は北米やアジアで多数見つかっているが、国内では初めてという。
恐竜博物館によると、長崎市との共同調査で2014年5月に発見した。1点は先端から歯根部の長さが8.2㌢、歯冠基部(根元)は最大幅が3.8㌢、厚さが2.7㌢。保存状態が良く、水平断面は膨らみのある楕円形。もう1点は欠損や変形があるが、いずれも獣脚類の特徴であるノコギリのような突起「鋸歯(きょし)」や「血道(けつどう)」と呼ばれる溝があった。2点の発見場所は約1㍍しか離れていなかったが、同じ個体のものかは不明。

飛鳥・奈良期の出雲氏屋敷跡?京都・上京遺跡から出土

飛鳥・奈良期の出雲氏屋敷跡?京都・上京遺跡から出土

飛鳥時代から奈良時代にかけて京都北部の賀茂川西岸で勢力を誇った出雲氏の屋敷跡とみられる建物跡が、京都市の上京遺跡から出土したことが7月11日、分かった。出雲氏にまつわる本格的な建物跡が複数見つかるのは珍しく、調査を行った民間の発掘団体「古代文化調査会」は遷都以前の京都の歴史知る上で貴重な資料になるとみている。
調査地は京都市上京区にある上御霊(かみごりょう)神社北西隣のマンション建設予定地、約300平方㍍を調べた結果、北西隣と南東隣から一辺約60~70㌢の方形の柱穴が計5カ所出土した。ともに出土した土器などから出雲氏が全盛を誇った7世紀後半に建てられたとみている。
出雲氏は弥生時代に島根県の出雲地方から移住してきたとされ、これまで同神社の境内などから、出雲氏が創建した氏寺・出雲寺のものとされる奈良時代前期の瓦片が多数出土している。出雲氏は奈良時代には、長屋王の夫人の従者として仕えた「安麻呂」や、多くの農民を従えていた「真足(またり)」らを輩出している。

川端康成、三島由紀夫らの舟橋聖一宛て未公開書簡発見

川端康成、 三島由紀夫らの舟橋聖一宛て未公開書簡発見

作家の舟橋聖一宛てに川端康成や三島由紀夫らが送った未公開書簡約1000通が、舟橋聖一記念文庫(滋賀県彦根市)や東京新宿区の自宅でに見つかっていたことが7月10日までに分かった。今回見つかった書簡の中には、作家仲間だけでなく、中曽根康弘元首相や十一代市川團十郎といった政治家、役者のものもあり、舟橋の交友の広さがうかがわれる。

秀吉「木下」姓最後?の文書 兵庫県豊岡市で発見

秀吉「木下」姓最後?の文書  兵庫県豊岡市で発見

兵庫県豊岡市教育委員会は7月11日までに豊臣秀吉が、木下姓で出した文書を発見したと明らかにした。これまでに見つかった木下姓での文書の中でも最も後の時期のもので、羽柴姓への改姓時期が絞られた。
同市教委によると、「木下藤吉郎秀吉」と名乗っていたが、秀吉が「羽柴姓」に改姓した時期は分かっていない。今回の文書は元亀4年(1573年)5月24日付で、これまで木下姓での最後の文書は、元亀3年12月に出されたものだった。
現存する史料では、元亀4年7月20日には羽柴姓を名乗っている。したがって、今回の発見により木下姓から羽柴姓への改姓時期を、元亀4年5月20日~同年7月20日に絞ることができるという。

幕末と世界史のうねり 司馬遼太郎記念学術講演会

幕末と世界史のうねり 司馬遼太郎記念学術講演会

作家、司馬遼太郎さんの業績をしのび、日本人と日本の文化について考える「司馬遼太郎記念学術講演会」が7月11日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれ、法政大学総長の田中優子氏と東京大学名誉教授の山内昌之氏が「幕末への道~世界史のうねりと日本の知性」をテーマに、講演と対談を行った。
田中氏は、江戸時代はインドなどから伝来した技術をもとに日本独自の産業を発展させ、遠近法や印刷術も発達させた」などと述べ、江戸時代をグローバリゼーションの時代と位置付けた。
山内氏は、幕末は迫りくる欧米やロシアからいかに国を守り、近代化や産業化を図っていくかが課題だった」と指摘。薩摩藩などが半独立国家として自ら産業育成や改革に取り組んだことに触れ、「先人の知恵に学ぼう」と述べた。対談では、秋田蘭画や浮世絵の話でも盛り上がった。

正岡子規の未発表句 今治市で見つかる

正岡子規の未発表句  今治市で見つかる

俳人、正岡子規(1867~1902年)の未発表とみられる俳句が書かれた短冊が、愛媛県今治市で見つかったことが分かった。同市の俳人、阿部里雪(1893~1973年)宅に調査に訪れた地元の研究団体、松山子規会の関係者らが発見した。
未発表作とみられるのは「湯の町の門を閉たる餘寒(よかん)哉」で、署名は子規の幼名「升(のぼる)」。改装前の道後温泉本館が寂しげな雰囲気だったのを、立春後の寒い春の気配を表す季語「餘寒」を使って詠んだ句という。

国内最古の埋め立て港か 琵琶湖北端 塩津港遺跡

国内最古の埋め立て港か 琵琶湖北端 塩津港遺跡

滋賀県文化財保護協会は7月9日、琵琶湖北端にある塩津港遺跡(滋賀県長浜市)が、12世紀の「埋め立て港」と確認したと発表した。当時の港の多くは、自然の地形を利用しており、埋め立て港としては希少で国内最古とみられる。
塩津港は北陸の物資を京都に運ぶ中継地として栄え、万葉集にも詠まれている。これまで平安時代の神社跡などが見つかっていたが、港の具体的な様子などは不明だった。
今回、船が着岸するための「コ」の字形の垂直護岸(高さ1㍍、全長20㍍)、桟橋(幅1.2㍍、取り付け部分60㌢)、水路(幅2㍍、長さ3㍍)などを確認。湖だった場所を1.5㍍かさ上げし、埋め立てで湖岸が27㍍以上せり出していた。工事は12世紀前半に始まったらしく、約60年間で7回以上の改良工事を確認した。
当時は最新鋭だった板造りの船で使われた長さ約15㌢の船くぎ、高価だった鉄製の鍋や五徳、石製すずりや物差しなども見つかり、当時の仕事の様子や港の繁栄ぶりがうかがわれるという。港は水位上昇で14世紀末ごろに水没した後、約2㌔北に造成し直したとみられる。同協会では「当時の物流、土木工学史を知るうえで重要な遺跡だ」としている。

東大寺 東塔復元視野に発掘調査 七重塔蘇るか

東大寺  東塔復元視野に発掘調査  七重塔蘇るか

奈良・東大寺は7月7日、中世の戦火や落雷で失われた東塔跡(国史跡)の発掘調査を7月から始めると発表した。2年後に西塔跡(同)でも調査に着手。将来的には、近くに建物などがない東塔の復元も視野に入れたいという。
東西両塔は奈良時代、大仏殿の東南と南西にそれぞれ建てられた。七重塔で、高さは70㍍とも100㍍とも伝えられる。西塔は934年に落雷で失われた。東塔は1180年に平重衡(しげひら)による兵火で焼失し、その後再建されたが、1362年に落雷で再び焼け落ち、現在基礎部分だけが残っている。
発掘調査は7月中旬ごろから東塔跡で始め、西塔跡は2017年に開始。2021年から東塔の基壇整備に入りたいとしている。

ナスカ市街地近郊で「リャマ」地上絵24個発見 山形大

ナスカ市街地近郊で「リャマ」地上絵24個発見 山形大

山形大学は7月7日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られる南米ペルーのナスカ市街地近郊で、ラクダ科の「リャマ」とみられる動物の地上絵24個を新たに発見したと発表した。昨年発表した17個と合わせ計41個の「リャマ」の地上絵が、居住地近くに集中していたことが判明したとしている。2014年12月から15年2月にかけての現地調査で、ナスカ市街地から約1.5㌔北にある丘など直径約1㌔の範囲内で見つかった。

「明治日本の産業革命遺産」やっと世界遺産登録決定

「明治日本の産業革命遺産」やっと世界遺産登録決定

ドイツのボンで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は7月5日、日本が世界文化遺産に推薦する「明治日本の産業革命遺産」について審議し、登録することを決定した。
韓国政府は、日本政府が推薦した産業革命遺産の23施設のうち7施設に、戦時中、朝鮮半島出身者約5万8000人が徴用されたとして登録に反対。一方、日本は1850年代から1910年代までが遺産の対象年代で、時代が異なる」と反論し、主張は平行線をたどっていた。
6月21日の日韓外相会談で、互いの推薦案件の登録に向け相互協力することで合意し、緊張はほぐれたかに思われた。だが、日本が意図する、先人たちが極めて短い期間に達成、実現した明治産業革命遺産の顕彰に、真っ向から政治を持ち込んだ形で韓国が強く抵抗、結果的に韓国側の意図するテーブルに乗せられ、徴用をどう説明するかで、協議は想定外に長引いた。

万里の長城 明代の城壁の1/3が消失 盗難・風化で

万里の長城  明代の城壁の1/3が消失  盗難・風化で

中国の世界文化遺産として知られる「万里の長城」の明代(1368~1644年)に築かれた城壁の約3割が盗難・風化などで焼失していたことが分かった。中国メディアが7月3日までに報じた。抜き取られたレンガが30元(約600円)で販売されているケースなどもみられ、保護対策を求める声が挙がっている。
万里の長城は、別の時代に築かれた部分も含めると総延長は約2万1200㌔㍍。報道によると、「中国長城学会」が調査した結果、明代に築かれた約6260㌔㍍のうち、約1960㌔㍍が消失していた。管理が行き届いておらず、保存状態が比較的良好だったのは、わずか8%の約514㌔㍍にとどまったという。河北省の村では、この長城のレンガで家屋を建設しているケースもあるとしている。

坂本家子孫 勝海舟の書など龍馬記念館に史料寄贈

坂本家子孫 勝海舟の書など龍馬記念館に史料寄贈

坂本龍馬に関する数多くの史料を、北海道で保存してきた坂本家の子孫が、数百点を高知市の県立坂本龍馬記念館に寄贈、寄託していたことが分かった。
これらの史料の中には、勝海舟が龍馬没後15年に、龍馬の甥、直に宛てた「(龍馬との)思い出が色あせることはない」との内容を記した書や、日露戦争(1904~05年)を率いた東郷平八郎の言葉が入った龍馬の肖像画もある。
坂本家から公的機関への多数の寄贈は1931年以来となる。

平城京跡で出土の木簡に「皇」「太子」の文字

平城京跡で出土の木簡に「皇」「太子」の文字

奈良文化財研究所 の調査によると、奈良市の平城京跡で出土した木簡の削りくず2点に「皇」「太子」と読める文字があることが分かった。2点は同じ木簡の表面を削ったとみられ「皇太子」と記す木簡が見つかったのは初めて。
出土場所は、聖武天皇の母方の祖父、藤原不比等(659~720年)の邸宅跡に近く、皇太子とは即位前の聖武天皇を指すとみられる。2点は不比等邸跡に創建された法華寺南側の溝から2014年に出土。1点は長さ約5㌢、幅約2㌢で「皇」の一部などが残る。もう1点は長さ約2.5㌢、幅1㌢「太子」の文字の一部があった。2点は木目が酷似し、同一の木簡にひと続きで「皇太子」と書かれていた可能性が高いという。当時、木簡は表面を削って再利用していた。
同じ溝からは「養老七年」(723年)や「神亀元年」(724年)の年号、従者を指す「舎人(とねり)」の文字などを記した木簡も出土している。

香川の7世紀古墳からササン朝ペルシャ産ガラス玉出土

香川の7世紀古墳からササン朝ペルシャ産ガラス玉出土

香川県まんのう町教育委員会は6月30日、町内の古墳から出土したモザイク模様のガラス玉(直径1.45㌢)が、奈良文化財研究所の調査で西アジアのササン朝ペルシャ(226~651年)産と判明したと発表した。当時、盛んに交易が行われていたことを示す史料とみている。
同町教委によると、ガラス玉は同町羽間の「安造田(あそだ)東三号墳」(7世紀初頭)から1990年に出土した。古墳は直径約12㍍、高さ約3.5㍍の円墳で、香川県内では中規模クラス。被埋葬者は当時、この地域を支配していた上層階級の人物とされる。西アジア産のガラス玉は、国内では他に宮城県で出土例があるのみで珍しいという。

白亜紀前期の恐竜 新種の卵殻化石 兵庫県丹波市

白亜紀前期の恐竜 新種の卵殻化石 兵庫県丹波市

兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)は6月29日、同県丹波市の白亜紀前期の約1億1000万年前の地層から発掘した恐竜の卵殻の化石が新種と判明し、「ニッポノウーリサス・ラモーサス」と命名したと発表した。恐竜の卵としては世界最小級という。6月29日付の国際学術雑誌「クリティシャス・リサーチ」(電子版)に論文が掲載された。
博物館は、2007年から丹波市山南町の「篠山層群」と呼ばれる地層で恐竜化石の発掘調査を進め、1㌢から数㍉の大きさの卵の殻の化石約90点を発見。このうち約70点は5種類の恐竜の卵で、うち1種は新種認められた。新種とされる卵殻は8片あり、大きさは最大約7㍉、厚みは約0.4㍉。

小堀遠州作の茶室「擁翠亭」140年ぶりに復元

小堀遠州作の茶室「擁翠亭」140年ぶりに復元

茶人で建築・造園家としても知られる小堀遠州(1579~1647年)作の茶室「擁翠(ようすい)亭」が京都市北区の古田織部美術館の庭園に約140年ぶりに復元された。
擁翠亭は遠州が京の金工師、後藤覚乗(かくじょう)の依頼で建てた入母屋造りの茶室。のちに洛西の寺に移築され、明治元年の廃寺に伴い解体された。建材は京都市内の数寄屋大工の倉庫で保管されていた。15年前に図面とともに見つかり、今回復元された。13の窓を持つことから「十三窓席(じゅうさんそうのせき)」とも呼ばれ、明るく優美で開放的なことが最大の特徴。

淡路島で出土の「入れ子」の銅鐸の内部に舌 全国初

淡路島で出土の「入れ子」の銅鐸の内部に舌 全国初

兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材加工業者の砂山で、4月に発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)7個のうち、内側に一回り小さい銅鐸をはめた「入れ子」状態の2組4個について、兵庫県教育委員会は6月26日、コンピューター断層撮影装置(CT)による解析結果を発表した。4個いずれも内部に音を鳴らす青銅製の舌(ぜつ)が1本ずつあることが確認された。銅鐸に舌を内蔵した状態で見つかったのは全国で初めて。
過去の出土例と異なり、舌を外さず、ひもで吊るして音を鳴らす使用状態のまま埋められたとみられる。ひもは見つかっていない。いずれも弥生時代前期末~中期初め(紀元前3~前2世紀)の古い型式。舌はすでに3本見つかっており、7個すべてが舌を伴っていたことになる。
過去に全国で出土した520個以上の銅鐸のうち、舌と一緒に見つかったのは2例3個のみで、舌は外して埋めると考えられていた。
奈良県文化財研究所では「銅鐸埋納ではこれまで約束事として舌を外していた。音を出す祭器として機能を奪う意味があったのだろうが、今回は違った。地域色ではないか。埋めたのは河内や大和、摂津などの畿内集団ではなく、南あわじ市周辺の地域勢力だった可能性が高い」とみている。

岩手で旧制中学の「ミライの賢治」描いた直筆ノート

岩手で旧制中学の「ミライの賢治」描いた直筆ノート

岩手県出身の童話作家、宮沢賢治(1896~1933年)と交流のあった旧制中学時代の先輩の実家から見つかったノートが、筆跡の鑑定の結果、賢治の直筆のものだったことが分かった。地元研究グループの「矢巾町 宮沢賢治を語る会」が発表した。
ノートは2001年、賢治の1学年先輩で、同県矢巾町にある藤原健次郎さんの実家の蔵で発見された。計算式や英文のほか、「ミライの賢治」と書かれた落書きがあり、オルガンを弾いたり、勲章を付けた軍人姿の賢治が描かれている。また、「南無妙法」との書き記しもあり、賢治がこの時期から仏教思想を意識していたことをうかがわせる。藤原さんと賢治は学校の宿舎が同室で、一緒に山に登るなど、親交が深かったという。

加賀・前田家の屋敷跡か 伏見城下で巨大礎石穴

加賀・前田家の屋敷跡か 伏見城下で巨大礎石穴

京都市文化財保護課は6月23日、豊臣秀吉が建てた伏見城(京都市伏見区)の大名屋敷があったとされる区域から、礎石を据えるための巨大な穴が7カ所見つかったと発表した。穴の大きさは直径約1.7~2㍍で、深さ2.3㍍以上のものもあり、城下で最大級だった。
江戸時代の絵図から加賀百万石を築いた前田家の屋敷跡とみられ、豊臣政権で要職に就いた前田家の権威を物語る遺構という。同課によると、穴の中は直径2~3㌢の小石の層と粘土層を交互に積み上げながら、細い棒で突き固めて礎石や建物が沈み込まないように地盤改良していた。

記憶遺産候補に伊能忠敬作製地図、信長公記など応募

記憶遺産候補に伊能忠敬作製地図、信長公記など応募

文部科学省は6月23日、2017年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産への登録を目指す候補として、全国から16件の応募があったと発表した。千葉県香取市が保有する伊能忠敬作製の地図や、織田信長の家臣が書き残し、京都市の神社に伝わる「信長公記」、第二次世界大戦中に「命のビザ(査証)」で数多くのユダヤ人を救った外交官・故杉原千畝氏の関連資料(岐阜県八百津町)、特攻隊員の遺書や手紙(鹿児島県南九州市)などの応募も寄せられた。
日本ユネスコ国内委員会の19日までの公募に対し、地方自治体や史料を保有する寺社などが申請した。同国内委は有識者会議を開いて9月に2件を選び、2016年3月にユネスコに推薦。17年夏ごろにユネスコが審査し、登録の可否を決める。

高山右近「福者」に バチカンが認定手続き開始

高山右近「福者」に   バチカンが認定手続き開始

安土桃山時代のキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)が近く、キリスト教カトリックで最高位の「聖人」に次ぐ「福者」に認定される見通しとなった。バチカン(ローマ法王庁)の神学審査委員会が6月18日、認定手続きを進めることを了承した。
今後、高位聖職者である枢機卿の会議を経て、フランシスコ・ローマ法王が承認する。発表は2015年末~16年1月になる見込み。「列福式」は16年中に日本で開催される予定だ。法王は列福式に「可能なら行きたい」と述べたという。15年は右近の没後400年にあたり、日本司教団や関係地方自治体などが働きかけてきた。
右近は12歳の時に洗礼を受け、、高槻城主となって織田信長や豊臣秀吉に仕えた。「バテレン追放令」を出した秀吉に棄教を迫られたが、当時、右近と同様キリシタン大名といわれたすべての有力大名、武将が棄教、改宗した中で、彼はこれを拒否。信仰の前にすべてを棄て、最終的に徳川家康による国外追放令を受けてフィリピン・マニラに渡り、現地で死亡した。カトリックでは、迫害下に信仰を死守した殉教者を崇敬している。