聖徳太子ら 日本最古の官道「竹内街道」で時代行列

聖徳太子ら 日本最古の官道「竹内街道」で時代行列

飛鳥時代に整備され、大阪と奈良を結ぶ日本最古の官道とされる「竹内(たけのうち)街道」が町の中心部を通る太子町で10月17日、地元の住民らが聖徳太子や推古天皇ら街道ゆかりの人物に扮して、約1.5㌔の時代行列を行った。
日本書紀に613年に「難波より京に至る大道を置く」とあり、竹内街道の大部分がこのルートと重なる。敷設1400年を祝い、時代行列は2013年に始まった。行列には聖徳太子の命を受け、遣隋使として中国・隋に渡った小野妹子ら、歴史の表舞台で活躍した人物らの姿も見られた。

「稲むらの火祭り」町民ら700人が防災意識新たに

「稲むらの火祭り」町民ら700人が防災意識新たに

江戸時代の安政南海地震(1854年)で、田に積まれた稲わらに火を放って、村人を高台に避難させ津波から命を救った浜口梧陵の史実を再現する「稲むらの火祭り」が10月17日、和歌山県広川町であった。参加した町民ら約700人は、浜口梧陵が遺した、かけがえのない教訓に、防災への意識を新たにした。
午後6時ごろ、たいまつを持った行列が町役場を出発。高台にある神社まで、当時の避難路約2㌔を練り歩いた。そして史実通り、稲わらに火が放たれると一気に燃え上がった。

石清水八幡宮 国宝に 網走監獄を重要文化財に

石清水八幡宮 国宝に 網走監獄を重要文化財に

文化審議会は10月16日、石清水八幡宮本社(京都府八幡市)を国宝に、旧網走監獄(北海道網走市)など8件を重要文化財に指定するよう馳浩文部科学相に答申した。近く答申通り指定され、建造物の国宝・重要文化財は2445件になる。
石清水八幡宮は平安時代の860年に創建。現在の本社社殿群は、江戸幕府が1634年に建て替えた。文化庁では、古代の荘厳な形式と近世らしい装飾を兼ね備えた完成度の高い建築で、広く浸透した八幡信仰の象徴としても深い文化史的意義がある-としている。
旧網走監獄は刑の重い服役囚を収容した刑務所で、現在に残る建物は明治45(1912)年に再建された。明治期の木造監獄の数少ない保存例、博物館として公開されている。刑務所の建物が重要文化財になるのは初。
このほか文化審議会は、国宝「龍光院書院」(京都市)の指定範囲の追加や、諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市)の建物10棟を重要文化財にに追加することも求めた。

官営の製塩施設か 貝塚に炉跡や土器片 宮城県で出土

官営の製塩施設か 貝塚に炉跡や土器片 宮城県で出土

宮城県東松山市教育委員会は10月15日、同市の江ノ浜貝塚で9世紀(平安時代初期)の大規模な製塩炉跡や多量の製塩土器片が見つかったと発表した。
同県多賀城市にあった陸奥国府多賀城との関わりを示す遺物も出土し、官営施設だった可能性が高いという。貝塚は松島湾の入り江に面した砂丘にあり東日本大震災で壊れた防潮堤の復旧工事に伴い、5月から発掘調査していた。
奥松島縄文村歴史資料館によると、砂丘の斜面に沿った幅約10㍍の範囲で、石を組むなどした6基の製塩炉跡を確認した。

蕪村の知られざる212句 奈良・天理大図書館が入手

蕪村の知られざる212句  奈良・天理大図書館が入手

天理大付属天理図書館(奈良県天理市)は10月14日、入手した句集に、江戸時代を代表する俳人、与謝蕪村(1716~1783年)の作で、これまで知られていなかった212句が収録されていたと発表した。蕪村の句でこれまでに確認されていたのは約2900句で、専門家はこれだけまとまった新出句が判明したのは意義深い-としている。
同図書館によると、「夜半亭(やはんてい)蕪村句集。蕪村門下の京都・寺村百池(ひゃくち)の家に伝わっていたとされる。1934(昭和9)年に雑誌「俳句研究」でその存在が紹介された後、行方が分からなかったが、同図書館が4年前に書店から入手した。
句集は四季別に編集され、春夏と秋冬の2冊。安永・天明期(1770~80年代)の制作とみられる。内容を精査したところ、収められた1903句の約1割(春57、夏35、秋59、冬61)が未知の句だった。蕪村筆と思われる朱の書き入れや墨書による訂正などもあった。
「傘(からかさ)も化(ばけ)て目のある月夜哉(かな)」は、句の前に「化物題」とあり、化け物をお題にした句会で詠んだ可能性がある。「我焼きし野に驚(おどろく)や艸(くさ)の花」などの句も記されていた。

龍馬はやはり剣の達人 北辰一刀流免許皆伝示す文書

龍馬はやはり剣の達人 北辰一刀流免許皆伝示す文書

幕末の剣豪、千葉周作が創始した「北辰一刀流」の免許皆伝書を、坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、高知県立坂本龍馬記念館が初めて確認した。北海道にある坂本家が今夏、同館に寄贈した龍馬の関連史料の中から見つかった。同館によると、皆伝書の存在を示す文書は7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付で龍馬の甥の妻に書いた預かり書。
北海道で行われた坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀兵法皆伝」と書かれていた。さらに別の展覧会に出品した龍馬の遺品の目録(昭和4年)では「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。
これらの記述から、大正2年に釧路で起きた火災で坂本家が延焼した際、龍馬の剣術の皆伝書は焼失したとみられる。

奈良公園で秋の風物詩「シカの角切り」

奈良公園で秋の風物詩「シカの角切り」

古都・奈良の秋の風物詩「シカの角切り」が10月10日、奈良公園(奈良市)の鹿苑(ろくえん)で始まった。江戸時代初期から続く伝統行事。
和太鼓の音とともに、角切り場に放たれたシカを、鉢巻きに法被姿の勢子(せこ)約20人が追い回し角に縄を引っ掛けて捕獲。烏帽子を付けた神職役が、のこぎりで角を切り落とすと観客から大きな歓声が上がった。角切りは11日、12日も正午から午後3時まで行われる。

「舞鶴への生還」「東寺百合文書」世界記憶遺産に

「舞鶴への生還」「東寺百合文書」世界記憶遺産に

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月9日、日本が申請していた「舞鶴への生還」と「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」が世界記憶遺産に登録されたと発表した。この結果、日本の世界記憶遺産は5件となった。
「舞鶴への生還」(申請者・京都府舞鶴市)は、第二次世界大戦後、舞鶴港に引き揚げたシベリア抑留者たちの手記など570点で、市文化財に指定されている。抑留者がストーブのすすをインク代わりにして綴った「白樺日誌」や、抑留中の収容所で発行された新聞のほか、戦後のヒット曲「岸壁の母」のモデル、故・端野いせさんが息子に宛てた手紙も含まれる。舞鶴市の舞鶴引揚記念館で約40点が常設展示されている。
東寺百合文書(申請者・政府)は、794年の平安遷都ともに建立された東寺に伝わる8~18世紀の文書約2万5000通。仏教史や寺院史の研究上、貴重な史料で、足利義満の直筆や織田信長の印入りの文書もある。

「琳派400年」を記念したファッションショー

「琳派400年」を記念したファッションショー

「琳派400年」を記念したファッションショーが10月9日、京都市東山区の京都国立博物館で開かれた。ファッションデザイナーのコシノジュンコさんが琳派をイメージしてデザインし、京友禅や西陣織の技術も取り入れた衣装が次々に登場した。江戸時代の遊びなどを金糸や漆を素材にして表現した着物やドレス約40点が披露された。囃子(はやし)やコシノさんの衣装を身にまとった能の演出もあり、招待客たちは華やかで雅な「琳派の美」を楽しんでいた。
2015年は琳派の祖・本阿弥光悦が徳川家康から京都・鷹峯(たかがみね)の領地を拝領した1615年から400年の節目となる。

藤原京大極殿の階段跡発見 平城京構造解明に手がかり

藤原京大極殿の階段跡発見 平城京構造解明に手がかり

奈良県文化財研究所は10月9日、国内初の本格的な都城・藤原京(694~710年、奈良県橿原市)の宮跡で、天皇の即位など重要儀式が営まれる大極殿の階段跡が3カ所見つかったと発表した。同研究所では「大極殿の構造の解明に役立つ重要な手がかりだ」としている。 また、大極殿の建物規模は推定で東西約45㍍、南北約20㍍と確認された。これは、平城京大極殿(第1次)とほぼ一致し、専門家は「平城宮大極殿は藤原宮大極殿を移築したとの定説を裏付ける成果」という。

鎌倉大仏 修理へ 16年1~3月拝観を停止

鎌倉大仏 修理へ 16年1~3月拝観を中止

神奈川県鎌倉市の鎌倉大仏殿・高徳院は国宝の本尊・銅造阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏、高さ13・35㍍)の保存修理工事を、2016年1月13日から3月10日までの予定で実施する。
1959年から約2年半がかりで実施した耐震補強の「昭和の大修理」から半世紀以上が経過している。保存状態を詳細に調べるとともに、表面をきれいにする。調査で集めたデータは専門家らが分析し、問題が見つかれば別途修復工事を検討する。国庫補助事業で総工費は6496万円。

はためく恭仁宮 新年儀式 旗竿穴を確認 史書裏付ける

はためく恭仁宮 新年儀式 旗竿穴を確認 史書裏付ける

京都府教育委員会は10月8日、聖武天皇が奈良時代の一時期、都を置いた恭仁宮(くにきゅう、京都府木津川市)の朝堂院跡で、天皇や宮人らが新年を祝う朝賀の際に旗竿を立てた跡とみられる穴3個が見つかったと発表した。
平安初期の史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、大極殿完成前の741年と742年の元日に朝賀が行われたとの記述があり、穴には装飾を施した宝幢(ほうどう、旗竿)7本を立てた際に掘られたらしい。同種の穴跡が確認された平城宮跡(奈良市)より古い。
穴跡は役人らが執務した朝堂院の敷地内で確認された。穴跡は約5.4㍍間隔で東西に並び、それぞれ横3㍍、縦1.1~1.2㍍、深さ50~90㌢。高さ約9㍍の旗竿の中央柱と脇柱を立てた穴の跡とみられる。その東側にも等間隔で4個の穴を掘り、西から順に玄武、白虎、月像、銅烏(カラス)像、日像、青龍、朱雀の各旗竿を立てたとみられる。
続日本紀には741(天平13)年正月「宮垣未就」(宮を囲う塀が未完成)、742年「為大極殿未成(中略)造四阿殿於此受朝」(大極殿は未完成だが、仮施設で朝賀を行う)と記されている。743年には大極殿で元日を祝う儀礼をしており、確認された穴跡は741年と742年の記述を裏付けるものとみられる。

大阪府・近つ飛鳥博物館で「ワカタケル大王」展 開幕

大阪府・近つ飛鳥博物館で「ワカタケル大王」展 開幕

大阪府・河南町の府立近(ちか)つ飛鳥博物館で10月3日、雄略天皇の時代を考古資料で探る特別展「ワカタケル大王の時代」が開幕した。河内平野に築かれた巨大古墳から出土した豪華な副葬品などが展示され、訪れた古代史ファンが「倭(わ)の五王(ごおう)」の時代に思いを馳せた。会期は11月29日まで。
雄略天皇は5世紀後半に実在したヤマト王権の大王で、中国・宋に使節を派遣した倭の五王のうち最後の「武」としても知られる。日本書紀では第21代・大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)とおくり名されている。5世紀はヤマト王権の勢力が伸長した時期で、各地の首長の墓である前方後円墳も巨大化した。また、国際化の時代で、朝鮮半島に出兵したり、先進技術ががもたらされたりした。
特別展では、埼玉県行田市にある稲荷山古墳から見つかり、「ワカタケル大王」と読める文字が刻まれた金錯銘(きんさくめい)鉄剣のレプリカをはじめ、真の雄略天皇陵の可能性が指摘される岡ミサンザイ古墳(藤井寺市、仲哀天皇陵)出土の埴輪などが展示されている。
また、5世紀代の近畿各地の古墳の多様な出土品や墓に供えられた須恵器なども公開。この時代の国際色豊かな文化のありようを探っている。
10月25日には仁藤敦史・国立歴史民俗博物館教授による講演「『治天下大王』の支配権」があるほか、多彩な講座、シンポジウムが行われる。10月4、17、31日と11月21、29日のいずれも午後2時からは学芸員が展示解説を行う。

大阪 本町橋・松竹座の資料発見 戦前の上方寄席

大阪 本町橋・松竹座の資料発見 戦前の上方落語

戦前、大阪・生國魂(いくくにたま)神社の分社・御旅所(おたびしょ)=大阪市中央区本町橋=境内にあった寄席「松竹座」の建築許可証や見取り図が、経営者の遺品から見つかった。
当時、大阪の中心部には二十数軒の寄席があったとされるが、その多くは太平洋戦争の空襲で罹災(りさい)しており、専門家は「当時の寄席の見取り図は大変珍しい。全体像がよく分かる貴重な資料」と話している。
松竹座は1911(明治44)年開場。経営者の飯沼梅吉さんと妻タケさんの名前が「松竹梅」にちなむことから命名した。見つかったのは「建築許可証」(大正10年大阪府発行)や「興行場検査証」(大正11年同)と、それぞれに添付された見取り図。「検査証」によると、戦況が悪化した昭和19年、「大阪府貨物自動車運送事業組合」に貸与され、同20年の空襲で焼失した。
見取り図などによると、2階建てで総面積約200平方㍍。1階中央は「平場(ひらば)」と呼ばれる畳席で79人収容。ほかに1階左右と2階正面、左右に桟敷席があり、計187人収容した。

大阪・寝屋川の小路遺跡で古墳時代初期の集落跡出土

大阪・寝屋川の小路遺跡で古墳時代初期の集落跡出土

大阪府寝屋川市小路南町の小路遺跡で、2世紀後半~3世紀の古墳時代初めとみられる大規模な集落跡が出土したと、同市教育委員会が発表した。北河内地域で、この時代の集落跡が確認されたのは初めて。同市教委では、同地域で古墳が出現した時代を解明する手掛かりになるとしている。
市教委によると、今年3月から9月まで土地区画整理事業に伴い、約4000平方㍍を発掘調査。地表から約50㌢の部分で柱穴や井戸、溝などの遺構を発見した。ごみを捨てたとみられる穴からは約2000点の土器片が出土した。集落跡は東西200㍍、南北約300㍍の範囲に広がっていたと推定される。
土器の中には吉備地方(岡山県)や東海地方(愛知県)のものも見つかり、こうした地域との交流も想定される。遺構から南東に約500㍍離れた四条畷市岡山には、古墳時代前期の前方後円墳(忍岡古墳)があり、集落跡との関連も考えられるという。

新婚 三島由紀夫の幸せ報告 手紙見つかる

新婚 三島由紀夫の幸せ報告  手紙見つかる

作家の三島由紀夫(1925~70年)が、新婚旅行中に書いた英文の手紙が見つかった。米出版社の社長宛てで、妻の瑤子さんを「かわいくて良い子(cute and sweet)」と紹介するなど、後年の三島のイメージからはあまり連想できないほど、幸せがにじむ文面が綴られている。
手紙は1958年6月4日付。33歳の三島が新婚旅行中の宿泊先だった箱根富士屋ホテルの便箋2枚を使い、『仮面の告白』英語版の出版社の社長に近況を報告したものだ。
三島は母の手術と回復を報告。続けて「私は6月1日に結婚しました。今はハネムーン中です。私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子です」と紹介している。手紙は米国の骨董商が見つけた。

「式年造替」の春日大社で本殿修理 朱塗り替え

「式年造替」の春日大社で本殿修理 朱塗り替え

社殿を20年に1度修復する「式年造替」を行っている春日大社(奈良市)で9月28日、国宝・本殿の修理がが始まり、屋根飾りの「千木(ちぎ)」などが取り外された。修理では檜皮(ひわだ)屋根の吹き替えや、柱の朱の塗り替えなども行い、2016年秋に完成予定。
1863(文久3)年建築の本殿は幅約1.9㍍、奥行き約2.5㍍、高さ約5.7㍍の神殿4棟が横に並ぶ独特の構造。かつては式年造替のたびに建て替えたが、明治以降は文化財保護のため修理している。春日大社の千木は長さ2.4㍍のヒノキ部材2本を交差させて朱を塗り、金箔を張った銅製金具を用いた豪華な造り。近くの仮殿に移されているご神体は、本殿修理後の16年11月、遷座祭で本殿に戻る。

「命のビザ」の業績説明 記憶遺産候補に杉原氏資料

「命のビザ」の業績説明 記憶遺産候補に杉原氏資料

第二次世界大戦中、ユダヤ人に「命のビザ(査証)」を大量に発給しナチス・ドイツの迫害から救った外交官・故杉原千畝(すぎはらちうね)氏(1900~86年)の資料(杉原リスト、所在地・岐阜県)と、古代石碑「上野三碑(こうずけさんひ)」(群馬県)の2件が、2017年の登録を目指す記憶遺産の候補に選ばれた。
外交官・杉浦千畝氏の資料(杉原リスト)は20点で構成。ビザを記入したパスポートや発給者リストの外交公電のほか、自筆手記、避難者が日本に上陸した後の記録が含まれる。
「上野三碑」は現存では日本最古とされる「山上碑」、楷書体の字体や碑の形状に当時の中国文化の影響がみられる「多胡碑」、仏教の広がりや家族制度の様子を記した「金井沢碑」の三つの石碑。7~8世紀に現在の群馬県高崎市に建立され、国の特別史跡。

“大阪の恩人”に思いを馳せ 五代友厚 没後130年

“大阪の恩人”に思い馳せ 五代友厚 没後130年

大阪商工会議所の初代会頭で幕末から明治にかけて経済の近代化した尽くした五代友厚の命日にあたる9月25日、大阪市阿倍野区で墓前祭が行われた。五代は28日から放送が始まるNHK連続テレビ小説「あさが来た」で、女性実業家・広岡浅子をモデルとした主人公の精神的支柱として登場するほか、映画化(平成30年公開予定)も進行するなど、その功績を再検証する機運が高まる中、没後130年の節目に関係者らが思いを馳せた。
墓前祭は五代の功績を伝えようと平成25年に発足した任意団体「五代友厚プロジェクト」が企画した。この日、大阪市阿倍野区の市設南霊園にある五代友厚公墓所にプロジェクトのメンバーや五代の親族ら約100人が参列した。墓前祭の後には同区民センターでパネルディスカッションなどが行われた。大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)や「大阪株式取引所」(現・大阪取引所)などの創設に力を尽くし「大阪の恩人」と呼ばれた。

龍馬暗殺直前 福井から帰京、滋賀の宿屋に記録

龍馬暗殺直前 福井から帰京、滋賀の宿屋に記録

NPO法人京都龍馬会は9月21日、暗殺される直前坂本龍馬が、雪深い陸路を通って福井から京都に戻っていたとする記録が、滋賀の塩津(現在の長浜市)で宿屋を営んでいた林市郎の経歴書から見つかったと発表した。
坂本龍馬記念館(高知市)によると、龍馬は暗殺時に風邪をひいていたとされており、同館ではこの経歴書の信ぴょう性は高く、福井行きで体調を崩した可能性があるとしている。
経歴書によると、林は1867年、京都の近江屋で龍馬と面会、龍馬が福井からの帰路、雪深い琵琶湖西側の西近江路を通ったと聞いた。11月5日に福井出張から京に戻り、15日に暗殺された-などと記している。

井伊直弼生誕200年祭 彦根城でゆかりの能・狂言

井伊直弼生誕200年祭 彦根城でゆかりの能・狂言

彦根市で開催中の井伊直弼公生誕200年祭の関連事業「彦根城能」が9月22日、同市の彦根城博物館能舞台で開かれ、直弼ゆかりの演目が訪れた約200人の観衆を魅了した。
幕末の幕閣にあっては大老職に就き、ともすれば悪評高い安政の大獄を断行した”悪玉”に仕立て上げられる直弼だが、一個人としては品格のある文化人だった。そのため、茶道や能・狂言などにも明るく、関心が高かった。
直弼がつくったとされる素謡「筑摩江」に続き、能「安達ケ原」をもとに直弼がつくりあげたと伝わる狂言「鬼ヶ宿」を、大蔵流の茂山千五郎さんらが演じた。最後に直弼が自身の好みで演出したとされる能「竹生島 女体」を喜多流の粟谷能夫さんらが上演した。弁財天や龍神が登場する場面に、観客らは息をのんで魅入っていた。

A級戦犯7人の絶筆公開「全く相済まぬ」東条の遺書も

A級戦犯7人の絶筆公開「全く相済まぬ」東条の遺書も

終戦直後、巣鴨拘置所の教誨(きょうかい)師として日本人で唯一、東条英機らA級戦犯7人の最後を見届けた仏教学者、花山信勝(しんしょう)氏(故人)の生家の宗林寺(金沢市)で、A級戦犯の絶筆や遺書など二十数点が一般公開されている。戦後、同寺で厳重に保管され、戦後70年を機に「平和の大切さを再認識するきっかけにしてほしい」と初めて公開に踏み切った。
A級戦犯の絶筆は、開戦時の首相の東条、元奉天特務機関長、土肥原賢二、元中支那方面軍司令官、松井岩根(いわね)、元陸軍軍務局長、武藤章、元陸相、板垣征四郎、元首相、広田弘毅(こうき)、元陸軍次官、木村兵太郎-の7人が1948年12月23日未明の絞首刑直前、両手に手錠をかけられた状態で1枚の紙に名前を連署した。
東条の遺書は同年11月17日、花山氏に宛てて書かれ、5日前に軍事法廷で下された死刑判決への受け止めや国家、国民への思いがわら紙原稿用紙に鉛筆でびっしり綴られている。「一応の責任を果たしホット一安心」とする一方、「同胞のことを思う時、私の死刑によっても責任は果たされない。全く相済まぬことと思っている」と心情を吐露している。

好々爺、笑顔の山縣有朋の写真見つかる

好々爺、笑顔の山縣有朋の写真見つかる

明治の元勲、いかめしい強面(こわもて)権力者の印象が強く、笑わない人物として知られ、明治政府の第3代、9代の首相を務めた山縣有朋の笑顔の写真が見つかった。極めて珍しい好々爺の山縣像だ。
「山縣有朋記念館」東京事務所が所蔵。写真は著名人の笑顔を集めた雑誌『ニコニコ』に掲載された写真で、山縣が79歳の時のスナップという。同誌で「世間の評判が悪いのはニコニコの修養が足りない」と批判された後に、撮影されたものらしい。この20年ぐらい前にこんな写真が出ていたら、山縣を見る世間の目もかなり違っていたかも知れない。

幽玄の世界「大坂夏の陣400年 大阪城本丸能」

幽玄の世界「大坂夏の陣400年 大阪城本丸能

大坂夏の陣から400年を記念し、大阪市中央区・大阪城本丸広場で9月20日、かがり火で能や狂言を楽しむ「夏の陣 大坂城本丸能」が9月20日始まった。23日まで4日間の日程で行われる。
冒頭、薪(たきぎ)に神火をともす「火入れ式」が行われ、舞台を囲む3つのかがり火が宵闇に揺らめくと、幽玄の世界に誘われたような錯覚を覚え、思わず客席からは拍手が湧いた。大坂城天守閣を背景にした幻想的な舞台に観客らは酔いしれた。21日には野村萬斎さん(49)も出演する。

奈良市で「うどんルーツサミット」春日餺飥うどんPR

奈良市で「うどんルーツサミット」春日餺飥うどんPR

平安時代に奈良・春日大社で振る舞われたとされる麺を再現した「春日餺飥(はくたく)うどん」をPRしようと9月19日、奈良市で「うどんルーツサミット」が開かれた。
論争がある”うどん発祥の地”候補として注目を集める狙いもある。藤原実資の日記「小右記」に989年、一条天皇が「餺飥」と呼ばれる麺を食べたという記述があることに、NPO法人「奈良の食文化研究会」が注目。春日大社の監修のもとで開発した。

平城宮跡で10/3「庭の宴」天平衣装ファッションショー

平城宮跡で10/3「庭の宴」天平衣装ファッションショー

平城宮跡(奈良市)にある国の特別名勝「東院庭園」で10月3日午後6時半から、奈良時代の宴席を再現する「庭の宴」が開かれる。天平衣装のファッションショーや雅楽の演奏、古代食などが楽しめる企画で、主催する奈良文化財研究所が参加者を募集している。
このイベントは奈良文化財研究所が、史跡を活用し、当時の政治や暮らしを知ってもらおうと2年前から「観月会(かんげつえ)」と題して開催。今年は東院庭園が「楊梅宮」と呼ばれていた宝亀8(777)年に双頭のハスが咲いたという続日本紀の記述にちなみ、慶事を祝う宴席を再現する。唐楽などの演奏や研究員によるミニ講演があるほか、参加者には黒米と赤米の俵飯や古代のチーズ「蘇(そ)」など古代食も振る舞われる。
参加料は2500円。定員150人で応募多数の場合抽選となる。問い合わせは事務局(0742-30-6711)。

坂本龍馬「幻の愛刀」11月に86年ぶりに公開へ

坂本龍馬「幻の愛刀」11月に86年ぶりに公開へ

坂本龍馬がとくに愛した刀と伝えられ、昭和4年に東京で展示されて以来、行方が分からなくなっていた日本刀を、北海道在住の坂本家の関係者が保管していたことが9月16日分かった。高知県立坂本龍馬記念館(高知市)で11月、86年ぶりに公開される。
同記念館によると、見つかったのは刀身約52㌢の脇差し。備前長船(おさふね)の刀匠「勝光」「宗光」の名や「永正2(1505)年8月吉日」と年月が記され、室町時代末期につくられたとみられる。

人類の仲間 最古の新種 南アで化石15体分発見

人類の仲間 最古の新種 南アで化石15体分発見

南アフリカ・ウィットウォーターズランド大などの研究グループは、南アフリカの最大都市ヨハネスブルク近郊の洞窟で、現生人類を含むホモ属の新種とみられる15体分の化石が見つかったと、科学誌「イーライフ」で発表した。
いつの年代に生存していたかは不明だが、同大のリー・バーガー教授は英BBC放送に、ホモ属として最古のものの一つとみられ、人類とニ足歩行の霊長類との懸け橋になり得る存在だと述べており、進化の過程の解明に役立つ可能性がある。
ホモ属の新種に「星」を意味する現地の言葉を付けた「ホモ・ナレディ」と命名した。
グループは2013年10月に化石を発見した後、1550片の骨や歯を採集し研究。脳の大きさは原始的な猿人であるアウストラロピテクスと同じくらいだが、手足の骨格などは人類に似ているという。

太宰治が佐藤春夫に芥川賞の授賞を懇願する手紙発見

太宰治が佐藤春夫に芥川賞の授賞を懇願する手紙発見

作家、太宰治(1909~48年)が、当時芥川賞選考委員の一人であった作家の佐藤春夫(1892~1964年)に、芥川賞の授賞を懇願していた手紙が見つかった。
長さ4.1㍍に及ぶ巻紙には、毛筆で<第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます><佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい>などと書かれ、芥川賞を切望しながら受賞できなかった太宰が、佐藤に泣訴する様子が生々しく読み取れる。
第一級の資料が約80年間、人目に触れず保存されていたことに、専門家からは驚きの声が挙がっている。
佐藤の遺品を整理していた河野龍也・実践女子大准教授(日本近代文学)が発見、確認した。

世界遺産・韮山反射炉に落書き 一部にハングル文字

世界遺産・韮山反射炉に落書き 一部にハングル文字

「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、世界文化遺産に今夏登録された「韮山反射炉」(静岡県伊豆の国市中)に落書きされていたことが9月5日、明らかになった。黒の油性ボールペンかフェルトペンで書かれたとみられ、溶液で一部は消えたが、消せなかった部分もある。同市は対応を文化庁と競技する。
落書きされたのは石炭の灰が落ちる「灰穴」の壁面のレンガ2カ所。ともに縦横約40㌢の範囲に、全部で約20の名前らしい文字が書かれていた。判読できないものが多いが、うち1個はハングル、残りは漢字という。

飛鳥京跡苑池で新たな建物跡を確認 庭園の門か 明日香村

飛鳥京跡苑池で新たな建物跡を確認 庭園の門か 明日香村

奈良県立橿原考古学研究所は9月3日、天皇の宮殿にあった本格庭園の遺構とみられている「飛鳥京跡苑池(えんち)」(奈良県明日香村、7世紀)で新たな建物跡を確認したと発表した。南北二つの池を持っていた庭園の門だった可能性があるという。苑池は飛鳥京跡の中枢部・内郭の北西にあり、範囲は南北約280㍍、南西約100㍍に及ぶ。長方形の北池(54㍍×36㍍)、五角形の南池(55㍍×65㍍)があり、塀や雲のような形の島、水路、噴水などもこれまでに確認されている。
同研究所によると、今回の調査では苑池の東のヘリで5つの柱の柱穴が3列に並んだ遺構が見つかり、南北約10.8㍍、東西約5.4㍍の掘っ立て柱建物とみられる。また、柱の配置から法隆寺(奈良県斑鳩町)中門のように正面の中心に柱が立つ珍しい構造だったとみられる。

150年ぶりに春日大社本殿前に綱吉が奉納した銅製の灯籠

150年ぶりに春日大社本殿前に綱吉が奉納した銅製の灯籠

奈良市の世界遺産・春日大社で9月1日、江戸幕府の五代将軍・徳川綱吉が奉納した銅製の灯籠(高さ約60㌢)が約150年ぶりに本殿前につり下げられた。
正確には、館林藩主時代に寄進されたもので、徳川家の葵も紋も施されている。傷みが激しくなり、明治以降は宝物殿で保管していたが、社殿などを20年に1度改修する「式年造替(しきねんぞうたい)」に合わせて修理した。
境内には平安以降の灯籠が設置され、綱吉との強い絆で知られた母・桂昌院が奉納した灯籠もみられた。

天下取りへ「天王山を守る会」が9/1から登頂証明書

天下取りへ「天王山を守る会」が9/1から登頂証明書

豊臣秀吉が、「本能寺の変」で主君・織田信長を自決させ、短期間ながら天下人となっていた明智光秀を破った戦場、天王山(標高270.4㍍)の地元、京都府大山崎町の住民団体「天王山を守る会」が、「登頂証明書」を9月1日から発行する。
証明書ははがき大。「チャレンジ精神をほめたたえます。次に目指すは天下取り、天王山からいざ出陣」と記され、登山口の宝積寺など3カ所で100円で販売する。受験、就職などいま人生の節目にある人、この証明書を入手して、秀吉の天下取りにあやかってみては-。

半世紀超えるブルートレインの歴史に幕

半世紀超えるブルートレインの歴史に幕

寝台特急ブルートレイン「北斗星」の最終列車は8月22日、午後4時12分、多くの鉄道ファンに見守られながら、定刻通りJR札幌駅を発車、23日午前には終点の上野駅に到着し、引退する。こうして半世紀を超えるブルートレインの歴史に幕を閉じる。
ブルートレインは昭和33年に登場し、「北斗星」は63年にデビューした。今年3月に定期運行が終了。4月以降、臨時列車として上り下り、それぞれ週3日程度運行されていた。

100万冊そろえ10年ぶり「檸檬」の舞台復活 丸善京都

100万冊そろえ10年ぶり「檸檬」の舞台復活 丸善京都

梶井基次郎の小説「檸檬(れもん)」の舞台となり、2005年に閉店した書店「丸善京都河原町店」が8月21日、複合商業ビル「京都BAL」(京都市中京区)の開業に合わせ地下1、2階に「丸善京都本店」として10年ぶりに復活した。約3300平方㍍の売り場に、西日本最大級の約7万冊要所を含め、約100万冊をそろえている。
この日は、午前中から多くの来店客があった。同店スタッフは「昔の店を知る人にも、今回初めて訪れた人にも愛される書店にしたい」と意気込んでいた。営業時間は午前11時~午後9時。

古墳時代前期の祭祀集落跡見つかる 奈良・中西遺跡

古墳時代前期の祭祀集落跡見つかる 奈良・中西遺跡

奈良県立橿原考古学研究所は8月19日、同県御所市の中西遺跡で、古墳時代前期(4世紀前半)の竪穴建物群や区画溝が見つかったと発表した。隣接する秋津遺跡では祭殿とみられる大型建物群がすでに確認されている。両遺跡は少なくとも南北400㍍、東西200㍍に広がり、同時代では全国的に例がない計画的に建物を配置した祭祀(さいし)目的の大集落と分かった。
今回の調査では、今年4月から中西遺跡で約7550平方㍍を発掘。竪穴建物26棟のほか、建物の間に掘られた幅30㌢~1㍍の溝が出土した。一方、今回の調査地の北東の秋津遺跡では2010年までに塀で囲まれた四角形の区画が7カ所確認されている。最大の区画は南北50㍍、東西48㍍以上あり、内側に大型建物4棟が並んでいた。
秋津、中西両遺跡の建物群や区画溝は造られた方角がほぼ一致しており、両遺跡は計画的に建設された一体の集落で、大型建物群は祭祀地区、竪穴建物群は住居地区だったと判断した。両遺跡は初期ヤマト政権が本拠を置いたとされる纏向(まきむく)遺跡(同県桜井市)から南西約15㌔にあり、共通する様式の土器も出土していることなどから、同研究所では「初期ヤマト政権が直轄した集落の可能性がある。祭殿を中心とし、その周囲に祭祀に関わる人たちが棲んでいたのだろう」とみている。

古都の夜照らす夏の風物詩「五山の送り火」

古都の夜照らす夏の風物詩「五山の送り火」

古都の夏の風物詩「五山の送り火」が8月16日、京都市街地を囲む山々で行われた。市内を流れる鴨川の橋の上やビルの屋上には家族連れら大勢の見物客が集まり、古都の夜を照らす一大イベントを見守った。
午後8時、東山の如意ヶ嶽で一画が最長約160㍍の「大」の字が燃え上がり、続けて「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」も5分おきに点火。最初は判然としなかった文字の輪郭が徐々にはっきりしていくと、見物客から歓声が上がった。
京都府警によると、今年の人出は大雨に見舞われた昨年より約2万人多い約6万人に上った。

薬師寺東塔基壇から地鎮供養の「和同開珎」出土

薬師寺東塔基壇から地鎮供養の「和同開珎」出土

解体修理が行われている奈良市の国宝・薬師寺東塔の調査で、同寺などは8月17日、奈良時代に流通した貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」4枚が土台下から出土したと発表した。730年とされる創建時に地鎮目的でまかれたと考えられ、調査した奈良文化財研究所と橿原考古学研究所は「広く流通する通貨を地鎮供養でまいた最古の例」としている。
和同開珎は、塔を貫く心柱(しんばしら)を支える石「心礎」の東側1.3㍍、土台部分の基壇表面から1.7㍍下で見つかった。基壇下は穴に土を埋めて固める工法「掘込地業(ほりこみちぎょう)」で造られ、貨幣は穴の底の辺りで見つかった。長さ20㌢、幅30㌢の範囲に散らばった4枚のうち2枚は完全な形で、残りも一部が腐食しているが状態は良かった。赤銅色に輝き摩耗も少ないものもあり、新しい貨幣をまいたらしい。
地鎮供養で貨幣を地面にまいた例として、奈良県明日香村・川原寺塔跡(7世紀後半)で無文銀銭が見つかっているが、広く流通した貨幣がまかれたのは、これまで8世紀後半以降だった。和同開珎を容器に入れた例は、8世紀前半の法隆寺で確認されている。

秀吉へ 2度目の遅参で焦る政宗の心情映す自筆書状発見

秀吉へ 2度目の遅参で焦る政宗の心情映す自筆書状発見

1590年、天下統一を前にした豊臣秀吉が関東と東北地方の大名を宇都宮城に集めた「関東・奥羽仕置」に伊達政宗が遅参した際の、事情を記した自筆書状が発見された。栃木県立博物館が8月13日発表した。
当時、政宗が居城としていた米沢城(現在の山形県)を出発してから宇都宮までの行動も明らかになった。専門家は「小田原攻めに続いて、2度目の遅参に焦る政宗の様子を伝える内容」と評価している。
書状の日付は天正18年(1590年)7月27日の「戌(いぬ)刻」(午後8時)。7月23日に米沢城を発ったが、人馬の疲弊などで宇都宮への到着が遅れていることを説明。26日の秀吉の到着に間に合わなかったことを「覚悟のほかに候」(予想外でした)とし、「今夜に打ち立ち候いて、明日は四ころに参るべく候」(今夜には出発し、明日午後10時ごろまでに参上できると思います)と、徹夜で向かうとしている。宛先は不明だが、秀吉に近い人物に状況を伝えたとみられる。
当時、政宗は、秀吉が北条氏を破った小田原攻めに遅れて同年6月5日に参戦し、所領の一部没収を言い渡されていたとされる。2度目の遅参で、7月28日に宇都宮城に着いた政宗は秀吉と対面し、取り潰しを免れ、その後会津に向かった。

淡路の銅鐸にひも「つり下げ鳴らした」国内初の発見

淡路の銅鐸にひも「つり下げ鳴らした」国内初の発見

兵庫県教育委員会、南あわじ市教育委員会(淡路島)、奈良文化財研究所(奈良市)は8月12日、南あわじ市の石材加工業者の砂山で発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)について、銅鐸の取っ手と、内部で音を鳴らす棒状の舌(ぜつ)に、植物性のひもが付着し、痕跡も見つかったと発表した。いずれも国内初の発見で、奈文研は「銅鐸を、ひもでつり下げて鳴らしていたことを示す極めて重要な発見」としている。
発見された銅鐸7個のうち、内側に一回り小さい銅鐸をはめた「入れ子」状態の1組2個について、内部に詰まっていた砂を取り出して調べた。その結果、外側の銅鐸の紐(ちゅう)と呼ばれる取っ手部分から、太さ約2㍉のひもの一部と、繊維の凹凸がさびになるなどの痕跡が4カ所見つかった。舌の穴には太さ約5㍉のひもの結び目も残っていた。内側の銅鐸の取っ手にも、ひもの繊維と痕跡が確認され、舌の穴には太さ約4㍉のひもが付いていた。

9/6高野山で徳川・真田現当主が対談 大坂夏の陣400年

9/6高野山で徳川・真田現当主が対談 大坂夏の陣400年

1615年の「大坂夏の陣」から400年を迎える今年、激戦を繰り広げた徳川家と真田家の現当主の対談を含むバスツアーが、開創1200年を迎えた高野山で実施される。
ツアーは9月6日に大阪市内からバスで出発。高野山霊宝館の山陰加春夫副館長の歴史トーク、徳川・真田両家現当主対談、高野山奥の院散策などがある。出発は午前8時、解散は午後8時、定員800人。料金は1万1500円。JTB西日本が主催し、高野山金剛峰寺の協力で実現した。

長崎の海底で旧日本海軍の先進の潜水艦発見

長崎の海底で旧日本海軍の先進の潜水艦発見

海上保安庁は8月7日、長崎県・五島列島の東南東約35㌔の海底で旧日本海軍の潜水艦とみられる24隻の船影を発見したと発表した。この海域では、終戦後の1946年4月、当時世界最大の潜水艦だった「伊402」(全長約120㍍、水中排気量約6600cc)など24隻が処分のため米軍に撃沈されたとの記録があり、船影の大きさや形状と合致するという。
爆撃機を3機格納できる、当時世界最大級の潜水艦(「伊402」)の開発は、連合艦隊の司令長官、山本五十六の発案とされ、米国本土への攻撃に使用する計画があったという。だが、不運にも出撃することなく終戦を迎え、戦後処分された。

長崎・対馬市で3年ぶり「朝鮮通信使行列」

長崎・対馬市で3年ぶり「朝鮮通信使行列」

江戸時代に朝鮮王朝が来日した外交使節団を再現する日韓交流イベント「朝鮮通信使行列」が8月2日、長崎県対馬市で3年ぶりに開催された。
韓国からの参加者約40人を含む計約300人が、通信使や武士の衣装を身に着け練り歩き、伝統舞踊なども披露した。
2012年、市内の寺社から盗まれた仏像を韓国側が返還しなかった問題などを受けて、この間イベントは中止されていた。

室生寺で仏像2体発見 四天王の一部は平安期作か

室生寺で仏像2体発見 四天王の一部は平安期作か

室生寺(奈良県宇陀市)で、7月31日までに木彫りの仏像2体が見つかった。四天王像のうちの持国天と増長天で、寺は奈良国立博物館に依頼して詳しく調査する。同館では「様式などから平安時代の作とみられる」としている。
2体は境内の仁王門の2階内部で見つかった。いずれも台座を含め高さ約160㌢、左右の両手先部分が欠けていた。室生寺は明治初期の廃仏毀釈で、多くの仏像が散逸した。
四天王は仏法の守護神とされ、他に広目天、多聞天を合わせて通常は4体(四天王)からなる。

終戦時の玉音放送の原盤を初公開 声高く明瞭

終戦時の玉音放送の原盤を初公開  声高く明瞭
8月15日、太平洋戦争の終結から70周年をを迎えるのを前に、宮内庁は8月1日付で1945年に昭和天皇がラジオで終戦の詔書を読み上げた玉音放送について、原盤レコードの音声を初めて公開した。報道機関には原盤の撮影も認めた。
これまでテレビ番組などで放送された音声は、いずれも複製。これに比べ原盤はテンポが速く、録音時間が10秒ほど短い4分30秒だった。声が高く明瞭な他、抑揚なども昭和天皇の肉声に近いことが、宮内庁が今回に合わせて行った調査で判明した。

青森・八戸沖海底で太古の生態系 微生物群を確認

青森・八戸沖海底で太古の生態系 微生物群を確認

海洋研究開発機構の研究チームはこのほど、米科学誌サイエンス電子版に、青森県・八戸沖の海底で、石炭層を含む2000万年以上前の深い地層に、森林土壌にいるのと似た微生物群が生息しているのを確認したと発表した。
これは同チームが地球深部探査船「ちきゅう」で掘削調査した結果、分かったもの。かつて森や湿原だった陸地が、日本列島の形成過程で海底に沈みこんだ後も、太古の生態系の一部を保っている「海底下の森」の存在を示すものだという。

10/24から「第67回正倉院展」宝物12件が初出品

10/24から「第67回正倉院展」宝物12件が初出品

奈良国立博物館(奈良市)は7月29日、「第67回正倉院展」を10月24~11月9日の17日間の日程で開催すると発表した。正倉院宝物63件を展示。うち12件は初出品となる。展示されるのは、聖武天皇の遺愛品を記した目録「国家珍宝帳」の筆頭に掲げられる「七条褐色紬袈裟(しちじょうかっしょくのつむぎのけさ)」など。石製の横笛や尺八、背面の花の文様が美しい「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」などの楽器も含まれる。

「宗像・沖ノ島」17年世界遺産推薦へ 文化審議会

「宗像・沖ノ島」17年世界遺産推薦へ 文化審議会

文化審議会は7月28日、2017年の世界文化遺産登録を目指す候補として、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を選んだ。2016年2月1日までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、17年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける。
沖ノ島(宗像大社沖津宮)は、九州と朝鮮半島の中間にあり、4~9世紀に大陸との交流の成就を祈る国家的祭祀(さいし)が行われた。朝鮮半島製の金製指輪や中東のペルシャからもたらされたカットグラスの破片など約8万店の出土品が国宝に指定され、「海の正倉院」とも呼ばれる。
地元自治体では、いまも女人禁制などが禁忌(タブ-)が守られており、島を信仰の対象とする伝統が継承されている世界でもまれな例–としている。

島根県・円福寺の観音菩薩は中国地方最古の仏像

島根県・円福寺の観音菩薩は中国地方最古の仏像

島根県芸術文化センターは7月24日、同県大田市の円福寺の木造観音菩薩立像(高さ42㌢)は奈良時代(8世紀)の制作で、中国地方最古の仏像と分かったと発表した。
仏像は円福寺の秘仏だが、由来は不明という。頭と体は針葉樹のカヤが使われ、高く結われた髪形や仏像の大きさ、表情などが、唐招提寺(奈良市)の奈良時代の仏像と似ていることから制作年代を判断した。

祇園祭・後祭は晴天の下、華やかに 辻回しに歓声

祇園祭・後祭は晴天の下、華やかに 辻回しに歓声

京都・祇園祭の後祭(あとまつり)のハイライト、山鉾巡行が7月24日、京都市内であった。17日の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が、台風襲来で挙行が危ぶまれるほどの風雨交じりの中で行われただけに、関係者、見物客らの間では当日の空模様にも関心が集まっていた。
久々に晴れ上がった真夏の、うだるような暑さが戻った都大路を、華やかな懸装品(けんそうひん)で飾られた10基の山鉾が、ゆったりと進んだ。交差点では十数㌧の鉾の向きを90度変える豪快な「辻(つじ)回し」が披露されると、その勇壮な姿に、沿道に集まった見物客からは歓声が上がっていた。後祭の山鉾巡行は昨年、49年ぶりに復活した。