歌麿 水墨の美人画「花魁と禿図」肉筆画見つかる

歌麿 水墨の美人画「花魁と禿図」肉筆画見つかる

福岡市美術館は7月22日、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿(1753年ごろ~1806年)が墨一色で花魁(おいらん)らを描いた肉筆画が見つかったと発表した。墨だけで描いた歌麿の美人画が確認されたのは初めてで、花魁を真正面から描いた作品も極めて珍しいという。
今回見つかった美人画は「花魁と禿(かむろ)図」で、縦117.6㌢、横46.3㌢。正面から捉えた花魁と、その世話をする「禿」の後姿を墨の濃淡や線の強弱で、立体感を持たせて描いている。江戸時代の戯作者、山東京伝の賛文が記されている。寛政2~5年(1790~93年)ごろに描かれ歌麿が円熟期を迎える前の作品とみられる。
歌麿の肉筆画はこれまで約50点が知られているが、美人画の多くは鮮やかな彩色で描かれている。また、花魁の姿を斜めでなく、真正面から描いている点珍しい。

血赤の芝居絵屏風に魅入る客 高知・香南市で絵金祭り

血赤の芝居絵屏風に魅入る客 高知・香南市で絵金祭り

「血赤」と呼ばれる鮮やかな色使いで知られる江戸時代の絵師・金蔵(1812~76年、通称・絵金=えきん)の屏風絵が商店街の軒先に並ぶ「絵金祭り」が7月18~19日、高知県香南市で行われた。店の前に並べられたのは歌舞伎や浄瑠璃を題材とした芝居絵図。血のような赤と苦しむ表情の人々の姿が、ろうそくの炎で浮かび上がり、一瞬異様な世界にタイムスリップしたように魅入っていた。
絵師・金蔵は、もとは土佐藩家老桐間家の御用を務める狩野派の絵師だったが、贋作事件に巻き込まれて城下追放となった。絵金祭りは昭和52年に現在の香南市商工会青年部の発議で始まり、今回で39回を数えた。保存されている芝居絵屏風23点は高知県保存有形文化財に指定されている。

大阪で700人が参加し「北前船寄港地フォーラム」

大阪で700人が参加し「北前船寄港地フォーラム」

江戸時代、北海道(当時は蝦夷地)と日本海側の各地を経由し、天下の台所・大阪(当時は大坂)を結んだ北前船。その北前船の寄港地だった都市が連携し、その航路を広域観光ルートに生かそうと、第16回「北前船寄港地フォーラム in 大阪」が7月17日、大阪市都島区の太閤園で開かれた。
今回は関西・大阪21世紀協会が主催。開催地代表としてあいさつした堀井良殷(よしたね)理事長は、「天下の台所といわれた大坂の基礎を築いたのは船、開運。とりわけ北前船の役割は大きかった。改めて北前船の文化、都市のつながりを未来に生かしたい」などと語った。催しには各地の首長、経済人ら約700人が集まる盛況ぶりだった。
北前船寄港地は江差、松前、箱館、根室、厚岸、釧路、様似、門別、青森、十三湊、鯵ヶ沢、能代、本荘、酒田、出雲崎、佐渡、柏崎、新潟、直江津、但馬、山口など。

 

京大 吉田松陰の志伝える「尊攘堂」石標 元の位置に

京大 吉田松陰の志伝える「尊攘堂」石標 元の位置に

幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の遺志を継ごうと明治時代に京都大学(京都市左京区)の構内に建てられた「尊攘堂(そんじょうどう)」。その名称を刻む石標は、第二次世界大戦の終戦直後、マッカーサーの連合軍総司令部(GHQ)の目に触れることを恐れて、隠されたとみられ、所在不明になった。
だが、大学構内で見つかり2014年末に尊攘堂の脇に戻された。折から今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」に取り上げられたこともあって、松陰の志を伝える歴史遺産として脚光を浴びている。
尊攘堂は明治36年建設。京大吉田キャンパスの時計台西側にある洋風建築で、現在は文化財総合研究センターの資料展示室として使われている。平成10年、国の登録有形文化財になった。石標は高さ約130㌢、幅約25㌢で、昭和15年に皇紀2600年を記念して設置された。

黒田清輝の油彩画「秋の清水寺」90年ぶりに確認

黒田清輝の油彩画「秋の清水寺」90年ぶりに確認

近代洋画壇の重鎮、黒田清輝(1866~1924年)が若いころに、京都を訪れて描いたとみられる油彩画「秋の清水寺」が7月18日、シンワアートオークションが東京・銀座で開いた競売に出品され、落札予想価格の上限の2倍以上となる580万円で落札された。
同社によると、「秋の清水寺」は1925年に発表された黒田の作品全集に図版が掲載された後、展覧会などに出品された記録はなく、90年ぶりに存在が確認された。作品は縦45㌢、横32.2㌢。緑の山を背景に、小さな建物や、ところどころ赤や黄色に色づいた木々が描かれている。

祇園祭・前祭の山鉾巡行 台風襲来の中、そろり挙行

祇園祭・前祭の山鉾巡行 台風襲来の中、そろり挙行

日本三大祭りの一つ、京都・祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が7月17日、台風11号の影響が懸念される中、挙行された。今回は、異例のことになるが最悪、中止・順延を含め、17日午前4時から祇園祭山鉾連合会の理事らが協議、実施を決定した。山鉾の屋根に乗る際には命綱を着用するなどの安全基準を設け、実施に踏み切った。
断続的な風雨に見舞われたが、23基の山鉾が例年以上に慎重に都大路を進んだ。各山鉾を飾る懸装品は雨除けのシートで覆われた状態で、例年の華やかさには欠けたが、交差点で重さ十数㌧の鉾が豪快に方向転換する「辻回し」が披露されると、沿道から大きな歓声が上がっていた。24日には後祭(あとまつり)の山鉾巡行がある。

日本に大型ティラノサウルス?長崎で歯の化石発見

日本に大型ティラノサウルス?長崎で歯の化石発見

福井県立恐竜博物館(同県勝山市)と長崎市は7月14日、長崎市の長崎半島西海岸に分布する白亜紀後期(約8100万年前)の地層「三ツ瀬層」から、ティラノサウルス科の獣脚類(肉食恐竜)の大型種のものとみられる歯の化石2点が見つかったと発表した。
歯の大きさから体長は10㍍前後と推測される。ティラノサウルス科の大型種の化石は北米やアジアで多数見つかっているが、国内では初めてという。
恐竜博物館によると、長崎市との共同調査で2014年5月に発見した。1点は先端から歯根部の長さが8.2㌢、歯冠基部(根元)は最大幅が3.8㌢、厚さが2.7㌢。保存状態が良く、水平断面は膨らみのある楕円形。もう1点は欠損や変形があるが、いずれも獣脚類の特徴であるノコギリのような突起「鋸歯(きょし)」や「血道(けつどう)」と呼ばれる溝があった。2点の発見場所は約1㍍しか離れていなかったが、同じ個体のものかは不明。

飛鳥・奈良期の出雲氏屋敷跡?京都・上京遺跡から出土

飛鳥・奈良期の出雲氏屋敷跡?京都・上京遺跡から出土

飛鳥時代から奈良時代にかけて京都北部の賀茂川西岸で勢力を誇った出雲氏の屋敷跡とみられる建物跡が、京都市の上京遺跡から出土したことが7月11日、分かった。出雲氏にまつわる本格的な建物跡が複数見つかるのは珍しく、調査を行った民間の発掘団体「古代文化調査会」は遷都以前の京都の歴史知る上で貴重な資料になるとみている。
調査地は京都市上京区にある上御霊(かみごりょう)神社北西隣のマンション建設予定地、約300平方㍍を調べた結果、北西隣と南東隣から一辺約60~70㌢の方形の柱穴が計5カ所出土した。ともに出土した土器などから出雲氏が全盛を誇った7世紀後半に建てられたとみている。
出雲氏は弥生時代に島根県の出雲地方から移住してきたとされ、これまで同神社の境内などから、出雲氏が創建した氏寺・出雲寺のものとされる奈良時代前期の瓦片が多数出土している。出雲氏は奈良時代には、長屋王の夫人の従者として仕えた「安麻呂」や、多くの農民を従えていた「真足(またり)」らを輩出している。

川端康成、三島由紀夫らの舟橋聖一宛て未公開書簡発見

川端康成、 三島由紀夫らの舟橋聖一宛て未公開書簡発見

作家の舟橋聖一宛てに川端康成や三島由紀夫らが送った未公開書簡約1000通が、舟橋聖一記念文庫(滋賀県彦根市)や東京新宿区の自宅でに見つかっていたことが7月10日までに分かった。今回見つかった書簡の中には、作家仲間だけでなく、中曽根康弘元首相や十一代市川團十郎といった政治家、役者のものもあり、舟橋の交友の広さがうかがわれる。

秀吉「木下」姓最後?の文書 兵庫県豊岡市で発見

秀吉「木下」姓最後?の文書  兵庫県豊岡市で発見

兵庫県豊岡市教育委員会は7月11日までに豊臣秀吉が、木下姓で出した文書を発見したと明らかにした。これまでに見つかった木下姓での文書の中でも最も後の時期のもので、羽柴姓への改姓時期が絞られた。
同市教委によると、「木下藤吉郎秀吉」と名乗っていたが、秀吉が「羽柴姓」に改姓した時期は分かっていない。今回の文書は元亀4年(1573年)5月24日付で、これまで木下姓での最後の文書は、元亀3年12月に出されたものだった。
現存する史料では、元亀4年7月20日には羽柴姓を名乗っている。したがって、今回の発見により木下姓から羽柴姓への改姓時期を、元亀4年5月20日~同年7月20日に絞ることができるという。

幕末と世界史のうねり 司馬遼太郎記念学術講演会

幕末と世界史のうねり 司馬遼太郎記念学術講演会

作家、司馬遼太郎さんの業績をしのび、日本人と日本の文化について考える「司馬遼太郎記念学術講演会」が7月11日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれ、法政大学総長の田中優子氏と東京大学名誉教授の山内昌之氏が「幕末への道~世界史のうねりと日本の知性」をテーマに、講演と対談を行った。
田中氏は、江戸時代はインドなどから伝来した技術をもとに日本独自の産業を発展させ、遠近法や印刷術も発達させた」などと述べ、江戸時代をグローバリゼーションの時代と位置付けた。
山内氏は、幕末は迫りくる欧米やロシアからいかに国を守り、近代化や産業化を図っていくかが課題だった」と指摘。薩摩藩などが半独立国家として自ら産業育成や改革に取り組んだことに触れ、「先人の知恵に学ぼう」と述べた。対談では、秋田蘭画や浮世絵の話でも盛り上がった。

正岡子規の未発表句 今治市で見つかる

正岡子規の未発表句  今治市で見つかる

俳人、正岡子規(1867~1902年)の未発表とみられる俳句が書かれた短冊が、愛媛県今治市で見つかったことが分かった。同市の俳人、阿部里雪(1893~1973年)宅に調査に訪れた地元の研究団体、松山子規会の関係者らが発見した。
未発表作とみられるのは「湯の町の門を閉たる餘寒(よかん)哉」で、署名は子規の幼名「升(のぼる)」。改装前の道後温泉本館が寂しげな雰囲気だったのを、立春後の寒い春の気配を表す季語「餘寒」を使って詠んだ句という。

国内最古の埋め立て港か 琵琶湖北端 塩津港遺跡

国内最古の埋め立て港か 琵琶湖北端 塩津港遺跡

滋賀県文化財保護協会は7月9日、琵琶湖北端にある塩津港遺跡(滋賀県長浜市)が、12世紀の「埋め立て港」と確認したと発表した。当時の港の多くは、自然の地形を利用しており、埋め立て港としては希少で国内最古とみられる。
塩津港は北陸の物資を京都に運ぶ中継地として栄え、万葉集にも詠まれている。これまで平安時代の神社跡などが見つかっていたが、港の具体的な様子などは不明だった。
今回、船が着岸するための「コ」の字形の垂直護岸(高さ1㍍、全長20㍍)、桟橋(幅1.2㍍、取り付け部分60㌢)、水路(幅2㍍、長さ3㍍)などを確認。湖だった場所を1.5㍍かさ上げし、埋め立てで湖岸が27㍍以上せり出していた。工事は12世紀前半に始まったらしく、約60年間で7回以上の改良工事を確認した。
当時は最新鋭だった板造りの船で使われた長さ約15㌢の船くぎ、高価だった鉄製の鍋や五徳、石製すずりや物差しなども見つかり、当時の仕事の様子や港の繁栄ぶりがうかがわれるという。港は水位上昇で14世紀末ごろに水没した後、約2㌔北に造成し直したとみられる。同協会では「当時の物流、土木工学史を知るうえで重要な遺跡だ」としている。

東大寺 東塔復元視野に発掘調査 七重塔蘇るか

東大寺  東塔復元視野に発掘調査  七重塔蘇るか

奈良・東大寺は7月7日、中世の戦火や落雷で失われた東塔跡(国史跡)の発掘調査を7月から始めると発表した。2年後に西塔跡(同)でも調査に着手。将来的には、近くに建物などがない東塔の復元も視野に入れたいという。
東西両塔は奈良時代、大仏殿の東南と南西にそれぞれ建てられた。七重塔で、高さは70㍍とも100㍍とも伝えられる。西塔は934年に落雷で失われた。東塔は1180年に平重衡(しげひら)による兵火で焼失し、その後再建されたが、1362年に落雷で再び焼け落ち、現在基礎部分だけが残っている。
発掘調査は7月中旬ごろから東塔跡で始め、西塔跡は2017年に開始。2021年から東塔の基壇整備に入りたいとしている。

ナスカ市街地近郊で「リャマ」地上絵24個発見 山形大

ナスカ市街地近郊で「リャマ」地上絵24個発見 山形大

山形大学は7月7日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られる南米ペルーのナスカ市街地近郊で、ラクダ科の「リャマ」とみられる動物の地上絵24個を新たに発見したと発表した。昨年発表した17個と合わせ計41個の「リャマ」の地上絵が、居住地近くに集中していたことが判明したとしている。2014年12月から15年2月にかけての現地調査で、ナスカ市街地から約1.5㌔北にある丘など直径約1㌔の範囲内で見つかった。

「明治日本の産業革命遺産」やっと世界遺産登録決定

「明治日本の産業革命遺産」やっと世界遺産登録決定

ドイツのボンで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は7月5日、日本が世界文化遺産に推薦する「明治日本の産業革命遺産」について審議し、登録することを決定した。
韓国政府は、日本政府が推薦した産業革命遺産の23施設のうち7施設に、戦時中、朝鮮半島出身者約5万8000人が徴用されたとして登録に反対。一方、日本は1850年代から1910年代までが遺産の対象年代で、時代が異なる」と反論し、主張は平行線をたどっていた。
6月21日の日韓外相会談で、互いの推薦案件の登録に向け相互協力することで合意し、緊張はほぐれたかに思われた。だが、日本が意図する、先人たちが極めて短い期間に達成、実現した明治産業革命遺産の顕彰に、真っ向から政治を持ち込んだ形で韓国が強く抵抗、結果的に韓国側の意図するテーブルに乗せられ、徴用をどう説明するかで、協議は想定外に長引いた。

万里の長城 明代の城壁の1/3が消失 盗難・風化で

万里の長城  明代の城壁の1/3が消失  盗難・風化で

中国の世界文化遺産として知られる「万里の長城」の明代(1368~1644年)に築かれた城壁の約3割が盗難・風化などで焼失していたことが分かった。中国メディアが7月3日までに報じた。抜き取られたレンガが30元(約600円)で販売されているケースなどもみられ、保護対策を求める声が挙がっている。
万里の長城は、別の時代に築かれた部分も含めると総延長は約2万1200㌔㍍。報道によると、「中国長城学会」が調査した結果、明代に築かれた約6260㌔㍍のうち、約1960㌔㍍が消失していた。管理が行き届いておらず、保存状態が比較的良好だったのは、わずか8%の約514㌔㍍にとどまったという。河北省の村では、この長城のレンガで家屋を建設しているケースもあるとしている。

坂本家子孫 勝海舟の書など龍馬記念館に史料寄贈

坂本家子孫 勝海舟の書など龍馬記念館に史料寄贈

坂本龍馬に関する数多くの史料を、北海道で保存してきた坂本家の子孫が、数百点を高知市の県立坂本龍馬記念館に寄贈、寄託していたことが分かった。
これらの史料の中には、勝海舟が龍馬没後15年に、龍馬の甥、直に宛てた「(龍馬との)思い出が色あせることはない」との内容を記した書や、日露戦争(1904~05年)を率いた東郷平八郎の言葉が入った龍馬の肖像画もある。
坂本家から公的機関への多数の寄贈は1931年以来となる。

平城京跡で出土の木簡に「皇」「太子」の文字

平城京跡で出土の木簡に「皇」「太子」の文字

奈良文化財研究所 の調査によると、奈良市の平城京跡で出土した木簡の削りくず2点に「皇」「太子」と読める文字があることが分かった。2点は同じ木簡の表面を削ったとみられ「皇太子」と記す木簡が見つかったのは初めて。
出土場所は、聖武天皇の母方の祖父、藤原不比等(659~720年)の邸宅跡に近く、皇太子とは即位前の聖武天皇を指すとみられる。2点は不比等邸跡に創建された法華寺南側の溝から2014年に出土。1点は長さ約5㌢、幅約2㌢で「皇」の一部などが残る。もう1点は長さ約2.5㌢、幅1㌢「太子」の文字の一部があった。2点は木目が酷似し、同一の木簡にひと続きで「皇太子」と書かれていた可能性が高いという。当時、木簡は表面を削って再利用していた。
同じ溝からは「養老七年」(723年)や「神亀元年」(724年)の年号、従者を指す「舎人(とねり)」の文字などを記した木簡も出土している。

香川の7世紀古墳からササン朝ペルシャ産ガラス玉出土

香川の7世紀古墳からササン朝ペルシャ産ガラス玉出土

香川県まんのう町教育委員会は6月30日、町内の古墳から出土したモザイク模様のガラス玉(直径1.45㌢)が、奈良文化財研究所の調査で西アジアのササン朝ペルシャ(226~651年)産と判明したと発表した。当時、盛んに交易が行われていたことを示す史料とみている。
同町教委によると、ガラス玉は同町羽間の「安造田(あそだ)東三号墳」(7世紀初頭)から1990年に出土した。古墳は直径約12㍍、高さ約3.5㍍の円墳で、香川県内では中規模クラス。被埋葬者は当時、この地域を支配していた上層階級の人物とされる。西アジア産のガラス玉は、国内では他に宮城県で出土例があるのみで珍しいという。

白亜紀前期の恐竜 新種の卵殻化石 兵庫県丹波市

白亜紀前期の恐竜 新種の卵殻化石 兵庫県丹波市

兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)は6月29日、同県丹波市の白亜紀前期の約1億1000万年前の地層から発掘した恐竜の卵殻の化石が新種と判明し、「ニッポノウーリサス・ラモーサス」と命名したと発表した。恐竜の卵としては世界最小級という。6月29日付の国際学術雑誌「クリティシャス・リサーチ」(電子版)に論文が掲載された。
博物館は、2007年から丹波市山南町の「篠山層群」と呼ばれる地層で恐竜化石の発掘調査を進め、1㌢から数㍉の大きさの卵の殻の化石約90点を発見。このうち約70点は5種類の恐竜の卵で、うち1種は新種認められた。新種とされる卵殻は8片あり、大きさは最大約7㍉、厚みは約0.4㍉。

小堀遠州作の茶室「擁翠亭」140年ぶりに復元

小堀遠州作の茶室「擁翠亭」140年ぶりに復元

茶人で建築・造園家としても知られる小堀遠州(1579~1647年)作の茶室「擁翠(ようすい)亭」が京都市北区の古田織部美術館の庭園に約140年ぶりに復元された。
擁翠亭は遠州が京の金工師、後藤覚乗(かくじょう)の依頼で建てた入母屋造りの茶室。のちに洛西の寺に移築され、明治元年の廃寺に伴い解体された。建材は京都市内の数寄屋大工の倉庫で保管されていた。15年前に図面とともに見つかり、今回復元された。13の窓を持つことから「十三窓席(じゅうさんそうのせき)」とも呼ばれ、明るく優美で開放的なことが最大の特徴。

淡路島で出土の「入れ子」の銅鐸の内部に舌 全国初

淡路島で出土の「入れ子」の銅鐸の内部に舌 全国初

兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材加工業者の砂山で、4月に発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)7個のうち、内側に一回り小さい銅鐸をはめた「入れ子」状態の2組4個について、兵庫県教育委員会は6月26日、コンピューター断層撮影装置(CT)による解析結果を発表した。4個いずれも内部に音を鳴らす青銅製の舌(ぜつ)が1本ずつあることが確認された。銅鐸に舌を内蔵した状態で見つかったのは全国で初めて。
過去の出土例と異なり、舌を外さず、ひもで吊るして音を鳴らす使用状態のまま埋められたとみられる。ひもは見つかっていない。いずれも弥生時代前期末~中期初め(紀元前3~前2世紀)の古い型式。舌はすでに3本見つかっており、7個すべてが舌を伴っていたことになる。
過去に全国で出土した520個以上の銅鐸のうち、舌と一緒に見つかったのは2例3個のみで、舌は外して埋めると考えられていた。
奈良県文化財研究所では「銅鐸埋納ではこれまで約束事として舌を外していた。音を出す祭器として機能を奪う意味があったのだろうが、今回は違った。地域色ではないか。埋めたのは河内や大和、摂津などの畿内集団ではなく、南あわじ市周辺の地域勢力だった可能性が高い」とみている。

岩手で旧制中学の「ミライの賢治」描いた直筆ノート

岩手で旧制中学の「ミライの賢治」描いた直筆ノート

岩手県出身の童話作家、宮沢賢治(1896~1933年)と交流のあった旧制中学時代の先輩の実家から見つかったノートが、筆跡の鑑定の結果、賢治の直筆のものだったことが分かった。地元研究グループの「矢巾町 宮沢賢治を語る会」が発表した。
ノートは2001年、賢治の1学年先輩で、同県矢巾町にある藤原健次郎さんの実家の蔵で発見された。計算式や英文のほか、「ミライの賢治」と書かれた落書きがあり、オルガンを弾いたり、勲章を付けた軍人姿の賢治が描かれている。また、「南無妙法」との書き記しもあり、賢治がこの時期から仏教思想を意識していたことをうかがわせる。藤原さんと賢治は学校の宿舎が同室で、一緒に山に登るなど、親交が深かったという。

加賀・前田家の屋敷跡か 伏見城下で巨大礎石穴

加賀・前田家の屋敷跡か 伏見城下で巨大礎石穴

京都市文化財保護課は6月23日、豊臣秀吉が建てた伏見城(京都市伏見区)の大名屋敷があったとされる区域から、礎石を据えるための巨大な穴が7カ所見つかったと発表した。穴の大きさは直径約1.7~2㍍で、深さ2.3㍍以上のものもあり、城下で最大級だった。
江戸時代の絵図から加賀百万石を築いた前田家の屋敷跡とみられ、豊臣政権で要職に就いた前田家の権威を物語る遺構という。同課によると、穴の中は直径2~3㌢の小石の層と粘土層を交互に積み上げながら、細い棒で突き固めて礎石や建物が沈み込まないように地盤改良していた。

記憶遺産候補に伊能忠敬作製地図、信長公記など応募

記憶遺産候補に伊能忠敬作製地図、信長公記など応募

文部科学省は6月23日、2017年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産への登録を目指す候補として、全国から16件の応募があったと発表した。千葉県香取市が保有する伊能忠敬作製の地図や、織田信長の家臣が書き残し、京都市の神社に伝わる「信長公記」、第二次世界大戦中に「命のビザ(査証)」で数多くのユダヤ人を救った外交官・故杉原千畝氏の関連資料(岐阜県八百津町)、特攻隊員の遺書や手紙(鹿児島県南九州市)などの応募も寄せられた。
日本ユネスコ国内委員会の19日までの公募に対し、地方自治体や史料を保有する寺社などが申請した。同国内委は有識者会議を開いて9月に2件を選び、2016年3月にユネスコに推薦。17年夏ごろにユネスコが審査し、登録の可否を決める。

高山右近「福者」に バチカンが認定手続き開始

高山右近「福者」に   バチカンが認定手続き開始

安土桃山時代のキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)が近く、キリスト教カトリックで最高位の「聖人」に次ぐ「福者」に認定される見通しとなった。バチカン(ローマ法王庁)の神学審査委員会が6月18日、認定手続きを進めることを了承した。
今後、高位聖職者である枢機卿の会議を経て、フランシスコ・ローマ法王が承認する。発表は2015年末~16年1月になる見込み。「列福式」は16年中に日本で開催される予定だ。法王は列福式に「可能なら行きたい」と述べたという。15年は右近の没後400年にあたり、日本司教団や関係地方自治体などが働きかけてきた。
右近は12歳の時に洗礼を受け、、高槻城主となって織田信長や豊臣秀吉に仕えた。「バテレン追放令」を出した秀吉に棄教を迫られたが、当時、右近と同様キリシタン大名といわれたすべての有力大名、武将が棄教、改宗した中で、彼はこれを拒否。信仰の前にすべてを棄て、最終的に徳川家康による国外追放令を受けてフィリピン・マニラに渡り、現地で死亡した。カトリックでは、迫害下に信仰を死守した殉教者を崇敬している。

弥生時代の集落近くに水田、墓地 高槻・安満遺跡

弥生時代の集落近くに水田、墓地    高槻・安満遺跡

大阪府高槻市教育委員会は6月19日、弥生時代の環濠集落「安満遺跡」(同市八丁畷町)で、弥生前期(約2500年前)の大規模な水田跡(約9000平方㍍)と遺体の埋葬に用いたとみられる土器棺や木棺墓跡が見つかったと発表した。
以前の調査で建物跡が見つかっており、広大な水田跡が一体となって確認されたのは珍しいという。遺跡公園の予定地1万5000平方㍍を発掘調査。東西約90㍍、南北約100㍍で水田跡を確認した。あぜ(幅約20㌢、高さ約5㌢)で、10~65平方㍍の長方形に区切られていた。

「佐渡鉱山」重要景観に 名勝に徳島「大歩危」

「佐渡鉱山」重要景観に 名勝に徳島「大歩危」

文化審議会は6月19日、「佐渡相川の鉱山および鉱山町の文化的景観」(新潟県佐渡市)など3件を重要文化的景観に、吉野川中流の渓谷「大歩危」(徳島県三好市)など3件を名勝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。6件の史跡指定や3件の天然記念物指定、3件を登録記念物にすることも求めた。近く答申通り告示され、史跡・名勝・天然記念物は計3163件、重要文化的景観は50件、登録記念物95件になる。

文豪、谷崎の佐藤春夫宛て書簡2通見つかる

文豪、谷崎の佐藤春夫宛て書簡2通見つかる

文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)が、当時、大阪・船場の商家の人妻で後に妻となる松子に抱いていた恋愛感情など、女性を巡る複雑な人間関係などを綴って友人の作家、佐藤春夫(1892~1964年)に宛てた手紙2通が谷崎の遺族宅で見つかった。
日付は谷崎の代表作の一つ「春琴抄」の執筆開始前後の1933年2月13日と翌月29日。手紙には、谷崎と松子の恋愛感情が、結果的に松子夫婦の崩壊につながったことなど、複雑な人間関係と現状に対する心情を冷静に綴っている。
谷崎と妻千代、佐藤の3人は恋愛事件の末に和解し、千代が谷崎と離婚して佐藤と再婚した後も親しい交友が続いた。手紙は2通とも、谷崎の孫で佐藤とも血縁関係がある竹田長男さん(69)が自宅で保管していた。

「幻の伏見城=指月城」の大規模遺構見つかる

「幻の伏見城=指月城」の大規模遺構見つかる

豊臣秀吉が隠居所として1592年に造営を始めた伏見城(指月城=しげつじょう)跡とみられる大規模な石垣や、100点を超える大量の金箔瓦片などが京都市伏見区で見つかった。民間発掘会社「京都平安文化財」が6月18日発表した。
指月城は1594年の完成後まもなく「慶長の大地震」(1596年)で倒壊した。直後に近くの木幡(こはた)山で再建された。ただ、資料が少ないため、「実は存在しなかった」との説もある、「幻の城」だった。今回の遺構発見で存在が証明された。
見つかった石垣は、地下約80㌢から、南北に延びるもので約36㍍あった。本来は3段以上あったと推定される。石垣に沿い幅5~7㍍、深さ2㍍以上の掘りも確認された。堀から100個以上の瓦片が出土し、うち数十個は金箔で装飾されていた。

杉原千畝「命のビザ」を世界記憶遺産に 岐阜・八百津町

杉原千畝「命のビザ」を世界記憶遺産に 岐阜・八百津町

第2次世界大戦中「命のビザ」で数多くのユダヤ人を救った元外交官、杉原千畝氏の出身地、岐阜県八百津町が、杉原氏に関連する資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請する手続きをとることが6月17日、分かった。近く日本ユネスコ国内委員会に申請書を提出する。
関係者によると、資料は生存者から寄贈された杉原氏直筆のビザなど。現在は同町が保管している。八百津町は戦後70年の節目に、世界記憶遺産への登録を目指すことで、同町にある「杉原千畝記念館」を拠点に、人権や平和の尊さについて国内外に発信していきたい考えだ。

世界遺産登録見据え「八幡製鉄所」内部お披露目

世界遺産登録見据え「八幡製鉄所」内部お披露目

世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産」のうち、官営八幡製鉄所(北九州市)の関連4施設の内部が6月15日、報道陣に公開された。
一部は現在も新日鉄住金八幡製鉄所が使っており、普段は見学者の安全や企業秘密を守るためにすべて非公開だが、遺産登録を見据えて、北九州市が製鉄所側の協力を得ての公開となった。
官営八幡製鉄所は、明治政府の国家プロジェクトとして明治34年(1901年)に創業。日本の鉄鋼生産の主翼を担ってきた。

国内最古の文字瓦か 飛鳥寺跡で出土の瓦

国内最古の文字瓦か   飛鳥寺跡で出土の瓦

奈良県文化財研究所は、6世紀末創建の日本最古の本格寺院、飛鳥寺(奈良県明日香村)の遺構で出土した瓦に「女瓦(めがわら)「飛」などの文字が刻まれているのが見つかったと発表した。創建時の瓦とみられるものもあり、文字瓦では国内最古の可能性があるという。飛鳥寺跡の過去の発掘で出土した瓦を再調査した結果、分かったもの。文字瓦11点確認し、うち6点を解読した。

大津市・近江神宮で「漏刻祭」時の記念日

大津市・近江神宮で「漏刻祭」時の記念日

時の記念日の6月10日、日本で初めて時刻制度を定めたとされる天智天皇を祭る滋賀県大津市の近江神宮で、時計の発達・進歩を神前に報告する「漏刻祭(ろうこくさい)」が開かれた。
王朝装束を身に着けた時計業界の関係者やびわこ大津観光大使の女性らが国内時計メーカーの新作の腕時計や掛け時計の計7種を奉納。参列した約300人が祈りを捧げていた。

若き日の英傑たち 明治の4531人『人物写真帖』出版

若き日の英傑たち 明治の4531人『人物写真帖』出版

明治天皇の命で1880年前後に撮影された明治政府の鋼管や軍人ら4531人の写真を収録した図書が出版された。
44歳の時のひげのない板垣退助や、後に連合艦隊司令官としてロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎の、34歳の少佐時代の写真が載せられている。また当時、世界最強といわれた、ロシアのコサック兵を翻弄したと伝えられる、22歳で陸軍騎兵少尉時代の秋山好古。
幕末、新政府軍に徹底抗戦した元会津藩主の松平容保、伊藤博文、桂太郎、勝海舟、榎本武揚らの写真も掲載されている。
この人物写真帖は菊葉文化協会刊。上・下巻セットで3700円。皇居東御苑大手売店で販売している。

「百舌鳥・古市古墳群」17年度の世界遺産登録目指す

「百舌鳥・古市古墳群」17年度の世界遺産登録目指す

堺市・大阪府は百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に向けた取り組みを進める。大仙陵古墳など4世紀後半から5世紀後半につくられた古墳61基で構成される。
登録にはまず日本国内で暫定リストに掲載され、年間1件の国内推薦枠に選ばれる必要がある。古墳群は2010年に暫定リスト入りしたが、景観保護対策の不備などを理由に13年の推薦枠に入らなかった。今夏の推薦枠入り、17年度の世界遺産登録を目指す。

三百回忌「大光琳祭」琳派の巨星・天才絵師しのぶ

三百回忌「大光琳祭」琳派の巨星・天才絵師しのぶ

琳派を代表する江戸中期の絵師・尾形光琳の三百回忌に合わせた「大光琳祭」が6月2日、京都市上京区の妙顕寺で開かれた。荘厳な音楽大法要が営まれ、参列者は日本の美の流れを作った天才絵師をしのんだ。
尾形光琳は(1658~1716年)は京の呉服商に生まれ、私淑する本阿弥光悦や俵屋宗達の作風を高め、琳派を発展させた。琳派400年と合わせて命日の6月2日に企画。美術や工芸関係者ら約250人が参加した。

京都・下鴨神社で550年ぶりに「糺勧進能」再興

京都・下鴨神社で550年ぶりに「糺勧進能」再興

京都左京区の下鴨神社の舞殿(重要文化財)で5月30日、室町時代に将軍らの前で演じられた「糺(ただす)河原勧進猿楽」が約550年ぶりに「糺勧進能」として再興された。21年に1度の式年遷宮を祝う行事として、観世流宗家の観世清和さんらが神話にまつわる能「賀茂」を披露した。
糺河原勧進猿楽は、下鴨神社の近くで猿楽能を演じた大きな興行。この日は約700人の観客がかがり火に照らされた幽玄の舞台に見入っていた。

藤沢周平の草稿700枚 未発表作見つかる

藤沢周平の草稿700枚 未発表作見つかる

武家社会でも、薄給の下級武士や、町人をはじめ市井の庶民の生きざまを情感豊かに描いた作品を数多く残した作家、藤沢周平さん(1927~97年)が文壇デビュー前に執筆した、初期作品の草稿約700枚が見つかった。
これらの中には文学賞に応募した未発表作、直木賞受賞作「暗殺の年輪」の草稿、「又蔵の火」の原型などもある。欄外に吹き出しで文章を付け足したり、二重線を引いて書き直したりして推敲を重ねた跡があった。出身地の山形県鶴岡市立藤沢周平記念館で一部を公開しており、同館は「藤沢さんの創作意欲を物語る貴重な資料だ」と話している。
藤沢さんの長女が昨年10月ごろ、同館の企画展に出す資料の整理中に見つけた。

仁徳天皇陵築造時状態の葺き石 堺・収塚古墳で発見

仁徳天皇陵築造時状態の葺き石  堺・収塚古墳で発見

堺市は5月29日、仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚(ばいちょう)の一つ、収塚(おさめづか)古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で築造時の状態とみられる葺き石が見つかったと発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57.7㍍ではなく、約59㍍と分かった。
堺市によると、収塚古墳は大山古墳の南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんど削られており、明治時代の地図には円墳として描かれていた。1972年ごろ、前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。

国内最古の青銅鏡鋳型 紀元前2世紀福岡で初出土

国内最古の青銅鏡鋳型 紀元前2世紀 福岡で初出土

福岡県春日市教育委員会は5月27日、市内の須玖(すぐ)タカウタ遺跡で国内最古となる紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の青銅鏡「多紐(たちゅう)鏡」鋳型の破片が初めて出土したと発表した。これにより、国内の青銅器生産の開始時期が200~150年さかのぼる。多紐鏡は国内に最初に流入した青銅鏡で、これまで鋳型が見つかっていなかったため、すべて朝鮮半島から伝来したものと考えられていたが、今回に出土で国内での生産の可能性も出てきた。出土した鋳型は長さ5.1㌢、幅2.5㌢、厚さ2.3㌢。

仁徳天皇陵石室CGで再現 来館者に人気 堺市博物館

仁徳天皇陵石室CGで再現 来館者に人気 堺市博物館

世界文化遺産登録をめざす「百舌鳥(もず)古墳群」を紹介する堺市博物館(堺市百舌鳥夕雲町)内のミニシアターに、仁徳天皇陵の内部の石室をコンピューター・グラフィックス(CG)で再現した映像が登場し、来館者を楽しませている。
宮内庁が管理する仁徳陵では発掘調査ができないが、1872年(明治5年)に何らかの原因で前方部が崩れた際、大王ゆかりの人物の石室が見つかり、内部で長持型石棺(幅約2.4~2.7㍍、長さ3.9㍍)が確認された。今回のCGは当時の様子を描いた絵図をもとに再現された。
12分間の映像には、まず多くの埴輪が並ぶ築造当時の外観を紹介。続いて古墳の前方部にある石室を、のぞき込むようにして内部に収められた石棺を映し出し、朱色に塗られた表面外側の突起の一部を見ることができる。石棺の傍らで発見された副葬品の甲冑や剣なども再現されている。

高野山開創1200年記念大法会 一連の行事に幕

高野山開創1200年記念大法会 一連の行事に幕

4月2日に始まった高野山(和歌山県高野町)の開創1200年記念大法会は5月21日、50日間にわたる一連の行事の幕を閉じた。この日、冷え込んだ山上では早朝から一連の行事を滞りなく終えられたことへの感謝の思いを込めた法会が営まれた。秋篠宮様ご夫妻も視察された。午前9時からは奥の院で、納骨されている人の供養をする大施餓鬼会(だいせがきえ)が営まれた。燈籠堂(とうろうどう)までの参道を僧侶らが練り歩いて読経し、参拝客らも手を合わせていた。

古代のゲーム盤 すごろく土器 平城京跡で出土

古代のゲーム盤 すごろく土器 平城京跡で出土

奈良文化財研究所(奈文研)は5月21日、平城京跡で出土した土器に古代日本で広く普及していた盤上ゲーム、朝鮮半島由来のすごろくの一種「樗蒲(ちょぼ)」(和名・かりうち)の盤面が刻まれていることが分かったと発表した。
これは1989年に平城京の二条大路跡から出土した土器で、8世紀前半の素焼きの皿(直径19㌢)。内側の底に直径約8㌢の円状の点と、円の中心に向かう放射状の点が刻まれ、「出」という文字もあった。この「出」という字は駒の出発点(スタート)か出口(“上がり”)を表す記号と判断した。

京都・西本願寺で親鸞「降誕会」幽玄の舞に浸る

京都・西本願寺で親鸞「降誕会」幽玄の舞に浸る

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生誕を祝う法要「降誕会(こうたんえ)」が5月21日、京都市下京区の西本願寺で営まれ、日本最大級の屋外能舞台「南能舞台」(重要文化財)で能が上演された。境内に笛や小鼓の音色が響く中、シテ方が足拍子を踏みながら幽玄の舞を披露。訪れた人たちはひととき、歴史ある建物と能が醸し出す優美な世界に浸っていた。

淡路島で銅鐸7個出土 紀元前2世紀ごろの最古級も

淡路島で銅鐸7個出土 紀元前2世紀ごろの最古級も

兵庫県教育委員会は5月19日、兵庫県あわじ市(淡路島)にある石材関連会社の砂山から古代の青銅祭器である「銅鐸(どうたく)」が7個見つかったと発表した。うち1個は紀元前2世紀ごろの最古級で、内部は長期間鳴らされて、かなりすり減っていた。古代中国で占いを示す「王」と見える符号が鋳出されたものもあった。農耕などの祭祀(さいし)に使われたという初期の銅鐸の使用実態を解明する史料となりそうだ。

京都・嵐山で2年ぶり「三船祭」復活 清少納言登場

京都・嵐山で2年ぶり「三船祭」復活 清少納言登場

平安時代の船遊びを再現した京都・嵐山の「三船祭」が5月17日、2年ぶりに復活し、船上で平安装束をまとった男女が舞楽を奉納した。渡月橋上流の大堰川で行われる三船祭。今回は新たに清少納言役の女性が十二単(ひとえ)姿で登場。御座船に乗り、故事にちなむ「扇流し」を披露。微笑みながら約100本の扇子を1本ずつ川面に浮かべた。集まった観光客らは、新緑に包まれた川面に広がる優雅な王朝絵巻の世界にひととき浸っていた。
三船祭は、台風被害や、これまで主催していた車折(くるまざき)神社の資金難で2014年は中止となったが、今年は地元有志が主催した。

古都・奈良に初夏の訪れ「薪御能」始まる

古都・奈良に初夏の訪れ「薪御能」始まる

古都・奈良に初夏の訪れを告げる伝統行事「薪御能(たきぎおのう)」が5月15日、奈良文化会館(奈良市)で始まった。薪御能は平安時代、興福寺の法会「修二会(しゅにえ)」で猿楽が演じられたのが始まり。春日大社で「式年造替(しきねんぞうたい)」が進むのを記念し、大社周辺を舞台とした金春流の「野守」を上演した。
初日の夜は雨が予想されたため、舞台を興福寺から県文化会館に移して開催された。16日は春日大社で金春流、興福寺で観世流と金剛流による能が上演される。

松江城天守 国宝に 63年ぶり5例目

松江城天守 国宝に 63年ぶり5例目

文化審議会は5月15日、江戸時代初めの1611年に築かれた松江城天守(島根県松江市)を国宝に、現在は東京都庭園美術館の旧朝香宮邸(東京都港区)など9件を新たに重要文化財に指定するよう、下村博文文部科学相に答申した。
現在の文化財保護法による天守の国宝指定は63年ぶり5例目。国宝に指定されている天守は姫路城(兵庫県姫路市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)の4城。