『神皇正統記』の中世写本 福島県只見町で発見

『神皇正統記』の中世写本 福島県只見町で発見

福島県只見町教育委員会は5月12日、南北朝時代の歴史書『神皇正統記』を1587年(安土桃山時代)に書写した写本が町内で見つかったと発表した。同署の中世写本の発見は県内で初めて。県や町の文化財指定を受けることを検討している。
今回見つかった写本は①綴葉装(てつようそう)という、『源氏物語』など平安時代以降の文学書で用いられている、日本の伝統的な装丁②大部分の漢字に振り仮名が付けられている③音読みと訓読みの符号がある④歴史的なできごとを記したページに付箋がある-などが特徴。
本には上野国(群馬県)の寺で祐俊という僧侶が書写したことが記されている。この写本は江戸時代の医者だった同町黒谷の原田家にあった。
調査を担当した東洋大の久野俊彦講師は「中世末期の本の読まれ方が分かる貴重な資料。表紙や糸が装丁当時のままで破損がなく、文化財として重要だ」としている。また、国立歴史民俗博物館の小池淳一教授は「会津の中世文化を解明する手掛かりになる」と話している。
神皇正統記は公家の北畠親房が1339年に著した、天皇を中心に歴史をたどり、南朝の正統性を主張した歴史書。原本は現存せず、約20点の中世写本が伝えられ、国や自治体の文化財に指定されている。

前方後円墳の原型か 橿原で大型の円形周溝墓見つかる

前方後円墳の原型か 橿原で大型の円形周溝墓見つかる

奈良文化財研究所は5月12日、奈良県橿原市城殿町の瀬田遺跡で、前方後円墳の原型と考えられている陸橋を持つ弥生時代末期(2世紀中ごろ~後半)の大型円形周溝墓(直径約31㍍)が見つかったと発表した。
墳丘は失われていたが、周溝ははっきり残り、国内最大級の規模。奈良県内では初の発見で、専門家は「前方後円墳を考えるうえで重要な史料」とみている。また同研究所では「纏向石塚古墳(3世紀初め)など『纏向型』と呼ばれる前方後円墳につながる形を持つ周溝墓だ。奈良県内で見つかったことに大きな意義がある」としている。
今回見つかった周溝墓は墳丘部の直径約19㍍、幅6~7㍍、深さ約50㌢の溝を巡らせ、南西部に長さ約7㍍、最大幅6㍍の陸橋がついていた。埋葬施設は見つかっていない。現地説明会は5月15日、午前10時~午後3時。

無残!石垣崩れ、巨石転がる 市が熊本城郭内公開

無残!石垣崩れ、巨石転がる 市が熊本城郭内公開

熊本市は5月11日、熊本地震で大きな被害を受けて立ち入り禁止となっている熊本城郭内を初めて報道陣に公開した。
一連の地震で石垣の崩落は53カ所に及び、加藤清正による1607(慶長12)年の築城当時の姿を残すとされていた「宇土櫓(やぐら)」など国指定需要文化財が数多く損傷した。城郭内では石垣が至るところで無残に崩れ落ち、地面には巨石が転がっていた。
熊本市では現時点では復旧に要する期間や費用についていずれも不明としているが、10~20年単位で、100億円を上回る規模の巨額の費用がかかるとの見方もある。

江戸時代の高級陶磁器片が多数出土 新京都府警建設現場

江戸時代の高級陶磁器片が多数出土 新京都府警建設現場

京都府教育委員会によると、幕末、徳川幕府が京都の治安警護のため設置した京都守護職上屋敷跡が出土した京都市上京区の新京都府警建設現場から、江戸時代初期の豪商の存在を裏付けるような高級陶磁器片が多数出土した。ベトナムや中国からの輸入品も含まれている。
出土したのは美濃焼の志野茶碗、や向付(むこうづけ)皿、口部分が不規則に湾曲した唐津の沓茶碗、天目茶碗のほか、ベトナムや中国の陶磁器や茶陶など、いずれも17世紀の江戸時代初期の高級品・珍品ばかり。
この周辺では、これまでも高級陶磁器が出土していたことから、高級品を取り扱う店が並んでいたと想定され、18世紀には火災で屋敷を失った京都屈指の茶屋家が現在の中京区から移り住んだ場所としても知られる。
約2600平方㍍の調査地の西寄りの、南北に連なる形で掘られた一辺2.5㍍~5㍍のゴミ捨て穴から出土した。壊れるなどして捨てられたとみられる。

草刈正雄が合流 和歌山県九度山町で「真田まつり」

草刈正雄が合流 和歌山・九度山町で「真田まつり」

関ヶ原の戦いの後、戦国武将、真田昌幸・幸村父子が蟄居(ちっきょ)した地として知られる和歌山県九度山町で5月7、8日、父子をしのぶ恒例の「真田まつり」が開かれた。
7日には真田鉄砲隊の演武、8日には武者行列などが行われた。現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」で昌幸役を演じる俳優、草刈正雄さん(63)が武者行列の途中からオープンカーで合流。沿道を埋めた見物客から大きな歓声を浴びていた。
武者行列では朱色の甲冑「赤備え」を身に着けて馬にまたがった昌幸・幸村、その子・大助の真田三代と、真田十勇士、鉄砲隊、やり隊など総勢約200人が五月晴れの街中約2.5㌔㍍をパレードした。

福井・一乗谷朝倉氏遺跡で「曲水の宴」平安の雅再現

福井・一乗谷朝倉氏遺跡で「曲水の宴」平安の雅再現

平安時代の公家・貴族が愛好した雅な歌遊びを再現した「越前朝倉曲水の宴」が5月5日、福井市の一乗谷朝倉氏遺跡で開かれた。実行委員会が2010年から開いているもので、今年で7回目。公募した男女12人が演者を務めた。
「曲水の宴」は小川沿いに座った歌人が上流から杯が流れてくる間に即興で歌を詠み、杯の酒を飲み干して再び流す雅な遊び。
今年のお題は「風」。晴れ渡った青空のもと、彩鮮やかな装束を身にまとった演者たちは、風にちなんだ、あるいは風を詠み込んだ歌を認(したた)めていた。演者の20代のカップルらが相互に恋文を披露し、会場は温かい雰囲気に包まれていた。

特別展『真田丸』出足好調 大河&歴史ファンが支持

特別展『真田丸』出足好調 大河&歴史ファンが支持

NHK大河ドラマ『真田丸』に合わせ、東京・両国にある江戸東京博物館で4月29日から開催中の特別展『真田丸』の出足が好調だ。5月1日までの開催3日間で入館者が1万人を突破。視聴率17%前後(関東地区)で安定した支持を得ている大河ドラマと歴史ファンの関心を集めている。同特別展6月19日まで。
同展は、真田一族ゆかりの武具・書状をはじめ約145件に及ぶ貴重な史料を展示し、真田信繁(幸村)と父・昌幸、兄・信幸(信之)ら一族の人間像と彼らの生きた激動の時代を紹介している。
信繁の肖像画や所用の品々など数少ない史料はじめ、江戸時代に絵画化された「大坂の陣」で奮戦する信繁の様子を描いた『大坂の陣図屏風』や、大坂の陣の経緯を詳しく綴った『難波戦記』、錦絵など、さらに信繁が「真田幸村」として語り継がれていく様子の一端を紹介している。

「小田原北條五代祭り」和太鼓・鉄砲実演披露

「小田原北條五代祭り」和太鼓・鉄砲の実演披露

神奈川県小田原市で恒例の「小田原北條五代祭り」が開かれ多くの観客でにぎわった。小田原北條五代祭りは、小田原城を拠点とした戦国大名、北条氏を称える祭りで、今回で52回を数える。
祭りでは和太鼓や鉄砲の実演が披露された。また、メインイベントの大名行列に際し、今回は戦国大名・北条家の始祖、北条早雲に扮したタレント、柳沢慎吾さんの掛け声とともに武者隊が出陣した。
武者隊には北條五代の小田原城主を模した行列のほか、地元の吹奏楽部、御輿(みこし)など総勢およそ1700人が参加して、小田原市内を練り歩き、観光客含め訪れた見物客およそ24万人を楽しませた。

旧海軍の拠点・鎮守府など新たに19件が日本遺産に

旧海軍の拠点・鎮守府など新たに19件が日本遺産に

文化庁はこのほど、地域の有形・無形の文化財で構成した”ストーリー”を認定する日本遺産に、新たに19件を認定した。
旧海軍の拠点、鎮守府が置かれていた4市が申請した「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」(神奈川・広島・長崎県、京都府)は、砲台や造船施設などが構成文化財で、軍港の施設とともに、水道や鉄道なども重点整備され、日本の近代化を推し進めた側面を打ち出した。
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城・福島県からも、「政宗が育んだ”伊達”な文化」(宮城県)と、「会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津の文化~」(福島県)、「未来を拓いた『一本の水路』-大久保利通”最期の夢”と開拓者の軌跡 郡山・猪苗代-」(同)の3件が選ばれた。

小田原城天守閣 新装公開「平成の大改修」終了

小田原城天守閣 新装公開「平成の大改修」修了

神奈川県の小田原城の天守閣が、2015年7月から行われていた「平成の大改修」を終え、5月1日から一般公開が始まった。
戦国時代、ここを本拠とした北条氏の「難攻不落」の城として知られた小田原城は、2015年7月から耐震工事などの「平成の大改修」が行われていた。1日、装いを新たにした天守閣が一般公開され、訪れた観光客らは真っ白に化粧し直された天守閣や、一新された展示物に見入っていた。
一般公開初日となった1日の入館料は、今回の地震で大きな被害を受けた熊本城の復旧に向けて全額寄付されるという。

京都・城南宮で「曲水の宴」平安の雅の世界再現

京都・城南宮で「曲水の宴」平安の雅の世界再現

京都・城南宮(京都市伏見区)で4月29日、平安時代の貴族の歌会を再現した「曲水の宴」が行われた。新緑に囲まれた庭園で、狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちぎ)といった色とりどりの装束を身にまとった歌人7人が、歌題の「卯花」に合わせた歌を短冊に認(したた)めていく。訪れた約2100人の観客らは、ひととき宮中の雅(みやび)の世界に浸っていた。
曲水の宴は、古代中国で始まったとされ、平安時代に朝廷の貴族の間で行われていたという宮中行事。「遣水(やりみず)」と呼ばれる曲がりくねった小川に酒盃を乗せた器を流し、ほとりに座った歌人が手元に杯が流れてくるまでに歌を詠み、盃を飲み干す。

熊本地震で九州6県の文化財200件超が被災

熊本地震で九州6県の文化財200件超が被災

熊本地震で九州各地の文化財に大きな被害が出ている。文化庁によると4月27日現在、国が指定・選定・登録した文化財の被害は鹿児島県を除く6県で計118件に上る。14日の地震発生後、2週間経過したが、いぜんとして活発な地震活動が続いており、被災件数はさらに増える見通しだ。
熊本県では国の文化財の被災が70件。熊本城(熊本市)の石垣や櫓(やぐら)が壊滅的被害を受け、若き日の夏目漱石が教壇に立った旧制第五高等学校の本館(熊本大五高記念館)も、れんが造りの煙突が折れた。日本三大楼門の一つとされる阿蘇神社(阿蘇市)の楼門も全壊した。大分県でも滝廉太郎が作曲した「荒城の月」の舞台となった岡城跡(大分県竹田市)の石垣に”たわみ”が生じるなどの被害が出ている。
被災件数を県別にみると、国の文化財は最多が熊本で、以下、大分18件、福岡15件など。地方自治体指定の場合、文化庁と異なる集計方法だが、熊本51件、福岡21件、佐賀20件などとなっている。

茶園広がる太閤堤再現へ 京都・宇治市が史跡整備

茶園広がる太閤堤再現へ 京都・宇治市が史跡整備

京都府宇治市が整備を進める国史跡・宇治川太閤堤跡で、堤を築いた後にできた砂州に茶園が広がっていた江戸後期の景観を再現する取り組みが始まった。同市兎道の三室戸小の5年生75人が茶の苗木を植えたほか、5月14日に予定されている植樹イベントでは「昔の茶園をつくろう!」をテーマに、一般から参加者を募集し、取り組みを盛り上げる。
絵図などに描かれた江戸時代の茶園は、現在のような列状ではなく、株と株の間隔が広く、一株ごとの島状に栽培されていた。勝和30年ごろまでは宇治市内でも多く見られたが、次第に姿を消し、現在ではほとんど残っていない。
宇治市は史跡整備の取り組みとして、発見された太閤堤を埋め戻した真上に、豊臣秀吉によって築かれた当時の堤を再現するとともに、茶園として利用された江戸後期の様子を再現する。茶園は約2300平方㍍。遺跡の壮大さを体感するとともに、歴史の流れを感じてもらえるものにしたいとしている。

四天王寺で「聖霊会舞楽大法要」雅の平安絵巻ほうふつ

四天王寺で「聖霊会舞楽大法要」雅の平安絵巻ほうふつ

大阪・四天王寺(大阪市天王寺区)で4月22日、毎年の恒例行事「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が執り行われた。同寺を創建した聖徳太子の命日(旧暦2月22日)にちなみ、毎年4月22日に行われる同法要。
同寺で約1400年の歴史を誇る重要な行事で、聖霊会の舞楽は重要無形民俗文化財にも指定されている。平安時代には都の貴族の四天王寺詣の楽しみだったとも伝わる。
当日は多くの観覧客が見守る中、重要文化財の石舞台で四天王寺-山衆僧による聖徳太子を称える声明で始まり、天王寺楽所による雅(みやび)で絢爛(けんらん)豪華な平安絵巻を彷彿(ほうふつ)させる舞楽が披露された。

東大寺・東塔跡で「七重塔」示す瓦が大量出土

東大寺・東塔跡で「七重塔」示す瓦が大量出土

東大寺、奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所は4月22日、奈良時代に創建され、高さ70~100㍍の七重塔だったとされる東大寺(奈良市)東塔跡から、「七」の文字が刻まれた鎌倉時代の瓦がまとまって出土したと発表した。
「七」は七重塔を意味するといい、鎌倉時代の東塔再建に使われたとみられる。瓦は昨年度の調査で出土した鎌倉時代の基壇周辺から計30点以上出土。「七」が中央に入った直径15㌢の軒丸瓦と、左右反転した軒平瓦の2種類あった。過去にも同様の瓦は見つかっていたが、どの建物に使われたかは分かっておらず、今回基壇周辺でまとまって出土したことで東塔に使われたと分かった。
東大寺は創建当初、大仏殿を挟んで東西に塔が並んでいたが、東塔は平安時代、隆盛を誇った平家の”南都焼き討ち”で焼失。鎌倉時代に再建されたが落雷で再び焼失し、基壇だけが残っている。瓦などは4月29~5月13日、東大寺ミュージアム(奈良市)で公開される。

土方歳三の愛刀 4/29から京都・霊山歴史館で公開

土方歳三の愛刀 4/29から京都・霊山歴史館で公開

京都の霊山歴史館(京都市東山区)は4月21日、新選組の副長、土方歳三が愛用したとされる刀「大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに)」が、新たに収蔵品に加わったと発表した。29日から同館で一般公開する。
刀は1866(慶應2)年8月の制作。長さ約69㌢で「大和守源秀國 秋月種明懇望帯之」と銘打たれ、裏に「幕府侍土方義豊戦刀 慶應二年八月日 秋月君譲請高橋忠守帯之」と土方の名前が入っている。鞘(さや)にはきらめく螺鈿(らでん)が施されていた。
同館によると、刀は戊辰戦争で土方が宇都宮、会津などへ転戦する中、共に戦った会津藩士、秋月種明に贈られたもの。会津藩に従って入洛した刀工・秀國にオーダーメードした可能性が高いという。今回、同館が東京都の所有者から購入した。しゃれた細工ながら、実践を重んじた土方の性格を感じさせる刀だ。

近代造船技術の礎「ヘダ号」再建プロジェクト立ち上げ

近代造船技術の礎「ヘダ号」再建プロジェクト立ち上げ

静岡県東部の経営者や学識経験者らが、江戸時代末期、駿河湾で沈没したロシア艦「ディアナ号」の代替船として現在の沼津市戸田(へだ)地区で建造され、ロシア人乗組員を母国に送り届けた「ヘダ号」を復元する「ヘダ号再建プロジェクト会」を立ち上げる。4月23日に同市内で発足式を開く。
海を生かしたまちづくりを推進する民間団体「セイルタウンNUMAZUクラブ」が同会の中核となる。日本の近代造船技術の礎であるヘダ号を再建することで、史実を伝える地域の象徴的存在とし、これをまちづくりに活用しようというもの。
復元する船は50人乗りを予定。構造は原型に倣うが、安全性を考慮して材料はFRP(繊維強化プラスチック)を用いる。エンジンを装備し、機動性を高める。

日本三名城の熊本城 地震で石垣崩落など甚大な被害

日本三名城の熊本城 地震で石垣崩落など甚大な被害

「日本三名城」の一つといわれ、観光客の間でも長い間根強い人気を集めてきた熊本城が、今回の熊本地震で甚大な被害を受けた。
熊本城総合事務所によると、「頬当御門」といわれる正門や天守閣の入り口周辺など約6カ所の石垣が崩落。建物の壁のひび割れが各所で出たほか、城の周辺を囲む国重要文化財の長塀が約100㍍にわたって崩れた。天守閣の上にあった「しゃちほこ」も落下した。
このほか、引き続き断続的に続く大きな余震の影響で城の中に入れないことから、内部の被害状況は確認できていない。

満開の桜咲く中、豪華絢爛屋台巡行 岐阜・高山で山王祭

満開の桜咲く中、豪華絢爛屋台巡行 岐阜・高山で山王祭

絢爛(けんらん)豪華な12台の祭り屋台で知られる岐阜県・高山祭。その春の高山祭「山王祭」(国重要無形民俗文化財)が4月14、15の両日、岐阜県高山市で開催された。
折良く満開の桜が咲き誇る中、屋台は14日午前9時過ぎ、各屋台蔵から引き出され、市中を巡行。絶景ポイントの朱塗りの中橋をゆっくりと屋台が通ると、その豪奢なさまを待ち構えた大勢の観光客らが一斉にカメラに収めていた。
この後、国史跡・高山陣屋前で三番叟(さんばそう)、龍神台(りゅうじんだい)、石橋台(しゃっきょうだい)の3台が人形からくりを披露。夕方にはこれらの祭り屋台が提灯で飾られて市中を巡り、昼間とは一変、街は幻想的な雰囲気に包まれていた。
高山祭は春の「山王祭」と秋の「八幡祭」の総称。春の訪れを告げる山王祭は旧高山城下町南半分の氏神、日枝神社(山王様)の例祭。

尾形光琳の代表作 国宝「燕子花図屏風」公開 根津美術館

尾形光琳の代表作 国宝「燕子花図屏風」公開 根津美術館

江戸時代の画家、尾形光琳(1658~1716年)の代表作、国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」が4月13日から東京・南青山の根津美術館で公開されている。5月15日まで。
この作品は平安時代に成立した伊勢物語の第九段東下り、燕子花の名所八つ橋の一節をテーマにしたと考えられている。双金地の六曲一双屏風で、琳派最大の巨匠の一人、尾形光琳が40代前半ごろに手掛けたとされる傑作。

諏訪大社・御柱祭下社山出しの観客9万1000人減少

諏訪大社・御柱祭下社山出しの観客9万1000人減少

下諏訪町を舞台とする勇壮な諏訪大社御柱祭の下社山出しは4月10日、目通り(目の高さ)周囲3.35㍍と最も太い「秋宮一之」など御柱3本の「木落し」を行い、3日間の日程を終えた。計8本の御柱は終着点の「注連掛(しめかけ)」で、5月14日に始まる「里曳(び)き」まで安置される。
諏訪地方観光連盟御柱祭観光情報センターによると、氏子と観客を合わせた3日間の人出は延べ46万8000人。平成22年の前回に比べ氏子は2万3000人増えたが、観客は9万1000人減少、合計で6万8000人前回を下回った。同センターでは、安全面を考慮した周辺での通行規制や、木落し坂の無料観覧席の廃止などが影響したと分析している。

日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開

日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開

伊豆の国市韮山の江川英龍邸を管理する公益財団法人江川文庫は4月9日、「江川邸パンフェスタ」を開いた。日本で初めて兵糧パンを焼いたことから「パン祖」と呼ばれる江川英龍(坦庵)にちなんだ催しで、2015年に続き2回目。
江川家に残るレシピに基づき英龍が焼いたパンを再現したほか、秘蔵資料の特別公開や特産市などを行った。パンの再現には、三島市芝本町の石渡食品が協力した。
当時のレシピは小麦粉と塩、水、酒種を使用。今回は食べやすくするため、多少のイースト菌を加えた。土間の大かまどに火を入れ、レシピに習って鉄鍋を焼いた。本来は携帯食として1年ほど保存できるように、水分を飛ばしてカリカリに仕上げたという。
パンはキリスト教徒ともに日本に伝わったが、徳川幕府が禁止した。それを進取の精神に富み合理的な考え方の持ち主でもあった英龍は、工夫して伝来したもののレシピを変えてパンを焼きあげ、砲術を学ぶために全国各地から江川塾に集まった塾生を通じて全国に広めたのだ。

顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺

顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺

石川県白山市白峰の林西寺は、16世紀後半、浄土真宗本願寺の11代法主・顕如(けんにょ)が鳥越城主の鈴木出羽守(でわのかみ)に宛てた書状2通(同寺所有)を修復した。
この書状は、一向一揆に対する織田信長軍の弾圧に、勇猛に戦った白山山麓の一揆衆への感謝などを記したもので、県史を語るうえで重要な史料とされる。しかし、傷みが進んでいたため、ここ10年以上公開されていなかった。4月16日から寄託先の石川県立歴史博物館で展示される。
2通の書状「顕如上人書翰(しょかん)二双」は、鈴木出羽守の子にあたる林西寺6代目住職釈幸信(しゃくこうしん)が、同寺へ養子に入る際に持参したと伝わっている。
1578(天生6)年4月12日付の書状は、鈴木出羽守が率いる山麓の山内衆(やまのうちしゅう)の活躍を称え激励する内容で、1580(同8)年4月1日付の書状は、織田信長との講和を伝えている。
石川県文化財修復保存協会は、横折れ対策として太い芯を採用し、風合いを損ねないため、、本紙部分に薄美濃紙、台紙部分に美濃紙を使って展示に耐えられるよう修復した。

天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元

天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元

旧前橋藩主の松平大和守家(やまとのかみけ)が代々継承し、東京大空襲で焼失した「御手杵(おてぎね)の槍(やり)」を、17代目の現当主、松平直泰さん(71)が復元した。先祖の徳川家康が逝去して400年の命日にあたる4月17日に前橋東照宮に奉納される。
御手杵の槍は、福岡藩主の黒田家伝来の「日本号」(福岡市博物館所蔵)、戦国武将の本多忠勝が愛用した「蜻蛉切(とんぼきり)」とともに、日本三名槍(そう)として称えられた名高いやりのレプリカは、東照宮で常設展示される。
戦国時代につくられた槍で、手杵の形をした鞘(さや)が名前の由来。刃渡り約140㌢で、柄を含めた全長は約380㌢。同家は参勤交代の際に、馬印として先頭に配置した。近年の刀剣ブームを受けて、松平さんは17日に行われる家康の400回忌、「薨去(こうきょ)400年祭」に合わせて家宝を私費で復元したもの。

松坂城跡などで「宣長まつり」書斎を限定公開

松坂城跡などで「宣長まつり」書斎を限定公開

三重県松阪市の松坂城跡などで4月2、3の両日、同市出身の国学者・本居宣長を称える「宣長まつり」が開かれた。折から城跡の桜もほぼ満開となり、多くの人でにぎわった。
今年のまつりは、城跡内の本居宣長記念館が7月から休館し、1970年の開館以来初となる大改装を行うことから「のりなが紙芝居」や、城跡を巡る「のりながお城ウォーク」などのイベントを開催した。
国の特別史跡の宣長旧宅「鈴屋」では2階の4畳半の書斎を3日に1日限定で開放したほか、1階では江戸時代から昭和期にかけてつくられた宣長の像、約20点が初めて一堂に展示された。

神武天皇没後2600年式年祭 両陛下が参拝 奈良県橿原市

神武天皇没後2600年式年祭 両陛下が参拝 奈良県橿原市

天皇、皇后両陛下は4月3日、奈良県橿原市の神武天皇陵に参拝された。同日は日本書紀の神話で神武天皇が没したとされる日から2600年(新暦換算)にあたり、「神武天皇二千六百年式年祭の儀」の山陵の儀が行われた。天皇陛下は「御告文(おつげぶみ)」を読み上げられた。随従皇族として秋篠宮ご夫妻も参拝された。
神武天皇の式年祭は皇居でも行われ、皇太子ご夫妻らが歴代天皇や皇族を祀る皇霊殿に拝礼された。100年ごとに行われる式年祭は1916(大正5)年以来。

名古屋城天守閣の木造復元案 最大504億円

名古屋城天守閣の木造復元案 最大504億円

名古屋城天守閣の木造復元を目指す名古屋市の河村たかし市長は3月29日、復元の技術提案コンペに応じた2社(竹中工務店、安藤・間)から竹中工務店案を選んだと発表した。
竹中案は4人乗りのエレベーターを取り外すと天守閣が元の姿になるように設計され、総事業費473億~504億円、安藤・間案はそれより25億~40億円抑え、エレベーターは11人乗りだった。
名古屋市は東京五輪が開催される2020年の7月末までの完成を条件に技術展案を公募した。専門家らが工期達成や事業費縮減の工夫、バリアフリー、木材の調達などで採点した。その結果、史実への忠実さや実現可能性などから竹中案になったという。
4月下旬に2000人規模の報告会を5回開いて竹中案を説明。5月半ばまでに結果が出る2万人規模のアンケートで木造復元か、29億円かけて鉄筋鉄骨コンクリート造りのまま耐震改修かを問う。

江戸期の行事「葵使」再現 京都・上賀茂神社

江戸期の行事「葵使」再現 京都・上賀茂神社

江戸時代に京都・上賀茂神社のフタバアオイを将軍・徳川家に献上した「葵使」を再現する行事が3月27日、京都市北区の同神社一帯で行われた。
今回は上賀茂小5、6年生や地域住民ら60人が参加。上賀茂神社で道中の安全を祈る神事を営んだ後、法被姿の児童と江戸時代の装束を身に着けた大人が境内で育てたフタバアオイの鉢を持って出発、京都コンサートホールまで約1.5㌔を歩いた。
葵使は、葵を家紋とする徳川家が武運長久などの願いを上賀茂神社のアオイに託して始まったとされる。江戸初期から大政奉還まで続いたと伝わり、地元住民が2007年に140年ぶりに復活させ、今回で10回目を迎えた。

奈良~昭和の「ごちそう」一堂に 福井・小浜食文化館

奈良~昭和の「ごちそう」一堂に 福井・小浜食文化館

奈良時代から昭和までの「ごちそう」にスポットをあてた企画展が、小浜食文化館(福井県小浜市)でリニューアル1周年記念として開かれている。天皇や貴族の食事や人をもてなした膳、現代人が味わっている料理などレプリカ約100点が並び、食を通して時代の変遷を映し出している。
中でも目を引くのが安土桃山時代。天下統一を目前にし、この後、本能寺で散った織田信長が1582年、徳川家康に振る舞った料理をレシピに基づいて再現している。キジ、鶴などの鳥肉や塩漬けした魚などがふんだんに使われた豪華なごちそうだ。
このほか、江戸時代・幕末、黒船を率いて浦賀沖に来航し開国を迫った米ペリー提督に提供した料理のレプリカ、奈良時代の天皇や貴族が食したごちそうや、カレーライス、すしの折り詰め、すき焼きなど現代の定番も展示されている。

石田三成の居城の痕跡一掃へ徹底破壊 発掘で裏付け

石田三成の居城の痕跡一掃へ徹底破壊 発掘で裏付け

滋賀県教育委員会は3月24日、豊臣秀吉の側近の一人だった戦国武将、石田三成が居城としていた同市の佐和山城跡で、城を破壊する「城割り」の痕跡が確認されたと発表した。関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の大将格だった三成が敗れた後、徳川方が”見せしめ”として、徹底的に壊したとみられる。
佐和山城は、佐和山(233㍍)に築かれた山城。三成は1590年に城主となり、5層の天守を構えたとされる。関ヶ原の戦いの後、家康の家臣、井伊直政が入城したが、近くに彦根城を築いたことに伴い1606年、廃城となった。
今回の調査で、本丸があったと伝わる山頂付近の斜面を発掘したところ、石垣表面に使う大きな「築石(つきいし)」は見つからず、裏に詰める小石だけが大量に出土。さらに本丸があったとみられる平坦な造成地などは徹底的に削られ、痕跡も残っていなかった。
同市教委によると、江戸時代の史料には佐和山城の石垣を彦根城に再利用したこと、佐和山城の本丸を破壊したことなどが記されており、今回の調査はそのことを裏付けたとしている。

埋葬されたのは舒明天皇か蘇我蝦夷?奈良・小山田遺跡

埋葬されたのは舒明天皇か蘇我蝦夷?奈良・小山田遺跡

奈良県立橿原考古学研究所は3月23日、飛鳥時代に築かれた未知の古墳の一部の可能性がある巨大な石張りの掘割(濠=ほり)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、厚さ3㍍以上の粘土層が見つかったと発表した。古墳の基盤部分にあたり、大規模な造成工事による巨大古墳だったことを裏付けるものという。
掘割の西約11㍍を発掘し、今回確認されたのは地下3㍍で南北3.5㍍、東西3㍍にわたる黄褐色の粘土層。
北側斜面と底面に石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、南側斜面に榛原(はいばら)石と呼ばれる特殊な板石などを階段状に積み上げた掘割(長さ48㍍)の規模から類推すると、埋葬されたのは皇族か有力豪族のようだ。
舒明(じょめい)天皇が最初にほ葬られた墓とする説や、大豪族、蘇我蝦夷(そがのえみし)の墓などの見方が出ている。

季節外れの南岸低気圧がお膳立てした「桜田門外の変」

季節外れの南岸低気圧がお膳立てした「桜田門外の変

日本の南岸を低気圧が通過し、日本列島は前日までの陽気から一転、3月24日から冬型の気圧配置となり、東日本、西日本以西、中国、九州地方まで、寒気が南下してしばらく寒さが続く見通しだ。
同じようなことが今から156年前に起こっている。1860年3月24日、旧暦では安政7年3月3日はもっと寒く、南岸低気圧の通過によって江戸は季節外れの大雪に見舞われた。
この大雪の朝、徳川幕府の大老、井伊直弼(46)が江戸城に登城途中、水戸・薩摩藩士合わせて17名が桜田門外で襲撃、「桜田門外の変」が起きた。大老を警備していた彦根藩士たちはいずれも、季節外れの大雪のため柄袋で刀を覆っており、このため急襲を受けた彦根藩士たちは抜刀が遅れ、藩主の暗殺を許した原因の一つとされている。
東京でこんなに遅く大雪となるのは珍しいことだった。まさに大雪がお膳立てした歴史的事件だった。

謎の仏像の胎内から重源・快慶の名記した印仏発見

謎の仏像の胎内から重源・快慶の名記した印仏発見

滋賀県教育委員会などによると、MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市)所蔵の木造地蔵菩薩立像(重要文化財)の正体が明らかになってきた。
この仏像の胎内から見つかった、地蔵菩薩の姿をはんこで押し並べた「印仏(いんぶつ)」や札の中に鎌倉時代、東大寺を再興した名僧、重源(ちょうげん)と、当代随一の仏師・快慶の名、奈良の新薬師寺との関係をうかがわせる記述が含まれていたのだ。
同県教委文化財保護課によると、重源と快慶は東大寺南大門の金剛力士像はじめ、各地で寺院と仏像をつくった名コンビ。この2人が寄付集めなどを目的に同時に連名するする例は珍しいという。それだけに、この地蔵菩薩はかなり由緒あるものだったはず-と分析している。
また、印仏の紙の間に供養札も挟まれており、「新薬師寺」の文字があった。地蔵菩薩との関連は不明だが、この像はもともと奈良にあった可能性が高い-と推論している。
この像は13世紀後半の作とされ、高さ52.5㌢。像の表面の虫食いや塗りがはげ落ちるなど傷みが目立ち、台座が不安定だったため、2014年から国の補助を受け、保存修理に取り掛かっていた。その作業の中で当初、空洞と思われていた像の胎内から今回、印仏や札が見つかったもの。

重文の如意輪観世音菩薩 7年ぶりに開扉 大津・石山寺

重文の如意輪観世音菩薩 7年ぶり開扉 大津・石山寺

滋賀県大津市の石山寺が3月18日、本尊の如意輪観世音菩薩(重文、平安時代)を7年ぶりに公開した。三笠宮彬子さまも臨席し、開扉法要も営まれた。
午前11時、鷲尾遍隆座主ら僧侶の読経の後、勅使の宮内庁職員が扉を封印していた鍵を解いた。約5㍍の本尊が姿を現すと、参拝者は本尊の指に結んだひもに触れて結縁(けちえん)した。
観世音菩薩は33の姿で人々を救うことにちなみ、本来は33年に1度開帳するが、西国三十三カ所を中興した花山法皇の千年忌を記念して2009年に開扉した経緯がある。

富山城下町遺跡・町人居住地域で江戸後期のトイレ発見

富山城下町遺跡・町人居住地域で江戸後期のトイレ発見

富山市埋蔵文化財センターによると、富山市西町の富山城下町遺跡から、便所とみられる江戸時代後期(18世紀後半~19世紀半ば)の遺構が見つかった。同県内の遺跡でトイレ跡が見つかったのは初めて。土壌から野菜や魚を食べたときに感染する寄生虫の卵が検出された。
遺構は直径80~100㌢、深さ40㌢の穴。中からトイレットペーパーの代わりに使った「籌木(ちゅうぎ)」とみられる細長い木片が出土した。また、土壌分析の結果、回虫や鞭虫(べんちゅう)、肝吸虫(かんきゅうちゅう)といった寄生虫の卵が多数見つかった。このほか、全国の便所遺構で出てくることが多いイネやソバなどの花粉、ウリの種もあった。
現場は江戸時代、富山城下町の町人が住んだエリアで、北陸街道や飛騨街道から近い一等地。これまで荷札にあたる「木札(きふだ)」などが発掘され、有力な商人の屋敷があったと考えられている。

明治~昭和初期の「里程標」が南砺市福光地域で復活

明治~昭和初期の「里程標」が南砺市福光地域で復活

富山県の「歴史と文化が薫るまちづくり事業」を推進する南砺市福光地域の実行委員会が、同市福光の東町交差点付近に、明治から昭和初期にかけて立っていた「里程標(りていひょう)」を復元し、3月14日に現地でお披露目した。
同実行委は歴史的な意義があると判断、事業の一環として復元した。小矢部川産の真石(まいし)を基礎に、高さ3.6㍍の標柱を立てた。富山第一銀行の協力で、説明看板も近くに設置した。
里程標は、全国の陸地の道程調査を進めていた明治政府の方針で、市町村の中心地に建てられた。福光地域に中心部の東町では1870年代に登場し、1902(明治35)年の建て替えなどを経て、1965年ごろに撤去された。

福岡で「400年有田の魅力展」代表窯の器2000点を展示

福岡で「400年有田の魅力展」代表窯の器2000点を展示

今年、創業400年を迎えた有田焼の現在と歴史を紹介する「400年有田の魅力展」が、福岡市・天神の福岡三越で3月9~14日の6日間にわたって開かれた。白磁の人間国宝・井上萬二さんの作品や、柿右衛門窯など有田を代表する窯の器約2000点が展示、販売された。有田町の実行委員会による記念事業の一環。
名窯の置物や日用食器が並んだほか、伝統工芸士らによるろくろや絵付けの実演で、工房の様子を再現。また、江戸時代の有田焼「古伊万里」など、各時代のヒット商品100点で歴史をたどる展示もあり、有田焼400年の歴史の重みと、時代を超えた魅力を感じさせた。

和歌山・九度山町に「真田ミュージアム」オープン

和歌山・九度山町に「真田ミュージアム」オープン

戦国武将、真田昌幸・幸村(信繁)親子らの生涯を紹介する「九度山・真田ミュージアム」が3月13日、ゆかりの地、和歌山県・九度山町にオープンした。
「真田」を題材に街づくりを進める町が、町の中心部に敷地面積1048平方㍍、延べ床面積592平方㍍の施設を建設した。総事業費は約3億8000万円。真田昌幸・幸村、そして幸村の子、大助を含め三代の生涯の常設展示など6つのエリアが設けられている。「上田時代」のコーナーでは、上田城(長野県上田市)を拠点とした昌幸・幸村親子の活躍を年表やパネル、関連する書状の複製などで紹介している。
竣工式では紀州九度山真田太鼓保存会の太鼓演奏が行われ、九度山町の岡本章町長が「真田の魅力を全国に発信し、九度山町の教育や文化、観光などの魅力をさらにアピールしたい」とあいさつした。
大河ドラマ「真田丸」で大谷吉継を演じる片岡愛之助さんが登場し、関係者とともにテープカットしてミュージアムのオープンを祝った。

出雲大社「庁舎」建て替え 平成の大遷宮 30年完成

出雲大社「庁舎」建て替え 平成の大遷宮 30年完成

出雲大社(島根県出雲市)は、境内で異彩を放っているモダンなスタイルの「庁舎(ちょうのや)」を、和風建築の施設に建て替える方針を固めた。
新しい庁舎には伝統の神事で使う「榊の間(さかきのま)」を復活させる考えで、国宝・本殿などを改修した「平成の大遷宮」が一段落する3月以降、2期工事として着手、平成30年ごろの完成を見込んでいる。
庁舎は、社務所や迎賓館としての役割を果たしてきた施設。

門外不出の『葉隠』が佐賀尊皇派から久留米藩に伝播か

門外不出の書『葉隠』が佐賀尊皇派から久留米藩に伝播か

佐賀藩の門外不出の秘本と思われていた『葉隠』が幕末、久留米藩に伝わっていたことが分かった。葉隠研究会理事の大園隆二郎さん(63)の研究で明らかになったもの。
大園さんは久留米藩士、真木和泉守(いずみのかみ)の読んだ本を記録した目録に『葉隠』の記載があったことから関連文献を調査。その結果、正確な伝播ルートは不明だが、佐賀藩の枝吉神陽ら尊皇派を通じた伝播の可能性が浮かび上がった。
『葉隠』は武士の生き方を説いた佐賀藩士、山本常朝の口述を同藩士・田代陣基(つらもと)がまとめた書。本来の武士道とかけ離れていたことから藩内では当初、禁書扱いになった。ただ、藩士の読書会でテキストとして用いられるなど徐々に重要視される書になっていた。

福井で発見の恐竜化石は新種 現代の鳥類並みの聴力

福井で発見の恐竜化石は新種 現代の鳥類並みの聴力

福井県立恐竜博物館は2月26日、同県勝山市で2007年に見つかった小型獣脚類の恐竜が新種と判明し、「フクイベナートル・パラドクサス(逆説の福井の狩人)」と学名を付けたと発表した。国内で見つかって学名がついた恐竜は7種目、福井県では5種目。獣脚類では2種目。
化石は2007年8月、勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から約160点見つかった。同一個体の全身骨格の7割がそろい、全長2.45㍍、体重25㌔と推定される。
内耳の器官の発達具合や骨の形状などの特徴から新種と判断された。内耳の聴力をつかさどる器官が発達し、現代の鳥類に匹敵する聴力があったとみられる。

濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡で金箔瓦の破片発見

濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡で金箔瓦の破片発見

岐阜市教育委員会は2月19日、織田信長が一時拠点とした岐阜城(岐阜市)の居館跡で、多数の金箔瓦の破片が見つかったと発表した。今回見つかったのは庭園遺構や金箔瓦片約30点。
1567年に美濃(岐阜)を攻略した信長が入場直後に工事を始め、途中で設計を変更し、庭園に隣接するよう御殿の敷地を拡張したとみられる。
文献などを参考に調べた結果、屋根を金箔瓦でふいた信長の正室・濃姫の御殿の可能性があるという。

シーボルトのオランダ語直筆書簡見つかる 植物研究で

シーボルトのオランダ語直筆書簡見つかる 植物研究で

博物学者で江戸時代日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師シーボルトが、医療の傍ら、日本の植物研究にも取り組んでいた。その研究のさなかに交わされた直筆のオランダ語の書簡が見つかり、研究者らは日本の植物学の原点を記した貴重な資料だとしている。
今回見つかった書簡は、シーボルトが1828年11月に遭遇した「シーボルト事件」で国外追放になる直前、当時50人以上いた弟子の一人、賀来佐一郎(かく・さいちろう)、佐之(すけゆき)宛てに「日本植物目録」の推敲を依頼する旨、したためられたもの。神田外国語大学の「洋学文庫」の中から見つかった。
長崎・鳴滝塾の門下生だった賀来に関しては歴史上謎が多く、今回の発見で植物学におけるシーボルトの一番弟子とされている伊藤圭介(いとう・けいすけ)と並ぶ重要人物であることが判明した。シーボルトは約1600種の植物標本に学名と和名を付けて分類し、目録を作成する作業を、既述の2人の協力を得て、1827年10月末から長崎県の出島で精力的に行い、半年後「日本植物目録」の草稿を完成させている。
シーボルトの書簡は日本に6本現存しているが、国外追放前に日本植物研究について書かれたものとしては、日本で初めて発見されたものとなる。なお、今年はシーボルト没後150年の節目の年で、2016年2月17日は生誕220年。

飛鳥寺西方遺跡で遷都後の平安時代の皿出土

飛鳥寺西方遺跡で遷都後の平安時代の皿出土

奈良県明日香村教育委員会は2月9日、中大兄皇子、中臣鎌足らによる大化改新をはじめ飛鳥時代の需要なできごとに関する舞台となった「槻(つき)の木の広場」とされる飛鳥寺西方遺跡で、10世紀の土器の皿が数枚重ねられた状態で、複数箇所で見つかったと発表した。平安時代の祭祀(さいし)跡とみられ、平安京への遷都後も広場が特別な空間だったとみられるという。
飛鳥寺西門跡の南西約60㍍で土師器(はじき)の皿(直径10㌢)を5~8枚重ねたものが、110㌢間隔で計3カ所から出土。2㍍北側で皿(直径14㌢)が重なっていた。近くでは炭や焼けた土が交じった長方形の穴も確認された。

「大坂夏の陣」の焼け跡出土 発掘調査現場を公開

「大坂夏の陣」の焼け跡出土 発掘調査現場を公開

大阪市教育委員会などは2月6~7日、大阪城天守閣に隣接した特別史跡大坂城跡の発掘現場で出土した、大坂夏の陣(1615年)で焼け落ちた豊臣期大坂城の焼け跡を整地した整地層を一般公開した。整地層には屋根瓦の破片や黒く炭化した木材片などのがれきが混在し、真田幸村(信繁)らの勇将ぶりに象徴される、大坂夏の陣の戦いの激しさを物語っていた。
発掘調査現場は天守閣の東南にある金蔵の東側エリア。豊臣期大坂城の石垣を再発掘して公開する「豊臣石垣公開プロジェクト」に先立ち、周辺に残る遺構の状況を把握するため、大阪市教育委員会などが継続的に調査を実施しているもの。

由利公正考案の省エネかまど「三岡へっつい」再現 福井

由利公正考案の省エネかまど「三岡へっつい」再現 福井

幕末の越前福井藩士、三岡八郎(後の由利公正)が考案したとされる幻のかまど「三岡へっつい」の再現作業か完了し2月7日、福井県生活学習館(福井市)前で披露された。県と県左官工業組合が文献の少ない、歴史小説などに残るわずかな情報を頼りに、想像して製作した。
三岡へっついは、反射熱を生かすために鉄釜が釣り鐘を逆さにしたような形をしている。かまどは粘り気が強く、耐火性に優れた同県越前町織田の土や石灰などでつくり、たき口、通気孔など計4カ所の横穴が施された。通常の半分のまきの量でご飯が炊ける省エネが売りという。鉄釜とその中に入れる3升5合炊きの羽釜2つは広島県の鋳物メーカーに依頼してつくった。
県は由利公正を主人公にした大河ドラマの誘致に取り組んでおり、今回製作した三岡へっついが、ドラマの誘致につながればと期待を寄せる。県は展示のほか、イベント会場で炊飯を実演して由利公正のPRに活用する予定。この日は、三岡へっついで炊かれたご飯が来館者に振る舞われた。

宮城・多賀城跡で鎮守府示す奈良時代後半の木簡出土

宮城・多賀城跡で鎮守府示す奈良時代後半の木簡出土

宮城県多賀城市の国特別史跡・多賀城跡の発掘調査をしている宮城県多賀城跡調査研究所は2月4日、政庁南の城前地区で鎮守府を示す「府」と書かれた奈良時代後半の文書箱(もんじょばこ)のふたなどの木簡が出土したと発表した。
中央政府が奈良時代に国府とともに東北以北の蝦夷(えみし)を統治するために置いた鎮守府の存在が、同時代の史料で裏付けられた。書箱が見つかった場所は、政庁から約120㍍南、当時の正門「南門」に通じる南大路の東側にある城前地区の実務官衙(かんが=役所)のごみ捨て場跡から出土した。
文字が書かれたふたは長さ32.1㌢、幅5.7㌢、厚さ1.7㌢。「府符口(諸?)郡司口」と書かれ、「府、諸郡司に符す」と読めるという。「符」は上から下へ指令を伝える文書で使われる語句であることから、鎮守府が各地の郡の役人(郡司)に命令を出した文書を収めた箱とみられる。
奈良時代の多賀城に鎮守府が置かれたことは「続日本紀」などの記録にあるが、同時代の史料で存在が確認されたのは初めて。

五代友厚の商才示す新史料、長崎で幕末の証文

五代友厚の商才示す新史料、長崎で幕末の証文

大阪商工会議所初代会頭、五代友厚(1836~1885年)が幕末、長崎の豪商に7500両を貸したことを示す証文が見つかった。五代は当時20代半ば、若いころから大金を動かす才覚があったことが分かる貴重な史料だという。
証文は長崎の豪商として知られた小曾根家の12代当主六左衛門ら宛てで、17代当主吉郎(きちろう)さん(68)の長崎の自宅にあった。縦19.5㌢、横89.5㌢、中袋に入れられ、宛先を書いた包み紙にくるまわれていた。
冒頭に「金子御取替申候一札之事」(金をご融資することの一札)とあり、7500両を利息7%で貸すという内容。末尾には文久元(1861)年12月の日付とともに、「薩州」「五代才助」(友厚を名乗る前の名前)という署名があった。
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍脚光を浴びた、俳優ディーン・フジオカ演じる実業家、五代友厚の青年時代の姿の一端を示すものだ。

大阪・住吉祭に修理終え75年ぶり大神輿復活、巡行へ

大阪・住吉祭に修理終え75年ぶり大神輿復活、巡行へ

大阪三大祭の一つ、住吉祭で男たちに担がれ大和川を渡る大神輿(みこし)が1月28日、胴体部の修理を終えて、住吉大社(大阪市住吉区)に帰ってきた。
この大神輿、130年以上前につくられたもので、老朽化が進み、2年半前から富山県の工房で宮大工らの手で修理されていた。今後、必要な装飾を施され、8月1日には70年以上途絶えていたこの大神輿での巡行が復活する。
大神輿は高さ約3㍍、全長約5㍍。重さは約2.6㌧といわれる。また、2月からの装飾作業で、神輿のてっぺんに金色の鳳凰が飾られる。

開館12日目で来場者1万人突破 真田丸大河ドラマ館

開館12日目で来場者1万人突破 真田丸大河ドラマ館

戦国武将、真田信繁(幸村)が主人公のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送に合わせてオープンした「信州上田真田丸大河ドラマ館」(上田市)が1月28日、開館12日目にして来場者数1万人を突破した。真田家ゆかりの同市と長野市は観光地を整備してイベントを企画するなど誘客に力を注いでおり、上々の滑り出しとなった。
同館はドラマで使われた着物や小道具を展示し、「信繁の生きた時代」や「上田城と真田家の家族」など4つのゾーンに分けて真田丸の世界を体感してもらうのが”売り”だ。見学通路は城下町の街並みを再現した。展示面積は650平方㍍で、過去の大河ドラマ館を含めて最大級といわれる。同館では目標来場者数50万人を見込んでいる。