渋沢栄一揮毫の書発見 塩原太助翁記念碑に

渋沢栄一揮毫の書発見  塩原太助翁記念碑に

第一国立銀行や東京証券取引所はじめ生涯におよそ500もの多種多様な企業の設立・経営に関わり「日本資本主義の父」ともいわれる実業家、渋沢栄一(1840~1931年)。その渋沢栄一が群馬県の塩原太助翁記念公園(みなかみ町)の記念碑のために揮毫(きごう)した書が同園内の宝物庫に保管されていたことが分かった。塩原太助遺跡保存会は書を修復し、隣接する塩原太助記念館で年内にも公開する方針。
書は長さ5.4㍍、幅2.1㍍の和紙に書かれている。墨で「塩原太助翁之碑」「子爵 渋沢栄一書」と書かれ、落款もある。ただ、これまで保存会や太助の子孫もこの書の存在を知らなかったという。
富は社会で共有すべきだとする「道徳経済合一」を唱えた渋沢は、炭屋として成功を収め、公益事業に私財を投じた太助に強く共感したと伝えられる。

平安中期の年号・収穫量記す木簡出土 浜松・梶子遺跡

平安中期の年号・収穫量記す木簡出土 浜松・梶子遺跡

浜松市は7月7日、同市中区南伊場町の梶子遺跡から、平安時代中期の具体的な年号や稲の収穫量が記された木簡などが出土したと発表した。
同市文化財課では、木簡は公的な稲の収穫量を記録した台帳と推測されるとし、当時地方を治めていた律令体制が形骸化していた時代に、少なくとも浜松では役所が機能していたことを示す貴重な史料-と説明している。
木簡は1~6月に行われた発掘調査で遺跡内の「伊場大溝」と呼ばれる川の跡から9点見つかった。このうち1点は西暦913年にあたる「延喜十三年」の文字や稲の収穫量、日付とみられる数字など100以上の文字が書き込まれていた。
同遺跡群からはこれまでに180点以上の木簡が見つかっているが、奈良時代のものが中心だった。梶子遺跡は、同市中区のJR東海浜松工場一帯にある遺跡群の一つ。

「沖ノ島」8つの構成資産一括して世界遺産に

「沖ノ島」8つの構成資産一括して世界遺産に

ポーランドのクラクフで開かれたユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は7月9日、日本の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)を8つの構成資産まとめて世界遺産に登録することを決めた。
8つの構成資産のうち4つを除外し、沖ノ島本体のみを認めるとした5月のユネスコの諮問機関イコモスの事前評価を覆す決定だった。地元・宗像市や福津市の8つの構成資産が密接に結びついてこその「沖ノ島」-との真摯(しんし)な主張が、世界を説得した形となった。審議時間は約1時間弱で、大きな異論はなかった。

熊本で発見の化石の歯は7㍍超ティラノサウルス科か

熊本で発見の化石の歯は7㍍超ティラノサウルス科か

福井県立恐竜博物館は7月5日、熊本県天草市天草町の白亜紀後期の地層「姫浦層群(ひめのうらそうぐん)・軍ヶ浦層(いくさがうらそう)」(約8000万年前)から、ニ足歩行の肉食恐竜などが分類される「獣脚類」の歯の化石1個を発見したと発表した。
断面がふくらみのある楕円形になっている特徴から全長7㍍を超えるゴルゴサウルスなどのティラノサウルス科のものと推定されるという。
化石は2014年10月、天草市立御所浦白亜紀資料館との共同調査で採集された。歯を構成するエナメル質のある「歯冠(しかん)」部分で、高さ42㍉、幅25㍉、厚さ16㍉。全体の高さは56㍉以上あったと推測される。鋸歯の傾きから左上か右下のあごの歯と考えられるという。
発見された化石は、天草市立御所浦白亜紀資料館で7月15~9月3日、一般公開される。

側室・茶々へ太閤・秀吉の気遣いの自筆手紙見つかる

側室・茶々へ太閤・秀吉の気遣いの自筆手紙見つかる

東京大学と兵庫県立歴史博物館は7月7日、太閤・秀吉(1537~1598年)が側室・茶々(後の淀殿)へ送った自筆の手紙が見つかったと発表した。手紙は縦22.6㌢、横50.8㌢と縦22.5㌢、横49.7㌢の2枚に切って掛け軸に貼ってあった。2016年6月、兵庫県豊岡市出石町の旧家で見つかったという。
文面は、当時病を患っていた茶々を優しく気遣う内容で、能を企画して見せたいので、食事をしっかり摂るようにと促し、サンマを送ったと記すなど細やかな心遣いが読み取れる。
調査を担当した東大史料編纂所によると、これまでに茶々に宛てた秀吉自筆の手紙は5点しか確認されておらず、筆まめだった秀吉にしては極めて少なく、新たに見つかったのは戦後初めてという。

国内最古の真珠と確認 飛鳥寺で約60年前に出土

国内最古の真珠と確認  飛鳥寺で約60年前に出土

奈良文化財研究所の最新の分析によると、6世紀末に建立された日本最古の本格的な寺、奈良県明日香村の「飛鳥寺」で、およそ60年前に行われた発掘調査で出土した品々の中に真珠があったことが確認された。国内の寺で出土した真珠としては最も古いという。
真珠は直径1.5㍉から2㍉ほどの大きさで14個あり、真ん中には小さな穴が開けられている。ガラス玉や武具などとともに出土したが、傷みが激しく、これまで材質は分かっていなかった。同研究所のX線など最新の方法で分析した結果、主な成分が炭酸カルシウムで何層も重なってできていることなどが分かり、真珠と確認された。
真珠は仏教の世界では七つの宝、「七宝」の1つとされ、金や銀と並ぶ貴重なものとして珍重されてきたが、国内の寺で見つかった埋納品としては最も古いという。

若冲の墨画発見 塩飽水軍の子孫所有 鑑定番組で

若冲の墨画発見 塩飽水軍の子孫所有 鑑定番組で

江戸時代の、鶏をモチーフにした作品で知られる画家、伊藤若冲(1716~1800年)の鶏図(墨画)が見つかった。今回見つかったのはテレビの鑑定番組に出されて本物と分かったもの。かつて瀬戸内海で活躍した塩飽(しわく)水軍の本拠地、香川県丸亀市の本島にある水軍の子孫の旧家で、50年以上、蔵で眠っていたものという。
作品は、若冲が得意とした鶏を描いた左右一対の掛け物で、雄がひなと雌を見守っている構図。鑑定で「本物」と判定され、1500万円の評価額が付いた。

「お千度の儀」「くじ取り式」祇園祭の行事始まる

「お千度の儀」「くじ取り式」祇園祭の行事始まる

7月に入り、京都の夏を彩る祇園祭の様々な行事が始まった。1日には「お千度の儀」、2日には「くじ取り式」が行われた。
祇園祭の無事を祈る神事、お千度の儀は八坂神社(京都市東山区)で、山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の稚児らが祭りの無事を祈った。
2日には祇園祭の見せ場となる山鉾巡行で、山と鉾が進む順番を決めるくじ取り式が、京都市議会の議場で行われた。
くじ取り式は、あらかじめ順番が決まっている山と鉾を除く24基の順番を決めるもので、争いを避けるためおよそ500年前に始まったといわれている。紋付き袴姿の山と鉾の代表者が、京都市の門川市長の立ち会いのもと、くじを引いていく。
その結果、前祭(さきまつり、7月17日)の巡行で先頭を務める「長刀鉾」の次を行く注目の山一番は「占出山」、また後祭(あとまつり、同24日)で「橋弁慶山」と「北観音山」の次を行く山一番を引き当てたのは「鯉山」だった。

2000万年前のキノコ蘇る 八戸沖海底で採取の菌類

2000万年前のキノコ蘇る 八戸沖海底で採取の菌類

海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)によると、地球深部探査船「ちきゅう」が2012年に八戸沖の海底から取り出された地層から約2000万年前に陸地と一緒に海に沈んだとみられる菌類が採取されたことが分かった。
69の菌類が見つかり、このうち「スエヒロタケ」の一種を培養すると子実体(キノコ)を形成した。人類の誕生以前の菌類であり、現代と比較することで、人の活動が地球の生命進化に与えた影響などを知る手がかりとなる可能性があるという。
菌類はアクレモニウム、スエヒロタケ、アオカビなどで、一般にはカビやキノコとして知られる。古代の森林や湿地に生息していた菌類の胞子が海底で保存され、研究室の培養で蘇ったとみられる。

板垣退助がルイ・ヴィトンの鞄を日本人で初めて購入

板垣退助がルイ・ヴィトンの鞄を日本人で初めて購入

フランスの高級ブランド「ルイ・ヴィトン」の鞄を日本人で初めて購入したのは、自由民権運動の指導者、板垣退助だったことが分かった。
板垣の事績を顕彰する「板垣会」の公文豪・副理事長がルイ・ヴィトンジャパン(東京都)を通じてパリ本店に照会して判明した。
記録によると、1883(明治16)年1月9日に「Itagaki」という人物がシリアルナンバー「7720」のトランクをパリで購入していることが判明し、名前とナンバーが板垣の子孫が保管していたトランクと一致した。そして、この3週間後の同月30日、後藤が2つのトランクを購入した記録があるが、現物は確認されていない。
高知県はこれまで元土佐藩士で、明治新政府で要職を務めた後藤象二郎と紹介してきたが、これよりさらに3週間早く板垣が購入していたことが分かったもの。
共に土佐藩士だった板垣と後藤は1882(明治15)年、横浜からフランスの郵船に乗り、香港などを経てパリに到着。その後もロンドンなどを外遊し、翌年帰国している。

三浦按針墓地を発掘調査 骨片出土 長崎・平戸

三浦按針墓地を発掘調査 骨片出土 長崎・平戸

徳川家康の外交顧問を務め、平戸で没した英国人ウイリアム・アダムス(日本名:三浦按針)を埋葬したとされる平戸市大久保町の公園で6月27日、市が発掘調査を始めた。初日は骨片などが見つかり、市は按針の遺骨かどうか調べる。
調査場所は崎方公園の「三浦按針墓地」一帯で墓の位置を示す石碑周辺(縦1.8㍍、横3㍍)と隣接する道路部分(縦2㍍、横4㍍)、石碑を取り除くと、下から縦約10㌢、横約60㌢、厚さ約40㌢の骨片1個と、割れたつぼが見つかった。
按針はオランダ、イギリスの商館が平戸に開設される際にも活躍し、故郷へ戻ることなく1620年に死没した。1931年10月11日付の長崎新聞は、周辺を調査した警察署員や当時の平戸町助役らが、人の頭部や足の骨片数十個を発見したと報じている。ただ市によると、再び埋め戻したとの話もあり、資料がなく不明という。

元寇防塁で新たな石積み 九州大箱崎キャンパスで確認

元寇防塁で新たな石積み 九州大箱崎キャンパスで確認

九州大は6月26日、福岡市東区の箱崎キャンパスで見つかっていた元寇防塁の跡とみられる石積み遺構の延長線上に、新たな石積みを確認したと発表した。
同キャンパス内の石積み遺構は、昨年の中央図書館南側での発掘調査で初めて確認され、南北方向に約17㍍延びていた。今回、その遺構から南に約60㍍の地点で約5㍍にわたる遺構が見つかった。
同大によると、これらの遺構は文永の役(1274年)の後、再度の蒙古の襲来に備えて博多湾岸に築かれた防塁の一部である可能性が高いという。さらに遺構の延長上には石積みがあったとみられる石片があったことから、キャンパス内の遺構は南北120㍍以上あったと推測している。
同市内では防塁があった10地区が国の史跡に指定されているが、溝状遺構が見つかったのは今回が初めて。

ティラノサウルスの体はウロコに覆われていた

ティラノサウルスの体はウロコに覆われていた

豪州や米国などの研究チームは英専門誌にこのほど、大型肉食恐竜ティラノサウルスは映画『ジュラシック・ワールド』に登場したように、ウロコに覆われていた-とする研究成果を発表した。
ティラノサウルスは白亜紀末期(約6600万年前)に北米にいた大型恐竜。当初はウロコに覆われていると考えられていたが、白亜紀前期に中国にいたティラノサウルスの祖先にあたる小型恐竜ディロングが羽毛を持っていたと2004年に発表。2012年には大型恐竜の仲間で全長9㍍のユウティラヌスにも羽毛の証拠が発見されたことで、全長10㍍級のティラノサウルスも羽毛が生えていたとする説が高まっていた。
大型動物は体が羽毛で覆われると、体温が上がりやすく、熱帯のゾウやサイは毛がほとんどない。研究チームは、白亜紀後期にいたティラノサウルスの大型の仲間、タルボサウルスやゴルゴサウルス、アルバートサウルスなどの化石からもウロコが見つかっていることから、白亜紀前期の羽毛を持つ小型の祖先から大型に進化する過程で変化、白亜紀後期のティラノサウルス類はウロコを持つようになったと結論付けた。

江戸後期退位の光格天皇がじかに添削の和歌見つかる

江戸後期退位の光格天皇がじかに添削の和歌見つかる

江戸時代後期の200年前、最後に退位した光格天皇が添削したとみられる和歌が見つかった。教育研究機関「モラロジー研究所」(千葉県柏市)の分析によると、京都産業大学の所功名誉教授が今年3月、京都市内の古書店から入手した文書に記された和歌を添削したものが、光格天皇が門人の作品に手を入れた跡と分かった。
光格天皇は和歌に優れ、多くの門人を指導したとされる。今回見つかったのは門人、風早(かざはや)実秋が詠んだ和歌40首が記された文書。そこには墨で線が引かれていた。光格天皇が題を与え、実秋が2首ずつ詠んで差し出し、優れている方に天皇が線を入れた跡とみられるという。
天皇がじかに添削した和歌が見つかるのは極めて珍しいという。所氏は、宮廷文化である和歌を天皇が習得し、伝えてきたことが分かる貴重な史料-としている。

戦前の検閲の生々しい実態「蟹工船」など画像公開

戦前の検閲の生々しい実態「蟹工船」など画像公開

国立国会図書館は戦前、内務省が検閲していた発売頒布禁止(発禁)にした本など1327点をデジタル画像で公開した。これらは戦後、占領軍に接収されてアメリカにわたり、米国議会図書館(LC)が所蔵しているもの。
国会図書館がLCと共同で2012年度からデジタル化を進めてきた。検閲官がチェックに使った正本で、傍線や書き込みから検閲の詳細が分かる。小林多喜二「蟹工船」改訂版(1930年)など著作権消滅が確認された約200点は国会図書館のウェブサイトで公開し、それ以外は館内限定公開としている。
公開された、例えば「蟹工船」改訂版の表紙には「削除処分モノ」と「削除命令ヲ遵奉(じゅんぽう)セザルヲ以(もっ)て禁止」との文字が書き込まれている。

福岡・中原遺跡で弥生時代後半のすずり見つかる

福岡・中原遺跡で弥生時代後半のすずり見つかる

福岡県・筑前町の中原遺跡の竪穴式住居跡から見つかった石片が、弥生時代後半の硯(すずり)とみられることが分かった。国学院大の柳田康雄客員教授(考古学)が、奈良県桜井市纒向学研究センターの研究紀要「纒向学研究」で報告した。
都から遠く離れ、渡来人との交流や関わりが薄かったとみられる集落でも出土したことで、すずりは当時格別なものではなく、柳田氏は「倭人がすずりを使って文書を作り、外交もしていた可能性がある」としている。
弥生時代のすずりは松江市の田和山遺跡で1個、福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で2個出土しており、今回で4例目となる。

「竜馬がゆく」「坂の上の雲」自筆原稿見つかる

「竜馬がゆく」「坂の上の雲」自筆原稿見つかる

司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)によると、司馬遼太郎(1923~1996年)の代表作「竜馬がゆく」最終回と、「坂の上の雲」第1回の自筆原稿が見つかった。
いずれも同氏がかつて勤務した関係で産経新聞に連載された代表作で、どちらも存在しないと思われていた原稿。今回見つかった原稿には、様々に手を入れられ、推敲(すいこう)の跡がみられ、作者の作品への”熱い思い”が伝わってくる。
「竜馬がゆく」は連載5回分23枚、「坂の上の雲」は連載6回分24枚、400字詰め原稿用紙で計47枚が見つかった。東京の古書店から連絡を受けた同記念館が鑑定し、6月初めに買い取った。これらの原稿は7月1日から8月31日、同記念館で特別展示される。

奈良・橿原市で弥生期の脚付き編み籠出土 全国初

奈良・橿原市で弥生期の脚付き編み籠出土 全国初

奈良文化財研究所は6月21日、奈良県橿原市の瀬田遺跡で弥生時代後期末(2世紀後半)の箱形の脚が付いた編み籠が見つかったと発表した。脚付きの編み籠の出土は全国初。
円形周溝墓から台座のような脚が付いた編み籠が出土。ラーメン鉢のような形とみられるが、半分は失われ、つぶれた状態で出土した。上辺9㌢、下辺11㌢、高さ3.5㌢の台形の板を四つ組み合わせ、植物で結んで脚同士と籠を固定している。ササ類の茎で編まれ直径約30㌢。底部は「網代編み」、側面は「ござ目編み」など部分によって4種類の編み方を使い分けていた。
同研究所では、状態も良く、素材や製作方法が分かり、弥生時代の工芸技術を知る貴重な例-としている。食料の運搬や貯蔵などに使った日用品と考えられるという。脚付きは、土の上に直接置かないようにするためだったとみられる。

出島和蘭商館跡と対岸結ぶ新設「出島表門橋」試験点灯

出島和蘭商館跡と対岸結ぶ新設「出島表門橋」試験点灯

長崎市の国史跡「出島和蘭(オランダ)商館跡」と、川をはさんだ対岸を結ぶ「出島表門(おもてもん)橋」で6月20日、LED照明の点灯試験があった。
鎖国下の江戸時代にあっても、外国への唯一の門戸となっていた出入口「出島」の石橋が撤去されて以来、約130年ぶりに架かる表門橋は11月に完成する予定だ。同日は橋げたに取り付けられた6120個のLED灯が、さながら江戸時代と現代をつなぐ光の列のように梅雨空の夕暮れに淡く浮かび上がった。橋は11月24日に予定されている完成記念式典から渡れるようになり、夜間にはこのLED照明が点灯される。

大山崎瓦窯跡で平安京造営時の瓦窯跡の範囲確定

大山崎瓦窯跡で平安京造営時の瓦窯跡の範囲確定

京都府・大山崎町教育委員会は、国史跡・大山崎瓦窯跡(大山崎町大山崎)でこれまで確認されていた最北端の窯跡の北から瓦を大量に廃棄した大きな穴が出土したと発表した。
穴は直径約10㍍、深さ0.7㍍で、中から瓦片が大量に見つかった。この穴以北に窯跡はなく、遺跡の北端と判明。この結果、同窯跡がこれまでの調査で出土した12基(南半分の10基と北半分の2基)の窯の範囲で確定した。
同教委では、北半分の2基が瓦を製造する過程で生じた焼け損じ品などを、今回見つかった穴に捨てたものとみている。瓦の様式から、2基は平安京に遷都した桓武天皇の息子、嵯峨天皇の時代に瓦を供給していたことも分かった。

龍馬の手紙 新たに6枚発見 文面に西郷、高杉ら登場

龍馬の手紙 新たに6枚発見 文面に西郷、高杉ら登場

高知県は6月15日、坂本龍馬(1836~1867年)が兄・権平の家族に宛てた手紙が新たに6枚見つかったと発表した。これらの手紙には龍馬が京・伏見の船宿、寺田屋で幕府の役人に襲撃された事件や、幕府と長州藩との戦争の様子が生々しく記述されている。幕末動乱の時代を動かした当事者の記録だ。
県などによると、6枚の手紙はいずれも縦25㌢で、幅は30㌢前後。龍馬が慶応2年12月4日(1867年1月)に記したもの。手紙の存在は写本で知られ、原本の一部も見つかっていたが、この6枚は今回初めて原本が確認された。
手紙の1枚目は寺田屋事件について記している。幕府役人の追手を辛くも逃れ、かくまわれた薩摩藩亭で小松帯刀や西郷隆盛らと語り合い、笑ったことなどが書かれている。3枚目の文面には幕府と長州藩との戦争が描写されている。奇兵隊を組織した長州藩の高杉晋作が錦ののぼり旗を振って指示を出したり、味方の戦意高揚を図るため酒を振る舞い気勢を上げる様子などが記されている。

名古屋城襖絵 来秋にも本丸御殿で初の一般公開

名古屋城襖絵 来秋にも本丸御殿で初の一般公開

名古屋市は6月12日、名古屋城本丸御殿で国重要文化財の襖(ふすま)絵「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」の実物を2018年秋にも設置、展示すると発表した。これまで単体で展示されたことはあるが、敷居と鴨居にはめ込んだ形での一般公開は、当初の本丸御殿の戦災焼失後、初めて。
竹林豹虎図は1614年、狩野派の絵師が描いた全4枚、表裏8面の襖絵。名古屋城来訪者の控室だった玄関の一之間と二之間の境に設置されていた。本丸御殿は太平洋戦争末期、1945年5月の空襲で天守とともに焼失したが、竹林豹虎図を含む障壁画1047面は空襲前に疎開していたため、現存している。

ブラジル移民とコーヒーの歴史展 神戸・交流センター

ブラジル移民とコーヒーの歴史展 神戸・交流センター

明治末期、神戸からブラジルに渡った移民たちをきっかけに、日本で広く知られることになったコーヒーの歴史をたどる展示会が、神戸市中央区の海外移住と文化の交流センターで開かれている。神戸港開港150年記念事業の一環。
同展では、明治41年に最初の移民が神戸港から出港し、ブラジルでコーヒー栽培を始めたことなど、移民とコーヒーのつながりを示すパネルや資料など48点が展示されている。
この中には最初の移民たちを引率し、”移民の父”として知られる水野龍氏が、サンパウロ州政府と交わしたコーヒー豆の無償提供を受ける契約書もあり、水野氏がこの豆をもとに日本にコーヒーを広めた経緯も紹介されている。

蝦夷地探検の近藤重蔵 滋賀・高島市で再評価の企画展

蝦夷地探検の近藤重蔵 滋賀・高島市で再評価の企画展

江戸時代後期の探検家、近藤重蔵(1771~1829年)をテーマにした企画展が、滋賀県高島市鴨の高島歴史民俗資料館で開かれている。6月30日まで。月・火曜日は休館。無料。
重蔵は幕臣で5回にわたり蝦夷地を調査し、択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てたと伝えられている。択捉島はその後、幕府の直轄地となり開発が進められた。ところが、その重蔵は長男が起こした殺傷事件の責任を問われ、大溝藩預かりの身となり、3年間の幽閉を経て、失意のうちに病死した。
今回の企画展では、日露戦争を経て彼の功績が再評価され、明治末期から昭和初期にかけての書画や資料を中心に、重蔵にまつわる15点を紹介している。1905年に発行された肖像木版画や、功績を称えた富岡鉄斎の扁額(へんがく)「氣呑北虜(気は北虜を呑(の)む)」、明治政府から重蔵に正五位が贈られた後、地元で開かれた贈位報告に関する新聞記事もある。

明治新政府の目安箱に投書の住民の訴状原本見つかる

明治新政府の目安箱に投書の住民の訴状原本見つかる

明治新政府が全国に先駆けて京都に設置した目安箱に投書した住民らの訴状の原本34通が、このほど京都市内で見つかった。この時期の訴状が見つかるのは極めて珍しいという。
古文書研究で知られる国際日本文化研究センターの磯田道史順教授(46)が5月下旬、京都市内の古書店で見つけた。
今回見つかった34通の訴状は、慶応4・明治元(1868)年を示す「戊辰(ぼしん)歳」、目安箱への訴えを示す「箱訴(はこそ)」の文字が書かれた冊子に綴じられていた。投書には同年6月~12月の日付があった。
訴状の内容は、幕末の動乱で荒廃した街の復興を求める声や、新政府の紙幣・太政官札(だじょうかんさつ)の発行に伴う物価高騰への苦情、僧侶の贅沢を制限せよ-という訴えや、新政府の役人たちが酒や女色にふけっている-といった告発もあった。
明治新政府は徳川幕府にならい同年2月、全国初となる目安箱を京都・三条大橋西詰に設置。その後、東京や大阪にも広がった。

京都「えき」美術館で絵師・河鍋暁斎の作品展

京都「えき」美術館で絵師・河鍋暁斎の作品展

幕末から明治にかけて活躍した河鍋暁斎(かわなべきょうさい、1831~1889年)の作品展が京都市下京区の美術館「えき」KYOTOで始まった。7月23日まで。
河鍋暁斎は狩野派の画風に浮世絵の技法を取り入れて幅広い作品を残した絵師。会場には、イギリスの収集家が所蔵するおよそ180点の作品が展示されている。「枯木に夜鴉」や「地獄大夫と一休」などテーマやモチーフがユニークで、一見漫画のようでユーモアを感じさせる、河鍋暁斎の個性的な世界観の一端が表現されている。

9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナを確認

9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナを確認

中国地質大の国際研究チームが専門誌「ゴンドワナ・リサーチ」(電子版)に発表した論文によると、ミャンマーの地層から見つかった9900万年前(白亜紀)の琥珀(こはく)の中から、絶滅した鳥類のヒナがほぼ完全な形で見つかった。
羽根や骨格などが当時のまま残っており、原始的な鳥の姿が確認できる。鳥類の進化を探るうえでの貴重な標本という。
今回見つかった琥珀はキャラメルの箱ほどの大きさで、中に絶滅した原始的な鳥類、エナンティオルニス類のヒナと判明した。翼の部分にある前脚の指には爪が生え、くちばしには小さな歯があるなど原始的な特徴が残っていると指摘している。

「天皇退位」18年12月か19年3月実現へ 特例法成立

「天皇退位」18年12月か19年3月実現へ 特例法成立

天皇陛下の退位を実現する「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が6月9日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。これにより、明治以降で初めての退位が今後3年のうちに実現する。天皇の退位は江戸時代の光格天皇以来、約200年ぶり。
今回の特例法は陛下一代限りの退位と皇太子さまの即位を定め、退位後の称号は「上皇」、皇后さまは「上皇后」とする。政府は「将来の先例となり得る」と位置付けており、同様の特例法を制定すれば事実上、将来の天皇も一代ごとに退位できる。
政府は退位日について、2018年12月下旬のほか、2019年3月末も選択肢として本格検討に入った。いずれの場合も、半年から数カ月前に新年号を発表する方向。

人類の起源は30万年前 モロッコで定説覆す化石発見

人類の起源は30万年前 モロッコで定説覆す化石発見

英科学誌ネイチャーに掲載されたドイツの研究グループによる2件の論文によると、ホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカ東部に現れたという、20年来の通説を覆す化石がモロッコで見つかった。
論文の主旨は、現生人類ホモ・サピエンスは30万年前にアフリカに生息し、現代人とそれほど変わらない顔つきをしていたというもの。2件の論文は、古代人類5人の頭蓋骨と骨のかけらや、狩猟や食肉処理に使われていた石器の分析に基づく。いずれも現在のマラケシュに近いジェベリルーにある先史時代の野営地から見つかった。
研究チームは今回の発見により、すでにアフリカ全土に広まっていた現生人類が30万年前、これらの石器を使っていた可能性が高いと指摘している。人類の起源が定説より10万年遡ることを示す研究結果だ。

淡路島で出土の銅鐸 通説より100年以上遡る貴重な資料

淡路島で出土の銅鐸 通説より100年以上遡る貴重な資料

2015年に兵庫県南あわじ市の砂置き場から見つかった「松帆銅鐸」と呼ばれる7点の銅鐸は、付着していた植物の年代測定の結果、弥生時代の紀元前4世紀から紀元前2世紀前半に埋められたものと分かった。
銅鐸から、埋められた当時のものとみられる木の皮や稲、ススキの仲間などの植物が見つかったことから、兵庫県教育委員会が放射性炭素年代測定という方法で分析した。
これまで銅鐸は、鉄器の使用が広がって国の原型ができ始めた紀元前1世紀ごろに埋められるようになったと考えられていた。したがって、今回の結果はこれまで考えられていたよりも100年以上古く、当時の社会の変化を知る貴重な資料として注目されている。

信長の茶会記82年ぶりに発見 料理の献立も記す

信長の茶会記82年ぶりに発見  料理の献立も記す

茶道を治世に活用し権威付けしたとされる天下人、織田信長(1534~1582年)が開いた茶会を記録した茶会記が新たに見つかった。道具の取り合わせや料理の献立も記されていた。調査した古田織部美術館(京都市)によると、信長の茶会記が確認されるのは1935年以来、82年ぶりという。
これは広島藩士・三好家に伝わる記録で、宮下玄覇(はるまさ)・同館館長が数年前に入手した書状などの中から発見された。記録したのは、千利休や今井宗久とともに、茶の湯の三宗匠と呼ばれた、堺の豪商・天王寺屋の主人、津田宗及(そうきゅう)とみられる。書面には「津田宗及御会席付(おんかいせきつけ)」と題され、軸装されていた。
天正2(1574)年5月2日の日付と「於 御殿様(=信長)御会」の記述がある。場所は記録されていないが、当時の信長の動静から京で開かれたと推察される。

表面温度4300度の惑星を発見 東大など国際チーム

表面温度4300度の惑星を発見 東大など国際チーム

東京大学や国立天文台、米航空宇宙局(NASA)などの国際研究チームは、地球から約600光年離れた恒星を周回する、表面温度が約4300度に達する惑星を発見したと発表した。これまで分かっている中で最も表面温度が高い惑星だという。6月5日付の英科学誌ネイチャーに発表される。
同チームによると、この惑星は地球から白鳥座の方向に約600光年離れた恒星「KELT-9」を周回している。公転周期は1.5日で、水素が主成分のガスに覆われているとみられる。
KELT-9の表面温度は約1万度で、太陽の約6000度と比べてかなり高い。また、惑星とKELT-9との距離は、太陽と水星の距離の10分の1程度で極めて近く、惑星は強い紫外線を受けているという。

寺田屋事件で龍馬かくまった薩摩藩伏見屋敷の絵図発見

寺田屋事件で龍馬かくまった薩摩藩伏見屋敷の絵図発見

江戸時代末期、現在の京都市伏見区にあった薩摩藩伏見屋敷の絵図が見つかった。屋敷は1868年、常宿としていた船宿・寺田屋で、幕府の奉行所の役人に襲撃され深手を負い、瀕死の坂本龍馬(1836~1867年)がかくまわれたことで知られる。所在地はこれまで確認されていたが、同屋敷の図面が見つかったのは初めてという。同区の神社、城南宮が6月3日、発表した。
絵図は縦99㌢、横128.2㌢。「天明六年」(1786年)と書かれている。屋敷の建物の配置や間取りを示し、東側には川から上がるための板橋も描かれている。屋敷の規模は南北99㍍、東西64㍍で、敷地面積は4973平方㍍と推定されるという。
同屋敷は1868年、鳥羽・伏見の戦いで会津藩に焼かれた。

高山右近の高槻城 堀、大規模改修工事の痕跡見つかる

高山右近の高槻城 堀、大規模改修工事の痕跡見つかる

高槻市教育委員会は6月1日、高山右近が城主を務めた高槻城(大阪府高槻市)で、織田信長も攻めるのに手を焼いたとされる右近が築いた堀や、江戸幕府が西国大名への備えとして行った大規模な改修工事の痕跡が新たに見つかったと発表した。
今回見つかった堀は幅約9㍍で、江戸時代の二の丸と三の丸の間の約75㍍の内堀の下にあった。2010年には今回の調査地の南でも幅約19㍍の戦国時代の堀が見つかっている。
右近は1578年、信長に謀反を起こした主君の荒木村重に従い、一時織田軍に包囲された。まもなく右近は降伏したが、広大な水堀と城壁で守られた城を、織田軍は攻めあぐねたと外国人宣教師が記録している。
1573~1585年、右近が城主を務めた高槻城はその後、豊臣家を経て徳川家の直轄地となり、大坂夏の陣の2年後の1617年、幕府が全面改修。明治の廃城後に堀は埋められ、現在は公園になっている。

退位特例法9日にも成立へ 政府が公式先例化に言及

退位特例法9日にも成立へ 政府が公式先例化に言及

天皇陛下の退位を実現するための特例法案が6月1日、審議入りし衆院議院運営委員会で、採決を退席した自由党を除く自民、民進、公明、共産、日本維新の会、社民の6党の全会一致で可決された。
菅義偉官房長官は、法案の作成過程や、その中で整理された基本的な考え方は将来の先例になり得る-などと表明。政府として初めて公式に先例化の可能性に言及した。
法案は2日に衆院を通過して参院に送られる。参院は新たに設置した特別委で審議し、9日にも成立する見通しだ。現憲法化で天皇陛下の退位に関する法案を審議するのは初めてで、与野党が法案の審議日程などを交渉する衆院議運委で政府提出法案が審議されるのも異例。
このほか、安定的な皇位継承を確保するための諸課題の一環として、女性皇族が結婚後も皇室に残れるようにする女性宮家創設などの検討を政府に求める付帯決議案も可決した。

古代エジプト人のミイラのゲノム解析 ネイチャー

古代エジプト人のミイラのゲノム解析 ネイチャー

ネイチャーコミュニケーションズによると、福数体の古代のミイラから採取されたDNA試料の解析が行われ、古代エジプト人の遺伝的組成が明らかになったことを報告する論文が掲載される。
この論文の中で、Johannes Krauseたちの研究グループは、エジプト中部のアブシール・エル・メレク遺跡から出土した3体のミイラ(それぞれプトレミー時代以前、プトレミー時代、ローマ時代のものとされる)に由来するゲノムワイドのデータセットだけでなく、ミトコンドリアゲノム(90件)を新たに調べた結果を示している。
そこで分かったのは、古代エジプト人と近東人(西アジアと中東に居住する人々)との遺伝的類似性が高いということで、現代のエジプト人にみられるサハラ以南の人々の遺伝的要素は、最近加わったものであることも明らかになった。
ただ、この遺伝的データはエジプト中部の単一の遺跡から得られたものであり、同研究グループは古代エジプト全体を代表していない可能性があることを指摘している。

“差し押さえを心配” 直木三十五の生活ぶり示す手紙

“差し押さえを心配” 直木三十五の生活ぶり示す手紙

「直木賞」に名を残す作家、直木三十五(さんじゅうご、1891~1934年)の手紙が見つかった。大阪朝日新聞学芸部、白石記者に宛てた速達便で、新聞に連載した小説の原稿料や著作権が、借金のカタに差し押さえられることを心配する内容。
封筒の消印から昭和7(1932)年2月17日の日付が分かり、このころ人気はあったが、金遣いも並みはずれて荒かった大衆作家の暮らしぶりの一端がうかがえる資料だ。
文面は「小生の負債甚だ多く」と切り出し、「或(あるい)ハ著作権差押(さしおさ)へがまいるかもしれず」「もし稿料差押(さしおさ)へが行ったなら全額支払済みと云って下さるか」などと頼んでいる。

首飾りした人骨出土 群馬県渋川・金井下新田遺跡

首飾りした人骨出土 群馬県渋川・金井下新田遺跡

群馬県埋蔵文化財調査事業団は5月29日、古墳時代後期の金井下新田遺跡(渋川市金井)で、首飾りをした人骨が見つかったと発表した。古墳以外の遺跡で首飾りをした人骨が出土する例は極めて少なく、同県内では隣接する金井東裏遺跡に次いで2例目。
この人骨について専門家は、祭祀(さいし)行為に携わる地位の高い人物で、金井東裏遺跡で出土した甲(よろい)を身に着けた人骨と同族だった可能性がある-とみている。
人骨は5世紀後半と推定される竪穴建物跡で発見された。10代とみられ、性別は不明。歯と上腕、大腿部と推定される骨が残り、首の位置から勾玉(まがたま)あ管玉で構成される首飾りが出土した。
このほか、同事業団は地上に直接建築した「平地式建物」の炭化した屋根、鍛冶遺構とみられる建物跡などが見つかったことも明らかにした。

滋賀・甲良町で飛鳥~奈良時代の集落跡見つかる

滋賀・甲良町で飛鳥~奈良時代の集落跡見つかる

滋賀県甲良町在士の法養寺遺跡と横関遺跡で、飛鳥時代から奈良時代の集落跡が見つかった。建物跡や溝跡が発掘され、当時の生活様式を知る手がかりになるとみられる。甲良町教育委員会が明らかにした。
今回発掘された建物跡は奈良時代の竪穴住居2棟と掘立柱建物3棟。竪穴住居のうち1棟には建物を拡張した跡が残っていた。一方、溝跡は幅3~5㍍で深さ約1㍍。水源として利用されていたと考えられる。
このほか、複数の土器と銅銭「神功開寶(じんぐうかいほう)」1枚も見つかった。

3万年前の航海再現 6月に台湾沖で30㌔テスト航行

3万年前の航海再現 6月に台湾沖で30㌔テスト航行

国立科学博物館と国立台湾史前文化博物館は5月24日、3万年以上前に人類が台湾から沖縄に渡った航海を再現する実験について、6月に台湾沖で約30㌔テスト航海を実施すると発表した。
2019年に台湾~沖縄県与那国島間、最短で約110㌔の航行を予定しており、今回は途中遭遇する黒潮による航行への影響を調べるため、あらかじめ短距離を航行することにした。
テスト航行には、竹を熱して緩いカーブをつけた小舟のようなかたちのいかだを使う。長さ約10㍍、幅1㍍ほどの大きさで5人が乗る。
再現実験は2区間に分けて進められており、2016年7月に沖縄県与那国島~西表島間約70㌔を航行している。

奈良・法輪寺で飛鳥時代の鉄製舎利孔蓋を確認

奈良・法輪寺で飛鳥時代の鉄製舎利孔蓋を確認

奈良県斑鳩町教育員会および奈良文化財研究所の調査によると、斑鳩町の法輪寺で仏舎利(ぶっしゃり=釈迦の遺骨)の壺を納めた穴の蓋「舎利孔鉄蓋(しゃりこうてつぶた)」が確認された。法輪寺が5月23日発表した。
鉄製で、飛鳥時代の7世紀後半のものとみられる。蓋は円盤状で直径約33㌢、厚さ0.5~1㍉、重さ712㌘。仏舎利の入った「銅壺(どうこ)」(国重要文化財、飛鳥時代)を納めるため三重塔の心柱の礎石に開けられた穴を塞ぐ蓋とみられる。もとは直径34㌢ほどで中央につまみがあったとみられるが、錆びて周辺部やつまみは失われていた。
解体修理中の1739(元文4)年に仏舎利などが見つかった時の記録「仏舎利縁起」(国重要文化財)には、仏舎利に関する9つの品の一つとして「金蓋(かなぶた)」が描かれており、大きさや形などの特徴が似ていることから同一品と判断した。
古代寺院での鉄製の舎利孔蓋が確認されたのは初めての事例という。法輪寺は聖徳太子の子、山背大兄皇子の創建と伝わる古刹。

京都・西本願寺 国宝「唐門」34年ぶり1日限りの公開

京都・西本願寺 国宝「唐門」34年ぶり1日限りの公開

世界遺産の京都・西本願寺(浄土真宗本願寺派本山)で5月21日、2018年6月から修復工事が行われるのを前に、宗祖・親鸞聖人の生誕日に合わせ、国宝「唐門(からもん)」が開けられ、1日限りで一般公開された。1983年以来34年ぶり。
唐門は豊臣秀吉治政下、桃山時代の建造物で、高さ約8.7㍍、幅約5.4㍍。唐獅子や虎、孔雀など豪華な彫刻が施されている。
法要参拝のため、唐門をくぐる僧侶らに続いて入る観光客らは、見事な彫刻に見入って、カメラを向け盛んにシャッターを切っていた。

国宝・松本城 耐震工事へ 市が19年度着工めざす

国宝・松本城 耐震工事へ 市が19年度着工めざす

長野県松本市は、国宝・松本城が震度6強から7の地震が起きた場合、天守の一部に倒壊の恐れがあることが分かり、耐震工事や避難誘導の計画を策定することになった。着工は2019年度内を目指し、工期は数年間にわたる見込み。
同市は文化庁の指針に基づいて耐震診断に乗り出し、同市から委託を受けた「文化財建造物保存技術協会」(東京)が実施した。
松本城は築城から400年以上経過しているとされる。16年度は約99万人が訪れ、有力観光スポットの一つとなっている。

古代中国貨幣「貨泉」3枚淡路島で出土 弥生期に伝来

古代中国貨幣「貨泉」3枚淡路島で出土 弥生期に伝来

兵庫県南あわじ市教育委員会は5月18日、紀元14~40年にかけ中国古代国家の「新」「後漢」で鋳造されたとされる貨幣「貨泉」3枚が、同市八木入田稲荷遺跡で見つかったと発表した。
貨泉は、今回を含め国内で179枚見つかっているが、今回のように複数枚が重なった状態で発見されるのは珍しいという。3枚は直径2.27~2.32㌢、重さは1.45~2.53㌘。重さから、後漢初頭に造られた可能性が高いと判断した。
同市教委は、古代中国の貨幣が伝わったのは弥生時代後期に淡路島が海上交易の要衝だったことを示す貴重な史料-と話している。

平城京跡で2棟の大型建物跡 貴族の邸宅か

平城京跡で2棟の大型建築物跡 貴族の邸宅か

奈良市教育委員会の発掘調査によると、奈良市の平城京跡で貴族の邸宅だったとみられる大型の建物跡が見つかった。
場所は平城京の中心地の東側にあたる、奈良市法蓮町のマンション建設予定地。塀に囲まれた全長18㍍と12㍍の、2棟の大型建物の柱の跡が見つかった。
2つの建物は南北に接するように建てられ、北側の建物は外側に庇(ひさし)が張り出していて、南側の建物と床が内部でつながり、一体として使われていたと考えられている。こうした建物の利用のしかたは位の高い貴族の邸宅などでみられるという。

国宝・重文いぜん164件所在不明、7件確認 文化庁

国宝・重文いぜん164件が所在不明、7件確認 文化庁

文化庁は5月17日、国宝や国の重要文化財(重文)指定の美術工芸品約1万件のうち、昨年度末時点でいぜんとして164件(うち国宝2件)が不明のままだと発表した。
一昨年度末時点で不明だった172件のうち7件の所在が確認できたほか、1件について「所在情報」が寄せられた。今回確認された7件は、金襴手花鳥文瓢形大瓶(きんらんてかちょうもんひょうけいたいへい)(東京都)、太刀「銘 景光(かげみつ)」(島根県)、蘆屋霰地真形釜(あしやあられじしんなりかま)(大阪府)、埴輪馬(東京都)などですべて重要文化財。現所有者が所有者変更の届け出などして分かったという。
文化庁は国宝、重文の所在不明のものが多数判明したため2014年以降、継続的に調査結果を発表している。

家光供養の不明の法華経2巻見つかる 徳川美術館

家光供養の不明の法華経2巻見つかる 徳川美術館

徳川美術館(名古屋市東区)は5月17日、三代将軍・徳川家光の17回忌のために作られた法華経33巻のうち、所在不明になっていた2巻が見つかったと発表した。
今回発見されたのは僧侶・俊海筆の「化城喩品(けじょうゆほん)」と、公家・園基福(そのもとよし)筆の「法師功徳本(くどくほん)」で、金を使った豪華な経典。経典は一巻ずつ、当時の一流文化人の手で書かれた。経文は紺色の紙に金泥で書かれ、見返し部分も金泥で釈迦と弟子たちが描かれている。巻物の軸に水晶を使い、先の部分を葵をかたどった金具で飾ってある。
これらは徳川美術館で開催中の特別展「金と銀の国 ジパング」で5月18~28日、一般公開される。

新緑の都大路で「京都・葵祭」華やかに平安絵巻

新緑の都大路で「京都・葵祭」華やかに平安絵巻

京都三大祭の一つ、「葵祭」が5月15日、行われた。雅な平安装束に身を包んだ、祭の主役・斎王代はじめ、およそ500人の行列が新緑の都大路を練り歩いた。沿道には警察発表でおよそ5万人の観光客らが見守り、ひととき華やかな”雅の世界”に浸っていた。
祭のスタートは上京区の京都御所で、下鴨神社を経由して、出発からおよそ5時間後に上賀茂神社に到着した。今年は斎王代を同志社大学2年、宮田紗代さん(19)が務めた。
葵祭はおよそ1400年前、欽明天皇が五穀豊穣を祈って馬を走らせたのが始まりとされている。

エジプト・地下墓地で初の民間人ミイラ17体見つかる

エジプト・地下墓地で初の民間人ミイラ17体見つかる

エジプト考古省によると、エジプト中部ミニア県の砂漠地帯で、地下墓地からミイラ17体が見つかった。これらのミイラは王家のものではないという。このほかに金板1枚、古代エジプトの民衆文字「デモティック」が書かれたパピルス2枚、石灰岩や粘土製の石棺が多数、動物や鳥のひつぎなども見つかっている。
ミイラの年代はまだ特定できていないが、考古省はアレクサンダー大王に征服される紀元前332年までのエジプト王朝末期の300年間に属するものとしている。
エジプト当局者らは同地で王家に属さない民間人のミイラが見つかったのは今回が初めてであり、発見は前代未聞だとしている。AFP時事が報じた。

九州の5山笠・山鉾が勢揃い特別巡行 ユネスコ登録記念

九州の5山笠・山鉾が勢揃い特別巡行 ユネスコ登録記念

山笠・山鉾が登場する九州の5つの祭りが初めて勢揃いするイベントが5月13日、福岡市で始まった。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録されたことを記念したもので、夕方から福岡市役所の周辺道路で、伝統の山笠、山鉾などが特別巡行した。
今回「祭 WITH THE KYUSHU」と題し集結したのは、博多祇園山笠(福岡市)、戸畑祇園大山笠(北九州市)、唐津くんち(佐賀県唐津市)、日田祇園(大分県日田市)、八代妙見祭(熊本県八代市)の5つ。
イベントは14日も行われ、午後1時から巡行の予定。