神戸の生誕地に嘉納治五郎の石碑建立
「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎の功績を称えようと、現在の神戸市東灘区、幕末の1860年当時の御影村に、西端の場所を示す石碑が建立され、12月20日披露された。御影石でつくられた石碑は高さ1.4㍍、幅2㍍、横書きで「嘉納治五郎翁 生誕地」と刻まれている。
嘉納は日本古来の柔術を「柔道」として発展、普及させた。また、日本人初の国際オリンピック委員としても活躍し、戦争の影響で”幻”となった1940年の東京オリンピックの招致に尽力した。
「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる
江戸時代初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す、将軍の側近周辺の人物が記した新たな書状が見つかった。
書状は花押や筆跡などから「大坂の陣」(1614~15年)の後、大坂城の建て直しを担当していた小堀遠州が、義理の父親でニ代将軍(大御所)徳川秀忠の側近、藤堂高虎(津藩主)に宛てたもので、記された内容から寛永3(1626)年に書かれたと考えられる。
書状の中で遠州は、大坂城の茶室の庭に置く石を献上するように進言し、その理由について「大坂はゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」と説明している。誰の城になるかは明記されていないが、調査にあたった三重大学の藤田達生教授によると、城に「御」という敬称が付けられていることなどから、当時江戸城にいた大御所の秀忠や三代将軍、家光の居城になるという前提で、遠州が大坂城の整備を進めていたことが分かるという。
徳川幕府の拠点を大坂に移す構想は、実は別の史料にも記されている。1615年に豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」の直後に上洛した薩摩藩の島津家久の話だ。この史料には家久が幕府の上層部から大坂城を当時の将軍、秀忠の居城にするという計画を聞いたと記録されている。
今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映
日本漢字能力検定協会(本部:京都市)によると、毎年恒例の今年1年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」に「災」が選ばれ12月12日、清水寺(京都市東山区)で発表された。
地震や豪雨、台風、猛暑などの自然災害に、近年では稀なほど繰り返し見舞われ、数多くの人が被災したことで、応募数19万3,000票余りの中でも最も多くの人の気持ちを捉えた漢字となった。
2番目は「平」、3番目は「終」だった。「平」は平昌(ピョンチャン)冬季五輪や、メジャーリーグで二刀流の大活躍で驚かせた大谷翔平の印象が大きかった。また、「終」は天皇退位のセレモニーなどのスケジュール一式が公表され、平成最後の年となったことが特に印象付けられたためとみられる。
中国・長江デルタで約4400年前の大規模な気候寒冷化の発生を発見
東京大学と日中の研究機関の共同研究グループは、中国・長江デルタの近傍から採取された海洋堆積物コアを用いて、過去の表層海水温変動を復元した結果、約4400年前~3800年前に大規模かつ複数回の急激な気候寒冷化イベントが発生したことを発見した。
長江デルタでは約7500年前から、世界最古の水稲栽培を基盤とした新石器文明が栄えたが、約4200年前に突然消滅し、その後約300年間にわたり文明が途絶えた。原因について、これまで統一的な見解は得られていなかったが、今回明らかになった気候寒冷化イベントがこの一因になった可能性が高いとしている。
ナマハゲなど8県の来訪神が無形文化遺産に登録決定
インド洋・モーリシャスで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の政府間委員会は11月29日、無形文化遺産に日本の「男鹿(おが)のナマハゲ」(秋田県)など8県の10行事で構成される「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」を登録することを決めた。
今回無形文化遺産に登録されたのは①男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)②吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)③米川の水かぶり(宮城県登米市)④遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)⑤能登のアマメハギ(石川県輪島市能登町)⑥見鳥のカセドリ(佐賀市)⑦甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)⑧薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)、➈悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)⑩宮古島のバーントゥ(沖縄県宮古島市)。
2009年に単独で登録された「甑島のトシドン」(鹿児島県)に、新たに9行事を加えて1つの無形文化遺産として申請していた。したがって、日本の無形文化遺産登録件数は21件で変わらない。
惑星誕生の謎に迫れるか 火星に米探査機「インサイト」着陸
米国NASA(アメリカ航空宇宙局)の探査機「インサイト」が日本時間の11月27日午前5時前、火星への着陸に成功した。火星の内部を詳しく調べることで、地球がどのようにできたのか、惑星の誕生の謎に迫ることができると期待されている。
インサイトはこれから2年間にわたり、火星で起こる地震の揺れの大きさや伝わリ方を観測するほか、深さ5㍍の穴を掘って地下深くから伝わる熱を計測する。
インサイトは5月に打ち上げられておよそ7カ月間、4億8,000万㌔㍍余を飛行して、日本時間の27日、火星の大気圏に突入した。そしてパラシュートなどを使って、火星の赤道のやや北にある「エリシウム平原」と呼ばれる比較的平らな地表に無事着陸した。
「仁徳陵」で埴輪列、石敷き確認 宮内庁・堺市が初の共同調査
宮内庁と大阪府堺市は、10月下旬から今回初めて共同調査している国内最大級の前方後円墳の調査状況を11月22日、報道陣に発表した。これは堺市にある「仁徳天皇陵」とも「大山古墳」とも呼ばれている古墳の調査で、墳丘を取り囲む堤の部分から築造当時のものとみられる一列に並べられた円筒埴輪や石が敷き詰められた跡が見つかった。
調査は墳丘を3重に取り囲む濠(ほり)と濠の間にある2つの堤のうち、内側にある堤の3カ所を掘り下げて行われた。現場には22日、考古学や歴史学に関する16の団体の40人余りの研究者も入り、およそ1時間半ほど見学した。
宮内庁が管理している陵墓は外部の立ち入りが厳しく制限されており、今回初めて共同調査として行われた。
安土桃山時代に初期キリシタンが描いた宗教画発見
安土桃山時代に日本人の信徒、初期のキリシタンが描いたとみられる宗教画が見つかった。見つかったのは和紙をつなぎ合わせた幅22㌢、長さ3㍍余の巻物で、「受胎告知」や「聖霊の降臨」などキリストと聖母マリアの生涯の15の場面が墨絵で描かれている。
巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のものと分かり、明記されたこの年に描かれた可能性が高いという。専門家は、キリスト教が日本に伝わって間もない、最も初期の信仰の様子を知る重要な発見としている。
この宗教画はキリシタンをめぐる歴史的な資料を収集している神奈川県大磯町の澤田美喜記念館の収蔵品の中から見つかり、横浜市歴史博物館が専門家などと鑑定した。澤田美喜さんは岩崎弥太郎の孫。
「本能寺の変」直後の柴田勝家直筆の書状 新潟県で見つかる
天下統一を目前にした織田信長が、家臣の明智光秀に討たれた「本能寺の変」。その8日後の天正10年6月10日、現在の福井市の居城にいた柴田勝家が、織田方の武将、溝口半左衛門に宛てて書いた直筆の書状が、新潟県新発田市で見つかった。新発田市の溝口家に残る歴史資料の中から見つかった。
文面には、光秀の討伐に出遅れた勝家が当時、京都から大坂に展開していた光秀の居場所を正確に把握できていなかったことがうかがえる内容が記されている。そのうえで、光秀が拠点としていた江州、現在の滋賀県にいるとみて、当時の大坂にいた織田方の重臣、丹羽長秀と連携して光秀を討伐する計画を明らかにしている。
昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える
昭和6(1931)年11月7日、市民の寄付によって復興された大阪のシンボル、大阪城。この3代目の天守閣が7日、数え年で88歳の”米寿”を迎えた。
5000枚限定の記念の証明書(縦およそ10cm、横およそ19cm)が、午前9時から訪れた観光客に記念の証明書が配られた。この証明書は天守閣の屋根をかたどった形で、日本語と英語の両方で米寿を迎えた内容が書かれている。
豊臣秀吉が淀君のために建てたといわれる大坂城の初代天守は1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼、淀君ら豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府が再建した2代目天守も1665年に落雷で焼失している。
当時としては最先端だった、鉄筋コンクリート造で建設された現在の3代目天守の高さは地上55m。
昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える
昭和6(1931)年11月7日、市民の寄付によって復興された大阪のシンボル、大阪城。この3代目の天守閣が7日、数え年で88歳の”米寿”を迎えた。
5000枚限定の記念の証明書(縦およそ10cm、横およそ19cm)が、午前9時から訪れた観光客に記念の証明書が配られた。この証明書は天守閣の屋根をかたどった形で、日本語と英語の両方で米寿を迎えた内容が書かれている。
豊臣秀吉が淀君のために建てたといわれる大坂城の初代天守は1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼、淀君ら豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府が再建した2代目天守も1665年に落雷で焼失している。
当時としては最先端だった、鉄筋コンクリート造で建設された現在の3代目天守の高さは地上55m。
天皇陛下在位30年記念貨幣 大阪・造幣局で打ち初め式
大阪市北区の造幣局で11月5日、天皇陛下の在位30年を記念した1万円金貨と500円銅貨の打ち初め式が行われた。
1万円金貨は純金で20㌘あり、表には翼を広げた鳳凰(ほうおう)がデザインされ、500円銅貨には天皇皇后両陛下のご成婚のパレードで使用された馬車がデザインされている。また、いずれも桐と白樺があしらわれ、裏には菊の紋章が描かれている。
1万円金貨は単体の場合、13万8000円、金貨と銅貨のセットは14万円で通信販売され、銅貨だけの場合は金融機関の窓口で額面と同じ500円で引き換える。通信販売の申し込みは11月21日までで、販売と引き換えは2019年2月ごろから予定されている。
近江商人・伊藤忠兵衛直筆の財団設立時の書類見つかる
滋賀県豊郷町で著名な近江商人の一人、2代目伊藤忠兵衛が100年前、故郷の豊郷町のために財団を設立した際の直筆の書類が見つかった。
今回、廃校となった小学校に残されているのが見つかった資料は、合わせておよそ100ページで、財団の定款を忠兵衛が直筆で書いたもの。「自治ノ発展ニ貢献セムトス」と故郷への思いを表現している。また、「金 参萬圓(さんまんえん)」を財団設立のために寄付するとある。現在の物価に換算すると6000万円余りになるという。
忠兵衛は教育や福祉の分野でも多額の寄付を行っており、専門家は「近江商人は社会貢献の意識が高かったことで知られ、忠兵衛もその一人だったことがうかがえる貴重な資料だ」としている。
2代目伊藤忠兵衛は滋賀県豊郷町の出身で、現在の大手商社、伊藤忠商事、丸紅の礎を築いたとされている。
JAXA 水星探査機「みお」打ち上げ 7年後周回軌道へ
JAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発した「みお」など2機の水星探査機が10月20日午前10時45分(日本時間)、南米・フランス領ギアナのクールー宇宙基地からアリアン5ロケットで打ち上げられた。探査機は正常に飛行。欧州宇宙機関(ESA)の探査機(MPO)とともに、2025年12月に水星周回軌道に到着し、約1年間にわたり、水星の構造や成り立ちなどを探る予定。
太陽の一番近くを回る水星は高温で、探査にはその熱さ対策が最大の課題。大気はほとんどなく、クレーターに覆われた姿は月に似ているが、地球と同様に磁場を持つ。直径は4880㌔㍍で地球の約4割しかなく、太陽系で最も小さい。
豊臣期の大量の金箔瓦 静岡・駿府城公園で発見
静岡県は10月16日、同市葵区の駿府城公園内の駿府城天守台跡から、豊臣期につくられたとみられる大量の金箔瓦と、徳川家康が築城した駿府城とは異なる形状の石垣が見つかったと発表した。
今回、「秀吉の城」に使われていたとされる金箔が施された瓦約330点と南北約37㍍、東西約33㍍の天守台が見つかった。天守台の石垣は徳川家康が建てた駿府城とか異なる形状で、自然石を積む野面積みだった。
今回の調査で家康による1585~1588(天正13~16)年の駿府城築城と、1607~1610(慶長12~15)年の駿府城大改修の間、駿府城の地に豊臣秀吉が家臣・中村一氏に1590~1601(天正18~慶長6)年の間に、城を建てさせていたことが裏付けられたとしている。
京都・仁和寺の明王壁画初公開 大迫力の5体
京都の世界遺産、仁和寺(京都市右京区)で、本尊の奥にある5体の色鮮やかな明王の壁画が、10月13日から初めて一般公開されている。12月16日まで。
高さおよそ2㍍、幅およそ15㍍の木製の壁に、江戸時代初期、370年余り前に描かれてから1度も修繕されていないという5体の明王が、天井のライトで照らし出されている。中央の「不動明王」は剣を握り、正面をにらみ付けて堂々と座る姿が描かれ、金色の装具、真っ赤に燃え盛る背後の炎などが色鮮やかに表現され、迫ってくる。このほか、3つの顔と6本の手を持つ明王、手足に巻き付けた明王もあり、その迫力には目を見張るものがある。
これらは普段は一般に人が入れない「裏堂」の壁画、邪悪な者が入ってこないように描かれたという。
平城宮跡で出土の荷札の木簡80点を展示 国宝26点も
奈良文化財研究所は10月13日から、平城宮跡から出土した国宝の荷札など木簡だけを集めた展示会を、平城宮跡資料館で開く。11月25日まで。
今回は奈良時代、全国から税として都に納められていた荷札の木簡およそ80点が3回に分けて展示される。この中には国宝26点が含まれている。平城宮跡からこれまでに、当時は全国の地方それぞれの特産物が税として納められたことをうかがわせる木簡が出土している。下総国海上郡、今の千葉県銚子市などからワカメ、今の山口県周防大島町から塩など、様々な特産物が都に送られたことが分かる荷札が見つかっている。
また、奈良時代の実力者で、絶大な権勢を誇った藤原氏と対立し、非業の最期を遂げた長屋王の邸宅跡からもこの種の木簡が見つかっており、中央の権力者と地方の関わりを示すものだ。
和歌山で西行生誕900年記念特別展 ゆかりの300点展示
平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人、西行(1118~1190年)の生誕900年を記念して、出身地・和歌山でゆかりの文化財などを集めた特別展が10月13日から開かれる。会場は和歌山県立博物館で、11月25日まで。
同展では、西行ゆかりの文化財約300点が展示される。国宝の「僧円位(西行の法名)書状」は、全国で6点しか確認されていない西行直筆の書の一つで、高野山への課税をめぐり平清盛との交渉の様子が認(したた)められている。また、熊野古道に咲く桜を愛(め)でる西行の姿をはじめ、俗名・佐藤義清が出家し、西行と称してから亡くなるまでの生涯を描いた「西行法師行状絵巻」なども展示される。
佐藤義清は平清盛と同い年で、鳥羽上皇に北面の武士として仕えるが、後に出家。仏道修行、和歌に励み、諸国を遍歴した。平清盛・時忠、崇徳院らと交わった。
「はやぶさ2」の探査ロボ、小惑星「りゅうぐう」に着陸
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は9月22日、探査機「はやぶさ2」から投下された探査ロボット2台が小惑星「りゅうぐう」に着陸したと発表した。ロボットはいずれも正常という。先代の「はやぶさ」は2005年に小惑星「イトカワ」への探査ロボット投入に失敗している。今回13年ぶりの再挑戦に成功した。
送られてきた画像では、りゅうぐうは予想外に岩石が多く、予定されているはやぶさ2の着陸は簡単ではないようだ。だが、はやぶさ2は10月下旬から3度の着陸で、生命の起源を解明する手掛かりとなる有機物などを含む岩石を採取する。そして2019年末にりゅうぐうを離れ、2020年末に地球へ持ち帰る予定だ。
龍馬花押の唯一の直筆原本を初披露 福井で特別展
福井県立歴史博物館(福井市)で9月22日から始まった特別展「幕末維新の激動と福井」で、坂本龍馬の花押(サイン)が記された書簡が国内初公開されている。特別展は11月4日まで。
この書簡は越前福井藩士村田氏寿宛てに、元治元(1864)年10月6日付で書かれたもの。訪ねた村田が不在だったため、同行していた薩摩藩の重役、岩下方平とともに近日中に関東へ向かう旨、伝える内容となっている。龍馬直筆の花押を原本で確認できるのはこの書簡だけという。
今回の特別展では初公開されるものが数多く集められている。西郷隆盛が村田に宛てた書簡が初公開されているほか、橋本左内の「啓発録」の原本も展示されている。
日本人の起源探る新プロジェクト始動 DNA解析・海外データと比較
国立遺伝学研究所や国立歴史民俗博物館など複数の研究機関と大学がプロジェクトチームを結成し、日本人の起源を探ることになった。旧石器時代から現代までの人々の遺伝情報を解析することで、日本列島に暮らしてきた人々の起源を5年かけて調査・研究を進める。
チームは、旧石器時代や弥生時代など古代人の人骨からDNAを取り出して遺伝情報を解析し、日本各地に住む現代人500人と比較するほか、海外のデータとも比べる。これにより、およそ4万年前、日本列島に初めて渡ってきたとされる人々が、いつ・どのような過程を経て、今の日本人にできていったのか明らかにしたいとしている。
藤原宮跡「大極殿院」の北門跡を確認 奈文研
奈良文化財研究所の発掘調査によると、飛鳥時代の都、藤原宮跡(奈良県橿原市)で、天皇が儀式を行った「大極殿院」の北門の跡が確認された。9月15日午後1時半から現地説明会が開かれる。
大極殿院の北側に柱を立てた跡とみられる穴が23カ所、東西に並んで確認された。穴の中には柱の基礎となる、こぶし大の石が複数置かれていて、穴の位置などから大極殿を取り囲む屋根がついた廊下「回廊」の跡とみられている。中央付近には柱と柱の間隔が広くなっている場所があり、ここに天皇が大極殿で儀式を行う際に出入りしたとされる「北門」があったとみられるという。
藤原宮跡はおよそ1300年前の飛鳥時代、日本で初めて置かれた本格的な都の中心。その大極殿院は天皇が重要な儀式を執り行った大極殿を含む一角。
幕末の徳川将軍、家茂・慶喜使用の印「経文緯武」の実物確認
徳川記念財団などによると、幕末の14・15代将軍、徳川家茂と慶喜が西洋諸国との間で交わした外交文書に使用した印の実物が確認された。
今回見つかったのは「文武両道の政治を行う」という意味の「経文緯武」と彫られた縦・横9.2㌢、重さ2.7㌔㌘の銀印で、徳川家に伝わる資料などを管理する徳川記念財団が蔵を整理した際、漆塗りの箱の中に残されていた。
東京大学史料編纂所の調べにより、家茂と慶喜が国の代表として外交文書などに使用していた印の実物と確認された。この印は安政5(1858)年に結ばれた日米、日英、日仏間の修好通商条約の批准書などに、将軍の署名とともに押されたことが、残されている書面から確認できるが、実物がどこにあるのか、わかっていなかった。
この印は9月15日から新潟県立歴史博物館で開かれる「徳川の栄華」展で、9月30日までの期間限定で公開される予定。
日本初の有人月面着陸機開発へ JAXAが構想
宇宙航空研究開発機構(JAXA)が、日本初の有人月面着陸機を開発する構想がこのほど明らかになった。構想によると、着陸機は4本脚のテーブルのような形状で、上部に欧州が開発する離陸船と連結させる。月の上空を周回する基地に係留し、飛行士4人が船内に乗り移り降下。エンジンを逆噴射して月面に軟着陸する。
カナダの探査車に乗って2日程度滞在し、月面を探査。帰還時は着陸機を月に残し、離陸船だけが上昇し基地に戻る。基地出発から帰還まで4、5日の予定で、ほぼ年1回計5機程度の着陸を見込んでいる。
欧州と連携し、2030年ごろに月面着陸を目指す。機体は米国のロケットで打ち上げる。2020年代に建設を目指す米国の月基地への参加を念頭に置いたもの。
法隆寺 4市との交流協定締結1周年「食封で結ばれた文化交流展」
奈良・斑鳩町の法隆寺ゆかりの都市文化交流協定締結1周年記念「法隆寺食封(じきふ)で結ばれた文化交流展-法隆寺がつなぐ各地域の古代の様相」が、同町法隆寺西1丁目の斑鳩文化財センターで開かれている。入場無料、9月2日まで。
食封は、朝廷が皇族や寺社などに、一定地域の住民が納める税の一部(米や特産品)を支給した制度。斑鳩町は、奈良時代に法隆寺の運営を支えた食封の存在した兵庫県姫路市、、同朝来市、神奈川県小田原市、群馬県高崎市の4市と2017年7月、同協定を締結している。
同展では、同寺や同町、4市の歴史、文化がうかがえる飛鳥、奈良時代を中心とする考古資料約110点を公開。同寺の五重塔出土舎利容器(模造)や軒瓦、百萬塔をはじめ、各地の寺院から出土した木簡や土器、ユネスコの世界記憶遺産に登録された高崎市の巨大な石碑「上野三碑」(レプリカ)などが展示されている。
お盆の夜空に5つの炎「京都五山送り火」
お盆に先祖の霊を送る、300年以上の歴史があるとされる伝統行事「京都五山送り火」が8月16日夜、例年通り行われた。
京都市は同日夕方、一時的に雨足が強まり、その挙行が危ぶまれたが、夜には上がり午後8時、左京区の大文字山の斜面に設けられた火床に火が一斉に灯され、暗い夜空に炎の「大」の文字が浮かび上がった。そして、「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の順に火が灯され、京都市を囲む5つの山々が炎で描かれた文字と形で彩られた。
地元の人や観光客らは、上京区や中京区のビルの屋上はじめ思い思いの様々な場所から、それぞれ少し異なる表情の、闇夜に浮かび上がる炎がつくりだす幻想的な風景に見入っていた。