40億年前に土星や天王星が大移動、隕石の分析で裏付け

茨城大学や東京大学などの研究グループは、カナダ西部に19年前に落下した隕石を分析し、隕石の由来を調べた結果、土星や天王星など太陽系の一部の惑星が、およそ40億年前に大きく移動したことが分かったと発表した。また、隕石は落下したコースから木星の内側にある小惑星帯からきたと推定されたものの、その成分には木星よりも外側の温度が低いところでできた特徴をもっていることから、この隕石は木星よりも外側でつくられた後、木星の内側の小惑星帯に大きく移動してきたと考えられるとしている。   太陽系ができる過程では、およそ40億年前に木星よりも外側の惑星(土星・天王星・海王星)は、それぞれの重力が影響しあって太陽から離れる方向に移動し、海王星は地球と太陽の距離の15倍にあたる22億km余、天王星はおよそ7億5,000万km外側に移動し、逆に小惑星の一部は木星よりも遠くから、木星の内側に移動したとの説があり、これを裏付け結果を得た。

7/13から「恐竜博2019」世界初公開の化石も、50年間の最新の成果を展示

東京・上野の国立科学博物館で、世界で初めて公開される貴重な恐竜の化石など、この50年間の最新の研究の成果を集めた「恐竜博2019」が7月13日から開かれている。10月14日まで。会場には100点余の恐竜の化石や標本などに加え、最新研究をもとにつくられた高精細な恐竜CG(コンピュータ・グラフィックス)映像などが展示されている。 このうち「デイノケイルス」という恐竜の頭と足の化石は世界で初めての公開。およそ40年間謎とされてきた全身の骨格が明らかになった。長い前足で幅の広いくちばしを持つ珍しいタイプの恐竜だったことが分かった。また、全身の骨格が見つかった恐竜としては国内最大の「むかわ竜」は、12歳程度の大人の恐竜だと分析された結果とともに展示されている。

はやぶさ2,2度目のリュウグウ着陸に成功 惑星内部の岩石採取

太陽系宇宙の成り立ちの一端を解明することにつながるのか?宇宙航空研究開発機構(JAXA)は7月11日、「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」内部の岩石を採取する、世界初のミッションのため、リュウグウへの2度目の接地(タッチダウン)=着陸に成功したと発表した。JAXAは、タッチダウンは大成功、何らかの岩石が採れたと思われるとしている。はやぶさ2の着陸はわずか数秒間で探査機の下から伸びる筒状の装置の先端を地表につけて、その瞬間に弾丸を発射し、砕けて舞い上がった岩石の破片を採取するという仕組み。

21万年前の人類の化石発見、人類は定説より早くアフリカ外へ進出

ドイツのチュービンゲン大学などの研究グループによると、ギリシャの洞窟から見つかった現代の人類の化石が、アフリカ以外で見つかったものとしては最も古い21万年前のものとみられることが分かった。その結果、グループでは、現在に人類は定説より数万年も早くアフリカの外に進出し、ネアンデルタール人などとの共存や競争が長い間、複雑な形で繰り広げられてきたことになり、人類の歴史の解明に役立つと分析している。ギリシャ南部の洞窟から発見された2つの頭蓋骨を復元し、放射線による年代測定を行った。7月10日付の英国の科学雑誌「ネイチャー」に論文が掲載された。

丸木舟で台湾~与那国島へ200kmの航海に成功、日本人のルーツ求めて

日本列島へ最初にたどり着いた日本人は、どのように黒潮を乗り越え、海を渡ってきたのか?日本人の祖先による3万年以上前の航海を実現する、国立科学博物館などのプロジェクトがつくった5人乗りの丸木舟が7月9日午前11時半すぎ沖縄・与那国島に到着した。7月7日午後2時半すぎ(日本時間)の台湾南部・台東県の海岸を出発してからおよそ45時間の航海だった。かいを漕いで、大きなカベだった速い潮流、黒潮を乗り越え、直線で約200kmの航海に成功した。3万年以上前を再現するため、時計や地図、コンパスを持たず、地形や星、月、太陽を手掛かりに進むのは容易なことではない。同プロジェクトでは、丈夫な草(植物)を束ねた舟や竹の筏(いかだ)での実験航海失敗の経験を踏まえ、今回、石斧を使い杉の大木からつくった丸木舟で、遂に黒潮を越えた。約3万年前には台湾は大陸と地続きだった。沖縄の島々への航海は祖先が日本に渡った主要なルートの一つとみられるが、遺跡から当時の舟は見つかっていない。

丸木舟で与那国島目指し台湾出航、日本人の祖先の渡来検証へ

国立科学博物館は7月7日、約3万年前に日本人の祖先が大陸から日本に渡ってきた航海を再現するため、手漕ぎの丸木舟が台湾を出航したと発表した。日本列島西端の沖縄・与那国島を目指す。大陸からの渡来を検証するため、これまで植物や木製の船や筏(いかだ)など3万年前に入手可能だったと思われる材料で、再現実験が行われたが、いずれも無理と判断。今回は丸木舟でのトライとなった。                                          丸木舟は台湾南東部の台東県の海岸を出発。これまでの経験を踏まえ、体力強化のため練習を繰り返し、シーカヤックなどの経験豊富な漕ぎ手5人(男性4人、女性1人)が乗り込んでいる。与那国島までは直線距離で200km以上あり、夜通し漕いでも30~40時間かかる見通し。3万年前の航海術を再現するため、GPS(全地球測位システム)などは使用しないという。ただ、スタッフが乗り込んだ伴走船が並走する。

百舌鳥・古市古墳群 世界文化遺産に登録、23件目

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は、アゼルバイジャンの首都バクーで会議を開き、日本時間の7月6日午後5時半すぎに、大阪府の「百舌鳥・古市(もずふるいち)古墳群」を新たに世界文化遺産として登録することを決めた。百舌鳥・古市古墳群は大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがる、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた、合わせて49基の古墳で構成される。この中には宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる国内最大の前方後円墳も含まれている。これらの古墳は、当時の高い築造技術を示しているほか、日本の古代国家の成り立ちを研究するうえで、貴重なものとされる。今回の登録によって日本の世界遺産は23件目で、文化遺産が19件、自然遺産が4件になる。大阪府の世界遺産の登録は今回が初めて。

井伊直弼が側近や家臣に宛てた手紙18通を展示 心情綴るものも

江戸・幕末期、大老となり、14代将軍をめぐり南紀派と一橋派の対立時の一橋派への弾圧および最終決断や、「安政の大獄」の首謀者とも目される彦根藩主・井伊直弼が、側近や家臣などに宛てた貴重な手紙を集めた企画展が、滋賀県彦根市の彦根城博物館で開かれている。7月16日まで。今回展示されているのは、国の重要文化財に指定されている「彦根藩井伊家文書」などに残された、およそ300通の中から選ばれた自筆の手紙18通。後に側近となる国文学者、長野義言(主膳)に宛てた手紙は、長さ2mを超えた長文で初対面から3夜連続で語り合った喜びが綴られている。また、兄の直亮が急死し、思いがけず藩主の座に就くことになった際、当時江戸にいた  直弼が親しい家臣に送った手紙には「言語に絶する」「残念の至り」などの兄の死を悼む心情が記されている。このほか、病気の家臣を「養生が大事」などと気遣う手紙も残されている。      安政の大獄で、橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎など数多くの英才を斬首した”鬼”のような印象の強い井伊直弼の、親しい間柄の人たちに宛てた手紙には心優しい、人間味あふれた側面も持ち合わせた人物像がうかがわれる。

  

フィリピン沖海底で旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」船体発見

米国の調査チームによると、太平洋戦争中に撃沈された旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」の船体が、フィリピン・パラワン島沖のおよそ1,850mの海底で見つかった。同チームの無人探査機が撮影した映像には船体はじめ、艦橋の構造物や主砲などの形が確認できるほか、機器に刻まれた文字もはっきりと写っている。                                          摩耶は1944年10月、フィリピンへと迫る米国軍を迎え撃つためレイテ島に向かったが、米国海軍の潜水艦の魚雷攻撃をけて沈没し、乗員336人が死亡した。今回、摩耶を発見した調査チームは、2015年にもフィリピン沖の海底で戦艦「武蔵」を発見している。

奈良・香芝市の古墳 王族の墓の可能性

奈良県香芝市教育委員会はこのほど、同市の国の史跡、平野塚穴山古墳で土を盛った墳丘の表面を覆っていた装飾用とみられる石が見つかったと発表した。こうした装飾は天皇陵と考えられる古墳でしか確認されていないことなどから、同市教委では王族の墓の可能性が高まったとしている。同古墳は一辺が25mから30m、高さ5mの2段に築かれた方墳で、7世紀後半に造られたとみられ、国の史跡に指定されている。              同市教委が3年ほどかけて行った発掘調査の結果、土を盛った墳丘の南側の斜面から、2m四方にわたって15cmから30cmほどの装飾用とみられる石がおよそ20個見つかった。同種の凝灰岩で墳丘を覆った古墳は、、いずれも奈良県明日香村にあって、斉明天皇の墓という説がある牽牛子塚(けんごしづか)古墳と、天武天皇と妻の持統天皇を埋葬したとされる野口王墓古墳しか例がないという。こうした点を総合的に判断すると、埋葬されたのは天智天皇や天武天皇の祖父にあたる茅渟王(ちぬおう)が有力な一人とみている。

近江商人の商いの心得、家訓展 滋賀・東近江市

滋賀県東近江市の近江商人博物館で、代々伝わる商いの心得や家訓を記した掛け軸などおよそ20点を集めた展示会が開かれている。7月15日まで。                                   麻布の仲介業者の主人が跡継ぎに宛てた遺言書には「他国で商売をするときは、行く先の人たちのことを大切に思いなさい」と書かれていて、近江商人のモットーといわれる「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の心得が記されている。また、「長者三代鑑」と名付けられた掛け軸には、一番下に懸命に働く創業者、真ん中に仕事をせず茶の湯に興じる2代目、そして一番上に落ちぶれた3代目の姿が描かれ、戒めともいうべき「創業者の勤勉な精神を忘れるべからず」というメッセージが込められている。近江商人の、今日のビジネスにも通じる、興味深い心得がうかがわれる。

銀河系の最遠端の観測に成功 東北大、東大など研究チーム

東北大、東京大学、法政大学、国立天文台などの共同研究チームは6月21日、すばる望遠鏡の超広視野主焦点カメラHyper Suprime-Can(HSC)が撮像したデータを用いて、銀河系の最遠端、すなわち銀河系を形づくる星々の世界の境界を初めて見極めることに成功したと発表した。その境界までの距離は半径約52億光年もあり、銀河系の中心から太陽系までの距離(約2万6,000光年)の20倍にもなることが分かった。銀河系がどのように形成されたかを知るうえで、手がかりとなる。

厳島神社の大鳥居改修工事始まる 老朽化で損傷激しく

世界遺産の厳島神社(所在地:広島県廿日市市)でこのほど、海上に立つ大鳥居の改修工事が始まった。老朽化で損傷が激しいためだ。終了時期は未定。国の重要文化財に指定されている大鳥居は、高さ約16mで、満潮時には海上に浮かぶように見えることから同神社の象徴となっている。現在の大鳥居は1875年に建立され8代目。各部の破損状態を調査し、今後の修理方針を決める。                                             

東大大学院 Y染色体の遺伝子系図解析で縄文・弥生期の人口急減を解明

東京大学大学院の研究グループは6月17日、Y染色体の遺伝子系図解析で縄文時代晩期から弥生時代にかけて、急激な人口減少が起きていたことを解明したと発表した。同グループは日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析すると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで、食料供給量が減ったことが急激な人口減少の要因の一つではないかと思われるとしている。この結果は、縄文時代の遺跡数や規模などの変化から類推されてきた、縄文時代後期・晩期に起きた急激な人口減少を裏付けるものだ。

法隆寺と同じ木型から製造された軒瓦など14点展示 大津市

滋賀県大津市の県埋蔵文化財センターで、同県栗東市の蜂屋遺跡で2018年出土し、日本最古の寺院、奈良・法隆寺との強い関連性をうかがわせる軒瓦など14点が展示されている。土・日・祝日は休み、7月3日まで。展示されているのは、飛鳥時代後半(7世紀後半)の軒瓦「忍冬文単弁蓮華文軒丸瓦(にんどうもんたんべんれんげもんのきまるがわら)」で、製造時の木型によるキズや文様の細かな配置などから、法隆寺創建当時の若草伽藍と中宮寺の軒瓦と同じ木型から製造されたとみられるという。このほか、670年の若草伽藍焼失後に造営された法隆寺の瓦と同じ文様の「法隆寺式軒瓦」なども紹介されている。

時の記念日 滋賀・近江神宮で「漏刻祭」

「時の記念日」の6月10日、滋賀県大津市の近江神宮で時に感謝する神事「漏刻祭(ろうこくさい)」が行われた。6月10日は、1300年余前、天智天皇が現在の大津市に「漏刻」と呼ばれる水時計を設置し、初めて日本が時を刻み始めた日とされている。天智天皇を祀る大津市の近江神宮では毎年この日に漏刻祭と呼ばれる神事が行われている。この日は時計メーカーや販売会社の関係者およそ200人が参列した。時計の専門学校に通う生徒など平安時代の装束をまとった女性たちが最新式の時計、合わせて7点を神前に供え、技術の進歩や業界の発展を願った。

サグラダ・ファミリアに正式建設許可、2026年の完成目指す

スペインのバルセロナにある世界的な観光名所、サグラダ・ファミリア教会に、このほど市から正式な建設許可が下りた。いまも建築中の同協会。これにより、137年前の1882年の着工から、144年後となる2026年の完成に向けて、バルセロナ市と教会側は協力していくことになる。着工当時は同所在地は別の自治体だったため、バルセロナ市に合併された際、建設許可が手続き上のミスなのか、更新されなかったことで3年前、バルセロナ市が同教会に建設許可がないとし、許可の有無を巡って論争となっていた。今回両社はホームページを通じて、6月7日に市から正式な建設許可が出されたと発表した。発表によると、教会側が建設にかかる税金として460万ユーロ、日本円で5億6,000万円余を市に支払い、市はそれを教会に通じる道路の整備に充てることで合意した。世界的な建築家、アントニオ・ガウディの代表作、サグラダ・ファミリア教会は年間300万人以上が訪れる観光名所として知られ、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。

豊臣期の大坂城の構造が明らかに 大阪市立大学G

大阪市立大学の研究グループは、現在の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉が築いた当初の「大坂城」の詳しい構造を明らかにしたと発表した。これまで絵図などでしか確認されていなかった築城当初の大坂城の姿が大規模に確認されたのは初めて。秀吉によって築城された当初の大坂城は1615年、大坂夏の陣に勝利した徳川幕府によって、豊臣の勢威や名残を徹底して封じ込めるため埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれている。ただ、この検証は極めて難しいとされてきた。それは大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているためだ。それだけに発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかなかった。今回同グループは細い金属の棒を地中に差し込んでその際の抵抗から地中の構造を推定する、スウェーデン式サウディング調査で、4年間かけて大坂城本丸のおよそ300地点を調べた。その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたという。

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鑑真の遺徳しのび奈良・唐招提寺で「開山忌」坐像 特別公開

奈良市の唐招提寺で、同寺を開いた中国の高僧、鑑真をしのぶ恒例の法要「開山忌」が営まれ、国宝の「鑑真和上坐像」が特別公開されている。奈良時代、鑑真は命がけの、5回にわたる渡航の失敗を乗り越えて来日。当時の文化先進国の様々な宗教的教えや、生活に根差した文化を日本に伝え、唐招提寺を開いた。そうした鑑真の遺徳をしのんで同寺では命日の6月6日とその前日、「開山忌」が営まれている。国宝、鑑真和上坐像は7日まで公開される。

シベリアの永久凍土から3万年前のライオン発見

ロシアと日本の共同研究チームは6月3日、シベリアの永久凍土から氷河期に生息していたホラアナライオンの赤ちゃんと、オオカミの頭部が氷漬けの状態で見つかったと発表した。いずれも約3万年前の個体で、「奇跡的に良好」な保存状態だという。ホラアナライオンは体長約40cm、体重800gほどで、生まれて間もないとみられる。オオカミは2~4歳で、牙や顔の毛が残っていた。今後DNAも調べる。

松江城の石垣下に50m超の巨大空洞”防空壕”見つかる

島根県松江市によると、松江城の石垣の下から、長さ50m以上ある戦時中の”防空壕”とみられる巨大な空洞が見つかった。空洞は岩盤に「コ」の字型に掘られ、高さ2m、幅が最大4.5m、長さ53mあるという。同市によると、終戦の5カ月前、島根県が空襲時、職員を避難させるため、城の敷地内に防空壕を掘ると記した文書が残されていて、空洞の場所と一致するとしている。ただ、石垣が崩落するおそれがあることから、同市は戦争遺跡として調査したうえで、埋める方向で検討している。

松江城の石垣下に50m超の巨大空洞”防空壕”見つかる

島根県松江市によると、松江城の石垣の下から、長さ50m以上ある戦時中の”防空壕”とみられる巨大な空洞が見つかった。空洞は岩盤に「コ」の字型に掘られ、高さ2m、幅が最大4.5m、長さ53mあるという。同市によると、終戦の5カ月前、島根県が空襲時、職員を避難させるため、城の敷地内に防空壕を掘ると記した文書が残されていて、空洞の場所と一致するとしている。ただ、石垣が崩落するおそれがあることから、同市は戦争遺跡として調査したうえで、埋める方向で検討している。

平城天皇の退位後の住まいの2重塀の跡見つかる 平城宮・西宮

奈良文化財研究所によると、奈良市の平城宮跡の「西宮」で、平安時代の天皇、平城天皇が退位後、住んだ住まいを囲んでいた外側の塀の跡が見つかった。2重の塀に囲まれていて、当時の天皇の住居「内裏(だいり)」と同様のつくりとしていたとみられる。同研究所の4月からの発掘調査で、南北に一直線に並ぶ柱の跡が10基見つかったという。研究所では、これまでの調査から「西宮」を2重に囲む塀のうち、外側の塀とみている。平城天皇は、これまで都を置いた奈良県下を出て、784年長岡京、そして794年平安京に遷都した桓武天皇の息子で、病で天皇の座を弟(後の嵯峨天皇)に譲った後、以前の都・平城京の「西宮」に住まいを移したとされている。6月7日に現地で説明会が開かれる予定。

初公開「頼政一代記」など京都・平等院で840回忌記念展

京都府宇治市の平等院で5月25日、同院にゆかりの深い従三位・源頼政の840回忌を記念した特別展「源頼政-歴史と伝説の交叉(こうさ)」が始まった。9月27日まで。期間中、展示品を一部入れ替える。公家と武家姿の頼政像のほか、初公開の絵図「頼政一代記」はじめ、弓やかぶと16点が展示されている。総帥・平清盛のもと、平家の天下が続いていた中、頼政は本心を胸に秘め、平家とも交流し、強かに生き抜き、その機会を待っていた。そして、源氏再興を期して挙兵した。しかし機熟さず1180年、宇治橋での合戦で敗れ、5月26日、平等院の境内で自刃、無念の最期を遂げた。こんな頼政には御所での鵺(ぬえ)退治の伝説や、亡くなった後の魂が「源氏蛍」となり、「平家蛍」と入り乱れて宇治川を乱舞したとの伝承も残っている。

「大坂夏の陣図屏風」など大阪城天守閣で企画展

大阪城天守閣で5月22日から、「サムライたちの躍動」と銘打った重要文化財の屏風などを展示する企画展がスタートした。7月17日まで。同展では大阪城天守閣で収蔵しているコレクションの中から屏風や甲冑(かっちゅう)など合わせて71点展示されている。中でも目を引くのが重要文化財「大坂夏の陣図屏風」で、慶長20(1615)年の大坂夏の陣の戦いを描いたもの。屏風は左右一対で、右側には徳川家康率いる徳川連合軍と真田幸村らが主導した豊臣軍が激突する様子が躍動感あるタッチで描かれ、左側には民衆たちが川を渡って逃げ惑う様子が描かれている。6月28、29日、日本で初めて開催される「G20大阪サミット」に合わせて、これから一段と増加が見込まれる訪日外国人にもサムライ文化の一端を紹介しようと企画されたもの。

日本遺産 今年度は全国で16件認定、近畿で西国巡礼など

文化庁が認定する「日本遺産」に今年度は全国で16件が認定された。このうち「1300年続く日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼」は、近畿2府4県と岐阜にある33カ所の観音信仰の霊場を巡礼で訪れた人々に、日本人の優しさや心遣いといった豊かな心を伝えるきっかけになるとして認定された。滋賀県内の大津市の三井寺や石山寺など3つの市にある6つの寺の観音像や建物が含まれる。このほか近畿では兵庫県赤穂市の塩づくりが選ばれた。赤穂の塩づくりは江戸時代、入浜塩田と呼ばれる干満の差を利用して海水を引き入れる製塩法を確立し、国内の著名ブランドとして名を馳せたことなどが評価された。日本遺産は2015年、文化庁が各地に点在する有形、無形の文化財を地域のつながりや特徴ごとにまとめ、観光資源としてその魅力を国内外に発信しようと設けたもの。

京都・六波羅で平家一門の屋敷遺構見つかる

京都市東山区の「六波羅」と呼ばれる地域で、平安時代後期、総帥・平清盛のもと隆盛を誇った平家一門の屋敷の一部とみられる堀の跡などが見つかった。この付近には平家一門が拠点を築いていたことは、平家物語など記録に残っているが、実際に遺構が見つかるのは初めてという。堀の跡は東西に長さ15m、深さ1.4mで一番上の部分の幅は3mほどだが、深くなるにつれ狭くなっている。南側に土塁が積まれた跡があることから、南に屋敷が広がっていたとみられ、堀の中からは平安時代後期にあたる12世紀ごろの土器が多く出土したという。この地域でホテル建設が計画され、民間の発掘調査会社が2018年12月から調査を進めていた。

コウモリの翼持った恐竜の化石 中国遼寧省で発見

中国遼寧省のおよそ1億6,300万年前の地層から、2017年見つかった、コウモリのような翼を持つ新種の恐竜の化石が、恐竜から鳥類へと進化していく過程をめぐる研究に一石を投じている。化石は全身の骨格がほぼ完全な状態で、体長は32cmとハトほどの大きさ。前足の手首から細長に骨が伸び、指と骨との間に膜状の翼の痕跡があったほか、化石の首から肩にかけて羽毛が生えていたことを示す痕跡も確認された。このため、この恐竜は全身が羽毛で覆われる一方で、コウモリのような膜の翼を持ち、ムササビのように滑空していたと考えられている。これらの研究成果は、英国の科学雑誌「ネイチャー」に掲載された。

「ㇺジークフェストなら」開幕 23日間に300のコンサート

奈良県の世界文化遺産、東大寺をはじめ元興寺、唐招提寺などを会場に、23日間にわたって約300のコンサートが開かれる音楽祭「ムジークフェストなら」が5月18日、開幕した。初日の18日あ東大寺の大仏殿で記念の式典が行われ、プロの歌手や地元の子供たちがクラシックや民謡などを次々と奉納した。訪れた人たちは、厳かな大仏殿には非日常的な、響き渡る歌声とピアノや三味線の音色を堪能した。ムジークフェストならは、奈良の魅力を、奈良ならではの有名な寺社仏閣を会場に使用し、音楽とともに発信しようと、毎年この時期に開かれている。

京都「葵祭」都大路に雅な平安装束の行列

京都「葵祭」都大路に雅な平安装束の行列

京都三大祭の一つ、「葵祭」が5月15日行われ、平安装束を身に着け、祭りの名前の由来となっている”フタバアオイ”を飾り付けた、およそ500人の雅な雰囲気の行列が、京都御所→下鴨神社→上賀茂神社をおよそ5時間かけて巡行した。沿道には警察発表でおよそ4万7,000人が詰めかけ、華やかな平安絵巻を楽しんだ。十二単(ひとえ)に身を包んだ祭りの主役、令和元年の「斎王代」を務めたのは負野李花さん(23)。
葵祭はおよそ1,400年前、欽明天皇が五穀豊穣を祈って馬を走らせたのが始まりとされている。

縄文人の全遺伝情報を解読 日本人のルーツに迫れるか

縄文人の全遺伝情報を解読 日本人のルーツに迫れるか

国立科学博物館、国立遺伝学研究所、東京大学などの研究グループは5月13日、縄文人の全遺伝(全ゲノム)情報を解析し、縄文人に関する様々なことが分かったと発表した。これにより、アフリカで生まれた人類集団がどのようにして東アジア各地に広がったのか?日本人の祖先がどこから来たのか?こうした謎に迫る貴重なデータとなるはずだ。
同グループは、北海道・礼文島の船泊遺跡で発掘された3,800年前の縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して、最先端の解析装置を使い30億対の塩基配列すべての遺伝情報を解読。現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
この結果、縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団から分かれた時期が約3万8,000年前から1万8,000年前であることが分かった。また、今回の解析で国内の地域ごとに、縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることも分かった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぎ、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄の人たちで約3割だった。
同グループは、詳細を5月末にも学術誌で発表する。

百舌鳥・古市古墳群 世界遺産登録へ イコモスが勧告

百舌鳥・古市古墳群 世界遺産登録へ イコモスが勧告

ユネスコの諮問機関、イコモスはこのほど、世界文化遺産への登録を目指していた大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」について、登録することがふさわしいとする勧告をまとめた。これにより、今年アゼルバイジャンで開かれる世界遺産委員会で正式に世界文化遺産に登録される見通しとなった。
同古墳群は、堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがる2つの古墳群で、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する国内最大の前方後円墳など4世紀後半から5世紀後半ごろに築造された49基が構成要素になっている。大阪府からの登録はこれが初めて。

信長祀る京都・建勲神社でゆかりの金平糖奉納

信長祀る京都・建勲神社でゆかりの金平糖奉納

織田信長を祀る京都市北区紫野の建勲神社で5月12日、450年前のこの日、信長がポルトガルの宣教師ルイス・フロイスと面会し、金平糖とろうそくが献上されたと伝えられていることにちなみ、金平糖が奉納される神事が行われた。
奉納したのは京都市内の金平糖専門店の社長。小分けした金平糖100袋を奉納した。神職が祝詞をあげた後、社長が玉串を捧げ、南蛮文化を好んだという信長の遺徳をしのんだ。

橋本左内「啓発録」の活字本 福井・あわら市で発見

橋本左内「啓発録」の活字本 福井・あわら市で発見

幕末、大老・井伊直弼がらつ腕を振るった「安政の大獄」で散った福井藩の若き英才、橋本左内(1834~59年)が著した「啓発録」の、1889(明治22)年に出版された活字本が福井県あわら市内の民家で見つかった。
国立国会図書館の蔵書履歴によると、今回見つかったものは啓発録の活字本では最も早い出版とみられる。縦19cm、横12.5cmで38ページ。漢字カナ交じり文で書かれている。巻末には編集・発行は鹿児島県士族 山本忠輔と記載がある。
啓発録は、左内が幼少期から人生の目標や規範を書き記したもの。

朝鮮通信使受け入れで功績の雨森芳洲の展示を一新

朝鮮通信使受け入れで功績の雨森芳洲の展示を一新

江戸時代、朝鮮半島から派遣された外交使節団「朝鮮通信使」の幕府側の窓口として大きな役割を果たした儒学者、雨森芳洲の業績を紹介する滋賀県長浜市高月町の展示施設がこのほど、35年ぶりにリニューアルされオープンした。
同施設は、平成29(2017)年に朝鮮通信使に関する歴史的な資料が、ユネスコの「世界の記憶」に登録されたことを受け、オープンから35年ぶりに初めてリニューアル、展示内容が一新された。
新たな展示では、芳洲の生い立ちや朝鮮通信使との関わりなどを8枚のパネルで分かりやすく説明している。また、芳洲が書いた外交の意見書で、世界の記憶にも登録された「交隣提醒」など20点の関連文書の複製なども展示されている。

令和初の一般参賀に14万人超「国民の幸せと世界の平和を」

令和初の一般参賀に14万人超「国民の幸せと世界の平和を」

5月1日に即位された天皇陛下の、令和初の一般参賀が4日、皇居で行われ合わせて14万1,130人が訪れた。
皇居の正門前には、午前9時過ぎの時点でおよそ5万人が集まり、予定より20分早く開門された。即位後、初めて一般の人たちを前に天皇陛下は「ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、わが国が諸外国と手を携えて世界の平和をを求めつつ、一層の発展を遂げることを心から願っております」と述べられた。
天皇陛下は1日で皇后さまや秋篠宮さまなど皇族方とともに、合わせて6回ベランダに立ち、手を振って訪れた人たちに応えられた。

葵祭の無事祈り下鴨神社で勇壮な「流鏑馬」

葵祭の無事祈り下鴨神社で勇壮な「流鏑馬」

京都市左京区の世界遺産、下鴨神社で5月3日、京都三大祭の一つ、5月15日開かれる「葵祭」の無事を祈って、勇壮な「流鏑馬(やぶさめ)」の神事が行われた。
境内の「糺の森(ただすのもり)」に設けられたおよそ400mの”馬場”には、100mおきに3つの的が置かれている。そこに武士の装束に身を包んだ”射手”が登場。勢いよく駆け抜ける馬の上で、バランスを取りながら矢を放ち、次々と的を射抜いていく。的を射抜くと「カーン」と乾いた音が立つ。そのたびに訪れた人たちは歓声を上げ拍手を送っていた。

古代「難波宮」の石組み水路を特別公開

古代「難波宮」の石組み水路を特別公開

飛鳥時代の宮殿「難波宮」にあった巨大な石組みの水路の見学会が5月3日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で行われた。
難波宮跡にある同博物館の地下6mのところに保存されている水路は、幅6m、深さ1mほどの巨大なもの。この古代の水路は、湧き水を難波宮の外に流す目的でつくられたと考えられている。
クレーンがない時代にどのようにしてこれらの大きな石を運んだのか?見学に訪れた人たちは、普段は一般公開されていない、1300年余り前の古代の土木技術に見入っていた。

安土城の史料280点集めた展示会 滋賀・近江八幡市で

安土城の史料280点集めた展示会 滋賀・近江八幡市で

天下統一を目前にした織田信長が築いた”幻の城”安土城に関係する史料およそ280点を集めた展示会が、城跡がある滋賀県近江八幡市の県立安土城考古博物館で開かれている。6月9日まで。
2020年、明智光秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されるのを前に、同ドラマに登場する安土城について、多くの人に知ってもらおうというもので、築城の状況が分かる貴重な史料として国宝に指定されている書状など、城に関する史料をできる限り集めたとしている。
安土城は信長が「本能寺の変」で明智光秀に討たれた後、焼失。豪華絢爛で、異例の構造だったと伝わるが、その詳細や全体像はほとんど分かっていない。

「命のビザ」杉原千畝の功績称えイスラエルで記念式典

「命のビザ」杉原千畝の功績称えイスラエルで記念式典

イスラエル中部の中高一貫の公立学校で5月2日、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から大勢のユダヤ人を救った日本の外交官、杉原千畝の功績をたたえ、より理解を深めようと記念式典が開かれた。
第二次世界大戦中、リトアニア駐在の外交官だった杉原は、人道的な立場から本国の指示を無視して、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人のためにビザを発給し続け、およそ6,000人の命を救ったとされている。
5月2日は、イスラエルではナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺、ホロコーストの犠牲者を追悼する日にあたる。

秋篠宮さま「皇嗣」に 政府が内閣告示

秋篠宮さま「皇嗣」に 政府が内閣告示

政府は5月1日の臨時閣議で、皇位継承を国民に知らせる内閣告示を決定した。天皇陛下の即位に伴い、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」に就かれた。2位は秋篠宮さまの長男、悠仁(ひさひと)さま、3位は上皇の弟の常陸宮さまとなった。
皇嗣の秋篠宮さまの待遇は皇太子と同等に拡充され、紀子さまとともに担われる公務も大幅に増え、負担も重くなる。

堺では江戸時代も盛んに鉄砲生産 古文書で判明

堺では江戸時代も盛んに鉄砲生産 古文書で判明

大阪府堺市と関西大学の分析によると、徳川政権が確立した江戸時代でも、堺では盛んに鉄砲が生産されていたことを示す古文書が見つかった。これは堺市の、かつての鉄砲鍛冶の屋敷、井上関右衛門家から5年前に見つかった、およそ2万点の古文書の分析の結果、判明したもの。
井上家は江戸時代を通じて鉄砲生産に関わっていたとされ、代金の決済などが記された「萬覚帳」からは、1866年の売り上げが現在に金額でおよそ3億円もあったことが分かった。このほか、当時の注文票や鉄砲の設計図などから、全国各地の大名から注文を受けて鉄砲を盛んに生産していたことが分かるという。
天下統一を目指した織田信長や、これを継承した豊臣秀吉が戦乱を収める最大の武器の生産基地として、堺の商人らをを重用したことは知られているが、大きな戦乱がなくなったはずの江戸期になっても、堺で鉄砲生産がこれほど盛んに行われていたことはほとんど知られていなかった。それだけに専門家らは、日本の鉄砲の歴史を書き換える貴重な史料だとしている。

奈良・談山神社で春の「蹴まり祭」

奈良・談山神社で春の「蹴まり祭」

奈良県桜井市の談山神社で4月29日、古代の装束を身に着けて鞠(まり)を蹴り合う「蹴まり祭」が行われた。烏帽子(えぼし)や袴(はかま)装束の「蹴鞠保存会」のメンバー8人が輪になり、さながらサッカーのリフティング並みに、「アリ」「ヤ」「オウ」など独特の声をあげながら、右足の甲だけを使ってまりを蹴りあげるのが作法。訪れた人たちは周囲を遠巻きにして、高く蹴りあげられるまりを見ながら時々、歓声をあげていた。
蹴まり祭は、談山神社に祀られている藤原鎌足(当時は中臣鎌足)が蹴まりを通じて中大兄皇子と出会い、当時の政治を意のままにしていた蘇我氏(蝦夷・入鹿の親子)打倒に向けた、「大化の改新」の計画を練ったという故事にちなみ、毎年春と秋に行われている。

壬生狂言「炮烙割」に歓声 春の公演始まる

壬生狂言「炮烙割」に歓声 春の公演始まる

京都市中京区の壬生寺で4月29日、国の重要無形民俗文化財に指定されている「壬生狂言」の春の公演が始まった。5月5日まで。
今回の公演では最初に人気の演目「炮烙割」が行われた。「悪さをはたらくと、報いを受ける」という教えを伝える演目で、約1,000枚の皿が割られるクライマックスのシーンでは、皿の割れる大きな音が会場に響き渡り、詰め掛けた観客から大きな拍手が起こっていた。
壬生狂言は、壬生寺の僧侶が仏教の教えを分かりやすく伝えようと、約700年前の鎌倉時代に始めたとされ、面をつけた演者たちが太鼓や笛の音色に合わせて身振り手振りだけで演じるのが特徴。

「平成」から「令和」へ 天皇202年ぶり退位 皇太子即位

「平成」から「令和」へ 天皇202年ぶり退位 皇太子即位

天皇陛下は皇室典範の特例法に基づいて、4月30日で退位され「平成」の時代は終わる。翌5月1日に皇太子さまが即位され、新しい「令和」の時代が始まる。
江戸時代後期の光格天皇以来202年ぶりとなる退位。天皇陛下はまず、30日午前10時から皇居の「宮中三殿」で「退位の礼」を行うことを皇室の祖先や神々に伝える儀式に臨まれる。そして午後5時から「退位礼 正殿の義(たいいれい せいでんのぎ)」が皇居宮殿の「松の間」で国事行為として行われる。
また、皇太子さまは即位した5月1日午前10時半から皇居・宮殿で、新しい天皇として三種の神器のうちの剣と勾玉などを受け継がれる「剣璽等承継の儀(けんじとう しょうけいのぎ)」に臨まれる。午前11時10分からは皇后になられた雅子さまとともに、内閣総理大臣をはじめ国民を代表する人たちと会う「即位後 朝見の儀(そくいご ちょうけんのぎ)」に臨まれる。

“新装”薬師寺東塔の修理現場を一般公開

“新装”薬師寺東塔の修理現場を一般公開

約110年ぶりに、約10年かけて大規模な修理が行われた奈良市の薬師寺の東塔の作業がほぼ終わったことから、4月27日から現場の様子が一般に公開されている。訪れた人たちは、普段は公開されていない現場にヘルメットをかぶって入り、美しい姿が蘇った国宝の東塔の細部を興味深げにカメラに収めていた。
今回の修理で約3万枚の屋根瓦が葺き替えられ、併せて創建当初からの屋根の上の銅製の飾り「水煙(すいえん)」も新調されている。
薬師寺の東塔は、寺が創建された1300年前から残る高さ34mの国宝の三重塔。東塔修理現場の一般公開は5月6日まで、午前10時から午後4時まで行われる。

“新装”薬師寺東塔の修理現場を一般公開

“新装”薬師寺東塔の修理現場を一般公開

約110年ぶりに、約10年かけて大規模な修理が行われた奈良市の薬師寺の東塔の作業がほぼ終わったことから、4月27日から現場の様子が一般に公開されている。訪れた人たちは、普段は公開されていない現場にヘルメットをかぶって入り、美しい姿が蘇った国宝の東塔の細部を興味深げにカメラに収めていた。
今回の修理で約3万枚の屋根瓦が葺き替えられ、併せて創建当初からの屋根の上の銅製の飾り「水煙(すいえん)」も新調されている。
薬師寺の東塔は、寺が創建された1300年前から残る高さ34mの国宝の三重塔。東塔修理現場の一般公開は5月6日まで、午前10時から午後4時まで行われる。

四天王寺の亀形石槽は飛鳥時代につくられた

四天王寺の亀形石槽は飛鳥時代につくられた

大阪の四天王寺と奈良の元興寺(がんごうじ)文化財研究所のグループによると、大阪の四天王寺にある亀の形をした石造物が7世紀の飛鳥時代につくられたものであることが分かった。
四天王寺の亀井堂には亀をかたどった石の水槽と、そこから出た水を受ける同じく亀の形をした石の水槽があり、古くから儀式などで使われれきた。こうした構造は奈良県明日香村にある斉明天皇ゆかりとされる酒船石遺跡の亀形石造物と同じで、つくられたのも同じ7世紀ごろと考えられるという。
同グループはこれらを考えわせると、四天王寺が当時の国家にとって重要な場所だったことを示す重要な資料だとしている。

奈良・纒向遺跡で祭祀用のカエルの骨出土

奈良・纒向遺跡で祭祀用のカエルの骨出土

古代、邪馬台国の有力な候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、祭祀(さいし)に使われたとみられるカエルの骨(12匹分)が見つかった。専門家らはカエルは古代、霊力のある動物とされており、カエルが供えられていたことを示す具体的な資料で、当時の祭祀を知るうえで貴重な発見だとしている。
同遺跡では9年前、邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿との説もある3世紀前半の大型建物跡のそばに掘られた穴の跡から、古代中国で神聖な果物とされ、当時の祭祀に使われたとみられる2,000個以上の桃の種と動物の骨が見つかった。この動物の骨を詳しく調べたところ、魚のほかカエルの骨が含まれていたという。

一遍上人の肖像や絵巻を一堂に 京都で特別展

一遍上人の肖像や絵巻を一堂に 京都で特別展

踊り念仏で知られる、時宗を開いた鎌倉時代の一遍上人の肖像画や、その生涯を描いた国宝の絵巻などを一堂に紹介する特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」が、京都国立博物館(京都東山区)で開かれている。6月9日まで。
会場には、一遍上人の生涯を描いた国宝の絵巻「一遍聖絵」の全12巻、肖像画、彫刻などおよそ200点が展示されている。時宗は一遍らが一般庶民の中に入って布教した宗派。展示されている作品に目を凝らすと、描かれた中世の人々の息吹や、様々な階層の暮らしぶりの一端がうかがえる。