信玄から信長へ 感謝の意示す新たな書状発見

戦国武将の武田信玄が織田信長に宛てた書状が新たに見つかった。書状には越後の上杉謙信と戦(いくさ)になった場合、信長が味方に付く意志を示したことに対する感謝の気持ちが示されており、専門家は当時の2人の関係を直接知ることができるインパクトのある発見としている。武田信玄と上杉謙信は「川中島の戦い」に代表されるように、何度も相争った戦国武将の雄。書状は、信玄と謙信の間の停戦が破棄された元亀元(1570)年ごろに書かれたとみられる。後に対立することになる信玄と信長だが、このころは近い関係にあったことがうかがえる。東京大学史料編纂所が、花押や内容から判断した。

卑弥呼の墓?箸墓古墳を素粒子で内部調査 橿原考古学研究所

奈良県立考古学研究所は1月9日、同県桜井市の箸墓古墳を、宇宙から降り注ぐ素粒子「ミューオン」を使って内部を透視する調査を実施していると発表した。箸墓古墳は全長およそ280mの大型の前方後円墳で、3世紀中ごろから後半に築造された最も古い前方後円墳。邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もある同古墳は、宮内庁の管理下にあって発掘などができないため、今回の調査で卑弥呼の謎にどこまで迫れるか注目される。素粒子ミューオンによる調査は、内部をエックス線写真のように透視するもの。エジプトのピラミッドの調査で使われ、未知の巨大な空間の発見につながるなど成果をあげている。

マグロ初競りで大間産クロマグロに1億9,320万円、史上2番目

新元号「令和」で初めて迎えた初市。新春恒例の初競りが東京・江東区の豊洲市場で開かれ、青森県大間産の1匹276kgの巨大なクロマグロが1億9,320万円と史上2番目の高値で競り落とされた。1kgあたり70万円。前年に続きすしチェーン「すしざんまい」を展開する喜代村(本部所在地:東京都中央区)が落札した。

約79万年前の巨大隕石の衝突場所はラオス南部か

シンガポールの南洋理工大学などの国際研究チームはこのほど、約79万年前に巨大隕石が衝突したインドシナ半島の場所はラオス南部で、クレーターの直径は13~17kmである可能性が高いと発表した。論文は米科学アカデミー紀要電子版に掲載された。   研究チームはラオス南部やタイ東部で見つかった「テクタイト」(隕石の衝突によりガラスの粒子が飛散した幅広い場所)の化学分析や重力測定による地下構造の推定、地質の年代測定などにより、クレーターの場所や大きさを絞り込んだ。

京都・八坂神社で平安時代の装束で「かるた始め」

京都・八坂神社で1月3日、平安装束を身に着けて「百人一首」のかるたを取り合う伝統的な年初めの「かるた始め」が行われた。平安時代の雅で色鮮やかな装束を身にまとった女性、子どもら12人が境内の能舞台に上がり、百人一首のかるたをはさんで向き合う。読み手が和歌の上の句を抑揚のある独特の節回しで読み上げると、優雅でかつ素早い手さばきで下の句が書かれた札を取り合う。詰め掛けた観客らは、古式ゆかしい新春の行事を静かに見守っていた。かるた始めあ、八坂神社に祀られている「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」が日本で最初に和歌を詠んだという言い伝えにちなみ、かるた愛好家の団体が毎年1月3日に行っているもの。

令和初の新年一般参賀に6万 8,000人

令和初の新年一般参賀が1月2日、晴天に恵まれた皇居で行われ、宮内庁によると計約6万8,000人が訪れた。この日は正門には早朝から長蛇の列ができた。午前10時10分、天皇、皇后両陛下や上皇ご夫妻、秋篠宮さまら皇族方が宮殿のベランダに笑顔で姿を見せられた。今回は両陛下と上皇ご夫妻が並んで手を振られる貴重な機会となった。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産推薦で閣議了解へ

外務省で12月19日、世界遺産条約関係省庁連絡会議を開き、日本として世界遺産登録に向け、2020年2月1日までに「北海道・北東北の縄文遺跡群」の推薦書(正式版)を世界遺産条約の事務局、ユネスコ世界遺産センターへ提出することで、閣議了解を求める旨、決定した。予定通り進めば、2020年夏から秋ごろに諮問機関による現地調査、2021年5月ごろに諮問機関による評価結果の勧告、2021年夏ごろに第45回世界遺産委員会で審議される見通し。

信長の新たな書状見つかる 一向一揆対処で越前で政治的工作

織田信長が武田勝頼との「長篠の戦い」の直前に、一向一揆に対処するため天正3(1575)年3月16日、越前(現在の福井県)の地侍、神波氏に宛てた、政治的な工作を進めていたことを示す新たな書状が見つかった。この中で信長は、領地を与える約束をしたうえで、ますます忠節を尽くすことを求めている。                                                         この書状は東京都内の男性が古美術商から購入したもので、東京大学史料編纂所の調査で信長の朱印状と判断された。信長はこの年の5月に現在の愛知県で長篠の戦いに臨み、武田勝頼の武勇を誇った軍勢と激突。当時としては銃撃に軸足を置いた戦術でこの戦いを制し、武田氏を事実上滅ぼしたとされる。そして8月に越前の一向一揆に対して攻撃を開始している。これらのことから、信長は天下布武を掲げ、多方面に並行して指示を出していたことが分かる。

宇宙初期の銀河の周囲に巨大な炭素ガスがあることを初めて発見

デンマーク・コペンハーデン大学の藤本征史ドーン・フェロー(2019年3月まで東京大学宇宙線研究所の博士課程に在学)を中心とする国際研究チームは12月16日、アルマ望遠鏡を使った観測によって、宇宙初期にある銀河の周囲に半径約3万光年におよぶ巨大な炭素ガス雲があることを世界で初めて発見したと発表した。炭素ガスは宇宙が誕生した時には存在していなかったと考えられている。この発見から、宇宙初期に生まれた雲が核融合反応で炭素を作り、これが銀河周辺にばらまかれて巨大な炭素ガス雲を形成していたことが分かった。これまで国内外の研究グループによってつくられた理論モデルでは、このように巨大な炭素ガス雲の存在は予言されていなかったことから、従来の宇宙進化の考え方にも一石を投じる発見になった。

京都「嵐山花灯路」12/13~ 渡月橋、竹林の小径などライトアップ

京都・嵐山の観光名所、「渡月橋」「竹林の小径」などを幻想的にライトアップする催しが12月13日から始まる。この「嵐山花灯路(あらしやまはなとうろ)」は、紅葉シーズン後に行われる恒例行事。嵐山一帯5カ所の会場で22日までの10日間行われる。期間中およそ2,000個の行灯とLEDの明かりで、幻想的に包み込む。

聖徳太子ゆかりの西安寺跡から「回廊」跡見つかる

聖徳太子が建立したとされる「西安寺」(所在地:奈良県王寺町)跡で、寺の建物を取り囲んだ廊下、「回廊」の跡が初めて見つかった。回廊の幅は約4.6mで、金堂との位置関係から寺の東西の大きさは37.6mと推定され、寺としては小規模だったとみられている。王寺町が行った調査では、これまでに塔や金堂の跡が確認されている。               また、現場から見つかった瓦と、創建当時の法隆寺の跡から出土した瓦の文様を比較したところ、同じ鋳型でつくられたことが分かり、同町では聖徳太子ゆかりの法隆寺との関係がより深まったとしている。西安寺は現存していないが、文献には聖徳太子が建立したことが記されている。

地質年代名「チバニアン」正式承認へ3次審査通過

国立極地研究所などのチームは11月29日、千葉県市原市の地層を約77万~12万6000年前の地質年代の基準地とし、年代名を「チバニアン」(千葉時代)とする日本の研究チームの案が国際学会の3次審査を通過したと発表した。2020年1月までに国際学会の理事会が正式に承認する見通し。決定すれば地質年代に初めて日本の名前が付く快挙となる。

奈良・富雄丸山古墳で初の青銅製鏡の破片見つかる

奈良市教育委員会の発掘調査によると、「円墳」としては国内最大の同市の富雄丸山古墳で青銅製の鏡の破片が初めて見つかった。破片は縦1.5cm、横3cmほどで、復元すると直径16cmほどの円形になるとみられている。表面に仙人の模様が施されていることから、「斜縁神獣鏡」という中国で作られた鏡だという。同じ種類の鏡が前方後円墳など有力者の墓で見つかっていることから、同市教委は同古墳に「埋葬されたのは、ヤマト政権の中枢と関わりのある有力者」とみている。富雄丸山古墳は、4世紀後半に造られた直径およそ109mの国内最大の円墳。

京都・嵐山で室町時代の酒造工房?の遺構見つかる

京都市右京区の、かつての天龍寺の境内があった場所で、室町時代の清酒造りの工房とみられる遺構が見つかった。マンションの建設工事に伴い、2018年5月から発掘調査を行っていた民間調査会社が見つけた。見つかったのは酒を保管する甕(かめ)の破片や、甕を固定していたとみられる穴などのほか、木製の柱2本。柱はそれぞれ直径30cmと45cm、長さが50cmと1mで、調査会社は枡(ます)に入ったもろみを重い石を使って搾る酒造りの技法に使われたとみている。
これらはおよそ600年前の室町時代につくられたと推定され、規模や出土品から清酒を造る工房だった可能性が高いという。清酒工房はこれまで、兵庫県伊丹市で見つかった江戸時代初期のものが最古とされていた。今回正式に確認されれば、300年近く酒造工房の歴史が遡ることになる。

奈良・御所市の弥生時代の遺跡で大規模な水田跡見つかる

奈良県橿原考古学研究所の調査によると、同県御所市の弥生時代の遺跡で大規模な水田の跡が見つかった。この発見で、弥生人に稲作が始まった初期のころから、灌漑施設を完備した大規模な水田を作る技術があったことが裏付けられた。
今回同市の中西遺跡で新たに410区画、約3,500㎡の水田が見つかった。隣の秋津遺跡と合わせると、その広さは4万3,000㎡に上るという。水田の跡はなだらかな傾斜地に直線的に伸びてきていることから、棚田ような形状だったとみられ、田んぼの大きさは約9㎡と当時としては一般的な規模。周りでは灌漑用の畦(あぜ)や水路の跡も見つかり、大きいものでおよそ26cmの当時の人々の足跡も残されていた。

京都・南座で年末恒例顔見世興行の「まねき上げ」

京都・南座で行われる年末恒例顔見世興行を前に11月25日、舞台に立つ歌舞伎俳優の名前を書いた板を掲げる「まねき上げ」が行われた。長さ1.8m、幅30cmの「まねき」は、勘亭流という独特の太くて丸みを帯びた字体で書かれていて全部で46枚ある。まねき上げは、これを南座の正面に掲げる江戸時代から続く伝統行事。組まれた足場に登り、作業員が一つ一つ掲げていく。このまねき上げで、年末の気配や季節を感じるマニアもいるほど。今年の顔見世興行は11月30日~12月26日まで行われる予定。

約2600万年前のエジプト古代遺跡でライオンのミイラ初発見

エジプトのアナニ考古相はこのほど、首都カイロの南にある、猫の神を祀(まつ)っていたおよそ2600万年前の神殿から多数の動物のミイラや像を発見したと発表した。見つかったミイラのうち2体はエックス線などによる分析の結果、生後6カ月から8カ月のメスのライオンのミイラの可能性が高いという。エジプトでライオンのミイラが見つかったのは初めて。この神殿が造られた時代は、ライオンの神が強い力の象徴として広く信仰されたということで、当時の宗教的な慣習などが明らかになると期待されている。

安倍首相の在任期間11/20で桂太郎氏抜き最長に,トップ4山口県出身

安倍晋三首相の通算の在職日数が11月20日で2887日となり、歴代トップだった桂太郎氏を抜き、単独で憲政史上最長となった。安倍氏が最初に首相に就任したのは2006年9月だった。だが、体調不良でわずか1年の短期で終わった。その後、民主党政権時代を経て2012年12月に自民党が政権与党に返り咲き、安倍氏は再び首相の座に就いた。同氏の任期は2021年9月末まであり、任期いっぱい務めると3567日となる。
ちなみに在職日数のトップ4をみると、安倍氏、桂氏、佐藤栄作氏、伊藤博文氏でいずれも山口県(江戸時代まで長州藩)出身で占めている。

平等院で紅葉シーズンのライトアップ始まる 池の水面に幻想的光景

世界遺産に登録されている京都府宇治市の平等院で、11月16日から紅葉シーズンに合わせライトアップが始まった。5年前の改修で創建当時の色合いを取り戻した鳳凰堂や本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)、それに色づき始めたもみじが、ライトアップに伴い手前の池の水面に映し出され、幻想的な光景をつくり出していた。        平等院のライトアップの一般公開は16日から12月1日までの金曜日から日曜日に限って行われる。

江戸時代の反射望遠鏡 鏡の制度は現代レベル

国立天文台などによると、今からおよそ180年前の江戸時代、天保年間に製作された反射望遠鏡の鏡の精度を調べたところ、現代の市販の鏡とほぼ同レベルでつくられていたことを示すデータが得られた。この望遠鏡は江戸時代後期に日本で反射望遠鏡を完成させて天体観測を行った国友一貫斎がつくった1台で、天保7(1836)年と記されている。計測した国立天文台では「計測機器のない時代にこれだけ精度の高い鏡を製作できるのは非常に驚き」と指摘している。この望遠鏡は滋賀県長浜市が所蔵。

世界最古のオーロラの記録を確認 大阪大・筑波大

大阪大学、筑波大学などのグループはこのほど、紀元前660年前後に現在のイラク周辺でオーロラが出現したことを示す記述が当時つくられた粘土板に記されていることを確認した。従来よりも100年ほど遡る、世界最古の記録として注目されている。同グループは紀元前680年から650年の間につくられたとみられる粘土板に「赤い光」「赤い雲」「赤い空が覆う」といった記述が確認できたという。紀元前7世紀に現在のイラクにあたるアッシリアで、当時の天文学者がまとめた「アッシリア占星術レポート」を解読した。

「はやぶさ2」地球への帰還目指し、小惑星を出発

小惑星の成り立ちを調べるというミッション達成のため、「リュウグウ」への2度の着陸に成功した日本の探査機「はやぶさ2」は11月13日午前10時すぎ、地球への帰還を目指してエンジンを発射し、リュウグウを出発した。はやぶさ2は、3年半かけてリュウグウに到着。およそ1年半にわたって岩石の破片を採取するため異なる手法で、2度の着陸に成功するなど、探査を続けていた。                                                                                   はやぶさ2は11月20日からおよそ2週間メインエンジンの試験運転を行い、12月3日以降、本格的に噴射して地球に向かう計画。そして2020年11~12月、リュウグウの岩石の破片が入ったとみられるカプセルを分離して、オーストラリアの砂漠地帯に落下させる予定。

直江兼続の,秀吉の人使いのうまさ伝える書状見つかる,伏見城築城現場で

戦国武将、上杉景勝の家臣の直江兼続(なおえかねつぐ)の、豊臣秀吉の気さくで人使いのうまさを伝える書状が見つかった。書状は、伏見城普請に派遣されていた兼続が、京に向かう途上の主君・景勝の随行者とみられる人物に宛てたもの。この中で、伏見城(所在地:現在の京都市伏見区)築城の工事現場に秀吉が自ら赴き、現場の作業員一人一人に声をかけた様子が記されている。                                                                      文禄3(1594)年の4月2日付で書かれ、兼続の花押がある。兼続は築城現場の様子を報告するとともに、「昨日も大(太)閤様御覧なされ候(そうろう)、普請衆何(いずれ)二も、御言葉を被下(くだされ)候」(文意:昨日も秀吉様が工事をご覧になりました。工事をしている者たちに直接言葉をかけて下さいました)と、現場の士気を高めるための気配りを見せた様子を記している。                                                                                                東大史料編纂所と新潟県立歴史博物館などの共同調査で確認された。

令和・即位「祝賀御列の儀」祝賀パレードに11.9万人

天皇陛下が皇后さまとともに、広く国民に即位を披露し祝福を受けられるパレード「祝賀御列の儀」が11月10日午後3時過ぎから、皇居-赤坂御所のおよそ4.6kmのルートで行われた。                                                                                                                         天皇陛下は燕尾服に最高位の勲章、皇后さまは白のロングドレスにティアラという姿で、君が代演奏の後、オープンカーに乗り込まれた。そして天皇陛下の即位を祝ってつくられた行進曲「令和」が演奏される中、出発。車列には秋篠宮ご夫妻や安倍首相の車など18台の自動車と白バイやサイドカー合わせて46代が連なり、その長さはおよそ400mにもなった。このパレード群が時速10キロほどのゆっくりとしたスピードで進み、およそ30分間で儀式は終了した。                                                                                    沿道には、11万9,000人の人たちが全国各地から詰めかけ、歓声を上げ、小旗を振って両陛下を祝福。両陛下は終始にこやかな表情で、休むことなく手を振って応えられていた。警視庁は2万6,000人の態勢で警備にあたった。                                                  今回の祝賀御列の儀で、5月から行われてきた「即位の礼」の一連の国事行為はすべて終わった。

万6,000人の態勢で警備にあたった。                                                  今回の祝賀御列の儀をもって、5月から行われてきた「即位の礼」の一連の国事行為はすべて終わった。

東大寺東塔調査で回廊の東門跡を初めて確認

奈良文化財研究所、橿原考古学研究所などに調査団は11月7日、奈良・東大寺にかつてあった巨大な塔、東塔を囲む回廊の東側にあった門の跡が今回初めて確認されたと発表した。東門の大きさは幅12.7mあり、調査団は回廊の南北や西側にあった門も同じ規模と推定している。4年前から進められてきた発掘調査は、今年度中に完了する予定。東大寺ではこれまでの調査の成果をもとに、将来的には東塔の再建を目指したいとしている。                                                                                                                      東大寺の東塔は、高さおよそ100mとも伝わる七重塔で、平安時代に焼き打ちされ、鎌倉時代に再建されたが、落雷で再び焼失したとされている。

文楽で80年ぶりの名跡「竹本錣太夫」復活

およそ80年前に途絶えた人形浄瑠璃の名跡が復活することになった。語り手の「太夫」を務める竹本津駒太夫さんが2020年1月、「六代目 竹本錣(しころ)太夫」を襲名する。襲名披露公演は2020年1月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で行われる。竹本津駒太夫さんは広島県尾道市出身の70歳。                                                                             錣太夫は、人形浄瑠璃「文楽」で昭和初期にかけて活躍した先代の五代目が”艶物(つやもの)”と呼ばれる男女の恋愛を描いた作品の語りの名手として知られる名跡だが、およそ80年前に途絶えていた。

年末恒例 京都・南座顔見世興行の「勘亭流」まねき書き始まる

京都市左京区の妙傳寺で、京都・南座の年末恒例の歌舞伎の顔見世興行の、「勘亭流」という独特の書体を使った”まねき”と呼ばれる出演者を紹介する看板書きの作業が始まった。まねき看板はおよそ50枚。サイズは長さ1.8m、幅30cmで、書家の井上優さんが客の大入りを願って隙間なく、丸みを帯びた勘亭流の書体で1点ずつ丁寧に書きあげていく。このまねき看板は11月25日に京都・南座の前に掲げられる予定。顔見世興行は30日から始まり、いよいよ年末、師走を迎える。

京都で円山応挙の襖絵など約100点集め展覧会 近代京都画壇作品

「円山応挙から近代京都画壇へ」をテーマに、江戸中期の絵師で”写生画の祖”といわれる円山応挙の襖(ふすま)絵、屏風(びょうぶ)絵などを集めた展覧会が、京都市左京区の京都国立近代美術館で開かれている。同展覧会は作品を入れ替えながら、12月15日まで開かれている。                                                                                                 会場には、円山応挙とその影響を受けた画家たちの襖絵や屏風絵など約100点が展示されている。より大きなスペースとって紹介されているのが、応挙の最高傑作とされる兵庫県香美町の大乗寺所属の襖絵群だ。寺と同じ配置で立体的に展示され、作者・応挙の制作意図に配慮している。このほか、「松に孔雀図」、掛け軸「狗子図」なども展示されている。

葛飾北斎の晩年期の肉筆画新たに2点確認「富士見西行図」「藻魚図」

葛飾北斎(1760~1849年)の肉筆画が新たに2点確認された。「富士見西行図」(1848年)とメバルを描いた「藻魚(もうお)図」(1847年)の2点だ。晩年期の色紙サイズの作品。西行図は3年ほど前に米国で発見、藻魚図は今年、国内で存在が明らかになった。いずれも軸装で、現在は個人が所蔵している。筆致や落款などから北斎の作品で間違いないという。

姫路城が英ウェールズのコンウィ城と姉妹城に、市民交流へ

世界遺産の姫路城が、イギリス・ウェールズの同じ世界遺産のコンウィ城と姉妹城として提携し、市民交流を深めていくことになった。今回の提携はウェールズ州政府からの働きかけで実現し、兵庫県の姫路城の西の丸でこのほど提携式が行われた。             コンウィ城は築城700年、姫路城は築城400年で、ともに地元のシンボルとして美しい姿を残している。姫路城はすでにフランスのシャンティイ城と姉妹城の提携をしており、コンウィ城は2つ目の姉妹城となる。

沖縄「首里城」で火災「正殿」「北殿」全焼、城内へ延焼

沖縄県那覇市の首里城から10月31日未明、出火し、城の中心的な建物の「正殿」と「北殿」が全焼した。また、城内にある他の建物にも次々と燃え広がっているという。消防によると、これまでのところけが人などの情報は入っていない。                                           首里城では10月27日から琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」というイベントが開かれていて、31日未明まで開催予定の催しの準備が行われていた。                         首里城は琉球王国時代のおよそ500年前に建造され、昭和8年に国宝に指定されたが、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失した。平成4年に「正殿」が復元され、その後ほかの建物も順次復元され、平成12年に城跡が、県内にある城の跡とともに「世界遺産」に登録されている。

日本初の長編アニメ「白蛇伝」の制作資料見つかる 東映アニメ

日本初の長編カラーアニメーション映画として61年前に公開された「白蛇伝」の絵コンテなどの資料が、京都市右京区の東映太秦映画村で見つかった。専門家は草創期のアニメの制作過程が分かる貴重な資料だとしている。                                                        白蛇伝は東映動画、現在の東映アニメーションが昭和33年に公開した、日本で初めての長編カラーアニメーション映画。見つかった資料は、アニメーターがキャラクターの立体感を考える際に使われたとされる粘土模型4体や、全体の構成を指示する絵コンテの第1稿などおよそ40点。これらの資料の一部は11月4日まで京都文化博物館で展示されるほか、今後、東映太秦映画村でも展示される。

秋の都大路彩る京都「時代祭」 歴史絵巻に6万人余の見物客

10月22日の「即位礼正殿の儀」と重なるのを避け、今年だけ例外的に26日に日を変えて、京都三大祭りの一つ「時代祭」が行われた。王朝の平安時代から武家政権時代、そして明治時代までのそれぞれの時代を象徴する装束に身を包んだおよそ総勢2,000人の行列が、京都御所から平安神宮までのおよそ4.5kmの都大路を練り歩いた。           行列は明治時代の鼓笛隊や官軍を先頭に、時代を遡る形で歴史上の人物が登場。維新への扉を開くのに重要な役割を果たした坂本龍馬、色鮮やかな十二単を身に着けた皇女和宮、さらには織田信長などが次々に登場し、沿道では昨年より多い6万人余りが、この華やかな歴史絵巻を楽しんだ。

令和最初の「正倉院展」初出展4件含む41件の宝物出展

奈良時代の聖武天皇ゆかりの宝物を集めた「第71回正倉院展」が10月26日から始まった。令和で最初となる今年の正倉院展には初出展の4件を含む41件の宝物が出展され、11月14日まで奈良市の奈良国立博物館で開かれている。                                       今回の展示で興味深いのは革製のくつ、「衲御礼履(のうのごらいり)」だ。これは聖武天皇が大仏開眼法要の際に使用したと推測されるもの。表面には赤く染めた牛の革が、内側には鹿の革が用いられ、真珠や水晶などでつくられた花形の飾りがあしらわれている。また、「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)」は、香をたくのに使う道具で、獅子の形をした飾りが取り付けられており、器の側面には植物や蝶の文様など豪華な装飾が施されている。

平安京の「西寺」の五重塔跡? 見つかる 京都市の発掘調査で

京都市の発掘調査によると、794年の平安京への遷都で、桓武天皇の命で「東寺」と対になるように造られた官営の寺「西寺」の五重塔の基礎部分の可能性が高い跡が見つかった。調査ではこれまでに、最も大きな建物とみられる講堂の土台部分の「基壇」が確認された。今回さらに五重塔があったと推定される場所を発掘したところ、碁盤の目状に12カ所で地盤を突き固めた跡が見つかり、これまでの調査と合わせると五重塔の基礎部分である可能性が高いという。                                                                            西寺は、鎌倉時代に火災に遭い焼失、それ以降は再建されず、京都市南区の跡地が国の史跡に指定されている。

「命のビザ」,発給でリストラに 杉原千畝の履歴書見つかる

第2次世界大戦中の1940年、赴任先のリトアニアでナチスの迫害を逃れるため、ビザを求めるユダヤ人に日本の通過ビザを発給し続けて、およそ6,000人の命を救ったとされる日本の外交官・杉原千畝氏(1900~1986年)の履歴書が新たに見つかった。これによると、杉原氏は1947年4月の帰国後に外務省を辞め、NHKや商社などを転々としたが、1949年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。外務省では杉原氏の退職理由について「不明」としているが、同氏が参院に提出した履歴書では「1947年3月の行政整理に際し被整理者に予定せられたる」と記載しており、人道的立場から、いわば省命に背き行った「ビザ発給」後、同氏は懲罰的に帰国前の段階でリストラ対象者とされていたと判断される。

天皇陛下 即位を国内外に宣言 2,000人を前に「即位礼正殿の儀」

天皇陛下の即位に伴う「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」が10月22日、皇居・宮殿であいにくの雨の中、皇族方11人および各界の代表や外国の元首などおよそ2,000人の参列者を前に、即位を国内外に宣言された。                                                天皇陛下は「黄櫨染御袍(こいろぜんのごぼう)」に身を包んで、皇后さまとともに儀式に臨み、「松の間」に設(しつら)えられた「高御座(たかみくら)」でお言葉を述べられた。この中で、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法に則(のっと)り、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います」と述べられた。夜には祝宴にあたる「饗宴の儀」も行われた。

親鸞直筆の教え説く文書 長崎大村市で見つかる

本願寺史料研究所などによると、浄土真宗の開祖として知られる親鸞が、仏典の中から重要な箇所を選び出し、自ら書いた文書が長崎県大村市で見つかった。この文書は同市の正法寺の前住職が20年ほど前に業者から購入し、同寺に保管されていた。今年8月に同寺から依頼されて同研究所などが調べたところ親鸞直筆と確認された。文書の内容は、教えを信じ、念仏を唱えることの必要性を説くもの。                                 九州地方で親鸞直筆の文書が見つかったのは、鹿児島県の寺に次いで2例目。これらのほかにも親鸞直筆の書物は全国で見つかっている。これらのことから鎌倉時代、親鸞が教えを広め、伝えるために繰り返し文書を書き、配っていたことがうかがえるという。

弥生期の奈良の遺跡から乳房表現した土器発掘、国内初

奈良県田原本町教育委員会の発掘調査で、およそ2000年前の弥生時代中期の「清水風遺跡」から、女性とみられる人物が両手を広げ、祈りを捧げる様子を表現した土器の破片が発掘された。この土器の破片は縦12cm、横16cm。絵には女性をイメージさせる乳房が表現されていて、同町教育委は祭祀を司る”みこ(巫女)”が豊作を祈願する様子を表現したとみている。同様のポーズをした人が描かれた土器の発掘例は19件あるが、乳房が表現された例は初めてという。                                                                       この土器は10月10日から12月1日まで、田原本町の「唐古・鍵考古学ミュージアム」で展示される。

源氏物語「若紫」最古の藤原定家写本見つかる

藤原定家の子孫にあたる京都・冷泉家の調査によると、原本が残っていない平安時代の「源氏物語」(全54帖)の「若紫」を鎌倉時代の歌人、藤原定家が書き写した写本が新たに見つかった。今回見つかったのは、これまで紫式部のオリジナル表現に近いものとして最も信頼できる資料とされてきた室町時代の写本を、さらに250年遡る「若紫」の写本で、定家の筆跡と一致した。当時、官位の高い人物しか使うことが許されなかった青墨も使われていた。表紙は国の重要文化財に指定されている、定家の源氏物語のほかの写本「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の4帖と同じだという

藤原宮跡の大極殿院で新回廊の跡見つかる 旧来の知見見直しも

奈良文化財研究所の発掘調査によると、橿原市にあった飛鳥時代の都の中心「藤原宮跡」で、天皇が政務や儀式を行った「大極殿院」の区画から、屋根のある廊下「回廊」の跡が新たに見つかった。藤原宮の大極殿院は大極殿の建物を中心に、周囲に東西およそ120m、南北およそ165mの長方形の「回廊」があったと考えられていた。               ところが今回の発掘調査で、南北に走る東側の回廊の途中から、西に直角に伸びる長さおよそ30mの回廊の跡が新たに見つかったもの。回廊は単純な長方形だと考えられていたため、新たな回廊の跡は想定外。このため同研究所では「古代の宮殿の変遷や発展を考えるうえで、貴重な発見だ。今後、構造や配置を見直す必要が出てきた」としている。

藤原京跡の西端に広大な宅地跡 見つかる、官位低い貴族の邸宅

橿原考古学研究所の発掘調査によると、奈良県橿原市にあった飛鳥時代の都、持統天皇が造営したとされる「藤原京」跡の西端に、広大な宅地の跡が見つかった。場所は橿原市四条町で、東西におよそ14m、南北におよそ10mの広さの建物跡と、建物の南側に9mほどの幅がある門の跡が見つかった。さらに門に沿って塀の跡が、東側におよそ45mにわたって伸びていた。建物の配置から、塀は門を挟んで反対側の西側にも伸びていたとみられ、宅地は周辺の道も含めておよそ130m四方の区画を占めていたと考えられるとしている。その規模の広さから比較的、位の低い貴族の邸宅とみられるという。都の端にあたる場所で、貴族の邸宅跡が見つかるのは初めてという。当時の都の整備の進め方を知る貴重な手掛かりになるとみられる。

正倉院で「開封の儀」、10/26から41件の宝物の正倉院展

奈良市の正倉院で10月1日、宝物の点検や調査のため年に一度、部屋の封印を解く「開封の儀」が行われた。正倉院事務所長の先導で、宮内庁の職員や東大寺の僧侶らが手や口を清めた後、宝庫の中に入った。正倉院はこれからおよそ2カ月にわたり、宝物の点検や調査などが行われる。これに合わせ奈良国立博物館で10月26日から「正倉院展」が開かれ、初出展の4件を含む41件の宝物が公開される。また、今年は令和天皇の即位を記念して、一部の宝物が10月14日から東京国立博物館でも公開される。正倉院では、奈良時代に造られた校倉造りの正倉に入っていた聖武天皇の愛用品や東大寺ゆかりの宝物などおよそ9,000点が宝庫と呼ばれる建物に移され保管されている。

平城宮跡で「太政官」建物跡? 東方官衙地区で初めて見つかる

奈良県文化財研究所の調査によると、奈良市の平城宮跡で奈良時代の国政を担った中心的な役所「太政官(だいじょうかん)」とみられる大規模な建物跡が初めて見つかった。今回見つかったのは平城宮跡の「東方官衙(とうほうかんが)」と呼ばれる役所が集まった地区で、土を固めた建物の土台「基壇」が見つかった。基壇の大きさは東西およそ29m、南北およそ17m、高さがおよそ1.2mあったとみられ、平城宮跡で見つかった役所の中では最も規模が大きいという。基壇の南北ではそれぞれ3カ所で階段の跡が見つかったほか、周辺には小石が一面に敷き詰められていて、格式の高い大規模な建物が建てられていたと同研究所ではみている。さらに天皇が政務や儀式を行った大極殿の近くにあることから、国政を担った中心的な役所、太政官の建物跡と判断している。同研究所では、当時の律令国家を考えるうえで貴重な資料だとしている。

奈良・橿原市の本薬師寺跡で飛鳥時代最大の南門見つかる

奈良県橿原市教育委員会の発掘調査によると、同市の本薬師寺の跡で寺の正門にあたる南門が初めて見つかった。当時の寺院の南門としては最大で、同委員会は本薬師寺が国家主導で造られた寺院としてふさわしい立派な門を備えていたことを示す資料だとしている。国の特別史跡に指定されている本薬師寺跡は、飛鳥時代、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して創建を始めた寺の跡で、奈良市にある薬師寺の前身とされている。同委員会の発掘調査によると、建物の柱を支える礎石を抜き取った穴が、東西に並んで3カ所見つかった。南門の大きさは東西およそ15mとみられている。

10/3から人気の「琵琶湖疏水」に新観光船お目見え

明治時代に開通したびわ湖と京都市を結ぶ水路「琵琶湖疏水」を走る観光船(2隻)に、10月3日から新しい船が1隻追加されることになり9月23日、お披露目された。船は「れいわ号」と名付けられ、14人乗りで座席を斜めに配置したり、屋根の支柱の数を減らして周囲の景色が見やすいように工夫されている。秋シーズンの運航は10月3日から12月1日まで。琵琶湖疏水(区間7.8km)の観光船は2018年から運航され、平均乗車率が98%を上回り、予約が取りづらい状況が続いていた。

京都・伏見区の秀吉居城の内堀は推定の2倍以上の規模と判明

天下人となった豊臣秀吉が現在の京都市伏見区に築いた城「指月城」の内堀が30m以上と、これまで推定されていた最大で15mほどの2倍以上だったことが分かった。京都市文化財保護課の発掘調査で明らかになった。                                                        指月城は、秀吉が隠居のために築いた屋敷を1594年に改築したもので、その後地震で倒壊し、後に伏見城が造られた。20年前から発掘調査を進めている京都市は今回、過去の調査で見つかっていた土の段差が指月城の内堀の端だったことが分かり、これまで考えられた2倍以上の規模だったことが判明した。天下を統一した秀吉の権力の大きさを表すものとみられている。

足利義満ゆかり「花の天井」一般公開 京都・平岡八幡宮

室町時代の三代将軍、足利義満ゆかりの京都市右京区の平岡八幡宮で、四季折々の草花が描かれた「花の天井」が一般公開されている。この秋の一般公開は12月1日まで。平岡八幡宮の本殿の天井には義満の邸宅「花の御所」に咲いていたとされる四季折々の草花が描かれており、「花の天井」と呼ばれている。44枚の天井板一つ一つには、義満が中国の明との貿易で取り寄せたとされるブドウやザクロ、京都の山々を彩る赤く色づいたカエデの葉など、いろいろな種類の花が色鮮やかに表現されている。

和歌山県串本町沖 トルコ軍艦沈没事故から129年 追悼式典

トルコの軍艦「エルトゥールル」が明治23年9月16日、和歌山県串本町の沖合で沈没し乗組員500名以上が亡くなった事故から129年となる9月16日、串本町の慰霊碑の前で犠牲者を追悼する式典が行われた。式典には日本と、駐日トルコ大使館のハサン・ムラット・メルジャン特命全権大使らトルコの、両国関係者などおよそ120名が参列した。  この事故の際、地元の住民が乗組員の救助にあたり、69名の命が救われたことから、その後日本とトルコが友好を続ける礎の一つになったとされている。

“やりまわし”に歓声 大阪・岸和田「だんじり祭」

高さがおよそ4m、重さがおよそ4トンのだんじりを法被、ねじり鉢巻き姿の男たちが、力強い掛け声とともに、豪快に引き回す大阪府岸和田市の「だんじり祭」が9月14、15の両日行われた。今年は市内の各地区から34台のだんじりが参加。最大の見どころは交差点で、だんじりが勢いよく走りながら直角に向きを変える”やりまわし”。だんじりの屋根の上でうちわを持って舞う「大工方」の合図で、引手たちが息を合わせて、勢いよくだんじりを曲げる。そのたびに見物客からは歓声が上がる。                                              岸和田だんじり祭は、江戸時代、当時の岸和田藩主が五穀豊穣を願って始めたと伝わる、300年以上続く伝統の祭。