宮城・多賀城跡で鎮守府示す奈良時代後半の木簡出土

宮城・多賀城跡で鎮守府示す奈良時代後半の木簡出土

宮城県多賀城市の国特別史跡・多賀城跡の発掘調査をしている宮城県多賀城跡調査研究所は2月4日、政庁南の城前地区で鎮守府を示す「府」と書かれた奈良時代後半の文書箱(もんじょばこ)のふたなどの木簡が出土したと発表した。
中央政府が奈良時代に国府とともに東北以北の蝦夷(えみし)を統治するために置いた鎮守府の存在が、同時代の史料で裏付けられた。書箱が見つかった場所は、政庁から約120㍍南、当時の正門「南門」に通じる南大路の東側にある城前地区の実務官衙(かんが=役所)のごみ捨て場跡から出土した。
文字が書かれたふたは長さ32.1㌢、幅5.7㌢、厚さ1.7㌢。「府符口(諸?)郡司口」と書かれ、「府、諸郡司に符す」と読めるという。「符」は上から下へ指令を伝える文書で使われる語句であることから、鎮守府が各地の郡の役人(郡司)に命令を出した文書を収めた箱とみられる。
奈良時代の多賀城に鎮守府が置かれたことは「続日本紀」などの記録にあるが、同時代の史料で存在が確認されたのは初めて。

五代友厚の商才示す新史料、長崎で幕末の証文

五代友厚の商才示す新史料、長崎で幕末の証文

大阪商工会議所初代会頭、五代友厚(1836~1885年)が幕末、長崎の豪商に7500両を貸したことを示す証文が見つかった。五代は当時20代半ば、若いころから大金を動かす才覚があったことが分かる貴重な史料だという。
証文は長崎の豪商として知られた小曾根家の12代当主六左衛門ら宛てで、17代当主吉郎(きちろう)さん(68)の長崎の自宅にあった。縦19.5㌢、横89.5㌢、中袋に入れられ、宛先を書いた包み紙にくるまわれていた。
冒頭に「金子御取替申候一札之事」(金をご融資することの一札)とあり、7500両を利息7%で貸すという内容。末尾には文久元(1861)年12月の日付とともに、「薩州」「五代才助」(友厚を名乗る前の名前)という署名があった。
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍脚光を浴びた、俳優ディーン・フジオカ演じる実業家、五代友厚の青年時代の姿の一端を示すものだ。

大阪・住吉祭に修理終え75年ぶり大神輿復活、巡行へ

大阪・住吉祭に修理終え75年ぶり大神輿復活、巡行へ

大阪三大祭の一つ、住吉祭で男たちに担がれ大和川を渡る大神輿(みこし)が1月28日、胴体部の修理を終えて、住吉大社(大阪市住吉区)に帰ってきた。
この大神輿、130年以上前につくられたもので、老朽化が進み、2年半前から富山県の工房で宮大工らの手で修理されていた。今後、必要な装飾を施され、8月1日には70年以上途絶えていたこの大神輿での巡行が復活する。
大神輿は高さ約3㍍、全長約5㍍。重さは約2.6㌧といわれる。また、2月からの装飾作業で、神輿のてっぺんに金色の鳳凰が飾られる。

開館12日目で来場者1万人突破 真田丸大河ドラマ館

開館12日目で来場者1万人突破 真田丸大河ドラマ館

戦国武将、真田信繁(幸村)が主人公のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送に合わせてオープンした「信州上田真田丸大河ドラマ館」(上田市)が1月28日、開館12日目にして来場者数1万人を突破した。真田家ゆかりの同市と長野市は観光地を整備してイベントを企画するなど誘客に力を注いでおり、上々の滑り出しとなった。
同館はドラマで使われた着物や小道具を展示し、「信繁の生きた時代」や「上田城と真田家の家族」など4つのゾーンに分けて真田丸の世界を体感してもらうのが”売り”だ。見学通路は城下町の街並みを再現した。展示面積は650平方㍍で、過去の大河ドラマ館を含めて最大級といわれる。同館では目標来場者数50万人を見込んでいる。

熊本城 城ランキングで3年連続首位 城郭全体復元中

熊本城 城ランキングで3年連続首位 城郭全体復元中

旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」による「行ってよかった!日本の城ランキング2015」で熊本城が3年連続1位に選ばれた。
トリップアドバイザーは米国に本社を置き、世界45カ国で500万を超すレストランやホテル、観光スポットについて、旅行者から寄せられた情報を提供している。このうち日本の城ランキングは2014年6月から15年5月に投稿された口コミの件数や、5段階評価などを基に算出している。
熊本城は周知の通り、加藤清正が築いた熊本のシンボル。訪日外国人の割合も平成23年度の6.6%から26年度は17.2%まで高まっている。うち9割はアジア圏からの訪日客という。
現在の熊本城天守閣は昭和35年に外観を復元。平成10年度からは現存する絵地図や古文書を基に、城郭全体(98㌶)を対象に往時の姿に復元するプロジェクトも始動。このプロジェクトの費用を賄うため、一般から「一口城主制度」を設け資金提供を呼び掛け、すでに南大手門や本丸御殿大広間が完成している。

奈良・若草山で新春恒例「山焼き」極寒の夜空彩る

奈良・若草山で新春恒例「山焼き」極寒の夜空彩る

奈良・若草山で1月23日夜、新春恒例の「山焼き」が行われ、燃え上がる炎の明かりが極寒の古都の夜空を彩った。午後6時すぎ、花火が打ち上がると号砲が鳴り響き、これを合図に地元の消防団が山の斜面の枯れ草に松明の火を一斉に放った。
江戸時代から続く「若草山の山焼き」は、山頂にある古墳の霊魂を鎮めるために始まったと伝えられる。あいにく夕方から降り始めた雨の影響で、例年のような炎の勢いはなかったが、古都の夜空を赤く照らし出した。極寒の中、集まったおよそ15万人の見物客らは冬の祭典に魅入っていた。