平城京 “想定外”の二条大路横断の溝出土

平城京 “想定外”の二条大路横断の溝出土

奈良文化財研究所はこのほど、平城宮跡(奈良市)の朱雀門南西から、奈良時代に平城京東西の主要道路「二条大路」を横断した排水溝とみられる遺構が出土したと発表した。二条大路の大路交差点以外を横断する溝は「想定外」といい、工夫された排水計画がうかがえるうえ、北側の宮内と関係した可能性もあるという。
二条大路は平城宮のすぐ南を通り、朱雀門前で京内南北のメーンストリート「朱雀大路」に接続する。過去の調査では幅約37㍍と確認されており、今回は二条大路南側の東西2カ所を調査した。
その結果、朱雀大路から約90㍍離れた西側調査区で、二条大路の南側溝が東西約18㍍にわたり出土。二条大路を横断する溝は、これに流れ込む形で南北の約8㍍を確認した。幅は3~3.8㍍で、深さ0.8㍍。一帯の土地は北から南へと緩やかに傾斜していた。
一方、東側調査区から二条大路南側溝と、朱雀大路西側の溝の接続部分が出土。朱雀大路西側溝は南北約18㍍にわたって見つかり、二条大路を横断していたことを再確認した。

東大寺で雅楽の奉納演奏「ムジークフェストなら」開幕

東大寺で雅楽の奉納演奏「ムジークフェストなら」開幕

奈良県内各地の寺社や文化ホールなどを会場に行われる音楽ベント「ムジークフェストなら2016」が6月11日開幕し、オープニング会場の東大寺大仏殿(奈良市) では、笙(しょう)や縦笛など雅楽や和太鼓で奉納演奏が披露された。
イベントは26日まで。奈良の文化振興を目的に同フェスト実行委が主催し、今回が5回目。今年はこの音楽祭期間中、約160会場で多彩な関連イベントを含め300の公演が行われる。

「時の記念日」滋賀県・近江神宮で漏刻祭

「時の記念日」滋賀県・近江神宮で漏刻祭

「時の記念日」の6月10日、日本で初めて水時計(漏刻=ろうこく)を設置した天智天皇ゆかりの近江神宮(滋賀県大津市)で、恒例の「漏刻祭」が行われた。
漏刻祭では、王朝装束をまとったびわ湖大津観光大使や時計業界の関係者らが、掛け時計や腕時計など最新モデル7点を奉納。業界の繁栄を願った。
『日本書紀』によると、天智天皇は671年4月25日、近江大津宮に漏刻を設置し、時刻制度を導入したとされる。これを記念して、この日を太陽暦に換算した6月10日が大正9年、「時の記念日」に制定された。

京都・八坂神社前に日本初の”漢字”ミュージアム6/29開館

京都・八坂神社前に日本初”漢字”ミュージアム6/29開館

京都に6月29日オープンする日本初の”漢字”ミュージアムが9日、報道陣に公開された。国内外から多くの観光客が訪れる京都・八坂神社の目の前に誕生した日本で初めての漢字専門の博物館だ。
5年前に閉校した中学校の跡地に、”漢検”を運営する「日本漢字能力検定協会」が総工費およそ25億円をかけて建設した。
館内には遊びながら漢字を学べるおよそ30種類のゲームなどが用意されている。施設の目玉は漢検協会が毎年、年末に発表する「今年の漢字」。2015年、清水の舞台で書かれた「安」の字の実物のほか、過去21年分の歴代の「今年の漢字」も展示されている。
漢検漢字博物館図書館の高坂節三館長は「漢字文化の研究、普及活動に広げていきたい」としている。年間20万人以上の来館を見込んでいる。

キリシタン大名・高山右近に国内外で関心 大阪で式典へ

キリシタン大名・高山右近に国内外で関心 大阪で式典へ

禁制下の江戸時代に国外追放されたキリシタン大名・高山右近(1552?~1615年)を、キリスト教カトリックの崇敬対象「福者」と称える式典が2017年2月にも大阪で開かれる見通しだ。その式典を控え国内外の右近ゆかりの地では、多くのキリシタン戦国大名が棄教した中で、地位や財産を捨て、信仰に殉じた右近の生きざまに関心が高まっている。
織田信長、豊臣秀吉の事実上の治政下、安土桃山時代に右近が12年間にわたり、城主を務めた大阪府高槻市。カトリック高槻教会では信徒が今年4月から、右近の生涯と信仰について学ぶ連続講座を開いている。
今年1月21日、バチカンが右近を「福者」と認定したことを受け、高槻市も右近ゆかりの地を紹介するパンフレットを作製し、観光資源としてPRに乗り出した。
イタリア人女性映画監督のリア・ジョバナッツイ・ベルトラミさん(48)は、ドキュメンタリー映画『右近サムライ 剣の道、十字架の道』(イタリア版43分、英語版37分)を製作した。この中で戦国武将だけでなく、カトリック信仰を死守する一方、茶道など日本の文化にも通じていた文化人、右近の姿が描かれている。DVD化されて、イタリア国内で9月1日から発売される予定。

宮城・多賀城内内館跡 空撮で室町後期の屋敷跡発見

宮城・多賀城内内館跡 空撮で室町後期の屋敷跡発見

宮城県多賀城市教育委員会によると、同市南宮の内館館跡(うちだてたてあと)で、室町時代後期の堀に囲まれた屋敷跡が見つかった。航空写真の分析で見つかった農地のクロップ(農作物)マークが発見のきっかけとなった。埋没していた遺構の影響で農作物の生育に違いが出ており、その場所を調べるとマーク通りに堀の跡が見つかった。
クロップマークは、JR東北線陸前山王駅から北西約1.5㌔の水田で確認された。航空写真では幅2~3㍍の二重の堀に囲まれた隣接する2区画の形がうっすらと浮き上がって見えた。堀の内側にあった井戸跡などからは漆器の椀(わん)、すり鉢型の土器、木製の下駄、ひしゃくなどの生活用品が出土。このほか、柱を立てた穴も数カ所確認され、有力者の屋敷跡と推定された。
多賀城西部は、鎌倉時代の陸奥国府留守所(るすどころ)の長官の子孫で、代々この地を治めた「留守氏」の屋敷跡がある。内館館跡は、室町時代後期の武将、留守顕宗(るすあきむね、1519~86年)が隠居後に暮らした地とされている。