関ケ原での小早川秀秋の寝返りに新説 決断遅れは肝疾患

関ケ原での小早川秀秋の寝返りに新説 決断遅れは肝疾患

豊臣氏の時代から徳川期への移行にあたり、天下分け目の戦いとなった関ケ原の戦い(1600年)の勝敗の分岐点となったとされる戦国武将、小早川秀秋が西軍から東軍へ寝返った際、決断が遅れたのは、過度の飲酒で肝疾患に病み、判断力が低下していたためだ-とするユニークな説が発表された。兵庫県姫路市御立東の脳神経外科医、若林利光さん(63)が、秀秋の当時の症状などを記した史料からまとめたもの。
若林さんは安土桃山時代から江戸時代初めに活躍し、秀秋も診た医師・曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の診療録「医学天正記」の記述に注目。秀秋について「酒疸一身黄 心下堅満而痛 不飲食渇甚」(大量の飲酒による黄だん、みぞおち付近の内臓が硬く痛みがあり、飲食できずのどの渇きが激しい)の記述から、肝硬変と考えられるという。
国立国際医療研究センター肝炎情報センター(千葉県市川市)も、大量の飲酒は肝硬変の原因の一つで、「記述にある症状からは肝硬変が疑わしい」としている。
静岡大名誉教授(戦国史)の小和田哲男氏も「当時は15歳ごろからの飲酒も多く、医師の見地からはそのような解釈も成り立つのではないか」と今回のユニークな説に肯定的な見方をしている。
秀秋は、当時東軍を率いた徳川家康から寝返りを誘われていたが、開戦後もなかなか動かず、家康が怒り出すほどだったと伝えられている。

祇園祭長刀鉾の「見送」若冲「旭日鳳凰図」を織物で再現

祇園祭長刀鉾の「見送」若冲「旭日鳳凰図」を織物で再現

京都・祇園祭の山鉾の一つ、長刀(なぎなた)鉾の背面を飾る「見送(みおくり)」が新調され、長刀鉾保存会が公開した。生誕300年を迎えた江戸時代の絵師、伊藤若冲の作品「旭日鳳凰(きょくじつほうおう)図」を織物で再現した。
新しい見送は縦3.5㍍、横1.8㍍。長刀鉾近くに住んでいた若冲の絵を基に、朝日を背景に雌雄2羽の鳳凰が波間の岩礁に立つ姿を、800の絹糸と本金糸を使って精巧に表現した。
川島織物セルコン(京都市左京区)が制作した。製作期間には2年を要したという。

歌麿の浮世絵 史上最高値8,800万円で落札 パリ競売

歌麿の浮世絵 史上最高値8,800万円で落札 パリ競売

AFP時事によると、フランス・パリで6月22日行われた競売で、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の版画が74万5,000ユーロ(約8,800万円)で落札されたことが分かった。
主催者によると、落札額は日本の木版画としても、歌麿の作品としても史上最高という。落札されたのは歌麿の連作画集「歌撰恋之部」に含まれる「深く忍恋」。
ポルティエ(Portier)家が4世代にわたって所有してきた150万ユーロ(約1億7,800万円)相当のコレクションの目玉で、落札予想価格は約10万ユーロ(約1,190万円)だった。
このほか、東洲斎写楽の谷村虎蔵の役者絵は10万1,000ユーロ(約1,200万円)、歌川国政の岩井半四郎の役者絵は7万8,680ユーロ(約930万円)でそれぞれ落札された。

大政奉還150年 京都二条城で16自治体首長サミット開催

大政奉還150年 京都二条城で16自治体首長サミット開催

京都市は6月20日、2017年の「大政奉還150周年」を記念したプロジェクトの概要を明らかにした。
幕末に京都で活躍した雄藩の先人らとゆかりのある16自治体と連携し、大政奉還の舞台となった世界遺産・二条城(中京区)の二の丸御殿大広間で首長のサミットを開催する予定。京都を中心に繰り広げられた激動の明治維新を振り返るとともに、都市間連携による地方の活性化を目指す。
参画するのは、京都守護職を務めた会津藩主松平容保ゆかりの福島県会津若松市、15代将軍・徳川慶喜ゆかりの居住地、東京都千代田区、木戸孝允や高杉晋作らゆかりの山口県萩市、坂本龍馬の国家観や思想に大きな影響を与えたとされる横井小楠ゆかりの熊本市など。
2017年1月にオープニングイベントを京都市内で開き、明治維新に関わった様々な人たちの功績や歴史的意義を考える。また、10月には倒幕派と佐幕派ゆかりの自治体関係者が一堂に会する。

熊本城の天守閣などの被害210億円 熊本市が試算

熊本城の天守閣などの被害210億円 熊本市が試算

熊本市は6月17日、熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城の天守閣、本丸御殿、飯田丸五階櫓(やぐら)の3つの復元構造物などの被害額を計約210億円と試算し市議会に報告した。
53カ所約8,000平方㍍が崩落した石垣の約350億円と合わせ、被害額は約560億円となった。市は今後、文化庁と協力して残り17の復元構造物や13の重要文化財の調査を進める。

鎌倉・由比ガ浜で古墳時代の2体の人骨見つかる

鎌倉・由比ガ浜で古墳時代の2体の人骨見つかる

神奈川県鎌倉市の「由比ガ浜こどもセンター(仮称)」建設地で、古墳時代の2体の人骨がほぼ完全な形で見つかった。見つかったのは石棺墓と土葬された人骨。
石棺墓は部分的に加工した磯石の泥岩を長さ2.35㍍、幅1.14㍍に積み上げ、その中につくった長さ1.62㍍、幅0.35㍍、深さ0.45㍍の埋蔵施設に泥岩を砕いて敷き詰めたもの。埋葬された人物は頭を東南に向けて仰向けで体を伸ばした「仰臥伸展葬(ぎょうがしんてんそう)」の姿勢をしており、身長は156.2㌢。骨や歯の状況から15歳前後の男性とみられる。親族も近くに埋葬されている可能性が高いという。
一方、土葬された人骨は、頭を東に向けて仰向けに体を伸ばしており、性別や年齢は現在調査中という。