京都 下鴨神社で流鏑馬神事 糺の森で人馬一体の妙技披露

京都・下鴨神社(所在地:京都市左京区)で5月3日、疾走する馬に乗って、豪快に的を射る「流鏑馬(やぶさめ)神事」が行われた。境内の、新緑に包まれ木漏れ日が降り注ぐ「糺(ただす)の森」で、約3万人の参拝者に、迫力ある人馬一体の妙技が披露された。
色鮮やかな伝統装束の射手20人が糺の森に設えられた約500mの馬場を疾走。100m間隔で並んだ約50cm四方の3つの的を狙い、次々に矢を射る。「カーン」という乾いた音とともに的が割れると、大きな歓声と拍手が起こっていた。
流鏑馬神事は京都三大祭の一つ、「葵祭」(5月15日)の平安を祈り、毎年5月3日に行われている。

奈良・東大寺で聖武天皇しのび法要, 時代衣装で練り歩く

奈良市の東大寺で5月2日、同寺を建立した聖武天皇をしのぶ行事が行われた。この行事は同天皇の命日にあたる5月2日に毎年行われているもの。
奈良時代から室町時代までの稚児や僧兵などの衣装をまとった、地元の幼稚園児や観光協会の関係者およそ250人が東大寺の大仏殿に続く約800mの境内を練り歩いた。この後、大仏殿で法要が営まれ、僧侶がお経を唱える中、参加した人たちは焼香をして聖武天皇の遺徳をしのんでいた。

京都・北野天満宮で神職が残した「源氏物語」ノート発見

学問の神様、菅原道真を祀る北野天満宮(所在地:京都市上京区)で、安土桃山時代に神職が必要とされた、古典文学の教養を身につけるため学んだ「源氏物語」のノートや、江戸時代前期のものとみられる写本が見つかった。宝物殿で特別展「天神様と源氏物語ー知られざる関係ー」で公開している。6月30日まで。拝観料は大人1,000円、中高生500円。
今回発見されたノートにあたるものは「源氏物語聞書」。作成時期は1597年とみられる。連歌師から伝授された内容を書き残していた。この中には、源氏物語の主人公・光源氏は平安貴族の源高明がモデルとされるという内容の記述もある。

奈良・談山神社で春の「けまり祭」古代の装束で”技”披露

奈良県桜井市の談山神社で4月29日、古代の色とりどりの装束を身に着けた蹴まり保存会の人たちによる「けまり祭」があった。新緑に囲まれた境内の庭で、輪になった蹴まり保存会の人たちが、鹿の皮でできたまりを蹴り合う。右足の膝を伸ばしたまま蹴り上げるのが作法とされており、「アリ」「ヤ」「オウ」など独特の掛け声とともに”技”を競っていた。
けまり祭(蹴鞠祭り)は、談山神社に祀られている藤原鎌足が蹴まりを通じて中大兄皇子(後の天智天皇)と出会い、当時、ヤマト政権のもとで並ぶもののない、隆盛を誇った豪族、蘇我氏(宗家)打倒に向け、「大化の改新」(645年)の計画を練った、という故事にちなんで毎年、春と秋に行われている。

東大寺 創建当初の東塔は68mの七重塔 国内最大級の高さ

奈良文化財研究所は4月25日、東大寺にかつて存在した東塔について調査し、解析、研究の結果を公表した。奈良時代の創建当初の塔は「相輪」と呼ばれる最上部の金属製の装飾を含めて高さがおよそ68mで、現存する木造の塔で最も高い、京都にある東寺の五重塔を13m上回る国内最大級の高さだったことが分かった。
同研究所は平成30(2018)年から東大寺などに保管されている文献、塔の土台の基壇の規模をもとに構造を解析、研究を進めてきた。その結果、今回の結論に達した。
東大寺の東塔は、西側の塔、西塔とともに奈良時代の創建当初、大仏殿の脇に東西一対で建てられていた七重塔。平安時代の焼き討ち後、鎌倉時代に再建されたが、その後、落雷で焼失した。

娘婿・信長を気にかけた義父・斎藤道三の書状見つかる

戦国武将、斎藤道三が娘・濃姫の婿、織田信長のことを気にかけ「若造で至らない点もあるが、末永く付き合ってほしい」と、近隣の領主に宛てた書状が見つかった。1552年ごろ書かれたものとみられる。道三の書状はあまり残っておらず、信長に言及していることも珍しいという。
『信長公記』には、この書状が書かれた時期は、その身なりや言動から、周囲からは”うつけもの”と評されていた信長と道三は初めて面会し、その秘めた才能を見抜いたとされている。
この書状は今月、水戸市立博物館に個人から寄託されたもの。東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授が調査、判定した。