文久遣欧使節団がマルタに贈呈した友好の甲冑が里帰り

徳川幕府の文久遣欧使節団が1862年、マルタ島を訪れた際、歓迎への返礼として贈呈した江戸時代の甲冑3点が修復を終わり3月22日、将軍家ゆかりの光雲寺(所在地:京都市左京区)で披露された。このうち1点は、大阪・関西万博でマルタのパビリオンに、家老級が身につける鉄製の高級甲冑として展示される。この甲冑は2015年、同国の武器庫で見つかったが、劣化などで約8割が欠損しており、京都美術品修復所(所在地:京都市上京区)に依頼。1年半かけて修復された。今年は、日本とマルタとの国交樹立60年にあたる。

古事記 編纂者・太安萬侶の墓誌, 伎楽面など国宝に 文化審

文化審議会は3月21日、古事記の編纂者、太安萬侶(おおのやすまろ)の墓誌(奈良時代、国所有)、中国由来の音楽劇・伎楽で使われた仮面「伎楽面」(飛鳥〜奈良時代、国立文化財機構所有)など4件を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
「太安萬侶銅板墓誌」は奈良市で出土した墓で見つかった。太安萬侶の居住地、位階、氏名、没年月日など41字が銅の薄板に刻まれ、続日本紀に記された事跡を裏付けた。古代史の根本文献、古事記の編纂者の実在を証明する一級資料と評された。
伎楽面は、木造28面と乾漆3面の計31面で、明治時代に法隆寺から皇室に納められた。能などを含む仮面文化の分野では初の国宝指定となる。

飛鳥宮跡で天皇かその周辺の最大級の建物跡 新たに発見

奈良県明日香村の飛鳥時代の都の跡から、7世紀後半では最大級の建物跡が新たに見つかった。この建物跡は「飛鳥宮跡」のうち、天皇が生活や政務を行った「内郭」と呼ばれる区域の北側。1辺が1.7mほどの四角の柱穴が合わせて35基、碁盤の目のように並んでいることなどから、建物は東西35m、南北12m以上あったとみられる。
この建物の北側と南側でこれまでに幅などが同じ規模の大型の建物跡が見つかっていることから橿原考古学研究所では、当時この一帯に3棟の大型の建物が計画的に配置されていたのではないかとみている。また、専門家はこの一帯に天皇や天皇に極めて近い人物の建物群があったのではないかとしている。

京都 嵯峨嵐山文華館 ”日本画と楽しむ小倉百人一首”企画展

京都・嵯峨嵐山文華館(所在地:京都市右京区)で、藤原定家が選んだ「小倉百人一首」に日本画を組み合わせ、名歌の新しい楽しみ方を知ってもらう企画展「アイラブ百人一首」が開催されている。4月13日まで。
飛鳥時代から鎌倉時代にかけて詠まれた100首の、貴族の暮らしぶりや男女の恋模様を詠んだ名歌と日本画を組み合わせ、よりリアルに、そしてより感動を深める展示会になっている。例えば、「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」の小野小町の歌に、近代美人画の巨匠・伊東深水の作品を組み合わせるほか、在原業平朝臣ら有名歌人の姿を描いた屏風なども展示している。

京都・北野天満宮で「曲水の宴」平安 宮中行事を再現

京都・北野天満宮(所在地:京都市上京区)で3月8日、平安時代の宮中行事「曲水の宴」が行われ華やかで雅の宴の様子が再現された。曲水の宴は、小川の上流から流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでにお題に沿った和歌を認(したた)める、平安時代、宮中で行われた歌会。
北野天満宮の曲水の宴は2016年から再開。和歌や漢詩の名手だった菅原道真を祀るだけに、和歌だけでなく漢詩も詠むのが特徴。
同日は色鮮やかな平安装束に身を包んだ8人の詠み手が庭園の小川のほとりに座り、ひととき雅の世界に浸った。庭園の周りにはおよそ500人が集まり、「神」や「梅」などお題とした詠み手の作品が詠み上げられると、静かに聴き入っていた。

仁徳天皇陵 考古学・歴史学学術団体G17人が立ち入り調査

世界文化遺産の一つで、宮内庁により「仁徳天皇陵」として管理されている大阪府堺市の大山古墳で3月7日、学術団体の研究グループによる立ち入り調査が行われた。同日は、考古学、歴史学などの研究者17人が参加した。
グループは2時間半にわたって墳丘全体を観察し、①前方部について、時期の推定は難しいものの、石積みが後世に整えられたこと②斜面に溝状の亀裂が入り、崩れている部分が多いことーーなどを確認できたとしている。大山古墳は5世紀前半に築造された大規模な前方後円墳。