滋賀・近江八幡市で豊臣秀次の法要 謀反の疑いで自害

滋賀県近江八幡市で7月15日、豊臣秀吉の養子で豊臣政権の後継者として関白となった秀次の命日の同日、厳かに法要が営まれた。法要が営まれたのは秀次が築いた近江八幡市の八幡城の跡にある「村雲御所瑞龍寺門跡」で、地元の住民らおよそ120人が参列した。
秀次は秀吉の姉の子で、その後、秀吉の養子となり関白に就任した。だが、秀吉に側室、淀殿との間に男子、秀頼が生まれたことで人生が暗転。秀頼を後継者としたい秀吉の思惑も加わって、謀反の疑いをかけられ、1595年7月15日、自害させられた。併せて秀次の一族すべてが刺殺された。豊臣家の”闇”の歴史の主人公だ。

博多祇園山笠フィナーレ 土砂降りの中、山車が街を疾駆

福岡伝統の夏祭り「博多祇園山笠」は7月15日早朝、あいにくの土砂降りの中だったが、多種多様な装飾を凝らした山車が街中を駆け抜ける「追い山笠」でフィナーレを飾った。
博多の町ごとにつくる七つの「流れ」が、「舁(か)き山笠」と呼ばれる山車を担いで約5kmのコースを走るフィナーレ。法被に締め込み姿の”舁き手”たちの掛け声で重さ約1トンの山車を担いで豪快に進む。勇壮な姿に早朝の博多の街は熱気に包まれていた。

米ペリー 横浜に上陸170年 警備を担った武士目線で記念展

2024年はペリー提督率いる米国艦隊が日本の海に現れ、横浜に上陸し、日米和親条約が結ばれてから170年目にあたる。この節目の年を記念し、ペリー来航に際し現場で警備を担った武士たちの目線から、彼ら残した日記や手紙をもとに、ペリー来航の新たな一面を分かりやすく紹介する展示会が、横浜市歴史博物館で開かれる。
170年記念展『サムライ Meets ペリーWith黒船ー海を守った武士たち』の会期は7月13日〜9月1日。開館時間は9時〜17時。観覧料は一般1,000円、高校・大学生500円、小・中学生200円。
当時、江戸幕府はペリー来航に備えて江戸湾の警備を強化。横浜市域では武州金沢藩(神奈川県横浜市)、鳥取藩(鳥取県)、小倉藩(福岡県)、松代藩(長野県)などが警備を担当した。

京都 祇園祭 四条通で山鉾巡行を前に「鉾建て」始まる

京都・祇園祭のハイライト、山鉾巡行(前祭は7月17日、後祭は7月24日)を前に、京都市内の四条通など中心部では7月10日から、鉾を組み立てる「鉾建て」が始まった。木材を組み合わせ、くぎを一切使わず、縄だけで固定する「縄がらみ」という方法で組み立てていく。周辺では交通規制が始まり、行き交う人の中には組み立ての様子をカメラにおさめる人もいる。組立作業は12、13日ごろまで続けられる。

「広重 -摺の極-」国内外から作品330点集めた歌川広重展

国内外から330点の作品を集めた「広重 ー摺の極(すりのきわみ)-」と題した浮世絵師・歌川広重(1797〜1858年)の展覧会が7月6日、大阪市阿倍野区のあべのハルカス美術館で始まった。同展覧会は前半と後半に分け、作品を入れ替えて開かれる。9月1日まで。
歌川広重は風景画の浮世絵で、葛飾北斎とともに人気を集め、『名所江戸百景』はオランダのゴッホが構図や画法を模写したことでも知られる。
広く知られる代表作『東海道五拾三次』から『日本橋 朝の景』『蒲原 夜の雪』など、晩年の代表作『名所江戸百景』から『深川洲崎十万坪』など、このほか、広重が世に知られる前の初期の作品や美人画なども数多く展示されており、広重の様々な魅力に触れることができる。

弥生期 大集落, 墓域から人骨, ガラス玉 大阪 茨木市の遺跡

大阪府茨木市教育委員会と府文化財センターは7月5日、弥生時代の大規模な集落と墓域が見つかっていた茨木市の郡(こおり)遺跡・倍賀(べが)遺跡で、人骨や青いガラス玉が残る木棺墓、鍵穴型の竪穴住居などが見つかったことを明らかにした。
両遺跡は300〜400年間も継続した、近畿でも屈指の集落遺跡。船を線刻した土器、銅鐸型土製品の破片、用途不明の土製品など珍しい遺物や遺構が次々と見つかっているという。見つかった木棺墓は13基。居住域では少なくとも竪穴住居を50棟確認。うち5棟は焼け、焼け落ちた部材も一部残っていた。