日本国際博覧会協会(万博協会)は5月5日、日中戦争の影響で急遽、中止となった1940年「東京万博」の回数券と、大阪・関西万博の入場券の引き換えを始めた。1970年大阪万博や2005年愛知万博でも同様の対応が取られたことで、今回も「万博の歴史を継承したい」としている。
東京万博は神武天皇の即位2600年を記念し、日本初の万博として東京を主会場に計画され準備が進められていたが、日中戦争の激化で中止された。正式名称は「紀元2600年記念日本万国博覧会」で、”幻の万博”とも呼ばれる。1冊12枚綴りの回数券は、戦時中の混乱で払い戻しされなかったケースも多く、1970年大阪万博や2005年愛知万博では招待券との引き換え措置が取られた。
応神天皇陵の前方部に巨大石室 旧宮内省が90年前に調査
宮内庁の資料などによると、応神天皇陵として同庁が管理する大阪府羽曳野市の前方後円墳・誉田御廟山古墳(5世紀前半、全長425m)で、旧宮内省が1935年が調査し、前方部から巨大な竪穴式石室が見つかったことが分かった。宮内庁関係者によると、古墳時代の天皇陵で埋葬施設が公式に調査された唯一の事例。
これにより、前方後円墳の意味・内容の修正が必要になる。これまで、ヤマト政権の象徴である前方後円墳の埋葬施設は後円部に造られ、前方部は祭祀の場などと考えられていたが、前方部にも血縁者や政権を支えた有力者ら葬った可能性が浮上した。このことは、大型の前方後円墳が王一人のための墓ではないことを示し、謎の多い天皇陵の実態を知る貴重な手掛かりになる。