奈良文化財研究所の発掘調査によると、橿原市にあった飛鳥時代の都の中心「藤原宮跡」で、天皇が政務や儀式を行った「大極殿院」の区画から、屋根のある廊下「回廊」の跡が新たに見つかった。藤原宮の大極殿院は大極殿の建物を中心に、周囲に東西およそ120m、南北およそ165mの長方形の「回廊」があったと考えられていた。 ところが今回の発掘調査で、南北に走る東側の回廊の途中から、西に直角に伸びる長さおよそ30mの回廊の跡が新たに見つかったもの。回廊は単純な長方形だと考えられていたため、新たな回廊の跡は想定外。このため同研究所では「古代の宮殿の変遷や発展を考えるうえで、貴重な発見だ。今後、構造や配置を見直す必要が出てきた」としている。
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藤原京跡の西端に広大な宅地跡 見つかる、官位低い貴族の邸宅
橿原考古学研究所の発掘調査によると、奈良県橿原市にあった飛鳥時代の都、持統天皇が造営したとされる「藤原京」跡の西端に、広大な宅地の跡が見つかった。場所は橿原市四条町で、東西におよそ14m、南北におよそ10mの広さの建物跡と、建物の南側に9mほどの幅がある門の跡が見つかった。さらに門に沿って塀の跡が、東側におよそ45mにわたって伸びていた。建物の配置から、塀は門を挟んで反対側の西側にも伸びていたとみられ、宅地は周辺の道も含めておよそ130m四方の区画を占めていたと考えられるとしている。その規模の広さから比較的、位の低い貴族の邸宅とみられるという。都の端にあたる場所で、貴族の邸宅跡が見つかるのは初めてという。当時の都の整備の進め方を知る貴重な手掛かりになるとみられる。
正倉院で「開封の儀」、10/26から41件の宝物の正倉院展
奈良市の正倉院で10月1日、宝物の点検や調査のため年に一度、部屋の封印を解く「開封の儀」が行われた。正倉院事務所長の先導で、宮内庁の職員や東大寺の僧侶らが手や口を清めた後、宝庫の中に入った。正倉院はこれからおよそ2カ月にわたり、宝物の点検や調査などが行われる。これに合わせ奈良国立博物館で10月26日から「正倉院展」が開かれ、初出展の4件を含む41件の宝物が公開される。また、今年は令和天皇の即位を記念して、一部の宝物が10月14日から東京国立博物館でも公開される。正倉院では、奈良時代に造られた校倉造りの正倉に入っていた聖武天皇の愛用品や東大寺ゆかりの宝物などおよそ9,000点が宝庫と呼ばれる建物に移され保管されている。
平城宮跡で「太政官」建物跡? 東方官衙地区で初めて見つかる
奈良県文化財研究所の調査によると、奈良市の平城宮跡で奈良時代の国政を担った中心的な役所「太政官(だいじょうかん)」とみられる大規模な建物跡が初めて見つかった。今回見つかったのは平城宮跡の「東方官衙(とうほうかんが)」と呼ばれる役所が集まった地区で、土を固めた建物の土台「基壇」が見つかった。基壇の大きさは東西およそ29m、南北およそ17m、高さがおよそ1.2mあったとみられ、平城宮跡で見つかった役所の中では最も規模が大きいという。基壇の南北ではそれぞれ3カ所で階段の跡が見つかったほか、周辺には小石が一面に敷き詰められていて、格式の高い大規模な建物が建てられていたと同研究所ではみている。さらに天皇が政務や儀式を行った大極殿の近くにあることから、国政を担った中心的な役所、太政官の建物跡と判断している。同研究所では、当時の律令国家を考えるうえで貴重な資料だとしている。