古河機械金属(本社:東京都千代田区)は3月13日、古河三水会理事会社が共同で設立した一般社団法人 古河市兵衛記念センター(2022年11月18日設立)が、1912年に竣工し、その後移築・解体された古河機械金属旧足尾工業所を往時の場所に「足尾銅山記念館」として復元する建設工事に着手すると発表した。
同記念館の建設予定地は栃木県日光市足尾町。工期予定は2023年3月〜2025年3月。施工は古河林業、設計は古河林業・日本設計。木造2階建て(延床面積約1,242㎡、建物高さ約15.8m)。2025年5月開館予定。
古河市兵衛が創業した古河グループは2025年に創業50周年を迎える。1877年に経営を始めた足尾銅山(栃木県)は明治鉱業史に特筆される技術革新を行うことで、日本一の産銅量を誇るまで発展し、古河グループ発展の原動力の役割を果たした。
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生野銀山と姫路港結ぶ「銀の馬車道」路面を初確認
兵庫県姫路市で、明治時代に生野銀山と今の姫路港を結び、採掘された銀などを運んだ馬車専用の道路「銀の馬車道」の当時の路面が初めて確認された。発掘調査を担った姫路市埋蔵文化財センターでは、当時の土木技術を知る手掛かりになるとみている。
今回発掘、確認されたのは当時の欧州の最新技術で舗装された路面。路面の幅はおよそ80cm、長さ2mで、粗い石を敷き詰めた上に小石混じりの土があり、さらにその上に砂利混じりの砂を重ねた3層構造となっていた。
銀の馬車道は、明治9年に生野銀山で採掘された銀や物資を運ぶため、今の姫路港までの49kmを結ぶ馬車専用の道路としてつくられ、2017年に「日本遺産」に認定されている。ただ、馬車道の大部分は市道などに替わり、当時の詳しい状況は分かっていなかった。
福井・鯖街道の宿場町 熊川宿古民家に若者らが流入
江戸時代、若狭地域の海産物を京都へ運ぶ鯖(さば)街道の主要拠点の一つとして隆盛を極めた熊川宿(所在地:福井県若狭町)。今、同地の古民家に若者らが流入、「挑戦する場」として活気が戻りつつある。古民家など歴史的な街並みに魅せられた若者ら、旧来の慣習にとらわれない、県外からの流入者が少しずつ一帯の空気を変えつつある。
こうした変化を受け、町も観光収入に頼るだけでなく、「暮らし、働ける街」を目指し、踏み出しつつある。県外からの流入者たちと地元住民との両輪で、新しい視点で循環型の新たな宿場町を模索する。
JR小浜線の上中駅(所在地:若狭町)から、東へ車で10分ほど、滋賀県境に近い北川沿いの谷間に熊川宿はある。かつて京都と小浜を結ぶ若狭街道の物資流通の中継拠点として繁栄した若狭町熊川宿一帯の面積は約10.8ha。街道に沿って用水路が流れ江戸時代から明治、大正の伝統的な建物が軒を連ね、歴史的な街並み集積がみられる。
若狭町熊川宿は、2007年に国土交通省の「日本風景街道」に登録され、2012年には空き家を活かした移住推進事業が実施されている。2015年に「御食国若狭と鯖街道」が日本遺産に認定。2018年には街道シェアオフィス&スペース「菱屋」・熊川宿、若狭美術館がオープンしている。