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世界遺産 原城二ノ丸跡から一揆当時の砲弾・銃弾出土

世界遺産 原城二ノ丸跡から一揆当時の砲弾・銃弾出土

長崎県南島原市は3月8日、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素の一つ、原城跡(南島原市南有馬町)で、島原・天草一揆(1637年=島原・天草の乱)当時のものとみられる鉄製の砲弾や鉛製の銃弾が二ノ丸跡から出土したと発表した。このほか、破片の陶器や磁器、瓦と古銭も出土した。
原城二ノ丸跡の調査は2018年から2022年度までの5カ年計画で進められており、その後、三ノ丸跡の発掘にも取り掛かる予定。本丸跡の発掘は1992~2006年度に実施されている。

奈良・薬師寺東塔の「水煙」一般公開

奈良・薬師寺東塔の「水煙」一般公開

奈良市の薬師寺の国宝・東塔で、創建当初から屋根の上にある「水煙」と呼ばれる飾りが新調され、元の水煙とともに一般公開されている。
新しい水煙は富山県高岡市の工房がおよそ1年かけて鋳造したもの。高さが1.9mあり、銅製の板に飛天が笛を吹く姿や舞い降りたりする姿が、透かし彫りで表現されている。
薬師寺の東塔は寺が創建された1,300年前から残る高さ34mの国宝の三重塔。現在110年ぶりに大規模な修理中。新しい水煙は3月中には屋根の上に設置されるため、間近で見られるのは今回が最後という。この水煙の一般公開は3月10日まで。

徳島・若杉山遺跡から従来を500年遡る最古の坑道跡

徳島・若杉山遺跡から従来を500年遡る最古の坑道跡

徳島県教育委員会と徳島県阿南市は3月1日、古代の人々が宗教的な儀礼などに使っていた赤い色の顔料となる鉱物「辰砂(しんしゃ)」が、古代から採取されていた若杉山遺跡(徳島県阿南市)の坑道跡が、今回新たに見つかった横穴から出土した5点の土器片の年代から弥生時代後期(1~3世紀)の遺構と確認されたと発表した。
国内最古の坑道はこれまで、奈良時代前半(8世紀)の長登(ながのぼり)銅山跡(山口県)とされていた。今回の確認により、500年以上遡ることになる。

奈良の唐古・鍵遺跡のARアプリ完成 弥生時代の姿再現

奈良の唐古・鍵遺跡のARアプリ完成 弥生時代の姿再現

弥生時代の大規模な集落跡として知られる奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡で、当時の姿をAR(Augumented Reality=拡張現実)の技術を活用して、スマートフォンなどで楽しめるアプリが完成。2月28日から無料でダウンロードし、ARを楽しめるようになった。
これは同遺跡を訪れ、このアプリをダウンロードしたタブレット端末やスマートフォンのカメラを、同公園にある大型建物の柱の跡に向けると、当時この遺跡にあった建造物や、巫女たちが舞いを披露する様子が、ARの技術を使って画面上に現れる。また、人の顔に向けると弥生時代の呪術師や、戦士の飾りが顔の周りに表示され、写真を撮ることもできるという。
このアプリは英語や中国語など5カ国語に対応しており、外国人旅行者も楽しめる。

定家、芭蕉、夢二など「うた」テーマに京都・嵐山で特別展

定家、芭蕉、夢二など「うた」テーマに京都・嵐山で特別展

京都市右京区の嵯峨嵐山文華館で「うた」をテーマにした作品およそ60点を紹介する特別展が開かれている。この特別展は作品の一部を入れ替えながら5月12日まで開かれる。
展示されているのは、百人一首を選んだ歌人、藤原定家の書や松尾芭蕉の俳句、美人画で知られる竹久夢二、伊藤若冲らの絵画などが展示されている。いずれも平安貴族の社会はじめ、中世から近代にかけての作品群が「うた」との調和の中で紹介されている。
例えば、平安時代の歌人が夜明けの雪景色を詠んだ和歌を、定家が自ら筆で記した色紙は百人一首のもととなった現存する数少ない作品の一つという。また、竹久夢二の油絵「青春譜」は、悩める若い男女に差し伸べられた希望を表現したとされている作品だ。

「日本海溝」沿いで今後30年以内にM7級大地震90%以上

「日本海溝」沿いで今後30年以内にM7級大地震90%以上

政府の地震調査委員会は2月26日、東北から関東にかけての太平洋側の「日本海溝」沿いで、今後30年以内に発生する地震の確率について、マグニチュード7.0~7.5の大地震が発生する確率は最大で90%程度以上あるとの評価を公表した。ただ、2011年にマグニチュード9を記録した東日本大震災クラスの巨大地震が発生する確率は「ほぼゼロ」とした。
発生する地震の確率を地域別にみると、青森県東方沖および岩手県沖北部で90%以上、宮城県沖で90%程度、茨城県沖で80%程度、福島県沖で50%程度などとなっている。
東北から関東の沖合には陸側のプレートの下に、海側のプレートが沈み込んでいる「日本海溝」があり、この周辺では2011年に発生した東日本大震災のように繰り返し地震が発生している。

菅原道真しのび京都・北野天満宮で「梅花祭」

菅原道真しのび京都・北野天満宮で「梅花祭」

京都市上京区の北野天満宮で2月25日、梅の花を好んだとされる菅原道真(845~903年、従二位・右大臣)をしのんで「梅花祭(ばいかさい)」が行われた。本殿では雅楽が大きく奏でられる中、神職が紅梅や白梅の枝を供えた。また、境内に設けられた茶席では野だてが行われ、色鮮やかで、華やかな着物に身を包んだ芸妓や舞妓がお茶を運んでもてなしていた。
藤原氏との対立・軋轢の果てに、九州・大宰府の地で非業の死を遂げた道真は、『東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ』の歌で知られる通り、とりわけ梅の花を愛したとされる。同天満宮には”学問の神様”道真が祀られており、毎年命日にあたる2月25日に梅花祭が行われている。
境内では50種類、およそ1500本の梅の花が”見ごろ”を迎えていて、訪れた人たちは咲き誇る梅の花を写真に収めたり、香りを楽しんでいた。同天満宮の梅の花は3月中頃まで楽しめるという。

北斎・歌麿・師宣などの作品160点余を展示

北斎・歌麿・師宣などの作品160点余を展示

米国の収集家が集めた葛飾北斎、喜多川歌麿、菱川師宣ら江戸時代の人気浮世絵師たちの作品160点余をを集めた展示会が、2月23日から大阪・難波の高島屋大阪支店で始まった。3月11日まで。
北斎は代表作「富嶽三十六景」のうち、ダイナミックなビッグウエーブと海外からも高い評価を受けている「神奈川沖浪裏」を含め13点が展示されている。師宣は初期の浮世絵、衝立のかげで若い男女が見つめ合う場面を描いた作品「衝立のかげ」が展示されている。

「はやぶさ2」小惑星「リュウグウ」着陸の快挙! JAXA

「はやぶさ2」小惑星「リュウグウ」着陸の快挙! JAXA

JAXA(宇宙航空研究開発機構)は2月22日午前7時29分、日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したと発表した。
JAXAは今後、目的とする岩石の採取などに関わる詳しいデータの分析を行うことにしている。
「はやぶさ2」は生命の起源の解明を目指して、およそ3億km離れた「リュウグウ」に向け4年余り前に打ち上げられた。今回はやぶさ2は21日午後1時すぎに高度2万mから降下を開始。高度500m付近で自動制御に切り替わり、小惑星の大きな岩がない、わずか直径6mのごく狭い場所への着陸に挑み、これに成功した。
着陸では探査機の下の長さおよそ1mの岩石採取装置の先端を地表につけて弾丸を発射し、砕けて舞い上がった岩石を採取することになっていた。この点もクリア、弾丸も発射できたという。
はやぶさ2はこの後、小惑星の上空2万mまで戻り、あと1度か2度行われる予定の着陸に備えることになっていて、地球に帰還するのは2020年12月の予定。

中国河南省で出土のつぼは最古の白磁か

中国河南省で出土のつぼは最古の白磁か

東京国立博物館の研究チームは、中国河南省で2009年、3世紀の遺跡から出土したつぼが、この時代には存在しないとされてきた「白磁」の特徴を持っていることが分かり、これまでの発見例を300年以上遡る最古の白磁だと発表した。
見つかったつぼは高さ13.4cm、口径8.7cmの大きさで、2018年12月、東京国立博物館の研究チームが現地で詳しく調べたところ、表面に透明な釉薬がかけられているうえ、それが高温で焼き上げられてガラス質に変化しているなど、白磁の特徴を備えていることが確認された。
中国政府の研究機関は、このつぼが出土した遺跡は「三国志」に登場する古代中国の英雄、曹操の墓だとしている。

判読難の井伊直弼直筆の和歌集を現代文字で出版

判読難の井伊直弼直筆の和歌集を現代文字で出版

滋賀県彦根市の歴史好きの主婦たちがこのほど、文字の判読が難しいため、これまでほとんど全容が知られていなかった幕末の彦根藩主・井伊直弼直筆の和歌集を現代の文字に置き換えて読みやすくした本を出版した。
今回出版されたのは、井伊直弼が自ら詠み直筆で書き残した1030首余りの和歌集「やなぎのしづく」。国の重要文化財に指定されている「彦根藩井伊家文書」の一つだが、癖のある独特の字体で書かれているため読み解くことが難しく、その全容を知る人はこれまで研究者でもほとんどいなかった。
この難解な和歌集を解読しようと取り組んだのが同市の主婦の歴史愛好家たちで、およそ20年かけて作業を続け出版にこぎつけたという。
和歌集には恋愛や四季折々を詠んだものなどが収められている。このうち「めくますて あるべきものが道のへに 出たつ民のまことこころを」という歌は、藩主として初めて彦根に入った直弼が、領民の出迎えを受けて感激した心境を表現している。
井伊直弼といえば、「安政の大獄」で幕閣の大老として辣腕を振るい、吉田松陰や橋本佐内らの英才をはじめ数多くの人を死に追い込んだ怖いイメージ。しかし、これとは一線を画す、一人の文化人、そして領民を思いやる藩主・直弼の姿が垣間見られる歌集といえそうだ。

山口・秋吉台で春告げる山焼き

山口・秋吉台で春告げる山焼き

日本を代表するカルスト台地として知られる山口県美祢市の秋吉台国定公園で2月17日、春の訪れを告げる恒例の山焼きが行われた。
地域の消防団やボランティアなど1000人余りが参加。午前9時半になるとガスバーナーで一斉に点火され、観光客らはススキ
やネグサなど枯れ草の草原が、瞬く間に炎に包まれる雄大な光景に歓声を上げ、カメラに収めたりして楽しんでいた。枯れ草で薄茶色だった草原は、約3時間ほどで黒く姿を変え、点在する白の石灰岩とのコントラストが際立った。
美祢市によると、山焼きの範囲は約1138㌶で国内最大級。山焼きは景観維持などを目的に、毎年この時期に実施されている。

世界農業遺産の候補地に琵琶湖など3地域申請へ

世界農業遺産の候補地に琵琶湖など3地域申請へ

農林水産省は、伝統的な農業や生態系の保護などに取り組む地域を認定する「世界農業遺産」の候補地として、滋賀県の琵琶湖など3つの地域を国際機関に申請することになった。
申請するのは①1000年続く伝統的な「漁」を行っている滋賀県琵琶湖地域②独自和牛の改良を行った「但馬牛」の飼育を続けてきた兵庫県兵庫美方地域③扇状地という地形を生かしてブドウやモモなどの栽培や加工を続けている山梨県峡東地域-の3つの地域。
これらの申請がが認められれば、日本では14地域が世界農業遺産となる。世界農業遺産はFAO(国連食糧農業機関)が認定していて、これまでに21カ国・57地域が選ばれている。

京都・城南宮で恒例の「七草粥」1年の無病息災願う

京都・城南宮で恒例の「七草粥」1年の無病息災願う

京都市伏見区の城南宮で2月11日、参拝した大勢の人たちに恒例の「七草粥」が振る舞われた。時折雪が舞う厳しい冷え込みの中だったが、訪れた家族連れなどが、細かく刻んだ七草と餅の入った熱々のおかゆを、湯気を立ち昇らせながら食べ、体を温めながら1年の無病息災を願っていた。
城南宮では毎年、旧暦の正月7日に近い休日の2月11日に、城南宮の庭園で育てている約80種類の野草などの中から、収穫したセリ、ナズナなど春の七草の入った七草粥を、参拝者に振る舞っている。

土佐藩主・山内容堂所有の能面 大英博物館などで見つかる

土佐藩主・山内容堂所有の能面 大英博物館などで見つかる

英国の2つの博物館所蔵の江戸時代の能面を、法政大学能楽研究所の宮本圭造教授が調べたところ、5点が幕末の大政奉還に深く関与したとされる土佐藩主、山内容堂が所有していたものと分かった。海外にある能面の元の持ち主が分かることは極めて珍しく、明治維新後、日本美術ブームの中で外国人が買い求め、海外に流出したと考えられるという。
山内容堂が元の持ち主ちと判明した能面は、英国のロンドンの大英博物館所蔵の3点と、ビクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵の2点の合わせて5点。能面の裏に「容堂居士」などの署名があり、いずれも容堂の直筆と考えられるという。容堂は能の愛好家で、50点以上の能面を所有していた。

大阪天満宮で裁縫技術の上達祈り「針供養」

大阪天満宮で裁縫技術の上達祈り「針供養」

大阪市北区の大阪天満宮で2月8日、裁縫で使い古した針を特大のこんにゃくに刺すことで感謝の気持ちを表すとともに、裁縫技術の上達を祈る伝統行事「針供養」が行われた。
和服を仕立てる和裁士や服飾学校に通う生徒らおよそ1,000人が参加し、幅50cm、高さ10cmほどの特大こんにゃくに縫い針やまち針を次々と刺して供養する姿がみられた。大阪府内はもちろん、兵庫県西宮市からの女性も来ていた。
大阪天満宮では、奈良時代に刺繍や裁縫の技術を日本に伝えたとされる遣唐使の吉備真備が祀られていることから、およそ90年前から毎年行われている。吉備真備は遣唐使船の”遭難”の大きなリスクがあった時代に、2回も遣唐使として中国・唐にわたり帰国後、大和朝廷の中枢で活躍した人物。

太平洋戦争中に沈没の戦艦「比叡」の切断船体見つかる

太平洋戦争中に沈没の戦艦「比叡」の切断船体見つかる

米国の調査チームはこのほど、太平洋戦争中の1942年、南太平洋のソロモン諸島沖、サボ島の北西の深さ985mの海底で、旧日本海軍の戦艦「比叡」を発見した。
激しい攻防戦の中で沈没したものとみられ、船体が切断された状態になっていて、専門家の見立てでは大きな爆発によって沈没した可能性が高いことが、今回初めて分かった。
比叡は、太平洋戦争の緒戦で1941年、ハワイ真珠湾攻撃にも参加。主要な戦いに投入され、第三次ソロモン海戦で連合国の艦隊の攻撃を受けて航行不能となり、最期は自ら船内に水を入れて沈んだとされていた。しかし、今回発見された残骸から判断する限り、尋常な最期ではなかったことが明らかになった。
潜水艇から撮影された映像には巨大なスクリュープロペラや舵(かじ)、高角砲の砲身などのパーツが映っているが、船腹を上にした状態で沈んでおり、大きな爆発で船体がいくつかに砕け散った惨状が想起される。

明日香村「小山田古墳」は飛鳥時代最大の「方墳」

明日香村「小山田古墳」は飛鳥時代最大の「方墳

奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査によると、奈良県明日香村の「小山田古墳」が飛鳥時代の「方墳」としては国内最大規模とみられることが分かった。
今回の調査で一辺の長さが大きいところでは幅が80㍍以上あることが確認された。これまで飛鳥時代の方墳では千葉県の「龍角寺岩屋古墳」が、幅およそ78㍍で国内最大規模とされていた。小山田古墳が上回る規模と分かったもの。
そこで、注目されるのがこの古墳の被葬者だ。古墳の規模からみて、当時の最高権力者や権勢を誇った人物として天智天皇や天武天皇の父親、舒明天皇、蘇我蝦夷などの名前が挙げられている。今後の研究が待たれる。

江戸時代の譲位と即位の屏風絵 京都で初公開

江戸時代の譲位と即位の屏風絵 京都で初公開

4月の天皇陛下の退位と5月の皇太子さまの即位を控え、356年前の江戸時代に行われた天皇の譲位と即位の儀式を描いた屏風絵が1月30日から初めて、京都市東山区の京都国立博物館で公開されている。
この屏風絵は、江戸時代の1663年に行われた後西天皇の譲位と霊元天皇の即位に伴う一連の儀式を描いたもの。屏風は2点で一組となっていて、いずれも高さおよそ1㍍、横およそ3㍍。一つは京都御所の紫宸殿で行われた即位式の様子が描かれている。数えで10歳の霊元天皇が高御座(たかみくら)に座る姿や、一般の人たちが見物する様子が描かれている。いま一つは後西天皇の譲位の儀式で、三種の神器のうち剣と勾玉の継承などが描かれている。同博物館の平成知新館で3月10日まで公開されている。

低予算で太陽系の小天体の観測に成功 世界初

低予算で太陽系の小天体の観測に成功 世界初

国立天文台、京都大学などのグループはこのほど、太陽系の最も外を回る惑星、海王星のさらに外側に存在すると考えられている、直径が20kmより小さい無数の小天体の一つを観測することに成功したと発表した。
同グループは今回、観測装置の開発費がおよそ350万円という低予算で、独自に改良した小型の望遠鏡を使って直径2.6kmの小天体一つを見つけることに成功した。およそ2,000の恒星を60時間かけて動画で撮影し、遠くにある光を放つ恒星の前を小天体が横切る際の光の強弱を捉えることで観測したもの。通常、直径が20kmを下回る天体は小さくて暗いため、観測が難しく実態がよく分かっていない。
小天体は惑星がつくられる材料と考えられ、これらが衝突と合体を繰り返して地球などの惑星ができ、太陽系を形づくった。このため今回の快挙は、その成り立ちの解明につながる成果として注目されている。
国立天文台によると、海王星より外側にあるこの大きさの小天体を実際に確認したのは世界で初めてという。

ユダヤ人に「命のビザ」発給の杉原千畝称える式典

ユダヤ人に「命のビザ」発給の杉原千畝称える式典

国連が定める「国際ホロコースト・デー」の1月27日、エルサレムで複数のユダヤ人団体が、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人に人道的な立場からビザを発給し、およそ6,000人の命を救った日本の外交官、杉原千畝を称える式典を開いた。
主催した団体は杉原の功績を紹介し、人道的な立場から本国の指示に背いて、日本の通過ビザを発給し「私たちを助けてくれた、杉原の勇気ある行動を決して忘れない」と称えた。
そして石に「杉原千畝」の名を刻み込んだパネルが、ホロコースト犠牲者を追悼する施設の外壁に設置された。

「大坂幕府構想」記した書状 大阪城天守閣で初公開

「大坂幕府構想」記した書状 大阪城天守閣で初公開

江戸時代の初期、小堀遠州が義理の父親で二代将軍・徳川秀忠の側近、藤堂高虎に宛てた、大坂を徳川幕府お本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す書状が、1月26日から大阪市中央区の大阪城天守閣で公開されている。公開は3月19日まで。
小堀遠州は、徳川氏が大坂夏の陣(1615年)で豊臣氏を滅亡に追い込んだ後、焼失した大坂城の建て直しを担当していた。

若草山の山焼き 古都の夜空朱色に染める

若草山の山焼き 古都の夜空朱色に染める

古都・奈良の冬の伝統行事、若草山の山焼きが1月26日夜、行われた。午後6時すぎから大勢の観光客らがふもとで見守る中、約700発お花火が打ち上げられた後、ほら貝とラッパの合図で、聖火が灯るたいまつを手にした地元の消防団員ら約300人が山の斜面に、一斉に火を放った。火は瞬く間に燃え広がり、次第に大きな炎となって古都の夜空を朱色い染めていった。

奈良・富雄丸山古墳の「国内最大円墳」を再確認

奈良・富雄丸山古墳の「国内最大円墳」を再確認

奈良市教育委員会は、富雄丸山古墳を発掘調査した結果、直径が109㍍だったことが分かったと発表した。これにより、これまで国内最大といわれた埼玉県の丸墓山古墳の105㍍を上回る国内最大の「円墳」であることを再確認した。
奈良市の富雄丸山古墳は4世紀後半に造られた円墳で、2017年行われた上空からのレーザー測量で直径が110㍍前後と分かり、国内最大規模の円墳として注目された。
今回古墳の正確な大きさを調べるため、発掘調査が進められていた。古墳は3段構造になっていて、平坦な部分の幅は1段目が7.2㍍、2段目が8.8㍍で、他の円墳に比べてかなり広いことが分かった。

北斎479作品集め「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」

北斎479作品集め「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」

世界的にも名高い葛飾北斎の、国内外の名品、近年発見された作品、初公開作品など479作品を集めた「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」が1月17日、東京・六本木ヒルズ森タワー(52階、森アーツセンターギャラリー)でスタートした。3月24日まで。1月29日、2月19日、同20日、3月5日は休館。
今回展では、20歳から90歳ごろまでの長きにわたる北斎の絵師人生を、作風の変遷と主に用いた画号によって6期に分けて紹介している。①勝川派の絵師として活動した春朗期(20~35歳ごろ)②勝川派を離れて肉筆画や狂歌絵本の挿絵といった新たな分野に意欲的に取り組んだ宗理期(36~45歳ごろ)③読本の挿絵い傾注した葛飾北斎期(46~50歳ごろ)④多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51~60歳ごろ)⑤錦絵の揃物を多く制作した為一期(61~74歳ごろ)⑥自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75~90歳ごろ)の6期で、その壮大な画業を通覧できる。
北斎の時期別の主要作品を網羅、紹介するとともに、新たな北斎に出会える機会ともいえるのではないか。

 

「はやぶさ2」2月後半に小惑星「リュウグウ」着陸へ

「はやぶさ2」2月後半に小惑星「リュウグウ」着陸へ

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は1月8日、小惑星「リュウグウ」の上空で、着陸に向けた準備を進めている日本の探査機「はやぶさ2」が、2月後半に初めての着陸を試みる予定だと発表した。
はやぶさ2は2018年6月、地球からおよそ3億km離れたリュウグウの上空に到着。当初同年10月の着陸を予定していたが、リュウグウの表面が予想以上に岩に覆われていることが分かり、着陸時期を延期して着陸適地の場所の選定などを進めていた。

夏目漱石の旧制第一高等中学時の成績記した手帳見つかる

夏目漱石の旧制第一高等中学時の成績記した手帳見つかる

福井県越前市で、文豪・夏目漱石の旧制第一高等中学校時代の成績を記した手帳が見つかった。これは漱石が通っていた東京の旧制第一高等中学校で教鞭を執っていた、現在の福井県越前市出身の哲学者、松本源太郎が書き記したもの。
この手帳は2018年11月、松本のひ孫が越前市の図書館に寄託した資料の中から見つかったという。専門家は、漱石の学業に関する資料が発見されるのは珍しく、貴重な資料だとしている。
手帳には松本が教えていた「論理学」の成績が生徒ごとに記録されていて、漱石の本名「夏目金之助」の欄には1学期が80点、2学期が90点と書き記されている。別のページには漱石と同級生だった俳人・正岡子規の成績も記され、1学期が74点、2学期が82点となっている。
このほか、手帳には明治21年から22年にかけて在籍していた30人余りの生徒の成績が記され、漱石の成績は1学期と2学期を合わせるとトップだったという。

三重県の国史跡で「初代斎王」の宮殿の建物跡を発見

三重県の国史跡で「初代斎王」の宮殿の建物跡を発見

三重県明和町の国史跡・斎宮(さいくう)跡で、飛鳥時代後半(7世紀後半~8世紀初頭)の斎宮の中心施設、方形区画と多数の建物跡が見つかった。
天智天皇亡き後、近江京の大友皇子との覇権争い「壬申の乱」を制し、天皇による中央集権国家の樹立を目指していた天武天皇が、娘で初代斎王(さいおう)に任命した大来皇女(おおくのひめみこ)のために造営されたとみられる。
今回建物跡が見つかった現場は東西2km、南北0.7kmに及ぶ国史跡の西部。2018年度の斎宮歴史博物館の発掘調査で、区画の北東隅とみられる直角に折れた約10m×約8mの塀跡が見つかった。過去に発掘された塀跡と合わせて東西方向に約40m、南北方向に約60m以上の方形区画が存在することが分かった。
区画内では脇殿とみられる掘立柱建物跡が4棟、区画外の西では柱の直径40cm、柱間隔が2mを超える3間×4間の大型総柱建物を含む倉庫跡が7棟あることが確認された。

5月にもイコモスが勧告 古墳群の世界遺産の可否判定

5月にもイコモスが勧告 古墳群の世界遺産の可否判定

世界文化遺産への登録を目指している大阪府南部の百舌鳥・古市古墳群は、ユネスコの諮問機関のイコモスが昨年9月に行った現地調査の結果を踏まえ、今年5月にも登録にふさわしいかどうかの勧告(判定)を出す見通しだ。
「ふさわしい」と判断されれば、今年夏にアゼルバイジャンで開かれるユネスコの世界文化遺産委員会で正式に登録が決まる。

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」

京都の世界遺産、下鴨神社で1月4日、新春恒例の「蹴鞠初め」が行われた。境内に15m四方の四隅に竹を立てた「まり場」が設けられ、平安時代の貴族の装束を身に着けた保存会のメンバー8人が輪になって、さながらサッカーのリフティング並みに蹴り続ける、優雅な蹴鞠を披露した。
鹿の皮を縫い合わせてつくった直径およそ20cmの白いまりを、「アリ」「ヤァ」「オゥ」など独特の掛け声をかけながら、落とさないよう蹴り上げていた。

新元号は現天皇が改元政令を公布

新元号は現天皇が改元政令を公布

安倍首相は1月4日年頭記者会見し、5月1日の皇太子さまの新天皇即位に伴って改める新元号について「国民生活への影響を最小限に抑える観点から、先立って4月1日に発表する」と表明した。
4月1日に改元政令を閣議決定して、現在の天皇陛下が公布され、新天皇即位と同時に改元する。皇位継承前の新元号公表は憲政史上初めて。天皇退位は約200年ぶり。

地球内部に23億k㎥の巨大生物圏 国際プロジェクトが報告書

地球内部に23億k㎥の巨大生物圏 国際プロジェクトが報告書

世界のおよそ50カ国の研究者が参加する国際プロジェクト「ディープ・カーボン・オブザーバトリー」はこのほど、地球内部の過酷な環境の中に微生物の巨大な生物圏が広がっているとする報告を、過去10年間と取り組みの成果として発表した。
これらの微生物は、地下5,000mを超える鉱山の掘削坑や海底2,500mほど掘り下げた地層など、世界各地のおよそ100地点で採取したサンプルの分析によって確認された。
この中には海底の熱水が噴き出す120度を超える環境でも生息できる微生物や、岩石をエネルギー源とする微生物などもいて、地上とは大きく異なる過酷な環境で独自の進化を遂げていた。しかも地球内部で生物が存在し得る領域は23億k㎥と海の体積の2倍に及び、この中に地球全体の微生物の70%が存在すると考えられるという。

両陛下最後の一般参賀に平成最大の15万4,000人余の人の波

両陛下最後の一般参賀に平成最大の15万4,000人余の人の波

4月の退位を控え、両陛下が天皇・皇后として応えられる最後の一般参賀が1月2日、皇居で行われ、平成に入って最も多い15万4,000人余が訪れた。
宮内庁は予定より15分速い9時15分に開門し、参賀の回数を1回増やして6回とし、両陛下は皇太子ご夫妻など皇族方とともに宮殿のベランダに立ち、訪れた人たちに笑顔で手を振って応えられた。6回目が終わった後も訪れる人の列が続き、急遽、両陛下の強い希望で7回目のお出ましが追加されるほどだった。

京都・西寺の五重塔の本格発掘調査へ 京都市

京都・西寺の五重塔の本格発掘調査へ 京都市

京都市は来年度、平安京造営時に東寺とともに造られ、その後焼失した西寺について、存在したとされる五重塔の場所を調べるための本格的な発掘調査を行うことになった。
これまで塔があったとみられる場所の周縁部などを調査したことはあったが、今回は地権者の了解を得て住宅など数軒を解体し、推定される場所を発掘する。今年秋ごろにも着手する方針。
これまでの西寺調査で「講堂」や本尊を安置したとされる「金堂」などの跡が見つかっているが、五重塔は正確な位置が特定できていない。
西寺は、長岡京から794年の平安京への遷都で桓武天皇が東寺と対になるように造った官営の寺。鎌倉時代の火災による焼失以降、再建されず現在、京都市南区の跡地が国の史跡に指定されている。

日本の新元号4/1に閣議決定・公表へ

日本の新元号4/1に閣議決定・公表へ

安倍首相は皇位継承に伴う新たな元号について、4月1日に閣議決定し、直ちに公表する方針を固めた。同首相が1月4日に、年頭の記者会見で方針を正式に表明する。
4月30日に天皇陛下が退位され、新元号を定める政令は施行日を皇太子さまが即位される5月1日とし、5月1日午前0時をもって元号は改められる。

唐招提寺の證玄和尚の遺骨容器に弟子の遺骨

唐招提寺の證玄和尚の遺骨容器に弟子の遺骨

奈良の元興寺文化財研究所の調査によると、奈良・唐招提寺の復興に功績のあった鎌倉時代の高僧、證玄(しょうげん)和尚の遺骨を納めた容器の中に少なくとも3人の遺骨が入っていたことが分かり、寺では弟子の遺骨も追葬したとみている。
容器は直径17㌢、高さがおよそ34㌢の銅製で、表面の銘板には證玄の出身地や没年が刻まれていた。容器からは弟子の名前などが墨で書かれた骨も6つ見つかった。容器は当初から追葬を想定してつくられたとみられていて、同じ容器に追葬した例はこの時代では極めて珍しいという。
證玄は鎌倉時代に金堂や講堂の修復を手掛け、43年にわたり長老として寺の伽藍の復興に尽力した高僧。この容器は2019年2月から奈良国立博物館で公開される。

浄土真宗の顕如が秀吉に宛てた書状2通見つかる

浄土真宗の顕如が秀吉に宛てた書状2通見つかる

東京大学史料編纂所によると、浄土真宗の顕如が羽柴秀吉に宛てた書状が2通見つかった。書状は1通が、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の翌年、天正11(1583)年に書かれたと考えられ、文面は大坂に入ることになった秀吉に対して、あいさつのため使者を送るというもの。もう1通は、秀吉の昇進の祝いに刀を献上するという内容が記され、秀吉が初めて朝廷から位を授かった天正12(1584)年に送られたとみられる。
延暦寺の焼き討ちに象徴されるように、信長は宗教勢力と激しく対立した。顕如とも同様で、これら2通の書状は信長の死後、秀吉に接近しようと顕如が書いたものだ。
調査にあたった同編纂所では、顕如がこの時点で秀吉を”ポスト信長”の有力な人物と認識していたことがはっきりと分かる、貴重な史料だと指摘している。顕如は「石山合戦」でおよそ10年にわたり信長と激しく対立し、和睦の後、拠点としていた大坂の石山本願寺を出て、紀伊に移った経緯がある。

快慶の一番弟子・行快作の仏像「木造阿弥陀三尊像」発見

快慶の一番弟子・行快作の仏像「木造阿弥陀三尊像」発見

京都国立博物館の調査によると、京都市の聞名寺が所蔵する木彫りの仏像について、鎌倉時代の仏師、快慶の一番弟子で現存する作品の少ない行快が手掛けたものであることが分かった。
今回、行快作と判明したのは「木造阿弥陀三尊像」で、高さがそれぞれ80㌢の1体と60㌢の2体の木彫りの仏像。像を台座に固定するためのほぞに、墨で行快の署名が見つかった。行快は現存する作品が少なく、貴重な発見だという。

天皇誕生日の一般参賀に平成最多の8万2,850人

天皇誕生日の一般参賀に平成最多の8万2,850人

天皇陛下の85歳の誕生日を祝う一般参賀が12月23日、皇居で行われた。2019年4月末の退位を控え、誕生日の一般参賀は今回が最後。そうした区切りや改元・時代の移り変わりを意識して、参賀の列に加わった人も多く、記帳を含め平成30年間で最多の8万2,850人が皇居を訪れた。
ちなみに2016年は3万8,588人、2017年は5万2,300人だった。宮内庁は今年初めて2台の大型モニターを設置し、会場の端からでも陛下の様子が分かるようにした。

奈良「西安寺」跡で金堂跡 四天王寺式伽藍配置判明

奈良「西安寺」跡で金堂跡 四天王寺式伽藍配置判明

奈良県王寺町教育委員会などの調査によると、聖徳太子が建立したとされる同町の「西安寺」の跡で、塔の跡の北側から金堂の跡が見つかり、建物の配置は同じ聖徳太子ゆかりの四天王寺(大阪市)と同じであることが分かった。
今回見つかったのは金堂の土台である「基壇」の一部と大量の瓦。瓦の特徴などから、金堂は7世紀後半から8世紀初頭に建てられたとみられ、基壇の大きさは東西が約15㍍、南北が約12㍍と推測されている。また、正面は南向きであることが分かった。
同町教育委員会は、金堂と塔の位置関係などから寺の建物の配置「伽藍配置」は、同じ聖徳太子ゆかりの寺、四天王寺と同じで、塔の真北に金堂を建てた「四天王寺式」とみている。
西安寺は現存していないが、聖徳太子が建立したと文献に記されている寺。

神戸の生誕地に嘉納治五郎翁の石碑建立

神戸の生誕地に嘉納治五郎の石碑建立

「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎の功績を称えようと、現在の神戸市東灘区、幕末の1860年当時の御影村に、西端の場所を示す石碑が建立され、12月20日披露された。御影石でつくられた石碑は高さ1.4㍍、幅2㍍、横書きで「嘉納治五郎翁 生誕地」と刻まれている。
嘉納は日本古来の柔術を「柔道」として発展、普及させた。また、日本人初の国際オリンピック委員としても活躍し、戦争の影響で”幻”となった1940年の東京オリンピックの招致に尽力した。

「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる

「大坂幕府構想」検討の可能性示す新たな書状見つかる

江戸時代初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す、将軍の側近周辺の人物が記した新たな書状が見つかった。
書状は花押や筆跡などから「大坂の陣」(1614~15年)の後、大坂城の建て直しを担当していた小堀遠州が、義理の父親でニ代将軍(大御所)徳川秀忠の側近、藤堂高虎(津藩主)に宛てたもので、記された内容から寛永3(1626)年に書かれたと考えられる。
書状の中で遠州は、大坂城の茶室の庭に置く石を献上するように進言し、その理由について「大坂はゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」と説明している。誰の城になるかは明記されていないが、調査にあたった三重大学の藤田達生教授によると、城に「御」という敬称が付けられていることなどから、当時江戸城にいた大御所の秀忠や三代将軍、家光の居城になるという前提で、遠州が大坂城の整備を進めていたことが分かるという。
徳川幕府の拠点を大坂に移す構想は、実は別の史料にも記されている。1615年に豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」の直後に上洛した薩摩藩の島津家久の話だ。この史料には家久が幕府の上層部から大坂城を当時の将軍、秀忠の居城にするという計画を聞いたと記録されている。

藤原京遺跡で漆付着の土器大量出土、周辺に工房存在か

藤原京遺跡で漆付着の土器大量出土、周辺に工房存在か

奈良県橿原考古学研究所の発掘調査によると、持統天皇が造営した藤原京があった橿原市の四条遺跡で、漆が付着した大量の土器が数十点見つかった。同研究所では周辺に漆を使っていた工房があった可能性があるとみている。
飛鳥時代の都、藤原京の主要な道路「四条大路」の南側の溝から、漆が付着した土器が大量に見つかった。そして、この溝の近くから南北4㍍、東西10㍍ほどの建物跡が東西に4棟並んで見つかり、同研究所では工房に関係する建物の可能性があるとしている。

平城宮跡 東区朝堂院の大きさ判明 奈文研

平城宮跡 東区朝堂院の大きさ判明 奈文研

奈良文化財研究所が10月から行った平城宮跡東区朝堂院の東門の跡の発掘調査によると、門の大きさは幅およそ20㍍、奥行きおよそ10㍍であることや、その正確な位置が分かった。この結果、東区朝堂院の東西の大きさも確定し、東西およそ177㍍、南北およそ284㍍となった。
奈良文化財研究所では「時代ごとに変わる朝堂院の変遷を知るうえで貴重な成果だ」としている。東区朝堂院は奈良時代後半に、天皇が政治や儀式を行った「第二次大極殿」の南側にあり、大臣などの役人が国家的な政務を行う場所だった。

今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映

今年の漢字は「災」地震、豪雨、台風などの自然災害の年を反映

日本漢字能力検定協会(本部:京都市)によると、毎年恒例の今年1年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」に「災」が選ばれ12月12日、清水寺(京都市東山区)で発表された。
地震や豪雨、台風、猛暑などの自然災害に、近年では稀なほど繰り返し見舞われ、数多くの人が被災したことで、応募数19万3,000票余りの中でも最も多くの人の気持ちを捉えた漢字となった。
2番目は「平」、3番目は「終」だった。「平」は平昌(ピョンチャン)冬季五輪や、メジャーリーグで二刀流の大活躍で驚かせた大谷翔平の印象が大きかった。また、「終」は天皇退位のセレモニーなどのスケジュール一式が公表され、平成最後の年となったことが特に印象付けられたためとみられる。

法隆寺で迎春準備 恒例の「お身拭い」

法隆寺で迎春準備 恒例の「お身拭い」

奈良県斑鳩町の法隆寺で12月8日、新年を前に毎年この時期に行われる恒例の「お身拭い」が行われた。これは仏像に積もったほこりを落とすもの。
作業姿でマスクをつけた9人の僧侶が国宝の「金堂」に入り、本尊の釈迦三尊像や薬師如来坐像などの仏像に積もったほこりを、はたきやはけを使って払い落していた。これらの作業を、居合わせた多くの参拝客らが見守っていた。

京都・城陽市で奈良時代の平地造成・建物の遺跡見つかる

京都・城陽市で奈良時代の平地造成・建物の遺跡見つかる

京都府埋蔵文化財研究センターの発掘調査で、京都府城陽市の芝山遺跡で古墳時代から奈良時代の丘陵地を切り崩して平地に造成した跡が新たに見つかった。
その集落跡は縦約40㍍、横約30㍍の範囲で丘陵地を平地に造成。出土した土器などから奈良時代に行われたとみられ、同じころに地面に掘った穴に柱を立ててつくった掘立柱建物の跡も新たに9棟見つかった。このうち8棟は人工的に造成した平地の上に建てられ、新しくなるほど建物は北側から西側に向くようになっていたことが分かったという。

中国・長江デルタで約4400年前の大規模な気候寒冷化の発生を発見

中国・長江デルタで約4400年前の大規模な気候寒冷化の発生を発見

東京大学と日中の研究機関の共同研究グループは、中国・長江デルタの近傍から採取された海洋堆積物コアを用いて、過去の表層海水温変動を復元した結果、約4400年前~3800年前に大規模かつ複数回の急激な気候寒冷化イベントが発生したことを発見した。
長江デルタでは約7500年前から、世界最古の水稲栽培を基盤とした新石器文明が栄えたが、約4200年前に突然消滅し、その後約300年間にわたり文明が途絶えた。原因について、これまで統一的な見解は得られていなかったが、今回明らかになった気候寒冷化イベントがこの一因になった可能性が高いとしている。

ナマハゲなど8県の「来訪神」が無形文化遺産に登録決定

ナマハゲなど8県の来訪神が無形文化遺産に登録決定

インド洋・モーリシャスで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の政府間委員会は11月29日、無形文化遺産に日本の「男鹿(おが)のナマハゲ」(秋田県)など8県の10行事で構成される「来訪神(らいほうしん) 仮面・仮装の神々」を登録することを決めた。
今回無形文化遺産に登録されたのは①男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)②吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)③米川の水かぶり(宮城県登米市)④遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)⑤能登のアマメハギ(石川県輪島市能登町)⑥見鳥のカセドリ(佐賀市)⑦甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)⑧薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)、➈悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)⑩宮古島のバーントゥ(沖縄県宮古島市)。
2009年に単独で登録された「甑島のトシドン」(鹿児島県)に、新たに9行事を加えて1つの無形文化遺産として申請していた。したがって、日本の無形文化遺産登録件数は21件で変わらない。

奈良県高取町で渡来人の「大壁建物」跡発見、最大・最古級か

奈良県高取町で渡来人の「大壁建物」跡発見、最大・最古級か

奈良県高取町の教育委員会は11月27日、同町の市尾カンデ遺跡で古墳時代、朝鮮半島から日本にわたってきた渡来人が建てたとされる「大壁建物」の複数の建物跡が新たに16棟見つかったと発表した。
同委員会では、周辺で見つかった土器などから古墳時代の4世紀末から5世紀初めの、これまで見つかった中で最も古いものだとしている。また、今回見つかったうちの1棟は東西14.5㍍、南北13㍍あり、これまでで最大級だという。
大壁建物はこれまで奈良県、滋賀県を中心に150棟が見つかっており、これまではすべて5世紀中ごろ以降のものとされていた。