後徳大寺左大臣
※藤原実定
ほととぎす鳴きつる方を眺むれば
ただ有明の月ぞのこれる
【歌の背景】暁にほととぎすを聞くという題で詠まれた歌。ほととぎすは万葉集以来、秋の月、冬の雪、春の花に並ぶ夏の代表的題材として繰り返し詠まれてきた。なぜなら、山間ならともかく、都では滅多に声を聞くことのできない鳥、もし幸い聞くことができたとしてもほんの一声、しかもその姿を捉えることはほとんどできない鳥だからだ。
【歌 意】ほととぎすが一声鳴いたので、はっと思って声のしたと方を眺めると、ほととぎすの姿は見えず、ただ有明の月が残っているだけだ。聞いたと思ったその声さえ、空耳ではなかったかと思われるはかなさだ。
【作者のプロフィル】藤原実定のこと。右大臣公能の子。祖父実能が徳大寺左大臣といったので、それと区別して「後」をつけた。左大臣になったのは文治5年(1189)。建久2年(1191)53歳で没。学識もあり、才能にも恵まれた人で、歌人としても優れていた。