陸軍の青年将校らが天皇中心の国家を確立するとしてクーデターを企て、政府要人ら9人を殺害した「二・二六事件」(1936年2月26日発生)について、暴徒として鎮圧されるまでの4日間の事件の推移を分単位で克明に記録した海軍の極秘文書が見つかった。陸軍のではなく、海軍のこうした文書が存在したこと自体が驚きだ。そして、この事件の際、これまで断固鎮圧の姿勢を貫いたとされていた昭和天皇の、揺れ動く思いのさまが垣間見える記録だ。この中で昭和天皇は、海軍の作戦を統括する軍令部のトップ、皇族将校の伏見宮・軍令部総長とのやり取りで、①海軍の青年士官がこの企てに合流することはないか②事件鎮圧に出動する海軍の陸上部隊の指揮官は、部下を十分掌握できる人物を選任せよ-などと、事件の拡大を懸念する発言をしていたことが記録されていて、専門家は当時の天皇と軍の関係を知るうえで、極めて貴重な資料と指摘している。この事件の後、日本軍部は戦争への道をまっしぐらに進み、わずか5年後の1941年に太平洋戦争勃発、そして1945年の敗戦へと突き進む。