日本政府の「領土・主権展示館」(所在地:東京・霞が関、以下、領土館)や、中国の政府機関が1971年以前に発行した公式地図や機関紙などによると、中国は尖閣諸島(所在地:沖縄県石垣市)は1971年以前は、日本領だと認識していたことが分かった。
なぜ、中国がその後、突然尖閣は中国の領土だと主張し出したのかといえば、1960年代後半に東シナ海に石油資源が大量に埋蔵されている可能性が指摘されたためだ。これを機に中国の認識が一変。石油資源の確保を巡り、尖閣に対し領有権を初めて公式に主張し出した。1971年12月のことだ。
中国の、日本でいう国土地理院にあたる中国の「国家測絵総局」(当時)直属の地図出版社が発刊した「世界地図集」をみると、明確になる。地図集の1960年版では、尖閣は日本の地図を示すページに記載されていた。ところが、1972年版になると日本のページから削除され、中国のページに追加されている。また、1960年版は尖閣の「魚釣島」をその名称のまま表しているが、手のひらを返したように1972年版になると中国政府が現在使っている「釣魚島」に変更しているのだ。
領土館はいま既述した、中国側の資料を含めた、こうした実態を詳細に理解できる資料の展示を行っている。