卑弥呼の宮殿?のそばから別の奈良・纏向遺跡で大型建物跡
 奈良県桜井市教育委員会によると、邪馬台国の最有力候補地とされる同市の纏向(まきむく)遺跡で、4月27日までに「女王・卑弥呼の宮殿」とも指摘される大型建物跡(3世紀前半)のそばから別の大型建物跡の一部が見つかった。見つかったのは、南北に並ぶ柱列で、東西1.2m、南北60cmの柱穴3個、柱穴の間隔は4.5mと広く、間には床を支えるための束柱跡も2個確認された。同市教委は、大和政権の中心施設だった可能性もあり、年代特定へ向けた調査を続ける−としている。

法隆寺で聖徳太子没後1390年の法要
 没後1390年を迎えた聖徳太子の遺徳をしのぶ法要が4月22日、太子ゆかりの法隆寺(奈良県斑鳩町)で営まれた。10年に一度の遠忌法要だが、今回は冒頭に東日本大震災の犠牲者に黙祷(もくとう)。参列者約750人が冥福を祈り、大野玄妙管長が早期復興を願う言葉を捧げた。太子を祀る御輿(みこし)とともに、僧侶や楽人たちの行列が境内を練り歩き、講堂の前では子供たちが舞楽などを奉納した。

漆装飾「末金鏤(まっきんる)」技法を再現
 宮内庁正倉院事務所は、正倉院の刀で最も豪華とされる「金銀鈿荘唐大刀(きんびんでんかざりのからたち)」の鞘(さや)に施されている漆装飾「末金鏤(まっきんる)」の技法を再現した。これは、「蒔絵(まきえ)」の源流に位置付けられる技法という。蒔絵の人間国宝、室瀬和美氏が担当。漆で描いた文様に金粉をまき、漆を塗り重ねて研ぎ出す手法は蒔絵と同じだが、金粉を振るいにかけず、不揃いなまま用いる点や、表面を平に研がずに凹凸を残す点が異なる。

東大寺法華堂 須弥壇修理で8月から拝観停止
 東大寺(奈良市)は4月25日、法華堂(国宝、8世紀)の須弥壇の解体修理が6月から始まるのに伴い、8月から2013年3月まで拝観を停止すると発表した。奈良県文化財保存課によると、解体修理は明治時代以来2度目だが、これほど大規模なものは初めてという。修理と並行して須弥壇が築かれた時期などを探る調査も行う。

大阪・泉佐野の遺跡で東大寺再建瓦が出土
 大阪府教育委員会は4月19日、大阪府泉佐野市の安松田遺跡で、東大寺再建のため造られた瓦が出土し、同寺で出土した再建瓦と大きさや釘(くぎ)穴の位置が合致したと発表した。近畿地方で再建瓦の製作が確認されたのは初めて。大仏殿などで使う瓦が不足し、緊急避難的に生産されたとみられる。東大寺は1180年、平重衡の軍勢により焼失し、翌年から再建が計画された。遺跡では窯の破片も見つかり、瓦を作る工房だった可能性が高いという。

淀が北政所に宛てた直筆書状など古文書7点公開
 ウェスティンホテル大阪(大阪市)は、3月下旬に新設した女性専用フロア「MUSE(ミューゼ)」で、同ホテルが所有する豊臣家や徳川家ゆかりの古文書7点の公開を始めた。この中には、「政所(まんどころ)様が建立された高台寺が完成したとうかがいました…」−など豊臣秀吉の側室・淀殿が、正室・北政所に宛てた直筆の書状もあり、対立関係にあったともされる二人の交流を示す貴重な史料もある。

没後150年 奇才・歌川国芳展 12日から大阪で開幕
 奇想天外、大胆奇抜な浮世絵で江戸を席捲した奇才、歌川国芳(1797〜1861年)の史上最大級の回顧展が4月12日から大阪市立美術館で開催されている。6月5日まで。国芳は葛飾北斎、歌川広重らとほぼ同時代の幕末に活躍した浮世絵師。勇壮でダイナミックな「武者絵」で人気を博した。国芳没後150年を記念して、前期(4月12日〜5月8日)、後期(5月10日〜6月5日)に分け、展示作品の部分的差し替えを行い、彼の代表作や新発見の作品などそれぞれ421点を展示する。

安政南海地震による大津波の被害伝える「瓦版」公開
 1854年の安政南海地震による津波で、大阪市西部が水没するなど関西でも大きな被害が出たことを伝える瓦版が、大阪城天守閣(大阪市中央区)の「瓦版にみる幕末大坂の事件史・災害史展」で公開されている。産業技術総合研究所によると、同年12月23日、安政東海地震(M8.4)が発生。翌日に南海地震(同)が起きた。道頓堀の西側や南側は津波で大半が水没。木津川や安治川の河口に停泊していた千石船が津波で河川を逆流。橋を次々に破壊しながら内陸の道頓堀まで運ばれた様子が記されている。

大坂城三の丸跡で豊臣期の鍛冶工房跡
 大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所は4月14日、大坂城三の丸跡(大阪市中央区)で、16世紀末〜17世紀初めの豊臣期の鍛冶工房跡が見つかったと発表した。鍛冶工房は東西15m、南北4〜5mで、3区画に分かれていり、1区画に2基、計6基の炉跡を確認した。工房全体の様子が分かる例は初めてという。

高槻・今城塚古墳の一帯9haを公園に
 大阪府高槻市の史跡・今城塚古墳の一帯9haが市によって公園として整備された。ミュージアム機能を持つ今城塚古代歴史館と併せて「いましろ大王の杜(もり)」の名でオープンした。野外の祭祀場に家や人物、動物などをかたどった約200点の埴輪が展示され壮観。これらは6世紀前半の古墳から出土したものを複製し、さながら“兵馬俑(へいばよう)”のように配置通りに再現している。前方後円墳にも立ち入り、散策ができるという。歴史館ではアニメ映像やパネルで古墳がつくられた当時の様子を紹介している。

与謝野晶子の子の結納費工面の手紙見つかる
 逸翁美術館(大阪府池田市)は4月1日、歌人の与謝野晶子(1878〜1942年)が阪急電鉄の創業者、小林一三(1873〜1957年)に送った手紙3通が見つかったと発表した。晶子が夫、鉄幹の遺品、風景画などの買い取りを求める内容で、この手紙は36年11月12日付。五女の結納費用を工面しなければならない事情を告白している。手紙は、同美術館が旧館(現在の小林一三館)から2009年に運び入れた段ボールから昨秋、見つかった。

国宝・重文含め文化財被害400件超える
 文化庁によると、国が指定・選定した文化財の東日本大震災による被害は、東北・関東を中心に400件を超えた。国宝では瑞巌寺(宮城県松島町)、大崎八幡宮(仙台市)、阿弥陀堂(福島県いわき市)清白寺仏殿(山梨市)の板壁、扉まわり、欄間などに破損。重要文化財では水戸藩校として有名な旧弘道館(水戸市)、東照宮(仙台市)、桜田門(東京・千代田区)などで被害があった。

奈良・春日大社の大鎧(国宝)公開
春日大社(奈良市)の「日本一豪華なよろい」とされる国宝、赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい、14世紀)が1年がかりの修理を終えて3月30日、報道陣に公開された。甲冑(かっちゅう)の一大産地だった奈良で制作された、精緻な装飾が施された儀式用のよろいだ。高さ約135cm。源義経が奉納したとの伝承がある。劣化が激しかったが、鹿革で約270カ所を補強。ほこりも除去し、本来の色彩と輝きを取り戻した。4月1日から春日大社宝物殿で一般公開されている。

川端康成らが居住した邸宅を外資ファンドに売却
関係者によると、レオパレス21が京都市左京区の邸宅「下鴨泉川亭」を香港系ファンドの会長に売却していたことが明らかになった。売却額は17億円程度とみられる。同邸宅は世界遺産の下鴨神社付近に位置し、川端康成や谷崎潤一郎らの文豪が居住していた。川端が『古都』を執筆した場所として知られ、谷崎の『夢の浮橋』の舞台にもなった。下鴨泉川亭は下鴨神社の神官の居所だったが、明治期に一般邸宅として譲渡された。

瑞巌寺など東日本大震災で文化財被害300件
 文化庁のまとめによると、東日本大震災による被害は3月22日現在、19都道県で延べ296件となっている。内訳は国宝4件、重要文化財102件、特別名勝4件、史跡44件など。伊達政宗が造営を命じ、本堂が国宝に指定された「瑞巌寺」(宮城県松島町)では、国宝の庫裏の壁の一部が崩れ落ちたほか、木造なども落下し破損。特別名勝「松島」の約260の島々は大津波に襲われ、水没した島もある。茨城県北茨城市では日本美術院を設立した岡倉天心が建てた「五浦六角堂」が津波で消失。東京都でも旧江戸城の石垣などが被害を受けた。

奈良県が「1300年祭」の剰余金から2.5億円を寄付
 奈良県は3月22日、昨年開催した「平城遷都1300年祭」の剰余金約2億5000万円などを、東日本大震災の被災地への見舞金に充てると発表した。見舞金に充てるのは、同祭の剰余金約3億3600万円の中から県に寄付される分の全額。関連イベントとして開催した「全国都市緑化ならフェア」の剰余金約1500万円も見舞金とする。

熊本・田原坂で西南戦争の塹壕跡や薬きょう発見
 熊本市教育委員会は3月17日、西南戦争中の1877年3月、とりわけ激しい戦闘が繰り広げたといわれる「田原坂の戦い」があった同市植木町の田原坂公園で、塹壕(ざんごう)跡とみられる遺構や薬きょうなどを発見した。長さ約30m、幅約1m、深さ約0.3mの塹壕跡が2カ所見つかったほか、当時では最新式のスナイドル銃などの薬きょう13点や戦闘服のボタンなども多数出土した。
田原坂の戦いは死傷者4000人余りに上る、西南戦争でも最大の激戦といわれている。

奈良・西大寺赤田横穴墓群で陶棺7基見つかる
 奈良市埋蔵文化財調査センターによると、奈良市の西大寺赤田横穴墓群(6世紀後半〜7世紀中ごろ)で、格子模様の亀甲形陶棺6基と小型陶棺1基が見つかった。亀甲形陶棺は長さ1.7〜2.3m。この地域で勢力を持ち、埴輪作りに関わった古代の工人・土師氏一族の墓とみられる。工人クラスの一族の墓が確認されることは珍しいという。

慶応大敷地内で弥生時代の大集落見つかる
 慶応大は3月4日、横浜市港北区日吉の矢上キャンパスで弥生−奈良時代(1〜8世紀)にわたる60棟以上の竪穴住居跡が見つかったとして、報道陣に公開した。このうち弥生時代のものは30棟近くあり、全国的にみても弥生の集落遺跡としては非常に大規模で、全体で1000棟以上が密集していたと推定できるとしている。

長野で発見の化石は古型マンモスと確認
 野尻湖ナウマンゾウ博物館(長野県佐久市信濃町)の調査によると、佐久市でトンネル工事中に出土したゾウの歯と牙の化石が、120万〜70万年前の古型マンモスのものと確認された。これは2008年12月、工事現場で出土。作業員がインターネットで形がよく似たゾウの化石の写真を発見し、施主を通じて博物館に連絡したもの。歯と牙が同時に見つかるのは国内初。

400年前の仏アンリ4世の頭部のミイラ発見
 鑑定のため結成された科学者グループの分析によると、フランスの宗教戦争を終結させた国王として、国内で最も親しまれているアンリ4世の頭部のミイラが死後400年経ってパリで発見され、市民を驚かせている。放射性同位元素を用いた年代測定、DNA解析、コンピューターによる骨格の復元、病気の痕跡など、最新技術を駆使した結果、「99.9%以上の確立でアンリ4世の頭部に間違いない」との結論に達した。アンリ4世は1610年に死亡し、亡きがらはパリの郊外の教会に安置された。だがその後、フランス革命の混乱時の1793年に遺体が掘り返され、頭部が切断された。首はその後約200年間にわたり、骨董品屋で売買されるなど仏国内をさまよっていたとみられている。

薬師寺東塔の内部を創建以来初めて一般公開
 薬師寺(奈良市)は3月1日、三重の塔「東塔」(国宝)の内部を、約1300年前の奈良時代に創建されて以来初めて一般公開した。公開されたのは1階部分に当たる初層で、入堂する拝観者のために臨時の通路と照明装置を設置。天井一面を彩る想像上の花「宝相華(ほうそうげ)」や、塔を支える太い心柱などに直接触れることができる。夏ごろに開始予定の解体修理を前にした特別拝観で21日まで。覆い屋が設けられるため、今後約8年間は外観も見ることができなくなる。

平城京跡・朱雀門近くで巨大井戸発見
 奈良文化財研究所は3月3日、奈良市の平城京跡(8世紀)で、平城宮の表玄関、朱雀門の近くで、巨大な井戸跡を発見したと発表した。上部が正方形、下部が六角形の2段構造で類例がなく、規模も平城宮を除く平城京内では最大という。井戸跡が見つかったのは朱雀門の約130m南東。建材を再利用したとみられる部材などで枠が組まれ、上部は一辺約2.4mの正方形、下部が一辺約1.1mの六角形だった。残存する深さは約2.6m、もとは深さ3m以上とみられる。奈良時代末期まで使用されたとみられる。

平安後期に創建された平等院鳳凰堂の天井板の一部見つかる
 平等院(京都府宇治市)は2月25日、平安後期(1053年)に創建された国宝・鳳凰堂の天井板の一部が見つかり、発見した奈良教育大学の大山明彦准教授から寄贈されたと発表した。長さ約2.5m、幅約30cmの木の板で、板に描かれた想像上の花「宝相華(ほうそうげ)」の彩色の特徴や配置の仕方が、鳳凰堂の天井に現存する図柄と一致した。1902年(明治35年)から5年間にわたって行われた明治の大修理の際、外部に流出したという。

奈良・茅原大墓古墳で人をかたどった最古の古墳出土
 奈良県桜井市教育委員会は2月24日、同市の国史跡、茅原大墓(ちはらおおはか)古墳(前方後円墳)で、4世紀末の「盾持人(たてもちびと)埴輪」が出土したと発表した。人をかたどった埴輪では最古という。これまで謎とされてきた人物埴輪の登場の経緯や、埴輪を使った古墳祭祀の変遷を解明する重要な手がかりになるとみられる。埴輪は編み笠形のかぶとを被り、長方形の盾を構えた兵士を表現。頭から盾の上半分まで高さ67cm分が残存していた。顔は赤く塗られ、目と口の部分に穴を開けて、あごに入れ墨を示す線刻が入れてあった。日本における人物の造形物は縄文時代の土偶以来。

難波宮跡からアフリカ原産の薬草の種が出土
 大阪市博物館協会大阪文化財研究所によると、難波宮跡(大阪市中央区)で発掘した、遷都前にあたる6世紀末〜7世紀前半ごろの地層からアフリカ原産の薬用植物トウゴマ(ヒマ)の種8個が出土した。種は楕円形で、長さ約1cm,
幅5mm。同じ地層からはメロンやモモ、オオムギなどの植物の種も見つかった。トウゴマの種はエジプトの紀元前4000年ごろの遺跡からも出土している。日本では平安時代の辞書「倭名類聚抄」に「カラカシワ」の名で記録され、種の油は「ひまし油」として便秘薬などに用いた。

応神天皇陵に巨大方形土壇 血縁者埋葬か
 日本で2番目に大きく、宮内庁が応神天皇陵に指定している前方後円墳、誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市、5世紀前半)を調査した考古学研究者らによると、同陵の前方部頂上に巨大な方形の土壇があることが分かった。この土壇は、通常は古墳の主を葬る後円部上にあり、聖域を示す結界や祭壇との説が有力だ。同古墳では後円部の天皇だけでなく、前方部にも血縁者ら重要人物を埋葬した可能性が高いとみられる。

飛鳥京跡苑池で水辺に下りる階段跡見つかる
 奈良県立橿原考古学研究所は2月18日、国内最古の本格的な宮殿付属庭園、飛鳥京跡苑(えん)池(奈良県明日香村、7世紀)で、護岸から水辺に下りる階段跡が見つかったと発表した。階段跡が発見されたのは、南北2つある池のうち北側の東北隅。直径30〜50cmの石を並べて幅6.2m、5段(高さ計約1.2m)の階段が構築してあった。苑池ではこれまで、祭祀に用いた斎串(いぐし)など様々な木製品が出土している。

平城遷都1300年祭に予測の1.7倍の延べ2140万人が来場
 「平城遷都1300年祭」の主宰団体の記念事業協会は、奈良県内各地で昨年1年間にわたって開催された関連事業への来場者数の合計が延べ約2140万人となり、当初予測の約1.7倍に上ったと発表した。メーン会場の平城宮跡(奈良市、会期は昨年4月24日〜11月7日)の来場者数は延べ約363万人で、予測の約1.5倍。昨年1月1日〜12月31日に県内各地の社寺が実施した秘宝・秘仏の特別公開や特別講和には延べ約457万人、地域イベントや文化施設の特別展などに延べ約974万人が来場したと推計。

江戸幕府に披露した琉球使節の踊り160年ぶりに再現
 江戸時代、琉球王国から派遣された「江戸上り」の使節が演じた中国発祥の踊り「唐躍(とうおどり)」を約160年ぶりに復元したという公演が2月26日、東京・日本橋の三越劇場で行われる。これは1850年まで行われた江戸上りで琉球使節が徳川将軍の代替わりを祝うなど、幕府への外交儀礼として披露されていたもの。公演は琉球舞踊家、又吉静枝さんらが計画し、京劇俳優、張春祥さんらの劇団「新潮劇院」が唐躍の復元を担当。1832年の江戸上りの絵巻物であでやかな衣装の琉球人が唐躍を舞う姿に、京劇の作法を取り入れて舞台化する。

「洛中洛外図屏風」が群馬に集結

 室町〜戦国期から江戸時代初期にかけての京都を描いた「洛中洛外図屏風」。その主要な作品が、最新の研究成果を携え、3月5日から開かれる展覧会で群馬県立歴史博物館に集結する。国内に現存する「洛中洛外図屏風」はおよそ100点。その頂点に立つのが国宝の「上杉本洛中洛外図屏風」だ。23歳の狩野永徳が描き、その後、織田信長が入手して上杉謙信に贈ったとされている。今回はこのほか、現存最古の国立歴史民俗博物館所蔵「屏風」(重要文化財)とその模写、壮麗さで知られる林原美術館所蔵「屏風」(重要文化財)、最近発見された岐阜市歴史博物館所蔵「屏風」、東京国立博物館所蔵の模写などが展示される。

江戸期の十一面観音 実は平安期の聖観音 薬師寺

 奈良市の薬師寺は2月14日、江戸時代に造られた十一面観音像と考えられていた仏像が、実は平安時代(十世紀ごろ)の聖観音菩薩像を造り替えたものだったことが分かったと発表した。額の部分をノコギリで切断し、頭頂部をすげ替えるなど、大がかりに改修してあった。仏像は高さ50cm超でヒノキの一本造り。ポーズなどの特徴から、平安中期の作とみられる。江戸期になり、宝冠を被っていた頭部を十一面観音に取り替え、表面を紙で覆って彩色するなど改修されていた。

「天保のそば」伝承は実話 山形大が最新鋭装置で分析
 山形大は、古民家の屋根裏で見つかり、約170年前の天保の大飢饉をきっかけに備蓄されたと伝わるソバの実は、言い伝えどおり天保年間(1830〜1844年)に収穫された可能性の高いことを、最新鋭装置の分析で突き止めた。ソバは約10年前、福島県大熊町の旧家を解体する際に俵に入って見つかった。乾燥し傷んでいたため、研究機関では「成長能力なし」と鑑定されたが、実を分けてもらった山形市のそば職人らが、水をかけない昔ながらの栽培法で発芽と収穫に成功、徐々に栽培面積を増やしている。山形大のチームは化石の年代測定などにも使われる炭素の放射性同位体を、質量分析装置で計測したところ、天保年間の実とみて問題ないとの結果になった。

鳥獣人物戯画 江戸時代に和紙の表裏剥いで分割
 京都国立博物館(京都市)は2月15日、修理中の「国宝 鳥獣人物戯画4巻」(高山寺蔵)について、絵巻の一部が元は1枚の和紙の表と裏に描かれていたことが判明したと発表した。江戸時代に、一覧で鑑賞しやすいように表裏2枚に薄く剥がして、仕立て直したとみられる。絵巻は「甲」「乙」「丙」「丁」の4巻。20紙の丙巻が、元々は10紙の両面に描かれていたことが分かった。表に人物画、裏に動物画が描かれていたのを分割したらしい。

京都・仁和寺で仏像3体盗まれる
 世界文化遺産に登録されている真言宗御室派総本山の仁和寺(京都市右京区)で2月15日、境内にある「御室八十八カ所霊場」のお堂から仏像3体がなくなっていることが分かった。参拝客が発見した。京都府警右京署が窃盗容疑で捜査している。盗まれたのは千手観世音菩薩2体と弥勒菩薩1体で、高さ90〜95cm。いずれも霊場の順路(約3km)に点在する小さなお堂に安置されていた。

奈良時代の寺院跡から塔跡 京都・馬場南遺跡
 京都府木津川市教育委員会は2月16日、万葉集の歌が書かれた木簡が出土した同市の馬場南遺跡で、奈良時代の寺院跡から塔の柱跡が見つかったと発表した。柱跡が見つかった場所は仏堂(本堂)跡の西約35m。塔の中心と、その外側2カ所で柱の土台となる石が確認された。興福寺(奈良市)の五重塔のように、方向をつかさどる弥勒、薬師、釈迦、阿弥陀の「四方仏」が祭られていた可能性もあるという。同寺院は、聖武天皇の延命供養をした勅願寺か、有力貴族、橘氏ゆかりの寺だったなどの説がある。

前のNEWSを読む

歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史くらぶ 歴史検定 歴史検定 歴史検定 歴史検定