高杉晋作の日記や愛用の三味線を萩・下関市に寄贈
幕末の志士、高杉晋作の玄孫(やしゃご)で現高杉家当主の高杉力さん(48)は4月13日、山口県萩市と下関市が管理していた晋作の日記や愛用していた三味線などの遺品を、両市に寄贈すると発表した。萩市へはすでに69点を寄贈。晋作の命日の4月14日に、下関市へ寄贈する158点の披露式を同市立東行記念館で開いた。
萩市に寄贈されたのは、高杉家の家紋入りの産着など。江戸遊学に旅立つ晋作を師の吉田松陰が激励した手紙や、萩から江戸に約2カ月かけて軍艦で航海した際の日記「東帆録」が含まれる。下関市には、愛用の三味線などが寄贈された。奇兵隊の軍旗や療養生活中の和歌などもあり、いわば下関戦争から死に至るまでの激動の人生をともにした遺品群だ。遺品をめぐっては、晋作の墓がある寺「東行庵」(下関市)と高杉家などとの間で所有権の争いが続いていた。
藤原公任編纂の古文書の裏に”猿の顔”?の印
古墳時代の金色の馬具一式 福岡の遺跡群から
古墳時代の金色の馬具一式出土 福岡の遺跡群から
福岡県古賀市教育委員会は4月18日、同市の谷山北地区遺跡群で、7世紀初頭前後(古墳時代末期)の金銅製の鞍など馬具一式が出土したと発表した。同市教委によると、馬具は7世紀初頭の直径約20㍍の円墳「船原3号噴」の入り口から約5㍍離れたところに掘った横5.2㍍、縦0.8㍍の穴に埋められていた。馬具は轡(くつわ)に手綱を結び付ける「引手」、鞍の金具、馬の背中を飾る「雲珠(うず)」、ハート形をした飾り金具「杏葉(ぎょうよう)」、ひもなどが交差した場所に付ける「辻金具」など多数。これらの馬具は馬を豪華に飾るのに使われていたと考えられ、全国的にも例が少なく、当時の葬送儀礼が分かる重要な発見としている。
ナスカで2人の人物 新たな地上絵発見 山形大
ナスカで2人の人物が並んだ新たな地上絵発見 山形大
山形大は4月12日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ台地で、2人の人物が並んだ地上絵を新たに見つけたと発表した。人物は縦約13㍍、横約7㍍で頭部が逆三角形のものと、縦約14㍍、横約12㍍で頭部が円形のものの2体。ナスカ台地周辺で出土した土器との比較などから、紀元前400年から同200年の間に描かれたと推定されるという。多くの地上絵は、地表の石などを取り除いてつくった「線」で描かれているが、今回の地上絵は小石を積み上げたり、取り除いたりして描かれていた。2011年に山形大の研究グループが発見し、ペルー文化省に報告。今月初めに学会で発表した。
4600年前、港の跡地発見 パピルス40巻も
4600年前、エジプト最古の港の跡地発見 パピルス40巻も
エジプトのアリ文化財担当国務相は4月11日、大ピラミッドの建造で有名なクフ王(在位・紀元前2589~同2566年)の時代に使われた港の跡を発見したと明らかにした。エジプトで見つかった港としては最古のものと同国メディアが報じた。
港の跡はエジプトとフランスの合同チームが調査、北東部スエズの南方約180㌔の紅海沿岸で見つかった。シナイ半島から銅などを運び出すのに使われていたとみられる。船を係留するロープを結び付けるために使われていた複数の石も発掘された。また、アリ国務相は、現地でクフ王時代の日常生活の詳細が記されたパピルス40巻も発見されたと発表した。
隋の煬帝の墓か 中国江蘇省の工事現場で発見
縄文人は調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊き跡
縄文人は普通に調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊きした跡
日本、英国などの研究チームは、北海道や福井県の遺跡から出土した1万1000~1万5000年前の縄文式土器の焦げ跡に、サケなどの魚を煮炊きしたとみられる脂質が含まれていることを見つけ、4月11日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。料理に使われた世界最古の土器という。縄文土器は一般に食料の貯蔵などに使っていたとみられていたが、栄養価の高い魚類を料理していたことも示すもの。縄文人の暮らしぶりの一端を明らかにする成果。今回詳細に調べた鳥浜貝塚(福井県若狭町)、大正3遺跡(北海道帯広市)以外の遺跡でも、焦げ跡の炭素や窒素の同位体比から、ほとんどの土器は煮炊きに使われていたとみられる-としている。
出雲大社 「本殿遷座祭」大遷宮最終章へ
円山応挙”幻の虎”発見 大谷記念美術館
鑑真和上坐像の模像に彩色 天平の面影 再現
北大文書館で萩原朔太郎 農学志し 志願者名簿
北海道大文書館で萩原朔太郎が農学志した志願者名簿
北海道大文書館(札幌市)によると、過去の志願者名簿の中に前橋市出身の詩人、萩原朔太郎の名が見つかった。これは同館の職員が保管していた過去の志願者名簿などを調べていた際に偶然見つけたもので、資料は1907年の東北帝国大学農科大予科(現・北海道大)の志願者名簿。朔太郎の名前や出身中学などの記載があったという。名簿には入試を欠席したことを示す印も付けられていた。後年、都会や欧州を愛し、芸術活動を志した朔太郎が、旧制中学卒業後の進学先として、農学を志願していたことを示すもので、詩一筋ではなく、進路に悩む青春期の朔太郎の一面が表れている資料といえそうだ。
国宝の発見時の模写図見つかる 東大寺
神戸で東大寺 大仏鋳造 寄進示す木簡発見
謎の哺乳類「デスモスチルス」は海で生活していた?
中国・雲南省 世最古級の恐竜胎児 化石発見
平城宮・東院地区で回廊跡 光仁天皇宮殿か
小林一茶は愛煙家 タバコへの愛着示す手紙
小泉八雲の英語講義録出版 富山大などが翻訳
国宝 甲冑修理終り春日大社宝物殿一般公開
岩手県久慈市で肉食恐竜の化石 中学生が発見
名は体を表さず?「ササヤマミロス・カワイイ」
「手すき和紙技術」をユネスコ無形文化遺産に
世界文遺登録 「縄文遺跡群」 推薦書案提出
大英博物館で4/17から黒船来航の絵巻を展示
絶滅した鳥「ドードー」の骨の一部が競売へ
佐久間象山 蘭和辞典改訂 金策 借金通帳公開
明治政府 1873年万博 出品 大名屋敷 模型 復元
明治政府が1873年の万博に出品した大名屋敷の模型を復元
ウィーンのハプスブルク家の王宮内にある民族学博物館の倉庫で、明治政府が1873年のウィーン万博に出品した大名屋敷の木造模型が見つかり、博物館は修復することを決めた。同博物館は2016年ごろに開く日本常設展の目玉として、約140年ぶりに一般公開する。修復に関するノウハウを持つ京都工芸繊維大学が作業に協力するという。今回見つかった模型は、実物の18分の1程度の大きさで、土台の幅が約3㍍、奥行きが約4.6㍍。日本が出品した約6000点のうちでも最大の部類。御殿のほか、白壁の長屋門や能舞台、高さ約70㌢の火の見やぐらも付いており、全体を3つに分けて保存されていたという。
奈良で弥生時代前期のエノキの切り株展示
JR奈良駅北に3基以上の未知の古墳群があった
京都・大覚寺 高村光雲作 聖観音像 3点見つかる
ガレージセールで290円の器 競売で2億円に
大阪・茨木市で16世紀のキリシタンの墓跡
女優・高峰秀子さんの未発表随筆発見
女優・高峰秀子さんの未発表随筆発見
映画「二十四の瞳」「浮雲」など映画史に残る作品に主演した女優で、エッセイストとしても知られた高峰秀子さん(1924~2010年)の未発表のエッセイが、東京都港区の自宅で見つかった。1958年に夫で映画監督の松山善三さんと欧州旅行した際の旅行記で、新潮社から「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」のタイトルで3月30日に刊行される。旅行記は、ベネチア国際映画祭に出席するために日本を発った1958年8月24日から、フランスやドイツ、スペインなどを回って帰国した翌年3月28日までの約7カ月間にわたる。各地の食べ物や買い物、映画の感想が淡々と綴られている。パリで画家の藤田嗣治に絵を描いてもらうなど、幅広い交友関係もうかがわれる。
漱石の松山の下宿先「愚陀仏庵」の復元を断念
唐招提寺境内で7世紀の仏像彫ったタイル出土
ダイアナ元妃のドレス1億円超で落札
1億年前の鳥の後ろ脚には翼があった
ロシアの隕石は45億年前に形成された物質
宮都支えた製鉄炉を再現 大津市・源内峠遺跡
宮都支えた製鉄炉を再現 大津市・源内峠遺跡
滋賀県大津市郊外、びわ湖文化公園の片隅に、源内峠遺跡(大津市)で見つかった7世紀後半の製鉄炉が再現されている。一見オブジェのようにも見える、楕円形の塔の群れがそれだ。一帯は7~8世紀の製鉄や製瓦陶に関わる遺跡が集中。現代風に表現すれば、当時の都、奈良県の飛鳥京や藤原京などへ物資を供給する古代のコンビナートだったとみられ、「瀬田丘陵生産遺跡群」として国史跡となっている。
源内峠遺跡もその一つで、製鉄炉跡が4基見つかっている。炉は粘土積みで長さ2.5㍍前後、幅30㌢前後、高さは推定1㍍余り。砕いた鉄鉱石と木炭を投入して点火し、側面に並ぶ穴からふいごで空気を送り込んで温度を1200~1400度まで高める。不純物(鉄滓=てつさい)を炉外に排出し、最後に炉壁を取り壊して、底に溜まったケラ(鉄素材)を取り出したと考えられる。15年前の発掘では鉄滓が15㌧も出土したという。炉の復元は地元住民らで組織する「源内峠復元委員会」によるもの。
キトラ古墳の石室内で新たな石材加工の目印の朱線
志賀直哉の未発表書簡 岡山で見つかる
東大寺二月堂で「修二会」本行始まる
奈良・薬師寺で東西両塔を同時公開
興福寺の出城跡で”堀切り”跡見つかる
大阪・豊中市 古墳時代後期 須恵器120点出土
形・規模似 京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳
形・規模似た京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳
向日市埋蔵文化財センターは2月28日、国内最古級の前方後円墳の元稲荷古墳(京都府向日市、3世紀後半)が、同時期の西求女塚古墳(神戸市灘区)と形も規模もほぼ同じことが分かったと発表した。1月からの調査で、元稲荷古墳の全長は94㍍、後方部の幅は50㍍、後方部とつながるくびれ部の幅は23㍍と判明。西求女塚古墳は全長98㍍、後方部の幅は50㍍、くびれ部の幅は25㍍。したがって、2つはほぼ同じ大きさで、ここまで似ている例は極めて珍しいという。同センターはそれぞれの被葬者は大和政権の同じランクに属し、どちらも政権が派遣した同じ職人集団が設計したのではないか-としている。