高杉晋作の日記や三味線を萩・下関市に寄贈

高杉晋作の日記や愛用の三味線を萩・下関市に寄贈
 幕末の志士、高杉晋作の玄孫(やしゃご)で現高杉家当主の高杉力さん(48)は4月13日、山口県萩市と下関市が管理していた晋作の日記や愛用していた三味線などの遺品を、両市に寄贈すると発表した。萩市へはすでに69点を寄贈。晋作の命日の4月14日に、下関市へ寄贈する158点の披露式を同市立東行記念館で開いた。
 萩市に寄贈されたのは、高杉家の家紋入りの産着など。江戸遊学に旅立つ晋作を師の吉田松陰が激励した手紙や、萩から江戸に約2カ月かけて軍艦で航海した際の日記「東帆録」が含まれる。下関市には、愛用の三味線などが寄贈された。奇兵隊の軍旗や療養生活中の和歌などもあり、いわば下関戦争から死に至るまでの激動の人生をともにした遺品群だ。遺品をめぐっては、晋作の墓がある寺「東行庵」(下関市)と高杉家などとの間で所有権の争いが続いていた。

藤原公任編纂の古文書の裏に”猿の顔”?の印

藤原公任編纂の宮中の古文書の裏に”猿の顔”?の印
 宮内庁は4月11日、平安中期の歌人、藤原公任が編纂した宮中の儀式の指南書「北山抄」の写本の裏に、猿の顔のような印が押されていることが分かったと発表した。目的などは不明で、同庁は様々な分野の人に印の意味を考察してほしい-としている。同庁が2004年、北山抄の写本を整理した際、2つの巻物から朱色の猿の顔のような印55カ所(縦約2㌢、横約2.5㌢)を発見。今年また別の写本でも裏に似たような大きさや形の墨色の印1カ所が見つかったという。

古墳時代の金色の馬具一式 福岡の遺跡群から

古墳時代の金色の馬具一式出土 福岡の遺跡群から
 福岡県古賀市教育委員会は4月18日、同市の谷山北地区遺跡群で、7世紀初頭前後(古墳時代末期)の金銅製の鞍など馬具一式が出土したと発表した。同市教委によると、馬具は7世紀初頭の直径約20㍍の円墳「船原3号噴」の入り口から約5㍍離れたところに掘った横5.2㍍、縦0.8㍍の穴に埋められていた。馬具は轡(くつわ)に手綱を結び付ける「引手」、鞍の金具、馬の背中を飾る「雲珠(うず)」、ハート形をした飾り金具「杏葉(ぎょうよう)」、ひもなどが交差した場所に付ける「辻金具」など多数。これらの馬具は馬を豪華に飾るのに使われていたと考えられ、全国的にも例が少なく、当時の葬送儀礼が分かる重要な発見としている。

ナスカで2人の人物 新たな地上絵発見 山形大

ナスカで2人の人物が並んだ新たな地上絵発見 山形大
 山形大は4月12日、世界遺産「ナスカの地上絵」で知られるペルーのナスカ台地で、2人の人物が並んだ地上絵を新たに見つけたと発表した。人物は縦約13㍍、横約7㍍で頭部が逆三角形のものと、縦約14㍍、横約12㍍で頭部が円形のものの2体。ナスカ台地周辺で出土した土器との比較などから、紀元前400年から同200年の間に描かれたと推定されるという。多くの地上絵は、地表の石などを取り除いてつくった「線」で描かれているが、今回の地上絵は小石を積み上げたり、取り除いたりして描かれていた。2011年に山形大の研究グループが発見し、ペルー文化省に報告。今月初めに学会で発表した。

4600年前、港の跡地発見 パピルス40巻も

4600年前、エジプト最古の港の跡地発見 パピルス40巻も
 エジプトのアリ文化財担当国務相は4月11日、大ピラミッドの建造で有名なクフ王(在位・紀元前2589~同2566年)の時代に使われた港の跡を発見したと明らかにした。エジプトで見つかった港としては最古のものと同国メディアが報じた。
港の跡はエジプトとフランスの合同チームが調査、北東部スエズの南方約180㌔の紅海沿岸で見つかった。シナイ半島から銅などを運び出すのに使われていたとみられる。船を係留するロープを結び付けるために使われていた複数の石も発掘された。また、アリ国務相は、現地でクフ王時代の日常生活の詳細が記されたパピルス40巻も発見されたと発表した。

隋の煬帝の墓か 中国江蘇省の工事現場で発見

隋の煬帝の墓か 中国江蘇省揚州市の工事現場で発見
 中国メディアによると、江蘇省揚州市の当局は、同市で約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝のものとみられる墓が見つかったと発表した。不動産開発の工事現場で偶然、広さ20~30平方㍍の石室2つが見つかり、うち1つから煬帝の墓であることを記した墓誌や、副葬品とみられる金をちりばめたベルトや銅製品などが出土したという。棺や骨は見つかっていない。

縄文人は調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊き跡

縄文人は普通に調理? 土器の焦げ跡に魚を煮炊きした跡
 日本、英国などの研究チームは、北海道や福井県の遺跡から出土した1万1000~1万5000年前の縄文式土器の焦げ跡に、サケなどの魚を煮炊きしたとみられる脂質が含まれていることを見つけ、4月11日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。料理に使われた世界最古の土器という。縄文土器は一般に食料の貯蔵などに使っていたとみられていたが、栄養価の高い魚類を料理していたことも示すもの。縄文人の暮らしぶりの一端を明らかにする成果。今回詳細に調べた鳥浜貝塚(福井県若狭町)、大正3遺跡(北海道帯広市)以外の遺跡でも、焦げ跡の炭素や窒素の同位体比から、ほとんどの土器は煮炊きに使われていたとみられる-としている。

出雲大社 「本殿遷座祭」大遷宮最終章へ

出雲大社で5/10に60年ぶり「本殿遷座祭」大遷宮最終章へ
 島根県出雲市の出雲大社は5月10日、本殿(国宝)の修繕工事のため、仮殿に祭られていたご神体を本殿に再び迎える「本殿遷座祭」を60年ぶりに開催する。2008年から始まった出雲大社の改修工事「平成の大遷宮」の最重要行事。大遷宮は約60年ごとに行われ、平成になってからは初めて。社殿の傷みを修復するとともに、先人の技術、文化を伝承するのが目的。神の力が一新される”よみがえり”の意味もあるとされる。現在の本殿は1744年に建立され、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭る。

円山応挙”幻の虎”発見 大谷記念美術館

円山応挙”幻の虎”85年ぶり発見 西宮市大谷記念美術館
 兵庫県の西宮大谷記念美術館は4月5日、江戸中期を代表する画家、円山応挙の大作「水呑虎図」が85年ぶりに見つかったと明らかにした。6日から同館で始まった「とら・虎・トラ」展に出品されている。この作品は応挙が脂の乗っていた40代、1782年に描かれたもの。縦96.5㌢、横141㌢。1928年に大阪美術倶楽部で売りに出た後、所在不明だった。

鑑真和上坐像の模像に彩色 天平の面影 再現

鑑真和上坐像の模像に彩色 血色豊かに 天平の面影を再現 奈良市の唐招提寺は4月4日、国宝「鑑真和上坐像」(8世紀)のお身代わりとなる模像に彩色した姿を、報道陣に公開した。艶やかな赤の衣に古切れを縫い合わせた袈裟の模様、生き生きとした肌の色などが蘇った。模像は今年が開祖・鑑真の没後1250年となるのにちなみ、財団法人美術院国宝修理所(京都市)の委託して2010年から制作していた。鑑真が亡くなった763年(奈良時代・天平期)の面影を伝える彩色については、顔料の粒子を顕微鏡で分析するなどして発色を再現したという。6月5日に営まれる開眼法要の後、同寺・開山堂で一般公開される。

北大文書館で萩原朔太郎 農学志し 志願者名簿

北海道大文書館で萩原朔太郎が農学志した志願者名簿
 北海道大文書館(札幌市)によると、過去の志願者名簿の中に前橋市出身の詩人、萩原朔太郎の名が見つかった。これは同館の職員が保管していた過去の志願者名簿などを調べていた際に偶然見つけたもので、資料は1907年の東北帝国大学農科大予科(現・北海道大)の志願者名簿。朔太郎の名前や出身中学などの記載があったという。名簿には入試を欠席したことを示す印も付けられていた。後年、都会や欧州を愛し、芸術活動を志した朔太郎が、旧制中学卒業後の進学先として、農学を志願していたことを示すもので、詩一筋ではなく、進路に悩む青春期の朔太郎の一面が表れている資料といえそうだ。

国宝の発見時の模写図見つかる 東大寺

国宝の大刀3本の発見時の模写図見つかる 東大寺
 東大寺(奈良市)は4月9日、同寺図書館で、明治時代に大仏足元から発見した鎮壇具20件(国宝15件)の一部で、豪華な装飾大刀として名高い金鈿荘大刀(きんでんそうのたち)など国宝となっている大刀3本の発見時の姿を描いた模写図が見つかったと発表した。模写図は金鈿荘大刀2本と、光明皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」に記された宝剣「陽宝剣」と判明した「金銀荘大刀」。それぞれ裏表両面が色つきで描かれている。

神戸で東大寺 大仏鋳造 寄進示す木簡発見

神戸の遺跡で東大寺の大仏鋳造への寄進示す木簡発見
 神戸市教育委員会は4月10日、同市東灘区の深江北町遺跡で、仏教徒の寄付行為を示す「智識」や「天平十九年」(747年)と記された木簡が見つかったと発表した。年代などから東大寺の大仏鋳造への寄進を記した内容とみられるという。同市教委によると、都以外の地方で仏教に関わる寄進を裏付ける木簡の出土は全国初。今回出土した木簡は途中で折れていたが、縦13㌢、横約4㌢。「銭一文」の記述もあり、鑑定した奈良文化財研究所では、役人が大仏鋳造のため庶民から強制的に寄付を集めたリストかも知れないと話している。

謎の哺乳類「デスモスチルス」は海で生活していた?

謎の哺乳類「デスモスチルス」は海で生活していた?
 大阪市立自然史博物館の研究チームは、3000万~1000万年前ごろに日本や北米西海岸などの沿岸に生息し、生態が謎に包まれている哺乳類の一種「デスモスチルス」は、海で生活していたとする研究結果をまとめた。米オンライン科学誌プロスワンに掲載された。デスモスチルスは、のり巻き状の柱を束ねたような歯が特徴的な束柱類の一種で、化石で見つかった骨が密度の低い、クジラやゾウアザラシと似たスポンジ状になっていることを突き止め、体重が軽くなるように進化することで、上手に泳ぐ能力を獲得した-と分析している。

中国・雲南省 世最古級の恐竜胎児 化石発見

中国・雲南省で世界最古級の恐竜胎児の化石を発見
 中国やカナダの研究チームは、中国雲南省の約1億9000万年前(ジュラ紀前期)の地層から、大型恐竜の卵と胚(胎児)の化石を発見したと4月11日付の英科学誌ネイチャーに発表した。恐竜の胎児の化石としては世界最古級という。チームは同省昆明の地層で、数㍉から数㌢の大きさにバラバラになった胎児や卵の殻の化石が200片以上、密集しているのを発見。上顎の骨や歯の形から竜脚類のルーフェンゴサウルスと判断した。同じ地層からは全長6㍍と推定される成体の化石が発見されているという。

平城宮・東院地区で回廊跡 光仁天皇宮殿か

平城宮・東院地区で回廊跡見つかる 光仁天皇宮殿か
 奈良文化財研究所は奈良市の平城宮跡(8世紀)で、続日本紀に登場する光仁天皇の宮殿「楊梅宮(ようばいきゅう)」のものとみられる回廊状建物の跡を見つけたと発表した。建物跡は幅6㍍、東西約96㍍、南北約86㍍以上が区画されていたとみられる。場所は平城宮東側の東院地区で、皇太子の居所「東宮」や天皇の宮殿があったとされる。

小林一茶は愛煙家 タバコへの愛着示す手紙

小林一茶は愛煙家だった タバコへの愛着示す手紙
 江戸時代の俳人、小林一茶(1763~1828年)のタバコへの愛着がうかがわれる直筆の手紙が見つかり、一茶の故郷、長野県信濃町の一茶記念館で3月30日から公開されている。手紙は、一茶が1812年12月3日、弟子の竜トに宛てたものとみられ、知人宅に自分のタバコ入れが落ちていないか、ついでのときに聞いてほしい-と依頼した文面が記されている。一茶はタバコを詠んだ句を多数残しており、よほどの愛煙家、もしくはヘビースモーカーだったのでは、との指摘もある。

小泉八雲の英語講義録出版 富山大などが翻訳

小泉八雲の英語講義録出版 富山大などが翻訳
 「怪談」などの作品で知られる明治時代の作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)が熊本大の前身、第5高等中学校で英語教師だったころの講義ノートを富山大などが翻訳、「ラフカディオ・ハーンの英語教育」のタイトルで本にまとめ、3月31日出版された。熊本や阿蘇山など生徒に身近なものを題材に英語のニュアンスを教えている。生徒を飽きさせない工夫があり、教師としても秀でていた様子がうかがえるという。小泉八雲は1890年に来日後、松江や東京でも教壇に立ったが、熊本時代の約3年間のことはあまり知られていない。

国宝 甲冑修理終り春日大社宝物殿一般公開

国宝の甲冑の修理終わり春日大社宝物殿で一般公開
 春日大社(奈良市)が約1年がかりで進めていた国宝「黒韋威矢筈札胴丸(くろかわおどしやはずざねどうまる)」の修理が終わり、3月30日から一般公開されている。4月14日まで。この甲冑は14世紀の作とされ、楠木正成が奉納した伝承がある。

岩手県久慈市で肉食恐竜の化石 中学生が発見

岩手県久慈市で肉食恐竜の化石 中学生が発見
 岩手県久慈市の「久慈琥珀博物館」敷地内の琥珀(こはく)採掘場で見つかった化石が白亜紀後期に当たる約8500万年前の肉食恐竜「コエルロサウルス類」の足の指と分かった。早稲田大学の平山廉教授(古生物学)が鑑定し、3月29日、発表した。化石は左後ろ足の指の骨で、長さ約3㌢、直径約1㌢。体長1~2㍍で小型の恐竜と推定しているが、成長途上だった可能性もあるという。この化石を発見したのは青森県南部町の町立南部中1年、佐々木貴杜君(13)。

名は体を表さず?「ササヤマミロス・カワイイ」

名は体を表さず?「ササヤマミロス・カワイイ」
 兵庫県篠山市の白亜紀前期の地層「篠山層群」から見つかった哺乳類の下顎の化石が、新種と認められ「ササヤマ・カワイイ」と名付けられた。英国王立協会紀要電子版に掲載された。推定では外見はネズミ似というが、復元図を見る限り、とてもカワイイとはいえない。

世界文遺登録 「縄文遺跡群」 推薦書案提出

世界文化遺産登録を目指す「縄文遺跡群」の推薦書案提出
 北海道、青森、岩手、秋田の4道県は3月30日までに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録を目指す「縄文遺跡群」(18カ所)の推薦書案を文化庁に提出した。遺跡群はユネスコの世界遺産暫定リストに掲載されている。

大英博物館で4/17から黒船来航の絵巻を展示

大英博物館で4/17から黒船来航の絵巻を展示
 大英博物館は4月3日、幕末にペリー提督率いる黒船が日本に来航した際の様子を描いた当時の絵巻を取得したと発表した。4月17日から10月まで同博物館で展示する。この絵巻は、日米和親条約が締結された1854年の2度目の黒船来航を描いたもので、海上に浮かぶ米艦隊や、それを待ち受ける日本側の兵隊の様子がカラーで描かれた、質が高く歴史的な瞬間を詳細に伝えた貴重な作品の一つという。米国との交渉を記録するため、同席を許可された松代藩の絵師が1854年から58年の間に描いたとみられている。

絶滅した鳥「ドードー」の骨の一部が競売へ

絶滅した鳥「ドードー」の骨の一部が競売へ
 インド洋のモーリシャスに生息し、数百年前に絶滅した飛べない鳥「ドードー」の骨の一部が4月24日、ロンドンで競売に掛けられる。競売大手のクリスティーズが発表した。推定落札価格は1万~1万5000ポンド(約140万~約210万円)。骨は脚の一部で、19世紀に発掘されたものだという。

佐久間象山 蘭和辞典改訂 金策 借金通帳公開

佐久間象山が蘭和辞典改訂のため金策 借金通帳公開
 幕末の思想家、佐久間象山(1811~64年)が、幕府編纂の蘭和辞典「ハルマ辞書」に新語を取り入れて改訂するため、松代藩から「金千両」借用の約束を取り付け、1849(嘉永2)年から翌年までの間に17回に分け計451両を借りたことを記録した借金通帳などが4月1日から丸善日本橋店(東京)で初公開される。辞書の版木の一部分がつくられていたことも記されている。当時の科学技術導入には欠かせなかったオランダ語普及を訴えた象山の開明性と熱意がうかがわれる。蘭和辞書が制作途中だったことを裏付ける史料の公開は初めて。

明治政府 1873年万博 出品 大名屋敷 模型 復元

明治政府が1873年の万博に出品した大名屋敷の模型を復元
 ウィーンのハプスブルク家の王宮内にある民族学博物館の倉庫で、明治政府が1873年のウィーン万博に出品した大名屋敷の木造模型が見つかり、博物館は修復することを決めた。同博物館は2016年ごろに開く日本常設展の目玉として、約140年ぶりに一般公開する。修復に関するノウハウを持つ京都工芸繊維大学が作業に協力するという。今回見つかった模型は、実物の18分の1程度の大きさで、土台の幅が約3㍍、奥行きが約4.6㍍。日本が出品した約6000点のうちでも最大の部類。御殿のほか、白壁の長屋門や能舞台、高さ約70㌢の火の見やぐらも付いており、全体を3つに分けて保存されていたという。

奈良で弥生時代前期のエノキの切り株展示

奈良で弥生時代前期のエノキの切り株展示
 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で、約2400年前の弥生時代前期のエノキの切り株が無料展示されている。展示は4月7日まで。3年前、同県御所市の水田跡の隣から200本以上の埋没林の一つとして見つかり、約3年の保存処理を経て、ようやく一般に披露されることになった。切り株の幹は直径約80㌢で、重さは約1.1㌧もある。切り株には火を押し付けて黒く炭化した跡もある。2400年もの悠久の時空を超えて、弥生人が切った切り株をいま目にすると思えば、感動もひと味違うか。

JR奈良駅北に3基以上の未知の古墳群があった

JR奈良駅北に3基以上の未知の古墳群があった
 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館は3月25日、JR奈良駅の北約500㍍の地に、これまで知られていなかった3基以上の古墳群(4~5世紀)があったことが分かったと発表した。2000年度と2009年度の発掘で円筒埴輪や船形などの破片が数百点出土、分析した結果、時期の異なる埴輪が多数あり、墳丘は残っていないが、古墳群があったと結論付けた。この約2㌔北西には同時期の大王墓とされる佐紀古墳群があり、同博物館では「今回分かった古墳群は大王を支えた首長の墓では」とみている。

京都・大覚寺 高村光雲作 聖観音像 3点見つかる

京都・大覚寺で高村光雲作の聖観音像など3点見つかる
 京都市右京区の大覚寺は3月26日、彫刻家、高村光雲(1852~1934年)の彫刻作品3点が境内の蔵で見つかったと発表、報道陣に公開した。いずれも木造で大正時代に制作されたもので、聖観音像(高さ20.8㌢)、白衣大士像(同22㌢)、聖徳太子孝養像(同21㌢)の3点。保存状態も良く、光雲の芸術性の高さがうかがえる作品だという。一般公開は大覚寺で4月3日から5月31日まで。

ガレージセールで290円の器 競売で2億円に

ガレージセールで290円の器 競売で2億円に CNNテレビによると、元値がガレージセールで3㌦(約290円)だった器が、実は中国の北宋時代(10~12世紀)の逸品と判明し、米ニューヨークで行われた競売で、約220万㌦(約2億1000万円)で落札されたことが分かった。出品者は2007年夏、ニューヨーク州の自宅近くで催されたガレージセールで安売りされていた、この器を買い求めたという。

大阪・茨木市で16世紀のキリシタンの墓跡

大阪・茨木市で16世紀のキリシタンの墓跡
 大阪府文化財センターは3月19日、大阪府茨木市の千提寺地区にある千提寺西遺跡で、16~17世紀ごろのキリシタンの墓とみられる長方形の穴2基が見つかったと発表した。千提寺地区は、大正時代に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師、フランシスコ・ザビエルの肖像画(重要文化財)が発見されたことで知られ、戦国時代の敬虔なキリシタン大名、高山右近の旧領地だ。徳川幕府による1614年の禁教令以降も熱心な信者がいた地として知られている。ただ、今回のような墓の発見は初めて。これまでキリシタンの墓は大阪府高槻市の高槻城跡や、大分や長崎など全国でも5カ所ほどしかない。

女優・高峰秀子さんの未発表随筆発見

女優・高峰秀子さんの未発表随筆発見
 映画「二十四の瞳」「浮雲」など映画史に残る作品に主演した女優で、エッセイストとしても知られた高峰秀子さん(1924~2010年)の未発表のエッセイが、東京都港区の自宅で見つかった。1958年に夫で映画監督の松山善三さんと欧州旅行した際の旅行記で、新潮社から「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」のタイトルで3月30日に刊行される。旅行記は、ベネチア国際映画祭に出席するために日本を発った1958年8月24日から、フランスやドイツ、スペインなどを回って帰国した翌年3月28日までの約7カ月間にわたる。各地の食べ物や買い物、映画の感想が淡々と綴られている。パリで画家の藤田嗣治に絵を描いてもらうなど、幅広い交友関係もうかがわれる。

漱石の松山の下宿先「愚陀仏庵」の復元を断念

漱石の松山の下宿先「愚陀仏庵」の復元を断念
 愛媛県と松山市の連絡会議は、夏目漱石が教師として松山に赴任していた際の下宿先「愚陀仏庵」の復元を事実上断念することを表明した。2010年に豪雨で全壊、同連絡会議がその復元を協議していたが、安全性が確保できないと判断。道後温泉など他の候補地も、土地取得費や維持管理費の問題で難しいと結論付けた。愚陀仏庵は、漱石が1895年(明治28年)6月から下宿し、現在の松山市二番町にあった木造2階建ての民家。漱石の俳号「愚陀仏」から命名した。

唐招提寺境内で7世紀の仏像彫ったタイル出土

唐招提寺境内で7世紀の仏像彫ったタイル出土
 奈良県立橿原考古学研究所と奈良市の唐招提寺は3月21日、同寺境内で7~8世紀のものとみられるせん仏(仏像を彫刻した古代のタイル)の破片1点が出土したと発表した。出土したせん仏片は縦約12㌢、幅8㌢、厚さ4.5㌢。重要文化財級の発見という。

ダイアナ元妃のドレス1億円超で落札

ダイアナ元妃のドレス1億円超で落札
 故ダイアナ元英皇太子妃が所有していたドレス10着が3月19日、ロンドンで競売に掛けられ、計約86万ポンド(約1億2000万円)で落札された。ダイアナ元妃はパリで事故死する数カ月前の1997年、ニューヨークで行われた慈善オークションに多数のドレスを出品していた。今回競売に掛けられたのは、その際に出品された一部だという。

1億年前の鳥の後ろ脚には翼があった

1億年前の鳥の後ろ脚には翼があった
 中国・臨○大などのチームは3月15日付の米科学誌サイエンスに約1億年前の原始的な鳥類の後ろ脚に翼があったことを確認したと発表した。初期の鳥は前後4本の脚に翼を持っていたが退化し、現代の鳥のような二つの翼になったと考えられる。チームは中国・遼寧省の白亜紀前期(1億4500万~1億年前)の地層から発掘された原始的な鳥類の化石を調べた。その結果、サペオルニスと呼ばれる原始的な鳥類では後ろ脚のすねに約5㌢、足の甲に約3㌢の風切り羽があった。また、現代の鳥に最も近いヤノルニスでは後ろ脚の羽毛に羽軸はなく、ダウンのように柔らかくなっていた。

ロシアの隕石は45億年前に形成された物質

ロシアの隕石は45億年前に形成された物質
 ロシア科学アカデミー地球化学・分析化学研究所のエリク・ガリモフ所長は3月19日、2月に同国チェリャビンスク上空で爆発した隕石について、45億年前に形成された物質でできているとの分析結果を同アカデミー幹部会で明らかにした。タス通信が伝えたところによると、隕石となって宇宙に飛び出してから2億8900万年が経っているという。「45億年前」は太陽系ができた時期と近い。

宮都支えた製鉄炉を再現 大津市・源内峠遺跡

宮都支えた製鉄炉を再現 大津市・源内峠遺跡
 滋賀県大津市郊外、びわ湖文化公園の片隅に、源内峠遺跡(大津市)で見つかった7世紀後半の製鉄炉が再現されている。一見オブジェのようにも見える、楕円形の塔の群れがそれだ。一帯は7~8世紀の製鉄や製瓦陶に関わる遺跡が集中。現代風に表現すれば、当時の都、奈良県の飛鳥京や藤原京などへ物資を供給する古代のコンビナートだったとみられ、「瀬田丘陵生産遺跡群」として国史跡となっている。
 源内峠遺跡もその一つで、製鉄炉跡が4基見つかっている。炉は粘土積みで長さ2.5㍍前後、幅30㌢前後、高さは推定1㍍余り。砕いた鉄鉱石と木炭を投入して点火し、側面に並ぶ穴からふいごで空気を送り込んで温度を1200~1400度まで高める。不純物(鉄滓=てつさい)を炉外に排出し、最後に炉壁を取り壊して、底に溜まったケラ(鉄素材)を取り出したと考えられる。15年前の発掘では鉄滓が15㌧も出土したという。炉の復元は地元住民らで組織する「源内峠復元委員会」によるもの。

キトラ古墳の石室内で新たな石材加工の目印の朱線

キトラ古墳の石室内 新たな石材加工 目印の朱線
 奈良文化財研究所によると、奈良県明日香村の国特別史跡、キトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)の石室内で、石材加工の目印にしたとみられる朱線が新たに51カ所見つかった。朱線は長さ0.1~3.6㌢。これまでに見つかった分と合わせ計117カ所となった。こうした朱線は同村の高松塚古墳(同)でも確認されており、古墳の築造技術を探る重要な手掛かりという。キトラ古墳は、石室を埋め戻して墳丘を一部復元し、公園にする計画。

志賀直哉の未発表書簡 岡山で見つかる

志賀直哉の未発表書簡 岡山で見つかる
 作家の志賀直哉(1883~1971年)の未発表書簡が岡山県倉敷市で見つかった。これは彼が小説を連載していた大阪毎日新聞の学芸部長で詩人の薄田泣菫(1877~1945年)に宛てた手紙とはがき計5通。これらは1919~20年に書かれ、倉敷市出身の薄田の遺族が市に寄贈した資料の中から発見された。うち4通は、同紙で連載した「或る男、其姉の死」に関する内容。新聞連載用に回を区切って書く難しさを語ったもの、紙面の都合で連載が休止された時期に、あまり間が空くのは読者には面白くない-などのいらだちを綴ったものもある。

東大寺二月堂で「修二会」本行始まる

東大寺二月堂で「修二会」本行始まる
 東大寺二月堂(奈良市)で3月1日、「修二会(しゅにえ)」(お水取り)の本行が始まった。前日の春のような陽気から一転、小雨混じりのあいにくの天候となったが、傘越しに多くの参拝客が見守る中、童子と呼ばれる男たちが打ち振るった長さ約6㍍のたいまつが、夜空に明々と燃え上がった。火の粉を浴びたり、燃えかすを拾ったりすると無病息災がもたらされると伝えられる。修二会は752年に始まり、選ばれた11人の僧侶「練行衆」が、十一面観音像を祀る二月堂で板に体を打ち付ける「五体投地」などの懺悔(ざんげ)の行に勤める。

奈良・薬師寺で東西両塔を同時公開

奈良・薬師寺で東西両塔を同時公開
 奈良市の薬師寺で3月1日、約110年ぶりの大規模な解体修理が進められている東塔(国宝)と、復元、修理された四天王立像(国の重要文化財)を堂内に安置する西塔が同時に一般公開された。東塔の1階は心柱(しんばしら)を間近に見られ、解体修理中に心柱の最上部から発見された仏舎利も拝観できる。3月20日まで公開。

興福寺の出城跡で”堀切り”跡見つかる

興福寺の出城跡で”堀切り”跡見つかる
 京都府木津川市教育委員会によると、興福寺(奈良市)の出城だった鹿背山(かせやま)城跡(京都府木津川市)で、敵が襲撃しづらくなるように、山の尾根をV字形に掘った”堀切り(ほりきり)”跡が見つかった。城の周辺には当時、寺の荘園があり、城は軍事的拠点として整備されたとみられる。堀切りは城の曲輪(くるわ)に向かう尾根で見つかり、最深8.3㍍、幅10㍍。寺側の文献には、1568年9月、戦国武将の三好氏の軍勢と遭遇して城に逃げ帰ったとの記述が残っている。こうした事態に備え堀切りを築造したとの見方が有力だ。

大阪・豊中市 古墳時代後期 須恵器120点出土

大阪・豊中市で古墳時代後期の須恵器120点出土
大阪府豊中市教育委員会は2月22日、同市桜井谷2-2号窯跡で、古墳時代(6世紀初め)の須恵器が約120点出土したと発表した。焼成中に天井部が落下したため、窯詰め中の須恵器が当時のまま出土。桜井谷窯跡群は6世紀前半に突然生産規模が拡大する。大阪大学の福永伸哉教授は「継体天皇が淀川流域を拠点に新たな王権を打ち立てる時期と合致し、この地域を国家的窯業地として育成した意図が読み取れる」としている。

形・規模似 京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳

形・規模似た京都・元稲荷古墳 神戸・西求女塚古墳
 向日市埋蔵文化財センターは2月28日、国内最古級の前方後円墳の元稲荷古墳(京都府向日市、3世紀後半)が、同時期の西求女塚古墳(神戸市灘区)と形も規模もほぼ同じことが分かったと発表した。1月からの調査で、元稲荷古墳の全長は94㍍、後方部の幅は50㍍、後方部とつながるくびれ部の幅は23㍍と判明。西求女塚古墳は全長98㍍、後方部の幅は50㍍、くびれ部の幅は25㍍。したがって、2つはほぼ同じ大きさで、ここまで似ている例は極めて珍しいという。同センターはそれぞれの被葬者は大和政権の同じランクに属し、どちらも政権が派遣した同じ職人集団が設計したのではないか-としている。

「お登勢」生家の記録文書 大津で発見

「お登勢」生家の記録文書 大津で発見
 坂本龍馬ら幕末の志士を支援した京都・伏見の宿「寺田屋」の女将「お登勢」の生家を記録した文書が大津市で見つかった。見つかったのは1847年の宗門人別長。お登勢は現在の大津市中央1にあたる丸屋町の宿「升屋」を経営した重助の次女で、当時18歳と記され、きょうだい4人がいたことも分かった。お登勢は寺田屋に嫁いだ後、主人、伊助を助けて宿を切り盛りしたことで知られているが、生家や家族の状況は詳しく分かっていなかった。寺田屋は1866年、龍馬が伏見奉行に襲撃された、いわゆる寺田屋事件の舞台。

萩原朔太郎直筆のはがき 前橋で見つかる

萩原朔太郎直筆のはがき 前橋で見つかる
 「月に吠える」などの作品で知られる萩原朔太郎が編集者に送った直筆のはがきが新たに見つかった。消印は大正15年(1926年)3月9日。東京にあった出版社「博文館」編集部の新井弘城に宛てた、原稿催促に対する返信文が認められている。萩原朔太郎は大正時代に活躍した詩人で、同市の前橋文学館で3月1日から31日まで公開される。

水口岡山城跡で秀吉時代の石垣見つかる

水口岡山城跡で秀吉時代の石垣見つかる
滋賀県甲賀市教育委員会は2月27日、豊臣秀吉が重臣に築かせた水口岡山城跡(滋賀県甲賀市)で、城があった山頂付近を広範囲に囲む石垣が見つかったと発表した。城は高さ283㍍の山の頂上にある。石垣は本丸などの主要部から20~30㍍低い位置で見つかった。城がある山頂周辺が広い範囲で高さ1.5~2㍍の石垣で囲まれていた可能性が高いという。この城が築造された1585年は、秀吉の天下統一の途中にあたる。城主の長束正家が関ヶ原の戦いで敗れた西軍だったため、廃城となった。

山口・萩市で「幕末・維新girl’s サミット」

山口・萩市で「幕末・維新girl’s サミット」
 山口県萩市で2月23、24日、歴史好きな女性”歴女”が交流する「幕末・維新girl’s サミット」が開かれた。全国から集まった13~69歳の44人の参加者は町を着物姿で散策、歴史談義に花を咲かせた。この日は普段は入れない、吉田松陰が高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、山県有朋、伊藤博文など幕末の動乱期から明治維新にかけて、その立役者として活躍した数多くの英傑たちに教えた私塾「松下村塾」、そして坂本龍馬ゆかりの道場にも特別に入り、幕末史や松陰の思想についての講義も行われた。参加歴女のいきいきした笑顔が目立った。