弥生時代の集落近くに水田、墓地 高槻・安満遺跡

弥生時代の集落近くに水田、墓地    高槻・安満遺跡

大阪府高槻市教育委員会は6月19日、弥生時代の環濠集落「安満遺跡」(同市八丁畷町)で、弥生前期(約2500年前)の大規模な水田跡(約9000平方㍍)と遺体の埋葬に用いたとみられる土器棺や木棺墓跡が見つかったと発表した。
以前の調査で建物跡が見つかっており、広大な水田跡が一体となって確認されたのは珍しいという。遺跡公園の予定地1万5000平方㍍を発掘調査。東西約90㍍、南北約100㍍で水田跡を確認した。あぜ(幅約20㌢、高さ約5㌢)で、10~65平方㍍の長方形に区切られていた。

「佐渡鉱山」重要景観に 名勝に徳島「大歩危」

「佐渡鉱山」重要景観に 名勝に徳島「大歩危」

文化審議会は6月19日、「佐渡相川の鉱山および鉱山町の文化的景観」(新潟県佐渡市)など3件を重要文化的景観に、吉野川中流の渓谷「大歩危」(徳島県三好市)など3件を名勝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。6件の史跡指定や3件の天然記念物指定、3件を登録記念物にすることも求めた。近く答申通り告示され、史跡・名勝・天然記念物は計3163件、重要文化的景観は50件、登録記念物95件になる。

文豪、谷崎の佐藤春夫宛て書簡2通見つかる

文豪、谷崎の佐藤春夫宛て書簡2通見つかる

文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)が、当時、大阪・船場の商家の人妻で後に妻となる松子に抱いていた恋愛感情など、女性を巡る複雑な人間関係などを綴って友人の作家、佐藤春夫(1892~1964年)に宛てた手紙2通が谷崎の遺族宅で見つかった。
日付は谷崎の代表作の一つ「春琴抄」の執筆開始前後の1933年2月13日と翌月29日。手紙には、谷崎と松子の恋愛感情が、結果的に松子夫婦の崩壊につながったことなど、複雑な人間関係と現状に対する心情を冷静に綴っている。
谷崎と妻千代、佐藤の3人は恋愛事件の末に和解し、千代が谷崎と離婚して佐藤と再婚した後も親しい交友が続いた。手紙は2通とも、谷崎の孫で佐藤とも血縁関係がある竹田長男さん(69)が自宅で保管していた。

「幻の伏見城=指月城」の大規模遺構見つかる

「幻の伏見城=指月城」の大規模遺構見つかる

豊臣秀吉が隠居所として1592年に造営を始めた伏見城(指月城=しげつじょう)跡とみられる大規模な石垣や、100点を超える大量の金箔瓦片などが京都市伏見区で見つかった。民間発掘会社「京都平安文化財」が6月18日発表した。
指月城は1594年の完成後まもなく「慶長の大地震」(1596年)で倒壊した。直後に近くの木幡(こはた)山で再建された。ただ、資料が少ないため、「実は存在しなかった」との説もある、「幻の城」だった。今回の遺構発見で存在が証明された。
見つかった石垣は、地下約80㌢から、南北に延びるもので約36㍍あった。本来は3段以上あったと推定される。石垣に沿い幅5~7㍍、深さ2㍍以上の掘りも確認された。堀から100個以上の瓦片が出土し、うち数十個は金箔で装飾されていた。

杉原千畝「命のビザ」を世界記憶遺産に 岐阜・八百津町

杉原千畝「命のビザ」を世界記憶遺産に 岐阜・八百津町

第2次世界大戦中「命のビザ」で数多くのユダヤ人を救った元外交官、杉原千畝氏の出身地、岐阜県八百津町が、杉原氏に関連する資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請する手続きをとることが6月17日、分かった。近く日本ユネスコ国内委員会に申請書を提出する。
関係者によると、資料は生存者から寄贈された杉原氏直筆のビザなど。現在は同町が保管している。八百津町は戦後70年の節目に、世界記憶遺産への登録を目指すことで、同町にある「杉原千畝記念館」を拠点に、人権や平和の尊さについて国内外に発信していきたい考えだ。

世界遺産登録見据え「八幡製鉄所」内部お披露目

世界遺産登録見据え「八幡製鉄所」内部お披露目

世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産」のうち、官営八幡製鉄所(北九州市)の関連4施設の内部が6月15日、報道陣に公開された。
一部は現在も新日鉄住金八幡製鉄所が使っており、普段は見学者の安全や企業秘密を守るためにすべて非公開だが、遺産登録を見据えて、北九州市が製鉄所側の協力を得ての公開となった。
官営八幡製鉄所は、明治政府の国家プロジェクトとして明治34年(1901年)に創業。日本の鉄鋼生産の主翼を担ってきた。

国内最古の文字瓦か 飛鳥寺跡で出土の瓦

国内最古の文字瓦か   飛鳥寺跡で出土の瓦

奈良県文化財研究所は、6世紀末創建の日本最古の本格寺院、飛鳥寺(奈良県明日香村)の遺構で出土した瓦に「女瓦(めがわら)「飛」などの文字が刻まれているのが見つかったと発表した。創建時の瓦とみられるものもあり、文字瓦では国内最古の可能性があるという。飛鳥寺跡の過去の発掘で出土した瓦を再調査した結果、分かったもの。文字瓦11点確認し、うち6点を解読した。

大津市・近江神宮で「漏刻祭」時の記念日

大津市・近江神宮で「漏刻祭」時の記念日

時の記念日の6月10日、日本で初めて時刻制度を定めたとされる天智天皇を祭る滋賀県大津市の近江神宮で、時計の発達・進歩を神前に報告する「漏刻祭(ろうこくさい)」が開かれた。
王朝装束を身に着けた時計業界の関係者やびわこ大津観光大使の女性らが国内時計メーカーの新作の腕時計や掛け時計の計7種を奉納。参列した約300人が祈りを捧げていた。

若き日の英傑たち 明治の4531人『人物写真帖』出版

若き日の英傑たち 明治の4531人『人物写真帖』出版

明治天皇の命で1880年前後に撮影された明治政府の鋼管や軍人ら4531人の写真を収録した図書が出版された。
44歳の時のひげのない板垣退助や、後に連合艦隊司令官としてロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎の、34歳の少佐時代の写真が載せられている。また当時、世界最強といわれた、ロシアのコサック兵を翻弄したと伝えられる、22歳で陸軍騎兵少尉時代の秋山好古。
幕末、新政府軍に徹底抗戦した元会津藩主の松平容保、伊藤博文、桂太郎、勝海舟、榎本武揚らの写真も掲載されている。
この人物写真帖は菊葉文化協会刊。上・下巻セットで3700円。皇居東御苑大手売店で販売している。

「百舌鳥・古市古墳群」17年度の世界遺産登録目指す

「百舌鳥・古市古墳群」17年度の世界遺産登録目指す

堺市・大阪府は百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に向けた取り組みを進める。大仙陵古墳など4世紀後半から5世紀後半につくられた古墳61基で構成される。
登録にはまず日本国内で暫定リストに掲載され、年間1件の国内推薦枠に選ばれる必要がある。古墳群は2010年に暫定リスト入りしたが、景観保護対策の不備などを理由に13年の推薦枠に入らなかった。今夏の推薦枠入り、17年度の世界遺産登録を目指す。

三百回忌「大光琳祭」琳派の巨星・天才絵師しのぶ

三百回忌「大光琳祭」琳派の巨星・天才絵師しのぶ

琳派を代表する江戸中期の絵師・尾形光琳の三百回忌に合わせた「大光琳祭」が6月2日、京都市上京区の妙顕寺で開かれた。荘厳な音楽大法要が営まれ、参列者は日本の美の流れを作った天才絵師をしのんだ。
尾形光琳は(1658~1716年)は京の呉服商に生まれ、私淑する本阿弥光悦や俵屋宗達の作風を高め、琳派を発展させた。琳派400年と合わせて命日の6月2日に企画。美術や工芸関係者ら約250人が参加した。

京都・下鴨神社で550年ぶりに「糺勧進能」再興

京都・下鴨神社で550年ぶりに「糺勧進能」再興

京都左京区の下鴨神社の舞殿(重要文化財)で5月30日、室町時代に将軍らの前で演じられた「糺(ただす)河原勧進猿楽」が約550年ぶりに「糺勧進能」として再興された。21年に1度の式年遷宮を祝う行事として、観世流宗家の観世清和さんらが神話にまつわる能「賀茂」を披露した。
糺河原勧進猿楽は、下鴨神社の近くで猿楽能を演じた大きな興行。この日は約700人の観客がかがり火に照らされた幽玄の舞台に見入っていた。

藤沢周平の草稿700枚 未発表作見つかる

藤沢周平の草稿700枚 未発表作見つかる

武家社会でも、薄給の下級武士や、町人をはじめ市井の庶民の生きざまを情感豊かに描いた作品を数多く残した作家、藤沢周平さん(1927~97年)が文壇デビュー前に執筆した、初期作品の草稿約700枚が見つかった。
これらの中には文学賞に応募した未発表作、直木賞受賞作「暗殺の年輪」の草稿、「又蔵の火」の原型などもある。欄外に吹き出しで文章を付け足したり、二重線を引いて書き直したりして推敲を重ねた跡があった。出身地の山形県鶴岡市立藤沢周平記念館で一部を公開しており、同館は「藤沢さんの創作意欲を物語る貴重な資料だ」と話している。
藤沢さんの長女が昨年10月ごろ、同館の企画展に出す資料の整理中に見つけた。

仁徳天皇陵築造時状態の葺き石 堺・収塚古墳で発見

仁徳天皇陵築造時状態の葺き石  堺・収塚古墳で発見

堺市は5月29日、仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚(ばいちょう)の一つ、収塚(おさめづか)古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で築造時の状態とみられる葺き石が見つかったと発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57.7㍍ではなく、約59㍍と分かった。
堺市によると、収塚古墳は大山古墳の南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんど削られており、明治時代の地図には円墳として描かれていた。1972年ごろ、前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。

国内最古の青銅鏡鋳型 紀元前2世紀福岡で初出土

国内最古の青銅鏡鋳型 紀元前2世紀 福岡で初出土

福岡県春日市教育委員会は5月27日、市内の須玖(すぐ)タカウタ遺跡で国内最古となる紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の青銅鏡「多紐(たちゅう)鏡」鋳型の破片が初めて出土したと発表した。これにより、国内の青銅器生産の開始時期が200~150年さかのぼる。多紐鏡は国内に最初に流入した青銅鏡で、これまで鋳型が見つかっていなかったため、すべて朝鮮半島から伝来したものと考えられていたが、今回に出土で国内での生産の可能性も出てきた。出土した鋳型は長さ5.1㌢、幅2.5㌢、厚さ2.3㌢。

仁徳天皇陵石室CGで再現 来館者に人気 堺市博物館

仁徳天皇陵石室CGで再現 来館者に人気 堺市博物館

世界文化遺産登録をめざす「百舌鳥(もず)古墳群」を紹介する堺市博物館(堺市百舌鳥夕雲町)内のミニシアターに、仁徳天皇陵の内部の石室をコンピューター・グラフィックス(CG)で再現した映像が登場し、来館者を楽しませている。
宮内庁が管理する仁徳陵では発掘調査ができないが、1872年(明治5年)に何らかの原因で前方部が崩れた際、大王ゆかりの人物の石室が見つかり、内部で長持型石棺(幅約2.4~2.7㍍、長さ3.9㍍)が確認された。今回のCGは当時の様子を描いた絵図をもとに再現された。
12分間の映像には、まず多くの埴輪が並ぶ築造当時の外観を紹介。続いて古墳の前方部にある石室を、のぞき込むようにして内部に収められた石棺を映し出し、朱色に塗られた表面外側の突起の一部を見ることができる。石棺の傍らで発見された副葬品の甲冑や剣なども再現されている。

高野山開創1200年記念大法会 一連の行事に幕

高野山開創1200年記念大法会 一連の行事に幕

4月2日に始まった高野山(和歌山県高野町)の開創1200年記念大法会は5月21日、50日間にわたる一連の行事の幕を閉じた。この日、冷え込んだ山上では早朝から一連の行事を滞りなく終えられたことへの感謝の思いを込めた法会が営まれた。秋篠宮様ご夫妻も視察された。午前9時からは奥の院で、納骨されている人の供養をする大施餓鬼会(だいせがきえ)が営まれた。燈籠堂(とうろうどう)までの参道を僧侶らが練り歩いて読経し、参拝客らも手を合わせていた。

古代のゲーム盤 すごろく土器 平城京跡で出土

古代のゲーム盤 すごろく土器 平城京跡で出土

奈良文化財研究所(奈文研)は5月21日、平城京跡で出土した土器に古代日本で広く普及していた盤上ゲーム、朝鮮半島由来のすごろくの一種「樗蒲(ちょぼ)」(和名・かりうち)の盤面が刻まれていることが分かったと発表した。
これは1989年に平城京の二条大路跡から出土した土器で、8世紀前半の素焼きの皿(直径19㌢)。内側の底に直径約8㌢の円状の点と、円の中心に向かう放射状の点が刻まれ、「出」という文字もあった。この「出」という字は駒の出発点(スタート)か出口(“上がり”)を表す記号と判断した。

京都・西本願寺で親鸞「降誕会」幽玄の舞に浸る

京都・西本願寺で親鸞「降誕会」幽玄の舞に浸る

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の生誕を祝う法要「降誕会(こうたんえ)」が5月21日、京都市下京区の西本願寺で営まれ、日本最大級の屋外能舞台「南能舞台」(重要文化財)で能が上演された。境内に笛や小鼓の音色が響く中、シテ方が足拍子を踏みながら幽玄の舞を披露。訪れた人たちはひととき、歴史ある建物と能が醸し出す優美な世界に浸っていた。

淡路島で銅鐸7個出土 紀元前2世紀ごろの最古級も

淡路島で銅鐸7個出土 紀元前2世紀ごろの最古級も

兵庫県教育委員会は5月19日、兵庫県あわじ市(淡路島)にある石材関連会社の砂山から古代の青銅祭器である「銅鐸(どうたく)」が7個見つかったと発表した。うち1個は紀元前2世紀ごろの最古級で、内部は長期間鳴らされて、かなりすり減っていた。古代中国で占いを示す「王」と見える符号が鋳出されたものもあった。農耕などの祭祀(さいし)に使われたという初期の銅鐸の使用実態を解明する史料となりそうだ。

京都・嵐山で2年ぶり「三船祭」復活 清少納言登場

京都・嵐山で2年ぶり「三船祭」復活 清少納言登場

平安時代の船遊びを再現した京都・嵐山の「三船祭」が5月17日、2年ぶりに復活し、船上で平安装束をまとった男女が舞楽を奉納した。渡月橋上流の大堰川で行われる三船祭。今回は新たに清少納言役の女性が十二単(ひとえ)姿で登場。御座船に乗り、故事にちなむ「扇流し」を披露。微笑みながら約100本の扇子を1本ずつ川面に浮かべた。集まった観光客らは、新緑に包まれた川面に広がる優雅な王朝絵巻の世界にひととき浸っていた。
三船祭は、台風被害や、これまで主催していた車折(くるまざき)神社の資金難で2014年は中止となったが、今年は地元有志が主催した。

古都・奈良に初夏の訪れ「薪御能」始まる

古都・奈良に初夏の訪れ「薪御能」始まる

古都・奈良に初夏の訪れを告げる伝統行事「薪御能(たきぎおのう)」が5月15日、奈良文化会館(奈良市)で始まった。薪御能は平安時代、興福寺の法会「修二会(しゅにえ)」で猿楽が演じられたのが始まり。春日大社で「式年造替(しきねんぞうたい)」が進むのを記念し、大社周辺を舞台とした金春流の「野守」を上演した。
初日の夜は雨が予想されたため、舞台を興福寺から県文化会館に移して開催された。16日は春日大社で金春流、興福寺で観世流と金剛流による能が上演される。

松江城天守 国宝に 63年ぶり5例目

松江城天守 国宝に 63年ぶり5例目

文化審議会は5月15日、江戸時代初めの1611年に築かれた松江城天守(島根県松江市)を国宝に、現在は東京都庭園美術館の旧朝香宮邸(東京都港区)など9件を新たに重要文化財に指定するよう、下村博文文部科学相に答申した。
現在の文化財保護法による天守の国宝指定は63年ぶり5例目。国宝に指定されている天守は姫路城(兵庫県姫路市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)の4城。

高野山・壇上伽藍で「旧正御影供」前夜祭

高野山・壇上伽藍で「旧正御影供」前夜祭

開創1200年大法会でにぎわう高野山(和歌山県高野町)の壇上伽藍(がらん)で5月8日、弘法大師空海をしのぶ法会「旧正御影供」の前夜祭が開かれた。空海は旧暦の3月21日に入定。今年は5月9日が命日にあたる。メーン会場の御影堂の周りが花とろうそくで埋め尽くされ、幻想的な雰囲気の中、御影堂内で御逮夜法会が始まった。その後、この日だけ参拝できる券を持った参拝客3000人が堂内に入り、祈りを捧げた。

「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産勧告で各地賑わう

「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産勧告で各地賑わう

「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録勧告から一夜明けた5月5日、各地の構成資産では大勢の人で賑わった。静岡県伊豆の国市の「韮山(にらやま)反射炉」では、午前9時の開場前に約100人が列をつくり、この日だけで計4626人が訪問。2005年の広域合併で伊豆の国市が誕生以降、最多となった。長崎市の長崎港を発着する端島(はしま)炭鉱(軍艦島)上陸ツアーも、、ほぼ満席となった。三井三池炭鉱の主力坑だった万田坑(熊本県荒尾市)は、最近5年間の1日の入場者数として最多の約1460人が訪れた。

明治産業革命23施設 ユネスコに世界遺産登録を勧告

明治産業革命23施設 ユネスコに世界遺産登録を勧告

日本が世界文化遺産に推薦していた「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、静岡など8県)について、世界遺産への登録の可否を調査する諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス、本部・パリ)は5月4日、「登録が適当」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告した。
勧告は「西洋から非西洋国家に初めて産業化の伝播が成功したことを示す」「1853年から1910年までのわずか50年余りという短期間で急速な産業化が達成された段階を反映している」として、普遍的価値があると評価。6月にドイツのボンで開かれる第39回ユネスコ世界遺産委員会で正式決定する。世界遺産委員会でもそのまま認められる可能性が極めて高い。
「産業革命遺産」が登録されれば、日本の世界文化遺産は2014年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)に続き15件目、世界自然遺産も含めた世界遺産は国内19件目となる。
産業革命遺産は、通称「軍艦島」で知られる「端島(はしま)炭鉱」(長崎市)、長州藩が西洋式帆船を造るために設置した「恵美須ヶ鼻造船所跡」(山口県萩市)、薩摩藩が手掛けた機械工場や反射炉の遺構で構成する「旧集成館」(鹿児島市)、幕末に実際に稼働した反射炉で国内で唯一現存する「韮山(にらやま)反射炉」(静岡県伊豆の国市)–など、日本の近代化を支えた炭鉱、製鉄、造船などの23施設で構成される。

平城京跡で「奈良京」最古の木簡見つかる

平城京跡で「奈良京」最古の木簡見つかる

奈良市文化財研究所は4月30日、奈良市の平城京跡で発掘された木簡から「奈良京」の文字が見つかったと発表した。奈良京は、平城京の名称が一般化する前の都の表記の一つ。710年の遷都前後の文字とみられ、平城京を奈良京と記した最古の例になるという。

木簡は長さ25.2㌢、幅1.4㌢、縦半分に割れており、平城宮跡西側の調査で出土した。表に平城京を発信元とする「奈良京申」と記述。同じ土から701~717年に使われた行政単位「里」を表す木簡が出ていることから、今回の木簡も717年までに書かれたとみられる。正倉院も文書にも「奈良京」の文字が残るが、今回はそれより半世紀も遡るという。

 

厳かに「正遷宮」 下鴨神社「式年遷宮」

厳かに「正遷宮」 下鴨神社「式年遷宮」

21年に1度、社殿を新しくする「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が行われている世界遺産・下鴨神社(京都市左京区)で4月27日夜、最重要行事の「正(しょう)遷宮」があった。修理が終わった東西の本殿(いずれも国宝)に祭神を迎える「遷座祭」が厳かに執り行われ、約500人の参列者が静かに見守った。

午後7時、神職や天皇陛下の使いである勅使が本殿前に進んだ。祭神を移していた「仮殿」の扉を開け、勅使が紅の紙に書かれた御祭文を読み上げ、すべての明かりが消された。続いて、雅楽と「オー」という神職らの声が響く中、神様の乗り物「御船代(おふなしろ)」や神宝類が本殿に移動。神職らが玉串を捧げ、喜びを表す舞を舞った。

28日午前10時から陛下からのお供え物「御幣物(ごへいもつ)」を納める「奉幣(ほうべい)祭」がある。29日~5月6日、一般の参拝者も本殿の間近まで上がれる。

物部氏の墓か 奈良県天理市で大型石室発見

物部氏の墓か  奈良県天理市で大型石室発見

奈良県天理市教育委員会は4月27日、同市豊田町の丘陵地で、巨石を積んで造られた大型の横穴式石室(全長約9.4㍍、幅約2㍍、高さ約2.6㍍)を持つ古墳が発見されたと発表した。出土した土器などから7世紀前半の直径約30㍍の円墳とみられ、専門家は有力豪族である物部氏の墓である可能性が高いとみている。

石室は2014年12月からの道路建設に伴う発掘調査で確認。天井高と側壁の一部や石棺は失われ、盗掘された形跡があった。石室の床には30㌢程度の石が丁寧に敷き詰められ、最奥部の壁はベンガラで赤く塗られていた。同市教委は、7世紀には石室は小さくなり、ベンガラ塗りも少なくなる傾向があるが、ここは伝統的な造りを残している–と指摘する。

古墳は物部氏の本拠地とされる布留(ふる)遺跡(天理市)などを見下ろせる位置にあり、県立橿原考古学研究所では、良い立地で巨石を使用している。物部氏の有力者の墓ではないか–としている。現地説明会は5月2日午後1時~午後3時半。天理駅徒歩30分、駐車場あり。

 

ジョン万次郎 未公開写真 米東部マ州で見つかる

ジョン万次郎 未公開写真 米東部マ州で見つかる

1841年、遭難・漂流中を米捕鯨船に救助され、日本人として初めて米国に移り住んだジョン万次郎(中浜万次郎)とみられる未公開写真が、米東部マサチューセッツ州のニューベッドフォード自由公共図書館の保管資料から見つかったことが4月23日分かった。

万次郎とみられる男性は、三つ揃えのスーツ姿で帽子を手に持ち、白髪、あご髭の白人男性と一緒。日本帰国後、70年に捕鯨船のホイットフィールド船長宅を再訪し、船長ら知り合いと再会しており、その際集まった誰かとこの写真を撮った可能性があるという。写真はモノクロで縦約25㌢、横約20㌢。

ジョン万次郎は土佐(高知県)の漁師の子として生まれ、14歳の時に仲間の漁師と一緒に出漁中に遭難。漂流中に救助されて、米国へ渡り、船長の勧めで滞米を決意、米国式の教育を受けた。

 

 

徳川家康400回忌法要 荘厳に 京都・知恩院

徳川家康400回忌法要 荘厳に  京都・知恩院

浄土宗総本山の知恩院(京都市東山区)で4月19日、荘厳な空気が漂う中、徳川家康の400回忌法要が営まれた。法要は50年ぶり。全国から集まった約180人の僧が、江戸時代初期に作られた家康の位牌の前で一斉に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱え、太平の世を築いた功績をしのんだ。徳川宗家、第18代当主・徳川恒孝さん(75)らが参列、参拝客約500人が訪れた。家康は熱心な浄土宗の信者だったとされ、母親の永代菩提所を知恩院と定め、寺領を拡大して大伽藍を整備した。

歌麿の新種の肉筆浮世絵発見 中国の仙女「西王母」

歌麿の新種の肉筆浮世絵発見 中国の仙女「西王母」

「見返り美人」など江戸時代の美人画で知られる浮世絵師・喜多川歌麿が、中国の神話上の女神を描いた新種の肉筆浮世絵が、4月10日までに発見された。作品の多くが遊女や町娘ら江戸の流行の美人・風俗を題材とした歌麿にしては極めて珍しい画題で、専門家は歌麿研究にとって貴重な発見だとしている。

今回発見された肉筆美人画は縦約84.3㌢、横35.7㌢。絹地に中国で古代から信仰された「西王母(せいおうぼ)」の姿を色彩豊かに描いている。西王母は中国の霊山に住む仙女で、漢の武帝に不老長寿の桃を与えたという伝説がある。歌麿の肉筆画は50点余り確認されているが、中国の美人を描いた作品はこれまでなかった。

佐藤春夫 中学時代の日記見つかる 文学目覚め前

佐藤春夫 中学時代の日記見つかる  文学目覚め前

和歌山県新宮市立佐藤春夫記念館は4月7日、同市出身の作家で詩人、佐藤春夫(1892~1964年)が中学校に入学した年につけていた日記が見つかったと発表した。春夫の妻千代さん(故人)の孫(東京都内在住)が所有する遺品の中にあった。同記念館によると、春夫は生前、「日記は書かなかった」と発言しており、日記の発見は初めて。

和紙54㌻に毛筆で記されていた。日付は1904年1月1日~同7月29日で、春夫が旧制新宮中学(現和歌山県立新宮高校)に進学した年に当たる。日露戦争(1904~1905年)の戦況を伝える号外を見て「万歳大勝利」、少年雑誌についいて「少年世界ヲ讀ミ」と記し、友達と「ベースボール」をしたと書き、捕まえたスズメが死んだ日には「可愛相ナコトヲシタ」など主に身辺雑事をつづっていた。

日記の最初のページなどに記された文言から、父親に強く言われて日記を書き始めたらしいことが分かる。就寝前に必ず日記を書き、事実とそれについての感想を飾らずに記すよう指示されていた。ただ同記念館によると、本を読みこんだといった内容の箇所は見当たらず、文学的な目覚めにはまだ達していなかった時代のものと判断される。春夫は、小説「田園の憂鬱」や自伝的小説「わんぱく時代」などで知られる。

長野市・善光寺で6年ぶり前立本尊「ご開帳」

長野市・善光寺で6年ぶり前立本尊「ご開帳」

長野市の善光寺で4月5日、本尊の身代わりの「前立(まえたち)本尊」を6年に1度(数え年では7年に1度)公開する「ご開帳」が始まった。期間は5月31日まで。5日は小雨の中、午前6時過ぎ本堂の厨子(ずし)が開くと金色に輝く前立本尊が姿を現し、約500人の参拝客は感嘆の声を上げた。期間中、北陸新幹線効果で前回2009年の673万人を上回る700万人の参拝客を見込んでいる。

文豪・谷崎が愛娘に宛てた28年間の225通の書簡見つかる

文豪・谷崎が愛娘に宛てた28年間の225通の書簡見つかる

文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)が、最初の妻千代との間に生まれた一人娘、鮎子(1916~94年)に送り続けた未発表の書簡225通が見つかった。背徳かつ官能的な作風ゆえに「悪魔主義」とも評された谷崎の、愛情あふれる父親像がうかがわれる資料だ。また、作家で詩人の佐藤春夫(1892~1964年)に宛て、人妻との恋を打ち明けた手紙1通も発見された。いずれも神奈川県近代文学館(横浜市)が4月4日から公開される。

鮎子宛ては1930年8月~58年12月の長期にわたる。谷崎と離婚した千代が佐藤春夫と結婚し「細君譲渡事件」と世間を騒がせた頃に始まり、宛名は<佐藤春夫様方 谷崎鮎子殿>となっている。文面は<パーマネントは小生が趣味として不賛成なのではなく、あれをすると気が赤くなり減る恐れ>(38年8月)と22歳の鮎子の髪を気遣っている。初孫誕生後の44年11月は<もう立つちや あんよが出来る時分と楽しみに致し居り候>と幼児語を使っている。

佐藤宛の発信日は33年3月23日で、代表作の一つ「春琴抄」の執筆時期にあたる。谷崎は千代の後、別の女性と結婚していたが、<小生一人(略)変名にて神戸の方へ宿を取り居候(コノ事絶対秘密)>と不和を告白。後に結婚して添い遂げることになる人妻の松子への熱情や、現在抱える離婚交渉の難しさも書き、佐藤への信頼がうかがえる。

同館で5月24日まで「没後50年 谷崎潤一郎展」を開催中。

谷崎潤一郎 幻の創作ノート 印画紙見つかる

谷崎潤一郎 幻の創作ノート 印画紙見つかる

繊細で焼失したとされていた文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)の創作ノート「松の木影」を写した印画紙255枚が見つかり、保管していた中央公論新社が4月2日、公表した。同社が5月から順次、刊行する「谷崎潤一郎全集」(全26巻)に収録される予定。

代表作「細雪」をはじめとする作品執筆までの試行錯誤を記したもので、「谷崎円熟期の作品を読み解くうえで、第一級の資料。創作の秘密に肉薄する資料が残っていたことは奇跡に近い」(千葉俊二・早稲田大学教授)という。

高野山開創1200年記念大法会 総本山金剛峯寺などで

高野山開創1200年記念大法会 総本山金剛峯寺などで始まる

高野山(和歌山県高野町)開創1200年を記念した大法会(だいほうえ)が4月2日午前、高野山真言宗の総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)などで始まった。平安時代初期の僧、弘法大師空海が真言密教の道場として開いた標高約850㍍の高地で、5月21日までの50日間、様々な儀式や行事が予定されている。

高野山開創1200年記念大法会 総本山金剛峯寺など始まる

高野山開創1200年記念大法会 総本山金剛峯寺などで始まる

高野山(和歌山県高野町)開創1200年を記念した大法会(だいほうえ)が4月2日午前、高野山真言宗の総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)などで始まった。平安時代初期の僧、弘法大師空海が真言密教の道場として開いた標高約850㍍の高地で、5月21日までの50日間、様々な儀式や行事が予定されている。

高野山開創1200年記念大法会 総本山金剛峯寺などで始まる

高野山開創1200年記念大法会 総本山金剛峯寺などで始まる

高野山(和歌山県高野町)開創1200年を記念した大法会(だいほうえ)が4月2日午前、高野山真言宗の総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)などで始まった。平安時代初期の僧、弘法大師空海が真言密教の道場として開いた標高約850㍍の高地で、5月21日までの50日間、様々な儀式や行事が予定されている。

難波京「朱雀大路」跡 難波宮跡の南部で側溝を確認

難波京「朱雀大路」跡 難波宮跡の南部で側溝を確認

大阪文化財研究所の調査によると、上町台地に築かれた都・難波京(なにわきょう)のメインストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝が、大阪市中央区の難波宮跡(国史跡)の南で見つかった。難波京の朱雀大路が確認されたのは初めて。道幅は、藤原京を超える約33㍍と推定されている。現場は、1993年に現・大阪市立聴覚特別支援学校のグランドで見つかった、前期難波宮の朱雀門(宮城南門)跡から南に約140㍍。

難波京は孝徳天皇が大化の改新直後の645年から建設し、天武天皇の時代にかけて整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営を始め、平城京の副都として整備した「後期」に分かれる。溝の時期は絞り込めていないが、難波京の基準となる朱雀大路も、前期には建設されていたとみられる。

春日大社 4/1から国宝・本殿を一般公開

春日大社 4/1から国宝・本殿を一般公開

社殿を20年に1度修復する「式年造替(しきねんぞうたい)」を行っている奈良市の春日大社は3月30日、国宝の本殿を報道陣に公開した。4月1日~5月31日に一般公開される。特別公開では、普段は皇室関係者以外に立ち入ることができない「内院」に入れる。神社建築「春日造」による4棟の建物が並列した本殿、各殿の間に描かれた神馬などの絵を間近に拝観できる。また、約140年ぶりに本殿背後の後殿(うしろどの)も開門し、本殿そばにある石「磐座(いわくら)」も見られる。4月5日まで神宝「鹿島立鉾(かしまだちのほこ)」が初公開されている。

「条ウル神古墳」は70㍍規模 被葬者は巨勢氏が有力

「条ウル神古墳」は70㍍規模  被葬者は巨勢氏が有力

蘇我馬子の墓と有力視される石舞台古墳(奈良県明日香村)に匹敵する巨大横穴式石室が13年前に確認された奈良県御所市の「条(じょう)ウル神(かみ)古墳」(6世紀後半)が全長約70㍍の前方後円墳であることが分かった。同市教育委員会が3月27日発表した。これまで墳形や大きさが不明だった。また、被葬者は奈良盆地南西部を本拠し、ヤマト政権の一翼を担った有力豪族、巨勢氏の可能性が高いとみている。

土井晩翠がローマから薄田泣菫に宛てた書簡発見

土井晩翠がローマから薄田泣菫に宛てた書簡発見

岡山県倉敷市は3月27日、「荒城の月」の作詞者として知られる土井晩翠(1871~1952年)が、イタリアのローマから倉敷市出身の詩人、薄田泣菫(1877~1945年)に宛てた書簡が見つかったと発表した。これは1903年ごろ、2枚の絵はがきとスミレの押し花を封筒に入れ、晩翠が留学していたローマから送ったもの。

「未だ御目にかからず候へとも一筆御免被下度」と始まることから、まだ面識がなかったが、尊敬する薄田に手紙を書いたとみられる。スミレの花は薄田が愛読した英国を代表する詩人ジョン・キーツの詩集で詠まれており、薄田のペンネームにも使われた。晩翠はキーツの墓のそばに咲いていたスミレを押し花にして送っていた。薄田の子孫が倉敷市に寄贈した書簡類から見つかった。

与謝野鉄幹・晶子夫妻が薄田泣菫に宛てた書簡見つかる

与謝野鉄幹・晶子夫妻が薄田泣菫に宛てた書簡見つかる

岡山県倉敷市は3月27日、歌人の与謝野鉄幹(1873~1935年)、晶子(1878~1942年)夫妻が、詩人で随筆家の薄田泣菫(1877~1945年)に宛てた書簡46点が見つかったと発表した。鉄幹は雑誌『明星』の運営難を吐露し、晶子は恐縮しながら原稿料の送付を依頼するなどしており、当時の与謝野家の苦しい台所事情がうかがわれる。

同市出身の薄田泣菫は大阪毎日新聞社の学芸部長なども務めた。書簡の日付は夫妻が20歳代から40歳代だった1900年から19年で、泣菫の遺族から同市に寄贈された約1700点の資料の中にあった。晶子は1913年11月27日付で「心ぐるしき極み」としたうえで、「稿料をすこしご送附たまはらば」と催促。17年3月8日付には「金十七円(現在の約8万~13万円)をかはせでおおくり下さいまして ありがたく存じます」と綴っている。調査した加藤美奈子・就実短大准教授は「年齢の近い泣菫には、苦労も打ち明けやすかったのでは」とみている。

 

春日大社で「仮殿遷座祭」ご神体を仮殿に移す

春日大社で「仮殿遷座祭」ご神体を仮殿に移す

春日大社(奈良市)で3月27日夜、国宝・本殿などを20年に一度修復する式年造替(しきねんそうたい)に伴い、工事前にご神体を別の建物に移す儀式「仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)」があった。暗闇に提灯を携えた神職の列が参道を進み、白い大幕をくぐって本殿へ向かった。花山院弘匡宮司が小声で「秘文ノ祝詞(ひもんののりと)」を奏上。神職の「オー」という声と雅楽の演奏が響く中、ご神体4柱が本殿の西側にある移殿に運ばれた。ご神体を再び本殿に戻す「本殿遷座祭」は2016年11月に行われる。

真っ白に化粧?姫路城「平成の修理」終わりお披露目

真っ白に化粧?姫路城 「平成の修理」終わりお披露目

「平成の修理」を終えた世界遺産・国宝の姫路城大天守(兵庫県姫路市)が3月24日、修理事業に寄付した人や観光関係者らを対象に公開された。外観は一様に、誰もが真っ白に化粧した姿にちょっと驚き、青空に浮かび上がる雄大な白鷺城とのコントラストに納得。

姫路市は修理工事資金に充てるため、2009年4月から寄付を募り、15年2月までに現物寄付や街頭募金も含め約5億2000万円が集まった。3万円以上寄付した人には屋根瓦に名前を記す特典も付けた。

魯迅の弟に島崎藤村、谷崎潤一郎らが1400通の書簡

 

魯迅の弟に島崎藤村、谷崎潤一郎らが1400通の書簡

中国の作家・魯迅の弟で、随筆家として知られた周作人(1885~1967年)宛てに武者小路実篤、梅原龍三郎、島崎藤村、谷崎潤一郎、草野心平ら日本の数多くの日本の文化人が送った書簡1400通が、北京にある周作人の遺族宅で見つかった。孫の周吉宜さん(65)が24日、公表した。1910年代から66年までの手紙やはがきで、戦前から戦後にまたがる日中の文化交流を物語る貴重な史料。遺族の依頼で整理に当たった顧偉良・弘前学院大教授(日本近代文学)は、「これほどの規模で残っていたのは奇跡。詳しく調査すれば近代の日中間における民間レベルの関係が具体的に見えてくる」と話している。書簡の差出人400人近くに上っている。

周は魯迅とともに明治末、日本に留学。帰国後は北京大教授を務めた。白樺派の作家、武者小路実篤の「新しき村」運動に共鳴し、北京に支部をつくるなど日本の文学者をはじめ芸術家、学者らと幅広く交流した。

京都・誠心院で厳かに 情熱の歌人「和泉式部忌」

京都・誠心院で厳かに 情熱の歌人「和泉式部忌」

平安時代の歌人、和泉式部をしのぶ「和泉式部忌」が3月21日、京都市中京区の誠心院で営まれた。式部ゆかりの謡曲の奉納があり、檀家や参拝者が聞き入った。寺伝によると、誠心院は和泉式部が初代住職を務めたとされ、境内に供養塔も建てられている。そのため「和泉式部寺」とも呼ばれ、毎年この日を命日として法要が続けられている。本堂では式部ゆかりの謡曲「誓願寺」「東北」が謡い上げられ、境内は厳かな雰囲気に包まれていた。

冷泉天皇の皇子、為尊(ためたか)親王と敦道(あつみち)親王、2人の皇子との恋に身を焦がし、和泉式部は恋多き女として数々の逸話を残している。ただ、彼女の恋はいつも一途(いちず)で捨て身だ。何もかも犠牲にしてでも、この恋にすがりつきたいという、せつないまでの激しい情熱のほとばしりが感じられる。

利休・晶子の「さかい利晶の杜」堺市中心部で開業

利休・晶子の「さかい利晶の杜」堺市中心部で開業

堺市は3月20日、ゆかりの深い茶人・千利休と女流歌人・与謝野晶子をテーマとする文化観光拠点「さかい利晶の杜(もり)」を開業した。飲食・物販施設や観光バスに対応した駐車場も備えている。市中心部の市立病院跡の1.1㌶の敷地に、約36億円かけて整備した。中心施設には「千利休 茶の湯館」や「与謝野晶子記念館」、観光案内展示室などが入る。

4/27の式年遷宮に備え下鴨神社・本殿修理終わる

4/27の式年遷宮に備え下鴨神社・本殿修理終わる

21年に一度の式年遷宮を迎える京都・下鴨神社(京都府左京区)で本殿の修理が終わり、3月19日公開された。檜皮(ひわだ)ぶきの屋根や高欄(こうらん)の朱塗りなどが新しくなり、4月27日の御遷座の儀(正遷宮)に向けて、境内に清々しい空気が漂った。

東西に2棟が並ぶ本殿は1863年(文久3年)の建築で国宝に指定されている。式年遷宮に備えて、2年前から屋根のふき替えや飾り金具の修理などが進められてきた。工事費は約1億1000万円で、このうち55%は国の補助でまかなわれた。