火野葦平「インパール作戦従軍記」出版 内情を克明に記録

火野葦平「インパール作戦従軍記」出版 内情を克明に記録

旧日本軍が連合国軍の補給路を遮断しようと、インド北東部インパールの攻略を目指し、1944年3月に開始された、乾坤一擲、壮大なインパール作戦。この内情を克明に伝える火野葦平(1906~60年)の「インパール作戦従軍記」が出版された。原本は1944年、陸軍報道班員として綴った「従軍手帖」。
ここには多くの戦場に従軍した作家の目で、補給を軽視し食糧や物資が欠乏、行軍の最中、満足に食べるものがなく、敵と戦う前に”飢え”に直面し、3万人以上もの犠牲者を出して大敗した旧日本軍の無謀さが克明に記されている。
火野葦平は「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受賞。「麦と兵隊」「花と龍」などの作品で知られる。1月24日で没後58年となる。

国宝の金印「漢委奴国王」の真贋めぐり研究者が激論

国宝の金印「漢委奴国王」の真贋めぐり研究者が激論

今からおよそ2000年前の弥生時代に、中国の皇帝から与えられ、江戸時代に福岡市の志賀島で見つかったされている国宝の金印「漢委奴国王」の真贋をめぐり、激論が交わされた。
金印を所蔵する福岡市博物館がシンポジウムを開いたもので、金印を本物と偽物それぞれの立場をとる研究者が激論を繰り広げた。シンポジウムは、まず3人の研究者が基調講演で自説を展開、そのあと討論が行われた。
NPO・工芸文化研究所の鈴木勉理事長は、文字を彫った痕などが江戸時代に一般的だった印の特徴を備えているとし、「後に製作された偽物の可能性が非常に高い」と主張。一方、明治大学文学部の石川日出志教授は、中国各地で見つかっている古代の印の形や金の純度を比較した結果、「後漢時代の本物に間違いない」と応酬、偽物説に対抗した。

世界遺産・白川郷の合掌造り集落でライトアップ始まる

世界遺産・白川郷合掌造り集落でライトアップ始まる

岐阜県白川村の世界遺産・白川郷の合掌造り集落で1月21日、日時限定のライトアップが始まった。今後のライトアップは1月28日、2月4日、2月12日の17時半~19時半。
一面雪世界の夜空に浮かび上がる合掌造りの家は、さながら絵本の一部を切り取ったように、幻想的な世界を目の当たりにしてくれる。
近年は訪日外国人旅行客を含め冬場も多くの観光客が訪れ人気スポットとなっている。事故防止や混雑緩和のため、今年から「荻町城跡展望台」の入場を1日900人に制限。村内の宿泊者を優先し、500円の有料整理券を配布する。貸し切りバスでの見学は完全予約制。

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録の推薦を閣議了解

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録の推薦を閣議了解

政府は1月19日、2019年のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の推薦を閣議了解した。正式な推薦書は2月1日までにユネスコ世界遺産センターへ提出するという。
推薦する構成資産は、世界最大級の前方後円墳・仁徳陵古墳(全長486㍍)などを含む45件49基の古墳。ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)が2018年9月ごろに現地を調査し、2019年5月ごろに登録可否の勧告を出す見通し。正式には2019年夏に開かれる第43回世界遺産委員会で決まる。

西郷隆盛の新しい肖像画 枕崎市で見つかる 作者不明

西郷隆盛の新しい肖像画 枕崎市で見つかる 作者不明

西郷南洲顕彰館によると、西郷隆盛を描いた可能性がある新しい肖像画が鹿児島県枕崎市で見つかった。作者や制作時期は不明で、同館が1月から一般公開し、情報を求めている。
油絵で描かれ、サイズは縦54㌢、横45㌢、署名はなく、誰がいつ描いたのか、全く分かっていない。
西郷隆盛ゆかりの縁者らは、今回見つかった新しい肖像画について「祖先から聞いていた西郷さんの特徴が揃っている」と期待を寄せている。

長崎・壱岐市のカラカミ遺跡で弥生期の土器片出土

長崎・壱岐市のカラカミ遺跡で弥生期の土器片出土

長崎県壱岐市教育委員会はこのほど、同市のカラカミ遺跡で、弥生時代後期(2世紀ごろ)の「周」の文字の左半分が刻まれた土器片が出土したと発表した。
土器片は縦7.5㌢、横8.8㌢。鉢(口径23㌢、高さ7.7㌢)の一部とみられ、文字は縁部分に刻まれていた。土器は中国・遼東半島周辺でつくられたとみられ、交易を通じて一支国に入った可能性が高いという。
カラカミ遺跡は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「一支いき国」の交易拠点跡とされ、当時の九州北部で広範囲に文字が伝わっていた可能性も出てきた。

松前藩のアイヌ宛て最古の文書の原本 ロシアで発見

松前藩のアイヌ宛て最古の文書の原本 ロシアで発見

東京大学史料編纂所などの研究チームの調査によると、江戸時代後期の1778(安永7)年に、当時の松前藩から北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書の原本が、ロシア国立サンクトペテルブルク図書館で見つかった。240年前の文書で、アイヌ民族とロシア人との接点や交易・交流を示すものとして注目される。
文書は松前藩の蝦夷地奉行から、根室半島”ノッカマップ”(現在の北海道根室市)を拠点としていたアイヌ民族の有力者、ションコに宛てたもの。交易に使われる施設の「運上小家」の火の用心に努めよ、和人の漂流船が漂着した際は、この文書を見せて介抱の上、送り届けよ-など4項目を「定(指示)」とし、背いた者は厳罰に処すと記されている。同チームは、鎖国の時代にアイヌの手から蝦夷地を訪れたロシア人に渡ったものとみている。
アイヌのションコは、1789年、幕府・松前藩治政下、過酷な労働環境などに不満を持ったアイヌ民族が武装蜂起し和人71人を殺害した「クナシリ・メナシの戦い」を、終息に導いた功労者の一人と言われている。

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」妙技に歓声

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」妙技に歓声

世界遺産・下鴨神社(京都市左京区)で1月4日、新春恒例の「蹴鞠初(けまりはじ)め」が行われた。烏帽子(えぼし)・袴(はかま)の平安貴族の色鮮やかな伝統衣装を身に着けた「蹴鞠(しゅうきく)保存会」のメンバーが8人1組で、「ヤア」「アリ」など独特の声を掛けながら鹿革製の鞠を地面に落とさないよう蹴り合う。
境内に15㍍四方の四隅に竹を立てた「まり場」で、それぞれの妙技を競う。サッカーなどと違うのは、勝敗はなく右足だけを使う点。相手が蹴りやすいように蹴るのが上手とされる。遠目には優雅な遊びとも映るが、傍で見るとメンバーの息遣い、そして取り損ねるのを防ごうと時折スライディングしそうなケースもあり、技術や体幹・体力も必要なことが分かる。参拝客からはメンバーの妙技に歓声が上がっていた。

道鏡建立の由義寺跡の赤茶けた瓦・壁土など公開

道鏡建立の由義寺跡の赤茶けた瓦・壁土など公開

大阪府立狭山池博物館で、奈良時代の女帝、称徳天皇の寵愛を受け、強大な権力を誇った弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が建立した由義寺(ゆげでら)・塔跡(大阪府八尾市)出土の瓦約250点を展示する特別展「蓮華(れんげ)の花咲く風景-仏教伝来期の河内と大和」が開かれている。2018年1月28日(4日まで休館)まで。
後ろ盾だった称徳天皇を失ってから、京を追われた道鏡のゆかりの地の痕跡を消すかのように、この由義寺は焼き払われたとみられ、その際の熱を受けて赤茶けた瓦や壁土もあり、塔が火災で倒壊したときの生々しい様子が伝わってくる。
塔跡では一辺20㍍の基壇が見つかり、東大寺(奈良市)の七重塔に次ぐ高さ60~70㍍もある塔と推定され、当時の道鏡の権力の大きさを裏付けている。

佐賀で恒例の「カノン砲」で祝う新年 明治維新150年

佐賀で恒例の「カノン砲」で祝う新年 明治維新150年

明治維新150年を迎えた2018年。幕末の西南雄藩、薩長土肥の一角、佐賀藩ゆかりの「カノン砲」を放って新年を祝う神事が1月1日午前〇時ごろ、佐賀市の佐嘉神社で行われた。同神社周辺・一帯には、時ならぬ大きな”砲声”が響き渡り、集まった観客からはその迫力に歓声が上がっていた。
カノン砲は肥前・佐賀藩が幕末につくった大砲で、復元されたものを年始に放ち、新年を祝うのが恒例となっている。

江戸期の豊かな食文化を出土の食器や食物残滓で紹介

江戸期の豊かな食文化を出土の食器や食物残滓で紹介

京都市上京区の市考古資料館で、食の歴史に関する発掘調査の成果を報告する企画展「江戸時代の食-食物残滓(ざんし)からわかること」が開かれている。2018年1月21日まで(3日まで休館)。
公家町の一角だった京都御苑(上京区)と、町人の町があった下京中(下京区)の発掘調査で出土した食器や、多様な動物や魚の骨や貝殻など遺物約90点を展示。マダイやブリ、トビウオなど多様な海産物が京都まで流通していたことや、現在よりも大きな貝類が獲れていたことなど、想像以上に豊かだった江戸時代の食文化を紹介している。

『歴史くらぶ』2017年10大ニュース

『歴史くらぶ』2017年10大ニュース

1.世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」
2.「沖ノ島」8つの構成資産一括で世界遺産に
3.200年ぶり天皇退位 19年4/30 5/1即位・新元号
4.11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見
5.古代の巨大ペンギンはティラノサウルスと共存
6.大阪・茨木市で弥生期の大規模墓跡140基発見
7.奈良・小山田古墳で石舞台級の巨大石室見つかる
8.長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通
9.39億年前の岩石から世界最古の生命の痕跡発見
10.9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナ確認

今年も1年、ご覧いただきありがとうございました。
『歴史くらぶ』編集室

国内最古、縄文草創期のクリの実か 長野の遺跡

国内最古、縄文草創期のクリの実か 長野の遺跡

長野県・上松(あげまつ)町は12月25日、町内の「お宮の森裏遺跡」で見つかったクリの実が、国内の発見例として最古となる縄文時代草創期(1万6000~1万1000年前)のものと判明したと発表した。
見つかった多くのクリの実・破片のうち、形が残る実が2個(縦横1.2~1.3㌢)に、乾燥などで収縮しているが、人為的に開けたと思われる小さな穴があり、今後調査を進めるという。
上松町によると、これらのクリの実は国道19号線バイパス工事に伴い、1992年ごろ竪穴式住居跡から出土し、保管されていた。これらは2016年、民間の分析機関に依頼し、放射性炭素年代測定などで1万2900~1万2700年前のものと特定された。
これまでは静岡県沼津市の遺跡から出土した縄文時代早期(1万1000~7000年前)のものが国内最古として知られていた。

縄文時代の”幻の貝塚”約120年ぶりに見つかる 東京・豊島区

縄文時代の”幻の貝塚”約120年ぶりに見つかる 東京・豊島区

東京・豊島区の住宅街で、研究者の間で”幻の貝塚”と呼ばれていた縄文時代の遺跡、「池袋東貝塚」がおよそ120年ぶりに見つかった。周辺には大規模な集落が広がっていたとみられ、貴重な発見だと注目を集めている。
およそ3000年から4000年前の縄文時代後期の遺跡、池袋東貝塚は明治時代に発見されたという記録があったが、豊島区教育委員会によると周辺の宅地化が急速に進んだことなどから、その後所在が分からなくなっていた。
今年10月、豊島区の東武東上線の下板橋付近の住宅街で建物の建て替え工事が行われた際、大量の土器や貝が見つかり、当時の記録と出土した遺物や場所がおおむね一致したことなどから、池袋東貝塚と確認された。
遺跡からは縄文土器のほか、ハマグリやカキ、それにシカやイノシシなどの動物の骨が大量に見つかった。また当時の人が土を盛ってつくった盛土遺構が見つかったほか、火を起こした跡も確認され、豊島区教育委員会は遺跡が集落の一角だったと考えられるとしている。

「縄文人」は他のアジア人から分かれ独自進化した集団

「縄文人」は他のアジア人から分かれ独自進化した集団

国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、日本人のルーツの一つ「縄文人」は2万~4万年前、他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが分かった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。
グループは東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地(さんかんじ)貝塚の縄文人人骨の奥歯の提供を受け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析措置を使用、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。
その結果、驚くべきことが分かった。これまで縄文人は身体的な特徴などから東南アジアに起源を持つ人々と近いと思われていたが、実際にはこれらアジアの人々とはかけ離れていたことが分かったのだ。グループによると、縄文人の祖先は4万~2万年前、他のアジア人集団から分かれ、独自の進化を遂げた後、日本列島に渡来したという。

平城宮跡から大規模な”洗い場”の遺構 宴の準備施設跡か

平城宮跡から大規模な”洗い場”の遺構 宴の準備施設跡か

奈良市の平城宮跡で、大規模な”洗い場”の跡とみられる遺構が見つかった。発掘調査を行った奈良文化財研究所によると、「続日本紀」などの古代の歴史書に、この付近で天皇や貴族が盛大な宴を催したとの記述があることから、宴の準備をするための施設だったのではないかとみている。
今回遺構が見つかったのは、平城宮跡の東にある皇太子の宮殿などがあった東院地区で、4㍍四方の巨大な井戸の跡と、井戸の水を流したとみられる幅1㍍ほどの溝の跡が見つかった。溝は井戸から近くにある建物跡に続いていて、周辺からは奈良時代の食器やたらいといった、食事に関連する土器などが数多く見つかった。平城宮跡で洗い場の跡が見つかったのは初めて。

三十三間堂 1001体の千手観音像の修復完了

三十三間堂 1001体の千手観音像の修復完了

40数年にわたって少しずつ進められてきた、京都・三十三間堂(京都市東山区)の国の重要文化財に指定されている1001体の千手観音像の修復が12月22日、すべて終わり、最後の9体が堂内に運び込まれた。
修復では長年にわたり付着したほこりを取り除いたうえ、表面の金箔がはがれるのを防ぐため、にかわを塗るなどの処置が施されたという。その結果、いずれも落ち着いた黄金色の輝きを取り戻した。
千手観音像の修復は、昭和48年度から文化庁の補助金を含め、およそ9億2300万円をかけて毎年少しずつ行われ、45年目の今年ようやく完了したもの。

過去にも北海道沖で超巨大地震「切迫の可能性」

過去にも北海道沖で超巨大地震「切迫の可能性」

政府の地震調査研究推進本部は12月19日、北海道沖の千島海溝沿いで、マグニチュード(M)8.8以上の「超巨大地震」の発生が「切迫している可能性が高い」と発表した。30年以内に発生する確率は7~40%だという、
同本部によると、超巨大地震が想定されるのは十勝沖や根室沖、択捉島沖にまたがる震源域。過去には平均340~380年ごとに発生し、直近では約400年前の17世紀前半に起きたとみられる。この時の津波は北海道の大樹町で高さ18㍍まで達したほか、豊頃町では4.4㌔内陸まで浸水した痕跡が見つかっているという。

伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

伏見城跡で”秀吉時代”の石垣見つかる

京都市伏見区の伏見城跡で、徳川家康が築いた石垣の内側から、それ以前の豊臣秀吉が築いたとみられる別の石垣が新たに見つかった。この石垣は伏見城跡の西側で予定されているマンションの建設に先立って行われた発掘調査で見つかったもの。
不動産調査会社の発表によると、家康が築いた石垣の内側から幅4.2㍍にわたって別の時期に築かれたとみられる石垣が新たに見つかったという。石の表面が赤茶色に変色したり、ひびが入ったりするなど炎にさらされた痕跡があることから、「伏見城の戦い」で焼けた秀吉時代の石垣とみられる。
秀吉の大坂城が焼失・崩落した後、家康によって再建された大坂城でもそうであったように、家康は伏見城再建にあたり、豊臣の城の痕跡を消すようにして石垣をつくり直し、天下人としての権威を世に知らしめようとしていたとみられる。
伏見城は1594(文禄3)年に豊臣秀吉が築城し、大地震で倒壊した後は、場所を変えて新たに築かれた。その後、関ケ原の戦いの前哨戦「伏見城の戦い」で焼け落ちたが、徳川家康によって建て直された。

与謝蕪村の”遊び心”伝わる、未知の8句見つかる

与謝蕪村の”遊び心”伝わる、未知の8句見つかる

「春の海 ひねもすのたり のたりかな」「菜の花や 月は東に 日は西に」などの句で知られ、俳画にも特異な才を発揮した江戸中期の俳人、与謝蕪村(よさぶそん、1716~1783年)が詠んだ未知の8句が見つかった。清泉女学院大の玉城司客員教授が京都市の古美術商から入手した資料で判明した。
句には、蕪村のひいきの芸者2人の名を組み合わせた名前が記され、一緒に軸装された弟子の松村月渓の画の文章が”種明かし”している。縦22.6㌢、横33㌢の紙に「昨非(さくひ)評十題」として、計10句が記されている。署名は「雛糸(ひな・いと)」。
その事情を説くのが月渓の画(縦19.2㌢、横31.4㌢)の文章。蕪村を指す「夜半翁(やはんおう)」が「昨非をだまして、その日の「座の」笑いを取ろうと、わざと下手な字で下手な句を詠んだ」との内容を説明するとともに、芸者の「小ひな」と「小糸」の2字を「かりそめに、たわむれの名(雛糸)」にしたと明かしている。句自体の評価はさておき、これらの経緯から蕪村の”遊び心”がたっぷり伝わってくる。

中生代に繁栄した海の爬虫類の最古の化石を発見

中生代に繁栄した海の爬虫類の最古の化石を発見

東京大学、ドイツのボン大学などの調査研究チームは、ドイツの約2.05億年前(三畳紀最末期)の地層から、中生代に繁栄した海の爬虫類、首長竜(プレシオサウルス類)の最古の化石を発見し、新属新種としてラエティコサウルス・メルテンシと命名した。
これまで首長竜は中生代のジュラ紀に出現したと考えられてきたが、今回の発見により首長竜の起源がジュラ紀より古い三畳紀まで遡ること、また首長竜が三畳紀・ジュラ紀境界(約2.01億年前)に起きた大量絶滅を生き延びていたことを明らかにした。
ラエティコサウルスを含む首長竜は、ずんぐりした体幹と4枚の翼状のひれを持ち、外洋で効率的に泳ぐことに適していたと考えられる。さらに骨組織の解析から、ラエティコサウルスを含む首長竜が爬虫類としては例外的に体温を高く保つことによって早く成長していたことも分かったとしている。

今年の漢字は「北」ミサイル発射繰り返した北朝鮮など反映

今年の漢字は「北」ミサイル発射繰り返した北朝鮮など反映

今年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」が12月12日、京都・清水寺で発表され、「北」が選ばれた。例年通り、京都に本部がある日本漢字能力検査協会が一般から募集した結果、「北」が最も多かった。
この理由は①国連安保理の避難や警告を無視し、北朝鮮が弾道ミサイルの発射を繰り返すなど北朝鮮の動向に振り回され、脅威と不安を感じた1年だった②九州北部豪雨の災害で、福岡県朝倉市や大分県日田市などで大きな被害に見舞われた―などが挙げられている。
なお、2番目に多かったのは政治家の様々な不祥事など政治に絡む問題が相次いだことなどから「政」、3番目は「不」だった。

信長居館跡・庭園にカラフルな石敷き詰めた池の痕跡

信長居館跡・庭園にカラフルな石敷き詰めた池の痕跡

岐阜市教育委員会はこのほど、岐阜公園内にある織田信長居館跡の発掘調査で、庭園に赤、青、黄などカラフルな石を敷き詰めた池の痕跡が見つかったと発表した。
識者らは、平安時代の公家文化を取り入れたと推測。同市教委は、信長が招いた客人をもてなすため設けたものとみている。池に水がたまっていた跡は東西4㍍、南北1.8㍍。長径2~3㌢の河原石およそ1万個が敷き詰められていたとみられる。
石を敷き詰めた池は、平安時代中期、栄華を極めた貴族、藤原頼通が造った平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の池などにもみられる。
調査は2007年に始まり、本年度が最後。庭園はこれまで7カ所が確認され、今回見つかった池は、居館南側の「庭園3」。

福岡・仲島遺跡で後漢の銅鏡、完全な形で出土

福岡・仲島遺跡で後漢の銅鏡、完全形で出土

福岡市によると、同市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で見つかった。
弥生後期の銅鏡が欠けたり割れたりしていない状態で発掘されるのは極めて珍しく、福岡平野では初めてという。
今回見つかった銅鏡は直径11.3㌢で、「内行花文鏡」と呼ばれるタイプ。こうもりのような紋様に、子孫繁栄を意味する「長宜子孫」4文字が刻印されていた。さびもなく、ものがかすかに映り込むほど鏡面の状態が良かった。

天皇に即位日を閣議決定 2019年4/30 準備本格化

天皇退位日を閣議決定 2019年4/30 準備本格化

政府は12月8日の閣議で、天皇陛下が退位される日を2019年4月30日と定めた政令を決定した。退位に伴い、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位する。
政府は今後、退位や即位の儀式のあり方に関する検討を本格化させる。新元号は2018年中に公表される。即位と同じ日に改元も行われ、これにより平成は31年で幕を下ろす。
天皇退位は1817年の光格天皇以来、約200年ぶりで、現行憲法下では初めて。

武市半平太の田畑売却示す直筆証文発見 肖像画も

武市半平太の田畑売却示す直筆証文発見 肖像画も

尊王攘夷を唱え、坂本龍馬とともに「土佐勤王党」を主導した幕末の志士、武市半平太が地元の豪農に田畑を売ったことを示す直筆の証文が見つかった。専門家らは後の土佐勤王党の一員となる志士らが通った剣術道場の運営資金に充てられたとみている。
武市半平太にゆかりの深い地元の豪農の子孫が所有する高知市の蔵を調べた結果、分かったという。この証文は嘉永5(1852)年、当時24歳だった半平太が田畑や山林を売ったことを示すもの。高知県の佐川町立青山文庫の松岡司名誉館長が鑑定した結果、直筆で署名と黒い印章も本人のものと確認された。
このほか、本人が使ったとみられる刃渡り55㌢の脇差しや、明治以降に描かれた珍しい立ち姿の肖像画(縦115㌢・横40㌢)なども見つかった。
半平太は、幕末の激化した土佐藩内の主導権争いを巡って切腹を命じられ、明治維新を目前にした慶応元(1865)年、志半ばで37歳の生涯を閉じた。

大政奉還150年 政権返上の舞台・二条城で桜の記念植樹

大政奉還150年 政権返上の舞台・二条城で桜の記念植樹

世界遺産の二条城(京都市中京区)で12月4日、大政奉還から今年で150年になるのを記念して、桜の植樹式が行われた。
二条城は150年前の1867年、江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が重臣らに政権返上の意思を伝え、大政奉還という歴史の大変革の舞台となった。4日は敷地内の庭園「清流園」で、2本の桜・ソメイヨシノの植樹式が行われた。関係者らは、二条城を観光に訪れた人たちが、この桜を見て150年前が日本の近代化の第一歩、大政奉還の年であることに想いを馳せてもらえたら、と話していた。

応仁の乱550年 発端の地、京都・御霊神社に石碑

応仁の乱550年 発端の地、京都・御霊神社に石碑

室町時代、京都の街を焦土と化した応仁の乱から今年で550年になるのを機に、歴史の新たな名所づくりにと、戦いが勃発したとされる京都市上京区の御霊神社に市民団体が石碑を設置し12月2日、除幕式が行われた。
石碑は高さおよそ1.3㍍、幅およそ90㌢で、除幕式にはおよそ80人が集まった。
応仁の乱は室町9代将軍の座をめぐり勃発、550年前の1467年に始まり、11年に及んだ戦乱。有力大名たちが東西に分かれて陣を構えたことから、今も西軍が陣を敷いた「西陣」という地名が残り、御霊神社には東軍の陣があったことから「東陣」と呼ばれている。

長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通

長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通

江戸、鎖国時代、海外への唯一の窓口だった出島にこのほど、約130年ぶりとなる架け橋が完成した。この出島表門橋は長さ38.5㍍、幅4.4㍍で鉄製のシンプルなデザインだ。夜間にはライトアップされる。
これは、長崎市が進めてきた出島復元整備事業に続き、平成29年度の出島表門橋架橋プロジェクトとして推進していたもの。これにより、江戸町側から、当時と同じように海を渡って出島に足を踏み入れることができ、海に浮かんでいた19世紀初頭の出島を実感できる姿となった。

天皇陛下退位日2019年4/30 5/1新天皇即位、新元号施行

天皇陛下退位日2019年4/30 5/1新天皇即位、新元号施行

政府は特例法に基づき12月1日、宮内庁で三権の長や皇族らでつくる「皇室会議」を開き、天皇陛下の退位日ついて意見を聴いた。
その結果、退位の日程について意見集約がなされ、天皇陛下が2019年4月30日に退位され、皇太子さまが翌5月1日に即位され、新元号が施行されることが固まった。
退位の日程が年度末の3月末ではなく、4月末となったのは、2019年の春には4年に1度の統一地方選挙が予定されているほか、新年度予算案の国会審議も行われていることなどを考慮したもの。

沈没「咸臨丸」の潜水探索調査も 東京海洋大・オランダ文化庁

沈没「咸臨丸」の潜水探索調査も 東京海洋大・オランダ文化庁

幕末、万延元(1860)年、軍艦奉行・木村喜毅、艦長・勝海舟ら日本人98人(ほかに11人のアメリカ人が同乗)を乗せて、日本人の操縦で初めて太平洋を横断し、1871(明治4)年、渡島管内木古内町のサラキ岬沖で沈没したとされるオランダ製軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」の探索調査が行われることになった。明治時代から謎とされていた咸臨丸の詳しい沈没場所の解明につなげる。
探索調査するのは東京海洋大学の岩淵聡文教授とオランダ文化庁の委託を受けた調査官のレオン・デルクセンさんだ。同町内で聞き取りなどを行ったほか、来年度以降、専門ダイバーによる潜水探索も行うことを検討している。
オランダは世界各地のオランダ製の沈没船のリスト化と調査を進めており、咸臨丸については沈没船などの「水中文化遺産」が専門の岩淵教授と共同調査を行うことになった。

堀部安兵衛の遺骨300年ぶり故郷・新潟県新発田市へ

堀部安兵衛の遺骨300年ぶり故郷・新潟県新発田市へ

赤穂四十七士の一人、堀部安兵衛の遺骨が約300年ぶりに生まれ故郷、新潟県新発田市へ帰ることになった。安兵衛が眠る東京・泉岳寺から分骨してもらい、新発田市の長徳寺に墓を建立する。11月26日に納骨式が行われる。長徳寺は安兵衛の生家の中山家の菩提寺で、父の墓もある。
安兵衛は19歳で江戸へ旅立ったとされ、15年後、赤穂藩士として1703年2月、大石主税(ちから)らとともに34歳で切腹した。四十七士の多くが赤穂出身のため、安兵衛のように分骨して故郷に帰るのは珍しいという。

西本願寺から幕末将軍、家茂・慶喜関連の文書見つかる

西本願寺から幕末将軍、家茂・慶喜関連の文書見つかる

京都・西本願寺の史料から、徳川14代・15代将軍に関する貴重な文書が見つかった。これは家茂の容体を知るために、慶応2(1866)年に西本願寺が家茂の容体を診た朝廷の医師に秘かに依頼して入手していた文書で、また大政奉還後の慶喜への対応を記した文書も見つかった。
この文面から、家茂は脚気(かっけ)を患いつつあり、悪化すれば深刻な事態になるとの内容が記されている。大政奉還から2カ月後に西本願寺が別の寺に送った文書の控えには、京都から大坂城に移った慶喜には取りあえず内々に見舞いの品は整えるものの、親しく交際しているとみられないようにすることが記されていて、政治情勢が不透明な中、慶喜との関係に気を配り、慎重な姿勢を取っている様子がうかがえる。

11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見

11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見 ESO

欧州南天天文台(ESO)はこのほど、地球から約11光年離れた銀河系宇宙の片隅で赤色矮星(わいせい)と呼ばれる小さな恒星を回る地球そっくりな惑星が見つかったと発表した。これは、おとめ座の方向にある赤色矮星「ロス128」を回る惑星だ。
生命の存在に欠かせない液体の水や穏やかな環境があるとみられる。地球によく似た、太陽系外惑星の中では約4光年離れた惑星「プロキシマb」に次いで2番目に近いという。
研究チームは南米チリにあるESOの大型望遠鏡でこの惑星を観測。近くに建設を予定している次世代の超大型望遠鏡(ELT、直径39㍍)でこの惑星の大気を観測し、生命の存在につながる酸素の有無などを調べるとしている。

陛下の退位「皇室会議」12/1開催し意見聴く

陛下の退位「皇室会議」12/1開催し意見聴く

政府は首相ら三権の長、皇族らでつくる「皇室会議」を12月1日に開き、天皇陛下の退位日について意見を聴くことを決めた。天皇陛下の退位と、皇太子さまの即位について、「2019年3月31日退位・4月1日即位・改元」と「2019年4月30日退位・5月1日即位・改元」の2案を検討する。
皇室会議は首相が議長を務め、衆参両院の正副議長や最高裁判所長官、皇族ら10人で構成する。新年号は政府が2018年中に発表する方針だ。

河田小龍の竜虎図が寺の衝立 高知市で見つかる

河田小龍作の竜虎図が寺の衝立 高知市で見つかる

高知県立歴史民俗資料館によると、高知市内の臨済宗相国寺派の国清寺が保有する、両面に竜虎が描かれた衝立(ついたて)が、幕末の絵師、河田小龍の作品であることがこのほど分かった。
今回確認された作品は、縦約114㌢、横約165㌢、厚さ約3㌢の杉板両面に竜と虎が墨で描かれている。全体的に墨が薄くなるなど経年劣化はあるが、竜・虎の顔の部分は濃く残り、迫力は健在だ。小龍の作品の中で竜と虎が両面別々に描かれたものは専門家も見たことがない珍品という。同寺の住職もその価値を知らなかった。
河田小龍は、土佐藩士時代の若き坂本龍馬の世界観に影響を与えた人物の一人だ。

平城京 六条大路南北側溝を発見 大安寺旧境内で

平城京 六条大路南北側溝を発見 大安寺旧境内で

奈良市教育委員会埋蔵文化財調査センターは11月16日、同市東九条町の史跡、大安寺境内から奈良時代の平城京六条大路南北側溝とみられる溝が見つかったと発表した。
2016年に、今回の調査現場から西へ約50㍍の場所で南側溝を確認しており、境内の東西を大路が横断していたことを裏付けた。平城京内で最大の寺域を誇った大寺の姿を知る貴重な資料となる。

ロシアの永久凍土から絶滅した肉食獣見つかる

ロシアの永久凍土から絶滅した肉食獣見つかる

日本とロシアの共同研究チームによると、ロシアの永久凍土の中から、およそ1万年前に絶滅したとされる謎の肉食獣「ホラアナライオン」の赤ちゃんが見つかり、詳しく調べたところ、5万年以上前に生まれたとみられることが分かった。
11月15日会見した研究グループによると、2015年、ロシアのサハ共和国の永久凍土の中から、このホラアナライオンの赤ちゃん2頭が見つかり、このうち1頭は体長40㌢、重さ3㌔で、顔には毛が残り、まるで眠っているように見えるほど保存状態がいいという。同グループは9月にも、この2頭よりも成長したホラアナライオンの赤ちゃん1頭が見つかったとしている。
ホラアナライオンは、マンモスやサーベルタイガーなどと同じ時期にユーラシア大陸などに生息分布していた肉食獣で、およそ1万年前に絶滅したとされ、これまで見つかった化石も少ないため、体の特徴などは謎のままとなっていた。

奈良の円墳「富雄丸山古墳」は国内最大規模

奈良の円墳「富雄丸山古墳」は国内最大規模

奈良市がレーザーによる詳細な測量を行った結果、同市の円墳と呼ばれる古墳、「富雄丸山古墳」は直径が110㍍前後と円墳としては国内最大規模だったことが分かった。同古墳は石製の玉や銅の腕輪などが多数出土している4世紀後半に造られた大型の円墳で、昭和47年の調査で直径86㍍とされてきた。
今回、同市が5月から8月にかけて、上空からレーザーを当てて地形を詳細に計測したところ、直径がこれまで考えられていたよりも20㍍余り大きい110㍍前後であることが判明した。
これまで国内の円墳としては、埼玉県行田市の「丸墓山古墳」が直径105㍍で最大とされてきた。

龍馬没後150年 京都で墓前に「しゃも鍋」供え龍馬祭

龍馬没後150年 京都で墓前に「しゃも鍋」供え龍馬祭

身分を超え、新しい時代の青写真を描きつつ奔走した幕末の志士、坂本龍馬が暗殺されてから150年の命日となる11月15日、龍馬の墓がある京都市東山区の京都霊山護国神社で、その功績をしのぶ「龍馬祭」が行われた。
龍馬の墓前と、ともに暗殺された盟友の中岡慎太郎の墓前には、暗殺される直前に食べようとしていたとされる「しゃも鍋」がそれぞれ供えられた。このあと全国から集まった龍馬ファンたちにもおよそ1,000食が振る舞われた。
また、午後から執り行われた神事では、龍馬のふるさと高知県から運ばれたろうそくを墓の前に置き、関係者らが玉串を捧げた。

世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」濃厚に

世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」濃厚に

千葉県市原市の地層が、国際学会「国際地質科学連合」が決定する国際標準模式地の1次審査を通過。世界9カ国16人の専門家による、イタリア南部2カ所との投票選考で退けた。上位組織での審査がまだ残っているが、約77万~12万6000年前の地質時代が「千葉の時代」を意味する「チバニアン」と呼称され、世界の地質時代に初めて日本の地名が付く可能性が濃厚となった。
決め手は「千葉セクション」と呼ばれる千葉県市原市の地層で、確認できる地磁気逆転の痕跡と年代だ。地球は大きな磁石だ。過去に何百回もN極とS極が入れ替わっており、最後の逆転が起きた時期の特定が課題だった。それは磁力を持つ鉱物が含まれる岩石を調べれば、その時代のN極とS極の向きが分かる。
千葉セクションは240万年前から50万年前までの地層が観察できる希少な場所で、磁場逆転の痕跡も確認できる。この地層の堆積物を分析し、最後の逆転が77万年前だった証拠を見つけ、2年前に発表していた。

銀閣寺の国宝「東求堂」公開 現存最古の四畳半の間

銀閣寺の国宝「東求堂」公開 現存最古の四畳半の間

室町時代の八代将軍、足利義政が隠棲したとされる銀閣寺(慈照寺、京都市左京区)が、境内にある国宝建造物「東求堂(とうぐどう)」を公開している。現存最古といわれる四畳半の間「同仁斎(どうじんさい)」や義政の座像などが訪れる人たちを中世の東山文化に誘っている。
東求堂は文明18(1486)年の建立。入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶ)きで、義政の持仏堂だった。4つの部屋のうち、仏間には阿弥陀如来立像とヒノキの寄せ木造りの義政像があり、そこから銀閣(観音殿)や白砂を盛った「銀沙灘(ぎんしゃだん)」が見える。
同仁斎には付書院の中央に硯(すずり)と硯屏(けんびょう)が置かれ、巻物、筆、墨、水差し、印箱などが並べられている。中国画を鑑賞するための秘伝書「君台観左右帳記」に描かれた室町時代の座敷飾りを再現しているという。公開は11月30日まで。

「南都焼討」で失われた興福寺の再建瓦窯跡?発見

「南都焼討」で失われた興福寺の再建瓦窯跡?発見

奈良県立橿原考古学研究所によると、奈良市の興福寺のかつての境内の発掘調査で、大きさが幅2㍍、奥行き2㍍ほどの、平安時代から鎌倉時代にかけての窯の跡が9基確認された。いずれも「有●式平窯」と呼ばれる瓦を焼くための窯で、このうち4基は平安時代末期から鎌倉時代初めのものとみられている。
同研究所によると、これらの窯が興福寺の当時の境内にあることや、平氏が奈良の寺院を焼き打ちした「南都焼討」のすぐ後の時代にあたることなどから、焼き打ちで失われた興福寺の建物を再建するための瓦が焼かれた窯とみられるという。

正倉院宝物の楽器と類似のゾロアスター教板絵を発見

正倉院宝物の楽器と類似のゾロアスター教板絵を発見

帝塚山大学(奈良市)のチームはウズベキスタン考古学研究所との共同調査で、8世紀初頭に焼失したウズベキスタンにあるシルクロード都市の遺跡「カフィル・カラ城」で、正倉院宝物に似た楽器が描かれたゾロアスター教関連の板絵が出土したと発表した。
木製で縦約1.3㍍、横約1.4㍍の4段構成。最上段に獅子に腰掛ける女神ナナー、下段に”くご”と呼ばれるハープに似た弦楽器や琵琶とみられる楽器を奏でる楽隊、火や供物を捧げる人が浮き彫りされている。炭化しているが、祭礼の場面とみられ、同様の板絵が完全な状態で発掘されたのは世界初という。
シルクロード交易を担ったソグド人は、西域文化の日本への伝来に重要な役割を果たしたことで知られ、これらの楽器も似たものが正倉院に伝わっている。
遺跡は中央アジア最大のシルクロード都市があったサマルカンドの東南約30㌔㍍にある。ソグド人の王の離宮で軍事拠点でもあったと考えられる。周辺の火災層や出土貨幣から、710年にイスラム勢力に攻められた際に焼け落ちたとみられる。

ダビンチ 「幻の作品」ニューヨークで公開

ダビンチ「幻の作品」ニューヨークで公開

ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダビンチが代表作「モナリザ」に先立つ1500年ごろに制作したとみられる「サルバトール・ムンディ」という油絵が、今月ニューヨークでオークションにかけられるのを前に11月3日、メディアなどに公開された。
この作品は、深い青色のローブを身に着けたキリストが、祝福するように右手をあげ、左手に水晶を持っている姿が描かれている。17世紀にイギリス王室が所有していたが、18世紀半ばに所在が分からなくなり、1900年に見つかった後も、これはダビンチの作品ではないとされ、2011年にようやく専門家の鑑定によってダビンチのものと確認された。
オークション会社によると、現存するダビンチの16作品のうち、この作品だけ個人が所有しているということで、今月15日に行われるオークションでは1億㌦から1億5000万㌦、日本円でおよそ114億円から170億円で落札されると予想されている。

インドネシアで88年ぶり大型類人猿オランウータンの新種

インドネシアで88年ぶり大型類人猿オランウータンの新種

インドネシア・スマトラ島の森林地帯で大型類人猿オランウータンの新種が88年ぶりに見つかった。イギリスやインドネシアなどの国際研究チームが11月2日付の科学誌カレント・バイオロジーに発表した。
今回見つかった新種はシナモン色で縮れた体毛が特徴で、「タパヌリ・オランウータン」と名付けられた。生息数はおよそ800頭未満とみられる。生息地であるスマトラ島の森林は1985~2007年に約6割も減少しており、絶滅の危険性が高く、研究チームは早急な保護策の必要性を訴えている。
オランウータンはこれまでスマトラ島に生息する「スマトラ・オランウータン」と、海を隔てたボルネオ島に生息する「ボルネオ・オランウータン」の2種が知られている。

世界記憶遺産に「朝鮮通信使」「上野三碑」

世界記憶遺産に「朝鮮通信使」「上野三碑」

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月31日、歴史的価値の高い文書などを対象とした「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、江戸時代の朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節「朝鮮通信使」に関する資料の登録を認めた。群馬県高崎市の古代石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」も登録された。
朝鮮通信使は、朝鮮国王が徳川将軍家に派遣した使節団。対馬(長崎県)や江戸を経て、徳川家康が祀られている日光東照宮(栃木県)まで、一行が通った地域に外交文書や行列の様子を記した絵などが残っており、日韓の関係自治体や民間団体が共同で計333点の登録を申請していた。
このほか、日本が申請していた第2次世界大戦中に数多くのユダヤ人を救った岐阜県出身の外交官、杉原千畝の資料「杉原リスト」は、今回の登録に含まれていないとみられる。

坂本龍馬 剣術大会で対戦の桂小五郎に敗れる 新史料

坂本龍馬 剣術大会で対戦の桂小五郎に敗れる 新史料

前橋市の群馬県立文書館などによると、1857(安政4)年3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で、坂本龍馬と桂小五郎(後の木戸孝允)が対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、同館に保管されていることが分かった。
今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現 群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託されたもの。
折り畳んだ縦約16㌢、横約1㍍の和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守上屋敷二而御覧」と記載。龍馬らに加え、著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石川孫六、海保帆平ら計43人が一対一で戦った22試合の結果を、毛筆で縦書きに記している。

卑弥呼の外交をテーマに講演・討論会 纏向学フォーラム

卑弥呼の外交をテーマに講演・討論会 纏向学フォーラム

邪馬台国の有力候補地、奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡を調査、研究する同市纏向学研究センターのフォーラム(桜井市主催)が10月29日、東京都千代田区のよみうりホールで開かれた。
今回は邪馬台国の女王・卑弥呼の外交をテーマに講演と4人の討論会が行われ、参加した考古学ファンら約600人が聴き入っていた。大阪大学の福永伸哉教授や俳優で考古学研究者の苅谷俊介さんら4人が、卑弥呼を補佐したとされる「男弟」が外交で果たした役割や、中国の歴史書「魏志倭人伝」に魏から卑弥呼に贈られたとして記された鏡や刀の行方などについて、それぞれ講演した。
その後、寺沢薫・同センター所長の進行で4人が討論。「魏への朝貢は大きな賭けで、国際情勢の転機に乗じて決断した卑弥呼は、傑出した指導者だった」などと活発な意見が交わされた。

正倉院展始まる 初出展10件含む58件を展示 奈良国立博物館

正倉院展始まる 初出展10件含む58件を展示 奈良国立博物館

奈良時代の聖武天皇ゆかりの宝物を公開する「第69回正倉院展」が、10月28日から奈良国立博物館で始まった。11月13日まで。
初日は大勢の人たちが訪れ、開館前からおよそ1000人が列をつくった。今回は初出展の10件を含む58件が展示されている。
「緑瑠璃十二曲長坏」は、濃い緑色のガラスの盃(さかづき)で、緩やかな曲面に植物の文様やウサギの姿が施され、異国情緒を感じさせる。また、初公開の「伎楽面 迦楼羅」は、寺の儀式などで行われた仮面舞踊劇「伎楽」の面。「迦楼羅」は空想上の鳥を期限とする仏教の守護神という。