日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開

日本初の兵糧パン再現 江川英龍家の秘蔵資料公開

伊豆の国市韮山の江川英龍邸を管理する公益財団法人江川文庫は4月9日、「江川邸パンフェスタ」を開いた。日本で初めて兵糧パンを焼いたことから「パン祖」と呼ばれる江川英龍(坦庵)にちなんだ催しで、2015年に続き2回目。
江川家に残るレシピに基づき英龍が焼いたパンを再現したほか、秘蔵資料の特別公開や特産市などを行った。パンの再現には、三島市芝本町の石渡食品が協力した。
当時のレシピは小麦粉と塩、水、酒種を使用。今回は食べやすくするため、多少のイースト菌を加えた。土間の大かまどに火を入れ、レシピに習って鉄鍋を焼いた。本来は携帯食として1年ほど保存できるように、水分を飛ばしてカリカリに仕上げたという。
パンはキリスト教徒ともに日本に伝わったが、徳川幕府が禁止した。それを進取の精神に富み合理的な考え方の持ち主でもあった英龍は、工夫して伝来したもののレシピを変えてパンを焼きあげ、砲術を学ぶために全国各地から江川塾に集まった塾生を通じて全国に広めたのだ。

顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺

顕如の書状2通修復 一向一揆の一級資料 石川・林西寺

石川県白山市白峰の林西寺は、16世紀後半、浄土真宗本願寺の11代法主・顕如(けんにょ)が鳥越城主の鈴木出羽守(でわのかみ)に宛てた書状2通(同寺所有)を修復した。
この書状は、一向一揆に対する織田信長軍の弾圧に、勇猛に戦った白山山麓の一揆衆への感謝などを記したもので、県史を語るうえで重要な史料とされる。しかし、傷みが進んでいたため、ここ10年以上公開されていなかった。4月16日から寄託先の石川県立歴史博物館で展示される。
2通の書状「顕如上人書翰(しょかん)二双」は、鈴木出羽守の子にあたる林西寺6代目住職釈幸信(しゃくこうしん)が、同寺へ養子に入る際に持参したと伝わっている。
1578(天生6)年4月12日付の書状は、鈴木出羽守が率いる山麓の山内衆(やまのうちしゅう)の活躍を称え激励する内容で、1580(同8)年4月1日付の書状は、織田信長との講和を伝えている。
石川県文化財修復保存協会は、横折れ対策として太い芯を採用し、風合いを損ねないため、、本紙部分に薄美濃紙、台紙部分に美濃紙を使って展示に耐えられるよう修復した。

天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元

天下三名槍「御手杵の槍」旧前橋藩主の末裔が復元

旧前橋藩主の松平大和守家(やまとのかみけ)が代々継承し、東京大空襲で焼失した「御手杵(おてぎね)の槍(やり)」を、17代目の現当主、松平直泰さん(71)が復元した。先祖の徳川家康が逝去して400年の命日にあたる4月17日に前橋東照宮に奉納される。
御手杵の槍は、福岡藩主の黒田家伝来の「日本号」(福岡市博物館所蔵)、戦国武将の本多忠勝が愛用した「蜻蛉切(とんぼきり)」とともに、日本三名槍(そう)として称えられた名高いやりのレプリカは、東照宮で常設展示される。
戦国時代につくられた槍で、手杵の形をした鞘(さや)が名前の由来。刃渡り約140㌢で、柄を含めた全長は約380㌢。同家は参勤交代の際に、馬印として先頭に配置した。近年の刀剣ブームを受けて、松平さんは17日に行われる家康の400回忌、「薨去(こうきょ)400年祭」に合わせて家宝を私費で復元したもの。

松坂城跡などで「宣長まつり」書斎を限定公開

松坂城跡などで「宣長まつり」書斎を限定公開

三重県松阪市の松坂城跡などで4月2、3の両日、同市出身の国学者・本居宣長を称える「宣長まつり」が開かれた。折から城跡の桜もほぼ満開となり、多くの人でにぎわった。
今年のまつりは、城跡内の本居宣長記念館が7月から休館し、1970年の開館以来初となる大改装を行うことから「のりなが紙芝居」や、城跡を巡る「のりながお城ウォーク」などのイベントを開催した。
国の特別史跡の宣長旧宅「鈴屋」では2階の4畳半の書斎を3日に1日限定で開放したほか、1階では江戸時代から昭和期にかけてつくられた宣長の像、約20点が初めて一堂に展示された。

神武天皇没後2600年式年祭 両陛下が参拝 奈良県橿原市

神武天皇没後2600年式年祭 両陛下が参拝 奈良県橿原市

天皇、皇后両陛下は4月3日、奈良県橿原市の神武天皇陵に参拝された。同日は日本書紀の神話で神武天皇が没したとされる日から2600年(新暦換算)にあたり、「神武天皇二千六百年式年祭の儀」の山陵の儀が行われた。天皇陛下は「御告文(おつげぶみ)」を読み上げられた。随従皇族として秋篠宮ご夫妻も参拝された。
神武天皇の式年祭は皇居でも行われ、皇太子ご夫妻らが歴代天皇や皇族を祀る皇霊殿に拝礼された。100年ごとに行われる式年祭は1916(大正5)年以来。

名古屋城天守閣の木造復元案 最大504億円

名古屋城天守閣の木造復元案 最大504億円

名古屋城天守閣の木造復元を目指す名古屋市の河村たかし市長は3月29日、復元の技術提案コンペに応じた2社(竹中工務店、安藤・間)から竹中工務店案を選んだと発表した。
竹中案は4人乗りのエレベーターを取り外すと天守閣が元の姿になるように設計され、総事業費473億~504億円、安藤・間案はそれより25億~40億円抑え、エレベーターは11人乗りだった。
名古屋市は東京五輪が開催される2020年の7月末までの完成を条件に技術展案を公募した。専門家らが工期達成や事業費縮減の工夫、バリアフリー、木材の調達などで採点した。その結果、史実への忠実さや実現可能性などから竹中案になったという。
4月下旬に2000人規模の報告会を5回開いて竹中案を説明。5月半ばまでに結果が出る2万人規模のアンケートで木造復元か、29億円かけて鉄筋鉄骨コンクリート造りのまま耐震改修かを問う。