明治新政府の目安箱に投書の住民の訴状原本見つかる

明治新政府の目安箱に投書の住民の訴状原本見つかる

明治新政府が全国に先駆けて京都に設置した目安箱に投書した住民らの訴状の原本34通が、このほど京都市内で見つかった。この時期の訴状が見つかるのは極めて珍しいという。
古文書研究で知られる国際日本文化研究センターの磯田道史順教授(46)が5月下旬、京都市内の古書店で見つけた。
今回見つかった34通の訴状は、慶応4・明治元(1868)年を示す「戊辰(ぼしん)歳」、目安箱への訴えを示す「箱訴(はこそ)」の文字が書かれた冊子に綴じられていた。投書には同年6月~12月の日付があった。
訴状の内容は、幕末の動乱で荒廃した街の復興を求める声や、新政府の紙幣・太政官札(だじょうかんさつ)の発行に伴う物価高騰への苦情、僧侶の贅沢を制限せよ-という訴えや、新政府の役人たちが酒や女色にふけっている-といった告発もあった。
明治新政府は徳川幕府にならい同年2月、全国初となる目安箱を京都・三条大橋西詰に設置。その後、東京や大阪にも広がった。

京都「えき」美術館で絵師・河鍋暁斎の作品展

京都「えき」美術館で絵師・河鍋暁斎の作品展

幕末から明治にかけて活躍した河鍋暁斎(かわなべきょうさい、1831~1889年)の作品展が京都市下京区の美術館「えき」KYOTOで始まった。7月23日まで。
河鍋暁斎は狩野派の画風に浮世絵の技法を取り入れて幅広い作品を残した絵師。会場には、イギリスの収集家が所蔵するおよそ180点の作品が展示されている。「枯木に夜鴉」や「地獄大夫と一休」などテーマやモチーフがユニークで、一見漫画のようでユーモアを感じさせる、河鍋暁斎の個性的な世界観の一端が表現されている。

9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナを確認

9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナを確認

中国地質大の国際研究チームが専門誌「ゴンドワナ・リサーチ」(電子版)に発表した論文によると、ミャンマーの地層から見つかった9900万年前(白亜紀)の琥珀(こはく)の中から、絶滅した鳥類のヒナがほぼ完全な形で見つかった。
羽根や骨格などが当時のまま残っており、原始的な鳥の姿が確認できる。鳥類の進化を探るうえでの貴重な標本という。
今回見つかった琥珀はキャラメルの箱ほどの大きさで、中に絶滅した原始的な鳥類、エナンティオルニス類のヒナと判明した。翼の部分にある前脚の指には爪が生え、くちばしには小さな歯があるなど原始的な特徴が残っていると指摘している。

「天皇退位」18年12月か19年3月実現へ 特例法成立

「天皇退位」18年12月か19年3月実現へ 特例法成立

天皇陛下の退位を実現する「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が6月9日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。これにより、明治以降で初めての退位が今後3年のうちに実現する。天皇の退位は江戸時代の光格天皇以来、約200年ぶり。
今回の特例法は陛下一代限りの退位と皇太子さまの即位を定め、退位後の称号は「上皇」、皇后さまは「上皇后」とする。政府は「将来の先例となり得る」と位置付けており、同様の特例法を制定すれば事実上、将来の天皇も一代ごとに退位できる。
政府は退位日について、2018年12月下旬のほか、2019年3月末も選択肢として本格検討に入った。いずれの場合も、半年から数カ月前に新年号を発表する方向。

人類の起源は30万年前 モロッコで定説覆す化石発見

人類の起源は30万年前 モロッコで定説覆す化石発見

英科学誌ネイチャーに掲載されたドイツの研究グループによる2件の論文によると、ホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカ東部に現れたという、20年来の通説を覆す化石がモロッコで見つかった。
論文の主旨は、現生人類ホモ・サピエンスは30万年前にアフリカに生息し、現代人とそれほど変わらない顔つきをしていたというもの。2件の論文は、古代人類5人の頭蓋骨と骨のかけらや、狩猟や食肉処理に使われていた石器の分析に基づく。いずれも現在のマラケシュに近いジェベリルーにある先史時代の野営地から見つかった。
研究チームは今回の発見により、すでにアフリカ全土に広まっていた現生人類が30万年前、これらの石器を使っていた可能性が高いと指摘している。人類の起源が定説より10万年遡ることを示す研究結果だ。

淡路島で出土の銅鐸 通説より100年以上遡る貴重な資料

淡路島で出土の銅鐸 通説より100年以上遡る貴重な資料

2015年に兵庫県南あわじ市の砂置き場から見つかった「松帆銅鐸」と呼ばれる7点の銅鐸は、付着していた植物の年代測定の結果、弥生時代の紀元前4世紀から紀元前2世紀前半に埋められたものと分かった。
銅鐸から、埋められた当時のものとみられる木の皮や稲、ススキの仲間などの植物が見つかったことから、兵庫県教育委員会が放射性炭素年代測定という方法で分析した。
これまで銅鐸は、鉄器の使用が広がって国の原型ができ始めた紀元前1世紀ごろに埋められるようになったと考えられていた。したがって、今回の結果はこれまで考えられていたよりも100年以上古く、当時の社会の変化を知る貴重な資料として注目されている。