インドネシアの洞窟に4万年前の野生牛の壁画

インドネシアの洞窟に4万年前の野生牛の壁画

インドネシアやオーストラリア・グリフィス大学の研究チームが、インドネシアのカリマンタン島東部の洞窟に残る野生の牛とみられる動物などを描いた壁画は、4万年以上前のものとする調査結果を、11月7日付の英科学誌ネイチャーの電子版で発表した。
この壁画について同チームは、現生人類が欧州で残した最も古い洞窟の壁画とほぼ同時期とみている。そして、その根拠として「この壁画は単純な絵ではなく、具体的な描き方をしている」と強調している。

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和6(1931)年11月7日、市民の寄付によって復興された大阪のシンボル、大阪城。この3代目の天守閣が7日、数え年で88歳の”米寿”を迎えた。
5000枚限定の記念の証明書(縦およそ10cm、横およそ19cm)が、午前9時から訪れた観光客に記念の証明書が配られた。この証明書は天守閣の屋根をかたどった形で、日本語と英語の両方で米寿を迎えた内容が書かれている。
豊臣秀吉が淀君のために建てたといわれる大坂城の初代天守は1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼、淀君ら豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府が再建した2代目天守も1665年に落雷で焼失している。
当時としては最先端だった、鉄筋コンクリート造で建設された現在の3代目天守の高さは地上55m。

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和の復興から3代目大阪城天守閣が”米寿”迎える

昭和6(1931)年11月7日、市民の寄付によって復興された大阪のシンボル、大阪城。この3代目の天守閣が7日、数え年で88歳の”米寿”を迎えた。
5000枚限定の記念の証明書(縦およそ10cm、横およそ19cm)が、午前9時から訪れた観光客に記念の証明書が配られた。この証明書は天守閣の屋根をかたどった形で、日本語と英語の両方で米寿を迎えた内容が書かれている。
豊臣秀吉が淀君のために建てたといわれる大坂城の初代天守は1585年に完成したが、1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼、淀君ら豊臣氏の滅亡とともに焼失。徳川幕府が再建した2代目天守も1665年に落雷で焼失している。
当時としては最先端だった、鉄筋コンクリート造で建設された現在の3代目天守の高さは地上55m。

天皇陛下在位30年記念貨幣 大阪・造幣局で打ち初め式

天皇陛下在位30年記念貨幣 大阪・造幣局で打ち初め式

大阪市北区の造幣局で11月5日、天皇陛下の在位30年を記念した1万円金貨と500円銅貨の打ち初め式が行われた。
1万円金貨は純金で20㌘あり、表には翼を広げた鳳凰(ほうおう)がデザインされ、500円銅貨には天皇皇后両陛下のご成婚のパレードで使用された馬車がデザインされている。また、いずれも桐と白樺があしらわれ、裏には菊の紋章が描かれている。
1万円金貨は単体の場合、13万8000円、金貨と銅貨のセットは14万円で通信販売され、銅貨だけの場合は金融機関の窓口で額面と同じ500円で引き換える。通信販売の申し込みは11月21日までで、販売と引き換えは2019年2月ごろから予定されている。

和歌山で大津波の教訓伝える「稲むらの火祭り」

和歌山で大津波の教訓伝える「稲むらの火祭り」

和歌山県広川町で10月28日、江戸時代末期の安政南海地震(1854年)の際、豪商、濱口梧陵が収穫された稲の束に火をつけて、村人たちに大津波の襲来を知らせ高台に避難させたという”稲むらの火”の逸話を今に伝える「稲むらの火祭り」が開かれた。
この火祭りは教訓として毎年開かれているが、今回は地元の人たちはじめ、10月31日から和歌山県で開かれる「世界津波の日 高校生サミット」に参加する世界48カ国の高校生およそ250人も加わり、改めて地震が起きたら高台に避難するという津波防災の意識を高めていた。

平城京の南端から庶民の倉庫・井戸など住宅跡見つかる

平城京の南端から庶民の倉庫・井戸など住宅跡見つかる

奈良市教育委員会の発掘調査によると、奈良時代の都、平城京の南端にあたる場所から、庶民の住宅跡が倉庫や井戸などとともに見つかった。
住宅跡が見つかったのは、現在の奈良市西九条町にある工場の敷地。通路や溝で区切られた一辺約30㍍四方の広さの約900平方㍍の住宅の敷地の中に、東西約10㍍、南北約4㍍の母屋とみられる建物の跡あ、その近くで倉庫や井戸の跡も確認された。
同市教委は、今回見つかった住宅跡はその立地などから平城京内で働いていた下級役人か庶民の住宅だと考えられるという。