正倉院の宝物を忠実に再現した作品を集めた特別展「よみがえる正倉院宝物」が、奈良国立博物館で7月4日~9月6日開催されることになった。これは正倉院の宝物を人間国宝などが当時の技法や構造を忠実に再現した模造作品を披露するもので、これまで製作された数百点の模造作品の中から選りすぐられた逸品およそ100点が展示される。
同展は4月から開催される予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期されていた。
大坂城の4建造物を豊臣秀頼が滋賀・竹生島の宝厳寺に移築か
マヤ文明で最大の建造物確認 メキシコのアグアダ・フェニックス遺跡
根井三郎発給のビザ初確認 杉原とともにユダヤ人に「命のビザ」
出身地・宮崎市の根井三郎顕彰会はこのほど、第二次世界大戦中、杉原千畝とともに「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人を救済したとされる外交官、根井三郎が発給したビザが初めて確認されたと発表した。
今回見つかったのは根井がポーランド出身の家族に単独で発給したビザで、ビザには昭和16年2月28日、敦賀横浜軽油アメリカ行きと書かれ、根井三郎の署名が記されている。根井が単独で発給したビザが見つかったのは初めて。
宮崎市佐土原町出身の根井は第二次世界大戦中、ウラジオストクに外交官として赴任。杉原が発給した「命のビザ」でウラジオストクまでたどり着いたユダヤ人に対し、外務省の命令に背いてビザや渡航証明書を発給し、数百人の命を救ったとされる。
京都・仙洞御所で秀吉築城の「京都新城」の遺構見つかる
京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査によると、京都仙洞御所(京都市上京区)で豊臣秀吉が1597年に築いた最後の城、「京都新城」の石垣などの遺構が初めて見つかった。
今回見つかったのは堀や石垣などの跡で、このうち石垣は高さ1.6m、長さ8mにわたって、乱れなく積み上げられていた。また、同じ場所から、秀吉が関わった城だけに使われていた、表面に金箔の御紋が施された瓦も見つかったという。京都新城の実態はこれまでほとんど分かっておらず、遺構が見つかったのは今回が初めて。
京都新城は、秀吉が邸宅の聚楽第を壊した後、最晩年の1597年に京都御所の近くに築いた。およそ32万㎡もの広大な敷地を持っていたとされ、”太閤御所”などとも呼ばれていた。秀吉の死後は、正室の北政所の屋敷として利用されたが、関ヶ原の戦いの直前に壊されたとされている。