京都府京丹波町の工務店で5月24日、京都・祇園祭の山鉾の一つ、「鷹山(たかやま)」のご神体人形を載せ、新調した懸装品(けそうひん)を付けた姿が報道陣に公開された。2022年に約200年ぶりの山鉾巡行への復帰を目指しており、21年9月には試し曳きが予定されている。再建された鷹山は、屋根の最上部までの高さが約7.6m、全長約6.4m、幅約4.3mで総重量は10トンを超える。
鷹山は江戸時代、1826年に災害で被災、27年から巡行できなくなった。さらに幕末、1864年の「禁門の変」の大火で大半の部材を焼失した。このため、これまで焼失を免れたご神体人形を、祭の期間中は会所に祀ってきていた。
奈良 世界遺産 金峯山寺の国宝・仁王門の解体修理で起工式
藤原京で豚肉食されていた 便所跡から国内最古級の寄生虫卵
奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査によると、飛鳥時代、藤原京(694~710年)にあった便所の遺構で、豚肉を食べると感染する寄生虫の卵が見つかった。卵は豚肉食の科学的な証拠だとし、国内最古級発見例という。
藤原京が造営される少し前の7世紀後半、朝鮮半島では百済や高句麗が相次いで滅び、多くの人々が日本列島へ渡ってきたと考えられている。同研究所では豚食文化のあるこうした人々が藤原京でブタを食べていた可能性があるとみている。
今回土壌から発見されたのは、豚肉を食べて感染する寄生虫(有鉤条虫=ゆうこうじょうちゅう)の卵とみられる。サナダムシの一種で、卵殻の状態で5個検出された。同様の寄生虫の卵は”古代の迎賓館”と呼ばれた「鴻臚館(こうろかん)」(福岡県)跡や秋田城跡(秋田市)の便所遺構からも見つかっている。
観測史上最古の渦巻銀河を発見 124億年前 国立天文台チーム
奈良 菅原遺跡で行基しのぶ供養堂の遺構 比類のない円形建物跡
元興寺文化財研究所は5月20日、奈良市疋田町の菅原遺跡で、8世紀半ばの類例のない円形建物と大規模な回廊の跡を確認したと発表した。ここは東大寺大仏の造立を指揮した奈良時代の高僧、行基(668~749年)ゆかりの寺「長岡院」があったとされる地。同研究所は行基をしのぶ供養堂の遺構で、後世の仏塔建築「多宝塔」の原形の可能性が高いとみている。
遺跡は平城宮跡の西方、標高106mの丘陵上にあり、宅地開発に伴って2020年10月~2021年1月に約1,960㎡を調査。柱穴(直径約21cm)15基が直径約14.5mの円状に並び、その内側にも石を抜き取った跡が円状に確認された。北西側では柱穴の列も見つかり、約40m四方の回廊などが円形建物の周囲を巡っていたとみられる。
伊能「小図」副本発見 江戸後期の伊能忠敬測量隊が作成
日本地図学会の専門部会は5月18日、江戸後期に伊能忠敬(1745~1818年)と測量隊が作製した手描きの「大日本沿海輿地全図」のうち、列島を3枚に収めた「小図」の副本(控え)が新たに見つかったと発表した。
学会によると、幕府に提出した伊能図の正本は明治期にすべて焼失。小図の副本全3枚の現存が確認されたのは、2002年の東京国立博物館所蔵図(国重要文化財)以来2例目という。保存状態も良好で色彩が美麗に残る重文級の発見。
伊能図は縮尺が違う大中小3種あり、小図は縮尺43万2000分の1。副本は測量隊の控えなどとして、正本と並行して作製された。今回の副本は北海道、東日本、西日本を横約1.6m、縦1.5~2.5mの用紙に描き「実測輿地図」と題されていた。