実測日本地図作製「伊能忠敬」神戸で特別展

江戸時代に日本初の実測日本地図を完成させた偉業をたどる特別展「伊能忠敬」が神戸市立博物館で7月10日から始まった。
会場では、忠敬と弟子らが全国を旅して、足掛け17年をかけた日本列島の測量事業により、つくり上げた日本地図作製にまつわる記録・資料、複製絵図、製図道具など約70点を展示。空前の事業を成し遂げた忠敬らの足跡をたどっている。
今年は、偉業達成前に没した忠敬の後を受け弟子たちが完成させた、精密な日本地図「大日本沿海輿地(よち)全図」を幕府に上呈して200年の記念の年にあたる。それは1821年、江戸城で披露された。大図30軸、中図2軸、小図1軸からなり、各地の測量を記録した「輿地実測録」が付されていた。
これら同図の正本は明治時代に皇居の火事で失われ、控えも関東大震災で焼失した。ただ諸大名に献上された複製の絵図が現存する。
特別展は8月29日まで。料金は一般1,400円、大学生700円、高校生以下無料。

「京都五山送り火」今年も大幅縮小,文字や形描かず

京都五山送り火連合会は7月9日、毎年8月16日に行われる京都のお盆の伝統行事「京都五山送り火」について、新型コロナウイルスの感染防止対策として、昨年に続き規模を大幅に縮小して実施することを決めた。
火を焚く火床(ひどこ)の数を大幅に減らし、文字や形を描かずに実施する。送り火の点火は8月16日午後8時に左京区の「大文字」から始まり、「妙・法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の順に、それぞれ5分おきに点火していく。

清水寺で綸旨・秀吉の書状など古文書194点確認

京都市東山区の清水寺は7月7日、室町時代から幕末に至る歴代天皇の綸旨(命令書)16点を含む古文書194点が見つかったと発表した。
最も古い綸旨は応仁の乱(1467~1477年)で焼失した清水寺の復興に尽くした中興の祖、願阿(がんあ)上人に対し、後土御門天皇が再建を了承する内容。室町幕府の初代将軍・足利尊氏や豊臣秀吉の書状などもあった。
これらは願阿上人が開いた清水寺の子院、成就院に残されていた文書。願阿は清水寺再建のため招かれ、寄付金集めの「勧進」を展開した。応仁の乱以前から鴨川に橋を架け、飢餓に苦しむ人々を救済するなど庶民から厚い支持を受けた社会事業家で、1484年の本堂の再建を見届け、1486年に亡くなった。成就院は、幕末には尊皇攘夷の舞台ともなり、西郷隆盛と行動をともにした月照(げっしょう)も住職を務めている。

京都「時代祭」コロナで見どころの動く歴史絵巻中止

平安神宮と地元の市民でつくる平安講社は7月6日、毎年10月22日に行われる、京都三大祭りの一つ、時代祭が昨年に続きコロナ禍で中止すると発表した。10月22日とその前後に平安神宮の本殿で行われる神事については関係者だけで執り行うという。
時代祭は、平安時代から鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治時代までの衣装をまとったおよそ2,000人が都大路を練り歩く祭りで、いわば動く歴史絵巻。
祭りの10月のコロナの収束が見通せず、役員やサポートする人を含めて行列に関わるおよそ5,000人の、参道に集まる人たちの安全・安心を考えると中止せざるを得ないとしている。
この結果、京都三大祭が、5月の「葵祭」の行列中止、7月の「山鉾巡行」中止と合わせいずれも最大の”見どころ”が中止されることになった。

中国に「尖閣は日本領」認識の地図集 71年以前

日本政府の「領土・主権展示館」(所在地:東京・霞が関、以下、領土館)や、中国の政府機関が1971年以前に発行した公式地図や機関紙などによると、中国は尖閣諸島(所在地:沖縄県石垣市)は1971年以前は、日本領だと認識していたことが分かった。
なぜ、中国がその後、突然尖閣は中国の領土だと主張し出したのかといえば、1960年代後半に東シナ海に石油資源が大量に埋蔵されている可能性が指摘されたためだ。これを機に中国の認識が一変。石油資源の確保を巡り、尖閣に対し領有権を初めて公式に主張し出した。1971年12月のことだ。
中国の、日本でいう国土地理院にあたる中国の「国家測絵総局」(当時)直属の地図出版社が発刊した「世界地図集」をみると、明確になる。地図集の1960年版では、尖閣は日本の地図を示すページに記載されていた。ところが、1972年版になると日本のページから削除され、中国のページに追加されている。また、1960年版は尖閣の「魚釣島」をその名称のまま表しているが、手のひらを返したように1972年版になると中国政府が現在使っている「釣魚島」に変更しているのだ。
領土館はいま既述した、中国側の資料を含めた、こうした実態を詳細に理解できる資料の展示を行っている。

滋賀・長浜市で和楽器の弦用絹糸「繭の糸取り」最盛期

滋賀県長浜市木之本町・大音地区で三味線や琴など和楽器の弦に使われる絹糸を繭から紡ぎ出す伝統的な”糸取り”作業が最盛期を迎えている。
糸取りは毎年、蚕が繭をつくる6月下旬から7月上旬までの3週間ほどの作業。工房では、まず90℃ほどの熱湯に繭を浮かべ、ホウキのような道具で繭球をほぐした後、湯気が上がる中、細い糸を絡め取り、35本程度を束にして拠り合せる。そして、これを電動式の糸繰り機で巻き取ると絹糸ができ上がる。
戦前70軒前後を数えたこうした工房は、化合繊系の弦の大量流通により、現在では1軒しか残っていない。
作業は7月10日ごろまで行われ、地元の和楽器に使う弦の製造会社に出荷される。