戦後の海外抑留日本人の引き揚げにバチカンの関与示す新資料

1946〜1948年にかけてバチカンで記録されたバチカン(ローマ・カトリック協会の中心地)で記録された、日本人の引き揚げに関する、新たなおよそ40点の外交文書が見つかり、バチカンが戦後の海外抑留日本人の引き揚げの実現に関わっていたことが分かった。調査にあたった国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が確認した。
78年前の終戦時、海外にいた元日本兵や民間人はおよそ660万人に上ったとされ、戦後も長くシベリアや東南アジアなどに抑留され、多くの人が望郷の念に駆られながら亡くなったほか、生き残った人たちも日本に引き揚げるまでに10年以上の歳月を要した。
このうち旧ソビエトにより57万人を超える日本人がシベリアなどに抑留された”シベリア抑留”を巡っては、1947年1月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電に、引き揚げの実現に向けて旧ソビエトとの交渉を急ぐよう、米国側に働きかけたことなどが確認されている。
また、1947年8月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電には、オランダ領インド(現在のインドネシア)にあった日本人の収容所を巡り、オランダ政府に対し、環境の改善を求めたことが記されていた。

古都の夜空焦がす「大」文字 京都で「五山送り火」

京都市街地を囲む山々で8月16日、お盆に迎えた先祖の霊を送り出し、無病息災を祈る伝統行事「五山送り火」が行われた。
まず予定通り午後8時に、東山の如意ヶ嶽で一画がおよそ最長160mの「大」の文字が浮かび上がった。続いて5分おきに「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」に点火され、古都の夜空を焦がした。見物客らは市内各所で最寄りの送り火を見守った。警察によると、今年は昨年より4,900人多い、およそ2万5,600人が訪れた。

徳島阿波踊り 4年ぶり盛況 台風に振り回され”想い半ば”に

新型コロナウイルスに伴う制約がない4年ぶりの通常開催となった徳島市の阿波踊りが8月15日、閉幕した。話題となった1人20万円のプレミアム桟敷席などの新しい試みなども含め、地元は大いに盛り上がった。
ただ、前夜祭を含む5日間のうち、最後の2日間は台風7号に振り回され”想い半ば”に終わった。荒天の14日夕は強行開催、雨の上がった15日夕は中止となった。これらの挙行、判断について、徳島市と開催委員会との間で判断が分かれ、対応がチグハグで課題を残した。

吉野ヶ里遺跡 6月公園入園者最多に 石棺墓発見で注目集める

吉野ケ里公園管理センターによると、国営、県営歴史公園として整備されている吉野ヶ里遺跡(所在地:佐賀県吉野ヶ里町、神埼市)の公園の6月の入園者数が4万5,550人となり、6月として2001年の開園以来、過去最多となったことが分かった。これまでの発掘調査では手付かずだった”謎のエリア”で石棺墓が見つかり、注目を集めたことが要因の一つとみられる。これまでの6月の最多来場者数は2001年の4万1,752人だった。

大阪・造幣局で8/7 大阪・関西万博記念貨幣の打ち初め式

大阪市北区の造幣局で8月7日、2025年大阪・関西万博の記念貨幣の打ち初め式が行われた。同打ち初め式には大阪府の吉村知事や博覧会協会の石毛事務総長などが出席した。この記念貨幣は5万枚が製造され、消費税や送料込みで1万3,800円で販売される。申込みは造幣局が8日から28日まで受け付ける。
製造が始まった記念貨幣は額面が1,000円の銀貨で、表面には大阪・関西万博の公式ロゴマークと、人工島・夢洲の会場がカラーで描かれている。裏面に描かれたロゴマークには、細かい溝が刻まれた加工が施されていて、光が当たると反射して虹色に輝いて見えるようになっている。

祇園祭 後祭 山鉾巡行11基が前祭と逆ルートで暑熱の都大路進む

京都・祇園祭は7月24日、後祭(あとまつり)の山鉾巡行を迎え、山鉾11基が暑熱の都大路を進んだ。
午前9時半ごろ橋弁慶山を先頭に、前祭(さきまつり)の山鉾巡行とは逆ルートで烏丸御池(所在地:京都市中京区)を出発。毎回2番手に固定されていた北観音山と6番手の南観音山が、今年から1年毎に順番を交代することになり、今回は南観音山が2番手を進んだ。
京都市役所前の河原町御池交差点では、90度方向を転換させる「辻回し」を披露。すると、沿道の観客らから掛け声と拍手が起こった。