千葉県が名前の由来となった「チバニアン期」と呼ばれる時代に生息していた古代の生物を紹介する展示会が千葉市の県立中央博物館で開かれている。「チバニアン期」は77万年前から12万年前余りまでの地質学上の時代の名前。3年前、市原市の地層が地質学の基準である「国際標準地」に、日本で初めて登録され命名された。
今回展示されているのは、1966年に現在の印西市で発見されたナウマンゾウの化石の、日本で初めてレプリカで復元された全身骨格。骨格標本のほか、下あごなど骨の実物が展示されている。また市原市で見つかった体長5mを超える世界最大級のトド「オオキトド」の下あごの骨の化石も見られる。このほか、「ヤベオオツノジカ」や「メルサイ」なども展示されている。
種子島の古代人 頭蓋骨を意図的に変形する習慣 九州大など
九州大学や米モンタナ大学の国際研究チームは、弥生時代から古墳時代の鹿児島県種子島で暮らしていた古代人に、頭蓋骨を意図的に変形する習慣があったことを突き止めた。種子島の遺跡で採集した頭蓋骨を、3Dスキャンや最新の計測技術を用いて分析した結果、分かった。他の古代人の頭蓋骨と比較すると、後頭部が平らで頭蓋骨後頭部の縫合周辺と後頭骨の中心部あたりに窪みもあった。
これらは生活習慣ではなく、人為的に力を加えて変形させている可能性が高いことを明らかにした。研究チームは集団としてのアイデンティティーを保つため、頭を変形していたとみている。こうした習慣は世界各地でみられるという。これらの研究成果は8月17日、米科学誌『プロスワン』に論文掲載された。
インド月探査機「チャンドラヤーン3号」月面着陸に成功
戦後の海外抑留日本人の引き揚げにバチカンの関与示す新資料
1946〜1948年にかけてバチカンで記録されたバチカン(ローマ・カトリック協会の中心地)で記録された、日本人の引き揚げに関する、新たなおよそ40点の外交文書が見つかり、バチカンが戦後の海外抑留日本人の引き揚げの実現に関わっていたことが分かった。調査にあたった国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が確認した。
78年前の終戦時、海外にいた元日本兵や民間人はおよそ660万人に上ったとされ、戦後も長くシベリアや東南アジアなどに抑留され、多くの人が望郷の念に駆られながら亡くなったほか、生き残った人たちも日本に引き揚げるまでに10年以上の歳月を要した。
このうち旧ソビエトにより57万人を超える日本人がシベリアなどに抑留された”シベリア抑留”を巡っては、1947年1月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電に、引き揚げの実現に向けて旧ソビエトとの交渉を急ぐよう、米国側に働きかけたことなどが確認されている。
また、1947年8月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電には、オランダ領インド(現在のインドネシア)にあった日本人の収容所を巡り、オランダ政府に対し、環境の改善を求めたことが記されていた。