広島市中心部のサッカースタジアム建設予定地で市が進めている発掘調査で、旧陸軍の大規模な軍事施設遺構が見つかった。1945年8月6日の原爆投下で壊滅した「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」の跡とみられる。
スタジアムはサッカーJ1、サンフレッチェ広島の新たな本拠地として、広島城西側の中央公園広場(所在地:広島市中区)に建設される。2022年1月に着工予定で、2024年のオープンを目指している。
遺構は地表から1m以上の深さにあり、厩舎とみられる建物の基礎や石畳、水路などの跡が確認された。輜重隊の兵舎や厩舎などが建ち並んでいたが、原爆投下で壊滅的な被害を受けた。戦後は跡地に盛り土をするなどし、原爆で家を失った市民のための簡易住宅が急遽建てられた。
今回見つかった遺構は、発掘された被爆遺構遺構では最大級となる可能性がある。
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東北大など 弥生時代の争いの主要原因は人口圧と解明
東北大学、岡山大学、南山大学、国立歴史民俗博物館の研究チームは6月15日、弥生時代、北部九州で広くみられる甕棺(かめかん)と呼ばれる墓の数から推定された人口圧と、骨に残された傷から推定された争いの頻度の関係を、統計的に考察した結果、同時代の争いの原因について、人口圧が重要な一つの要因であると解明したと発表した。人口圧とは、生活を支える経済活動に対して、人口が過剰となることで人々が感じるストレス。
研究チームは、弥生時代中期(紀元前350~紀元30年)に北九州で起こった争いの原因を考察。人口圧が高くなれば争いの頻度が増加するという傾向がみられた。このことから人口圧が争いを増加させる要因であったと考えられると結論付けた。
南海トラフ地震 次は前回発生時から300年余経過の宝永型?
政府・地震調査委員会委員で産業技術総合研究所名誉リサーチャーの岡村行信氏が5月31日、日本地球惑星科学連合大会で南海トラフ巨大地震を巡り、興味深い発表を行った。この中で、岡村氏は、次に起こる南海トラフ巨大地震は江戸時代の1707年に起きた宝永地震と同じタイプになる可能性があるとの研究結果を発表した。
宝永地震は、紀伊半島付近で震源断層の破壊が始まり、静岡-高知沖の広範囲が震源域となった。その規模は史上最大のマグニチュード(M)8.6とされる超巨大地震。岡村氏は過去の南海トラフ巨大地震について宝永地震と幕末の1854年に起きた安政地震(東海、南海地震)の2タイプがあると指摘。宝永型は紀伊半島の地下、安政型は静岡、長野県境にあたる赤石山脈付近の地下からそれぞれ破壊が始まるとしている。
684年間以降、この2タイプの巨大地震は、宝永型が887年の仁和地震、1361年の正平地震、1707年の宝永地震、安政型が684年の白鳳地震、1096年の永長地震、1498年の明応地震、1854年の安政地震と、ほぼ交互に発生してきており、痕跡を残した津波により宝永型か安政型かを分類できる可能性があるとしている。そのうえで、2タイプがどの程度の間隔で起きているかを分析。前回の1707年から300年以上(314年)経過している宝永型になる可能性があるとした。果たして?
最澄の1,200回忌 比叡山延暦寺で法要 コロナで規模縮小
縄文時代のクルミ詰まったかごなど保存処理 福島・鷺内遺跡
福島県南相馬市の鷺内(さぎうち)遺跡で見つかった縄文時代晩期(約3,000年前)の、クルミが大量に詰まった編みかごなど出土品4点の保存処理が終わった。6月13日まで南相馬市博物館で展示されている。
鷺内遺跡は縄文時代晩期と古墳~平安時代の遺跡。2017~2018年の調査で、縄文期の貯蔵穴とみられる土坑からかごやざるなど計17点が出土した。湧き水に浸かったお陰で腐らずに残ったものに、今回保存処理が施された。中でもクルミが詰まった編みかごは完全な形で見つかった。
クルミの編みかごは底面が縦、横とも約20cm、高さ約35cm.竹笹塁で編み上げられ、推定で数百個のオニクルミが詰まっている。3.6~4.2cmと大ぶり粒が揃っている。クルミが詰まったかごがこれほど完全な形で出土するのは、全国でも例がないという。