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平等院で紅葉シーズンのライトアップ始まる 池の水面に幻想的光景

世界遺産に登録されている京都府宇治市の平等院で、11月16日から紅葉シーズンに合わせライトアップが始まった。5年前の改修で創建当時の色合いを取り戻した鳳凰堂や本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)、それに色づき始めたもみじが、ライトアップに伴い手前の池の水面に映し出され、幻想的な光景をつくり出していた。        平等院のライトアップの一般公開は16日から12月1日までの金曜日から日曜日に限って行われる。

江戸時代の反射望遠鏡 鏡の制度は現代レベル

国立天文台などによると、今からおよそ180年前の江戸時代、天保年間に製作された反射望遠鏡の鏡の精度を調べたところ、現代の市販の鏡とほぼ同レベルでつくられていたことを示すデータが得られた。この望遠鏡は江戸時代後期に日本で反射望遠鏡を完成させて天体観測を行った国友一貫斎がつくった1台で、天保7(1836)年と記されている。計測した国立天文台では「計測機器のない時代にこれだけ精度の高い鏡を製作できるのは非常に驚き」と指摘している。この望遠鏡は滋賀県長浜市が所蔵。

世界最古のオーロラの記録を確認 大阪大・筑波大

大阪大学、筑波大学などのグループはこのほど、紀元前660年前後に現在のイラク周辺でオーロラが出現したことを示す記述が当時つくられた粘土板に記されていることを確認した。従来よりも100年ほど遡る、世界最古の記録として注目されている。同グループは紀元前680年から650年の間につくられたとみられる粘土板に「赤い光」「赤い雲」「赤い空が覆う」といった記述が確認できたという。紀元前7世紀に現在のイラクにあたるアッシリアで、当時の天文学者がまとめた「アッシリア占星術レポート」を解読した。

「はやぶさ2」地球への帰還目指し、小惑星を出発

小惑星の成り立ちを調べるというミッション達成のため、「リュウグウ」への2度の着陸に成功した日本の探査機「はやぶさ2」は11月13日午前10時すぎ、地球への帰還を目指してエンジンを発射し、リュウグウを出発した。はやぶさ2は、3年半かけてリュウグウに到着。およそ1年半にわたって岩石の破片を採取するため異なる手法で、2度の着陸に成功するなど、探査を続けていた。                                                                                   はやぶさ2は11月20日からおよそ2週間メインエンジンの試験運転を行い、12月3日以降、本格的に噴射して地球に向かう計画。そして2020年11~12月、リュウグウの岩石の破片が入ったとみられるカプセルを分離して、オーストラリアの砂漠地帯に落下させる予定。

直江兼続の,秀吉の人使いのうまさ伝える書状見つかる,伏見城築城現場で

戦国武将、上杉景勝の家臣の直江兼続(なおえかねつぐ)の、豊臣秀吉の気さくで人使いのうまさを伝える書状が見つかった。書状は、伏見城普請に派遣されていた兼続が、京に向かう途上の主君・景勝の随行者とみられる人物に宛てたもの。この中で、伏見城(所在地:現在の京都市伏見区)築城の工事現場に秀吉が自ら赴き、現場の作業員一人一人に声をかけた様子が記されている。                                                                      文禄3(1594)年の4月2日付で書かれ、兼続の花押がある。兼続は築城現場の様子を報告するとともに、「昨日も大(太)閤様御覧なされ候(そうろう)、普請衆何(いずれ)二も、御言葉を被下(くだされ)候」(文意:昨日も秀吉様が工事をご覧になりました。工事をしている者たちに直接言葉をかけて下さいました)と、現場の士気を高めるための気配りを見せた様子を記している。                                                                                                東大史料編纂所と新潟県立歴史博物館などの共同調査で確認された。

令和・即位「祝賀御列の儀」祝賀パレードに11.9万人

天皇陛下が皇后さまとともに、広く国民に即位を披露し祝福を受けられるパレード「祝賀御列の儀」が11月10日午後3時過ぎから、皇居-赤坂御所のおよそ4.6kmのルートで行われた。                                                                                                                         天皇陛下は燕尾服に最高位の勲章、皇后さまは白のロングドレスにティアラという姿で、君が代演奏の後、オープンカーに乗り込まれた。そして天皇陛下の即位を祝ってつくられた行進曲「令和」が演奏される中、出発。車列には秋篠宮ご夫妻や安倍首相の車など18台の自動車と白バイやサイドカー合わせて46代が連なり、その長さはおよそ400mにもなった。このパレード群が時速10キロほどのゆっくりとしたスピードで進み、およそ30分間で儀式は終了した。                                                                                    沿道には、11万9,000人の人たちが全国各地から詰めかけ、歓声を上げ、小旗を振って両陛下を祝福。両陛下は終始にこやかな表情で、休むことなく手を振って応えられていた。警視庁は2万6,000人の態勢で警備にあたった。                                                  今回の祝賀御列の儀で、5月から行われてきた「即位の礼」の一連の国事行為はすべて終わった。

万6,000人の態勢で警備にあたった。                                                  今回の祝賀御列の儀をもって、5月から行われてきた「即位の礼」の一連の国事行為はすべて終わった。

東大寺東塔調査で回廊の東門跡を初めて確認

奈良文化財研究所、橿原考古学研究所などに調査団は11月7日、奈良・東大寺にかつてあった巨大な塔、東塔を囲む回廊の東側にあった門の跡が今回初めて確認されたと発表した。東門の大きさは幅12.7mあり、調査団は回廊の南北や西側にあった門も同じ規模と推定している。4年前から進められてきた発掘調査は、今年度中に完了する予定。東大寺ではこれまでの調査の成果をもとに、将来的には東塔の再建を目指したいとしている。                                                                                                                      東大寺の東塔は、高さおよそ100mとも伝わる七重塔で、平安時代に焼き打ちされ、鎌倉時代に再建されたが、落雷で再び焼失したとされている。

文楽で80年ぶりの名跡「竹本錣太夫」復活

およそ80年前に途絶えた人形浄瑠璃の名跡が復活することになった。語り手の「太夫」を務める竹本津駒太夫さんが2020年1月、「六代目 竹本錣(しころ)太夫」を襲名する。襲名披露公演は2020年1月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で行われる。竹本津駒太夫さんは広島県尾道市出身の70歳。                                                                             錣太夫は、人形浄瑠璃「文楽」で昭和初期にかけて活躍した先代の五代目が”艶物(つやもの)”と呼ばれる男女の恋愛を描いた作品の語りの名手として知られる名跡だが、およそ80年前に途絶えていた。

年末恒例 京都・南座顔見世興行の「勘亭流」まねき書き始まる

京都市左京区の妙傳寺で、京都・南座の年末恒例の歌舞伎の顔見世興行の、「勘亭流」という独特の書体を使った”まねき”と呼ばれる出演者を紹介する看板書きの作業が始まった。まねき看板はおよそ50枚。サイズは長さ1.8m、幅30cmで、書家の井上優さんが客の大入りを願って隙間なく、丸みを帯びた勘亭流の書体で1点ずつ丁寧に書きあげていく。このまねき看板は11月25日に京都・南座の前に掲げられる予定。顔見世興行は30日から始まり、いよいよ年末、師走を迎える。

京都で円山応挙の襖絵など約100点集め展覧会 近代京都画壇作品

「円山応挙から近代京都画壇へ」をテーマに、江戸中期の絵師で”写生画の祖”といわれる円山応挙の襖(ふすま)絵、屏風(びょうぶ)絵などを集めた展覧会が、京都市左京区の京都国立近代美術館で開かれている。同展覧会は作品を入れ替えながら、12月15日まで開かれている。                                                                                                 会場には、円山応挙とその影響を受けた画家たちの襖絵や屏風絵など約100点が展示されている。より大きなスペースとって紹介されているのが、応挙の最高傑作とされる兵庫県香美町の大乗寺所属の襖絵群だ。寺と同じ配置で立体的に展示され、作者・応挙の制作意図に配慮している。このほか、「松に孔雀図」、掛け軸「狗子図」なども展示されている。

葛飾北斎の晩年期の肉筆画新たに2点確認「富士見西行図」「藻魚図」

葛飾北斎(1760~1849年)の肉筆画が新たに2点確認された。「富士見西行図」(1848年)とメバルを描いた「藻魚(もうお)図」(1847年)の2点だ。晩年期の色紙サイズの作品。西行図は3年ほど前に米国で発見、藻魚図は今年、国内で存在が明らかになった。いずれも軸装で、現在は個人が所蔵している。筆致や落款などから北斎の作品で間違いないという。

姫路城が英ウェールズのコンウィ城と姉妹城に、市民交流へ

世界遺産の姫路城が、イギリス・ウェールズの同じ世界遺産のコンウィ城と姉妹城として提携し、市民交流を深めていくことになった。今回の提携はウェールズ州政府からの働きかけで実現し、兵庫県の姫路城の西の丸でこのほど提携式が行われた。             コンウィ城は築城700年、姫路城は築城400年で、ともに地元のシンボルとして美しい姿を残している。姫路城はすでにフランスのシャンティイ城と姉妹城の提携をしており、コンウィ城は2つ目の姉妹城となる。

沖縄「首里城」で火災「正殿」「北殿」全焼、城内へ延焼

沖縄県那覇市の首里城から10月31日未明、出火し、城の中心的な建物の「正殿」と「北殿」が全焼した。また、城内にある他の建物にも次々と燃え広がっているという。消防によると、これまでのところけが人などの情報は入っていない。                                           首里城では10月27日から琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」というイベントが開かれていて、31日未明まで開催予定の催しの準備が行われていた。                         首里城は琉球王国時代のおよそ500年前に建造され、昭和8年に国宝に指定されたが、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失した。平成4年に「正殿」が復元され、その後ほかの建物も順次復元され、平成12年に城跡が、県内にある城の跡とともに「世界遺産」に登録されている。

日本初の長編アニメ「白蛇伝」の制作資料見つかる 東映アニメ

日本初の長編カラーアニメーション映画として61年前に公開された「白蛇伝」の絵コンテなどの資料が、京都市右京区の東映太秦映画村で見つかった。専門家は草創期のアニメの制作過程が分かる貴重な資料だとしている。                                                        白蛇伝は東映動画、現在の東映アニメーションが昭和33年に公開した、日本で初めての長編カラーアニメーション映画。見つかった資料は、アニメーターがキャラクターの立体感を考える際に使われたとされる粘土模型4体や、全体の構成を指示する絵コンテの第1稿などおよそ40点。これらの資料の一部は11月4日まで京都文化博物館で展示されるほか、今後、東映太秦映画村でも展示される。

秋の都大路彩る京都「時代祭」 歴史絵巻に6万人余の見物客

10月22日の「即位礼正殿の儀」と重なるのを避け、今年だけ例外的に26日に日を変えて、京都三大祭りの一つ「時代祭」が行われた。王朝の平安時代から武家政権時代、そして明治時代までのそれぞれの時代を象徴する装束に身を包んだおよそ総勢2,000人の行列が、京都御所から平安神宮までのおよそ4.5kmの都大路を練り歩いた。           行列は明治時代の鼓笛隊や官軍を先頭に、時代を遡る形で歴史上の人物が登場。維新への扉を開くのに重要な役割を果たした坂本龍馬、色鮮やかな十二単を身に着けた皇女和宮、さらには織田信長などが次々に登場し、沿道では昨年より多い6万人余りが、この華やかな歴史絵巻を楽しんだ。

令和最初の「正倉院展」初出展4件含む41件の宝物出展

奈良時代の聖武天皇ゆかりの宝物を集めた「第71回正倉院展」が10月26日から始まった。令和で最初となる今年の正倉院展には初出展の4件を含む41件の宝物が出展され、11月14日まで奈良市の奈良国立博物館で開かれている。                                       今回の展示で興味深いのは革製のくつ、「衲御礼履(のうのごらいり)」だ。これは聖武天皇が大仏開眼法要の際に使用したと推測されるもの。表面には赤く染めた牛の革が、内側には鹿の革が用いられ、真珠や水晶などでつくられた花形の飾りがあしらわれている。また、「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)」は、香をたくのに使う道具で、獅子の形をした飾りが取り付けられており、器の側面には植物や蝶の文様など豪華な装飾が施されている。

平安京の「西寺」の五重塔跡? 見つかる 京都市の発掘調査で

京都市の発掘調査によると、794年の平安京への遷都で、桓武天皇の命で「東寺」と対になるように造られた官営の寺「西寺」の五重塔の基礎部分の可能性が高い跡が見つかった。調査ではこれまでに、最も大きな建物とみられる講堂の土台部分の「基壇」が確認された。今回さらに五重塔があったと推定される場所を発掘したところ、碁盤の目状に12カ所で地盤を突き固めた跡が見つかり、これまでの調査と合わせると五重塔の基礎部分である可能性が高いという。                                                                            西寺は、鎌倉時代に火災に遭い焼失、それ以降は再建されず、京都市南区の跡地が国の史跡に指定されている。

「命のビザ」,発給でリストラに 杉原千畝の履歴書見つかる

第2次世界大戦中の1940年、赴任先のリトアニアでナチスの迫害を逃れるため、ビザを求めるユダヤ人に日本の通過ビザを発給し続けて、およそ6,000人の命を救ったとされる日本の外交官・杉原千畝氏(1900~1986年)の履歴書が新たに見つかった。これによると、杉原氏は1947年4月の帰国後に外務省を辞め、NHKや商社などを転々としたが、1949年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。外務省では杉原氏の退職理由について「不明」としているが、同氏が参院に提出した履歴書では「1947年3月の行政整理に際し被整理者に予定せられたる」と記載しており、人道的立場から、いわば省命に背き行った「ビザ発給」後、同氏は懲罰的に帰国前の段階でリストラ対象者とされていたと判断される。

天皇陛下 即位を国内外に宣言 2,000人を前に「即位礼正殿の儀」

天皇陛下の即位に伴う「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」が10月22日、皇居・宮殿であいにくの雨の中、皇族方11人および各界の代表や外国の元首などおよそ2,000人の参列者を前に、即位を国内外に宣言された。                                                天皇陛下は「黄櫨染御袍(こいろぜんのごぼう)」に身を包んで、皇后さまとともに儀式に臨み、「松の間」に設(しつら)えられた「高御座(たかみくら)」でお言葉を述べられた。この中で、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法に則(のっと)り、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います」と述べられた。夜には祝宴にあたる「饗宴の儀」も行われた。

親鸞直筆の教え説く文書 長崎大村市で見つかる

本願寺史料研究所などによると、浄土真宗の開祖として知られる親鸞が、仏典の中から重要な箇所を選び出し、自ら書いた文書が長崎県大村市で見つかった。この文書は同市の正法寺の前住職が20年ほど前に業者から購入し、同寺に保管されていた。今年8月に同寺から依頼されて同研究所などが調べたところ親鸞直筆と確認された。文書の内容は、教えを信じ、念仏を唱えることの必要性を説くもの。                                 九州地方で親鸞直筆の文書が見つかったのは、鹿児島県の寺に次いで2例目。これらのほかにも親鸞直筆の書物は全国で見つかっている。これらのことから鎌倉時代、親鸞が教えを広め、伝えるために繰り返し文書を書き、配っていたことがうかがえるという。

弥生期の奈良の遺跡から乳房表現した土器発掘、国内初

奈良県田原本町教育委員会の発掘調査で、およそ2000年前の弥生時代中期の「清水風遺跡」から、女性とみられる人物が両手を広げ、祈りを捧げる様子を表現した土器の破片が発掘された。この土器の破片は縦12cm、横16cm。絵には女性をイメージさせる乳房が表現されていて、同町教育委は祭祀を司る”みこ(巫女)”が豊作を祈願する様子を表現したとみている。同様のポーズをした人が描かれた土器の発掘例は19件あるが、乳房が表現された例は初めてという。                                                                       この土器は10月10日から12月1日まで、田原本町の「唐古・鍵考古学ミュージアム」で展示される。

源氏物語「若紫」最古の藤原定家写本見つかる

藤原定家の子孫にあたる京都・冷泉家の調査によると、原本が残っていない平安時代の「源氏物語」(全54帖)の「若紫」を鎌倉時代の歌人、藤原定家が書き写した写本が新たに見つかった。今回見つかったのは、これまで紫式部のオリジナル表現に近いものとして最も信頼できる資料とされてきた室町時代の写本を、さらに250年遡る「若紫」の写本で、定家の筆跡と一致した。当時、官位の高い人物しか使うことが許されなかった青墨も使われていた。表紙は国の重要文化財に指定されている、定家の源氏物語のほかの写本「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の4帖と同じだという

藤原宮跡の大極殿院で新回廊の跡見つかる 旧来の知見見直しも

奈良文化財研究所の発掘調査によると、橿原市にあった飛鳥時代の都の中心「藤原宮跡」で、天皇が政務や儀式を行った「大極殿院」の区画から、屋根のある廊下「回廊」の跡が新たに見つかった。藤原宮の大極殿院は大極殿の建物を中心に、周囲に東西およそ120m、南北およそ165mの長方形の「回廊」があったと考えられていた。               ところが今回の発掘調査で、南北に走る東側の回廊の途中から、西に直角に伸びる長さおよそ30mの回廊の跡が新たに見つかったもの。回廊は単純な長方形だと考えられていたため、新たな回廊の跡は想定外。このため同研究所では「古代の宮殿の変遷や発展を考えるうえで、貴重な発見だ。今後、構造や配置を見直す必要が出てきた」としている。

藤原京跡の西端に広大な宅地跡 見つかる、官位低い貴族の邸宅

橿原考古学研究所の発掘調査によると、奈良県橿原市にあった飛鳥時代の都、持統天皇が造営したとされる「藤原京」跡の西端に、広大な宅地の跡が見つかった。場所は橿原市四条町で、東西におよそ14m、南北におよそ10mの広さの建物跡と、建物の南側に9mほどの幅がある門の跡が見つかった。さらに門に沿って塀の跡が、東側におよそ45mにわたって伸びていた。建物の配置から、塀は門を挟んで反対側の西側にも伸びていたとみられ、宅地は周辺の道も含めておよそ130m四方の区画を占めていたと考えられるとしている。その規模の広さから比較的、位の低い貴族の邸宅とみられるという。都の端にあたる場所で、貴族の邸宅跡が見つかるのは初めてという。当時の都の整備の進め方を知る貴重な手掛かりになるとみられる。

正倉院で「開封の儀」、10/26から41件の宝物の正倉院展

奈良市の正倉院で10月1日、宝物の点検や調査のため年に一度、部屋の封印を解く「開封の儀」が行われた。正倉院事務所長の先導で、宮内庁の職員や東大寺の僧侶らが手や口を清めた後、宝庫の中に入った。正倉院はこれからおよそ2カ月にわたり、宝物の点検や調査などが行われる。これに合わせ奈良国立博物館で10月26日から「正倉院展」が開かれ、初出展の4件を含む41件の宝物が公開される。また、今年は令和天皇の即位を記念して、一部の宝物が10月14日から東京国立博物館でも公開される。正倉院では、奈良時代に造られた校倉造りの正倉に入っていた聖武天皇の愛用品や東大寺ゆかりの宝物などおよそ9,000点が宝庫と呼ばれる建物に移され保管されている。

平城宮跡で「太政官」建物跡? 東方官衙地区で初めて見つかる

奈良県文化財研究所の調査によると、奈良市の平城宮跡で奈良時代の国政を担った中心的な役所「太政官(だいじょうかん)」とみられる大規模な建物跡が初めて見つかった。今回見つかったのは平城宮跡の「東方官衙(とうほうかんが)」と呼ばれる役所が集まった地区で、土を固めた建物の土台「基壇」が見つかった。基壇の大きさは東西およそ29m、南北およそ17m、高さがおよそ1.2mあったとみられ、平城宮跡で見つかった役所の中では最も規模が大きいという。基壇の南北ではそれぞれ3カ所で階段の跡が見つかったほか、周辺には小石が一面に敷き詰められていて、格式の高い大規模な建物が建てられていたと同研究所ではみている。さらに天皇が政務や儀式を行った大極殿の近くにあることから、国政を担った中心的な役所、太政官の建物跡と判断している。同研究所では、当時の律令国家を考えるうえで貴重な資料だとしている。

奈良・橿原市の本薬師寺跡で飛鳥時代最大の南門見つかる

奈良県橿原市教育委員会の発掘調査によると、同市の本薬師寺の跡で寺の正門にあたる南門が初めて見つかった。当時の寺院の南門としては最大で、同委員会は本薬師寺が国家主導で造られた寺院としてふさわしい立派な門を備えていたことを示す資料だとしている。国の特別史跡に指定されている本薬師寺跡は、飛鳥時代、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して創建を始めた寺の跡で、奈良市にある薬師寺の前身とされている。同委員会の発掘調査によると、建物の柱を支える礎石を抜き取った穴が、東西に並んで3カ所見つかった。南門の大きさは東西およそ15mとみられている。

10/3から人気の「琵琶湖疏水」に新観光船お目見え

明治時代に開通したびわ湖と京都市を結ぶ水路「琵琶湖疏水」を走る観光船(2隻)に、10月3日から新しい船が1隻追加されることになり9月23日、お披露目された。船は「れいわ号」と名付けられ、14人乗りで座席を斜めに配置したり、屋根の支柱の数を減らして周囲の景色が見やすいように工夫されている。秋シーズンの運航は10月3日から12月1日まで。琵琶湖疏水(区間7.8km)の観光船は2018年から運航され、平均乗車率が98%を上回り、予約が取りづらい状況が続いていた。

京都・伏見区の秀吉居城の内堀は推定の2倍以上の規模と判明

天下人となった豊臣秀吉が現在の京都市伏見区に築いた城「指月城」の内堀が30m以上と、これまで推定されていた最大で15mほどの2倍以上だったことが分かった。京都市文化財保護課の発掘調査で明らかになった。                                                        指月城は、秀吉が隠居のために築いた屋敷を1594年に改築したもので、その後地震で倒壊し、後に伏見城が造られた。20年前から発掘調査を進めている京都市は今回、過去の調査で見つかっていた土の段差が指月城の内堀の端だったことが分かり、これまで考えられた2倍以上の規模だったことが判明した。天下を統一した秀吉の権力の大きさを表すものとみられている。

足利義満ゆかり「花の天井」一般公開 京都・平岡八幡宮

室町時代の三代将軍、足利義満ゆかりの京都市右京区の平岡八幡宮で、四季折々の草花が描かれた「花の天井」が一般公開されている。この秋の一般公開は12月1日まで。平岡八幡宮の本殿の天井には義満の邸宅「花の御所」に咲いていたとされる四季折々の草花が描かれており、「花の天井」と呼ばれている。44枚の天井板一つ一つには、義満が中国の明との貿易で取り寄せたとされるブドウやザクロ、京都の山々を彩る赤く色づいたカエデの葉など、いろいろな種類の花が色鮮やかに表現されている。

和歌山県串本町沖 トルコ軍艦沈没事故から129年 追悼式典

トルコの軍艦「エルトゥールル」が明治23年9月16日、和歌山県串本町の沖合で沈没し乗組員500名以上が亡くなった事故から129年となる9月16日、串本町の慰霊碑の前で犠牲者を追悼する式典が行われた。式典には日本と、駐日トルコ大使館のハサン・ムラット・メルジャン特命全権大使らトルコの、両国関係者などおよそ120名が参列した。  この事故の際、地元の住民が乗組員の救助にあたり、69名の命が救われたことから、その後日本とトルコが友好を続ける礎の一つになったとされている。

“やりまわし”に歓声 大阪・岸和田「だんじり祭」

高さがおよそ4m、重さがおよそ4トンのだんじりを法被、ねじり鉢巻き姿の男たちが、力強い掛け声とともに、豪快に引き回す大阪府岸和田市の「だんじり祭」が9月14、15の両日行われた。今年は市内の各地区から34台のだんじりが参加。最大の見どころは交差点で、だんじりが勢いよく走りながら直角に向きを変える”やりまわし”。だんじりの屋根の上でうちわを持って舞う「大工方」の合図で、引手たちが息を合わせて、勢いよくだんじりを曲げる。そのたびに見物客からは歓声が上がる。                                              岸和田だんじり祭は、江戸時代、当時の岸和田藩主が五穀豊穣を願って始めたと伝わる、300年以上続く伝統の祭。

平安京の「九条大路」、羅城跡?を初確認、道幅30m

京都市埋蔵文化財研究所によると、平安京の南端の通りの「九条大路」と、城壁の一部とみられる跡が発掘調査で初めて確認された。京都市南区の高校の跡地で、平安時代に舗装された大きな路面が見つかり、過去の文献などから平安京の南端を東西に走る「九条大路」とみられるという。道の両側には幅1m余りの側溝が見つかり、当時の道幅は30mほどあったことが分かった。また、道の南側には「羅城(らじょう)」と呼ばれる平安京の城壁の一部とみられる土台の跡も見つかった。今回の調査で少なくとも都の玄関口、羅城門の西側600mほどの場所まで城壁が続いていたことが初めて確認された。

地球型惑星に水蒸気 存在を初めて確認、英科学誌に発表

AFP時事によると、ハビタルゾーン(生命居住可能地域)内にある太陽系外惑星の待機中に水蒸気が存在することを初めて確認したとする論文が9月11日、英科学誌ネイチャー・アストロノミーに発表された。論文によると、この惑星「K2-18b」は、質量が地球の8倍、大きさが地球の2倍で、液体の水が存在できるハビタルゾーン内で恒星の周りを公転している。K2-18bは、米航空宇宙局(NASA)のケプラー宇宙望遠鏡が発見した数百個の「スーパーアース(巨大地球型惑星)」の一つ。これまで4,000個余り見つかっている太陽系外惑星のうち、岩石でできた表面と水を含む大気の両方を持つことが確認されたのは、この惑星が初めて。

ヤマト王権トップ?の木棺初公開、桜井茶臼山古墳

古墳時代の初期ヤマト王権のトップの大王の墓の可能性が指摘されている奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(3世紀末~4世紀初め、国史跡)から出土した木棺が、保存処理を終え、奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)で初公開されている。公開は10月31日まで。                                                                         この木棺はコウヤマキ製で長さ4.89m、幅75cm、厚さ27cm。残っているのは底の部分。同研究所が2009年の発掘調査で竪穴式石室から取り出したもの。2015年から木棺の保存処理を進め、薬剤の溶液に2年間浸けて木材を補強。乾燥後に約1年かけて状態を観察してきた。同時期の大型の前方後円墳の多くは宮内庁の管理する陵墓や陵墓参考地に指定され、原則非公開とされている。

シベリア抑留者「舞鶴引き揚げの日」特別展

戦後シベリア抑留からの最初の引き揚げ船が京都府舞鶴港に入港した日にちなんだ、10月7日の「舞鶴引き上げの日」を知ってもらおうと、舞鶴市で特別展が開かれている。会場の舞鶴市役所では、抑留と引き揚げの歴史が写真や絵を交えたパネルで紹介され、雪の降り積もった極寒のシベリアで、日本人が重い丸太をひく様子や、配給の食料を囲む様子などが披露されている。また、日本に戻ってきた人たちが船から降りる際に使った桟橋の模型も、当時撮影された写真とともに展示されている。この特別展は10月7日まで開かれている。舞鶴市は昨年、シベリア抑留と引き揚げの歴史を次の世代に継承しようと、条例で10月7日を「舞鶴引き揚げの日」と制定した。

「川中島の戦い」巡る上杉謙信の新たな書状、新潟で発見

戦国武将、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が戦った「川中島の戦い」に関する新たな書状が、このほど新潟で見つかった。専門家の鑑定で、この書状は花押などから原本と確認された。これにより、通説で5回の合戦が繰り広げられた、信濃の領土を巡る川中島の戦いは、その後も合戦があったことがうかがえる貴重な記録だ。                   見つかった書状は戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、上杉謙信が自分の領土だと考えていた、現在の長野県北部、北信濃の7人の武将に宛てたもの。新潟大学名誉教授で郷土史に詳しい冨澤信明さんが、およそ15年前に骨董品を扱う関係者から購入し、保管したままになっていた。書状の文面には「皆々在陣あり、堅固の仕置専一に候」(みんな陣所のそれぞれの持ち場でしっかり守るように)と指示した内容が記されている。

「むかわ竜」は新種恐竜、学名「カムイサウルス・ジャポニクス」に

北海道大学総合博物館の研究グループによると、全身の骨格の化石が残る国内最大の恐竜「むかわ竜」が、ハドロサウルス科の草食恐竜の仲間の新種であることが分かり、学名にアイヌ語を入れ「カムイサウルス・ジャポニクス」と名付けられた。                 むかわ竜は、2003年に北海道・むかわ町で全身骨格の化石が発見された。体長8m、体重4~5.3トン。白亜紀の終りごろ、およそ7,200万年前に生息していたとみられている。

エチオピアで380万年前の猿人の頭蓋骨ほぼ完全な形で見つかる

ロイター通信によると、エチオピアで380万年前のアウストラロピテクス・アナメンシス(アナメンシス猿人)の頭蓋骨がほぼ完全な形で見つかり、顔が復元された。これは最終的に現生人類へとつながる進化系統の重要な時期に関する手掛かりを示す発見となる。科学誌ネイチャーに掲載された研究によると、頭蓋骨は2016年にエチオピアの首都アディスアベバの北東約550kmで発見され、成人男性のものだという。

奈良・桜井茶臼山古墳から出土の木棺 初公開

奈良県橿原考古学研究所で8月21日から、古代ヤマト王権を率いた王の墓ではないかという説がある桜井市の桜井茶臼山古墳から見つかった木製の棺(ひつぎ)が、初めて一般に公開されている。公開は平日、10月末まで。この木棺は70年前、同古墳の石室から見つかり、4年前から腐食を防ぐため保存処理が施されていた。木棺のサイズは長さ4.9m、幅75cm。高野槇(こうやまき)という針葉樹の丸太を削ってつくられたもので、両側の損傷は激しいものの、中心部分の保存状態は比較的よく、説明パネルには大量の銅鏡の破片も一緒に見つかったことや、合成樹脂を使って保存処理したことなどを写真付きで紹介している。桜井茶臼山古墳は、古墳時代前期に築造されたとみられる全長200mの前方後円墳で、国の史跡に指定されている。

秀次の息子を「要職に」秀吉の新たな書状見つかる

東京大学史料編纂所によると、豊臣秀吉が、養子の秀次が切腹する3カ月ほど前に、その息子を要職に就かせると発言していたことを示す書状が新たに見つかった。これは文禄4(1595)年、秀吉の側近、木下吉隆が毛利輝元に送った書状の中に、豊臣秀次の息子を大和(いまの奈良県)の国主にするという秀吉の発言が記されていたことで分かったもの。秀吉と秀次は、この2年前に秀吉の実子、秀頼が生まれたことをきっかけに、不仲になったというのが通説。実際にこの書状が書かれた3カ月ほど後に、秀次は謹慎、切腹させられ、妻子も処刑された。しかし、今回の見つかった書状により、両者の冷えた関係は秀頼の出生直後からのものではなく、同編纂所では「豊臣家に人がいなくなってしまうと、滅亡につながってしまうと考え、秀吉は簡単に秀次一家を潰そうつはしていなかったのではないか」とし、この書状はかなり重要な、意味のある発見だと指摘している。

持統天皇の生涯を漫画作品で紹介 明日香村で展覧会

奈良県明日香村の県立万葉文化館で、飛鳥時代の女性天皇、持統天皇の生涯を、里中満智子さんの作品に沿って紹介する展覧会が開かれている。9月23日まで。このうち古代日本最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」(672年)の後、勝利した夫の大海人皇子(後の天武天皇)の即位および親政を経て、天武天皇の死後、皇后が持統天皇として即位するまでの期間を描いた漫画の原稿およそ160点あり、パネルなども添えて詳しく紹介されている。また、里中さんの作品の構想のもととなった日本書紀など考古学資料も一緒に展示されていて、作品への理解や実際の歴史を楽しく学ぶのに役立っている。壬申の乱は天智天皇崩御後、その皇太子、大友皇子と天智天皇の弟がその覇権を争い、いわば反乱者が勝利した稀有な例。それだけにその後、日本の律令政治の基礎をつくっていった天武~持統天皇の足跡を詳しく、そして分かりやすく紹介している。

昭和天皇「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」拝謁記で心情明らかに

民間出身の初代宮内庁長官、田島道治(たじまみちじ)氏が、昭和天皇との対話を克明に記した「拝謁記」から、敗戦後~東京裁判後の当時の天皇の、揺れ動く心情が明らかになった。そして、この中で天皇が「国民が退位を希望するなら、少しも躊躇せぬ」と語るなどこの間、退位の可能性にたびたび言及していたことが分かった。                        分析にあたった専門家は「皇室が本当に国民に認められるかどうかがすごく気になっていて、存続には国民の意思が決定的に重要だという認識がみえる」と指摘している。昭和天皇の退位をめぐる問題は、これまでの研究で昭和23年の東京裁判の判決に際し、昭和天皇が連合国軍最高司令官マッカーサーに手紙を送り、退位せず天皇の位にとどまる意向を伝えたことで、決着したとされてきた。しかし、現実には皇室の今後を見据え、退位をも辞さない覚悟を含めた葛藤があった。田島道治氏は戦後制定された日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり宮内庁や宮内府のトップを務めた。在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していた。

「二・二六事件」推移克明に記録した海軍極秘文書見つかる

陸軍の青年将校らが天皇中心の国家を確立するとしてクーデターを企て、政府要人ら9人を殺害した「二・二六事件」(1936年2月26日発生)について、暴徒として鎮圧されるまでの4日間の事件の推移を分単位で克明に記録した海軍の極秘文書が見つかった。陸軍のではなく、海軍のこうした文書が存在したこと自体が驚きだ。そして、この事件の際、これまで断固鎮圧の姿勢を貫いたとされていた昭和天皇の、揺れ動く思いのさまが垣間見える記録だ。この中で昭和天皇は、海軍の作戦を統括する軍令部のトップ、皇族将校の伏見宮・軍令部総長とのやり取りで、①海軍の青年士官がこの企てに合流することはないか②事件鎮圧に出動する海軍の陸上部隊の指揮官は、部下を十分掌握できる人物を選任せよ-などと、事件の拡大を懸念する発言をしていたことが記録されていて、専門家は当時の天皇と軍の関係を知るうえで、極めて貴重な資料と指摘している。この事件の後、日本軍部は戦争への道をまっしぐらに進み、わずか5年後の1941年に太平洋戦争勃発、そして1945年の敗戦へと突き進む。

古都の夜空に浮かぶ火文字・形 京都五山送り火

京都のお盆の伝統行事「京都五山送り火」が8月16日、行われた。今年は台風10号の影響で、本来の前日からの準備ができず、この日朝5時ごろからの作業に追われたという。それでも午後8時には予定通り、まず京都市左京区の大文字山の火床に一斉に火が灯され、山の斜面に大きな「大」の文字が浮かび上がった。続いて、京都の街を囲む5つの山々に「妙法(みょうほう)」、「船形(ふながた)」、「左大文字(ひだりだいもんじ)」、「鳥居形(とりいがた)」の順で、ほぼ5分おきに点火された。すると、炎で描かれた文字と形が、古都の夜空に浮かび上がった。市内中心部のビルの屋上をはじめ、市内各所で見物客がそれぞれの思いを胸に、この幻想的な風景に見入っていた。京都五山送り火は、お盆に迎えた先祖の霊を送る京都の伝統行事。

滋賀・長浜城跡で石垣発見、石材の技法から築城は豊臣期

滋賀県長浜市は8月14日、長浜城跡(所在地:同市公園町)の試掘調査で石垣の一部が見つかったと発表した。石材の形状などから豊臣期(1574~1590年)に造られた可能性があるという。石垣は、大きさが不揃いの石材8個が連なった長さ4.5mで、深さ1.4mの地中から見つかった。1600年以降の徳川期の城郭にみられる、くさびを用いて石材を割る「矢穴技法」が使われておらず、同市は豊臣期の石垣と考えられるとしている。長浜城は羽柴(豊臣)秀吉が築いたことで知られているが、その後、家臣の山内一豊ら城主が4人交代。大坂夏の陣(1615年)で豊臣氏滅亡後、徳川政権が安定した後、廃城となり、資材は彦根城の築城に再利用されたと伝えられており、この時代の遺構はこれまではっきりと確認されていなかった。

志賀直哉の『暗夜行路』の舞台 京都時代の旧居宅、解体へ

文豪・志賀直哉(1883~1971年)の京都時代の旧居の一つで、代表作『暗夜行路』でも重要な舞台として描かれた京都市北区の住宅が近く取り壊されることが分かった。この旧居は北野白梅町交差点から南西約200mにあり、1910年代当時の衣笠村に郊外型住宅として開発され、文化人が数多く住んだ衣笠園の一角。志賀は実父との確執が激しく、わずか4カ月余りだったが、新婚間もない大正4年1月にここに移り住んでいる。暗夜行路の作品では、自らを投影させた主人公の作家、時任謙作と妻・直子が新婚生活をスタートさせた家として登場する。旧居は大正期の木造2階建てで、老朽化が著しく、現在の所有者が解体・売却の手続きを進めている。

山形県内陸部の竪穴住居跡からマグロの骨出土、縄文草創期

山形県南陽市教育委員会などによると、約1万1,000~1万2,000年前の縄文時代草創期の竪穴住居跡が確認された同市赤湯の北町遺跡で、内陸部の縄文遺跡としては全国的に珍しいマグロの骨が出土した。見つかったのは成長段階のマグロの背骨の一部と判明した。白竜湖西側に位置する同遺跡は、枯れた植物が分解せずに積もった泥炭層の湿原だった場所に広がる。こうした環境にあったからか、専門家は「これだけの内陸部で海洋魚の骨が見つかったこと自体、驚き」としている。いずれにしても、当時から内陸部と海岸部で人的、物的交流があったことが推察される。

弥生~飛鳥時代の木製品60点集め奈良・橿原市で特別展

奈良県橿原市の「歴史に憩う橿原市博物館」で、同市内の遺跡から出土した木製の食器や農具などおよそ60点を集めた企画展が開かれている。9月1日まで。これらはいずれも2,000年ほど前の弥生時代から飛鳥時代の木製品。新堂遺跡から出土した古墳時代の「腰掛け」は高さ14cm、幅36cmほどの小さな椅子で、儀式で使われた特別なものと考えられる。持統天皇が造営した藤原京の跡から出土した「漆塗り匙」は、長さ27cmほどの飛鳥時代のスプーンで、官位の高い貴人が使っていたとみられる。

“辻回し”に歓声と拍手 祇園祭・前祭で23基の山鉾巡行

京都・祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行が7月17日、京都市内中心部で行われた。午前9時半ごろ、先頭の長刀鉾(なぎなたぼこ)に乗った稚児がしめ縄を刀で断ち切ったのを合図にスタート。長刀鉾の次は2年連続で山一番を引き当てた「蟷螂山(とうろうやま)」が続き、総勢23の山・鉾が「コンチキチン」の祇園囃子を奏でながら夏の都大路を進む。四条河原町の交差点に差し掛かると山鉾巡行の見せ場の一つ、”辻回し”を披露した。辻回しは、水をまいた竹の上で車両を滑らせて、山・鉾自体と乗り込んでいる人らを含め何トンにもなる山や鉾を直角に方向転換するもの。沿道の人たちからは歓声や拍手が起こっていた。警察によると、沿道にはおよそ12万人が見物に訪れた。