古墳時代の初期ヤマト王権のトップの大王の墓の可能性が指摘されている奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(3世紀末~4世紀初め、国史跡)から出土した木棺が、保存処理を終え、奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)で初公開されている。公開は10月31日まで。 この木棺はコウヤマキ製で長さ4.89m、幅75cm、厚さ27cm。残っているのは底の部分。同研究所が2009年の発掘調査で竪穴式石室から取り出したもの。2015年から木棺の保存処理を進め、薬剤の溶液に2年間浸けて木材を補強。乾燥後に約1年かけて状態を観察してきた。同時期の大型の前方後円墳の多くは宮内庁の管理する陵墓や陵墓参考地に指定され、原則非公開とされている。
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シベリア抑留者「舞鶴引き揚げの日」特別展
戦後シベリア抑留からの最初の引き揚げ船が京都府舞鶴港に入港した日にちなんだ、10月7日の「舞鶴引き上げの日」を知ってもらおうと、舞鶴市で特別展が開かれている。会場の舞鶴市役所では、抑留と引き揚げの歴史が写真や絵を交えたパネルで紹介され、雪の降り積もった極寒のシベリアで、日本人が重い丸太をひく様子や、配給の食料を囲む様子などが披露されている。また、日本に戻ってきた人たちが船から降りる際に使った桟橋の模型も、当時撮影された写真とともに展示されている。この特別展は10月7日まで開かれている。舞鶴市は昨年、シベリア抑留と引き揚げの歴史を次の世代に継承しようと、条例で10月7日を「舞鶴引き揚げの日」と制定した。
「川中島の戦い」巡る上杉謙信の新たな書状、新潟で発見
戦国武将、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が戦った「川中島の戦い」に関する新たな書状が、このほど新潟で見つかった。専門家の鑑定で、この書状は花押などから原本と確認された。これにより、通説で5回の合戦が繰り広げられた、信濃の領土を巡る川中島の戦いは、その後も合戦があったことがうかがえる貴重な記録だ。 見つかった書状は戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、上杉謙信が自分の領土だと考えていた、現在の長野県北部、北信濃の7人の武将に宛てたもの。新潟大学名誉教授で郷土史に詳しい冨澤信明さんが、およそ15年前に骨董品を扱う関係者から購入し、保管したままになっていた。書状の文面には「皆々在陣あり、堅固の仕置専一に候」(みんな陣所のそれぞれの持ち場でしっかり守るように)と指示した内容が記されている。
「むかわ竜」は新種恐竜、学名「カムイサウルス・ジャポニクス」に
エチオピアで380万年前の猿人の頭蓋骨ほぼ完全な形で見つかる
奈良・桜井茶臼山古墳から出土の木棺 初公開
奈良県橿原考古学研究所で8月21日から、古代ヤマト王権を率いた王の墓ではないかという説がある桜井市の桜井茶臼山古墳から見つかった木製の棺(ひつぎ)が、初めて一般に公開されている。公開は平日、10月末まで。この木棺は70年前、同古墳の石室から見つかり、4年前から腐食を防ぐため保存処理が施されていた。木棺のサイズは長さ4.9m、幅75cm。高野槇(こうやまき)という針葉樹の丸太を削ってつくられたもので、両側の損傷は激しいものの、中心部分の保存状態は比較的よく、説明パネルには大量の銅鏡の破片も一緒に見つかったことや、合成樹脂を使って保存処理したことなどを写真付きで紹介している。桜井茶臼山古墳は、古墳時代前期に築造されたとみられる全長200mの前方後円墳で、国の史跡に指定されている。