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平安京の「西寺」の五重塔跡? 見つかる 京都市の発掘調査で

京都市の発掘調査によると、794年の平安京への遷都で、桓武天皇の命で「東寺」と対になるように造られた官営の寺「西寺」の五重塔の基礎部分の可能性が高い跡が見つかった。調査ではこれまでに、最も大きな建物とみられる講堂の土台部分の「基壇」が確認された。今回さらに五重塔があったと推定される場所を発掘したところ、碁盤の目状に12カ所で地盤を突き固めた跡が見つかり、これまでの調査と合わせると五重塔の基礎部分である可能性が高いという。                                                                            西寺は、鎌倉時代に火災に遭い焼失、それ以降は再建されず、京都市南区の跡地が国の史跡に指定されている。

「命のビザ」,発給でリストラに 杉原千畝の履歴書見つかる

第2次世界大戦中の1940年、赴任先のリトアニアでナチスの迫害を逃れるため、ビザを求めるユダヤ人に日本の通過ビザを発給し続けて、およそ6,000人の命を救ったとされる日本の外交官・杉原千畝氏(1900~1986年)の履歴書が新たに見つかった。これによると、杉原氏は1947年4月の帰国後に外務省を辞め、NHKや商社などを転々としたが、1949年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。外務省では杉原氏の退職理由について「不明」としているが、同氏が参院に提出した履歴書では「1947年3月の行政整理に際し被整理者に予定せられたる」と記載しており、人道的立場から、いわば省命に背き行った「ビザ発給」後、同氏は懲罰的に帰国前の段階でリストラ対象者とされていたと判断される。

天皇陛下 即位を国内外に宣言 2,000人を前に「即位礼正殿の儀」

天皇陛下の即位に伴う「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」が10月22日、皇居・宮殿であいにくの雨の中、皇族方11人および各界の代表や外国の元首などおよそ2,000人の参列者を前に、即位を国内外に宣言された。                                                天皇陛下は「黄櫨染御袍(こいろぜんのごぼう)」に身を包んで、皇后さまとともに儀式に臨み、「松の間」に設(しつら)えられた「高御座(たかみくら)」でお言葉を述べられた。この中で、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法に則(のっと)り、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います」と述べられた。夜には祝宴にあたる「饗宴の儀」も行われた。

親鸞直筆の教え説く文書 長崎大村市で見つかる

本願寺史料研究所などによると、浄土真宗の開祖として知られる親鸞が、仏典の中から重要な箇所を選び出し、自ら書いた文書が長崎県大村市で見つかった。この文書は同市の正法寺の前住職が20年ほど前に業者から購入し、同寺に保管されていた。今年8月に同寺から依頼されて同研究所などが調べたところ親鸞直筆と確認された。文書の内容は、教えを信じ、念仏を唱えることの必要性を説くもの。                                 九州地方で親鸞直筆の文書が見つかったのは、鹿児島県の寺に次いで2例目。これらのほかにも親鸞直筆の書物は全国で見つかっている。これらのことから鎌倉時代、親鸞が教えを広め、伝えるために繰り返し文書を書き、配っていたことがうかがえるという。

弥生期の奈良の遺跡から乳房表現した土器発掘、国内初

奈良県田原本町教育委員会の発掘調査で、およそ2000年前の弥生時代中期の「清水風遺跡」から、女性とみられる人物が両手を広げ、祈りを捧げる様子を表現した土器の破片が発掘された。この土器の破片は縦12cm、横16cm。絵には女性をイメージさせる乳房が表現されていて、同町教育委は祭祀を司る”みこ(巫女)”が豊作を祈願する様子を表現したとみている。同様のポーズをした人が描かれた土器の発掘例は19件あるが、乳房が表現された例は初めてという。                                                                       この土器は10月10日から12月1日まで、田原本町の「唐古・鍵考古学ミュージアム」で展示される。

源氏物語「若紫」最古の藤原定家写本見つかる

藤原定家の子孫にあたる京都・冷泉家の調査によると、原本が残っていない平安時代の「源氏物語」(全54帖)の「若紫」を鎌倉時代の歌人、藤原定家が書き写した写本が新たに見つかった。今回見つかったのは、これまで紫式部のオリジナル表現に近いものとして最も信頼できる資料とされてきた室町時代の写本を、さらに250年遡る「若紫」の写本で、定家の筆跡と一致した。当時、官位の高い人物しか使うことが許されなかった青墨も使われていた。表紙は国の重要文化財に指定されている、定家の源氏物語のほかの写本「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の4帖と同じだという