聖徳太子が建立したとされる「西安寺」(所在地:奈良県王寺町)跡で、寺の建物を取り囲んだ廊下、「回廊」の跡が初めて見つかった。回廊の幅は約4.6mで、金堂との位置関係から寺の東西の大きさは37.6mと推定され、寺としては小規模だったとみられている。王寺町が行った調査では、これまでに塔や金堂の跡が確認されている。 また、現場から見つかった瓦と、創建当時の法隆寺の跡から出土した瓦の文様を比較したところ、同じ鋳型でつくられたことが分かり、同町では聖徳太子ゆかりの法隆寺との関係がより深まったとしている。西安寺は現存していないが、文献には聖徳太子が建立したことが記されている。
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地質年代名「チバニアン」正式承認へ3次審査通過
奈良・富雄丸山古墳で初の青銅製鏡の破片見つかる
京都・嵐山で室町時代の酒造工房?の遺構見つかる
京都市右京区の、かつての天龍寺の境内があった場所で、室町時代の清酒造りの工房とみられる遺構が見つかった。マンションの建設工事に伴い、2018年5月から発掘調査を行っていた民間調査会社が見つけた。見つかったのは酒を保管する甕(かめ)の破片や、甕を固定していたとみられる穴などのほか、木製の柱2本。柱はそれぞれ直径30cmと45cm、長さが50cmと1mで、調査会社は枡(ます)に入ったもろみを重い石を使って搾る酒造りの技法に使われたとみている。
これらはおよそ600年前の室町時代につくられたと推定され、規模や出土品から清酒を造る工房だった可能性が高いという。清酒工房はこれまで、兵庫県伊丹市で見つかった江戸時代初期のものが最古とされていた。今回正式に確認されれば、300年近く酒造工房の歴史が遡ることになる。
奈良・御所市の弥生時代の遺跡で大規模な水田跡見つかる
奈良県橿原考古学研究所の調査によると、同県御所市の弥生時代の遺跡で大規模な水田の跡が見つかった。この発見で、弥生人に稲作が始まった初期のころから、灌漑施設を完備した大規模な水田を作る技術があったことが裏付けられた。
今回同市の中西遺跡で新たに410区画、約3,500㎡の水田が見つかった。隣の秋津遺跡と合わせると、その広さは4万3,000㎡に上るという。水田の跡はなだらかな傾斜地に直線的に伸びてきていることから、棚田ような形状だったとみられ、田んぼの大きさは約9㎡と当時としては一般的な規模。周りでは灌漑用の畦(あぜ)や水路の跡も見つかり、大きいものでおよそ26cmの当時の人々の足跡も残されていた。