国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は7月27日、青森市の三内丸山遺跡など17カ所で構成される「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道と青森、岩手、秋田の3県)を世界文化遺産に登録することを決めた。日本の世界文化遺産は20件目。
自然遺産も含めた世界遺産は7月26日に登録が決まった「奄美大島、徳之島、沖縄本島北部および西表島」(鹿児島、沖縄両県)に続いて25件目。
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「奄美,徳之島,沖縄,西表島」世界自然遺産に登録決定
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東海道は「53次」と、大坂までの「57次」があった
通常、東海道といえば「53次」が相場。ただし、これは江戸-京の宿駅だ。江戸時代初期に設けられたものだ。しかし、征夷大将軍職が初代徳川家康から、2代目秀忠にバトンタッチされたころからは、東海道は江戸-大坂までの「57次」となったようだ。
江戸幕府を開いた家康は、関ヶ原合戦(1600年9月)の直後に、京から江戸までの交通と情報伝達に最適なルート選定を家臣に命じた。その結果、1601年1月に40ほどの宿駅を決めて朱印状を出した。これが東海道の宿駅伝馬制の始まり。その際、53次をイメージ付けしたのが歌川広重の作品「東海道五十三次」(浮世絵木版画)だ。
2代将軍秀忠は1615年、大坂夏の陣で豊臣家を滅亡させると、家康の意向を受けて東海道を大坂までの延伸に着手する。そして設けられたのが大坂までの伏見、淀、枚方、守口の4駅で、これら4駅を合わせた「57次」が生まれた。
円山応挙の幽霊画と真筆認定 8月に青森で公開
青森市文化財審議委員らの調査によると、青森県弘前市の久渡寺所蔵の幽霊画「返魂香之図」が、江戸時代の絵師・円山応挙(1733~1795年)の真筆であることが分かった。8月13~15日、久渡寺で公開される。
弘前市教委などによると、米カリフォルニア大バークリー校付属美術館に寄託されている応挙の幽霊画と制作時期が近いことや、作品の技術の高さなどから真筆と判断した。応挙の幽霊画で真筆と認められているものは、米国の美術館に寄託されているものだけで、国内で真筆と確認されるの初めて。
返魂香之図は、弘前藩家老、森岡主膳元徳が相次いで亡くした妻らをしのぶため、応挙に制作を依頼したものと考えられる。久渡寺が所蔵していたことの経緯については、当の森岡主膳が1794年にこの絵を久渡寺に寄進したとの記録が残っている。